野村の嘘話や作り話を上げていくスレ19
清原が薬で逮捕されたとき
最初の監督の森が悪いと野村は言ったが
自分が監督やったスワローズで脱税の有罪者が出てるんだが
どんな人間教育をやっていたのか ノムラ的価値観では
茶髪長髪は人間疾患だけど
不倫脱税はむしろ「人間味を感じさせる」美徳 2000年代前半は染髪が多くてその後減っていったけど最近また増えてきた印象
髙橋光成や今井なんかは野村が生きていたらボロカスに言われてそう >>2
清原は西武のような常勝チームでコーチや先輩が厳しかったから
ルーキーからあれだけの成績を残せた。
試合前に50mのタイムを測っている西武と
試合前にゲームや将棋で遊んでるヤクルトでは
えらい違い。
あと、清原は一年目に三割30本塁打打ったが
前半は成績が悪かった。
森監督が我慢して使い続けたおかげ。
野村だったら我慢できず片平晋作を起用していただろう。 遊びを放置したから、功罪相半ばといったところか。
一応二千本超えてるけど通算成績はどちらかといえば平凡。
事実上、ノンタイトルだし。
もっとも巨人へ行った桑田も二百勝いかなかったんだよな。 森が好まれてなかったという事だけなのかもしれないが
野村のほかにも最初の監督の森がよく教えてなかったからとか言うの結構いたんだよな
けれど
小川博の時は最初の監督の稲尾が悪いとか
中山裕章の時も最初の監督の近藤が悪いとか言うのいなかったし
何で清原は森が悪いと言ってもらえるんだろうと ノムならまともになった!→南海時代を見てれば清原なんかタニマチに差し出してさらに極悪にしていたんじゃ >>6
いやいや
2000安打、500本塁打、1500打点はたった六人しかいないぞ!
あと、リーグ優勝10回、日本一8回達成した四番打者だからな。
数字は立派だがチームの勝利に貢献していない落合とは雲泥の差
それに88年中日が優勝したときの落合の成績は三割打ってないし平凡だった。
清原が野村の下だったら成績はもっと下がって
優勝回数も減ってそれこそ平凡なバッターになっていただろう。 ここ清原ファンスレじゃないんでこれ以上は当該スレでどうぞ
シャブ中なんか不倫脱税以下やんけ T−岡田の複雑な胸中「やっぱりおもんないっすよ」 昨年0本塁打の元キングが今季にかける思い
4/1(月) webスポルティーバ
>34歳で中日最後の年となった2002年シーズンの本塁打は2本だった。
>36歳でオリックスを退団した2004年も4本。多くの人は「ここまでか......」と思ったことだろう。
>それが楽天に移り、野村克也と出会い、頭と技術が改革され39歳で43本塁打。見事な再生だった。
『37歳で楽天に移籍した2005年に田尾監督のもとで打撃改造し25本塁打』が抜けていますが??
田尾の「田」の字も出てこない見事な印象操作w 球界に”衝撃”…まさかの退団となった大物(3)引退熟考から”ホームラン王”に
4/5(金) ベースボールチャンネル
>引退も考えたと言われていた中、2005年から新設された東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。
>すると、イーグルス在籍3年目にキャリアハイの43本塁打を放ち、本塁打王のタイトルを獲得した。
>野村克也のもとで蘇った山アは、2009年のCS(クライマックスシリーズ)でも仙台で本塁打を放った。
>ダイヤモンドを一周し、野村監督と抱擁した瞬間はイーグルスファンの脳裏に深く焼き付いているはずである。
楽天移籍1年目のことは完全スルーw
田尾の「田」の字も出てこない見事な印象操作w ◎ノムラ野球と血液型占い
→日頃から「捕手は一にも二にも(自分と同じ)B型が理想的」と教えを説いていた
→相手チームの捕手の血液型が(自分と同じ)B型と知ると「なるほど、B型っぽい配球をしてくるな」と妙に納得していた
→楽天時代、井野卓を一軍に上げようとコーチ陣が推薦したところ野村に一蹴されたが、コーチに「井野はB型です」と言われると考えこんだ
(橋上秀樹『野村の「監督ミーティング」』2010年) NPB史上屈指の強打の捕手だった阿部慎之助と城島健司はともにA型だったんだけどな
だから野無惨は二人を酷評してたのか? >>6
清原は勝利打点1位というのはあった。西武時代の1988年、この年日本一。
中日との日本シリーズでは元西武でこの年リーグ最多勝の小野和幸から場外ホームランを打って早々とシリーズの流れを決めている。
そうした方面での存在感はあった。個人的には勝利打点1位というのは気に入ってるけど。 野村がリードとかよく言うようになったのは
キャッチングや二塁迄の盗塁阻止はあんまり自信はなかったからでは >>2
清原は西武のような常勝チームでコーチや先輩が厳しかったから
ルーキーからあれだけの成績を残せた。
試合前に50mのタイムを測っている西武と
試合前にゲームや将棋で遊んでるヤクルトでは
えらい違い。
あと、清原は一年目に三割30本塁打打ったが
前半は成績が悪かった。
森監督が我慢して使い続けたおかげ。
野村だったら我慢できず片平晋作を起用していただろう。 >>20
そもそも二塁までボールが届かなかった。江本とバッテリーを組み始めた1972年頃、既にそう。 上の動画のように野村の前でイチローは普通に試合出てるね。本の内容と矛盾する。 教えてノムさん
・4番打者を育てられないのはなぜですか?
⇒遠くに飛ばすのは才能だから仕方ない。私の指導でどうにかなるものではない
・エースを育てられないのはなぜですか?
⇒速い球を投げるのは才能だから仕方ない。私の指導でどうにかなるものではない。
・俊足の1番打者を育てられないのはなぜですか?
⇒足の速さの天性の物だから、私の指導でどうにかなるものではない
・強肩の捕手を育てられないのはなぜですか?
⇒肩の強さは天性の物だから仕方ない。私の指導でどうにかなるものではない。
・頭脳派の捕手を育てられないのはなぜですか?
⇒中学時代の成績が悪い人間には難しい。私の指導でどうにかなるものではない
・守備の上手い内野手を育てられないのはなぜですか?
⇒守備は先天的なセンスが肝要。私の指導でどうにかなるものではない。
こんなのばかりだからな
結局のところ、野村に育成できるのは8番打者とワンポイント専門の左投手だけ
大駒は育てられず、チームの枝葉的な立ち位置の選手しか育てられない 「ノムさんが阪神で三年連続最下位になってしまったのは二軍監督の岡田のせい!かわいそうなノムさん…」
(橋上秀樹『野村の「監督ミーティング」』、2010年)
>一部のコーチ、選手の間からは、「野村さんの次か、その次あたりに、2軍監督の岡田さん(当時)が
>1軍の監督をやることになるだろうから、とりあえずいまは野村さんの話を聞いているフリをしておけばいいだろう」という雰囲気が蔓延していた。
>だからこそ、野村野球を奨励する必要はないと、多くの選手たちが勝手に解釈していたのだ。
↓
>「野村さんのエキスを少しずつでいいから注入していってほしい」と、松井(優典)さんは(楽天)球団から要請を受けていたそうだ。
>球団のフロントは松井さんや私(橋上)らをチームに呼んだ時点で、「近い将来、野村さんを監督に招へいしよう」と考えていたように思う。
>そして、この年のオフにそれが現実のものとなったのである。
この素晴らしきダブルスタンダード
あの絶望的な戦力に加えてシーズン開始から一か月もしないうちに三木谷にこんなのをねじ込まれれば
そりゃ初年度楽天は勝率二割台にもなるわという
(田尾安志『それでも僕は前を向く』2023年)
>開幕直後の4月の連敗を受け、球団上層部(三木谷)の意向で、ヘッドコーチの山下さんを二軍監督に配置転換することになった。
>駒田も二軍打撃コーチに降格。まだ、開幕したばかり。選手とコーチ陣の間に問題が生じているわけでもない。
>しかも、2人は僕がお願いして来てもらったコーチだ。僕は頭にきた。
>「もし山下さんがユニフォームを脱ぎたいと言ったら、一人では脱がせないよ。
>そうなったときは僕にも責任がある。一緒に脱ごうと思う」と女房に伝えた。
>すると女房は「パパ、そのときに山下さんと一緒に辞めなかったら、パパじゃないよ」と言ってくれた
…
>(GM代行の)広野(功)さんによると、仙台で開いた編成会議で僕の続投を確認した30分後に、
>野村さんの後任監督就任決定と記者会見開催の連絡が東京からあったのだそうだ。 監督に対する忘恩という点で野村と清原は似ている。巨人で後任監督の候補に森の名前が出た時、
清原は「森監督は選手の私生活にうるさく口を出してくる」と言いふらして、森を招聘しにくい雰囲気を作った。 阿部巨人が「筒香嘉智」獲得に動いた切実な事情
2024/4/9 デイリー新潮編集部
>ベンチからバッテリーサインまで出す指揮官というと、ヤクルト監督時代の野村克也氏が思い出される。
>原辰徳監督の時代にはなかったベンチワークでもある。
古田がベンチ見てサイン要求しても野村は下向いて知らん顔してたと古田本人や八重樫バッテリーコーチが言ってたぞ!w
よくもまぁこんなウソ話平気で記事にできるわw まあ言うなれば史実の三国志と三国志演義みたいなもんなんだろ
ノムサンは祈祷で風を呼び寄せ杉浦のカーブを曲げた!
ノムサンは単身グラウンドに出でるや一喝し敵チームのみならず観客までも慄かせた!
ノムサンは泣いて南海との縁を斬った!
もはやノムシンの頭の中のノムサンは完全にこれと一緒なんよ 73年に南海のコーチだった沼澤康一郎は
日本シリーズ第二戦について後に自著(『激闘の日本シリーズ30年史』1979年)で
11回表の堀内の決勝タイムリーは本当ならセンター島野の好返球で本塁タッチアウトだったはずが
キャッチャーの野村が捕球を失敗してセーフになってしまったと述べている(記録上エラーはつかず)
野村が南海追放後に「グラウンド不良なのに強行したフロントのせいで負けた」と連呼した(=捕れなかった俺は悪くない)
沼澤のシリーズ総括
「第一戦の勝利で監督以下対等に戦える錯覚をもってしまったことが1勝しか出来なかった原因だった」
リアルタイムでの野村の敗戦の弁
「いい勉強させてもらいましたわ。うちは頭で考えていることは負けていません。
ただそれに技術面がついていかなんだ。巨人から学んだものは『精神の差』ということやろうか」 >>35
>リアルタイムでの野村の敗戦の弁
>「いい勉強させてもらいましたわ。うちは頭で考えていることは負けていません。
> ただそれに技術面がついていかなんだ。巨人から学んだものは『精神の差』ということやろうか」
後から言ってた野村の73年シリーズ敗戦の弁
「巨人のサイン盗みにやられた」 野村の過去の著書に「サイン盗みを最初にやったのは・・・」という記述があるが、
出版時期の違う2冊の著書で全く違うことが書いてある。
『デッチ人生20年 ゼニのとれる人間になれ』 1973年8月
こうしたサインの盗みどりは、しかし、意外と古くから行なわれているのだ。
その開拓者は、三原監督(現・ヤクルト)である。
聞くところによると、西鉄の黄金時代に、すでに使われていたというから、やはり彼は魔術師に違いない。
『危機管理としての野球論 敵は我に在り』 1980年8月
サイン盗みを最初にやったのは、V9時代の巨人だった。『広島がおかしい』という話が出たときは、
ブレイザー・コーチ(前阪神監督)が南海から移った年で、古葉監督も元南海コーチだから可能性十分という論調で、
なんだか私がスパイの本家のようでした。しかし、元祖は巨人で、こっそりやっていたのです。
逆に噂をふりまいたのは、私が南海の監督をしていたときです。
⇒野村の著書は根拠がいい加減で信用するに値しない 結果論で言ってくると言うのは
古田も言ってたな
それも野村の生前の時に >>12-13
悪いのは野村じゃなくて書いた奴じゃね? >>29
三木谷はヴィッセル神戸の監督を数試合で変えたこともあるからな
続投要請していた監督にやっぱり解任するってやったこともある
まあとにかく人事面はね 田淵幸一&星野仙一流の阪神タイガース再建策「そういうところから球団の土台をつくったんだ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9c6ebc61960b7863eacdce274735f8cf3538a8fc
fgr********
野村克也さんが築いたチームを引き継いだだけ。楽天しかり。育てた選手いる?ドラゴンズの時は与田を壊したし。 >>41
星野阪神が3年連続最下位の後、野村阪神が優勝という史実だったら
赤星、桧山、今岡、矢野、藪、井川は野村が育てたとノムシンが豪語するだろうなw
ノムシン「星野のときの井川は10敗以上していたが、ノムさんのおかげで20勝できた!」
なんなら移籍組の金本、下柳ですら「ノムさんが育てた」と言いそうw >>42
日本シリーズで西武に4連敗したときの巨人藤田監督
「監督がヘボだから負けました」
3年連続最下位の野村監督
https://www.youtube.com/watch?v=QdghDY6qsVM
ワシは悪くない。とにかく他人のせい、選手のせい、球団フロントのせい、球団OBのせい、在阪マスコミのせい
弱いチームばかり任されるワシは犠牲者。 >>36
当事者の一人の江本孟紀はプレーオフで阪急にサインを盗まれていたと証言。そもそもサイン自体が稚拙だったのではないか。
>>37
これも江本の証言で、当時のパリーグでは大体どこのチームでもスパイ活動を行っていた。偉くなってから都合の悪いことには頬かむりをする(他者のせいにする)パターンかも。 >>46
他もやってたと言ったところで野村のサイン盗みの罪は薄くはならんよ >>42
よく口撃してたが
なにか腹に一物あるチームや人物だからやってたんだろうな 星野が優勝した時のエースのうち3人は100勝していない
本当に飛びぬけたエースは田中だけ
小野・野口・井川を最多勝級に引き上げたのは星野の手腕でしかないんだよ
まあ実際は投手コーチの手腕だが
宮田とか山田とかヨシとか優れた人材と組んで全部任せるからな
あとはリリーフや野手陣のテコ入れもやる でも自分も投手だったし丸投げでも無かったっぽいけどな
練習今日は見に来ないはずと思って抜いてたら、いきなり来て一気にピリつくって証言はいくらでも聞いた
能無惨の「俺がシュートを教えた」とかいう投手でもなかった奴の与太話とは訳が違う >>50
山田久志の話によれば、ピッチングコーチ時代、星野監督はピッチャーのことについてほとんど口出ししなかったが
宣銅烈を4連投かさせようとしたときに「こらえてくれんか」と言われたことがあったらしい。
宣銅烈の連投を止めようとした星野監督
ピッチングコーチの意見を無視して伊藤智仁を酷使した野村大監督w 83年の下田通達や98年のダイエー事件以後も平気でやり続けてたからな
周防正行
「(解説の)栗山さんとかギャオス内藤が来て話が始まったんで、こそーっと聞いてたんです。
そしたら野村さんが栗山さんに『古田のことは全部わかってる。だからメガホンで全部言ってやった』って言ってるんです。
何を言ったかというと、その前の試合(1999年6月4日神宮、S1-3T)で川崎投手が投球動作に入るたびに、
野村さんがメガホンで球種を言っていたんです。だから、
『あいつがどんなサインを出しているかは全てお見通しだから、言ってやったんだ』って。
そうしたら、古田さんが主審にクレームをつけたんですって。
そしたら野村さんが『どこのチームでもやっているだろう、それなのに文句つけおった(笑い)』って、
栗山さんに言ってるんですよ」
(若松勉・周防正行『ファンの皆様おめでとうございます』2002年4月) >>50
星野がコーチ陣に任せてるのはあえてのことだしな
宮田コーチの本には統率力に優れ選手にやれと言ったらやらせる力がある
元投手だけにピッチャーを見る目がありコーチに任せる度量がある
星野指揮する阪神は各選手がそれぞれの課題に取り組んでおり
彼の考えがチームに浸透していけば数年の内に変わるだろう
というふうに書かれているし実際そうなった 田中の日本シリーズのリリーフも本人志願だからな
それでも止めるのがスタッフだが
行かせたのと本人に志願されたのでは大きく異なる ノムって弱肩だけど
南海で一番筋力強かったのよ。むちゃくちゃ丈夫だしな
なんかぜんぶ苦労と努力と頭使ったおかげって言い張ってるけど
野球漬けじゃなかったってだけで、視力や当て勘もすごくあったんだろう 筋力強くて丈夫だけど弱肩って金本と一緒だな
無いよりはあった方が良いに決まってるけど天性の柔らかさ、バネにはどうやっても勝てない 曙の葬式、貴乃花来てなかったみたいだな
野村みたい 片やテスト生からの叩き上げ、片や業界内では超エリート家系の違いはあるが、共通点はやけに多いな
競技者としては歴代でも上位の記録を多数残す
あっさり他人に洗脳されて精神を完全に支配される
賢く見られたいという欲求が非常に強く故事成語などを理解してないのに使いたがる
自身を犠牲にして盛り立ててくれた兄を逆恨みし絶縁
人間教育発言が盛大にブーメランになる
東京スポニチ&TBSとズブズブ 貴乃花ってガチでアレだろ
野村は性格は悪いが貴乃花みたいなアレとはまた違う バカ花は実母にまで見放されてるからなw
さすがのノムサンもそこだけは大丈夫だったか、まああんなW不倫ゲス婚見せつけ
自分を犠牲にノムラの将来を心配した兄貴とも絶縁したのは十分親不孝だろうがね 五輪は辛かった、阪神で優勝、楽天でまさかの…
江本孟紀チャンネル 「エモやんの、人生ふらーりツマミグイ」
江本「阪神でやったときはどうだったですか?」
田淵「アリアスっていう花粉症になった外国人がいたんだけどすぐ田所病院連れてって注射打ってもらった。」
「そういうグランド外のことで面倒を見るということが選手のやる気を起こさせる。言葉だけじゃだめ。」
「秋季キャンプのとき赤星呼んで、バット(のグリップの位置)こことここどうだ?明日ここでやってみようって言って
いろんなことアドバイスしながら毎日、ダメだったらじゃあ次はここでやってみようっていうそういうキャンプだった。」
「そして次の年優勝した。」
⇒赤星を覚醒させたのは田淵コーチだな
野村の教えで逆方向へ当てるだけのバッティングしてたら打てなかっただろうよ
アリアスも花粉症のままじゃあんなに打てなかっただろう
阪神はほんと疫病神がいなくなってよかったw 書き込みが止まったなw
つまりノムアンの敗北w
ぎゃははwww >>65
おまえ何の反論もできないだろw
負け犬の遠吠えw 何一つ言い返せないけど、こうやってROMだけはずっと続けてたのか
なかなかいじらしいノムシンもいたものだ >>65
誰もいなくなった隙にしか書き込みできないヘタレw 矢野が結果を出せたのも星野監督のおかげだな。
日ハムから野口をライバルとして獲ったのが大きかった。
バカツノリじゃ矢野のライバルにはなれないw
↓ ↓ ↓
柳に風【下柳剛公式チャンネル】
【分岐点】「打たれたらいいのに」同級生バッテリー結成までの裏事情
――星野仙一 阪神監督就任
矢野「あれでまたぐっと引き締まったね。」
「レギュラーになってある程度試合に出れるようになったのが、それこそシモと野口も一緒に来て」
「野口ってあのとき成績おれとほぼ一緒ぐらいの試合数も安打数も同じくらいやったんよ。」
「日曜日シモと組んで出るやん。いっつも。おれ日曜日試合出られんかったんよ。」
「シモには悪いけど打たれたらいいのにって思ってて。」
「だって抑えたら野口とのコンビが変われへんから。」
「だからおれは打たれろとか負けたらええのにとかズルい自分で試合を見てたんよ。」
「それがまた火曜日から頑張らなあかんみたいないい意味でプレッシャーが力になったっていうのは
タイガースのトレードとか野口がシモと一緒に来たとか順調にいってることばっかりが良くなくて
自分にとってはストレスというかプレッシャーというかそういうのは結果的には良かった。」 矢野はなんも知らんから捨てられたと思ってるだけで
星野は中村武志の放出すら辞さない覚悟で阪神とのトレードを交渉してた
最初のトレード候補は自分だったと中村も話している
まして教え子の大豊のほうは実際出されているからな
そこまでして久慈と関川を獲った
でなきゃ短期間でドームに適したチームに変えるなんて出来ない 自分が中村武志に勝てなかっただけの事なのに放出されたの文句タラタラで
カツノリみたいなザコに出番奪われてた件に対してはダンマリなの卑怯だよ? 金本や下柳を獲ったからチームのプロ意識が変わった
野口獲ったことが矢野のやる気を高めた
勉強会やるんじゃなく目に見える目標やライバルを作るんだよ星野は 1999年の阪神はベンチに佐々木誠、大豊、桧山がいた
打撃陣は駒が余ってる状態だったのに野村の采配が悪いからみんな腐った >>73
外人2人もまあまあ打ってたのに
難癖つけまくってたのが不思議だった ベン・リベラ
29試1勝1敗12S防0.71WHIP0.83
これにセットポジション出来ないとか難癖つけて退団させたのも意味不明すぎて怖い リベラはムッシュの時に獲得した選手だから儲けにならない
パリッシュ追い出しと同じよ 怪我で治療の為帰国(球団が認めた正規の療養)してる間に野村の要求でクビ ノムの阪神時代は
ヤクルト編成の優秀さ(外人含む)を
痛いほど感じた日々だったろう
難癖つけて切ったら次年度もっとショボいやつが来る繰り返しw
ジョンソン、ブロワーズ、リベラ、メイ、タラスコ、今岡、坪井、藪・・・ 阪神外国人選手列伝 99年前半で大活躍のジョンソン、弱点研究された後半は…
デイリー 2020.05.17
4番と期待されたブロワーズは73試合の出場で打率・251,10本塁打、43打点。
6月にがん闘病中の義母が危篤となり一時帰国。その間、チーム状況が悪化。
野村監督から2軍降格を命じられたがこれを拒否した。
後に「監督は私が戦列を離れたことに腹が立っているようでした。
チームの不振を私の責任のように言い、2軍で調整するように命じました。
自分にも頑固なところはありましたが、気分がいいはずがありません。とてもがっかりしました」と振り返っている。
打撃不振のため、シーズン途中の8月に解雇された。 しかしヤクルトで頑張った助っ人、オマリーなんだよな >>81
ハウエルなんて二冠王&MVPだし、他にもハドラー、ブロス、ホージーら優勝に大貢献した助っ人がたくさんいただろ。 ハドラー、クラーク、テータム
このレベルの優良外人を1年でポイしても十分に補ってくれる編成力スカウト力があったからね当時のヤクルトは 団野村が連れてきた外国人はヤクルト野村監督1年目のマーフィーとバニスターだけか。
前年セリーグホームラン王のパリッシュを「確実性のないやつはいらない」という理由で解雇
その代わりに連れてきたやつが打率.229 5本 22打点ってww ハウエル、オマリー、ブロス、ホージーらタイトルホルダーの助っ人の活躍が目立つが、
タイトルホルダーでない助っ人でもけっこう活躍している。
ジョニー・レイ 打率.299 11本 51点
二塁打36本はリーグトップ、ヤクルトAクラスの立役者
ジェラルド・クラーク 打率.293 20本 53点
Bクラス転落時の助っ人でも意外と打っているおかげで最下位を免れた。
ジム・テータム 打率.309 13本 25点
98年西武との日本シリーズ第一戦で西口からホームランを放ち1-0で勝利
野村ヤクルトは助っ人外国人の活躍に大いに助けられている。 ヤクルト黄金期ってドラフトと助っ人外国人に助けられただけで野村自身の功績ってほとんどないよな
広沢・池山の主軸二人も前任の関根監督が育てた選手だしなあ >>86
>ヤクルト黄金期ってドラフトと助っ人外国人に助けられただけで野村自身の功績ってほとんどないよな
ないねぇ
野村采配や作戦で勝った試合なんて思い浮かばない
90年代のヤクルトの戦力なら誰が監督やっても優勝できた
能力の高い監督なら投手王国を築き上げて何連覇かしていた
>広沢・池山の主軸二人も前任の関根監督が育てた選手だしなあ
秦、荒井なんかも地味だがかなりいい働きをした。
伊東昭、川崎も関根監督に鍛えられた。 >>79
>ノムの阪神時代は
>ヤクルト編成の優秀さ(外人含む)を
>痛いほど感じた日々だったろう
野村が阪神監督時代の1999年
ヤクルトペタジーニの活躍を見て
「おれのときにはあんないい外国人連れてこなかった」
と言っていたw ペタジーニ1年目の4月はホームランこそ9本打っていたが打率が2割2分台でチームは首位中日から
6.5ゲーム差離されての5位だった
能無さんなら「こんな確実性の無い外人は使えんわ」とペタジーニを早々に見切っていた可能性もあるな ラミちゃん1年目、開幕1ヶ月後の成績
打率.211 5本
絶対見切りつけていたと思うw
野村がヤクルトの監督続けていたらラミちゃん、稲葉、宮本慎也の2000安打は不可能だった。 稲葉もノムラの呪縛離れて一気に化けたな
ノムラの下ではずっと脇役という枠に嵌められ開花する事は無かっただろう 野村の一番駄目なところは私情で選手を評価したり起用したりするところだな
メイとか大豊、今岡なんかと上手くコミュニケーション取って上手く起用していたら
阪神での成績ももうちょっと変わっていたかもしれない 門田も「お前の仕事はわしの前で塁に出ることや」みたいなこと言われたそうだな 狭量なセコいオッサンがなんか言ってるわって認識だっただろうね
野村を慕う後輩とかほぼいなかったのでは 南海監督解任のとき
江夏、柏原ともう一人かマンションに籠城とか
報道されてた記憶がある そもそも江夏と柏原は沙知代と同じマンションに住んでた
外から合流したのは意外にもコーチ陣の中でも特に沙知代の被害に遭っていた高畠
ただしその理由が「コーチが誰一人野村さんについていかないから自分が行くしかない」というもの
(ここで野村のメンツを潰さないようにと身を捨ててくれた高畠にヤクルトであれだけの酷い仕打ちをして粛清した)
兼任監督就任前の野村はチーム内での人望はあったがそれは本妻の存在によるところも非常に大きく
広瀬や小池のようにかつて野村と親しかった人ほどゲス不倫後は激しく対立した 変に影響されやすい人たちっているからね
口車に乗せられて浅い所で感化しちゃったり
でもそういうのって続かない 杉浦亨が野村監督に寿司を食べに行こうと誘われて今年は減量して勝負を懸けてますのでと
断ったら、お前に食わせる寿司なんかねえ!ってブチキレられたと語っていたなw
杉浦曰く野村監督という人は自分になびかない人に対しては冷たいことを言う人だったと ホージーをキャンプ時点で「あんなの誰が取ってきた」やらネガキャンしまくってたな
入団してくれた自チームの助っ人を開幕前からこき下ろすって何を考えてたんだろう ノムさんは阪神や楽天じゃ外人を上手く扱えなかった常にトラブルがあった
ヤクルトが獲った外人がまず凄かったのよな
星野は中日では期待はずれだった宣を絶対の抑えに立ち直らせゴメスを自分のルートで獲得しバンチには最多勝を獲らせた
阪神では調査中だったアリアス獲得を後押し自分のルートでウィリアムスを獲得しどっちも大活躍
楽天だと超大物のAJから若手のメジャーリーガーだったマギーをチームに馴染ませ打線の原動力にしラズナーも抑えで活かした
フロントが良い選手を獲る事だけを期待してるノムさんには弱小チームを変える事は本当は向いてない 純金のノム人形はあったが確かさらに前にはノム夫婦の招き猫ってなかったか? ハウエルクビにするときも「クラークと影でチームの悪口を言っていた」と功労者の解雇を正当化していた
笘篠とかチームメイトはハウエルのことナイスガイといっていたけどな ホージーは編成部主導で獲得したから
それでオープン戦で打てなかった時に優勝出来なかった時に責任逃れの為の布石としてマスコミの前で獲ってきた丸山完二を罵倒し
「こんなクズ外人を獲って来やがって!(だからV逸しても俺のせいじゃない)」と猛アピールした
なおホージーは本塁打王を獲得。ダンルートの右打ちの一塁手オルティスは箸にも棒にも掛からず
優勝争いをしていたこともあって編成部がシーズン中に右打ちのテータムを緊急補強した
あとハウエルに関しては94年は離婚問題で心ここに在らずの状態で絶不調(.251 20本 56打点)
95年シーズン中に訴訟出廷のためシーズン中に帰国せざるを得ないことが確定的となったため
編成部はハウエル(1億5000万)をリリースしてオリックスとの争奪戦を制し阪神をクビになったオマリーを1億7500万で獲得
ハウエルは巨人が1億4500万で拾ったが、やはり訴訟出廷のためシーズン途中(66試合)での退団となった
この時も野村は「ケチフロントが中古外人だけで巨人に勝てとか言いよる!今年限りで俺をクビにするための嫌がらせや!」と放言
なおその中古外人二人、特にオマリー(ペナント&日シリMVP)のおかげでヤクルトは優勝し
野村の続投とカツノリのプロ入りが決まった >>104
ROMノムシン嘘つき病www
平成助っ人賛歌
ジャック・ハウエル ヤクルト日本一に貢献し、
平成球史を大きく変えた巨人移籍/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】
週刊ベースボールONLINE 2018年12月19日
翌94年、ハウエルは背筋痛からスタメン落ちを申し出ることが目立ち、次第に野村監督とも険悪に。
結局、夫人の病気を理由に公式戦をまだ10試合以上残した9月下旬に緊急帰国。
打率.251、20本塁打、56打点と大きく成績を落とし解雇されてしまう。 ハウエルは最後の方はあっち痛い、こっち痛いで休んでばっかり
日本シリーズで西武に弱点を晒されてしまい、それ以降成績が下降して3割30本から秦レベルの打撃になり、やる気をなくしたと思われる
長嶋がハウエルを拾った時に野村がよくハウエル雇ったなと馬鹿にしてたが、実際痛い痛いとまともに働かなかったのでこれは珍しく野村が正しかった 監督としては長嶋と野村なら野村の方がマシなんじゃないの
森と野村なら明らかに森の方が上だが
個人的には権藤監督が好きだが、あの放任も評価が別れるよな >>107
>日本シリーズで西武に弱点を晒されてしまい、
93年日シリ成績:ハウエル
率.292 7安打 1本 3点
第一戦、工藤から先制3ラン
無安打は第三戦、第五戦のみ
ハウエルがいなかったら92年は阪神、93年は中日が優勝していた
野村は功労者に対して何の感謝もないな
そんな不義理な人間が『人として』なんて説けるのか? 野村は土橋とか草野とか地味で大人しそうな選手が好みだからね >>108
>監督としては長嶋と野村なら野村の方がマシなんじゃないの
長嶋監督は松井を育てたからな
四番育成1000日計画で素振りを徹底させた
野村の説法なんか1時間聞くより素振り1時間した方が遥かに上達する
野村より長嶋の方が指導者として遥か上 >>110
柳田、橋上、上坂、沖原
活躍しても目立たない、活躍したら監督の手柄になる選手が好きw
山崎武司は目立ったが、活躍したら野村が再生させたと持ち上げられるから好まれたw
逆に古田とかホージーとか活躍したら選手の方が称賛されるから野村は嫌っていたw ハウエルとハドラーはデシンセイが斡旋したバリバリの編成部案件で
マーフィーやバニスターやジョニーレイと違って沙知代ファミリーの懐に銭が入らなかったからな
ハドラーを切らせてバーフィールド()を獲りに行かせたのはその辺も一因だし
南海はブレイザールート、ヤクルトは編成部のおかげで良い外人が獲れてAクラス。だから阪神では…
土橋はあの見た目で大人しい扱いされてるが昔の印旛高だからな
実際には結果論で自分の手柄にこじつけられそうだから「ワシが育てた(大嘘)」と声高に吹聴しまくっただけで
稲葉と辻が揃い笘篠のポジションを完全に消せた時には関根一家の土橋も用済みになりかかったが辻の怪我でスタメン復帰
するといつものように後出しで「辻は土橋の手本にするために獲ったんや」と手下のマスコミを通じて喧伝
ハウエル
92年日シリ .133 2HR 4打点 16三振 2四死球
93年シーズン .288 28HR 88打点
93年日シリ .292 1HR 3打点 5三振 6四死球
秦が30本弱打てるとかたまんねえなぁ。野村でも優勝させられた強力打線がさらにヤバくなる >>111
シンキングベースボールなんてある程度心技体を突き詰めた強者が更に上に行くためのもの
だから既に完成品だったイケトラ古田ら擁するヤクルトとは噛み合った
一方弱者が基礎体力、技術の向上をすっ飛ばして、考えるだけで強者になれるわけがない
阪神はノムラの壮大な勘違い自己理論の実験台にされたようなもんだ ノムの遺産あつかいの桧山・矢野・赤星・井川だけど
桧山や矢野はノムの前からスタメンだったし当時の境遇に反骨心を持って努力した
赤星は新人王獲った即戦力
井川は上原の動画での話見ると自主練を相当やってた
阪神で成長できたのは一部の意識高い系だけなんだよな
駄目なチームを叩き直すとこまでは行ってない プラス部分がゼロとは言わんがマイナス部分が遥か上を行ってるわな
今岡、薮、大豊、北川の放出、愚息贔屓によるバッテリー育成遅延… 「最初の頃は、野村さんも褒めていたけど、1年目の途中から『非難』の段階に入ったのよ。
失敗した選手に『親の顔が見たい』とまでコメントした。阪神だから、大きく報じられるわけよ。
『もう野球をしたくない』という選手も出てきた」
“口撃”に滅入っていた今岡は2000年、開幕から精彩を欠いた。6月2日の広島戦、1点差の9回裏無死一塁の好機をバント併殺打で潰してしまう。すると翌日、田中秀太と入れ替わりで登録抹消になった。鳴尾浜球場で気落ちしながらバント練習を始めると、岡田二軍監督が声を掛けた。
〈お前は、バント要員やない。バットでレギュラーを獲るんや。そこは間違えるなよ。
ただし、バントの練習はいらないというわけやないで〉
今岡は嘘をつかず、本音で接する岡田に心を動かされた。
今岡は一軍に復帰するも、7月31日に再び登録抹消に。
二軍には打撃投手が少なく、岡田は炎天下で若手打者に毎日600球近くのボールを放っていた。
愚直な姿勢は今岡の心を動かした。
「岡田は二軍の試合が終わったら、ピッチャーやバッターの寸評を書いて、毎日野村さんにFAXを送ってたのよ。
何をテーマに臨んで、何ができて、何ができなかったのかを事細かにレポートしていた。
野村さんは最後の年、『岡田えらいな。的確な資料を送ってくれる』とコーチ会議の時に褒めていた。
岡田も野村さんに嫌われていると肌で感じていたと思うよ。でも、腐らずに自分の仕事をちゃんと遂行していた。
それが岡田なんよ」
https://number.bunshun.jp/articles/-/859440?page=1 野村ノート
阪神は02年のドラフトは妥協したと言われているが久保田を囲い込んで杉山なども獲得している
さらに03年には鳥谷を獲得した
こういった姿勢は今までの阪神には見られなかった
おそらく今後の阪神は大きく落ち込むことは無い
鳥谷獲得の方針は03年シーズン中には固まっており阪神は獲得競争で優位に立っていた
結局は星野が来た辺りからフロントの姿勢が変わったのが大きい
ノムさんが上げた選手3人とも05年優勝に戦力として貢献している
黄金期ヤクルトと同じでまず編成が第一 >>117
ピッチャー経験ない二軍監督が打撃投手…
そりゃ暗黒なるわ >>113
秦は左投手の時は使われなかったからフル出場してたら30近くいった可能性はある >>109
打点3は戦犯だろ
チャンスで打てない池山と変わらん BS Japanextの最新回#26で飯田哲也が「野村再生工場ではなく古田再生工場」と発言 土橋は千葉の高校野球のホームラン記録を持つ逸材なのに、無理矢理中距離打者にしたのが野村
投手だけじゃなくて野手まで潰すのが野村 再生工場と言えば聞こえはいいが、野村は若手を我慢して育成することができないから、既存の主力、ベテラン、外国人、トレードに頼ってるだけなんだけどな >>124
なんのインバか シオラシ街道えっちらおっちら >>120
苦手な左投手の時も打席に立っていたら調子を崩してもっと成績が悪かった可能性もある
出場試合が増えたら数字もその分だけ上がるという単純なものではないよ ハウエルは数字だけ見たら巨人でプチ復活してたけどな
野村がめんどくさかったじゃないか >>122
みんなそう言ってるw
アスリートアカデミア【岡崎郁 公式チャンネル】
【vol.2】現代野球を創ったのはノムさんじゃなくて古田敦也でしょ◆ 怪童ギャオス襲来 ★ 内藤尚行 ◆
内藤「ノムさんがオレが再生させさって言ってるけど、ほとんど古田さんやろってボク言いたいですもんね。」
「リードしたのは古田さんじゃないですか。フルさんすげーなって思ってましたもん。」
川上憲伸 カットボールチャンネル
【都市伝説】「球審を操る古田敦也○○は実在した」「呪われた憲伸カット恐怖のシナリオ」
川上「キャッチャー古田さんじゃないですか。世界一キャッチング上手いじゃないですか。」
「どう見てもボールなんですけど、こんな感じで(ボールゾーンからストライクゾーンへ上げるように)捕ると
審判ストライクって、こんなん絶対打てませんよ。」
川上「僕1年目、オールスターで古田さんに初めて受けてもらったんですよ。」
「古田さんキャッチング凄いじゃないですか。絶対ボールなのに上手くストライクになってたんですよ。」
「投げた本人わかるんですよ。あぁこれボールかなぁと思ってたら上手くキャッチングしてストライクって。」
「あぁヤクルトなぁ・・・野村監督が当時再生工場言うけど、これみんなボール球ストライクっていってないかなぁ?って」
「田畑さんボールですもん。」 確かに野村が去った後も高木、前田浩、入来、島田直也と再生投手が出ている
野手も高橋智、鈴木健あたりが復活
だが若松再生工場とは言われない >>131
宮本、稲葉、高津もスランプからの若松時代の再生組
しかし、若松監督以降の再生も「野村イズムが伝承されてる」とか
訳の分からないこじつけで野村のおかげにするノムシンカスゴミ 野村は記者にだけはめちゃめちゃ優しかったからだよ
塩対応の落合なんて話題にもあがらない メイがバラ撒いた野村批判のビラを見てみたかったなw
勝てば自分の手柄、負けたら選手のせいみたいなことが書かれていたらしいが
メイは二桁勝てる力があるピッチャーだっただけに本当に野村の再生能力が高いんなら
是非メイを上手く使ってほしかったもんだ 阪神時代、坪井にバスターのフリばっかさせて
スポイルしたのも忘れられんな
今岡 98年.293(吉田監督)→.252(小言縛り)→.212
坪井 98年.327→.304→.272(バスター縛り)
で、細々言う割には選球に無頓着で主力の四球数が揃ってかなり少なかった >〔江本孟紀〕
>2011年2月、野村監督は「孔子文化賞」を受賞した
>野村監督の名言や野球理論と論語で編集した著書『野村の実践「論語」』(小学館)を2010年11月に出版して、それが評価されてのことだ
>ところが、その授賞式で中国の記者から孔子のことを訊かれて、しどろもどろになってしまった
>孔子のことはよく知らないのだ。知らないけど知っているように見せるのがうまいだけ
>日本の記者はそのへんのことは承知していて気を使ってくれるが、事情を知らない中国の記者は突っ込んじゃったという
https://number.bunshun.jp/articles/-/856348?page=2
元ネタを知っていても知っていると言ってはいけない、明らかな誤読であっても訂正してはいけない
野村監督様に気をつかえずおべんちゃらを言えんような取材者はノムラ番記者クラブから締出される >>138
『論語読みの論語知らず』という言葉があるが、
野村の場合は『論語読みの孔子知らず』かw
「挨拶が大事」だの「野球人たる前に社会人たれ」だの講釈垂れるわりに
自分は挨拶もしない、遅刻はする、人の悪口は言う、ウソはつく、人の手柄を横取りする、不倫する、脱税する、、、
まさに行動が伴っていない 周防正行
「神宮での阪神戦(1999年6月5日)に行ったんですけど、その時にね、
バッティング・ゲージで野村さんがフリーバッティング見てる時に、挨拶しようとしたら、
あの人もなかなかむずかしい人で、『誰が来たんや』っていう目で見られて、
あとはプイって横向かれちゃった」
(若松勉、周防正行『ファンの皆様おめでとうございます』2002年4月)
※周防は国鉄時代からのスワローズファン。96年に『Shall we ダンス?』が大ヒットしたので
これに便乗したい野村の要求で97年のファンブックの巻頭対談に出てもらったことがあった
(98年には70年代からのスワローズファンだった羽田健太郎を同様に対談に呼ばせた) 野村克也“ヤジ将軍”宣言「ボンボン監督の致命的欠陥は口にあり」
2016.07.21 FLASH編集部
>「阪神をダメにしているのは担当記者の存在。
> 彼らは毎日1面で、阪神のネタを書かなければいけない。
> コメント欲しさに、選手の悪口は書けない。
> で、勝てば選手のおかげ、負ければ監督のせいとなる。結局、選手が甘やかされる。」
⇒とにかく負けたら他人のせい他人のせい他人のせい・・・
コメント欲しさに野村の悪口は書けない。
で、勝てば自分のおかげ、負けたら選手のせい。結局野村が甘やかされる。 野村克也“ヤジ将軍”宣言「ボンボン監督の致命的欠陥は口にあり」
2016.07.21 FLASH編集部
>阪神は大相撲同様、『タニマチ球団』なんだよ。一軍半レベルの選手でも夜の街でちやほやされる。
>遠征に行っても、夜ホテルにいるのは俺とマネージャーくらい。
>阪神の監督をやったのは、野球人生で最大の失敗だった(笑)。
⇒あれ?井川はホテルからほとんど外出せずゲームばかりしてたはずだが?w
また自分擁護のためのお得意の嘘八百ですか?w
何の役にも立たずに2億円の年俸を3年連続でもらったのだから野球人生で最大の成功なのでは?w
阪神球団にとっては最大の失敗だったがw >>141
勝てば選手のおかげ、負ければ監督のせいなのは当たり前!
落合もそう言っていた。 >>142
南海で高島屋とか宗教法人とか囲い込みして、ヤクルトで優勝するたびにフジテレビやタニマチと豪遊させ翌年低迷を繰り返した監督がいたんですがノムさんどうコメントしますか 90年日本シリーズ西武に4連敗を喫した巨人藤田監督の談話
「監督がヘボだから負けました」
99〜01年阪神3年連続最下位に沈んだ阪神野村監督の談話
「選手、フロント、スカウト、在阪マスコミ、球団OBがヘボだから負けました」
「2年後の優勝はワシが育てた選手と星野を推薦したおかげで勝ちました」 伊東勤が中日の球団体質を批判したら中にいて変えられなかった人が言うことじゃない、と軽く燃えてたが
野村の阪神批判はいいぞもっとやれだったのが謎 1996セリーグ開幕前日 ルーキー解説元阪神真弓明信古巣3位予想に本音 横のヤクルト野村監督ヤクルト5位予想
https://youtu.be/wBD0CghVF_o?t=35
――岡林、川崎の故障に続き前年13勝の石井が故障
野村「いなくなったら誰か出てくるもんで」
「あんまりいいのがいると育つチャンスが無いんですよ」
「どうも私はやり繰りする運命にあるみたいで」
久米「それがまた監督の腕の見せ所なわけですもんね」
野村ヤクルトって故障者の救世主で誰か若手育ってきたっけ?
即戦力のドラ1を犠牲に潰しながら勝ってきたイメージしか無い
しかもこれだけ潰しておいて「私はやり繰りする運命にある」って
岡林(右ひざ・右肩痛)、川崎(右ひじ疲労骨折)、石井(左肩痛)って
どう考えても酷使だろ
プロ野球の歴史上名将と呼ばれる中でダントツでピッチャー潰してるんじゃないか? 野村がヤクルト監督就任時に受け取った小谷謹製の若手三本柱
内藤(22歳:12勝5敗8S)加藤博(21歳:6勝9敗)川崎(19歳:4勝4敗、内2勝は天敵斎藤雅樹に投げ勝ったもの)
これを92年前半までに全部ブッ潰した。さらに物理的には壊さなかったが鈴木平(19歳:2勝、1完封)の芽も摘んだ
信者は「ノムさんの時の怪我人は優勝の為の崇高な犠牲で不可抗力!優勝争いもできないのに昭光を潰した関根とは違う!」
などとほざくが、実は昭光が右肩を壊したのは野村初年度の90年(89年は絶不調だっただけで14先発し101回2/3投げてた)
それこそ「優勝争いもできない」のにミンチにされた一場とかはいったい何なんだろうね
90年には西村(10勝7敗1S)91年には岡林(12勝6敗12S)と新人王級の即戦力を与えられたうえ
左腕不足解消の為に高卒を獲った92年でも日シリで学徒動員できるレベルだった特級素材のあのGMをもらえてて
大川や矢野や中本でやりくりしなきゃいけなかった80年代後半とは投手陣の層が段違い
93年は最終的にヤクルトと中日の優勝争いになったが双方の投手陣は
ヤ:岡林(25)西村(25)川崎(22)智仁(23)昭光(30)荒木(29)−高津(25)山田勉(25)
中:今中(22)山本昌(28)小松(34)鶴田(23)津野(28)佐藤秀(23)−郭源治(37)鹿島(32)
…どこをどうやったらWエースこそ傑出しているものの新旧交代期の真っ只中でどう見てもやりくりが苦しい中日ではなく
完成品の豪華なドラ1がズラリと並んだヤクルト投手陣の方を前半戦で破綻させてあっぷあっぷになるのか訳がわからない >>151
93年の山本昌はケガで一ヵ月離脱
そういえばヤクルトVS中日延長15回に内藤が
パウエル、落合、彦野を三者三振に切ったことあったな。
ヤクルト投手陣は酷使されながらも身を削ってよく投げたよ >>138
野村氏は「孔子の精神はリーダーにとって力になる。言葉の力ってすごいと思う」と熱弁。
「ボヤキの原点も孔子から?」との問いには「それは私が理想主義者で、
ギャップにはがゆさがあってボヤかされてるだけ。人間、生涯学習ですよ」と語った。
⇒でも孔子のことは知らんけどw
「野球の監督というのは毎日のように選手に説教をしなければならない。」
「言葉は大切なものです。孔子の言葉を借りたこともあった。」
⇒説教で責任を選手に擦り付けるためによく知らない孔子の言葉をパクったw
「野球選手は無知無学の世界だから、論語を入れると文章が光るじゃない。何冊か書く機会があったから」
⇒浅学、知ったかぶりでよく知らない孔子を引用w
読み手のノムシンも無知無学だからこの程度の奴らを騙すにはちょうど良いw 野村の実践「論語」(ノムシン)レビュー
Bitter and Sweet
5つ星のうち5.0
生前の評論家時代の口調を彷彿とさせる文章
最近、書かれた論語の本としては、ベストの本だと思う。
相当膨大な読書による知的バックボーンを持っていたことは、本書を読めば明らかだ。
k32315
5つ星のうち4.0
さすが野村監督。
さすが、野村監督、苦労人の説明は説得力があり、よく理解できました。
Hiroki Ochi
5つ星のうち5.0
まさに野村の実践論
「菜根譚」は読みごたえがありました。「論語」は少し無理な引用という印象がありましたが、読むに値する書です。
野村克也は余りに過小評価されていると思えます。マスコミも野球界ももっと彼を大事にして欲しいものです。
この人は名前や実績だけはないと思います。 野村の実践「論語」(ノムシン)レビュー2
おまる
5つ星のうち5.0
実感のこもったモダン『論語』
例えば、「先進第十一」という章にこんな言葉があります。
「子曰く、回や我を助くる者にあらず、わが言において説(よろこ)ばざるところなし」
この言葉は一般的に、孔子の高弟であった顔回の素直さを褒める言葉として読むことが多いです。
しかし、監督の読みは違います。「私の話すことをそっくり喜んで聞いているだけで、質問も提案もない。
(中略)時には反論してくれたらどうだろうね」
つまり、他人の言葉をただ受け容れるのではなくて、自分で考えて疑問を感じることが大切だと読む。
「ID野球」の第一人者たる野村監督らしい読み方だと思いました。
【正しい解説】
孔子のことばに対して、理解が進まず疑問を投げかけてくる弟子は、
孔子にとっては自身の成長の糧であるということです。
弟子との対話によって共に成長するという教育者・孔子の姿勢を確認できる章句です。
⇒野村もノムシンも誤解釈w
自分に都合のいいように流用しているだけw
野村なら自分が絶対的に正しく、自分の言葉を理解できない選手をバカ呼ばわりしそうw 野村の出した「プロ野球奇人変人列伝」という本で
「当時、打者に対して変則的な守備体系を初めて導入したのは私である。
1969年に首位打者を獲得した永淵洋三に対して内野手5人外野手2人の"永淵シフト"を考案した。」
と書いてあるらしいw >子曰「回也、非助我者也。於吾言無所不説」
「我を助けるに非ず」は孔安国・朱熹共に「(顔回は)私に閃きを与えるタイプではない」と解釈しており
八佾編の盛んに質問をぶつけて「予を起こす(私に閃きを与える)」タイプの子夏との対比になっている
なおこれより前の為政編では
>子曰「吾与回言終日、不違如愚。退而省其私、亦足以発。回也不愚」
ざっくり語釈すると「私が顔回と終日話していても全然質問をしないので馬鹿みたいに見えるが
その後の彼の私生活を見れば、私の話を十分に理解していることがよくわかる。彼は間違っても馬鹿じゃない」
つまりちゃんと『論語』の真っ当な解説書を自力で真面目に読んでいればこんな阿呆な「読み」はしない
マネージャーか誰かに書き下しを音読させて耳に残った語句に雑にコメント()をしてゴーストに筆記させてるのが見え見え
このノムラ流の珍解釈をしたり顔で言ったり書いたりして広めた馬鹿が余程いたのか
2016年の井波律子『完訳論語』ではわざわざ
「これは顔回への飽き足りなさを述べた言葉ではなく、ひとひねりした賛辞である」と解説が加えられている
これがゲス不倫前の野村なら『論語』を自分で読んでいてわからないことがあれば
素直に葉上照澄師(東京帝大卒、哲学科教授)のところに聞きに行ってきちんとした読み方と
俺が覚えてる程度のそこに書いたようなのよりもっと深いところまで織り込んだ解釈を講義してもらったんだろうけど >>156
『王シフト』が初めて行われたのは1964年5月5日、後楽園球場での巨人対広島ダブルヘッダーでの第二試合7回裏
永淵洋三の初出場・初打席:1968年4月6日、対西鉄ライオンズ1回戦(平和台球場)、12回表に吉沢岳男の代打として出場
『永淵シフト』どころか『永淵プロ初打席』が『王シフト』の4年も後w
大嘘どころか赤っ恥ww
もはや騙される方が悪いレベルwww 王のはマツダの社員がコンピューターで編み出したがノムのは頭で考えたと言いたいんだろうか 1964年の広島白石監督の王シフトは
当時その用語が無かっただけで
やってたことは今で言うセイバーメトリクス 野村克也の本格野球論
本物の野球はどこへ行った!
2014年7月31日 週刊ベースボールONLINE
野村克也が語る「内野5人シフト」
かつて王貞治(巨人)に対し、各球団が敷いた『王シフト』。これが変則シフトの始まりとされている。
しかし意外と知られていないのが、『王シフト』に先駆けて敷かれた『野村シフト』である。
あれは、阪急戦だった。(中略)当時阪急にいた、スペンサーが持ち込んだようだ。
プロ野球 奇人変人列伝
野村克也(著) 2017/7/31
いまでこそ、「王シフト」が知れわたっているが、当時、打者に対して変則的な守備体型を初めて導入したのは私である。
それが「永淵シフト」なのだ。
2014年の週べでは阪急が自分に対してシフトを敷いたのが最初と言っていたが
2017年の自著では自分が初めて守備シフトを導入したとすり替えているw
王シフトが1964年、永淵のプロ初打席が1968年、野村が監督に就任したのが1970年
これだけ時系列に差があり過ぎるのに平気でウソをつく野村と称賛するノムシンw まあ、通常最初の?なんとかシフトといえば広島の王シフトを連想するだろうなあ。 全部読んだわけではないが1980年代や1990年代に書いた野村の著書ではここまで話を盛って
なかった気がする。野村より年上の世代(鶴岡とか)が概ね鬼籍に入ってから話が膨らますようになったのかな。
クィック野村起源とか最初に言い出したのはいつからだろう。 90年代までは野球漫画でも普通に野村のサイン盗みを描いたりとか
野村批判は全然タブーじゃなかったからな
空気が一変したのは『野村ノート』以後 イチローとトレードでヤクルトに行ったとしても
性格的に合わない感じするから持て余しただろうな 野村の本なんてほとんど口述をライターがまとめただけだろ
だから本を何冊も読むと矛盾や違う話があってあれってなる ミィーティングなんて眠いだけと言い放つ新庄を四番にするならミィーティングなんてやめればいい
ミィーティングで勝つなら新庄は干さなければだめだろ
一事が万事こんな調子のご都合主義
辞めると決めたら若手は一切使わず主流投手はことごとく潰し手柄を次の監督に渡さないようにしていたように見える 各社から派遣されてきた記者から
「これはどう見ても鹿ではなく馬じゃありませんか」と言ってしまう者や
「王様は裸だ」と書いてしまう者を徹底的に弾いていく
これがノムラ流の「記者を育てる」テクニックで
生きのこった記者は「無形の力」を身につけて「野球に精通した記事」を書けるようになる >>160
紙と鉛筆のデータ解析だからたかが知れてるだろう。
古田も他球団のデータとたいして変わらないと言ってるし >>166
野村は土井の劣化版だから流し打ちを強要して
才能を潰していただろう >>165
やくみつるの野球風刺もノムネタいっぱいあったはず マスコミの報道を真に受ける人が多すぎるんよ。やはり流行や世論はマスコミが作るものよ。
(このスレとは直接関係ないが、)佳子様が公務を行ったというニュースに誹謗中傷紛いのコメントが殺到してるのを見て思った。 野球選手は野球バカだと言われことが度々あるが
マスコミはもっとバカが多いのだろうな
マスコミのバカ報道をヤクルトOBが丁寧に訂正しているからな >チームの守護神が勝利の直後、「バーカ、タコ!」の暴言を口にする事件が起きたのが、1999年5月26日の横浜対ヤクルトである。
>4対3とリードの横浜は9回、満を持して“大魔神”佐々木主浩をマウンドに送った。
>だが、この日の佐々木はどこか投げにくそうで、先頭の宮本慎也を四球で歩かせてしまう。
>さらに2死二塁から真中満に右前同点タイムリーを献上する
>ここまで13球のすべてが直球で、“伝家の宝刀”フォークはゼロ。
>捕手・谷繁元信は「ここは配球を読んでくることもあるから」と説明し、
>佐々木もヤクルトの一塁コーチ(渡辺進)が打者に球種を伝達しているのではないかと気にしている様子だった。
>この回を1失点で切り抜けた佐々木は、再び1点を勝ち越した延長10回裏を3者凡退に切って取り、勝利投手になったが、
>直後、相手ベンチに向かって「バーカ、タコ!」と暴言を浴びせた。さらに報道陣にも「やってられない。日本の野球はつまらない」と不満をあらわにした。
>直球とフォークで勝負する佐々木だけに、2分の1の確率で球種を盗まれることに対して、ナーバスになっていたようだ。
>自著『大魔神伝』(集英社)でも「確かに暴言だった。言い方にしても、品位を疑われてもしかたがない。
>横浜、ヤクルトの両球団に迷惑をかけたことも、お詫びしたい。
>ただ、何と言われようと、抗議したことそのものは、今でも正しいと思う」と主張している。
>これに対し、ヤクルト・若松勉監督は「してませんよ」と否定し、問題もそれ以上論議されることはなかった。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/05011650/?all=1&page=2
前年(98年)の野村のサイン盗みが尾を引いてこうなった(権藤と佐々木の抗議をフジサンケイを使って鎮圧)
実際この時渡辺進が若松の意志を弁えずフェイントを気取ってチョロチョロ動いていたのは事実で前年の件から佐々木が激怒するのも仕方ない
まあ監督が若松だったので佐々木もすぐに矛を収めてくれたが、故意死球問題といい若松は本当に野村の負の遺産に悩まされ続けた >>176
駒田かよw
まあ当時は駒田もこの中にいたが 勿論野村は阪神でもサイン盗みをやり続けていた
>>52(この直後の6月4日の対ヤクルト戦) >>176
野村「若い人があれだけチヤホヤされると調子に乗るんでしょうな。人の噂を信じてああいうことを言う。野球バカもいいところだ」
「軽率以前の問題。非常識極まります」
「ユニホームを脱いだら、ただの大男のバカだよ」 自分がサイン盗みを疑うのはOK。でも他人から疑われるのは許せない!
――1998年オフ、当時ダイエーのスパイ行為疑惑を契機に禁止事項が明文化された。
野村「サイン盗みは技術のひとつ」
――『デッチ人生20年 ゼニのとれる人間になれ』 1973年8月
野村「サイン盗みの開拓者は三原監督である。」
――1973年日本シリーズ惨敗
野村「巨人のサイン盗みにやられた」
――『危機管理としての野球論 敵は我に在り』 1980年8月
野村「サイン盗みを最初にやったのは、V9時代の巨人だった。」
――『野球はアタマでやるもんだ』 1985年
野村「スパイ作戦で名を馳せたのは阪急である。」
――1985年阪神日本一
野村「阪神は時代遅れのサイン盗みで優勝した」
――1992年日本シリーズ前監督会議
野村「おい森!サイン盗みするなよ!」 佐々木主浩(1998年)
「ヤクルトからトレードで来た人(新井潔)がやっているって言っている」
対談 山下大輔−中根仁(2022.9.25 プロ野球OBクラブチャンネル)
https://www.youtube.com/watch?v=Bx9lVm9ZNAE
中根「(マシンガン打線は)ピッチャーの癖なんかほとんど見ないで『余計なこと言わないでください』っていうバッターばっかりですよ
そういう余計な真っ直ぐどうのこうのとかやめてくださいよって、(球種教えられると)こんなとこ(クソボール)振っちゃうっていう
でも相手からするとすごく打つから、もう『覗いてんじゃないか?』ってよく言われましたよね、『サイン盗みしてんじゃねえか?』『絶対やってるよ』とか」
山下「割と(サイン盗みを)やってるようなチームのキャッチャー(古田)とかは聞くんだよな」
中根「そう思いますね」
山下「そういうふうに『やってんじゃないの』って?」
中根「そういうところにね…」
山下「そういう確証は無いけどね」
司会「聞いていいんですか?気になるのはどのチームがそういうのしてたんですか?」
山下「あると思うんだけど、確証っていうか、その、そこに、チームにいた人とかから聞いてるから
まあ自分が言うことではないかと思うしね。うん。でもやってた事実はあったということは聞いています」
横浜大洋絡みで一つ付け加えておくと
1979年に南海から大洋へ移籍した佐藤道郎が試合中にベンチからとりとめのない野次を飛ばしていたら
サイン盗みが大嫌いな別当監督に怒られた(野村式の覗き情報伝達を連想させる行為のため)という話もある 以前「倶楽部紳助」というテレビ番組に門田博光さんが出て語ったこと
「当時の監督はサインを盗み、打者の尻に受信機をしこんで尻に刺激を与えて球種を知らせていた。」
「私はそれが嫌で使わなかったので、監督に睨まれたが、打者として成長するには使わなかったのが良かったと思う。」
「その装置で打っていた選手は大成しなかった。』
東尾修
「当時、南海ヘッドコーチのドン・ブレイザーが相手のサインを見破るなどしていたが、門田さんはそれを物凄く嫌がった。」
「自分の感性を信じて打席に入っていたんだろう。」 >(長池徳二は)1990年秋と翌年春のキャンプで野村克也監督の要請に応えて臨時コーチに。その後、「うちのユニホーム着んか」と言われたが、丁重に辞退したという。
>育ち盛りで楽しみな選手が多く、特に古田については「理解力があり器用で教えやすいタイプ。機転が利いて何でも自分流にアレンジするのがうまかった」と絶賛。
>野村監督から「カーブを打てるようにしてやってくれ」と頼まれたが、「カーブを打てないのは速い球が打てないから」と言い切り、内角の速球を打ち返す打撃をマスターさせたという。
>野村さんに“オレのグチを聞いてくれるだけでいいから”と言われてね。僕は聞き上手じゃないから“オレの働く場所じゃないな”と思ったんですよ」
>サッチーの影がチラついたのもある。
https://www.daily.co.jp/baseball/2024/03/05/0017396286.shtml
これは「グチの聞き役として一人だけ連れて行く」ということで野村が連れて来たはずの高畠が粛清された直後の話
野村に最も誠実に仕えてきた高畠ですら沙知代にあんなメに遭わされたのに鶴岡色の強い長池がどうなるかは火を見るより明らかだったしな
これより先、野村は高畠の後釜として松井優典のコーチ就任を要求したが相馬社長・田口代表に一蹴されていて
かわりに出した長池ヘッドコーチ案は相馬と田口も承認したが、上記の長池本人の証言通り逃げられて頓挫したので
丸山完二がヘッドコーチに任命されて沙知代の現場介入監視に従事し、そこから3年間(91〜93)は連続Aクラス
なお前年の相馬退任により野村が人事権を獲得し丸山の抑止力が低下した94年は即最下位寸前まで堕ち以後も隔年でBクラスに沈むのが恒例に 結局古田は野村に何を教わったんだ?
■守備、キャッチング、ワンバウンド捕球
⇒アマチュア時代から定評があり既に出来上がっていた
⇒セリーグ史上初のルーキー年にゴールデングラブ賞
⇒そもそも現役時代下手くそだった野村に教える能力がない
■バッティング
⇒社会人日本選手権で2試合連続ホーマーを放つなどプロ入り前年は公式戦11発(打数110)
⇒長池臨時コーチに教わってさらに覚醒
⇒落合のバッティングを参考に独自に取り入れた
■リード
⇒社会人時代の負けられないトーナメント戦(都市対抗、オリンピック)を戦った経験豊富な25歳即戦力捕手
⇒困ったときにベンチを見て監督にサインを要求してもよそ見して無視(自分の責任回避w)
⇒ゲーム後のミーティングは一度もなし(配球を記憶していないw)
⇒他球団と変らないデータ野球
⇒ビデオ置かれて『おまえ見とけ』
⇒結果論で叱責(しかも間違いw)
野村監督「そこはスライダーだろ!ボケ!」
古田敦也「(今、スライダー打たれたんだけどなぁ・・・)」
◇結論:古田は野村から何も教わっていない。独自に成長した。 土橋は関根監督のような三振100個やるから思い切り振ってこいという指導されてたらホームラン応じ取れてたかもな >>157
ただ名将の冠が欲しいがために生半可な知識でパクってるだけだから誤解釈をする
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」も典型例
《本来の意味》
「道理にあった技を繰り出していれば本人がそれと自覚していなくても勝つ」
「負けたときは、技が道理に合っていないのが理由であり、その理由は反省すれば分かるものである」
『他人の受け売り』"浅学"野村によって「勝ちに不思議な・・・」の誤解釈が世に広まった
東進ハイスクールのブログより
>この言葉は阪神タイガースでも監督を務めた野村克也さんの言葉です!
>勝つ時には不思議な勝ちが舞い込んできて、負ける時には負けるなりの理由があって負けるという意味です!!
「人と組織が成長する経営」 Blogより
>「負けるときは、負けにつながる必然的な要因がある(不思議な点はない)」
>しかし、「勝つときには、(どうして勝ったのかどうも思い当たらないという)不思議な勝ちがある」ということである。
浦和南高校 保護者向け教育情報 校長通信より
>負けるときは、負けにつながる必然的な要因があるが、
>どうして勝ったのかどうも思い当たらないという不思議な勝ちがあるということです。
不思議な勝ちが
「本人の自覚がなくても道理に合っていれば勝つ」
という本来の意味が
「何で勝ったかわからない」
と意味が薄っぺらくなって世間に流布させた 突き刺さるブーメランwww
tab********
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「後日、条件面をすり合わせて、3年契約で引き受けることにした。新規球団の戦力は乏しくなる。
「これはもう100%最下位を食らう。その監督をやるわけですから、田尾は能力がないな、と見られるだろうな。
そこは覚悟しないといけない。でも誰かがやる仕事なのでね」。」
連載中、「田尾は楽天で結果を残せなかった」とネチネチ言う輩がいっぱいいたが、ここをよく読んどけよ。
田尾は直言居士で人に煙たがられるかもしれないが、
外野でネチネタ言う輩より、男気というものをちゃんと行動で示した。
rem***
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その田尾が一番ネチネチ言ってるんだが。
atz********
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3年やって連続最下位なら無能と評価されても仕方ないが、
打てないはまだしも投げる投手がいなくて試合を終わらせることに四苦八苦していた楽天の1年目だけでクビは、
負けた責任を田尾さんになすりつける球団の作戦とも思います。
高校野球ならコールドゲームで終わるような惨めな試合をプロでお金を取って
最後までお客さんに見せる辛い監督をやる人はなかなか居ませんよ。 田尾がまだ楽天で指揮を取ってる時に
三木谷と食事に行って田尾のネガキャンに励んでた野村wwwww ノムシンエクスキューショナー、ヤフコメでのノムシン退治を行います。 >>156
この本ひでぇなw
ほぼ人の悪口w
こいつ親から他人の悪口を言ってはいけませんと教わらなかったのか?w
プロ野球 奇人変人列伝
野村克也(著) 2017/7/31
人の話を絶対に聞かないへそ曲がり 門田博光
球界では有名な「どケチ」 古田敦也
徹底した利己主義者 鈴木啓示
野球学がまったくない軍隊式指導者 鶴岡一人
巨人三大ケチの筆頭 森祇晶
阪神らしさ満載の幼稚な変人選手 今岡誠
近鉄的な利己主義選手 岩隈久志
人並み外れた自己顕示欲 伊原春樹
読者レビュー
けふぶみ
5つ星のうち4.0 野村監督らしい、観察力の鋭さ!
2022年5月13日に日本でレビュー済み
野村さんらしい、観察力と文章力の冴えた著作と思います。
モラエス饅頭
5つ星のうち4.0 若いビジネスマンにも読んで欲しい
奇人変人でも、引退後は監督になって成功した人がいる。
一方でダメだった人もいるわけで、その理由を独自の観察眼で分析している。
現役時代の寄人ぶりよりそちらのほうが面白い。これから部下を持つビジネスマンにも読んで欲しい。
⇒ノムシン読者レビューも頭悪いわ。。。w 伊原春樹「森監督にはご馳走になったことあるけど、野村さんには一回もご馳走になったことがない。」
https://youtu.be/ZjkigC5jPME?t=759
球界一のケチは野村w
なんせ脱税までするくらいの国賊だからw ケチで徹底した利己主義者はまさしく野村克也そのもの
チームのため=ワシの手柄のために投手生命を捧げさせる極悪人 仰木監督や権藤監督が称賛されるとひねくれるへそ曲がり 野村克也
部下に奢ったこともない、税金を誤魔化す球界で有名な「どケチ」 野村克也
勝てば自分の手柄、負ければ選手のせいにする徹底した利己主義者 野村克也
ピッチャーを酷使し特攻させる軍隊式指導者 野村克也
阪神で3年連続最下位になったのをすべて他人のせいにする幼稚な変人監督 野村克也
他人が考案した戦術をすべて自分が考案したと主張する人並み外れた自己顕示欲 野村克也 >>195
食料品店経営者だった父親は戦死。病弱であまり働けない母親との母子家庭で育った。
まともな家庭に育ったとは言えない。
兄から人生選択に関して示唆を受けたこともあるようだが、それも的確だったかどうか疑問。
(兄は南海入団に疑問を呈していたが、南海で成功) 別にこっちはアンチってわけじゃないのよ
能無さんのこういうところおかしくない?
嘘じゃないの?って言ってるだけで 岡林や伊藤智や内藤、西村など野村に潰された投手はいったいいくら損したのかな >>203
ノムシン、ノムがいろいろとしたソースまだ? >>203
ノムシン、大嘘ソース持ってこいよ!また論破してやるぞって ◎野村信者による田尾の扱いの変遷
(2005〜2012)優勝前
「ド素人の田尾がどうにもできなかった100敗寸前のチームを史上最高の名将ノムさんが一人前のプロチームに育ててやった!」
(2013〜2022)星野日本一後
「星野は野村遺産と金で勝っただけの手柄泥棒!ノムさんや田尾『さん』の時は全然フロントが金を出さなかった!」
(2023〜)安楽事件で野村石井派がズタボロになり、広野功ら証言で初年度の沙知代の乗っ取り工作が次々と明るみに
「田尾はいつまでグチグチ言ってるんだみっともない!お前がダメにしたチームをノムさんが育ててやったんだぞ!」
ごく一部の選手(山崎武・渡辺直)以外から総スカンをくらい、沙知代の不透明なカネの流れを河北新報に突かれて
契約を更新してもらえなかったことを野村は死ぬまで、信者共は現在進行形でグチグチグチグチ恨み言を言い続けているよなぁ
ここに来て初年度の沙知代による乗っ取り工作の具体的な状況の証言が相次いで記事化されてしまったもんだから
「野村は三木谷と星野の被害者」という虚構が維持できなくなってしまっている >>207
そのごく一部の信者がたちが野村をよく言うのが困る 43 神様仏様名無し様 2024/05/07(火) 12:08:33.58 ID:s/aWSEqP
戦力的に疲弊してた末期で連覇したのは落合の優れた手腕を明確に現している
でもチームの未来を全捨てした連覇でもあった落合は自分の時代がよければそれで良いからそれが出来る
星野はチームの勝利も大事だがまずチームを作るってのを大事にしてたと中田スカウトは言ってる
解からない馬鹿が星野は11年で2回しか優勝してない!とか身の程知らずなことを言ってる
誰が高木政権や本当に強かった黄金期前半の選手を揃えたと思ってるのかね
「時代錯誤だよ常勝を目指すのは良いそれに縛られたら目先の1勝しか考えられなくなってしまう」
「毎年優勝なんて言ってたら若いこれからの選手を思い切って使うなんて出来なくなっちゃうだろ」
「あのチーム(巨人)何時までそんなことを言ってるのかね」
衣笠祥雄 最後のシーズンという本にある88年優勝直後の取材で星野はこう言ってる
まんまこれは落合政権のことだ 自分の時代だけが強ければいい
目先の1勝のために若手の芽を摘み投手を潰す
野村のことでもあるな >>210
なんやこいつ
言いたいことがあるならちゃんと自分の言葉でいえやチキンかよ
ノムさんや田尾さんの時は全然フロントが金を出さなかった!
田尾はともかく09年と13年の年俸は2億しか違わないんだよね
岩隈が21勝した年の5位といい単純にノムさんは自分で戦力を揃えることをしない出来ない差でしかない >>210
>>211
スマンよく見てなかった野村批判に引用してたのか
野村も落合もフロントがバックアップする体制が最初から整っていて前任の遺産があるって良い時に就任して
それ以外では監督としては結果を出してないとこは共通
野村は呑気に阪神の監督をやってしまったが落合は最後まで自分の評判を落とす立ち回りはしないであろう点は賢い 田尾が山崎を誘って指導し復活させたから野村の時に主軸として置けたのに
何を言ってるんだろうな ――西岡三四郎について
野村「ワシが捕手でリードしているから勝てているだけで他のチームに行ったら勝てないくせに
自らトレード志願をして移籍し、案の定まったく活躍できなかった。」
南海在籍時の1974年に肩痛で既に勝てなくなっていた。
志願トレードではなく江本と一緒に沙知代の現場介入への抗議をしに行ってトレードに出された。
あいも変わらず自分に都合よく話を捏造しまくりw
こいついくらでもウソ話、作り話が湧いてくるわw >>212
でも、サッチーのやりたい放題を考えるとむしろノム時代の方が金はかかっていたのでは?
サッチーが半額でもいいから続投させて欲しいは大嘘と思うけど。ノム以上にサッチーが邪魔だったと思う。 実力があるのに監督に干されて腐ってる選手や守る場所を取られたベテランを呼んできて再生なんて皆やってることだろ
トレードなんてそのためにあるんだから 平成以降で2001年の阪神打線って最弱らしいわ
野村の3年目だね さすが >>220
おまえが負けたの
そんなこともわからないの?
脳みそ腐ってんの? >>220
ノムシン、大嘘ソース持って来いや!いつでも論破してやるぞ。 >>214
>>215
田尾はとてもいい仕事したよね、ああいう生まれ方したチームの初年度にさすがに勝敗は誰も期待してなかったけど、落ちてた選手をしっかりチームの軸になるものとして残してったんだから 楽天最終年2位をあれだけ威張り散らかしてるクセに
阪神最終年最下位(というか全部だけどw)の非を頑なに認めない
ノムシンさんおかしいと思わない? ノムシンに説明義務がある前スレまでの宿題@
『金本が連続試合出場記録を達成したのはノムさんのおかげ』→言うまでもなく、三村さん、山本浩二さん、星野さんのおかげ。
『ノムさんと金本が伊藤智仁の話で意気投合したから両者は仲が良い』
→金本「星野さんに呼ばれなければ、阪神には行かなかった。阪神の2003年の優勝はノムさんとは無関係」
『ストッパーの起源は江夏』→言うまでもなく宮田。
『井川と田中マー君は野村監督じゃなかったら育たなかった』→井川と田中が進化したのは星野が佐藤投手コーチのフォーム改造を許可したから。
『今岡が覚醒したのはノムさんがコンバートしたおかげ』→今岡はYouTubeで「配給論は結果論」と今でもノムディスり。 ノムシンに説明義務がある前スレまでの宿題2
『古田の盗塁阻止率が高いのはノムさんが手取り足取り教えたから』→古田はディフェンス面はアマチュア時代から一級品。古田「あの人はいつも結果論だから気にしない」
『ノムさんがいなければ古田、稲葉、赤星はプロにすらなれなかった』→古田は片岡スカウトの手柄を泥棒、稲葉は小川スカウトの手柄を泥棒、赤星は菊地スカウトの手柄を泥棒。
『杉浦のカーブは誰も捕れないからノムさんの捕逸が多いのは仕方ない』→ノムのキャッチングが下手くそなだけ。
『96年オリックスが巨人を倒して日本一になったのはノムさんのおかげ』→仰木野球=三原野球の野武士野球は反野村野球の象徴。
『銀次は野村が指導した』→銀次「僕は2軍だったので野村監督には全く指導受けてません」「僕は星野チルドレンです。配給は読みません。魂で打ちます」 ノムシンに説明義務がある前スレまでの宿題3
『野村が潮崎のシンカーの投げ方を高津に教えた』→高津は潮崎から直接効いた。
『ヤクルトはケチ球団だったから1.5億のハウエルを切って1.75億のオマリーを拾った』→ヤクルト球団がオマリーを再生できると思っただけ。
『野村監督の時に新庄がキャリアハイだったのはノムさんのおかげ』→柏原打撃コーチの依怙贔屓のおかげ。
『星野監督の時に井川、赤星がキャリアハイだったのはノムさんのおかげ』→井川はカツノリ専任捕手で潰れかけた。赤星はノムの阪神時代にガッカリしたと言っている。
『岡田監督の時に濱中、藤川球児がキャリアハイだったのはノムさんのおかげ』→ノム「高知で3番目のピッチャー取りやがって」
『ノムさんが贔屓なんてするわけない』→カツノリスタメン、矢野ベンチ。藪のコラムより「カツノリがスタメンの時点で先発のテンションが下がった。矢野との実力差が歴然なのに、あれで勝てるわけがない」
『野村野球とは「無形の力」だ!』→「無形の力」とは何かを説明できない。
下等ノムシンども、嘘捏造ソース持って来いや!いつでも論破してやるぞ! 野村は大学出を嫌ってたとかそういう話が出て来てるが
そういうことから判断して本当に高橋由伸はヤクルトを希望を
してたのか?
アンチ巨人の嘘なんじゃないか? ヤクルト野村再生工場の再生率
90年 金沢(日)△、川村(西)△
91年 清家(西)×、広瀬(西)×、石橋(洋)×、山中(オ)×
92年 角(日)△、新浦(ダ)×
93年 森(オ)×、金森(阪)△、
94年 柳田(ダ)×、大野(巨)△、坂口(日)×、広永(ダ)△
95年 山内(オ)×、青柳(ロ)△、山口(阪)×、池田(ダ)×、
96年 北原(西)×、辻(西)◎、田畑(ダ)◎、木下(近)×、佐藤(ダ)×→〇※若松監督の下で再生
97年 小早川(広)〇、廣田(ダ)〇、野中(中)〇、伊藤(ロ)×、佐藤(広)×、野林(近)×、馬場(オ)△、岩崎(オ)×
98年 上原(広)×、白井(広)×、阿部(巨)×、渡辺久(西)×、城石(日)×→〇※、松田(ダ)×→〇※、高木(ダ)×→〇※
※若松監督の下で再生
×:25(65.8%)
△:8(21.1%)
〇:3(7.9%)
◎:2(5.3%)
全38人中、〇以上がたった5人(13.2%)
(10勝投手1人、3割打者1人、開幕3本塁打1人、リリーフ2人・・・)
ちなみに再生工場の中で規定打席数に到達したのは96年の辻のみ
規定投球回に到達したのは96, 97年の田畑のみ
こんなわずか1割ちょっとの再生率でも再生工場と呼ばれるなんて甘やかしすぎw まあ元々それなりの戦力を編成部が持ってくることが前提だよな
そんな感じの再生工場だけでなんとかなるわけがない 若手を使いたくないからある程度計算できるベテランに頼っていただけ
目先の自分の利益だけを追うエゴの塊 野村が恐れてたのは抜擢した若手が伸びなかった場合、単純に試合に勝てなくなるのと、見誤ったと言われること
名将と言われたくて仕方がないがら目先の勝ちだけを求める 野村が大卒を嫌った説の根拠は栗山と苫篠を使わなかったのが根拠らしいが、栗山本人は病気で全く打てなくなったのが原因と言っているし、苫篠は野村に反抗したのを根に持たれたらしい
古田や広沢は重用したので、この説が正しいかどうかは微妙 >>243
ソース合戦で大嘘ソースしか出せなかったのが全て論破されて惨敗のノムシンはもはや遠くからヤジることしか出来なくなった。 >>243
こいつ殴られ過ぎてとうとう文字まで読めなくなっちまったかwww
しかも書き込む時間は平日昼間か深夜というゴミニートノムシンwww 今岡を二塁や三塁にコンバートしたのは野村
野村の指導で開花したわけではない事は承知だが、コンバートがきっかけで開花したのは事実
99年も01年も丸1年間試合に出てて野村から干されたりもしていない
広い意味では野村遺産と言ってよい ロッテ時代に外野手のミューレンを内野手にコンバートしたのも野村
ミューレンもコンバートして30発近く打った
このコンバートは川上巨人を彷彿とさせる
川上監督も長嶋引退後に高田繁を外野手から三塁にコンバートしてたし
やはり川上の影響か ミューレンといえば俺の中では打撃より異常な肩の強さ