父が亡くなったよ。
線条体黒質変異。
母が食事を作っている時に亡くなった。
誰も亡くなる最期をみていない。
その日は訪問介護の医師が診察をしてくれて、母ともずっと話をしていた。
急に心臓が止まったみたいだ。

父らしい亡くなり方だったと思う。
私は山梨で働いていて、実家は名古屋。
中々実家に帰れなかった。
正月に帰った時に、衰えている父と話して、ゴールデンウィークまでもてばいいとは思った。
母は父が寝たきりになった昨年夏から
ずっと父を介護していたから大変だった。
私は親不孝者だと思う。

葬儀後に、ずっと出かけられなかった母を母の大好きなカニを食べに連れて行ったら、
人生でこんなにカニを食べたのは初めてだと喜んでくれた。
ゴールデンウィークには、また、実家に帰って、母にカニを食べさせよう。
私も母の料理を食べたい。

父が亡くなって、色々な手続きが有って、本当に疲れたけれども、
その手続きが終わったら、急に悲しみが強くなった。
会社では普通の顔をしているが、
それは演技だ。管理職である私が暗い顔をしていてはいけない。
特別休暇明けには、仕事が山ほどあるだろうと思っていたけれども、
部長と部下が分かる範囲内で私の仕事をやってくれていた。
本当にありがたかった。
私も昨年、胃と十二指腸潰瘍で二週間も休んだ。皆に迷惑をかけたが、それを批判する人は会社にいなかった。
私も、もっともっと謙虚に生きていればよかったと思った。

母が心配なので、毎日電話している。
母もやっと落ち着いてきた。

次は四十九日の手配だ。