1977〜1986年の阪神を語るスレ
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今の眼で見ると伊藤や工藤の直球はとてもプロには見えんなw
出だしはまともだった中西や池田もすぐに遅くなった
仲田の球も速いのはだいたい高めに外れていた カスばかり掴まされてた暗黒時代と違ってこの時代はトレードの成功が多かった サンテレビが大阪府全域で観れるようになって
それに比例して大阪中で阪神ファンがふえていった時代 吉田監督(第一次)が外人を補強、掛布を抜擢して打線が見違えるように強くなった
それまでの阪神って打てるのは田淵と藤田平だけで、遠井とかカークランドが主軸を打っていた
ものすごく貧打線だったんだよね 打高投底のダメ虎時代だね。
でも優勝への期待は年々高まってた。 岡田の成績見たら80年~84年までは毎年3割前後、本塁打も20本前後打ってるんだな
85年の成績が注目されがちだが
80年~86年の三振数の少なさが地味にすごい (甲子園にて)「オカマのアイドル オ カ ダ〜!」 86.88-90年も二塁手としてはかなりの打力(89年は三塁手だけど)
案外走ってるし、真弓より四球を多く選んでた >>10
大町なんか120台だからな
昔の投手が速かったとか大嘘 >>9
この時代でダメ虎なら暗黒時代なんかどうなるんだ 83〜84年の池内しか知らないから
1〜2点ビハインドで出てきてはダメ押し点取られて
試合ぶち壊すイメージしかなかった
長崎のトレードは当初金銭のはずだったが
なぜか大洋が池内を要求してくれて厄介払いができた
コーチとしては吉見とか育てて有能だったようだが >>15
橋戸賞投手をドラフト外だから、それなりの条件にはなるでせう >>14
120台は御子柴だぞ
大町は130は出てた、
自慢にもならんが
大町宇田御子柴といえば敗戦処理 池内が5勝13Sとか
大町が7勝8Sとか
今では信じられない
でも大町は4年であっさり引退してる 大町は黒ぶちの眼鏡をかけたアンダースローで、南海の杉浦っぽかったな 御子柴は小林繁のフォームそっくりだった
本家の小林も130台だったのに、
2度も沢村賞とってる
記者投票で決まってた昔の賞は無茶苦茶 >>22
色付きメガネの大町と違って普通のメガネだが大きく分類したらそうだな >>23
最多勝取った年の沢村賞なら別におかしくらないだろう
しかも当時はセリーグ限定の賞だったから今より選択肢が少なかったわけで >>13
真弓 打率.285 出塁率.338
衣笠 打率.270 出塁率.345
ちなみに
松井稼頭央 打率.291 出塁率.344(NPBのみ) 真弓って本職のショートやセカンド、ライトの他に、掛布が怪我したらサード、バースが怪我したらファーストを守ってたけど、
阪神でレフトやセンターを守ったことってあったかな? ISOD(四死球率).060以下は
ちょっと雑なアタマなんかなと思う
平田、新庄、今岡とか
ライト真弓は弱肩のイメージ。まあ中年だったけど >>23
いやおかしい
それは別タイトル
速球派ではないから
とにかく記者投票の頃の沢村賞はおかしい
3年連続最多奪三振最多勝の江川が1度も受賞してないから
選考方法変わったのも当然 >>27
83年6月上旬にセンターで7試合スタメン出場あり
他はないようだ 81年あたりにセンター佐野って試合が結構あるな
守備範囲や足の速さを無視すれば
センターは打球の方向がわかりやすいとも言えるから
上手くない人向け >>27
真弓と言えば、江川から妙にホームランを打ってた印象があるなあ。逆に、どんでんは江川に対してはサッパリ打てなかった。 真弓はリストが強いから速球に力負けせんのよ
もう一人のあきのぶは高めの速球に弱いからな 彰布も実寸173くらいであのスイングスピードは凄いと思うがな 掛布と佐野が出てきて、阪神の三塁は手厚くなった
藤村・三宅の後、阪神の三塁は実に貧打だった >>34
クラウン時代に
「外角低めを逆らわずに右へ打ってもセカンドゴロかファーストゴロになるから
外角低めを左中間に持っていけるようになれ」とリストを鍛えられたそうで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています