【やっぱ必要?】広岡達朗/廣岡達朗 その12
八重樫の1970年に入団して1983年から正捕手ってのも地味に凄い
遅咲きだったのね 下位からのたたき上げならわかるがドライチってのがまた 木久扇も笑点降板だから、野球界のおバカキャラ広岡も評論から足を洗った方が良い ちょうど50年前の週ベ新年号、ヤクルトで現場復帰した広岡と次期監督が噂される長嶋の対談があった
対談といっても8−9割、広岡が喋りっぱなし 新人類工藤をかわいがってたてのが最大の謎なんだよな
ああいうタイプを一番嫌いそうなのに 無理いってとってもらったしまだハタチそこそこだからな そりゃ可愛いのが人情だろう
「あの漫画のせいで冷血人間にされてしまったが そんなことはない」本人談 >>723
工藤の方も広岡に影響されている。
・粗食は最強の体を作る
・行き過ぎた茶髪、金髪、ヒゲの禁止、試合中のガム禁止等々
社会人としてきちんとしろと指導している。 田淵・西武放出の絵図を書いたのは新監督に内定していた広岡だと睨んでいる
相手が根本だし サンケイ流産内閣で豊田泰光の放出を条件にしたときとそっくり
「リーダーシップのない、打つだけの4番はいらない」 西武の監督就任時に「土井正博は不要」と根本に言ったらしい
年齢的に限界なのもあっただろうけど 「いつまでも水原通訳に頼っていた大谷翔平にも責任がある」「収拾シナリオはド軍が書いたのでは?」
球界大御所がいまだ尾を引く賭博スキャンダル問題にズバリ斬り込む(RONSPO)
巨人OBでヤクルト、西武で監督として日本一になり、ロッテではGMも務めた広岡達朗氏が独自の見解を述べた。
疑惑は消えておらず、現在MLBが調査中だが、「いつまでも通訳に頼っていた大谷にも責任がある」と、ズバリ斬りこんだ。
広岡氏がこの流れを見て考えた推論がある。
「私はさすがドジャースだと思った。水原氏の発言がコロっと変わったタイミングでドジャースが水原氏を解雇したのだ。
私は何もかもすべての措置を代理人ではなく、ドジャースが行ったと見ている。大谷の会見のタイミングや声明の内容の確認についてもそうだ。万事ぬかりはない。
代理人は、今回の問題の初動で下手を打った。代理人も大谷に関する問題のすべてを水原氏任せにしていたことのツケが回ってきたのだろう。
その中で、問題の収拾に主導権を握ったのはドジャースだったと思う。その背景には、10年7億ドル(約1050億円)もの大枚をはたいた大谷を決してつぶすわけにはいかないというパワーが働いている。
彼らは、大谷がさらに活躍するには、水原氏くらいべったりの通訳がいることがかえってマイナスに働くとまで考えていたかもしれない」 廣岡はヤンキースが大嫌いなんだろうなというのはわかる いや、広岡はドジャース及びにヤンキースみたいな名門球団が大好き。
六大学も早稲田、NPBもヤクルト西武と監督勤めながら最後はやはり最古参の巨人。
そこは判り易いだろ。どうしてヤンキース嫌いだと思う方がおかしいだろ レッドソックスとか嫌いそう
ヤンキースみたいにヒゲ 長髪禁止はリスペクトだろ 海軍式野球とか中2みたいなことを言っていたのでマリナーズとか
あるいはシンプルに無礼ブスッ 巨人引退後に永田雅一オーナーの東京オリオンズに誘われたものの
「自分と東京はチームカラーが合わないような気がする」みたいなことを言って断っていたと記憶する。
まあそれから30年近く後千葉ロッテでGMをするんだが。 >>736
当時のオリオンズの一塁は榎本喜八でしょ。榎本の守備って川上以上に酷いから
広岡が激怒すると思う。
村田いわく「届く打球にしか動かない」
有藤や山崎も「一塁が前田益穂に替わってから守備では助かった」と回想していた 外野から三塁にコンバートされた高田が悪送球難なく捕ってくれたセカンドのジョンソンに
随分助けられたって話思い出した 広岡の送球は加減を考えないから痛くて仕方がなかったらしい 王「ミスターの送球は捕りやすいところにしっかり投げてくれる、広岡さんの送球は割といい加減」 >>737
届くかどうか一瞬で見極め無駄な動きをしないって
それは達人なんではないだろうかw 今の巨人は打てないわけでもないし調子も悪くないからな
筒香獲得してもわ飼い殺しになりそうな予感 >>723
広岡は実力とスター性のある選手は案外と好きそう。工藤とか秋山とか田淵とか。 >>744
その筒香、讀賣ではなく横浜へ行きそうな感じ 王が荒川道場で日本刀で斬る資材のため広岡自ら米屋を回って空の俵を集めて荒縄で縛っていた 広岡達朗
廣岡達朗
広岡達朗(廣岡達朗)
廣岡達朗(広岡達朗) 荒川のコーチングの力量ってどうなんだろうね?
板東英二は「あれは王さんを育てたのではなく王さんが自分で育っただけだ」とミもフタもないことを書いていた
吉村は「荒川さんの教えは自分に合わない。」と相手にしなかったので、早いうちにクリーンナップになり
駒田はなまじっか荒川の言う事を聞いてしまったので、スランプになったそうだ
駒田は二本足の中距離打者に徹してレギュラーになれたものね >>758
高度で複雑だったようで実践できる人が少なかった
荒川の弟子では王以降で最も成功した杉浦享が引退後、打撃コーチになったがほとんどの選手が付いてこれなかったため
一年でクビになった 野口寿浩だけはその指導を理解し、ハムで打者として結果を出した 570:名無しさん@毎日が日曜日:2024/04/28(日) 02:03:00.33 ID:JhJQUmFK
歳取るとわがままな老害になるのは
たとえ他人に迷惑をかけようとも
生きてるうちにやりたいことをやろう
という気持ちだというのを理解できたわ