ドラフト下位でも指名できそうだった選手
マニアックな存在だが
岡本圭治(89年阪神2位) 足が速いだけの選手
佐藤裕幸(88年広島2位) 本人が驚いていた。何より1位が同じポジションの幹部候補生の選手。 >>1
ホークス1位では他にも大越、加治屋
大昔では金城信も吉住並みの謎指名
風間とイヒネは2位じゃ残ってない 上位で指名して当時は「?」感も結果的に成功したケースでは?
柳田とかは? 藤川のアレは棚ぼたの最たるものでな
覇気のないドラフトと批判されていたんだよ
服部誠・中村ショーセーもな
暗黒阪神は指名順位繰り上げとか採用確定ありきで
毎度失笑されていた 球児は広島も一位指名候補にしていたらしいが、故障持ちで評価が下がったか。 >>7
「きみホンマは3位なみの評価やから契約金もそんなもんで」
よく入団したもんである >>11
吉田豊彦は阪神も2位で狙っていた
当時の村山新監督が会議終了直後に明言 >>9
阪神は70年代位までは田淵をとって岡田をとって江川⇔小林のトレードと
ドラフトが上手かったんだが80年代以降はたいしたことない選手を上位指名ばかりという印象 プロの編成部が高校や六大学の数字、人気に幻惑される馬鹿馬鹿しさ
実力不足がわかってても上役が獲得ありきで止められなかったり
早期に囲い込んでた奴が劣化しても約束通り指名してたり
暗黒阪神に多く見られた、アホスカウトの無残な上位逆張り、恥かくの嫌で繰り上げ
一部スカウトに花持たせるための枠、調査不足で故障持ちに大枚はたいてたり・・・
一番ヒドかったのが95年ドラフト
1位は故障持ちで他球団撤退、2-4位は東海地区高木スカウトの担当で、他球団失笑選手
46勝84敗にもかかわらずこれで指名終了。外人残留、現場が泣き入れて翌春平塚獲得 >>12
すると1位の野田と豊肥左右コンビ?それもなかなかですな 小島弘務
前年西武がドラフト外で取るものの不正が発覚して一年間浪人
90年に中日が外れ1位指名
もっと下位でも取れたのでは? >>16
不正というか、退学時期の違いによる高卒扱いと大学中退を混同した西武根本のミス
当時の中日岡田編成部長は西武時代根本の腹心
かつては島岡御大の懐刀であり明大ラインで星野が三顧の礼で迎えている
根本からの頼みで小島を上位指名することとなり、クジで小池が当たれば小島2位という戦略
となれば矢野は読売単独2位、後の阪神監督もなくなる >>7
吉田豊彦は阪神が2位予定だった。小林雅英も近鉄と広島が2位で動いた時は手遅れだった。 >>9
藤川についてノム『高知で3番目のピッチャーを取りやがって』
文句なしにてらりゅーだろ。 >>19
高知で3番目って残りの2人は明徳義塾の寺本・高橋?
だとしたらさすがノムw 阪神のドラフトはドラフト時点で酷評された年ほど成功してる印象
赤星とか大山とか近本とか 寺本と土居龍太郎でしょ。まあ土居は進学内定だったけど。 ノムが『高知で3番目のピッチャーを取りやがって』に関しては担当スカウトがブチキレたそうだ。
阪神スカウトがノムについて『具体的に誰を取れとか言わない』と言っていた。赤星の件も菊地スカウトが『いつの間にかノムさんが自分で見つけたと言い出した』とまたも手柄泥棒を暴露された。 >>22
そうか横浜土居は高知高校でしたね
4年後TDNの代わりで自由獲得枠 W和田・K長田・H土居・R多田野の四天王時代は試合が2時間ぐらいで終わっちゃうので2試合最初から最後まで観たりしてたなあ
その四天王の一角がおまえいいケツしてんのうがバレちゃって >>17
中日・中田宗男スカウトが最近出した本『星野と落合のドラフト戦略』でも、
「根本氏らしからぬ凡ミス」って書いてあった記憶がある 阪神の2位はアホスカウトの私物っぽかった
明らかに2位級じゃない中野佐、鶴見、岡本、竹内、中ノ瀬、柴田、藤原
重篤な故障の井川、一二三 バーターの浅井、石崎、坂本
素材段階の横田、小野、高橋遥、鈴木勇、椎葉
高校一巡目の鶴は故障物件の囲い込み、ハズレの野原は論外
暗黒期は小兵を尊ぶような編成ぶりだった
掛布、真弓、岡田が小さいんで、体格を軽く見ていたのかもしれない じゃあ阪神が住吉・テルシー・山下・丹波・佐藤真を一流に仕上げられるかと言ったら甚だ疑問だけどな ロバート秋山は
体格体格言うてるけど
175pらしいな >>13
清原、松井、野茂を1位指名しているんだけどな。
阪神はくじ運が悪い面もあった。 江川、岡田を続けて当てておいてそれはないでしょう
南海〜ダイエーは江川、岡田、清原、野茂、松井すべてハズレ
他にも小野、佐々木修、立浪、中島 ロッテの無名高卒ドラ1トリオ(比嘉・笠原・石田)
たぶんドラ1の入団拒否によるロッテ本社のイメージ低下を恐れたのだろう ヒゲ辻とダンプ辻がいたのに田淵
掛布がいたのに四番でサードの岡田
バースがいたのに一塁専の清原
阪神の考えてなさが素敵
もし清原の当りクジを引いたらどうする気だったのか?
バースも清原も一塁専なのに 清原、下手でもなかったのにあの若さで一塁固定はいかがなものか >>34
南海で唯一引き当てたのが2分の1の田嶋俊雄
なにしろ相手が阪急だったからしてw
ダイエーはいちおう4分の1の若様は引き当ててる >>35
稲尾監督推しの比嘉は予定のナベQから急遽変更の痛恨
笠原は三宅スカウト部長の大誤算
石田の外れ1位は謎、2位で4球団競合の園川なら納得だったが >>38
その田嶋もいつものように外してれば日ハムより先に西崎が残っていたという皮肉 石田に関していえば、2位だった園川が怒ったぐらいだしね。
この当時は実際、一線級は獲れずに大学でも首都か東都の二線級に走ってた。(井辺、石川、関)
その後は伊良部、前田と甲子園で一定の実績ある方へ行ってよかった。
小宮山はあの豊作の年で2浪選手、やや結果論かもしれない。 ニートだった森山だろ
ただ1位としてアタリだったかは微妙 >>43
ドラフト2位にも格というものがあるだろう! >>42
野茂はずしてウェーバーの指名だろ スルーしかけたわw >>35
ロッテは恥をかきたくないから指名したら入団してくれる選手優先だったのよね
それを破ったのが金田で野茂は外したから良かったが小池であの悲喜劇に ええーーーっっっ!!??
亜大の一般学生ごときに言われたくもないが 8球団指名
一応大都会、川崎のロッテ断って浪人
で、河内の郊外、藤井寺の近鉄
故障したとはいえプロでなかなか通用しなかった
ロッテは綺麗なマリンスタジアムに移転
人生の妙味やのう >>48
※当時は亜大クラスでもどこでも内定貰えた >>46
ウェーバー順にロッテ小宮山、大洋佐々木、日ハム酒井ときて阪神元木かと思ったら葛西でズッコケた
前身南海のダイエーなら元木も入るだろうと思っていたのだが、「巨人しか行かない」の新監督も全く役立たずだった
個人的には打者評価の甲子園優勝投手としては金村以上と思ってた吉岡(巨ヤ競合)の3位は驚いた
ヤクルト外れ3位黒須の顛末はご存知のとおり
土壇場でのダイエーの前田智スルーは、やはり性格難を懸念したのか 公称175pで剛球でもない左腕、よく8球団が1位指名したな・・・ 日米野球での投球内容が阿波野秀幸を彷彿とさせるものがあったからね>小池 >>52
勝っちゃん「元木?あんなのせいぜい3位のタマですよ」
葛西とてそう思えてならない >>55
それでいて2位で岡本なんぞを指名した阪神 元木が騒がれていたのは清原の影響もあると思う。
巨人が指名しなかった清原があれほど打ってる、後悔してるだろう巨人、
今度は取り逃がさず指名しろよ、みたいな >>52
葛西も法大4連覇のエースとして鳴らしたが、ルーキーイヤーでまるっきり活躍しなかったからな。
>>53-54
これ小池が1967年度生まれないし1969年度生まれだったら
8球団指名はなかったな。 阪神葛西は確かにドラ1の玉ではなかったけど、野村監督の時には遠山と交互に継投に使われて使い勝手が良かった。
現在も優秀な阪神スカウトの一員てして、球団に貢献しているから指名は無駄ではなかったな。 >>61
野茂ドラフト、若田部ドラフトと被っていたらどうだったか?
前者なら、野茂の競合が6球団くらいになり、小池は2球団競合
後者なら、若田部、齋藤から流れてきた3球団競合くらい? >>61
杉浦のプロ拒否もあったし、単独が長谷川、木村、水尾、浪人元木ですからね
生意気にも水尾も在京セなどとほざいていたし、長谷川、木村へ多少流れるかと思ったけど アンダースローの1位って最近見ないなあ
高校野球でもエースが下手投げってめっきり見なくなった 右のシュート投手も減ったが右投げ左打ちが増えたことと関連しているのかね 水島新司と阪神は
アンダースローが好きすぎた
伊藤敦・葛西・田村・川尻カルテットとかな 本物のアンダーで最後に活躍したのは現状だと高橋礼かな?
今どきはアンダーでもMAX140は出せないとキツいよな >>72
確かに宇高(近)が最後ですね、ありがとうございます
2017年のソフトバンクも1位を吉住なんぞで遊ばず高橋礼にしとけば良かったのにw 宇高はまあアンダーだけどおかしな投げ方してたよな
連絡船みたいな名前して 葛西は88年の日米大学野球で全日本のエース格で、初戦に先発した
彼をリリーフしたのが上岡だった
当時は、外国人選手にはアンダースローを当てるといい、というのが定説として有ったな サイドスローは今も存在感があるんだが、アンダーは少なくなった。 力学的に無理があるもんな
左打者には捕まるって前提もあるし 右投げ左打ちが激増したのもアンダーが激減した一因だろうな
右投げ左打ちは概して非力だけどアンダーの遅い球なら彼らでもスタンドまで飛ばせるしな
ああ、最近の右投げ左打ちはトレーニング法が確立されたのか非力でもないな、尚更キツイわ 渡辺俊介とか牧田とかいかにもかつて「外国人キラー」と言われそうなタイプのアンダースローだったけど、メジャーではさっぱりだったな そもそもMLBのアンダーで有名な投手あんまいないよな、ランディジョンソン含めサイドは結構いるけど
俺が思いつくのは日米野球で来日したクイゼンベリーとダイヤモンドバックスにいた韓国人(名前失念)くらいだな
パワーのあるMLBだと一定の球威がないアンダーは通用しないのだろう
全盛期の山田久志はMAX140は出してたと思うから当時のMLBのレベルを考えれば通用したかもな 昔は「MLBにはアンダースローがほとんどいない、だから外国人はアンダースローに慣れてなくて苦手」という理屈が言われていた 実際は3A以下には一芸でメジャーに上がろうと変則投法の選手はうじゃうじゃいる
その彼らを上で見ないから押して知るべし 俺はアスレチックス黄金時代のエカーズリーを思い浮かべるな。投手てMVPはその後バーランダー迄いなかったと思う。 日米野球で杉浦忠と当たった大リーガーが「スネーキー」と評したというが
「腕がヘビみたいだな」ということかそれとも「あんな投げ方ズルい」という意味なのか 小林繁はアンダーの中でも特に変だったな
脚止めや体捌きとか、日米野球の道化だった
アンダーでワインドアップとか、とにかくロスが多い 「小林の投げ方あれサイドスローやろ アンダーちゃうやろ」
「けどコマーシャルでアンダースロ〜言うてるやん」
「あれモノマネや 本人ちゃう」
当時大阪の小学生がよくやっていた議論 この話は地味に面白い。達川はコンタクトレンズをしているのがバレて
スカウトの評価が下がったんだとか。
それがバレなければもっと上位指名だったんだろうね。
https://news.livedoor.com/article/detail/26001848/ 球の遅いアンダーハンドの投手とリードオフマンタイプのアヘ単外野手を上位で取るのは勿体無いよな >>93
89年阪神
1位 葛西
2位 岡本(外野手ではないが、内野の頭も越せないと言われた) >>35
比嘉(川端の外れ1位)の所は渡辺久信が有力だったようですね。
得津スカウトが担当し、本人はもちろん両親にもドラフト1位指名の挨拶に行って了承を得ていたという。
それがスカウト会議でスカウト部長から指名を撤回させられたという。 >>95
40に記したとおりナベQ→比嘉は稲尾でしょ
スカウト部長は翌年 >>94
ドラフト1位、2位に呆れていた助っ人って誰だっけ? 左投げアンダーっていないのか?
ワンポイントとかじゃなく、洗髪の一流どころで 永射がクラウン時代よくセンパツしてたな
ちなみに銘柄はエメロンだった センターカメラからのアングルだと判りにくいけど近鉄の村田辰美はアンダー気味じゃなかった? >>101
テイクバックの時アンダー気味に腰を沈めるが投げる腕の位置はスリークォーター気味のサイドだと思う 1984年広島1位の箕島・杉本はエース嶋田章(阪神と競合)を外してヤケを起こしたのかと思ったw
まぁ当時の広島は2番手の高校生投手が好きだったけど
前年1983年は3位が中京・紀藤(エース野中は阪急1位)で5位が倉吉北・石本(エース加藤は南海1位) 阪神
大山1位は当時かなり批判されたが、水面下では色々あったろうな
近本は巨人が2位で狙っていた
源五郎丸は水原勇気みたいなもんで、下位でも取れたろうな
88年は囲い込みしてた中込をそのまんま1位
中日が同様の大豊を2位だったので、アホかと思った
葛西は好調だった3年次に早々と野茂のハズレ1位を確約してた
萩原誠は阪神の編成部自体が3位相当だと思っていたw
山村なんか高校2年の前半で内定してたって話もある 88年鶴見、89年岡本と二年連続で非力な内野手を2位指名 時々高校生外野手の訳の分からん1位があるね
川上(ヤ)吉野(楽)とか 度会の親父
当時3位で指名されたときも中央球界では無名で「度会って誰だ?」という声が多かった 中込も山村も甲府工との関係性だろうね。そこを辿ると法政ルートにもつながる。
度会父は神宮外苑で草野球やってたところを片岡スカウトが見つけたという話もあったが、ちゃんと千葉リーグで首位打者とってるし
後付けだろうな。八千代松陰だと加藤博人の後輩になる。 >>104
阪神の中込1位が馬鹿正直なんじゃ無く
中日の大豊2位が仁義に反しているんじゃ >>104
源五郎丸は甲子園には出てないが九州No.1投手と言われていて下位での獲得はまず無理だった。 >>113
まあ囲ってる時点で仁義もヘッタクレもな 阪神の暗黒時代
85年の×遠山から×猪俣、×野田、中込、×葛西、×湯舟、藪、今岡と
キッチリ当ててんだよな。ハズレがモノになった率は大したもの
嶋田章や×安達、舩木、藤田も十分使えるレベルだったが故障
山村は心がアレで遠回りした。その後登板は多かったが凡Pだったな
球児も消極1位と酷評され、凡Pの系譜かと思いきや6年目奇跡の剛球化
明確なハズレは萩原(編成が上層部に引きずられた形)と中谷、的場くらいか
的場は致命的な脚の故障で余所が逃げたところに裏金積んで・・・
まあ2位以下の志の低さ、眼力の無さが致命的だったな