沢村栄治って神格化されすぎてないか?
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1934秋(17歳) ←日米野球で1試合好投
1936春(19歳) 1勝1敗 2.12
1936秋(19歳) 13勝2敗 1.05 最多勝
1937春(20歳) 24勝4敗 0.81 最多勝・最優秀防御率・奪三振1位・勝率1位
1937秋(20歳) 9勝6敗 2.38 奪三振1位
1940(23歳) 7勝1敗 2.59
1941(24歳) 9勝5敗 2.05
1943(26歳) 0勝3敗 10.64
すごいんだけど、日米野球は残り3試合滅多打ちだし、
すごかった1937年も、秋はチーム防御率が2.31だから、チーム平均投手レベル。
1938-1939年に戦争行って帰ってきてからは、
1940年は、8球団中7球団のチーム防御率が沢村の防御率より良い→つまりリーグ平均以下レベル
1941年も、同上→つまりリーグ平均以下レベル
結局、すごかったのは1936年秋から1937年春まで。これじゃ木田勇みたいな感じ あと毎回沢村の球速を検証するという番組が、うさんくさい計測で160キロ出てたかのような結論になるのもな
じゃあ当時の日米野球で草薙球場以外の3試合で、メジャーリーガーは160キロをバコンバコン打ってたのかと まあ、職業野球元年の象徴みたいなものだろ
打低の時代だから必然的に投手になるが、スタルってわけにいかんし 岩本と大岡のおっかない奴らに挟まれていた小鶴
画像見ても常に泣き出しそうな気の弱そうな顔 昔の人は話盛るよね意図的ではないにせよ
捕手の内堀は沢村のドロップは空中で一瞬止まったとまで言ってるし 1934秋(17歳) ←日米野球では太陽光のおかげで1試合だけ好投も他はボロボロ
1936春(19歳) ←日本でプロ野球が開始するも、アメリカ遠征でほとんど日本で投げず
1936秋(19歳) ←最多勝と防御率2位で文句なしの素晴らしい投手
1937春(20歳) ←タイトル総なめで文句なしの素晴らしい投手
1937秋(20歳) ←チームの平均防御率よりやや悪い投手
1940(23歳) ←リーグの平均防御率より悪い投手
1941(24歳) ←リーグの平均防御率より悪い投手
1943(26歳) ←野手転向 遺体は発見されなかったのか
海の底で未だに眠っているんだな 比べることができたとしたら沢村拓一のほうがいいボールを放ってるよ、きっと。
時代の違いはあるけどさ。 Y氏の隣人って漫画に沢村の能力を授かって活躍するダメ人間の回があった 沢村の投球検証している教授って、同じやり方で今の160キロを検証したら何キロになるんだろうか フレームレートが少ないコマ数の昔のカクカクしたフィルムで160キロ出ましたって言われてもな >>6
小鶴は物静かで、本人いわく腕相撲も弱かった。
腰の回転で本塁打を量産してたそうだ。 生き残りの連中の方が怪し過ぎる
こんな連中は、少なくとも野球って範囲では語る価値もない連中だと思う 1934年日米野球 0勝4敗、28回2/3 自責25 防御率7.85 被本塁打8 ←某教授はこれで160キロ投げてたんだって。当時のメジャーリーガーは160キロを滅多打ちにしたんだね 江川の凄さって浮き上がってボールが大きく見えるキレの良い回転数と
投手としての頭の良さだと思うけど
それを球速という一つの指標だけで再評価することがおかしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています