大野豊と工藤公康はどっちが上か?
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工藤に決まってんじゃん
どこに大野が勝つ要素があるのか 篠塚「唯一打つのを諦めた投手は大野さん
松井秀喜「大野さんだけは打てる気がしない どっちも通算成績は素晴らしいがエースにはなり切れなかった感 >>5
このレスがウケたw
0005 名無しさん@お腹いっぱい。 2000/11/09(木) 20:33
工藤が40までやれたら工藤 大野は恐らく王と対戦した(真剣勝負の場に限定、つまりオープン戦や
球宴は除外)投手で佐藤義則と共に一番後まで現役だった。
工藤も色々なそういうのに該当するだろうけど、その中で大物というと
誰だろう?
ちなみに江夏と真剣勝負の場で投げ合った投手で一番後まで現役だった。 バースは88年までいたけど、対戦した投手で一番後まで現役だったのは
工藤になるのかな? >>11
サンクス。
その知恵袋の回答者の人が「公式戦ではいません。日本シリーズでは
工藤が対戦しています。」と言っているけど、日本シリーズは公式戦と
考えていいと思う。 バースとローズ、カブレラ、どっちがスゴかったかを証言できるのは工藤だけ 桑田はカブレラとは対戦しているけど、ローズとはないか。 2000年のスレはどっちかというと大野よりの印象だと今の時代だと工藤のがちょっと押してるのかな? 数字で見ると工藤なんだろうけど、
大野はエース対決で潰し合い、工藤は二番手以下で勝ち星を稼ぐそんなイメージ 工藤は無事之名馬タイプだな
強いとこばかり居たから数字的にも少し差し引いて見るべきだろう >>14
白とは幾らでも対戦したことがあるけど黒はオープン戦や交流戦でもない限り無いか >>17
夜明け前ダイエーや暗黒ベイスや俺達ライオンズは弱い部類だろ 単純に数字だけ見ると工藤な気もするけど、全盛期両方見てた人なら大野っていう人が多いのも分かる。 エース北別府 2番手大野
エース渡辺久 2番手工藤 勝手なイメージだが、大野は意気に感じる侍タイプ、工藤は良くも悪くもマイペース >>21
ペイ・ナベQはエースというより雑魚相手にきっちり勝つ勝ち星要員って感じだった。但しここ一番で投入されるのは大野・川口・郭・工藤辺り。 工藤は選手時代も監督時代も日本一になりまくってるよね 最近こういう同姓の芸能人の名前レスする奴多いけどつまらんよ
どうせなんとかの時代とか肉体改造とか言ってるやつと同じだろうが 和田毅みたいに40過ぎて自己最高の148キロ投げる投手も出てきた >>33
トラックマンで昔より初速に近く計測できてるだけ 江川遠藤大野の同級生三本柱見たかったわあ
理想のローテ この二人、86年日本シリーズ第2戦で先発で投げ合ってるのか
試合は2-1で広島の勝利
(大野が勝ち投手、工藤が負け投手) 大野に決まってる。工藤は隔年でアソコが痛い、ココが痛いと言ってサボってた自己中野郎。監督コーチや他のピッチャーからしたらタマラン輩 同じく新人類の典型とされていた北尾も負けが混んでくると
アソコが痛い、ココが痛いと言い出していた。
もし工藤が89年に低迷したまま復活せずに終わっていたら
まんま北尾だったな。 投手は仮病使って隔年で働いたほうが長持ちするしはるかに稼げるからな
大谷も仮病で休みまくってたけどクレバーだと思う
大野も勝っても負けてもどっちでもいいパ・リーグの球団や横浜、ヤクルトあたりだったら仮病でフル稼働を回避してたかもね
カープはどこどこが痛いから休ませてくれなんて言ったら大下元帥と慶彦軍曹にボコボコに殴られる 慶彦は年上だろうが殴るよ
山本浩二ですら注意したら殴られるからビビって慶彦には何も言えなかったし 大野はほとんどシーズン通して働けなかった
ガラスの左腕故に長持ちした
晩年の登板間隔は中1週間以上 大野は過大評価。
83年はリリーフで打たれまくり、翌年先発転向で開幕9連勝も終わってみれば10勝どまり。
以降もフルシーズン働けない年が多い。86年はチームは優勝できたけど、96年はそれで大逆転を食らう。
(その翌年に最優秀防御率とか・・・) 中継ぎの川端や谷間の金石ですら他球団に行けばエースクラスと言われた時代があった 長く働いて凄いのか
短期間でもリーグトップクラスの投球を見せたのか
まあ、2人ともその両方であることは間違いない 工藤の場合はものの言い方が今風(といってももう、ジジイだが)
登板過多で肩を壊したらだれが責任取ってくれるんだとか
新人類以降のタイプで当時の旧世代の監督やコーチとは世代の格差を感じ使いやすいとは言えなかっただろう
対して大野も故障がちではあるが旧世代の人間なので人柄良しという評価がついていた 大野は令和でも通用しそうだけど工藤は通用しない気がする 大野さんはモーション見ないでバッティングマシーンだと思ってある程度絞って振りにいくとまあまあ当たる日も多かった。
工藤は1球1球はそこまで打てないレベルのボールではないんだけど、タイミング外してくるのがとんでもなく巧かった。
工藤が捕手になってたら名捕手になったと思うな。 それは、晩年の工藤しか見ていないからだろう
全盛期は、右打者の内角へのクロスファイヤーがえげつなかった
相手チームもそれが分かっていたから
工藤のときにあえて左打者ばかり並べるチームもいた 二人とも晩年のスピードガン表示が上がった
大野は若い時でもないが140キロ前半のノーコンの時の方が明らかに速く感じた
工藤も若い時は130キロ台のストレートが晩年140キロ後半を表示されるようになった 83年の大野
4/17
同点の7回一死から登板するも、9回に打ち込まれて負け投手に
4/22
1点差を守り切れず、引き分けに
4/23
打者一人打ち取り完了(引き分け)
4/27
2点差の9回に2ランを浴びて、またも引き分けに
5/5
3点差の9回を零封する(セーブつかず)
5/8
2点差で登板した7回から9回を零封して、初セーブ
5/10
負け試合で登板して、2イニング・自責点1
5/11
逆転され登板したら、さらに打ち込まれる
5/14
5点リードで登板した最終回を3人で封じる。
(セーブつかず)
5/17
2イニング零封で、2セーブ目
5/18
6回から登板のロングリリーフで勝ち投手に
5/19
2点差を逆転され負け投手
5/23
6回から登板のロングリリーフ、1点差に迫られるひやひやセーブ
こんな調子でV逸の要因に 大野の最初の抑えは全くだめだった江夏が去って自ら志願したらしいが前年、前々年も数字こそそこそこだが全くダメ
2回目の抑えをまた、自ら志願したときは「あんた、抑えは向かないよ。大体投げてみなきゃわからん、いや3回くらいまで様子見ないとわからんようなタイプのあんたが抑えやりたいって。」
と思ってたが2回目は抑えも出来ていた。 大野は投げる姿は生きざまを感じたが
工藤も凄いとは思うんだけど小器用というか小賢しさを感じるんだよなあ。 どっちが好きかならともかくどっちが上ってなら工藤としか言いようが無い 指導者としては工藤、大野は指導者として悪いイメージしかない 大野の投球フォームってかっこいいけど、握りが打者に見えないか? でも、大野 工藤 両投手に
江夏が同じチームで絡んでるのが感慨深いよな 軟式出身の大野は江夏に指導されるまでフォームがデタラメだったんだろ 軟式だったのは出雲信用組合時代だけで、高校時代は硬式だったのでは? >>67
空を向いて投げるようなフォームを矯正したそうだが
最後まで名残があったな 軟式の大野に社会人野球の落合
この時代は掘り出し物がけっこういたんだな 世の中が豊かだから企業もゆとりがあった
昔なら高卒で社会人に行ってた連中はFラン大学に行くしかないが
金払ってまで野球を続けようとは思わないだろうね >>68
硬式経験皆無でプロ入りは無理そうだしなあ どっちも凄い投手だけどエースでは無いんだよな。
大野なんて沢村賞取っても自ら否定してるぐらいだし。
やっぱエースは北別府てまあり渡辺久信だと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています