平和が訪れた後の世界。

せっかくの機会なので、
私だけ「を」愛してたという解釈を好きになるために。

主人公が結婚しているとした場合、主人公の今の愛は、夫と彼
に対して、それぞれ%くらいなのか。
二年間の推移とかもどうなのだろう。

涙が浮かび、あふれそうになるくらい愛があるのなら、主人公だけを
愛し今不幸な彼の元に行くのが良さそうに思えるがどうなのだろう。

やけに哀しく心に残るのが、彼への憐れみだと、捨て犬が可哀そうだと
思うレベルの話なのだろうか。

後悔でも、「駅」の世界が軽くなってしまいそうだがどうなのだろう。

少し感傷に浸っただけなのだろうか。

「駅」に想い入れがある人は、軽さを拒みそうだがどうなのだろう。

曲を聴くときに理屈を追っていると、「駅」の世界に浸れないので、
イメージで十分に思えるがどうなのだろう。
楽曲の理解は、イメージが全てというスタンスも正解に思えるが
どうなのだろう。

木ではなく森を見れば、流れとしてカバー側によるオリジナル側への
批判(否定)が先にあったが、「が」の否定をしないと「を」の良さが
浮かび上がらないものなのだろうか。

作者の言う通りに聴かなくて良くても、唯一の正解なのだろうか。