野村がヤクルト監督就任時に受け取った小谷謹製の若手三本柱
内藤(22歳:12勝5敗8S)加藤博(21歳:6勝9敗)川崎(19歳:4勝4敗、内2勝は天敵斎藤雅樹に投げ勝ったもの)
これを92年前半までに全部ブッ潰した。さらに物理的には壊さなかったが鈴木平(19歳:2勝、1完封)の芽も摘んだ
信者は「ノムさんの時の怪我人は優勝の為の崇高な犠牲で不可抗力!優勝争いもできないのに昭光を潰した関根とは違う!」
などとほざくが、実は昭光が右肩を壊したのは野村初年度の90年(89年は絶不調だっただけで14先発し101回2/3投げてた)
それこそ「優勝争いもできない」のにミンチにされた一場とかはいったい何なんだろうね

90年には西村(10勝7敗1S)91年には岡林(12勝6敗12S)と新人王級の即戦力を与えられたうえ
左腕不足解消の為に高卒を獲った92年でも日シリで学徒動員できるレベルだった特級素材のあのGMをもらえてて
大川や矢野や中本でやりくりしなきゃいけなかった80年代後半とは投手陣の層が段違い

93年は最終的にヤクルトと中日の優勝争いになったが双方の投手陣は
ヤ:岡林(25)西村(25)川崎(22)智仁(23)昭光(30)荒木(29)−高津(25)山田勉(25)
中:今中(22)山本昌(28)小松(34)鶴田(23)津野(28)佐藤秀(23)−郭源治(37)鹿島(32)
…どこをどうやったらWエースこそ傑出しているものの新旧交代期の真っ只中でどう見てもやりくりが苦しい中日ではなく
完成品の豪華なドラ1がズラリと並んだヤクルト投手陣の方を前半戦で破綻させてあっぷあっぷになるのか訳がわからない