野村の嘘話や作り話を上げていくスレ19
清原が薬で逮捕されたとき
最初の監督の森が悪いと野村は言ったが
自分が監督やったスワローズで脱税の有罪者が出てるんだが
どんな人間教育をやっていたのか ノムラ的価値観では
茶髪長髪は人間疾患だけど
不倫脱税はむしろ「人間味を感じさせる」美徳 2000年代前半は染髪が多くてその後減っていったけど最近また増えてきた印象
髙橋光成や今井なんかは野村が生きていたらボロカスに言われてそう >>2
清原は西武のような常勝チームでコーチや先輩が厳しかったから
ルーキーからあれだけの成績を残せた。
試合前に50mのタイムを測っている西武と
試合前にゲームや将棋で遊んでるヤクルトでは
えらい違い。
あと、清原は一年目に三割30本塁打打ったが
前半は成績が悪かった。
森監督が我慢して使い続けたおかげ。
野村だったら我慢できず片平晋作を起用していただろう。 遊びを放置したから、功罪相半ばといったところか。
一応二千本超えてるけど通算成績はどちらかといえば平凡。
事実上、ノンタイトルだし。
もっとも巨人へ行った桑田も二百勝いかなかったんだよな。 森が好まれてなかったという事だけなのかもしれないが
野村のほかにも最初の監督の森がよく教えてなかったからとか言うの結構いたんだよな
けれど
小川博の時は最初の監督の稲尾が悪いとか
中山裕章の時も最初の監督の近藤が悪いとか言うのいなかったし
何で清原は森が悪いと言ってもらえるんだろうと ノムならまともになった!→南海時代を見てれば清原なんかタニマチに差し出してさらに極悪にしていたんじゃ >>6
いやいや
2000安打、500本塁打、1500打点はたった六人しかいないぞ!
あと、リーグ優勝10回、日本一8回達成した四番打者だからな。
数字は立派だがチームの勝利に貢献していない落合とは雲泥の差
それに88年中日が優勝したときの落合の成績は三割打ってないし平凡だった。
清原が野村の下だったら成績はもっと下がって
優勝回数も減ってそれこそ平凡なバッターになっていただろう。 ここ清原ファンスレじゃないんでこれ以上は当該スレでどうぞ
シャブ中なんか不倫脱税以下やんけ T−岡田の複雑な胸中「やっぱりおもんないっすよ」 昨年0本塁打の元キングが今季にかける思い
4/1(月) webスポルティーバ
>34歳で中日最後の年となった2002年シーズンの本塁打は2本だった。
>36歳でオリックスを退団した2004年も4本。多くの人は「ここまでか......」と思ったことだろう。
>それが楽天に移り、野村克也と出会い、頭と技術が改革され39歳で43本塁打。見事な再生だった。
『37歳で楽天に移籍した2005年に田尾監督のもとで打撃改造し25本塁打』が抜けていますが??
田尾の「田」の字も出てこない見事な印象操作w 球界に”衝撃”…まさかの退団となった大物(3)引退熟考から”ホームラン王”に
4/5(金) ベースボールチャンネル
>引退も考えたと言われていた中、2005年から新設された東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。
>すると、イーグルス在籍3年目にキャリアハイの43本塁打を放ち、本塁打王のタイトルを獲得した。
>野村克也のもとで蘇った山アは、2009年のCS(クライマックスシリーズ)でも仙台で本塁打を放った。
>ダイヤモンドを一周し、野村監督と抱擁した瞬間はイーグルスファンの脳裏に深く焼き付いているはずである。
楽天移籍1年目のことは完全スルーw
田尾の「田」の字も出てこない見事な印象操作w ◎ノムラ野球と血液型占い
→日頃から「捕手は一にも二にも(自分と同じ)B型が理想的」と教えを説いていた
→相手チームの捕手の血液型が(自分と同じ)B型と知ると「なるほど、B型っぽい配球をしてくるな」と妙に納得していた
→楽天時代、井野卓を一軍に上げようとコーチ陣が推薦したところ野村に一蹴されたが、コーチに「井野はB型です」と言われると考えこんだ
(橋上秀樹『野村の「監督ミーティング」』2010年) NPB史上屈指の強打の捕手だった阿部慎之助と城島健司はともにA型だったんだけどな
だから野無惨は二人を酷評してたのか? >>6
清原は勝利打点1位というのはあった。西武時代の1988年、この年日本一。
中日との日本シリーズでは元西武でこの年リーグ最多勝の小野和幸から場外ホームランを打って早々とシリーズの流れを決めている。
そうした方面での存在感はあった。個人的には勝利打点1位というのは気に入ってるけど。 野村がリードとかよく言うようになったのは
キャッチングや二塁迄の盗塁阻止はあんまり自信はなかったからでは >>2
清原は西武のような常勝チームでコーチや先輩が厳しかったから
ルーキーからあれだけの成績を残せた。
試合前に50mのタイムを測っている西武と
試合前にゲームや将棋で遊んでるヤクルトでは
えらい違い。
あと、清原は一年目に三割30本塁打打ったが
前半は成績が悪かった。
森監督が我慢して使い続けたおかげ。
野村だったら我慢できず片平晋作を起用していただろう。 >>20
そもそも二塁までボールが届かなかった。江本とバッテリーを組み始めた1972年頃、既にそう。 上の動画のように野村の前でイチローは普通に試合出てるね。本の内容と矛盾する。 教えてノムさん
・4番打者を育てられないのはなぜですか?
⇒遠くに飛ばすのは才能だから仕方ない。私の指導でどうにかなるものではない
・エースを育てられないのはなぜですか?
⇒速い球を投げるのは才能だから仕方ない。私の指導でどうにかなるものではない。
・俊足の1番打者を育てられないのはなぜですか?
⇒足の速さの天性の物だから、私の指導でどうにかなるものではない
・強肩の捕手を育てられないのはなぜですか?
⇒肩の強さは天性の物だから仕方ない。私の指導でどうにかなるものではない。
・頭脳派の捕手を育てられないのはなぜですか?
⇒中学時代の成績が悪い人間には難しい。私の指導でどうにかなるものではない
・守備の上手い内野手を育てられないのはなぜですか?
⇒守備は先天的なセンスが肝要。私の指導でどうにかなるものではない。
こんなのばかりだからな
結局のところ、野村に育成できるのは8番打者とワンポイント専門の左投手だけ
大駒は育てられず、チームの枝葉的な立ち位置の選手しか育てられない 「ノムさんが阪神で三年連続最下位になってしまったのは二軍監督の岡田のせい!かわいそうなノムさん…」
(橋上秀樹『野村の「監督ミーティング」』、2010年)
>一部のコーチ、選手の間からは、「野村さんの次か、その次あたりに、2軍監督の岡田さん(当時)が
>1軍の監督をやることになるだろうから、とりあえずいまは野村さんの話を聞いているフリをしておけばいいだろう」という雰囲気が蔓延していた。
>だからこそ、野村野球を奨励する必要はないと、多くの選手たちが勝手に解釈していたのだ。
↓
>「野村さんのエキスを少しずつでいいから注入していってほしい」と、松井(優典)さんは(楽天)球団から要請を受けていたそうだ。
>球団のフロントは松井さんや私(橋上)らをチームに呼んだ時点で、「近い将来、野村さんを監督に招へいしよう」と考えていたように思う。
>そして、この年のオフにそれが現実のものとなったのである。
この素晴らしきダブルスタンダード
あの絶望的な戦力に加えてシーズン開始から一か月もしないうちに三木谷にこんなのをねじ込まれれば
そりゃ初年度楽天は勝率二割台にもなるわという
(田尾安志『それでも僕は前を向く』2023年)
>開幕直後の4月の連敗を受け、球団上層部(三木谷)の意向で、ヘッドコーチの山下さんを二軍監督に配置転換することになった。
>駒田も二軍打撃コーチに降格。まだ、開幕したばかり。選手とコーチ陣の間に問題が生じているわけでもない。
>しかも、2人は僕がお願いして来てもらったコーチだ。僕は頭にきた。
>「もし山下さんがユニフォームを脱ぎたいと言ったら、一人では脱がせないよ。
>そうなったときは僕にも責任がある。一緒に脱ごうと思う」と女房に伝えた。
>すると女房は「パパ、そのときに山下さんと一緒に辞めなかったら、パパじゃないよ」と言ってくれた
…
>(GM代行の)広野(功)さんによると、仙台で開いた編成会議で僕の続投を確認した30分後に、
>野村さんの後任監督就任決定と記者会見開催の連絡が東京からあったのだそうだ。 監督に対する忘恩という点で野村と清原は似ている。巨人で後任監督の候補に森の名前が出た時、
清原は「森監督は選手の私生活にうるさく口を出してくる」と言いふらして、森を招聘しにくい雰囲気を作った。 阿部巨人が「筒香嘉智」獲得に動いた切実な事情
2024/4/9 デイリー新潮編集部
>ベンチからバッテリーサインまで出す指揮官というと、ヤクルト監督時代の野村克也氏が思い出される。
>原辰徳監督の時代にはなかったベンチワークでもある。
古田がベンチ見てサイン要求しても野村は下向いて知らん顔してたと古田本人や八重樫バッテリーコーチが言ってたぞ!w
よくもまぁこんなウソ話平気で記事にできるわw まあ言うなれば史実の三国志と三国志演義みたいなもんなんだろ
ノムサンは祈祷で風を呼び寄せ杉浦のカーブを曲げた!
ノムサンは単身グラウンドに出でるや一喝し敵チームのみならず観客までも慄かせた!
ノムサンは泣いて南海との縁を斬った!
もはやノムシンの頭の中のノムサンは完全にこれと一緒なんよ 73年に南海のコーチだった沼澤康一郎は
日本シリーズ第二戦について後に自著(『激闘の日本シリーズ30年史』1979年)で
11回表の堀内の決勝タイムリーは本当ならセンター島野の好返球で本塁タッチアウトだったはずが
キャッチャーの野村が捕球を失敗してセーフになってしまったと述べている(記録上エラーはつかず)
野村が南海追放後に「グラウンド不良なのに強行したフロントのせいで負けた」と連呼した(=捕れなかった俺は悪くない)
沼澤のシリーズ総括
「第一戦の勝利で監督以下対等に戦える錯覚をもってしまったことが1勝しか出来なかった原因だった」
リアルタイムでの野村の敗戦の弁
「いい勉強させてもらいましたわ。うちは頭で考えていることは負けていません。
ただそれに技術面がついていかなんだ。巨人から学んだものは『精神の差』ということやろうか」 >>35
>リアルタイムでの野村の敗戦の弁
>「いい勉強させてもらいましたわ。うちは頭で考えていることは負けていません。
> ただそれに技術面がついていかなんだ。巨人から学んだものは『精神の差』ということやろうか」
後から言ってた野村の73年シリーズ敗戦の弁
「巨人のサイン盗みにやられた」 野村の過去の著書に「サイン盗みを最初にやったのは・・・」という記述があるが、
出版時期の違う2冊の著書で全く違うことが書いてある。
『デッチ人生20年 ゼニのとれる人間になれ』 1973年8月
こうしたサインの盗みどりは、しかし、意外と古くから行なわれているのだ。
その開拓者は、三原監督(現・ヤクルト)である。
聞くところによると、西鉄の黄金時代に、すでに使われていたというから、やはり彼は魔術師に違いない。
『危機管理としての野球論 敵は我に在り』 1980年8月
サイン盗みを最初にやったのは、V9時代の巨人だった。『広島がおかしい』という話が出たときは、
ブレイザー・コーチ(前阪神監督)が南海から移った年で、古葉監督も元南海コーチだから可能性十分という論調で、
なんだか私がスパイの本家のようでした。しかし、元祖は巨人で、こっそりやっていたのです。
逆に噂をふりまいたのは、私が南海の監督をしていたときです。
⇒野村の著書は根拠がいい加減で信用するに値しない 結果論で言ってくると言うのは
古田も言ってたな
それも野村の生前の時に >>12-13
悪いのは野村じゃなくて書いた奴じゃね? >>29
三木谷はヴィッセル神戸の監督を数試合で変えたこともあるからな
続投要請していた監督にやっぱり解任するってやったこともある
まあとにかく人事面はね 田淵幸一&星野仙一流の阪神タイガース再建策「そういうところから球団の土台をつくったんだ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9c6ebc61960b7863eacdce274735f8cf3538a8fc
fgr********
野村克也さんが築いたチームを引き継いだだけ。楽天しかり。育てた選手いる?ドラゴンズの時は与田を壊したし。 >>41
星野阪神が3年連続最下位の後、野村阪神が優勝という史実だったら
赤星、桧山、今岡、矢野、藪、井川は野村が育てたとノムシンが豪語するだろうなw
ノムシン「星野のときの井川は10敗以上していたが、ノムさんのおかげで20勝できた!」
なんなら移籍組の金本、下柳ですら「ノムさんが育てた」と言いそうw >>42
日本シリーズで西武に4連敗したときの巨人藤田監督
「監督がヘボだから負けました」
3年連続最下位の野村監督
https://www.youtube.com/watch?v=QdghDY6qsVM
ワシは悪くない。とにかく他人のせい、選手のせい、球団フロントのせい、球団OBのせい、在阪マスコミのせい
弱いチームばかり任されるワシは犠牲者。 >>36
当事者の一人の江本孟紀はプレーオフで阪急にサインを盗まれていたと証言。そもそもサイン自体が稚拙だったのではないか。
>>37
これも江本の証言で、当時のパリーグでは大体どこのチームでもスパイ活動を行っていた。偉くなってから都合の悪いことには頬かむりをする(他者のせいにする)パターンかも。 >>46
他もやってたと言ったところで野村のサイン盗みの罪は薄くはならんよ >>42
よく口撃してたが
なにか腹に一物あるチームや人物だからやってたんだろうな 星野が優勝した時のエースのうち3人は100勝していない
本当に飛びぬけたエースは田中だけ
小野・野口・井川を最多勝級に引き上げたのは星野の手腕でしかないんだよ
まあ実際は投手コーチの手腕だが
宮田とか山田とかヨシとか優れた人材と組んで全部任せるからな
あとはリリーフや野手陣のテコ入れもやる でも自分も投手だったし丸投げでも無かったっぽいけどな
練習今日は見に来ないはずと思って抜いてたら、いきなり来て一気にピリつくって証言はいくらでも聞いた
能無惨の「俺がシュートを教えた」とかいう投手でもなかった奴の与太話とは訳が違う >>50
山田久志の話によれば、ピッチングコーチ時代、星野監督はピッチャーのことについてほとんど口出ししなかったが
宣銅烈を4連投かさせようとしたときに「こらえてくれんか」と言われたことがあったらしい。
宣銅烈の連投を止めようとした星野監督
ピッチングコーチの意見を無視して伊藤智仁を酷使した野村大監督w 83年の下田通達や98年のダイエー事件以後も平気でやり続けてたからな
周防正行
「(解説の)栗山さんとかギャオス内藤が来て話が始まったんで、こそーっと聞いてたんです。
そしたら野村さんが栗山さんに『古田のことは全部わかってる。だからメガホンで全部言ってやった』って言ってるんです。
何を言ったかというと、その前の試合(1999年6月4日神宮、S1-3T)で川崎投手が投球動作に入るたびに、
野村さんがメガホンで球種を言っていたんです。だから、
『あいつがどんなサインを出しているかは全てお見通しだから、言ってやったんだ』って。
そうしたら、古田さんが主審にクレームをつけたんですって。
そしたら野村さんが『どこのチームでもやっているだろう、それなのに文句つけおった(笑い)』って、
栗山さんに言ってるんですよ」
(若松勉・周防正行『ファンの皆様おめでとうございます』2002年4月) >>50
星野がコーチ陣に任せてるのはあえてのことだしな
宮田コーチの本には統率力に優れ選手にやれと言ったらやらせる力がある
元投手だけにピッチャーを見る目がありコーチに任せる度量がある
星野指揮する阪神は各選手がそれぞれの課題に取り組んでおり
彼の考えがチームに浸透していけば数年の内に変わるだろう
というふうに書かれているし実際そうなった 田中の日本シリーズのリリーフも本人志願だからな
それでも止めるのがスタッフだが
行かせたのと本人に志願されたのでは大きく異なる ノムって弱肩だけど
南海で一番筋力強かったのよ。むちゃくちゃ丈夫だしな
なんかぜんぶ苦労と努力と頭使ったおかげって言い張ってるけど
野球漬けじゃなかったってだけで、視力や当て勘もすごくあったんだろう 筋力強くて丈夫だけど弱肩って金本と一緒だな
無いよりはあった方が良いに決まってるけど天性の柔らかさ、バネにはどうやっても勝てない 曙の葬式、貴乃花来てなかったみたいだな
野村みたい 片やテスト生からの叩き上げ、片や業界内では超エリート家系の違いはあるが、共通点はやけに多いな
競技者としては歴代でも上位の記録を多数残す
あっさり他人に洗脳されて精神を完全に支配される
賢く見られたいという欲求が非常に強く故事成語などを理解してないのに使いたがる
自身を犠牲にして盛り立ててくれた兄を逆恨みし絶縁
人間教育発言が盛大にブーメランになる
東京スポニチ&TBSとズブズブ 貴乃花ってガチでアレだろ
野村は性格は悪いが貴乃花みたいなアレとはまた違う バカ花は実母にまで見放されてるからなw
さすがのノムサンもそこだけは大丈夫だったか、まああんなW不倫ゲス婚見せつけ
自分を犠牲にノムラの将来を心配した兄貴とも絶縁したのは十分親不孝だろうがね 五輪は辛かった、阪神で優勝、楽天でまさかの…
江本孟紀チャンネル 「エモやんの、人生ふらーりツマミグイ」
江本「阪神でやったときはどうだったですか?」
田淵「アリアスっていう花粉症になった外国人がいたんだけどすぐ田所病院連れてって注射打ってもらった。」
「そういうグランド外のことで面倒を見るということが選手のやる気を起こさせる。言葉だけじゃだめ。」
「秋季キャンプのとき赤星呼んで、バット(のグリップの位置)こことここどうだ?明日ここでやってみようって言って
いろんなことアドバイスしながら毎日、ダメだったらじゃあ次はここでやってみようっていうそういうキャンプだった。」
「そして次の年優勝した。」
⇒赤星を覚醒させたのは田淵コーチだな
野村の教えで逆方向へ当てるだけのバッティングしてたら打てなかっただろうよ
アリアスも花粉症のままじゃあんなに打てなかっただろう
阪神はほんと疫病神がいなくなってよかったw 書き込みが止まったなw
つまりノムアンの敗北w
ぎゃははwww >>65
おまえ何の反論もできないだろw
負け犬の遠吠えw 何一つ言い返せないけど、こうやってROMだけはずっと続けてたのか
なかなかいじらしいノムシンもいたものだ >>65
誰もいなくなった隙にしか書き込みできないヘタレw 矢野が結果を出せたのも星野監督のおかげだな。
日ハムから野口をライバルとして獲ったのが大きかった。
バカツノリじゃ矢野のライバルにはなれないw
↓ ↓ ↓
柳に風【下柳剛公式チャンネル】
【分岐点】「打たれたらいいのに」同級生バッテリー結成までの裏事情
――星野仙一 阪神監督就任
矢野「あれでまたぐっと引き締まったね。」
「レギュラーになってある程度試合に出れるようになったのが、それこそシモと野口も一緒に来て」
「野口ってあのとき成績おれとほぼ一緒ぐらいの試合数も安打数も同じくらいやったんよ。」
「日曜日シモと組んで出るやん。いっつも。おれ日曜日試合出られんかったんよ。」
「シモには悪いけど打たれたらいいのにって思ってて。」
「だって抑えたら野口とのコンビが変われへんから。」
「だからおれは打たれろとか負けたらええのにとかズルい自分で試合を見てたんよ。」
「それがまた火曜日から頑張らなあかんみたいないい意味でプレッシャーが力になったっていうのは
タイガースのトレードとか野口がシモと一緒に来たとか順調にいってることばっかりが良くなくて
自分にとってはストレスというかプレッシャーというかそういうのは結果的には良かった。」 矢野はなんも知らんから捨てられたと思ってるだけで
星野は中村武志の放出すら辞さない覚悟で阪神とのトレードを交渉してた
最初のトレード候補は自分だったと中村も話している
まして教え子の大豊のほうは実際出されているからな
そこまでして久慈と関川を獲った
でなきゃ短期間でドームに適したチームに変えるなんて出来ない 自分が中村武志に勝てなかっただけの事なのに放出されたの文句タラタラで
カツノリみたいなザコに出番奪われてた件に対してはダンマリなの卑怯だよ? 金本や下柳を獲ったからチームのプロ意識が変わった
野口獲ったことが矢野のやる気を高めた
勉強会やるんじゃなく目に見える目標やライバルを作るんだよ星野は 1999年の阪神はベンチに佐々木誠、大豊、桧山がいた
打撃陣は駒が余ってる状態だったのに野村の采配が悪いからみんな腐った >>73
外人2人もまあまあ打ってたのに
難癖つけまくってたのが不思議だった ベン・リベラ
29試1勝1敗12S防0.71WHIP0.83
これにセットポジション出来ないとか難癖つけて退団させたのも意味不明すぎて怖い リベラはムッシュの時に獲得した選手だから儲けにならない
パリッシュ追い出しと同じよ 怪我で治療の為帰国(球団が認めた正規の療養)してる間に野村の要求でクビ ノムの阪神時代は
ヤクルト編成の優秀さ(外人含む)を
痛いほど感じた日々だったろう
難癖つけて切ったら次年度もっとショボいやつが来る繰り返しw
ジョンソン、ブロワーズ、リベラ、メイ、タラスコ、今岡、坪井、藪・・・ 阪神外国人選手列伝 99年前半で大活躍のジョンソン、弱点研究された後半は…
デイリー 2020.05.17
4番と期待されたブロワーズは73試合の出場で打率・251,10本塁打、43打点。
6月にがん闘病中の義母が危篤となり一時帰国。その間、チーム状況が悪化。
野村監督から2軍降格を命じられたがこれを拒否した。
後に「監督は私が戦列を離れたことに腹が立っているようでした。
チームの不振を私の責任のように言い、2軍で調整するように命じました。
自分にも頑固なところはありましたが、気分がいいはずがありません。とてもがっかりしました」と振り返っている。
打撃不振のため、シーズン途中の8月に解雇された。 しかしヤクルトで頑張った助っ人、オマリーなんだよな >>81
ハウエルなんて二冠王&MVPだし、他にもハドラー、ブロス、ホージーら優勝に大貢献した助っ人がたくさんいただろ。 ハドラー、クラーク、テータム
このレベルの優良外人を1年でポイしても十分に補ってくれる編成力スカウト力があったからね当時のヤクルトは 団野村が連れてきた外国人はヤクルト野村監督1年目のマーフィーとバニスターだけか。
前年セリーグホームラン王のパリッシュを「確実性のないやつはいらない」という理由で解雇
その代わりに連れてきたやつが打率.229 5本 22打点ってww ハウエル、オマリー、ブロス、ホージーらタイトルホルダーの助っ人の活躍が目立つが、
タイトルホルダーでない助っ人でもけっこう活躍している。
ジョニー・レイ 打率.299 11本 51点
二塁打36本はリーグトップ、ヤクルトAクラスの立役者
ジェラルド・クラーク 打率.293 20本 53点
Bクラス転落時の助っ人でも意外と打っているおかげで最下位を免れた。
ジム・テータム 打率.309 13本 25点
98年西武との日本シリーズ第一戦で西口からホームランを放ち1-0で勝利
野村ヤクルトは助っ人外国人の活躍に大いに助けられている。 ヤクルト黄金期ってドラフトと助っ人外国人に助けられただけで野村自身の功績ってほとんどないよな
広沢・池山の主軸二人も前任の関根監督が育てた選手だしなあ >>86
>ヤクルト黄金期ってドラフトと助っ人外国人に助けられただけで野村自身の功績ってほとんどないよな
ないねぇ
野村采配や作戦で勝った試合なんて思い浮かばない
90年代のヤクルトの戦力なら誰が監督やっても優勝できた
能力の高い監督なら投手王国を築き上げて何連覇かしていた
>広沢・池山の主軸二人も前任の関根監督が育てた選手だしなあ
秦、荒井なんかも地味だがかなりいい働きをした。
伊東昭、川崎も関根監督に鍛えられた。 >>79
>ノムの阪神時代は
>ヤクルト編成の優秀さ(外人含む)を
>痛いほど感じた日々だったろう
野村が阪神監督時代の1999年
ヤクルトペタジーニの活躍を見て
「おれのときにはあんないい外国人連れてこなかった」
と言っていたw ペタジーニ1年目の4月はホームランこそ9本打っていたが打率が2割2分台でチームは首位中日から
6.5ゲーム差離されての5位だった
能無さんなら「こんな確実性の無い外人は使えんわ」とペタジーニを早々に見切っていた可能性もあるな ラミちゃん1年目、開幕1ヶ月後の成績
打率.211 5本
絶対見切りつけていたと思うw
野村がヤクルトの監督続けていたらラミちゃん、稲葉、宮本慎也の2000安打は不可能だった。 稲葉もノムラの呪縛離れて一気に化けたな
ノムラの下ではずっと脇役という枠に嵌められ開花する事は無かっただろう 野村の一番駄目なところは私情で選手を評価したり起用したりするところだな
メイとか大豊、今岡なんかと上手くコミュニケーション取って上手く起用していたら
阪神での成績ももうちょっと変わっていたかもしれない 門田も「お前の仕事はわしの前で塁に出ることや」みたいなこと言われたそうだな 狭量なセコいオッサンがなんか言ってるわって認識だっただろうね
野村を慕う後輩とかほぼいなかったのでは 南海監督解任のとき
江夏、柏原ともう一人かマンションに籠城とか
報道されてた記憶がある そもそも江夏と柏原は沙知代と同じマンションに住んでた
外から合流したのは意外にもコーチ陣の中でも特に沙知代の被害に遭っていた高畠
ただしその理由が「コーチが誰一人野村さんについていかないから自分が行くしかない」というもの
(ここで野村のメンツを潰さないようにと身を捨ててくれた高畠にヤクルトであれだけの酷い仕打ちをして粛清した)
兼任監督就任前の野村はチーム内での人望はあったがそれは本妻の存在によるところも非常に大きく
広瀬や小池のようにかつて野村と親しかった人ほどゲス不倫後は激しく対立した 変に影響されやすい人たちっているからね
口車に乗せられて浅い所で感化しちゃったり
でもそういうのって続かない 杉浦亨が野村監督に寿司を食べに行こうと誘われて今年は減量して勝負を懸けてますのでと
断ったら、お前に食わせる寿司なんかねえ!ってブチキレられたと語っていたなw
杉浦曰く野村監督という人は自分になびかない人に対しては冷たいことを言う人だったと ホージーをキャンプ時点で「あんなの誰が取ってきた」やらネガキャンしまくってたな
入団してくれた自チームの助っ人を開幕前からこき下ろすって何を考えてたんだろう