ザ・ベストテンとザ・トップテンについて語るスレ・その2。 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>539
佐藤隆
ベストテンでは「マイ・クラシック」でスポットライトに登場 自分が「日本の音楽界はここまでダメになったのか・・。」と愕然としたのは1989年「うっちゃん なんちゃん」が主演だった
「コンビエンス物語」の主題歌〜「げ〜んき〜をだ〜せよ おまえ〜らし〜く ふるま〜え・・」って曲。
いくら「素人っぽい」音楽がそれまでの反動でウケてた時代とはいえ、あの曲は「人に聴かせる資格がない人が作って歌ってる・・」くらいに思った。 昨日、1月19日はベストテン放送開始40周年の記念の日であった。 ベストテンの記録で一週だけランクインした人っているのかな?(´・ω・`) >>544
たくさんいるぞ。
紙ふうせん、町田義人、少女隊、ジャッキーリン&パラビアン、椎名恵、守谷香、
柴田恭兵、仲村トオル、池田政典、山下達郎、坂上香織、森高千里、小川範子、
田村英里子、最終回の宮沢りえなど。 >>545
へー。
いっぱいいるんだね。
森高はもっとランクインしてそうだが、
ぎりぎり番組終了期だったってことか(´・ω・`) >>545
山下達郎はランクインされてそうだけど
「クリスマス・イヴ」はベストテン終了後だったんだな >>546
せやね、1989/7/6に17才で10位にランクイン、10位以内滞在週は1週だな
その時は中継で鍾乳洞から歌ってたな
彼女は唯一のランクイン以外にも既にスポットライトで2回出てるんで、たった一度の出演感は薄いよな >>548
追記
1989/7/6は1989/9/28に番組が終了する事がアナウンスされた日でもあるな まとめ系サイトも結構あるのね。記念すべき一組目の登場は野口五郎、1位はピンクレディーだったのか
以下第1回ランキングを勝手に拝借
1.風の駅 / 野口五郎(第10位)(作詞:喜多條忠 作曲:筒美京平)
2.泣き虫 / 清水健太郎(第9位)(作詞作曲 つのだひろ)
3.若き旅人 /狩人(第8位)(作詞:竜 真知子 作曲:都倉 俊一)
4.ブーツをぬいで朝食を / 西城秀樹(第7位)(作詞:阿久悠 作曲:大野克夫)
5.憎みきれないろくでなし / 沢田研二(第6位)(作詞:阿久悠 作曲:大野克夫)
6.禁漁区 / 郷ひろみ(第5位)(作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)
7.わかれうた / 中島みゆき(第4位)(作詞作曲 中島みゆき)
8.しあわせ芝居 / 桜田淳子(第3位)(作詞作曲 中島みゆき)
9.わな / キャンディーズ(第2位)(作詞:島武実 作曲:穂口雄右)
10.UFO / ピンクレディー(第1位)(作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一) >>550
11〜20位には、「勝手にしやがれ」「秋桜」「てぃーんずぶるーす」「津軽海峡冬景色」など
なかなかの名曲揃い >>550
郷ひろみは禁猟区だな
禁漁区だと鳥羽一郎ぽくなっちゃう >>547
クリスマス・イヴはもともと1983年の曲だよ。
売れたのはバブル期だけど。 >>551
さだまさしの「案山子」もそのあたりじゃなかった? >>550
大野2曲、都倉2曲、みゆき2曲、阿久3曲か
子供の頃だったから意識してなかったけど、結構同じ作家で偏ってるんだな 桑田佳祐の楽曲が3曲ランクインされたっての時期もあったね
専業作曲家以外で3曲以上ランクインって他に誰がいるかな? >>556
でもプロの作詞家や作曲家だしミュージシャンのクオリティも今より高いから。
それに90年代末頃になるとランキングは小室とつんくだらけになるよ。
そしてさらに時代が下がると例の握手会商法のせいで作詞は秋元だらけに >>559
現状は酷すぎて考えたくもないわw
だから、余計に昭和懐古になってしまう
今はアイドルはいるが、アイドル歌手がいない
今アイドル歌手的な存在は声優だと思ってるんだが
如何せん、ルックスや楽曲がかつての歌謡曲黄金時代と
比べると貧弱なんだよなあ 昔のアイドルは名曲が多いな
「いい日旅立ち」「赤いスイートピー」「セカンドラブ」「卒業」「ダンシング・ヒーロー」「木枯らしに抱かれて」など
酒井法子の「夢冒険」を当時聴いた時なんじゃこりゃと思ったけど
今聴いてみたらクオリティが高い曲に聴こえる
秋元軍団の連中には歌いこなせないな >>561
青い珊瑚礁を初めて聴いた時のインパクトに敵うものはない。未だに 坂上香織「レースのカーディガン」や小川範子「桜桃記」あたりはアイドルっぽくない楽曲 石川秀美の「ゆれて湘南」って当時よく耳にしたがランクインは無しか?(´・ω・`) >>564
秀美はHey!Mr.ポリスマンまでランクインしてないと思う >>565
そか(´・ω・`)
当時からいい曲だなと思っていたが最近になって小田裕一郎作曲と知った。
「アメリカンフィーリング」や「青い珊瑚礁」、「キャッツアイ」と同じ。 ローズマリー・バトラーが歌った「汚れた英雄」主題歌も小田さん作曲と知ったのは自分も最近のことだった、びっくり
幅広くいい曲書いているよねー >>566
>>567
青い珊瑚礁もゆれて湘南も汚れた英雄も好きだったわ。
全部同じ人が作曲してたんだね 石川秀美って一般的な代表作がない人だよな。
当時の歌謡曲ファンじゃなければ1曲も知らない人が多いと思う。
名曲といえばダントツに「ゆ・れ・て湘南」だけど。 >>569
強いて挙げれば「ミステリー・ウーマン」だけどね
それを言うなら堀ちえみも
「リ・ボ・ン」が代表作というのは微妙な感じがする あれだけコンスタントにベストテン入りしてたのに代表曲らしい
曲がないよね堀ちえみ
やっぱりセンチメンタルジャーニーや夏色のナンシーみたいに
筒美京平作品がなかったのがいけなかったのかな コンスタントにヒットしてたのに代表曲がないアイドルと言えば奈保子・ちえみ・秀美。
耳に残るようなキャッチーなメロディや歌詞の曲がないのかも。
ちえみはCMで使われた曲なら稲妻パラダイスがあるけど、曲のインパクトはリボンやさよならの物語の方が上なのか、懐メロ番組でもあまり使用されないね 河合奈保子は「愛してます」とか「けんかをやめて」が頭に浮かぶ。
ちえみは俺も分からないな(´・ω・`) 河合奈保子は「エスカレーション」だろ
あれはベスト3まで入ったんじゃないかな? 奈保子は「スマイル・フォー・ミー」と「エスカレーション」のイメージ 奈保子ザベスの最高位は3位で夏ヒロ、エスカ、疑問符の3曲
トップテンだとエスカ辺りで2位とかなかったか? >>576
俺はこれにプラスして「けんかをやめて」だな
唯一のオリコン1位獲得曲の「デビュー」は代表曲扱いにはならないかなぁ
あれは谷間週発売とB面曲のおかげの1位だし ちなみにエスカレーションも筒美京平作曲。
なんてったってアイドルとか抱きしめてTONIGHTもそうだから
やっぱりキャッチーな代表曲を作る能力が凄いと思う。 >>573
石川秀美と堀ちえみのピークは共に84年8月〜85年2月くらいだったな
石川 熱風→ミステリーウーマン→もっと接近しましょう
堀 東京Sugar Town→クレイジーラヴ→リ・ボ・ン
お互い一皮剥けたと思ったんだがな >>570
「ミステリーウーマン」って結構マニアックな気が。
「Hey!ミスターポリスマン」か「愛の呪文」くらいじゃないかなあ。
「もっと接近しましょ」はパクリで有名になったけど。
堀ちえみは、オリコン最高位では「リ・ボ・ン」と「クレージーラブ」
の2位が最高だけど、やっぱり紅白で歌った「東京 Sugar Town」が
代表曲にふさわしいと思う。 堀ちえみは「Wa・ショイ!」で変な方向に走ったな
次の「夢千秒」が良い出来だったのに残念 堀ちえみがマイナーに見えてしまう。
82年組はやっぱりすげえわ(´・ω・`) >「もっと接近しましょ」はパクリで有名になったけど。
あれ、シーラEのカバーじゃなかったのか 昔、ベストテンのスポットライトのコーナーで、ユニコーンがツアー先から中継で出演したのをリアルタイムで見たけど。
あの当時、ツアーを見に来てた人達にとっては、忘れられない思い出になったね。 >>584
たしかに聖子みたいな髪型のアイドルが多かったよな。 82〜84年は聖子ブームに便乗してアイドルがわんさかデビューしてたからな
こういう番組に出れるのはその中の上玉だけ >>581
同意。
ちえみは84年春〜85年2月あたりに代表曲と言える曲が集中してるしその1年間がピークだったね。
85年春から、変な台詞入りのDeadend Street Girlとか(曲自体は好きだったけど台詞は恥ずかしい)、早すぎたラップと言われたWa・ショイ!とかで迷走して一気にポシャってしまった。
夢千秒で軌道修正したけど手遅れ感が。
秀美の代表曲も同意。
ミステリーウーマンは微妙だけど耳に残る曲だし結構売れた気もするから代表曲扱いでもいいと思う。
個人的には代表曲より初期のゆれて湘南や涙のペーパームーンの方が好きだったりする >>586
好きなアーティストやバンドのライブに行ったらベストテンの中継が…っていうのが当時の憧れだったな。
残念ながら地元でライブがある時はいつも木曜日じゃなかった ベストテンでは演歌も強くてアイドルとガチで競ってた印象がある。 五木ひろしはハガキリクエストが強かったからね。
79年の後半は「新宿・みなと町」と「おまえとふたり」で
ハガキリクエスト1位をほぼ独占している。
80年も田原俊彦デビュー前は、ほぼ五木ひろしの独壇場。 >>593
「リクエストハガキで作った富士山」というセットまであったよね、五木ひろし >>592
演歌勢はファンが有線リクエストとランキング番組へのハガキリクエストに力を入れてたというのもあるけど、一家にテレビが一台時代だったのも大きいと思う。
今ほど世代間が断絶してなかったから演歌もアイドルの曲もわりと共有出来てたし 当時小中学生だったが、思い浮かぶタイトルとして、
「北酒場」「みちのくひとり旅」「さざんかの宿」「矢切の渡し」「氷雨」「三年目の浮気」
あたりはなんとなく覚えている。
「氷雨」は異なる歌手で2曲同時にランクインしてたような。 「奥飛騨慕情」や「長良川艶歌」あたりはロングランだったな
80年後半から音楽が多様化して演歌が落ち目になっていくがそれでも「雪國」「酒よ」「命くれない」「追憶」などのヒット曲が生まれた
個人的には当時演歌界の新星と言われた尾形大作の「無錫旅情」が印象強いな 演歌歌手は出席率がよかった印象だわ。
おそらく営業効果絶大だったんだろうな。
ニューミュージック系の連中はちっとも来なかったが(´・ω・`)
他の歌手が歌ってる間の待ち時間がかったるかったんだろうかね? 懐メロのように感動的にお金持ちになれるのはなぜ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
C5UUA >>598
・「テレビなんて」という反骨精神
・テレビ的演出(トークで面白おかしくいじられるとか変なセットとか)で曲の世界観が壊れる
そういう理由もあるんじゃないかな。
トークが得意だったりラジオのパーソナリティで既にキャラ崩壊してる人なんかは出ていた印象(谷村新司とか) >>586 >>591
自作自演バンドや歌手は出演拒否がちょいちょいいたけど、ライブ中に中継で出演してくれたバンドや歌手も結構いたよな
自分達のライブをお茶の間に届ける事で、ライブ集客に繋げようという算段もあったのかも >>586
その世代のバンドなら、BUCK-TICKもライブ中に中継で出演してたな
当日のラテ欄に「BUCK-TICK現象とは何ぞ?」的な文字が踊ってて、本日のメイン扱いになってた記憶 >>600
新曲の宣伝にもなるから、出演ギャラが安かったのかも。
おれは邦楽はテレビでしか聴かなかったから、
歌番組に出ないニューミュージック系はよく知らないで過ごしてたな。 公式本に書いてあったけど、アリスは快く出演してくれたけど、一度だけセットをめぐって出演を渋ったことがあった。
その問題のセットというのがデスマスクをズラリと並べたもので、「曲の解釈が異なるのでは?自分達は楽曲を大事にしたいので」というものであった。
それでもう一度話し合ってセットも別の物に変えたとか。
出演しないミュージシャンはそういう部分で先鋭的になっていて、テレビに出ても楽曲を蔑ろにされるだけだと思っていたのかも。
実際ベストテンは「金をかけた意味不明な演出」も多かったからね >>600
サザンやツイスト、長渕、アルフィーはそんな感じだよね
松山千春や松任谷由実は何とかスタッフの説得で出演了承を得たとか
中島みゆき、矢沢永吉、オフコース、BOOWY時代を含めた氷室京介は一貫として出なかったな
安全地帯、オメガ時代を含めた杉山清貴あたりはよく出ていた印象 >>605
自作自演系ならアルフィーもしょっちゅう出てくれてたな
なので、未だにちょいちょいTVに呼ばれてて、こないだのレコ大にも出てて、レコ大の懐メロ番組化に力貸してたなw
後、チェッカーズも
自作曲路線になってからも、変にアーティストでございと感じになって出演拒否せずによく出てくれてた
この2バンドは、後年、出演シーンを纏めたDVD集が出せるレベルで出演回数が多かった記憶 >>605
>>606だけどごめん
アルフィー書いてたの見落としてた 村下孝蔵も出なかったな
ベストテンの番組プロヂューサーが出演交渉したが断られたらしい。
顔を隠す戦略だったのかな?
シングルのジャケも少女の切り絵だった。
後年テレビに出るようになったので驚いた。 >>608
村下孝蔵は当時体調崩して入院してた模様
病院で同室の患者と「ベストテンの登場シーンごっこ」をしたとか何とかという話も聞いた事ある 出演した回がレア感を漂わせているのが渡辺美里
楽曲は結構ランクされているのにも関わらずにベストテンで披露されたのは3曲のみ
「My Revolution」「悲しいね」「ムーンライトダンス」
しかも3曲ともフルコーラスで歌唱と待遇が良かった
スタッフが必死で出演交渉したんだろうなと思った >>610
中継・歌披露前トーク無・フルコーラス披露だったっけ?
特にマイレボは必死に口説き落としたんだろうな
TBSのドラマの主題歌だったし
とにかく勿体付けた感が凄かったよな、この人
その割には、歌のトップテンで恋したっていいじゃないが10位以内に入った時にライブ中に中継で出演してたな
その時は、一般的なライブ中に中継のパターンと同じだった >>609
ベストテンのプロデューサー山田氏の著書では入院していたとは書いてなかったな。 >>611
「My Revolution」の時はテレビ慣れしていなくて緊張してた印象だったな
「悲しいね」の時は苗場の風景と曲の雰囲気がマッチしていた
「ムーンライトダンス」は当時開催中だった横浜博の会場からの中継
どれも印象的だったな >>605
BOOWYは「ヒットスタジオ」には2回?くらい出演しているんだっけ
他ではソロデビューアルバムが最優秀アルバム賞を取って88年のレコード大賞に生出演していたなあ>氷室京介
確か2曲披露していたと思うが、あれは意外だった >>613
夜のスキー場の幻想的な映像と曲の雰囲気がぴったりで自分も印象に残っている
確か後にベストテンのSP番組があった際、名場面集で取り上げられていたよね >>614
氷室京介はヒットスタジオで初恋と対面したりファンの中山美穂と共演したりしてたね
その時の氷室の照れてた表情が良かったな
意外な一面を見たって感じだった
中島みゆきや尾崎豊といったベストテンを拒否するアーティストを呼べる番組がヒットスタジオだったな
1982年以降の郷ひろみも出てたし 一世風靡セピアもデビュー曲から出てたし米米CLUBも出てたね>夜ヒット 逆にレベッカとかはベストテンには出演して夜ヒットには出演してない 一世風靡セピアはベストテンの出演を決めながら、当日になってメンバーの中で
出る出ないで揉めて結局出なかったんだよな。
反対したのは誰だろう? >>608
村下さんは顔出しNGではなかったよ。
前年に夜ヒットに出てるし。
ただし一回だけだったけど。 >>623
初恋のジャケットが、最初は村下孝蔵の顔写真だったのが
いつのまにかおかっぱ少女の切り絵に変わって、それ以降
ずっとジャケットに顔写真が使われなくなったから
レコード会社のそういう方針だったのかなと。 そりゃあの濃い顔よりは切り絵の方が売れると判断したんだろ。 >>559
握手券関係ないダウンロードでも秋元は上位を連発してる >>545
一度だけのランクインなら南佳孝も「スローなブギにしてくれ」で1981/4/2に一度だけランクインだったな。 奈保子はシンガーソングライター路線がいまいち成功しなかったのが見てて辛かったわ。
路線変更一曲目のハーフムーンセレナーデが悲愴感バリバリ過ぎたのも失敗だった気がする。
十六夜物語ってそんなに売れてたのは知らなかった。ベストテンに入ってた記憶ないけど。 Wikipediaで「ザ・ベストテン登場歌手一覧」みればそういうのはわかるね。
ランクイン総数は放送期と活躍期が重なるトシ聖子マッチ明菜が別格だな。 >>630
十六夜物語もハーフムーン〜と同じ様な曲調で、こりゃもう、残念ながら人気は沈んでいくかなと子供ながらに思ったな
ベストテンでは歌披露してた記憶がないから10位以内には入ってないと思う
歌のトップテンでは歌披露してたのをリアタイで見たな >>630
それだけ大人のミュージシャンへのシフトチェンジは難しいという事だな
女性アイドル系で自作曲路線に切り替えて成功したのは竹内まりやがいてるけど、この人は旦那の山下達郎の後ろ楯がでかい様な気がする
竹内まりやはアイドル扱いされてたのに嫌気がさしてた頃に山下達郎と出会い、後に山下達郎と結婚したのだが、結婚した決め手は、
この人と一緒にいれば、ずっと(アイドル扱いされない)音楽活動できるかもと思ったから
という話も聞いた事あるし
男はチェとか吉川とかそこそこいるんでないかな? 竹内まりやは当時はアイドルというにはかなり年を喰ってたから、
事務所やレコード会社は売り方に苦慮しただろうな。 アイドル時代、中3トリオの陰に隠れて売れなかった石川さゆり しかし中3トリオも叶わない特大ヒット曲を掴んだ石川さゆり アイドルとしてイマイチでムード歌謡で成功したテレサ・テン >>633
大人のミュージシャンでは無いが大人のアイドルとして成功したのは岩崎宏美じゃないかな
聖母たちのララバイはロマンスを越えた本人最大のヒット曲となったし 仕事で水着になるかならないかで棲み分けがあったように思う。 アイドル時代に鳴かず飛ばずだったのがバンドで成功したと言えば渡瀬マキ。
本田美奈子や菊池桃子みたいに売れてたアイドルが年齢的にアイドルが厳しくなったからと言ってアーティスト路線にシフトチェンジするのも難しいね。
アイドル時代のイメージが強烈にインプットされてるんだから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています