前回、栄喜のソロ作インタビューでの、アーティストとして進化していく中で新しい要素も取り入れたかったけど、待ってる人たちに向けて、今出来る最善を尽くすのが“あの頃のSIAM SHADEのサウンド”を届けることだった、といった内容のインタビューについて書き込みました
やなさんのスレでも散々言われている、やりたい音楽とファンの求める音楽との剥離ってのは、やなさん本人がきっと一番よく判ってますよね
天才故の葛藤や苦悩は、想像を絶するものがあるでしょう
たまがあってこそ超器用貧乏が活きたんじゃないの?と書く人もいました
やなさんスレの新しい書き込みにある、結局バンドで知久さんに負けまい!と頑張ってた方が実力出せてたんだろう、知久さんもバンドに出す為に色々な試みやれてた方がずっとよかった、という書き込みに共感し、もう戻らないという最後の一文に悲しくも納得しました
4たま当時の記事を見たって、“ファンの声援や専門家の評価より、メンバーから曲を認めてもらえるかどうかが重要(メンバーに聴いてもらうために、コツコツと曲を作ってきた)”であるとか、Gさんの「曲を作ってるときも、曲を出すときも、誰を意識してるかっていうと、(お客さんとかじゃなく)メンバー。メンバーのチェックをパスすれば、客が乗らなくてもいい。」という発言を目にすると頷くしかありません
前にも書いた、やなさんの“決して仲良しバンドじゃない”という発言はこういうところに繋がっていて、楽曲制作の上ではいい緊張感が保たれ絶対的な信頼関係のもとに成り立っていたのが判りますね