歌う昭和史、藤山一郎2
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>>719
知ってます。「花の素顔」は昭和二十四年の曲で、安藤まり子さんとのデュエット曲です。 テイチクイヤーズの新CDが出ますな。まあ例の3枚組を持っている人には
不要かと思うけど。 中途半端に1曲だけ未収録なんだけど
其の一曲のためだけに買おうとは思わないな。 >>723
ああ、富士山のことか。スレチだよ
ていうか、ほんとーか??
藤山一郎で噴火っていえば三原山じゃないの?
山の煙よいつまでも♪ コロムビアでも「スター☆デラックス」でのリリース情報がアマゾンに出てる。
でも一枚物だから初復刻音源なんかは余り期待できなさそう。 声が綺麗すぎるから軍歌を熱唄しても恐ろしさがないんだよな
この人の軍歌で戦争中勇気ずけられた人はどれだけいるんだろうか 確かに藤山の軍歌はあまりにもスマートで、戦意高揚向きじゃない。けどその分生々しくないから、戦後になっても冷静に聞ける感じはする。 昔NHKの歌番組に出演するためには
藤山先生の審査を受ける、いわゆる「御前演奏」があったそうですね 「赤坂宵待草」はいい曲だった。アレンジも
聴くべき♪ニコニコ動画でも あら 抽出したら7件くらいもレスあったわー
この曲藤山ファンにけっこう人気曲だったのね 藤山先生の「若き血」には勇壮ながらも気品が感じられて
慶應のイメージに合う。 赤坂宵待草は、たしかに良いよなあ。
ただ、歌詞の中の『アークヒル』が何の事か分からない。 ここで知って「歌声よひびけ南の空に」を読んだ。一気に読了。
貴重な話が満載ですね。
最近までお名前も知らなかったのに、、
なれなれしいけど、藤山先生とお呼びしたくなりました。 藤山一郎(増永丈夫)は、慶應義塾普通部を卒業後の昭和4年(1929年)4月、当時日本で唯一の官立の音楽専門学校であった東京音楽学校予科声楽部(現在の東京藝術大学音楽部)に入学。昭和8年3月に卒業。
昭和6年(1931年)3月にコロムビアの専属作曲家となった古賀政男の曲を始めてレコーディングしたのは、昭和6年6月「キャンプ小唄」本名を隠したアルバイトのため「藤山一郎」となったもの。このとき、まだ二年生だった。
昭和8年3月に卒業した藤山一郎は、ビクターに入社、ビクターはアルバイト禁止で苦境にあった藤山を金銭的に援助していたのだ。
その後、3年契約満了した昭和11年、テイチクに移り専務取締役として活躍していた古賀政男の招請によりテイチクに移籍。その後、テイチクを退社しコロムビアに移籍した古賀政男の後、昭和14年にコロムビアに移籍。
昭和29年にレコード会社専属をやめたが、3年間のビクター時代を除いて、藤山一郎と古賀政男はほぼ一緒にあって、黄金時代を築いた。 ☆藤山一郎代表曲(古賀メロディ)
キャンプ小唄 (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1931年 7月
酒は涙か溜息か (高橋掬太郎作詞、古賀政男作曲) 1931年10月
丘を越えて (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1931年12月
スキーの唄 (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1932年1月
鳩笛を吹く女の唄(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)1932年2月 井上静雄名
影を慕いて (古賀政男作詞、 古賀政男作曲) 1932年3月
東京ラプソディ (門田ゆたか作詞、古賀政男作曲) 1936年7月
東京娘 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年6月 (映画「東京ラプソデー」挿入歌)
さらば青春 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年7月
男の純情 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年8月
大洋の寵児 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年10月
旅の鴎(かもめ)(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年10月
回想譜(今城靖児作詞、古賀政男作曲) 映画「女の階級」挿入歌1936.12
青春の謝肉祭 (島田欣也作詞、古賀政男作曲) 1936年12月
聖処女(きよおとめ)の唄(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)1937.1(日活「検事とその妹」挿入歌)
青い背広で (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年2月
青春日記 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年2月
白薔薇は咲けど(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年5月
青春旅情 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1938年3月
歓喜の丘 (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1938年3月
白虎隊 (鈴木吟亮 詩吟)(島田磐也作詞、古賀政男作曲) 1937.11
なつかしの歌声 (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子) 1940.5
春よいづこ (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子) 1940.5
働こうぜ友よ (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1941.3
歌えば天国 (西條八十作詞、古賀政男作曲)(古川ロッパ、二葉あき子)1941,7 崑崙(こんろん)越えて(大木惇夫作詞、古賀政男作曲) 1941,7
リンゴが紅い (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(古川ロッパ、松原 操)1941.8
青い牧場 (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(奈良光枝) 1943.2
(これ以降、藤山一郎は南方慰問に駆り出され、終戦を迎え抑留となる。)
(戦後)
嘆きの小鳩 (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1947
友情の歌 (藤浦洸作詞、 古賀政男作曲 1948
愛のカレンダー (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1951
夜の湖 (藤浦洸作詞、 古賀政男作曲) 1952 昭和の日本歌謡史上に燦然とした足跡を残す名歌手藤山一郎、藤山一郎は「歌謡曲」はもちろん、それ以外でも本名を含めて数え切れないほど沢山歌っている。しかし藤山一郎と言えば古賀メロディ。
藤山一郎は、アルバイト時代のコロムビアを皮切りに、ビクター、テイチク、コロムビアと、ビクターを除いて古賀政男に合わせて転籍しています。
「藤山一郎」としての戦前のメジャーな代表曲としては、なんといっても、古賀メロディが圧倒的。それ以外で知られるのは、「浅草の唄」「赤い花」「僕の青春(はる)」「チェリオ」など主にビクター時代でしょうか。 うぜえっつってるだろ
長文野郎は荒らしなんだよ覚えとけタコ 長文つかそういう上から目線の文章よく投稿し続けられるな
バカじゃねえの? 目障りだわどっか行け 新スレが建ったときとかならいいと思うし、今回のような場合だったら
「最近全然書き込みがないので、藤山一郎についてまとめてみました。」
とでも挨拶してから書き込めば叩かれずに済んだだろうに・・・ 藤山一郎のビクター時代は、古賀政男と離れていたせいか、パッとしたヒット曲がない。「僕の青春」の佐々木俊一の気合いの入れようも分かるが… 国民栄誉賞の授与式の時にアカペラで歌った第9の歓喜の歌が凄かったな。
80才なのにマイクの位置が腰辺りまで離してた。 うちのばあちゃんが大好きな歌手。
(現在ガンで入院中)
よくばあちゃんがラジカセで聞いていたので
曲だけは知ってた。
YouTubeで藤山一郎のスペシャル番組が
上がっていたので
入院中のばあちゃんに見せてあげたら
涙をボロボロ流して喜んで見ていた。 平成に入ってから出演した思い出のメロディーはハイビジョン収録されている 藤山さんの作品で好きなのは、赤い花。
よく歌ってます。 「崑崙越えて」は、何故だか分からないけど、胸に沁みる曲だ。
聞くたびにうっとりしてしまう。 最近、東京大衆歌謡楽団を知ってYouTubeで「丘を越えて」とかよく聴いています
ビジュアルも昔の人みたいで素敵です 東京大衆歌謡楽団は何歌ってもも東海林太郎のモノマネみたくて嫌いだ
歌ってる奴も奇をてらってるにしか見えなくて。 東京大衆歌謡楽団のスレがあってもいいような気がする 東京大衆なんとかはスレチなんじゃない? 藤山一郎ではないのは確かだし 懐メロのように感動的にお金持ちになれるのはなぜ
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