【名将】森祇晶(昌彦)さんを語ろう【岐阜の貯金箱】
巨人V9戦士にして、西武監督時代には在任中9年間で8度のリーグ優勝+
日本一6度の文句なしの爽やかに語るスレです(^^ >>202
細川亨がたまスタで引退セレモニーを開催したときに伊東を招待したりNHKでベンちゃんと仲良く並んで解説したりして教え子との関係はそれほど悪くない 捕手出身者は捕手にシビア。
自分の分身みたいな選手を育てるのが得意。 >>221
自分に問いかけてんのか?
余程悔しかったんだろうな阿呆 >>221
もうとっくに事件起こしているんじゃないでしょうか。
少なくとも家庭内は崩壊しておられる「おじいちゃん」でしょうね。
気の毒でなりません(^^
いや、気の毒に思う必要もない(^^ >>181
野村克也氏も森氏と同じような考えだったと記憶している。
ただ横浜の監督になっても権藤監督以上の結果を残せたかどうか。
権藤監督は3年連続Aクラスで日本一も一度、しかも低迷期の歴史が多い
ベイスターズの監督なので、かなりポイントが高い。
少なくとも凡将ではないと分かる。 横浜の時は采配以上に谷繁が居なくなるような事態にしたこと
そこが失敗の本質だと思う。
代わりの中村ったってねぇ。
キャッチャー育成が出来なかったんですよ森は。
西武の時は戦力が揃っていた以上に伊東というキャッチャーが盤石だった。
だからもっと大事にすべきだし同じような感覚でチクチク谷繁にしたから
出ていった要因にも。。。かと。
実際森の事あまりよく言わないし話題にしないし。
谷繁自身の問題もあるのかもしれないが(その後指導者の話の何故か無いし) >>228
本当に行ったらものすごくイヤな顔しそう 谷繁は森の話頻繁にするだろ
なんせFA移籍の原因なんだからな テレビの横浜戦、森が解説でゲストがやくみつる、CM中に
森が延々と谷繁のリードにダメ出し続けていた、とやくみつるが言ってたわ >よく言わない
すいません
良いように言わない
の間違いでした。 あれだけ「森じゃ物足らない」と次々とアマの大物捕手を獲ってきたのに
片っ端から森が潰せたのは森は弱肩でも抜群のインサイドワークとささやき戦術があったから
大橋は大洋に移籍後もレギュラーはとれなかったから何か足りなかったんだろう 田淵幸一選手を巨人が獲得していたら、巨人関係者ほぼ全員狂喜乱舞だったと思う。
ただ田淵選手をファーストにコンバートは巨人では100%不可能。
正捕手を森さんと争うことになる。打撃面は比較対象にならないから森さんは
どうやって田淵選手に対抗するか。。。 「田淵のやつは競馬場にいましたぜ(ニヤニヤ)」
「あっそう、当たってるといいねw」 どっかで読んだが田淵本人も「巨人に行ったら森さんに潰されていたかもしれない」と言っていたとか
辻2人がいたのに正捕手にしてくれた阪神で良かったんだろう 阪神打線は非力だったから、田淵の打力があればレギュラーになりやすかった
田淵が来るまで主力打者は遠井、藤田、藤井栄治くらいしかいなかったからね ヒゲ辻にダンプ辻もいて屈指の捕手王国だったと今にして思う阪神の昭和40年代 >>242
どっちもそれなりのところで連載コラム持ってるのも面白い >>242
だけど若菜を自由契約にしてからは捕手弱体に苦しむことになる
木戸はレギュラー捕手の最低レベルって感じだし >>245
あれが正捕手だなんてとんだカサ増し
まあなんだ 山川、月山あたりよりはという程度だな 当時バースが「日本の捕手はレベルが低いが巨人は山倉がいるから良い」と言っていたが
自軍の捕手が笠間→山川→木戸じゃそう思うわな >>247
5ちゃんねるというかこの板では、山倉の評価は低いね。 >>248
1986年頃のインタビューでバースがそう言っていた
アメリカ人の場合はキャッチングとかパスボールの少なさや肩を重視して
日本ほど配球は重視しないのかもしれんね >>237 >>242
阪神ではダンプ辻が捕手で出たら、田淵が外野や一塁で出場していたな。
阪神の捕手では太平洋から移籍の片岡新之介もいた。
片岡は引退後広島のコーチを長く務めたが、生え抜き重視の広島では珍しいかな?
>>245-246
笠間は片岡との交換での阪急からの移籍だったが、笠間はその前に巨人にいた。 袴田氏は法政大学時代に江川卓とバッテリーを組んでいた。
恐らくその頃から水島新司氏と親交が深かったと思われ、プロ野球編以降の袴田氏の
扱いが凄く良くて驚く。 >>252
中と対戦した「英利(ひでり)くん」には子供でも失笑したがw
神宮で試合終わってから江川と連れ立って水島邸にビデオ見に行ってたのだとか
ビデオが一般に普及する前の話だからね
もちろん試合のビデオだぞ …と思う >>251
村田のフォークをノーサインでとってて大矢は「よく袴田はノーサインでとれるな」と感心したって話だからね 里中智とサチ子の結婚式の仲人を務めたのが袴田英利氏。
実在人物では小宮山悟、渡辺久信、清原和博の各氏が出席。
乾杯の音頭を取ったのが小宮山悟。
ライバルたちの中では土門剛介は出席しているのが確認出来た。 江川卓の法政大学の前半期は土屋恵三郎氏が捕手。
桐蔭学園監督を経て、現在は星槎国際湘南の監督。
捕手育成に定評があり、複数人プロに送り込んでいる。
スマートな体型で機動力のある捕手を育てるのが得意。
少年野球時代に「太っているから」という理由でキャッチャーをやらされた人は意外に
多いと思うが土屋氏はキャッチャーのイメージを変えてくれた。
自身もスマートな体型だから、分身を作るのが得意なのだと思う。
あと神奈川のアマチュア野球界では日大藤沢の山本秀明監督も捕手の育成が上手い。
この人も捕手出身(96年アトランタ五輪日本代表選手)。 >>253
いちおう試合のビデオ見て反省会だな
もっとも楽しい二次会もあったと思うがな 大矢がプロ入り後
森と初顔合わせの試合前
大矢が挨拶にいくと、外野に呼び出されて
森「いいか、吉田には絶対に打たせるな」
そして、吉田の打ち取り方を伝授w >>262
シブチン同士でライバル意識を燃やしたと?
わかってボケてるんだろうけど後輩捕手の吉田だろ >>264
> シブチン同士でライバル意識を燃やしたと?
そうだったら下衆でも笑える"ええ話"やなw
巨人の吉田捕手って、森とは逆の強きのリードだっけ? もう15年近く前か、巨人がV9ユニ着る試合で当時のメンバーがポジションごとに集合してたけど
捕手はハワイ在住の森じゃなくて吉田だったな 4年前に球団のイベントで来日したな。
すっかり白髪、白髭の御爺さんだった。 巨人南海のOB戦のことか
ON張本、ノムとかが来てたが
日焼けしてるせいか森が一番若くみえたけどな 巨人OBとして出ていた王さんに花を持たせようとする工藤公康。
キャッチャーフライを打ち上げるが取りに行かない城島健司。
「忖度」という言葉が脳裏をよぎったが、工藤公康は相変わらずいいピッチャーだった。
現役復帰しても中継ぎで十分過ぎるほど使えると思う(-_-;) 吉田義男氏は実は気前が良かったという説があるが
森さんは実は気前が良かったというエピソードを
まるで聞いたことがない。 >>271
このバッテリーなら"忖度"とは言わんだろ。 V9戦士の中で、ON以外で引退後に最も成功したのは森と高田なんだよね
現役時代は1000万円プレーヤーになれたし、監督としても高年俸をもらえたし、
野球人としてはいい人生だったと思う 西武ライオンズ堤義明総帥報告会見 1982 1983広岡監督 1988森監督 1989森監督 根本部長 周囲が凍り付く会見
https://www.youtube.com/watch?v=K5MWetOd2-g まだ衰えていなかったのに強制引退させられた土井正三氏が気の毒。 土井正三は「イチローの才能を見抜けなかったダメ監督」扱いされているが
普通に考えればドラフト4位の高卒をいきなり一軍で使うわけないよね ところが、その1年目のイチローのオープン戦でプレーしている姿を見て
「正直に言う。私はイチローが好きではない。しかし、彼の才能に最初に目をつけたのはこの俺だ」と言って
本まで出している男がいるんだよ。
野村克也っていうんだけど 例の有名な堤オーナーの発言は切り取ったやつがそうなった。
当時のニュースではその前後も流したと思う。
土壇場で優勝逃したからぜひやってください。やりたいならどうぞ。
とかそういうニュアンスだったと思う。
切り取ると
へぇ優勝逃して未練たらたらまだやりたい。と。どうぞ
やりたいならどうぞ
みたいに聞えるようにしているっぽい
記憶違いかな????
もしそうだとしても森の後に誰なんだ?田淵はもうホークスだし
物凄いババ引かなく良かった
誰だろう???? >>280
おとくいのすぐバレる卑劣なウソだが
仮に本当だったとしても「それがどうした」だな
だいたい父親や名電の監督や三輪田スカウトがとっくの昔に見出しとるわけだが >>281
当時ニュースステーションで見てたけど、俺もそう思った。
発言がひとり歩きしているよね。 当時見た映像でも今年は優勝するのは当然だと思っていたし、まさか出来ないとは思わなかったとか
結局最初から堤に嫌味ばかり言われてた気がするけどなあ >>279
米国を訪れた時、イチローのほうから「土井さんじゃないですか!」と話し掛けてくれたらしい。
「嬉しいもんですよ」とコメントしていた。悪い関係ではないと確信している。 >>280
この人の場合、仮に日本ハムの監督だったら「先例がない」という理由で大谷翔平の二刀流を容認していない。
楽天監督時代に好々爺キャラになったことと、既に故人になってしまったことで「貶したら可哀想」という空気が出来上がって必要以上に過大評価されている。
これは星野仙一も同じ。
三原脩ならば栗山英樹と同じ様に二刀流大谷翔平を誕生させていたのは間違いない。 >>288
永淵さんや外山さんという、成功したかどうかはともかく、先例はいたわけだけど、彼らのことをどう見てたんだろうね >>279
そう そんなのがいきなりウエスタンの首位打者とったというだけでもびびったというのに >>281
記憶違いでしょ
むしろその後ろの発言の方が酷い
優勝逃した森のおかげでパリーグ盛り上がったから表彰してもいいんじゃない?とか自軍のオーナーから言われたら屈辱以外の何物でもない
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm38001534 でも88年は首の皮一枚でペナント取って日本一にもなり
これ以上ないご満悦のオーナー発言あったんだよな。
その逆をこの年はされてしまった。という思いもあったのでは?
確かに辛らつだけれども土壇場でペナントかっさわれ無いようという気を引き締める意味合い
心の隙があったのでは?という批判でのものだったと思う
その場で森を追い詰めて代わりを用意できていたのか?
根本が事前にお膳立てしながらああいう発言が出てしまった。
悔しいから次の年は奪い返せ。という強いメッセージのようにも聞こえる。
でないと翌年何故独走で巨人も4タテで優勝出来たのか?辻褄合わない。
オーナーに軽く扱われたらもう将来がない監督と敏感な選手は見てしまう。
広岡の最後の時のようにバラバラになるはず。
そうではないから切り取っても面白いようになるからずっとあの場面を中心にして
切り取りを編集していると思う。
仮に翌年だけ優勝はできたとしてそういう状態なら5連覇も出来ないと。。。
森の人間性は別として。。。
というのが私の見解 あの発言はさすがに酷いって当時堤自身が叩かれたこともあって、
わざわざ弁解して、いやあれは来季へ叱咤みたいなっていう言い訳の方真に受けちゃってるのかね、切り取り言ってる人は
後に腹の中はともかく形式上森への謝罪みたいなことまでやってたのに >>291
中内「それやったらウチ表彰しとくんなはれ」 >295
正に言いたい事はそういう事です。
堤は森を嫌っているのはあの当時でも分かっていた。
でも仕事とは別。という事もあった。
でも生理的に嫌いだとそういうのが言葉に滲んじゃうんだよね。
別に自分も森自体好きでもないし。
でも普通トップに否定されたら一般の会社では道は閉ざされているはず
最後通牒以上のものですよ。ましてや当時の西武グループなら。 >>297
何が言いたいのか全く分からない
酷く見えるのは切り取りのせいって主張をソース付きで否定されたんだから潔く認めたら? 先月発売ベースボールマガジンの森と森の対談ではそういうニュアンスでは
語ってなかったなぁ。
仮にあの報告って11月くらいですよね例年。
その時点で監督辞めたら?と言ったとして次の後釜が居たのかな?という疑問も同時に
湧いた。
実はそこも用意してあって二択に追い詰められ選手らに激励され残留決めたという話
になるのでは?でも切り取った話を尾ひれつけてモノがり風にしているのではという思いも
一部ある。
あくまで主観ですから。
というか森の代わりに誰を監督だったのか?というのが今まで語られてない。
そこをご存知ですか? 何より文章が下手くそだなこいつ
(でも自分ではうまいと思ってそう) 90年の日シリ前に監督契約の更新をアマウンスしたのは、89年のオーナー発言の反省もあったらしい。
で、94年は非情にもシリーズ中に…。 94年当時は東尾修氏が次期監督というのは「まさか」のサプライズに思えた。 か広岡氏。
ショボい監督はぱっと見、思い浮かばない。 好かれている歴代監督ベスト
だと
伊原と最下位デッドヒート争いしそう。。。。 この人があたったからあちこちでV9さんブームになった
長嶋みたいに呼ぶのすら失敗したり、土井や高田みたいに経歴汚したりとあんまりだったけど 私を誰だと思っているんですか?という声が聞こえてきそう。 今でも吠えてる人、巨人の監督やりたがっていたのは分かりました。
最後は多分フロントと喧嘩して辞任でしょうけど。 >>304
黄金時代の監督だからね
歴史的な意義で言えば、昭和58年の広岡かな?
西武が巨人に代わって「球界の盟主」になった瞬間だったから
三原の西鉄の再来を思わせるような盛り上がりだった