>>171
佐藤千代子(さとうちやこ)は山形県天童の人。子供の頃から天童教会の日曜学校に通い、伝道師のミス・キルバン (Miss Kirwan) と出会う。天童小学校高等科卒業後、その歌の才能を見抜いたキルバンに連れられて上京。
ミッション系である普連土女学校(現:普連土(フレンド)学園)に入学。
在学中にオペラを鑑賞し、強い感銘を受けたことから音楽を志す。
大正9年、東京音楽学校(現東京藝術大学の音楽学部)に入学。クリスチャンである山田耕筰と出会う、ここで中山晋平を紹介される。
中山晋平は当時野口雨情と新民謡運動をしていて、全国を飛び回り「民謡」の採譜やコンサートなどをしていた(新民謡・新童謡コンサート、全国歌の旅)。
これに共鳴した佐藤千代子は東京音楽学校を中退して、この運動に歌手として参加することとなった。と言っても、まだ新幹線も飛行機もラジオ放送も無かった時代。
この「新民謡・新童謡コンサート」(全国歌の旅)運動から生まれた、昭和3年「波浮の港」(野口雨情作詞、中山晋平作曲、ビクター)が、日本最初の商業レコード歌謡とされ、それを歌った佐藤がレコード歌手第一号とされる。天童市に生家(記念館)がある。
1925年(大正14年)、ラジオ放送が開始され、ラジオを通して歌うようになる。

この辺りは、NHK朝の連続テレビ小説、「いちばん星」に詳しい。

佐藤千代子の曲は次のCDで聴ける。
・CD「昭和を飾った名歌手たち 1/佐藤千夜子」VICL 60326
  http://www.tsutaya.co.jp/works/20058945.html

・CD「七つの子~野口雨情作品集 」ビクターエンターテインメントVICG-60536 2CD
  http://www.neowing.co.jp/detailview.html?KEY=VICG-60536





1925年(大正14年)、ラジオ放送が開始され、ラジオを通して歌うようになる。