平成っ子が知らないこと@懐メロ邦楽板
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代表として「長山洋子のアイドル時代」。
なおここにおける「平成っ子」とは平成生まれはもちろん
「物心ついた(3〜4歳)ころには平成になっていた」世代も該当します。 「キャプテン」の単行本にアイドル時代のインタビューが載ってるよね。
平成っ子だがなぜか知ってる。 戸田恵子は昔演歌系アイドルだったこと。
研ナオコ・野口五郎・島谷ひとみのデビュー曲が演歌だったこと。 >>3
平成4年生まれだけど
戸田恵子のは知ってる! 松井直美関連だと
「デビュー曲が演歌だったこと」と
「チェッカーズと同時期に「ギザギザハートの子守唄」をリリースしていた」こと
どっちが信じてもらえるかが問題。 >>8
ダウト!
ジュリー→タイガース
ショーケン→テンプターズ >>8はPYGの事を指してるわけだから、ダウトじゃありません。
昨年亡くなった作曲家・遠藤実がレコード会社を設立していたこと(ミノルフォン)。 昭和30年代から40年代前半にかけて、歌謡界に毎年ニューリズムを送り込んだこと。
主なリズムにマンボ・ツイスト・ゴーゴーなどがある。 高橋元太郎(うっかり八兵衛)がアイドルグループ出身であること 今ではヤクザまがいの風貌の長渕が、
甘い声で歌うフォークシンガーだったこと。 チャゲ&飛鳥とアルフィーが
フォークグループとしてデビューしたこと。 昭和20年代半ばから40年代半ばに、コロムビアと平凡の共催で
「コロムビア全国歌謡コンクール」が行われたこと。
主な出身者に、島倉千代子・都はるみ・松山まさる(五木ひろし)
井手せつ子・純エリ子(藍美代子)などがいる。 読売テレビ(現・ytv)で放送していた「全日本歌謡選手権」。
「スター誕生!」「君こそスターだ!」と違い
「本格的歌謡曲歌い」
を発掘する番組で
アマだけでなくセミプロの参加も可能。
10週勝ち抜きで「プロ歌手」としてのレコードデビューが約束されていた。
ちなみにこの番組からメジャーになったのが五木ひろし&八代亜紀。 昭和30年代半ばまでSP盤という78回転のレコード盤が発売されていたこと。
>>20
他にも、青山ミチ・天童よしみ・胡浜三郎・有田美春(唯一のアイドル系)
真木ひでと・マーガレット・アンなどが勝ち抜いている。
審査員に船村徹・淡谷のり子など。 吉田拓郎・南こうせつ・泉谷しげるらが
発起人となって作られたフォーライフレコード。 呉田軽穂(松田聖子「渚のバルコニー」作曲家)
=松任谷由実 初代コロムビア・ローズが覆面を付けてデビューしたこと。
向こう半年は覆面生活だった。 「普通の女の子に戻りたい!」
「私たちは幸せでした!」 「元はB面だったのがヒットして後にA面と入れ替えて再リリース」
したシングル曲があったこと。
「両A面シングル」とセールスをしだしたのは80年代に入ってから。 >>28
ガロ「学生街の喫茶店」
(「美しすぎて」c/w)
高田みづえ「潮騒のメロディ」
(「子守唄を聞かせて」c/w)
あと追加フォローよろしこ。 >>28
ズー・ニー・ヴー
「白いサンゴ礁」
「涙のオルガン」のB面だった。
昔は、レコードといって、表とその裏面に音楽が、
データを刻んで入れていた
故に、上をA面といえばその裏はB面となっていた 歌謡曲全盛時代は、各レコード会社ごとに「専属作曲家」というのがいた。
その作曲家が「所属の違う別の歌手」に曲を提供するために
わざわざ「偽名」を使って曲を作っていたこと。 >>32
代表的なのは
市川昭介→いづみゆたか・林ゆたか
中川博之→五十嵐悟
北原じゅん→文れいじ
遠藤実→米田信一
ってところですね。 歌唱力があり、前途有望の歌手に、たまに「第二の〇〇〇(歌手名)」と売り出されていたこと。
例・小林幸子→第二の美空ひばり
弘田三枝子→第二の江利チエミ
>>34
その小林幸子が「コロッケ姉ちゃん」と呼ばれていたこと。
(彼女の実家は精肉店) 今は俳優の岸部一徳が実はグループサウンズ出身のベーシストだということ。
同じバンドにジュリーこと沢田研二がいたこと。
解散後に傷だらけの天使や太陽にほえろの主題歌で有名な井上バンドに在籍していたこと。 田辺エージェンシーの社長が
かつてグループサウンズのメンバーとしてドラムスを叩いていたこと。
そのグループサウンズのメンバーに
堺正章・井上順・かまやつひろし(現・ムッシュかまやつ)がいたこと。 平成っ子はまず「有線放送へのリクエスト」ってのを知らないだろうなぁ。
昭和時代の喫茶店は「店内BGM」の代わりに有線放送を引いてある店がほとんどで、
客が「自分の聴きたい曲」を有線放送会社に電話してリクエストしてもらうもの。
リクエストした曲がかかるまでwkwkしながらコーヒー片手に粘った人もいたはず。 閉店のときよく流れる蛍の光みたいな曲は、蛍の光とは別アレンジ版の
「別れのワルツ」という曲で、平成っ子がかろうじて知ってそうな曲では
六甲おろしとか栄冠は君に輝く、その他大量の軍歌等々を作曲した人が
アレンジしていること。
ボニーキャニオンが
元々は「キャニオンレコード」(ディスク関連)と「ボニー」(テープ関連)の別の会社だったこと。
もっとも両方ともフジ・サンケイグループの会社でしたが。 おにゃんこクラブのCD聞いてたら ひっくり返さなくてもいいんだよ と言われた
そうゆう事だったんだなあ >>40
ポニーキャニオンですね。
かつてレコード会社がGSバンドを売り出す時に、洋楽のレーベルを使用していたこと。
例)コロムビア→CBS(後にソニーに持っていかれる)
ビクター→フィリップス
キング→ロンドン etc 昭和38年生まれのオレが知らないことが結構あるな。 ドーナツ盤でも、ステレオとモノラルだと
ステレオの方が値段が高かったときがある
1980年TBSが行った明治・大正・昭和三代の歌謡曲(ベスト100)と
1989年NHKの昭和の歌・心に残るベスト100の大調査でいずれも一位が、
青い山脈 西條八十作詞 服部良一作曲 藤山一郎 奈良光枝歌だったこと 研ナオコが大麻で捕まったことがあることを知るひとは、いまでは少ないのでは?
あと、テレビドラマで財津和夫は服部良一を演じたことがある。 多くの芸能人が住所を公表していたこと。70年ころまでかな。 CDに切り替わっていく過程の頃アナログ録音から落とした
AADとかADDなんていうのがたくさんあった
冷蔵庫で冷やすと音が良くなるとか
野口五郎は演歌歌手だったとか浅野ゆう子がアイドルだったとか 小椋佳氏がかつて、第一勧業銀行に勤めていた事を知る平成生まれはいるかどうか。 アイドル歌手に専属のバックバンドがいたこと。
有名なところでは
近藤真彦の「YAMATO」
シブがき隊の「シブ楽器隊」などなど。
現在のアイドル連中にバックバンドつきのヤツいたかな? >>52
♪シンっフォニぃーのよーおなっ♪田〜園〜の風っ♪
ヘタくそでしたねw >>52
あと、井森美幸、山瀬まみ、島崎和歌子の
アイドル時代も。 山口百恵も水着で歌ったり、芸能人運動会に出たりしていたこと >>57
その山口百恵が「横須賀恵(よこすかめぐみ)」のペンネームで作詞家活動していたこと
(たしか自分のアルバムに収録の曲だったとオモ)。
引退→結婚してからもアン・ルイスに「ラ・セゾン」(これは「三浦百恵」名義)を提供した。 百恵関連だと引退後もワイドショー相手に長男出産会見をしたこと、かなー
「引退後、一切マスコミに出てきていない」って言われているので チェッカーズ「涙のリクエスト」の歌詞に出てくるシチュエーション。
♪最後のコインに祈りをこめてMidnight DJ
ダイヤル回しあの娘に伝えて まだ好きだよと
この曲のリリースされた1983年当時は
(すでにテレカ式公衆電話は登場していたが)
まだ「ダイヤル式公衆電話」、いわゆる赤電話&青電話が主流で
「ラジオの電リクに公衆電話から…」ってパターンはよくみられた。 それなりに知ってるつもりだったがまだまだか…
ここためになる 尾崎豊の「15の夜」は、昔は缶コーヒーが100円だったことを教えてくれる 「ゆとり世代」ってホントにモノを知らないバカばっかり。
ゆとり「天才・スピードのダンスはスゴイ!上原、新垣、今井のダンスはすげえ!」
ボク「・・・」
「マイケル・ジャクソン」の過去のビデオ見て「ゆとり」はどう思ってるのだろう?
マイケルが全盛期から20年以上経ち、いかに顔が蝋人形いや、オモチャのような気味の悪い顔になっても
いまだ遠くイギリスやドイツに遠征したマイケルが手を振っただけで老若男女が失神するほどのコーフンをするのか?
それは全盛期の画像でわかったはずだ。いかに「ゆとり」がバカでも。
「スピード」または「エグザイルのホスト芸」とマイケル・ジャクソンの「異次元の動き ホントに無重力空間のような動き」が違い過ぎるとな。 デビュー間もないアイドル歌手は
事務所社長の自宅に下宿させられていたこと。
>>24
南こうせつじゃなく井上陽水。それに小室等を加えた4人が発起人だった。
スター誕生の44回決戦大会で、本田美奈子、徳永英明、松本明子が顔を合わせたが、
この中で松本明子だけが合格してデビューできたこと。 最近のミュージシャンがよくやる
「同一シングルのジャケット違いver.」
を最初にやったのが
「渚のシンデレラ」('82年リリース)
の柏原よしえ(現・芳恵)。 横浜銀蠅の「ツッパリHigh-School Rock'n'roll」は実は三部作あった。
「登校編」「試験編」はシングルになっているので
知ってる人は知ってるが
残り1つの「女子校編」はアルバムのみの収録だったので
「幻の作品」となっている。 横浜銀蠅やツッパリHigh-School Rock'n'rollを知ってるかすら疑問
B面のない「片面のみ」のシングルレコード。
普通のシングル版が1枚700円した当時に
「1枚400円」と手軽に手に入れることができた。 昭和の漫才ブーム時代、
各コンビがこぞって「歌手」としてレコードデビューしていたこと。
B&B、ツービート、ザ・ぼんち、
紳助・竜助、のりお・よしお、サブロー・シロー…
すべてレコードデビュー経験者。
紳助・竜助に至っては漫才活動と平行して
バンド活動(紳助バンド)まで…。
もっともそのほとんどが
「シングル1、2曲だけ」の歌手活動だったけど。 ニューミュージック時代のバンドのアルバムタイトルは
「アーティスト名+数字」
というシンプルなものだった。 >>80
だから自分でウ(ry
これだからゆとり組は…(-_-#) 演歌を除いた歌謡曲=Jポップ だと思ってる
ニューミュージック≠Jポップ 当たり前だが つまり、矢沢永吉も小椋佳も和田アキ子もモーニング娘。もJポップってことですね 小林幸子が「おもいで酒」でブレイクする前に、
プレイボーイや平凡パンチなどでヌードを披露したこと。 >>84>>87
「おもいで酒」ならTVの「懐かしの歌」系番組で本人が歌うことがあるので
平成世代でも知ってると思われ。
それなら
「小林幸子の芸能生活は小学校時代から遡ることができる」の方が知らないかと…。 >>88
今はド派手衣装で???と感じる人間も多いだろうが、天童よしみ顔負けの苦労人だからね
売れたんだからまだマシという声もあるだろうけど >>88
そりゃ当然知らないだろう。
基本的に「紅白で毎年派手な格好をしている人」以上のことは知られてないかと。 「小学生デビュー組」と言えば荻野目洋子もその1人。
(小学校時代に「ミルク」という3人組ユニットで
芸能活動の経験あり)
もっとも平成っ子が荻野目洋子そのものを
知ってるかが疑問だが(苦笑)。 >>91
平成っ子が分るのは、小泉、美穂、静香までかね
洋子は平成っ子が知らない2番手集団だね >荻野目洋子
アラフォー世代には
「若松みゆき(「みゆき」)の中の人」
の方がしっくりくる。 「本木雅弘の義母」が、その昔郷ひろみとデュエットを組んで
ヒット曲を出していたこと。 長渕剛がいまだに石野真子ファンから嫌われている理由。 >>58
「横須賀 恵」のペンネームでは、
高田みづえのシングル「通りすぎた風」の作詞もそうだよ。 ・松田聖子(神田沙也加の母)の目の大きさが現在の3分の1だったこと。
・菊池桃子が外人を従えた自称・ロックバンドのボーカルだったこと。
・浅田美代子と吉田拓郎が夫婦だったこと。 浅田美代子と岸本加代子の共通点
☆共にT豚Sのホームドラマ出身
☆そのドラマ内で劇中歌(挿入歌)を歌っていた
(浅田美代子→「赤い風船」、岸本加代子→「北風よ」)
☆そしてそれがデビュー曲 堀内孝雄がソロでポップスナンバーを歌っていたこと。 平成っ子はアリスなんか知らないだろうから、ソロなのは当たり前だろう。 五木ひろしが「松山数夫(本名)」名義で
某刑事ドラマのOP・EDをプロデュースしていたこと。
しかもその曲調はもろポップス系w。 橋幸夫がアイドルユニットをプロデュースしていたこと。
しかも40億円という大金を注ぎ込んだものの
見事にズッこけて短命解散したこと。 ベストテンには各方面がなんやらかんやらでオニャンコは出なかった事 一時期週に何回も生放送歌番組があったこと。
しかもランキング形式。
今でも思うけど、ビーイングあたりのテレビでない歌手がチャート独占した時期に
ベストテンとかトップテンとかあったとしたらどうしてたんだろうか・・・
「今週は5位〜1位までは欠席でーす」とかになったのか 松山千春が
「(TV番組の)3分前後の出演で自分のメッセージを伝えるのは無理」
という理由で歌番組出演を拒否し続けたこと。
これに対して
「3分前後でメッセージが伝えられなかったら何分プレイしようが無理」
と反論したのがTHE ALFEEの高見沢俊彦。
その千春も今の彼を見てると…。 金井克子がコマネチスタイルで唄ってる姿を見て親の前で勃起して困ったこと 松田聖子は、パンチパンチパンチラジオをやっていた
上にもあるが、いまよりも半分以上は目が薄かったし、ひとかわだ
パンチガールのシリアポールは、ナイスバディのヌードを披露していた
まあ、当時は、女優、歌手はほとんどヌードを撮られていた時代
「ルビーの指環」の寺尾聰と「約束」の渡辺徹は
共に「刑事ドラマでのレギュラー在籍中」(「西部警察」&「太陽にほえろ!」)に
レコードをリリースしそれがスマッシュヒットした。
その後両方ともレギュラーだったドラマを
「殉職」の形で降板している。 >>68
誤り。1970年、安倍律子のデビュー曲「愛のきずな」でやっている。
これが最初かは知らない。 >>61で同様のことを既に書いているが・・・
小林明子のヒット曲「恋におちて」のサビの部分の聴かせどころで、
♪ ダイヤルまわして手を止めた・・・
は、プッシュ式ではなくダイヤル式の電話(特に黒電話)を思い出させてくれて・・・懐かしい。
伊藤つかさがデビュー曲「少女人形」で売り出していた頃(当時14歳)、
「労働基準法」の関係で夜9時以降の生番組に出演出来なかった事。 >>68>>124
さらに遡ると、水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」ですでにやっている。
単に、モノクロとカラーでそれぞれあるだけだが。
カラー同士だと、山田寛一「牛乳少年の歌」で、明治乳業のロゴが出ているか出てないかの違いだけどね。 以前CMで
チビ太のオデンはサークルK〜
と歌っていたのは、アイ高野。クリエイションの『ロンリーハート』でメインボーカルでした。 >>126
「夜9時以降」だっけ?
オレのかすかな記憶だと…「夜10時以降」の生番組に出演出来なくて、
特に、夜9時放送開始の「ザ・ベストテン」が、
「プロ野球」放送の延長により、放送時間がその分ズレた(スライドした)際に、
折角(放送当日に)ランクインしていた伊藤つかさチャンが「生出演」出来なくなり、
「事前に収録した」映像が流された…と。
>>129
「夜9時以降」でOK!
「ザベテン」(当時ファンはこう呼んでいた)放送当時の木曜日は
TBS系は野球中継はなかったはず
(後楽園〔東京ドーム〕・甲子園・広島→日テレ
神宮・横浜・ナゴヤ→フジ) ↑訂正、「夜8時以降」だった orz
(18歳未満が夜10時以降)
その後15歳の誕生日を迎えた'82年(2月)に
やっと「ザベテン」生出演が解禁になった。
詳しくは「伊藤つかさ 労働基準法」でググってみよう。 >>1現在第一線で活躍中のジャニーズのいくつかのグループが
光GENJIというグループのバックダンサーをやっていたという事。
(スマップ トキオ V6など) >>127
その例はさ、ちょっと違うんじゃないの。水前寺清子のは製作のミス
とかで、山田寛一の場合はスポンサーが付いたから差し替えた、とか。
最初から購買層にアピールする意図で複数作られた、という訳じゃないと思う。 >>132
「光GENJI」は元々
年長組「光」(内海・大沢)と
年少組「GENJI」(諸星・赤坂・佐藤…あと2人忘れたorz)の複合ユニット。
(「V6」のトニセン・カミセンと同じ図式) 本木雅弘がジャニーズのアイドルグループ出身だということ >>136
忍たま乱太郎の主題歌を10年くらい担当してたので、知名度は根強いと思う。 作詞家兼「おニャン子・AKBの黒幕」秋元康は
元々放送作家だったこと。
>>秋元康は元々放送作家
つまり・・・学生の頃は相当な「ハガキ職人」であった・・・と(本人も言っている)。
昭和62年〜63年にかけてのテレビ放送において、
昭和天皇のお体の状況(脈拍数など)がテレビ画面の上部に字幕スーパーとして、
実に頻繁に出ていた。
殊に、「ものまね王座決定戦」という番組のオンエア中に、この字幕が何度も何度も出まくり、
視聴者側から「あんなに頻繁に字幕を出されては鬱陶しい!」という、
なんとも・・・(心中は)複雑な苦情がテレビ局に寄せられたそうだ。 杉山清貴という(現在はソロ)歌手は、
1983年に、「杉山清貴&オメガトライブ」というグループのヴォーカルとしてデビューしたのだが、
実は、これは「再デビュー」である。
一度、「小野さとる」という芸名で演歌歌手としてデビューしたのだが、
デビュー曲のタイトルが「横浜を小バカにしている!」等と罵倒されてしまい、それに躓いて引退決意。
その後、「杉山清貴&オメガトライブ」として再デビューを果たした。
なお、元「小野さとる」であることが世間にバレないように、ずっとサングラスをかけ続けた。
ちょっと大きめなサングラスが印象的。
昭和天皇崩御の時は殆んどのTV局が緊急特別態勢で番組を
放送したため、突然レンタルビデオ店が大繁盛したこと。 >>149
釣れる?
「大沢誉志幸と加藤茶は兄弟」
と同様のガセビアを餌にして…w >>140
レギュラー番組を持っているから
知っているんじゃないの? >>149>>150
>大沢誉志幸と加藤茶は兄弟
昭和時代の邦楽ファンにまことしやかに伝わった
信憑性ゼロの噂話。
ソースは某G誌(邦楽専門誌・現在廃刊)のお便りコーナーから。 >>155
そうですねそれじゃあ戦後最初のレコード吹き込み
「リンゴの唄」♪赤いリンゴにくちびるよせて〜
並木路子/霧島昇 田原俊彦のデビュー曲「哀愁でいと」は
レイフ・ギャレット「Newyork City Night」のカヴァー曲。
これ豆知識な。
>>157
平成っ子が知らないという趣旨のはずだが
田原俊彦を知らない奴のほうが多いはず
中森明菜は近藤真彦の家で自殺未遂したことがある、はどう? 酒井法子が
「マンモスうれピー」
なんて言っていたこと 「この二人に作詞・作曲を頼めば確実にヒットを飛ばせる」
と言われた黄金コンビがいたこと。
'70年代〜'80年代前半
つ「松本隆&筒美京平」
'80年代後半〜平成初期
つ「秋元康&後藤次利」 絶対に知らないと思うが・・・
竹内まりやのヒット曲「不思議なピーチパイ」のレコードジャケットには、
マリアンの顔がアップで写っている。
(ジャケットを見て、コレが竹内まりやか・・・と勘違いする輩が居るかも?)
12月29日火曜日BS2 紅白60回名歌手たち夢の対決
19:30〜23:00
昭和48年から50年にかけて
「アイドルフォーク」(GS+フォーク)なる
新ジャンルのグループが多数出てきたこと。
THE ALFEEはその「アイドルフォーク」世代最後の生き残り。 Johnny「ジェームス・ディーンのように」
大沢逸美「ジェームス・ディーンみたいな女の子」
タイトルの元になったジェームス・ディーンはさすがに平成っ子は知らんはず。 ブラザートムがバブルガムブラザーズで紅白に出たことは知ってるかも知れないが
その前は小柳トムの名で警官の扮装をしたコメディアンだったことまでは知らんだろう 水前寺清子がアニソン経験者だったこと
っ「みつばちマーヤの冒険」
(クレジットは「チータ(←水前寺清子のニックネーム)とみつばち合唱団」だが)
ついでに言えば
「水前寺清子が『チータ』と呼ばれていた理由」
も平成っ子は知らない。 幾等なんでもこの板には早いだろ
お尻齧り虫だぞ・・精々ダンゴ3兄弟・・
双方で呆れるだけの話だな
即刻潰せ・・このスレは 松たか子の旦那の佐橋佳幸が石川優子(ふたりの愛ランド)のバックバンドにいたこと。 80年代には「I LOVE YOU」というタイトルの曲は
尾崎豊よりもオフコースのほうが有名だった。
尾崎の存命中は「I LOVE YOU」はシングルカットされていなかった。 美川憲一が、青春歌謡でデビューしたこと。
ついでに、20数年前には雑誌にて女装ヌードを披露したこと。 紅白歌合戦 昭和28年は2回
今年で61回で59年目 ミュージック・フェアは本当に実力のあるミュージシャンしか
出演できなかった良質な番組だったこと アラベスクがABBAと同じくらい人気があり、明星や平凡にも出ていた。
洋楽の話ですまん! ミスチルやスピッツをしらない平成っ子がいるからなあ。
森繁が亡くなったとき、十五人くらいの高校生にきいてみたけど、
芝居やってる女子高生を含めてだれひとり森繁を知らなかった。
このスレででてくる「○○は昔××だった」って話のうち半分以上は
○○そのものを知らないんじゃないかな。 そもそも森繁が亡くなった時のマスメディアの扱いが
余りにも軽すぎるから。
我が国のエンタテインメント、ミュージカルのパイオニアなのに
敬意がまるで感じられなかった(特に昨年の紅白!!)。 >>187
市橋某がつかまったニュースの方が大きな扱いだったんじゃないか? 肉体関係のあった歌手
南野陽子&中山美穂=田原俊彦
近藤真彦&羽賀研二&中井貴一&郷ひろみ&真田広之=松田聖子
小林繁&近藤真彦=中森明菜
シモンズ&木之内みどり&河合その子&堀ちえみ&工藤静香=後藤次利
十朱幸代&岩崎宏美=西城秀樹
城みちる=伊藤咲子
田宮二郎&沖田浩之=山本陽子
清春&大石恵=hyde
はっぴいえんど以前にも日本にロックがあった。
むしろはっぴいえんど以前のバンドマンのほうが
気性が激しくロック的だった(寺内タケシ、田辺昭知etc.)。 〉190
西城秀樹と岩崎宏美の関係って本当!?
十朱幸代との噂は知ってるけど… >>190
南野陽子&中山美穂=田原俊彦
美穂とトシは付き合ってたと聞いたことあるけどナンノとトシは嘘だろw >>195
宏美と秀樹は有名。ただセックスのみの関係だったとか。
>>196
有名だろ。アホか。 アイドル時代の松本伊代は
「体重が余りにも軽すぎるせいで自動ドアが反応しなかった」
というエピソードがあったこと。
※昭和時代の自動ドアは「床面スイッチ」の物が主流。
その後伊代の様な現象が続出して
「赤外線反応」や「押しボタン式」にシフトされていった 演歌はもちろんアイドル系でもタバコに関した歌詞の曲がかなりあったこと
森三中が出ているトトのCMの原曲
発注元の年代が窺い知れる >>200
スーちゃん…。・゚・(ノД`)・゚・。 工藤静香がおニャン子に入る前に、
「セブンティーンクラブ」という3人組でデビューしてたこと。
さらにそのメンバーに清原の嫁さんが含まれてたこと。 >>202
しかし、その清原は高校時代、中森明菜のファンだった。 8曲しか入ってないアルバムがCDで¥3,000、
LPで¥2,800普通に取ってた。 シングル盤のA面・B面、全く違う歌手の歌が入っていたこと 1985年に卒業を歌っていた、尾崎豊と斉藤由貴が付き合っていたという事実。
>>190
>>208
ナンノは、束山と後は、※※クラブの人だな。 ナンノがなんのこれしきというラジオ番組でコテコテの関西弁使ってたこと。 ヒロくんと小森みちこ(トライアングル)が付き合ってたこと、 >>210
今でも、関西ローカルの番組とかだと、上品な関西弁を使ってるよ。 70年代アイドル歌手のファーストアルバムは殆んどカバー曲だったこと ラジオの夜の番組が良質。
富田靖子の朗読の番組とか。 レコード掃除用スプレーとベルベット生地?のクリーナー
独特なあの香り 50年前のスリー・ファンキーズが
日本初のアイドルグループかつ
日本初のエアバンドだったこと。 70年代前半の4チャンネル・ステレオ
(現在のサラウンド・サウンドの原型) GRASS VALLEY
SOFT BALLET
筋肉少女帯
聖飢魔U
FENCE OF DEFENSE
BUCK-TICK
の存在 新しいカセットで録音する前のセッティング
テープの白い部分はクルクル巻いて、茶色のところでセット
少し再生して弛みを取る 60年代後半にはいわゆるロックバンドは
洋楽もみんなグループサウンズと呼ばれていたこと。
ビートルズもストーンズもビー・ジーズもクリームも。
バッドフィンガーの前身のジ・アイビーズのキャッチコピー
「ビートルズ以来の大型グループサウンズ出現!」 そのグループサウンズの草分けがヴィレッジシンガーズだということ。 ・B'zが初期はダンスナンバーやデジタルロックを得意としていた事、あとWANDSが”第二のB'z”をコンセントに結成された事。
・LINE-UP橋本とGRASS VALLEY上領が一時期ユニットを組んでたこと。
・90年代にBEING系の曲を多数アレンジしたギタリスト葉山たけしは80年代後半はソニー系のバンドの曲(PLI:ZやTUXEDO COOL等)のアレンジをしたりギターを弾いたりしていたこと。
・かつて松田聖子の持っていたシングル25作目の連続1位の記録を止めたシングルは小室哲哉のGRAVITY OF LOVE。
・中森明菜のアルバム不思議をアレンジ協力したEUROXの存在。
・ダイアモンドユカイと三浦理恵子が元夫婦だという事。
・発売日の異なるシングル・アルバムで同日付で1位という記録は1988年に中山美穂、2004年に宇多田ヒカルと歴代で2組しか成し遂げていないこと。 若き今井美樹がデビュー当時、MBSヤングタウン木曜日で島田紳助さんとともに
ラジオパーソナリティをつとめていたこと。 2002年に長野県御代田町に偽物が出たヴィレッジシンガーズの清水道夫。
かれの奥さんは大洋ホエールズの秋山登投手の元奥さんだったということ。 ギンザNau時代せんだみつおが大スターだったこと
激太りの天地真理がアイドル時代白雪姫といわれてたこと
女性アイドルの第一人者だったこと
林葉直子が天才少女といわれタイトル総なめしてた事 NOWは70年代前半の流行語
ナウいは80年代前半の流行語 >>227
いいね!
5月10日六本木のアビーロードで彼らのライブがあるよ! .>>189
33回転・・・・正確には33 1/3回転 ちあきなおみの魅力。。。
オレは、最近、ドはまりしてる、西野カナさんの
ファンにも、伝えようとしています。
宣伝ではないですが、よろしければ。。
http://blog.livedoor.jp/rimisanwon/ >>224
FENCEの存在は、水樹奈々さんのステージの演奏をされてるから、
すくなくとも、奈々さんのファンには知られています >>242
FENCEって今そんな活動してんだ・・・・・
大昔の楽器フェア(科学技術館開催最後の年かな?)で観た
FENCE+アンルイスのライブがめちゃくちゃROCKしててカッコ良かったな レーザーディスクは平成っ子でも知ってる人が多いと思うけど
そのライバルのVHD。 今のアイドルのファン層は、若い人ばかりだが、
山口百恵や天地真理など70年代のアイドルには、
爺さん婆さんや、おじさんおばさんのファンが、大勢いたこと。 一方70年代のアイドルは
ジャリタレなどと呼ばれ批判も多かったこと。
沢田研二がロック野郎に空き缶を投げつけられ
浅田美代子が歌の下手さを理由に紅白に出られなかったのは
平成っ子からは想像もつかない。 70年代にはナベプロのタレントは
日本テレビには一切出演しなかったこと。 ゜viillge singers゜の再結成とライブ活動。最高ね。 ヴィレッジシンガーズかあ〜!
清水道夫かっこよかったなあ〜!(遠い目)
まさにキャッチコピーの「GSの貴公子」そのもの。 ヴィレッジ・シンガーズといえば尾崎奈々
平成っ子は岡田奈々さえ知らないと思われ・・・・・(´・ω・`) >>253
平成っ子は岡田奈々といえば
別の人を連想する 雑誌の付録にアイドルの肉声入りソノシートがついてきたこと >>254
なるほど・・・・
そう言えばグラに尾崎ナナなんてのもいるんだな 尾崎奈々は私の中では永遠のマドンナです。
今の彼女のことは知りたいとも思うが知りたくないと思う。
いわば長嶋茂雄の奥さんの亜希子さんの亡くなる前の姿を見た時と同じ気持ち。
清水道夫の、今林ゆたかの今も同じ。見たくなかった。
そういう自分自身の姿もそうなんですがね。
この気持ちわかるでしょ? 確かに尾崎奈々と清水道夫はあの頃の少女の目から見てもお似合いの美男美女だったね。 平成っ子は、北島三郎や五木ひろし、森進一、細川たかしは知っていても、三波春夫や村田英雄、春日八郎、三橋美智也、フランク永井は分からないだろう。
美空ひばりは何故か知ってる平成っ子は多いんだね。さすが、お嬢。 GS3大映画内美男美女カップル
清水道夫−尾崎奈々 「想い出の指輪」 他
澤田研二−久美かおり 「世界は僕らを待っている」 他
岡本 信 −中村晃子 「進め!ジャガーズ 敵前上陸」
平成っ子は知らないだろうな〜 ・・・・・・(^ω^)
なお異論は以下で随時受付中 ↓↓ >>264
GS4大映画内美男美女カップル
清水道夫 - ジュディオング 「小さなスナック」 久美かおりが沢田のキモヲタから
大量の脅迫状やカミソリレターを送り付けられたこと。
平成っ子は久美かおり自体知らないか。 久美かおり
芦川いずみ
恵とも子
由美かおる
久我美子
松本めぐみ
松本ちえこ
芦川よしみ
宮野涼子
徳永芽里
全員の区別がついたら「ネ申」 久我美子だけが世代が大きく違うような・・・・・
徳永芽里は許すが徳永えりは絶対許さね〜〜 久美かおりは平成どころか、昭和50年代生まれも知らない 昭和50年代生まれなんて目の前に平成だもんな
昭和を語る資格なんかないよ >>269
じゃあ、市丸姐さんや、神楽坂はん子姐さんは?
もっと知らないか。
「三味線ブギ」で踊ろうぜ! 自分は昭和50年代生まれだけど、懐メロ好きだから、市丸や神楽坂はん子は知ってる。
久美かおりは懐メロ番組に出てないので分からなかった。 笠置シヅ子やあおい輝彦や西郷輝彦や岸部一徳や野村将希や佐久間レイが元々は歌手だったこと。 平成生まれには、笠置シヅ子や佐久間レイの存在すら知らない 佐久間レイは声優になったから知ってる人もいるでしょ
アイドル時代は低迷したけど転進して売れたと思う >>275
佐久間レイ「震える果実」よかったなあ。
佐久間レイの顔と足に何度も御世話になった65歳がここにいます。w
youtubeで見れますよ。 65歳って、佐久間レイのデビュー時すでに34〜35歳ですか‥
筋金入りのキモヲタおやぢですね (´゚д゚`)
前年が豊作だったせいか、あの年の新人は苦戦しましたね 佐久間レイは事務所が売る路線を間違えてたね。
お色気チョイ悪少女路線でなく明るい清純派で売り出していれば、メジャーになったかも。
おしかったと思う。どう。 昭和の、というか洋楽の宇多田ヒカル デビーギブソン クールファイブやロス・インディオスやロス・プリモスのような
ムード歌謡グループが
本来はれっきとした演奏バンドであったこと。 美空ひばりが生存中は
あらゆる方面から蔑まれていたこと。
そんな彼女の魂の叫びの歌。
https://www.youtube.com/watch?v=faMv4sSt2U0 昔の弘田三枝子や越路吹雪のレコードでは
作者のバート・バカラックの名が
バッカラッチだとかバチャラッチにされていたこと。 ヴィレッジシンガーズがこのたび二回目の解散。
でも1年に1回はやるということ。 60年代には洋楽の日本語カバーレコードは
「ローカル盤」と呼ばれていたこと。 みのや雅彦・9月3日発売のニューアルバム「最高の一日」
http://www.billboard-japan.com/goods/detail/463607
讃歌/Bye Bye/SCENE/鳥孝にて/心には青い空
LaLaLaこの世は/永遠の絆/ドラマ「最高の一日」
本当は誰とも離れたくないよ/遥かなる/25時の声/大切なとき/星になった君
愛、夢、希望。そして生と死。十人十色の人生を詰め込んだみのや雅彦究極の1枚。 >>295
40年前はさらっさら黒髪のおかっぱだったような 聖子カット時代の松田聖子は
同性からは非常に嫌われ支持が全く無かったこと。
それと当時の田原俊彦ヲタの激しいアンチ聖子ぶり。 昔の人気歌手のステージの上は
客席から投げ込まれた紙テープでいっぱいになっていたこと。 その紙テープが当たってこまどり姉妹が失明しそうになったこと。 エレキギター禁止令。
日本ロック史の汚点として語り継がれなければならない出来事なのに
完全に「なかったこと」にされている。 そのちあきなおみが正当に再評価されるようになったのは
2000年代に入ってからということ。
前世紀に出ていた彼女のCDは演歌歌手扱いのおざなりなものばかりであったし
「喝采」が収録されているベンチャーズのCD(彼女の引退の少し後に出た4枚組)のライナーノーツには
「タンスにゴンのCMでお笑いタレントのように思われている・・・」などとはっきりと記されていた。 ONE OK ROCKのボーカルの両親が
演歌歌手の大御所のこと 奈美悦子の元夫がヴィレッジシンガーズの林ゆたかだということ。 >>307
これけっこう皆さんご存じのことでは?
どうなんでしょう? 「若草の招待状」事件。
アイドルに対する世間の目が大甘になった今では
考えられない。 >>310
だからこのスレにはったのだ。
正解じゃん。
林ゆたかはいい人だ。
ドラムもうまい。 知らないのが普通、ヴィレッジシンガーズで
知られてるといえば清水道夫くらいだから ヴィレッジシンガーズの林ゆたかは、全国各地にあるあの「ケントス」などの元締め。
一定以上の見識のある経営・財界人なら大多数の人が知っている。
東京・六本木にもライブハウス「アビーロード」など展開。 >>313
ところがウィキでは小松(ディレクターとして有名)と林はあるが、清水の項目はない。 清水道夫だって売れたレコードは「久しぶりだね」くらいじゃね。
尤も「売れた」というほどは売れてないが。 音楽グループの顔っていうのはボーカルだから
特にファンでもなけりゃ、あとは「その他」
テンプターズといえば、萩原健一のこと
ツイストといえば、世良公則のこと
TUBEといえば、前田亘輝のこと
J-WALKといえば、あのヒゲの人のこと
タイガースなんかは他の人も認知されたけどね >>316
特に清水道夫のファンというわけではないが、
「温かい胸」「ある晴れた日に」「僕でよかったら」「素晴らしい日曜日」
などがヒットしたと記憶しているが。 >>313・317
ヴィレッジシンガーズのメンバーは解散後もみなさん芸能界で活躍され実績も上げたらしい。
小松久・林ゆたか・小池哲夫・笹井一臣・清水道夫(敬称略) 発売日が1日や、5日・10日・15日・20日・25日のような「ごとおび」だったこと。 ヴィレッジそのものがシングルAB両面の完全CD化がされていないが、
解散後のソロでもCD化されていないのではないかな? 小室哲哉の出世作は渡辺美里の曲。
あの頃はファンに「小室てっちゃん」と呼ばれていた。
渡辺美里は「小室選手」と呼んでいた。 >>327 その当時は小室哲哉よりも小室等の方が有名だった 「小室等の音楽夜話」というラジオ番組があり
小室つながりではなく等つながりで
植木等がゲストで出たことがあること。 TWINZERの生沢佑一は「土曜の午後のロックン・ロール」でデビューした弾ともや >>332
清水さんは横浜で元宝塚の奥さんと幸せに過ごしておられますよ。 >>333
大洋の秋山投手の奥さんだった人?これも平成っ子は絶対知らない。 70年代にも中森という姓の歌手がいたこと。
中森繁樹。
森田健作の弟分でRCAレコードの青春歌謡歌手。 森田健作つながりでいうと、
「俺は男だ!」の宮野涼子や丹下竜子は今どうしているのだろうか?
ご存知の方は教えてください。 ブルーコメッツがグラビアの撮影中に
小道具の風船が爆発して火傷を負ったことがあること。
昔の日本では風船にヘリウムではなく水素を入れていたこと、
平成っ子は知らないでしょ。 12インチシングルは、演奏曲を十分聞かせるというコンセプトだったが
さだの場合は歌詞やしゃべりが長かった オーディオの面から12インチ45回転もあったけどな シンガーソングライターのことを
自作自演と言っていたこと。
67年の紅白で荒木一郎の紹介の時に
司会者が「自作自演!」と言っている 頭脳警察がGSなどのアイドルバンドの祭典
日劇ウエスタンカーニバルに出て
とんでもない事をしていったこと。 昭和っ子ですら知らない人が多い
16回転のLPがあったこと。
大昔(50年代後半〜60年代前半)のレコードプレーヤーは4スピードといって
78回転と45回転と33回転、そして16回転がかかるようになっていた。 付け加えるとSPの針は違っていて、回転させて替えるようになっていた。 片面33回転、もう一方は45回転のレコードがあったこと。 竹でできたレコード針があったこと。
手で回すプレーヤーがあったこと。 オフコースが当初ジ・オフコースで
ジ・アルフィーが当初アルフィーだったこと。
それとアルフィーのスペルの変遷。 ■■■
通名の方々:
テレビ局・新聞社・ラジオ局・出版社・
芸能人・テレビに出てる人・本を出している人・雑誌の表紙・芸術家・
スポーツ選手・アダルトビデオ・性風俗・ヤクザ・暴力団・部落(同和)・
教員・大学教授・ノーベル賞受賞者・医師・弁護士、検察官、裁判官・政治家・公務員・
経団連・経済同友会・公益法人・旧軍人・巣鴨プリズン・明治政府〜・
塾・予備校・専門学校・ 自動車教習所・ 商店街・飲食店・寺・2ちゃんねる・
■■■ 今は「ザナドゥ」と読まれているxanaduは、「キサナドゥ」と読まれていただけではなく、
ジャガーズのシングルでは「キサナドー」だったこと。 Victerから発売されていたアルバム、
『グループ・サウンズ・グッディーズ』 >>358
♪リンリンランラン留園(りゅうえん) 〜 留園いってしあわせ食べよ
それでもベストCD出てるんだな FNS歌謡祭が当初
レコ大や歌謡大賞のようなグランプリ方式だったこと。 >>359
Victerなんて会社は昭和っ子でも知らないよ >>362
中国のコピー製品のメーカーにありそう。 平成っ子はこまどり姉妹のヒット曲は知らなくても
襲撃被害事件のことは意外と知ってる人が多い。
やっぱりこうした出来事のほうが
語り継がれやすいのか。 >>363
それなら昭和っ子より平成っ子の方が知っていそうだな。
昭和っ子時代の支那なんてコピー製品さえ作れなかった。 82年組で当初一番注目されブロマイド売上がNo1だったのは新井薫子ちゃんでした。 70年代のアグネスが実にかわいく、
多くの男がマスネタにつかっていたこと
(特に頭警のパンタ) 和田金現子が梓みちよや中尾ミエに虐められていたこと
(今でも有効 止めを刺してほしい) 平成っ子はブロマイド基準の人気ってのがピンと来ないだろうなあ
その基準でなら、歌下手な川崎麻世、五十嵐じゅんでも立派なトップアイドルだった マグナファックス。
これも昭和っ子ですら知らない人が多いはず(自分もネットで今知った)。
ttps://www.youtube.com/watch?v=Ax4GZACzsJY
ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis/8306/mdr2.htm >>319
フォーセインツもそれぞれしばらく芸能畑で生き残ったな
志賀ちゃん、ストロンガー、鹿島スタジアムDJ、フジパシフィック社長?だっけ >>374
あぁ、「小さな日記」のおじさんたちか・・・・
セイントフォーってのもいなかった?
まぎらわしいな・・・・・ セイントフォーがアクロバット失敗し足を痛め、濱田のり子がしばらくジョギング振付できなかったこと スターボーがテレ東スターボーリングの元アシスタントだったこと チェリッシュが当初
5人編成のフォークバンドだったこと。 実在していたもの
*東芝ではなく東芝音楽工業のレコードプレーヤー(親会社東芝のとは全くの別物)
*ソニーではなくCBSソニーの生カセットテープ
*ビクターのエレキギター
*パール(ドラムメーカー)のアンプとPAシステム >>332
今日の朝日新聞・神奈川面の「青春スクロール」という高校同窓生を
紹介する記事に載っていた。頭の毛の薄い近況写真あり。
現在69歳。約35年、コロムビアに勤めていたようだね。
年4回ほどコンサートで歌っているようだ。
http://t.asahi.com/dnnn
浅野高校の2参照 プリンセスプリンセスが元はちょっとエッチなアイドルバンドグループだったこと さだまさしの「フリーフライトレコード」が、一瞬ソニーのを抜いて売り上げ1位になった事
女性蔑視とか暗いとか言われたが、要は売れたから叩かれたって事
当時はさだやオフコース(小田和正)が、フォーク界の貴公子、ニューミュージックの旗手と言われて、女子大生のアイドルだった
女、子供に媚を売っている、と親父族に妬まれて、主にオヤジ向け週刊誌で叩かれた(タモリはその代表格) >>384
同じ79年に大ヒットし同じ紅白で歌われた
沢田研二の「カサブランカ・ダンディ」の歌詞は
「関白宣言」よりも遥かに男尊女卑的なのに
全く何の問題にもならなかった。
歌謡曲やアイドルソングの歌詞は絵空事であり
フォークやNMの歌詞はリアリズムであるという
暗黙の了解でもあるのか。 沢田研二は昔はアンチが非常に多かったこと。
それも一般人ばかりでなく社会の各方面から。 《人をジロジロ見るおっさん》には敵意、否、【殺意】すら湧くわ。
白髪交じりでニタついて見てくんな!きもちわるい。
【最近、もてないから
電車内でオトコノコをジロジロ見る変態中高年が急増しています。
注意しましょう!】 カルメン・マキのデビュー当時の恋人の名前が支那虎だったこと。 70年代末のアイドル 東寿明。
そのデビュー曲がいきなり明星か平凡の歌本の1ページ目に紹介されるなどの好待遇だったが
全く売れず完全に忘れ去られてしまった。 気になってきたのでググってみた。
これが見つかったけど他のヒット数が少ない。。。
https://www.youtube.com/watch?v=3zRGN6ubMQc スパイダースの田辺昭知とはっぴいえんどの松本隆は
ドラマーとしてはとても一流とは思えなかったこと。 CDの前のシングルレコード盤をドーナツ盤と呼んでいたこと チューリップが「心の旅」で歌謡大賞に出たことがあること。
しかもその時は楽器も持たせてもらえなかったこと。 302
それは島倉千代子
Think different? by 2ch.net/bbspink.com ↑
とん平のヘイ・ユウ・ブルースは平成っ子でも知ってる人がいると思うが
その後にあのアイドルレーベルのNAVレコードから
「ブスな女」という曲を出していたこと 昔のNHKでは
「恋の奴隷」「経験」「E気持ち」「少女A」のような歌は
放送禁止だったこと。 RCサクセションがデビュー当時は
純アコースティックの(ベースもウッドベース)フォークバンドだったこと。
それに事務所もホリプロで
ほぼ同期に井上陽水がいたこと。 平成どころか昭和40年生まれの俺ですら知らない話が半分くらい テイチクとミノルフォンのレコードプレーヤー。
後者はコロムビアのOEMでプレートが違うだけ。 SONYの演芸マイクは
かつては歌謡曲歌手やフォークシンガーにも使われていたこと
ttp://lgril.blog59.fc2.com/blog-entry-250.html ベンチャーズ歌謡の全盛時代にベンチャーズが
「日本のロックバンド」と呼ばれていた。
ソースは京都慕情のベンチャーズ盤。 >>400
五月みどりの「熟女B」も放送できないんだろうか 60年代後半のGSや黛ジュンなどのレコードが
当時は洋楽扱いで発売されていたこと。 金太の大冒険で有名なツボイノリオが、東京の全国番組に(それもNHK)に出ていたこと。 それ以前に全国ネットのおはようこどもショーやラジオのオールナイトニッポンでもパーソナリティを務めている事 コロムビア SPレコード 現地語版 台湾語
純純 終戦前に亡くなり、日本領外地でも 日本国籍
「雨夜花」
https://www.youtube.com/watch?v=8bLp4XiRCk8 黃昏愁--------------台湾語 日本領時代の録音net上に無し、李靜美で
https://www.youtube.com/watch?v=tNxmspf7c3k
蕃社の娘------------日本語 サワ・サッカ(佐塚佐和子)
https://www.youtube.com/watch?v=3uKEm9fOFgg
十八姑娘------------客家語 (作詞:謝宇威)
https://www.youtube.com/watch?v=sTMcafvzP3E
十八姑娘------------台湾語 文夏
https://www.youtube.com/watch?v=c7Ay50LHIUg
姑娘十八一朵花 -----台湾語
紫薇の録音はnetに無し
蕃社の娘(ムラノムスメ) タクシーの運ちゃんに「コロンビア通り行って」が通じた ウォークマン発売の79年の1年前78年に
世良公則が自作の小型ポータブルステレオカセットプレーヤーを作っていた。
当時の明星か平凡に載っていたが
後世には全く語られていない。 泉ピン子が女優ではなくて、下ネタが多いお笑いタレントだった事。 >>130
だいぶ前のレスに返事するのもアレだが、
TBS系はMBS制作の阪神対巨人に限って、木曜ナイターを中継した事がある。
TBS系で中継の多い水曜や日曜が、阪神戦だとABC(テレ朝系)に優先権があったから、
全国中継は金曜が多かったけど、稀に火曜や木曜があった。
だからベストテンが繰り下げになったり、阪神対巨人戦を途中で挿入した事が散発的にある。
もっともこれは1975年3月30日までABCがTBS系で、MBSがNET(現テレ朝)系だった名残だが。 早見優が歌よりも水着姿ばかりのグラビアアイドルだった事。 JOYSOUNDはカラオケの名前になる前は
ブラザーのオーディオのブランドだったこと
ttp://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b222881260 【懐メロ揃い】2000年前後(1994年〜2006年)
のコカコーラーの歴代CMソングのまとめ
http://youtubelib.com/cocacola-2000songs
1.1 1994年 trf 『 BOY MEETS GIRL 』
1.2 1995年 永岡昌憲『 情熱男・灼熱女(ナツオトコ・ナツオンナ)』など2曲
1.3 1999年 globe 『 still growin’ up 』
1.4 2001年 桑田佳祐『波乗りジョニー』
1.5 2001年 桑田佳祐『白い恋人達』
1.6 2002年 Donna Summer 『Hot Stuff』ほか 桑田佳祐など3曲
1.7 2003年 KinKi Kids『永遠のBLOODS 』ほか、1曲
1.8 2004年 Aerosmith『 Falling In Love』
1.9 2005年 BENNIE K『 Dreamland 』
1.10 2006年 様々なアーティスト『コカ・コーラの唄(スカッとさわやか)』 >>72
明石家さんまが出した真っ赤なウソというシングルがそうだったかな
さんまの歌唱力がアレ過ぎてB面曲の吹き込みを諦めたとか何とか… >>91 >>92
まさか芸人と女子高生のおかげで2017年の世の中に再ブレイクするとは >>126 >>129
確か20時以降だったんじゃないかな
光GENJIがブレイクした時にも年少メンバーがそれに引っ掛かって、
ザ・ベストテンは事前収録したVTR出演だったり、生出演時は年少メンバーは出演せず又は代役使ってたもんな
で、ジャニサイドが国に働きかけて労働基準法を変えさせたんだよな
これのおかげで、光GENJIの年少メンバーをはじめ、各事務所の人気のある若いタレントも遅い時間の生放送に出れる様になったと
詳しくは光GENJI通達でググってみてくれ NHKで歌うためにはオーディションに通る必要があったこと。 「ミュージックステーション」の初代司会は
関口宏と中原理恵だったこと。 永作博美も菅野美穂も、アイドルグループの出身だったこと。
篠原涼子もソロになる前はアイドルグループの一員だったこと。 N=1984年、I=1985年、H=1986年、O=1987年、R=1988年、E=1989年、C=1990年、D=1991年 ラッツ&スターは、田代の不祥事よりもはるか昔、まだグループ名が
違っていたころに、メンバーの不祥事で活動を自粛したこと。
その不祥事メンバーの中に桑野も入っていたこと。 >>430
中谷美紀もな
井上晴美や持田真樹と言っても名前すら知らないだろうし >>436
そしてそのグループのセンターは加藤紀子。
菅野美穂はその他大勢に近かった。 篠原涼子がミリオンセラー歌手というのも知らない平成生まれも多そうだな 懐メロのように感動的にお金持ちになれるのはなぜ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
8GDWS 歌が下手な歌手、第一号の浅田美代子。
以来、歌が下手、音痴な自称、歌手が
ぞくぞく、デビューした 昭和40年代前半位までかな、
女性歌手は、あなた〜を、
はなた〜と発音していた」 おっかのうえ ひんなげしの花で〜
占うのあんのひとのこころ 野球選手がレコード会社におだてられて
歌手デビューしてしまう。
王、野村、江本、定岡、他多数 昭和30年代の歌手の名前は、
半分、外人名がいっぱいいた。
フランク永井、ペンギン葉山、バーブ佐竹等他多数 紅白歌合戦の司会 加山雄三が
少年隊の曲を仮面ライダーと言ってしまいました。 河合奈保子のハーフムーン・セレナーデは香港の歌手にカバーされている。
立花理佐は河合奈保子に憧れていた。 坂本冬美がデビュー直後に週刊誌で水着姿を披露したこと。 デビュー間もない頃、マッチの映画の彼女役のオーディションに行かされた渡辺美里 松下由樹がNHKの歌番組で歌手のバックで踊っていたこと。 「花と蝶」や「花とみつばち」というのは、セックスを指していること。 和久井映見も深津絵里も高岡早紀も、最初はアイドル歌手だったこと。
深津絵里に至っては、変名まで使っていたこと。 >>458
坂本九の「蝶々」も上になったり〜、下になったりの歌詞が問題になり
放送禁止かなんかになってたな 松下由樹が桑田佳祐のバックでピアニカを吹いていたこと。
その時一緒だったミュージシャンと事実婚状態だったこと。 >>458
「船に乗る」とか「波に乗る」という歌詞も、セックスの意味。 >>463
えっ?じゃあゴーインバックトゥチャイナや波乗りパイレーツもエッチな歌なの? 平成生まれって、安室奈美恵や浜崎あゆみの全盛期も知らないんだよな。
元年生まれでやっと小学生低学年くらいか。 大きな森の小さなお家なんて意味深な曲を新人歌手に歌わせてしまうのも 女の子がキスの後に泣き出すのは溢れくる性欲を理解出来ないから。
「はじめての出来事」「ファンタジー」「NAI NAI 16」など。 歌番組が多かったのはもちろん普通のトーク番組やバラエティ番組でも
必ずと言っていい程「歌のコーナー」が存在していた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています