古田はバリバリの阪急ファン
古田は大卒時には二位縛りがあり立命館の監督は阪神・日ハム数球団から指名予定の挨拶があったと中日の中田スカウトに話していたがドタキャンされた(中日は星野が中村育成に着手していたため上位指名の予定無し)
ヤクルトは野村の監督就任が決まる前の89年8月に一位潮崎二位古田の指名が決定(その後潮崎を西武に囲われ野茂へ変更)していたと野村一派以外の全員が証言
大卒捕手を嫌悪する古田の指名を撤回するよう要求したがテメエの我儘の為に立命館&トヨタと絶交できるか!とフロントに一喝される
野村はドラフト会議当日のテーブルでもグチグチとゴネ続けたが相馬社長と田口代表は構わず古田を指名
古田獲得後も野村は90年のユマキャンプで眼鏡は守備の邪魔になると言い続け当時の番記者たちに「五輪の時に眼鏡かけて野茂や潮崎の球捕れてたんだから問題無いよ」と嘲笑される(1990年開幕前発行の球団公式ファンブック)
ちなみに眼鏡をかけていない野村は先輩捕手(土井垣)からも組んだ投手(三浦・江本etc)からも審判(前川)からも捕球技術を現役時代全体を通じて酷評されている

古田敦也
「僕がこんな選手になるなんて野村監督も思っていなかったはず。『こんな眼鏡かけたキャッチャーいらねえよ』ってよく言ってましたから」