ドラフト下位でも指名できそうだった選手
右のシュート投手も減ったが右投げ左打ちが増えたことと関連しているのかね 水島新司と阪神は
アンダースローが好きすぎた
伊藤敦・葛西・田村・川尻カルテットとかな 本物のアンダーで最後に活躍したのは現状だと高橋礼かな?
今どきはアンダーでもMAX140は出せないとキツいよな >>72
確かに宇高(近)が最後ですね、ありがとうございます
2017年のソフトバンクも1位を吉住なんぞで遊ばず高橋礼にしとけば良かったのにw 宇高はまあアンダーだけどおかしな投げ方してたよな
連絡船みたいな名前して 葛西は88年の日米大学野球で全日本のエース格で、初戦に先発した
彼をリリーフしたのが上岡だった
当時は、外国人選手にはアンダースローを当てるといい、というのが定説として有ったな サイドスローは今も存在感があるんだが、アンダーは少なくなった。 力学的に無理があるもんな
左打者には捕まるって前提もあるし 右投げ左打ちが激増したのもアンダーが激減した一因だろうな
右投げ左打ちは概して非力だけどアンダーの遅い球なら彼らでもスタンドまで飛ばせるしな
ああ、最近の右投げ左打ちはトレーニング法が確立されたのか非力でもないな、尚更キツイわ 渡辺俊介とか牧田とかいかにもかつて「外国人キラー」と言われそうなタイプのアンダースローだったけど、メジャーではさっぱりだったな そもそもMLBのアンダーで有名な投手あんまいないよな、ランディジョンソン含めサイドは結構いるけど
俺が思いつくのは日米野球で来日したクイゼンベリーとダイヤモンドバックスにいた韓国人(名前失念)くらいだな
パワーのあるMLBだと一定の球威がないアンダーは通用しないのだろう
全盛期の山田久志はMAX140は出してたと思うから当時のMLBのレベルを考えれば通用したかもな 昔は「MLBにはアンダースローがほとんどいない、だから外国人はアンダースローに慣れてなくて苦手」という理屈が言われていた 実際は3A以下には一芸でメジャーに上がろうと変則投法の選手はうじゃうじゃいる
その彼らを上で見ないから押して知るべし 俺はアスレチックス黄金時代のエカーズリーを思い浮かべるな。投手てMVPはその後バーランダー迄いなかったと思う。 日米野球で杉浦忠と当たった大リーガーが「スネーキー」と評したというが
「腕がヘビみたいだな」ということかそれとも「あんな投げ方ズルい」という意味なのか 小林繁はアンダーの中でも特に変だったな
脚止めや体捌きとか、日米野球の道化だった
アンダーでワインドアップとか、とにかくロスが多い 「小林の投げ方あれサイドスローやろ アンダーちゃうやろ」
「けどコマーシャルでアンダースロ〜言うてるやん」
「あれモノマネや 本人ちゃう」
当時大阪の小学生がよくやっていた議論 この話は地味に面白い。達川はコンタクトレンズをしているのがバレて
スカウトの評価が下がったんだとか。
それがバレなければもっと上位指名だったんだろうね。
https://news.livedoor.com/article/detail/26001848/ 球の遅いアンダーハンドの投手とリードオフマンタイプのアヘ単外野手を上位で取るのは勿体無いよな >>93
89年阪神
1位 葛西
2位 岡本(外野手ではないが、内野の頭も越せないと言われた) >>35
比嘉(川端の外れ1位)の所は渡辺久信が有力だったようですね。
得津スカウトが担当し、本人はもちろん両親にもドラフト1位指名の挨拶に行って了承を得ていたという。
それがスカウト会議でスカウト部長から指名を撤回させられたという。 >>95
40に記したとおりナベQ→比嘉は稲尾でしょ
スカウト部長は翌年 >>94
ドラフト1位、2位に呆れていた助っ人って誰だっけ? 左投げアンダーっていないのか?
ワンポイントとかじゃなく、洗髪の一流どころで 永射がクラウン時代よくセンパツしてたな
ちなみに銘柄はエメロンだった センターカメラからのアングルだと判りにくいけど近鉄の村田辰美はアンダー気味じゃなかった? >>101
テイクバックの時アンダー気味に腰を沈めるが投げる腕の位置はスリークォーター気味のサイドだと思う 1984年広島1位の箕島・杉本はエース嶋田章(阪神と競合)を外してヤケを起こしたのかと思ったw
まぁ当時の広島は2番手の高校生投手が好きだったけど
前年1983年は3位が中京・紀藤(エース野中は阪急1位)で5位が倉吉北・石本(エース加藤は南海1位) 阪神
大山1位は当時かなり批判されたが、水面下では色々あったろうな
近本は巨人が2位で狙っていた
源五郎丸は水原勇気みたいなもんで、下位でも取れたろうな
88年は囲い込みしてた中込をそのまんま1位
中日が同様の大豊を2位だったので、アホかと思った
葛西は好調だった3年次に早々と野茂のハズレ1位を確約してた
萩原誠は阪神の編成部自体が3位相当だと思っていたw
山村なんか高校2年の前半で内定してたって話もある 88年鶴見、89年岡本と二年連続で非力な内野手を2位指名 時々高校生外野手の訳の分からん1位があるね
川上(ヤ)吉野(楽)とか 度会の親父
当時3位で指名されたときも中央球界では無名で「度会って誰だ?」という声が多かった 中込も山村も甲府工との関係性だろうね。そこを辿ると法政ルートにもつながる。
度会父は神宮外苑で草野球やってたところを片岡スカウトが見つけたという話もあったが、ちゃんと千葉リーグで首位打者とってるし
後付けだろうな。八千代松陰だと加藤博人の後輩になる。 >>104
阪神の中込1位が馬鹿正直なんじゃ無く
中日の大豊2位が仁義に反しているんじゃ >>104
源五郎丸は甲子園には出てないが九州No.1投手と言われていて下位での獲得はまず無理だった。 >>113
まあ囲ってる時点で仁義もヘッタクレもな 阪神の暗黒時代
85年の×遠山から×猪俣、×野田、中込、×葛西、×湯舟、藪、今岡と
キッチリ当ててんだよな。ハズレがモノになった率は大したもの
嶋田章や×安達、舩木、藤田も十分使えるレベルだったが故障
山村は心がアレで遠回りした。その後登板は多かったが凡Pだったな
球児も消極1位と酷評され、凡Pの系譜かと思いきや6年目奇跡の剛球化
明確なハズレは萩原(編成が上層部に引きずられた形)と中谷、的場くらいか
的場は致命的な脚の故障で余所が逃げたところに裏金積んで・・・
まあ2位以下の志の低さ、眼力の無さが致命的だったな