1990年のプロ野球を語ろうpart.3
ただシーズン終盤に斎藤雅が露骨に息切れしたのを見て嫌な予感はしたな
それでも第1戦で槙原を先発に建てたのを見た時には藤田は斎藤のことを信用してないのかと疑問に思ったが >>61
そりゃまあ、開幕戦で誰が見てもファールの打球が
審判によって本塁打になってしまうぐらい、ツキがあり過ぎましたな
もっとも、そのツケは日本シリーズでたっぷり払う結果になったがw 巨人にとって前年の「野茂ドラフト」はまったくもって無駄だったね。
当時の巨人の補強ポイントは右の大砲、次代を担う正捕手候補
これからすればプリンスの石井、トヨタの古田だろ?何を血迷って
2位川辺?(後年人的補償第1号として名を残す)
あとせっかく獲れた3位吉岡と6位浅野は打者で育てるべきだったな
故障さえ克服すれば超大物になれる素質あった佐久間は、ロマン枠としてもっと
下位で獲れたろう。結局無駄だったけど。 後知恵で活躍した選手を指名しろとわめくだけなら猿でもできる >>58
非巨人OBの解説者(江本、東尾など)や非読売メディア(特にフジ系)は、このヘボ発言を厳しく糾弾していた
戸谷真人か深澤弘だったか、「西武の強さを認めない見苦しい発言」と放送中にコメント >>64
それよりも、あんたのレスの方が全くもって無駄なんだけどw >>44
二軍戦はボールの見やすいデーゲームが大半だから
そういう所では無双する奴もいるだろう >>65
激しく同意。
>>64、>>67
1989年ドラフトに関していえば、捕手が中尾、有田、山倉で成り立っていたから
古田に食指が動かなかった。
もっとも1990年に古田がトヨタにいたなら指名していたかもしれないが。
で1989年巨人は一塁に駒田、三塁に岡崎がいたので大卒社会人の石井浩郎を取る必要が
なかった。
あと川辺は社会人日本代表に選ばれたことがあったが、「素材型」として期待されていたな。 捕手に関しては次の年が豊作だったのでそこで補強しようと思ったのではないか
1989年時点ではそこまで即戦力捕手を求めてなかったし
古田は24才で年齢もいってたし、当時は守備はいいけど打撃はイマイチの評価だった 「岡崎と石井」あるいは「駒田と石井」を競争させればよかったかと。
岡崎は不動のレギュラーにはちょっと足りないし、駒田にしてもやっとレギュラーに
収まったという程度。競争に敗れた方が他のポジション、あるいはサブに回る。
お互いが競争するから実力が向上する。チームは強くなる。
あと、中尾はあくまで山倉から次までのつなぎだから。あれがこの先何年も不動の
正捕手を務めるわけないんだし、そもそもそれが務まるなら先に中日が
出さないよ。 大森「栗山さえ栗山さえいなければ俺は開幕戦でヒーローになれた」 >>72
石井の役割は大森が担い、岡崎はショートからファーストやサードに正式にコンバートされて一年で、まだ成長する可能性がある、と期待したんでしょ
それに、当時の社会人はまだ金属バットで、前年にプリンスから日本ハムいった中島輝士が期待された成績残せなかったし、上位での指名に懐疑的だった可能性もある
捕手に関しては89年には10人以上いたし、中尾がいる間に若い捕手の台頭を想定してたんじゃないの
この反論も推測でしかないし、今ならなんとでもいえる >>71
テメエの主張が悉く否定されたもんだから、それで逆ギレか
憐れなり >>51
須藤大洋に関していえば90年と91年では勝敗が同じなんだけどな。
そして須藤にとって致命傷だったのが、例の中山の不祥事。
>>52
田淵に関していえば、星野、山本と比べて「外様のチーム」ならびに、
広岡西武の手法でやろうとしたのがものの見事に失敗したな。
そして翌年は権藤を投手コーチに据えて、編成で元南海監督の穴吹義雄を入れたが、
結果が出ずに根本を招へいすることになる。 夏場以後マジでつまらなかった
日本シリーズも西武が4-1で勝つだろうと予想もあっけないスイープ
シーズンが完全終了した第4戦の翌日の虚しさと言ったらなかったな
オフの日米野球で多少は救われたが個人的には最低のシーズン >>74
96年日本シリーズで同点ホームラン放った時ぐらいの脚光は浴びられたかもな >>80
オールスター前に両リーグの優勝が決まっていたも同然。
どう楽しみを見つけようか模索していた時に聞いたジッタリン・ジンの「夏祭り」。
ホワイトベリーのカバーも含め、あの曲を聞くと1990夏を思い出す。 野球の話ならともかく、それにかこつけたオッサンの自分語りは気持ち悪すぎ >>82
そらそうよ。だがこの年のジャイアンツはほぼリリーフは要らない位先発が充実して今しか知らんニワカがひっくり返る程やね。 野村に先発完投型野球は時代遅れだと散々挑発されてた
そして日本シリーズ4連敗して例のヘボ発言
西武は強い、西武は素晴らしいチーム、我々も手本にしなければ
せめてこれくらい言えなかったのかねぇ >>84
この年の讀賣は、シーズン通して登板した投手がわずか10人だったからね >>85
西本幸雄だったかな?
自身がヘボ監督だと思っても、それを選手の前で決して口にしてはならないと言っていた。
それを言っちゃうと選手と不協和音が生じて、関係修復に時間を要するからだと。
西本さん自身阪急時代に監督の信任投票を実施したほどだから
ヘボに近い同じようなことを口走ったんだろう。 西武日本一の歓喜の裏で今話題の人の栗山がひっそりと引退 巨人は少数精鋭と言えば聞こえはいいけど
この年に投手10人で一軍を回したツケが翌年以降の投壊につながったのかな
あれだけの大独走だったんだからどんどん二軍から上げて経験つませればよかったのに 斎藤も2年連続20勝したが終盤には不調になり翌年に引き摺ったな。 >>89
よっぽど若手投手が信頼なかったんだろうか
もっとも、日本シリーズで木っ端微塵にやられたことで、
そうした考えも軌道修正せざるを得なくなったが 90年の二軍戦力はこんなもんだからな(年齢順)
19 吉岡 浅野 佐藤 柏田 大内 大野
20 佐川 磯貝 石毛
21 橋本
22 川辺 小島
23 本原(→ダイエー) 渡辺政
24 原田
25 益田 荻原 水沢 山田(→ダイエー)
26 松原
26 松谷
高卒3年以内の体作り組はさておいて
年上の見切られ組が本当にイマイチだわ
それでも91,92ぐらいの投手力になると何人かはローテの谷間や敗戦処理くらいで
一軍登板を果たしているが 当時熱烈な巨人ファンの友達がいたけど日本シリーズで負けて学校で泣いていたな
今はそいつは巨人に全く興味がない >>92
斎藤(25)
桑田(22)
木田(22)
これらが若手じゃないって? >>95
そこら辺の「10人組」を外した若手投手って意味だろ ちなみに一軍戦力の10人組の内訳が
槙原(ドラ1)
宮本(ドラ3社会人)
斎藤(ドラ1)
水野(ドラ1)
香田(ドラ2)
桑田(ドラ1)
木田(ドラ1)
吉田(ドラ1社会人)
廣田(ドラ2社会人)
加藤初(←太平洋 コーチ兼任)
高卒のドラ1を立て続けに孵化させて、他もドラフト上位指名組
ある意味見る目があったとも言えるが、逆にドラフトの中下位を育成させる能力が
まるっきり欠けていたとも言える 大門VSアレン ドミニカアカデミー開校 スパイダーマン クロマティの敬遠球打ち
達川コンタクト 植田の正捕手起用
この年のカープってネタが多かった気がする 【中止しろ】 コロナより、ワクチンで、死者でてる
://egg.5ch.net/test/read.cgi/cafe60/1671073993/l50
審判4人制の弊害、まさか初っ端の試合で見せつけられるとは… 誰が見てもファールの打球がホームランに変わってしまうんだからね
この時代にリクエストがあったなら、当然ひっくり返るんだろうけど 旧市民球場の忍者の体幹って凄いな
SASUKEなら2ndステージまでクリア出来そう >>98
クロマティの敬遠球打ち
それも広島が絡んでいたのか 忍者男って確実にテレビに映るようにNHKの放送がある日を狙って、7時ちょい前に決行したな まさか斎藤雅樹がここまで化けるとはな
桑田と槙原の二大エースで投手陣を引っ張っていくかと思ってたが、斎藤が真のエースになる可能性も出てきたわ >>106
奥さんも忍者の恰好で迎えに来たんだっけ? 斎藤は桑田の入団や槇原が化ける1年前に巨人の新エースになりつつあったのに
故障と王が水野に拘ったことで藤田監督再登板まで開花が持ち越されてしまった でも、王監督の最終年は芽が出つつあったような気がした