二葉あき子について語ろう
戦前の大歌手で唯一元気な二葉さんについて語ろう。
淡谷のり子は洋楽志向が強く
渡辺はま子は中国風で
二葉あき子は演歌じゃないけど古きよき日本の
歌を歌ってます。今もコンサートを開いたりしてるそうで。 >169
男女機会均等法という言葉から端を発し、戦前の女性の社会進出と二葉さんの吹
き込み曲を関連づけたためにフェミズムと官立出身者との関係性を論証している
と、解釈されたわけですね。無理もありませんが、一方的な曲解というのは指摘
の通りです。ただ、フェミズム(男女同権論(主義)または婦人解放(女権拡大)
運動)からの視点でいうなら、二葉さんとその周辺から戦前の女性の社会進出に
目を向ける切欠となったのであれば有意な発想といえましょう。また、人に「勉
強せよ」というのは例え貴君がフェミズムの研究者であっても全く値打ちのない言
葉ですよ。 引退されたそうですが、昭和歌謡大全のスタジオでのトークなどでまた拝見したいものです。 >>177
普通のスレに戻ったんで、そこんところ宜しくお願いしますね(・∀・)ノシ スタジオトークで思い出すのは、霧島と二葉さんが出演した時のことです。
デビューについて司会者が「お二人はコロンビアではデビューが同期だそうですね」
と訊ねられ二葉さんは「そうですね。まあ半年私が早いんですが」というと霧島が
「まあ、半年だからほとんどかわらないよ」と返すと「半年でも先は先よ!」と言い
返していたのが面白く笑っていましました。生涯のライバルだったのでしょうね。 二葉さんと霧島は昭和12年4月発売の「北海博行進曲」から昭和22年のご存知「旅
の舞姫」まで、デュエット、共唱合わせて10年間で45曲も吹き込んでいます。最
後の吹き込みの翌年に連れ合いの松原操が引退しているというもの妙な話。また、
その松原と二葉さんは、「婦人愛国の歌」(抱いた坊やの)、「同左」(皇御国の)
「憧れの荒鷲」「荒野の夜風」「白衣の白百合」「荒鷲慕いて」(古関篇)、
「勇士に捧ぐ」「なんだ空襲」と8曲も共唱しているのです。最後の「なんだ空襲」
などは霧島・松原夫婦と共に二葉さんは3人で共唱させられているのですから、ライ
バルを通り越して仇敵とでもいうべき間柄ではなかったのではと感じてしまいます。
貴重なお話ありがとうございます。
文章が長くなるときには、行間を空けていただくと
かなり読みやすくなりますので
ぜひ よろしくお願い申し上げます。
長文読解が苦痛な方は長文の書き込みは読まないという手もあります。
チャット的短文だと、読みやすいが、読む気がしない。これもそう。 先日、少し早い忘年会の二次会でショーパブに行ってきました。カラオケタイムと
なり、曲を選ぶ際、ホステスの若い女の子(23歳)に二葉さんのことを聞くと、
「「水色のワルツ」なら知っている。お客さんで歌う人がいる」といっていまし
た。とても驚きました。 二葉さんと豆千代さんと歌った歌で、
「さくら草」というのがあるそうなのですが、
どんな歌なのかどなたかご存知ですか?
舞踊小唄かなと思ったりもしたのですが… なつめろ番組で唄われた自身の曲を調べてみたら
いちばん多く唄ってるのが「夜のプラットホーム」でした。
その次が「フランチェスカ」「水色」「花園」の順です。国内のすべてを
調べたわけではなく、手元にあるのだけで集計したのですが。 「雨の日ぐれ」とか「霧の港の…」は、ヒット曲ですが
懐メロ番組ではあまり歌われていませんよね 「雨の日暮れ」なんて、ずいぶん後にステレオでレコーディングしたね。 あの花この花・あの夢この夢・荒野の夜風・バラのルンバ・花言葉の唄
これらはヒットしたんでしょうか? 「雨の日暮れ」はサトウハチロー邸に降る雨かと思いきや浅草の雨だそうで。 基本的にステレオで再録されてるものは、ヒット曲と考えていいの?
二葉さんだと
↓↓↓
フランチェスカの鐘 夜のプラットホーム 恋の曼珠沙華 純情の丘 古き花園
恋のアマリリス バラと蜜蜂 水色のワルツ 別れても 村の一本橋 オリーブの歌
あの花この花 さよならルンバ 霧の港のノスタルシア 巴里の夜 雨の日ぐれ
↑↑↑
ステレオで再録されたのってこんなもんだと思うんだけど >>193
花言葉の唄は二葉さんの唄ではありませんがヒットしました。
バラのルンバ、荒野の夜風はヒットしたと思いますが、
たしかあの花この花は残念ながらあまりヒットしなかったと思います。
あの夢この夢は小ヒットくらいにはなったと思いますよ。
>>195
それらの唄はみんなヒットしました。
他にもたくさんのヒット曲があります。お島千太郎旅唄、新妻鏡、
懐かしの歌声、バラのルンバ、荒野の夜風、高原の月、白蘭の歌、
航空日本の歌、空の勇士、黒いパイプ、めんこい子馬、婦人愛国、
海の進軍、紀元二千六百年、愛国行進曲、春よいづこ、など。
上に挙げた曲ほどのヒットにはならなかったがそこそこ売れたものは、
乙女十九、あの夢この夢、あの夢この花、若き日の夢、歌えば天国、
夢よもう一度など。
上にあげた曲を再録音していない場合が多いのは、1、デュエット曲である。
2、戦時歌謡で、あまり好きな歌ではない。 などの理由が考えられます。
二葉さんの売り上げは美空ひばりが出現するまでコロンビアでトップだった
そうですね。一人の歌手が生涯に出したSP盤の売り上げでいうと、日本では
何番目くらいなのでしょうか? >>198
さあ何番目かというと難しいですね…
まあ、上意に入るとしたら、二葉さん、渡辺さん、藤山さん、霧島さん、
勝太郎さん、美ち奴さん、東海林さん、美空さん、島倉さん、菅原さん、
田端さんなどが考えられると思いますが…
島倉千代子さんや美空さんはSP盤で出した曲はほかの人にくらべて
少ないけれど、時代がさがっているのでやっぱり枚数が多いと思います。
(例:この世の花…200万枚)
ですから、佐藤千夜子さんなどもヒットは多いんですけどあの方の時代は
十万枚で大ヒットの時代ですから、多分全体的にはそうでもないのでは
ないかと思います。
様々なことを考慮してある年代を基準に換算してくらべるのではなく、
単純に売り上げの多さを較べると、やっぱり時代が後の方の歌手が
有利ではないかと思います。
ただ、たとえば「起源二千六百年」のような人気歌手総出で吹き込んだ
ような歌を、それぞれの歌手一人ひとりの売り上げに加えるなら、
その限りではないかもしれません。 因みに196も「めんこい仔馬」と「愛国婦人の歌」ですね。 投稿する前に見直しをした方がよりよくなるでしょう。 二葉さんはデビュー60周年記念番組のロケでフランスに行き、シャンソンの作曲家
からフランス語である曲を作曲してもらっていました。なんという曲でしょうか? >>203
「めんこい子馬」でいいんです。
よく本に「めんこい仔馬」と書かれてありますがあれは本の間違い。
レコードには「子馬」と書かれてあります。
それから、「婦人愛国の歌」を「婦人愛国」と言っても
別にいいんじゃないですか、わかれば。私も、正確には
「婦人愛国の歌(皇御国の)」「婦人愛国の歌(抱いた坊やの)」
であることくらい知ってますよ。
ちょっと短く打っただけで、いちいち揚げ足をとるように
指摘しなくてもよいと思いますよ。
昨年、広島のアステールプラザに菅原都々子さんが個展と公演(ミニコンサー
ト)のために来られました。その時菅原さんは広島にいらっしゃる二葉さんに
是非お会いしたいと切望され、二葉さんが会場に足を運ばれたと伺いました。
その時二葉さんは「都々ちゃん!!」といって二人は抱き合われたたそうです。
現役最古参の女性歌手の一人となった菅原さんに二葉さんは「これからはあな
たの時代よ。がんばってね」とエールを送られたそうです。確かに菅原さんは
現在もNHKで歌われている現役の歌手で、戦前デビューの流行歌歌手が平成17年
に及んで未だにブラウン管で歌っているという意味では彼女の時代といえるのか
も知れません。二葉さんのエールをしっかりと受け止めて、戦前デビューの女性
歌手を代表してこれからも益々頑張っていただきたいものです。
菅原先生は絵手紙の個展をされていました。テイチクレコードの関係者が二葉先生と菅原先生を撮影していました。元ボクシングオリンピック日本代表選手であり明治大同部監督の御主人と弟さんを同時になくされ習われたそうです。 二葉先生の曲で菊池章子のお気に入りは「シャボン玉の幻想」だそうです。いつか
ラジオで二人が出演した時いっていました。あらためて聴いてみるととても戦前
発売とは思えないモダンで軽快ないい曲です。聴いてみてください。 「シャボン玉の幻想」、ほんとうにいい歌ですよね。大好きです。
菊池章子さんも亡くなってしまって、二葉さんは引退されたし、
本当に菅原さんには頑張ってほしいですね
二葉さんもいつまでもお元気でいてほしいです。 先週の金曜日、札幌西FM放送『懐かしの流行歌を訪ねて』という番組では年始恒例
の流行歌の世界旅行と題して、様々な国をテーマにした曲が特集され、二葉さんの
「アメリカだより」(昭和25年)が流れました。とても軽快な曲でアメリカの地名
のオンパレードでした。昭和25年というと丁度古賀楽団が二葉さんをはじめ、市丸、
霧島らを引き連れ戦後初の日本人歌謡使節団として渡米した年でした。その帰朝土
産に書かれた曲なのかもしれません。おそらく復刻されていないでしょう。 先週の金曜日、札幌西FM放送『懐かしの流行歌を訪ねて』という番組では年始恒例
の流行歌の世界旅行と題して、様々な国をテーマにした曲が特集され、二葉さんの
「アメリカだより」(昭和25年)が流れました。とても軽快な曲でアメリカの地名
のオンパレードでした。昭和25年というと丁度古賀楽団が二葉さんをはじめ、市丸、
霧島らを引き連れ戦後初の日本人歌謡使節団として渡米した年でした。その帰朝土
産に書かれた曲なのかもしれません。おそらく復刻されていないでしょう。 >>214ぜひ聴いてみたいです。
二葉さんは、絵もそうですが書道も大変な腕前であったそうです。 本当に達筆ですね。東海林太郎に「二葉さんの声楽と書道は天性のもの」と言わせ
たとおり、88歳の時に筆で書かれた文字も、非常に味のあるすばらしいものでした。
まさに天賦の才能でしょう。二葉さんは三次高女教員時代に書道も担当されていま
すし、書での出展もできる書家でもあります。一般に考えても、フリーハンドで書
いた文字で目が留まるほどの字を書く人は戦前生まれですら数十人に1人ぐらいで
しょう。時代が下るにしたがい、率が悪くなるような気がします。 今ではもう歌わない祖母と行動を供にしなのが95平成7年ですからもう10年昔の話になります。リサイタルには並木路子さんや菅原先生が応援に来られたのを覚えています 銀座が好きな人でした。東京に用があり去る時車窓から見えるマリオンや銀座のネオンや雑踏は懐かしいです 声楽、絵画、書と三拍子揃った方は芸能界でも二葉さんぐらいではないでしょうか。
芸能科目として学校教育の中で認められた分野を極められた二葉さんは芸能界でも
貴重な存在です。 祖母は猫が好きでした。管理人からよく注意されてました。近くの赤坂パークビルや五丁目交番前のampmで餌の缶詰を買わされたものです 正式に引退してしまったんですか。
残念ですね、なんか。。。
でも元気でいてほしい 日本歌手協会には在籍していますのでまだ現役歌手になります。もうすぐ91になります。 「女豹の地図」とかけっこぅ好きかも☆☆
♪シャボン玉〜 川田正子さんがお亡くなりになりました。とても残念でなりません。二葉先生
は昨年文藝春秋二月号に「紅白音楽試合に出場したのは私と川田正子ちゃん
だけとなりました」と言っていましたが、ついにご本人だけということに。
でも第一回紅白歌合戦の出場者は菅原都々子さんがまだご健在です。二葉先生
の分までがんばってほしいものです。 もうすぐ91歳をお迎えですね。少し早いですが、お誕生日おめでとう
ございます。これからも、お元気で長生きしてくださいね。多くの
ファンを代表して心よりお祝辞を申し上げます。 私は、戦後生まれですが、小学生時分に家に在ったSP盤レコードの軍歌を良く聞いていたものです。(今はそのレコードたちは失われました。)
私自身は、内閣総理大臣の靖国神社参りに反対で、街頭宣伝車で軍歌をがんがん鳴らす右翼は撲滅されるべき、の考えです。軍歌や戦時歌謡は軍国主義・侵略戦争を煽ったものなので、理性的には批判し否定する立場です。
それでも、偶々この「二葉あき子について語ろう」掲示板を目にして、子供の頃のある種の懐かしさ≠想い出したのは、否めません。
♪荒鷲慕ひて♪のメロディは、脳裏の中で、うろ覚えですが演奏されます。
彼女は、「愛国行進曲」や「紀元二千六百年」、「父よあなたは強かった」も吹き込んでいましたか?
日本の危険地帯広島県から 二葉さんが出たとは驚きだ
昔は、人も土地も良かたのだろうか 原爆投下時乗ってる電車トンネルにいて幸運にも免れたらしいね。
そういや扇ひろ子は被爆者だったらしいね。 二葉さんは奇跡的に被爆を逃れた人です。お父さんの実家が県北の地にあり、8月
6日の朝、息子さんとお母さんがいる布野に向ったことはまさに運命の引き合わせ
としか考えられません。 >>226
いずれも、渡辺はま子さんや藤山一郎さんなどと一緒に吹き込みました。 >>229
そんな事実が
でも今でも元気ですよねぇ >>231 の方、
226にお答えいただきありがとうございました。m(_ _)m
このスレッドをよく読んでみれば、
>>133 >>196 にも書いてありました。
確かに二葉あき子の歌声は、澄んだ明瞭な発音でとても爽やかな響きでした。
軍歌など吹き込まない方が良かったのに、とも思いますが、戦時中にそんなのを
断れば、特別高等警察に捕まったかもしれませんから、やむをえなかったかも…。 二葉さんは、戦時歌謡や軍歌はあまり好きではなかったそうです。
ただめんこい子馬、荒鷲慕いて、空の神兵など、
好きな歌も数曲あったそうです。
なお、紀元二千六百年などをあんなに大勢で吹き込んだのは、
豪華オールキャストという意味のほかに、歌手が地方で歌うときに
それぞれが自分の持ち歌として歌えるように、という意味があったそうです。
>>224
松田トシさんも何気紅白歌試合出てるから二人生き残っているね。
司会の水の江滝子もまだ生きているし。 水の江さんは海辺の家で静かに暮らしてるらしいね。
「松田トシ」をYahoo!かGoogleで検索したんだけど最近のど自慢っぽい大会の審査員をやったみたいですね。 水の江さんは昭和11年の朝日新聞の広告欄に出てますよね。
「この美人は誰でせう?」という見出しの懸賞に写真付きで なんといっても記念すべき第1回の紅白から出てるのが素晴らしいですよね。
この時は東京放送会館第一スタジオで1月3日放送だったんですね
(わずか男女7組づつ)
よく見ると、そのプロトタイプともいえる「紅白音楽試合」にも出てる。
これははっきりした資料が残ってないので二葉さんの遥か遠い記憶に
頼るしかないんですが、昭和20年の大晦日で紅組司会が水の江滝子さんだそうです。 二葉さんの著書に、
「代表曲を歌えということで、古き花園か新妻鏡を歌ったと思う」
というようなことが書かれてありました。 >>241
懐メロファンにはかなりおいしい曲目ですよ。一応↓が紅白歌試合の出場歌手一覧です。
★ 1945年12月31日:紅白音楽試合が始まる
★ 紅白音楽試合 ・ 1945.12.31
司会 紅組・水の江滝子、白組・古川ロッパ、総合司会・田辺正晴アナウンサー
紅 組 白 組
芦原 邦子 / すみれの花咲く頃 加賀美一郎 / ペチカ
市 丸 / 天竜下れば 霧島 昇 / 旅の夜風
川崎 弘子 / 六段の調べ(琴) 楠木 繁夫 / 緑の地平線
川田 正子 / 汽車ポッポ 桜井潔楽団 / 長崎物語
近藤 泉 / ユーモレスク(バイオリン) 下八川圭祐 / ヴォルガの舟歌
小夜 福子 / 小雨の丘 浪岡惣一郎 / 曲目不明
長門 美保 / 松島音頭 平岡 養一 / 峠の我が家(木琴)
並木 路子 / リンゴの唄 福田 蘭堂 / (尺八)
比留間絹子四重奏団 / サンタルチア(マンドリン) 藤原 義江 / 出船の港
二葉あき子 / 古き花園 松平 晃 / 花言葉の唄
松島 詩子 / マロニエの木陰 柳家三亀松 / (新内流し)
松田 トシ / 村の娘 不 明
松原 操 / 悲しき子守唄 不 明
>>242
どっちも最近テレビで歌う機会なかったですね。
「夜のプラットフォーム」と「さよならルンバ」ばっか。 長門美保さん、藤原義江さんと犬猿の仲だったそうな… ちょっとコミカルな「村の一本橋」もいいですね。
二葉さんの歌では非常に珍しい『お前』と言う二人称が使われている。 いつの間にか年忘れや大全集で二葉さんの姿が消えてしまってから数年が経ちました。
撮りだめした「年忘れ」のビデオを久しぶりに見てたら二葉さんが出てきて「夜のプラットホーム」を歌っていました。
その時は「さーよなーらー、さよーなーらー」で声が裏返ってしまった回でしたけど、やっぱり上手いです。
あの歌声がもうリアルタイムで聴けないとなると無精に悲しくなります… >>248
年忘れなどで夜のプラットホームを歌うときは、テンポが速く、
伴奏も迫力のある感じで、私はもとのアレンジよりずっと好きでした。 昭和25年の東映映画『ピットパレード』で二葉さんは何を歌われたのでしょうか?
音楽学校を卒業したクラシック畑の人は流行歌の世界に入るのに抵抗を持つイメージがあるけど、
二葉さんに限っては著書を読む限り余りそのようことは感じませんね。 二葉さんと同様、学校の先輩の松原操はどいう了見で流行歌をうたったのでしょう
か。確か本科卒業後、研究科までいっていますね。今のJポップシーンで東京芸
大音楽学部出でトップランキングに入るアーチストはいますか?いないとすれば
どうしてでしょうか。教えてください。
流行歌(JPOP)とクラシックがあまりにかけ離れていたからでしょう。
渡辺浜子さんは学校の先生をやってらした時期もあるみたいですね。 二葉先生のお歌で「めんこい仔馬」「乙女十九」「恋のアマリリス」「白蘭の歌」
「あの夢この夢」「荒野の夜風」「バラのルンバ」「あの花この花」をテレビで
聴いた事があります。「フランチェスカ〜」などは知っていますが
これらはヒットした曲なのでしょうか?
「めんこい仔馬」「恋のアマリリス」「百蘭の歌」「あの夢この夢」「バラのルンバ」
これらはヒットしたと思う。
「恋のアマリリス」は「青い山脈」と同じ枚数の売り上げ。 同じレコードでも「青い山脈」のほうが知られているね。 高木東六さんのピアノで歌ったみずいろのワルツは良かった。 同感!
水色のワルツ、全く古さを感じさせない。今の時代には、こーゆー歌がないのが寂しいですね。
二葉先生の昭和40年代の歌声、ホントに素晴らしいです。再録の《巴里の夜》は、最高! 40周年記念リサイタル(s50年)の歌声も巴里の夜、別れてもなど最高ににしびれます。 二葉さんは本当に歌が上手いと思います。
一つ一つの歌を上手に表現力豊かに歌いあげるその歌声は今の歌手にない二葉さんならでは魅力だと思います。 藤山一郎とのデュエット曲「なつかしの歌声」
重唱の3コーラス目、二葉さん出遅れてるように聴こえる。 「なつかしの歌声」西条・古賀作品
深夜便からMDに録音したものを聴いてみましたが
まったくわたくしには、遅れは感じ取れませんでした。
藤山さんは軽やかにのびのびと歌い、
二葉さんは、美しい声。くわえてカワイイ声
伴奏も聞き慣れたような曲調で、軽快。
わたくしのお気に入りの一曲です。
“いやぁ〜懐メロって いいですねぇ〜。” 牡蠣の殻
この歌を知ってる方は、いますか?
歌曲調の歌で、音大出の二葉先生の本領が発揮されています。 >267
知っています。静かな曲調で癒される歌です。
聞いてみたい方はコロムビアの「ラジオの時代」という
シリーズもののCDの中に収録されています。
もう、発売はされていないかも知れないけど、
図書館にあったりしますから。 懐メロを歌うとき、必ずあげなくちゃいけない。
夜のプラットホームは3つあげるので
伴奏がすごく変。
あれ、なんとかならんかな。 引退前年の大晦日のにっぽんの歌での『さよならルンバ』
でキーが外れ,物議をよんだが,2〜3日後のNHKラジオ
での生番組『サンデージョッキー』出演の時は,芝居にも参加し
トークでは耳が聞こえにくいことを随分気にしており,時折
会話もつながりずらかった。しかし伴奏をピアノだけにして
1曲目『パリの夜』は音をさぐりながらまずまず,次の『パダン
パダン』では全くキーも外れず,すばらしい歌唱。『水色のワルツ』
は跳躍音程が少し取りにくそうだったが,最後の『うたとふたりづれ』
では出だしの音こそ外れたもののあとは以前と変わらぬすばらしい歌唱。
そしてその年の夏前にコロムビアの本社であったファンの集いを最後に
テレビからは姿を消した二葉さん。お元気のようですので、是非今一度
姿を見せて,歌の一節でもきかせてほしいものです。 歌手にとって、耳がダメになることは致命的。音が聴こえなくても勘で歌おうとする姿があまりにも痛々しかった 私も03年1月ののサンデージョッキーを聞きましたが、パダムパダムと巴里の夜、歌とふたりづれは良かったです。
その後、難聴が悪化しながらも老人ホームの慰問的な営業や立川志らく氏のイベントで歌ったりして、03年春頃に
再度サンデージョッキー出演予定だった(FM昼の歌謡曲の二葉さん特集でアナウンサーが今度のサンデージョッキーで南こうせつのギターで二葉さんが歌うと出演告知をしていた)
しかし、二葉先生は南こうせつが関った新曲?を練習されていたらしいが、二葉さんサイドが全国生放送でもし音を外したらまずいという事で急遽出演辞退をしたらしいです。
>>270
>>273
貴重な番組を聴かれたんですね。
私は最近はラジオはチェックしないので、残念な事をしました。
大晦日の《さよならルンバ》の事、どこで物議をかもしたのですか?
しかし、あの歌唱の後に、素晴らしい歌唱を披露していたとは。
さすがにプロですね。
二葉先生を気遣う方が引退を勧めたのかもしれませんね。
ホントに、姿だけでも見せてくれたら、嬉しいです。
二葉先生の難聴、改善したりしないのかなあ。 私はラジオ好きなんで何か情報を提供したいと思ってはいるんですが 昭和歌謡大全集では、《夜のプラットホーム》ばかり。
《別れても》は、なぜ、放送されないのかなあ。 ここのスレは荒れなくていいですね、皆さん丁寧なレスされてます。
淡谷先生のスレ、悲しすぎます・・・
数年前、チータが司会してたBSの「この人この歌」(藤山一郎)
にゲストで出ておられました(おそらく最後の方のテレビ出演)
声が出なくなった時の話や、藤山先生のようにあちらの世界へ
逝けたなら・・・と切なくなるような話もありましたが
可愛らしさは素晴らしい。
「なつかしの歌声」歌われてました。
小さなステージだったので、テレ東の「さよならルンバ」程の
音程のズレはありませんでしたが、長く歌われた方だからもう少し
綺麗な幕引きであればよかったのに、と悔やまれます。
長生きして頂きたいですね