【名将】森祇晶(昌彦)さんを語ろう【岐阜の貯金箱】
>>213
いやただただウザいだけ
お前はお前のことを芯から嫌ってる女に拒否られても「好きなんだろ?」と勘違いしてそう
リアルで事件起こしそう >>202
細川亨がたまスタで引退セレモニーを開催したときに伊東を招待したりNHKでベンちゃんと仲良く並んで解説したりして教え子との関係はそれほど悪くない 捕手出身者は捕手にシビア。
自分の分身みたいな選手を育てるのが得意。 >>221
自分に問いかけてんのか?
余程悔しかったんだろうな阿呆 >>221
もうとっくに事件起こしているんじゃないでしょうか。
少なくとも家庭内は崩壊しておられる「おじいちゃん」でしょうね。
気の毒でなりません(^^
いや、気の毒に思う必要もない(^^ >>181
野村克也氏も森氏と同じような考えだったと記憶している。
ただ横浜の監督になっても権藤監督以上の結果を残せたかどうか。
権藤監督は3年連続Aクラスで日本一も一度、しかも低迷期の歴史が多い
ベイスターズの監督なので、かなりポイントが高い。
少なくとも凡将ではないと分かる。 横浜の時は采配以上に谷繁が居なくなるような事態にしたこと
そこが失敗の本質だと思う。
代わりの中村ったってねぇ。
キャッチャー育成が出来なかったんですよ森は。
西武の時は戦力が揃っていた以上に伊東というキャッチャーが盤石だった。
だからもっと大事にすべきだし同じような感覚でチクチク谷繁にしたから
出ていった要因にも。。。かと。
実際森の事あまりよく言わないし話題にしないし。
谷繁自身の問題もあるのかもしれないが(その後指導者の話の何故か無いし) >>228
本当に行ったらものすごくイヤな顔しそう 谷繁は森の話頻繁にするだろ
なんせFA移籍の原因なんだからな テレビの横浜戦、森が解説でゲストがやくみつる、CM中に
森が延々と谷繁のリードにダメ出し続けていた、とやくみつるが言ってたわ >よく言わない
すいません
良いように言わない
の間違いでした。 あれだけ「森じゃ物足らない」と次々とアマの大物捕手を獲ってきたのに
片っ端から森が潰せたのは森は弱肩でも抜群のインサイドワークとささやき戦術があったから
大橋は大洋に移籍後もレギュラーはとれなかったから何か足りなかったんだろう 田淵幸一選手を巨人が獲得していたら、巨人関係者ほぼ全員狂喜乱舞だったと思う。
ただ田淵選手をファーストにコンバートは巨人では100%不可能。
正捕手を森さんと争うことになる。打撃面は比較対象にならないから森さんは
どうやって田淵選手に対抗するか。。。 「田淵のやつは競馬場にいましたぜ(ニヤニヤ)」
「あっそう、当たってるといいねw」 どっかで読んだが田淵本人も「巨人に行ったら森さんに潰されていたかもしれない」と言っていたとか
辻2人がいたのに正捕手にしてくれた阪神で良かったんだろう 阪神打線は非力だったから、田淵の打力があればレギュラーになりやすかった
田淵が来るまで主力打者は遠井、藤田、藤井栄治くらいしかいなかったからね ヒゲ辻にダンプ辻もいて屈指の捕手王国だったと今にして思う阪神の昭和40年代 >>242
どっちもそれなりのところで連載コラム持ってるのも面白い >>242
だけど若菜を自由契約にしてからは捕手弱体に苦しむことになる
木戸はレギュラー捕手の最低レベルって感じだし >>245
あれが正捕手だなんてとんだカサ増し
まあなんだ 山川、月山あたりよりはという程度だな 当時バースが「日本の捕手はレベルが低いが巨人は山倉がいるから良い」と言っていたが
自軍の捕手が笠間→山川→木戸じゃそう思うわな >>247
5ちゃんねるというかこの板では、山倉の評価は低いね。 >>248
1986年頃のインタビューでバースがそう言っていた
アメリカ人の場合はキャッチングとかパスボールの少なさや肩を重視して
日本ほど配球は重視しないのかもしれんね >>237 >>242
阪神ではダンプ辻が捕手で出たら、田淵が外野や一塁で出場していたな。
阪神の捕手では太平洋から移籍の片岡新之介もいた。
片岡は引退後広島のコーチを長く務めたが、生え抜き重視の広島では珍しいかな?
>>245-246
笠間は片岡との交換での阪急からの移籍だったが、笠間はその前に巨人にいた。 袴田氏は法政大学時代に江川卓とバッテリーを組んでいた。
恐らくその頃から水島新司氏と親交が深かったと思われ、プロ野球編以降の袴田氏の
扱いが凄く良くて驚く。 >>252
中と対戦した「英利(ひでり)くん」には子供でも失笑したがw
神宮で試合終わってから江川と連れ立って水島邸にビデオ見に行ってたのだとか
ビデオが一般に普及する前の話だからね
もちろん試合のビデオだぞ …と思う >>251
村田のフォークをノーサインでとってて大矢は「よく袴田はノーサインでとれるな」と感心したって話だからね 里中智とサチ子の結婚式の仲人を務めたのが袴田英利氏。
実在人物では小宮山悟、渡辺久信、清原和博の各氏が出席。
乾杯の音頭を取ったのが小宮山悟。
ライバルたちの中では土門剛介は出席しているのが確認出来た。 江川卓の法政大学の前半期は土屋恵三郎氏が捕手。
桐蔭学園監督を経て、現在は星槎国際湘南の監督。
捕手育成に定評があり、複数人プロに送り込んでいる。
スマートな体型で機動力のある捕手を育てるのが得意。
少年野球時代に「太っているから」という理由でキャッチャーをやらされた人は意外に
多いと思うが土屋氏はキャッチャーのイメージを変えてくれた。
自身もスマートな体型だから、分身を作るのが得意なのだと思う。
あと神奈川のアマチュア野球界では日大藤沢の山本秀明監督も捕手の育成が上手い。
この人も捕手出身(96年アトランタ五輪日本代表選手)。 >>253
いちおう試合のビデオ見て反省会だな
もっとも楽しい二次会もあったと思うがな 大矢がプロ入り後
森と初顔合わせの試合前
大矢が挨拶にいくと、外野に呼び出されて
森「いいか、吉田には絶対に打たせるな」
そして、吉田の打ち取り方を伝授w >>262
シブチン同士でライバル意識を燃やしたと?
わかってボケてるんだろうけど後輩捕手の吉田だろ >>264
> シブチン同士でライバル意識を燃やしたと?
そうだったら下衆でも笑える"ええ話"やなw
巨人の吉田捕手って、森とは逆の強きのリードだっけ? もう15年近く前か、巨人がV9ユニ着る試合で当時のメンバーがポジションごとに集合してたけど
捕手はハワイ在住の森じゃなくて吉田だったな 4年前に球団のイベントで来日したな。
すっかり白髪、白髭の御爺さんだった。 巨人南海のOB戦のことか
ON張本、ノムとかが来てたが
日焼けしてるせいか森が一番若くみえたけどな 巨人OBとして出ていた王さんに花を持たせようとする工藤公康。
キャッチャーフライを打ち上げるが取りに行かない城島健司。
「忖度」という言葉が脳裏をよぎったが、工藤公康は相変わらずいいピッチャーだった。
現役復帰しても中継ぎで十分過ぎるほど使えると思う(-_-;) 吉田義男氏は実は気前が良かったという説があるが
森さんは実は気前が良かったというエピソードを
まるで聞いたことがない。 >>271
このバッテリーなら"忖度"とは言わんだろ。 V9戦士の中で、ON以外で引退後に最も成功したのは森と高田なんだよね
現役時代は1000万円プレーヤーになれたし、監督としても高年俸をもらえたし、
野球人としてはいい人生だったと思う 西武ライオンズ堤義明総帥報告会見 1982 1983広岡監督 1988森監督 1989森監督 根本部長 周囲が凍り付く会見
https://www.youtube.com/watch?v=K5MWetOd2-g まだ衰えていなかったのに強制引退させられた土井正三氏が気の毒。 土井正三は「イチローの才能を見抜けなかったダメ監督」扱いされているが
普通に考えればドラフト4位の高卒をいきなり一軍で使うわけないよね ところが、その1年目のイチローのオープン戦でプレーしている姿を見て
「正直に言う。私はイチローが好きではない。しかし、彼の才能に最初に目をつけたのはこの俺だ」と言って
本まで出している男がいるんだよ。
野村克也っていうんだけど 例の有名な堤オーナーの発言は切り取ったやつがそうなった。
当時のニュースではその前後も流したと思う。
土壇場で優勝逃したからぜひやってください。やりたいならどうぞ。
とかそういうニュアンスだったと思う。
切り取ると
へぇ優勝逃して未練たらたらまだやりたい。と。どうぞ
やりたいならどうぞ
みたいに聞えるようにしているっぽい
記憶違いかな????
もしそうだとしても森の後に誰なんだ?田淵はもうホークスだし
物凄いババ引かなく良かった
誰だろう???? >>280
おとくいのすぐバレる卑劣なウソだが
仮に本当だったとしても「それがどうした」だな
だいたい父親や名電の監督や三輪田スカウトがとっくの昔に見出しとるわけだが >>281
当時ニュースステーションで見てたけど、俺もそう思った。
発言がひとり歩きしているよね。 当時見た映像でも今年は優勝するのは当然だと思っていたし、まさか出来ないとは思わなかったとか
結局最初から堤に嫌味ばかり言われてた気がするけどなあ >>279
米国を訪れた時、イチローのほうから「土井さんじゃないですか!」と話し掛けてくれたらしい。
「嬉しいもんですよ」とコメントしていた。悪い関係ではないと確信している。 >>280
この人の場合、仮に日本ハムの監督だったら「先例がない」という理由で大谷翔平の二刀流を容認していない。
楽天監督時代に好々爺キャラになったことと、既に故人になってしまったことで「貶したら可哀想」という空気が出来上がって必要以上に過大評価されている。
これは星野仙一も同じ。
三原脩ならば栗山英樹と同じ様に二刀流大谷翔平を誕生させていたのは間違いない。 >>288
永淵さんや外山さんという、成功したかどうかはともかく、先例はいたわけだけど、彼らのことをどう見てたんだろうね >>279
そう そんなのがいきなりウエスタンの首位打者とったというだけでもびびったというのに >>281
記憶違いでしょ
むしろその後ろの発言の方が酷い
優勝逃した森のおかげでパリーグ盛り上がったから表彰してもいいんじゃない?とか自軍のオーナーから言われたら屈辱以外の何物でもない
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm38001534 でも88年は首の皮一枚でペナント取って日本一にもなり
これ以上ないご満悦のオーナー発言あったんだよな。
その逆をこの年はされてしまった。という思いもあったのでは?
確かに辛らつだけれども土壇場でペナントかっさわれ無いようという気を引き締める意味合い
心の隙があったのでは?という批判でのものだったと思う
その場で森を追い詰めて代わりを用意できていたのか?
根本が事前にお膳立てしながらああいう発言が出てしまった。
悔しいから次の年は奪い返せ。という強いメッセージのようにも聞こえる。
でないと翌年何故独走で巨人も4タテで優勝出来たのか?辻褄合わない。
オーナーに軽く扱われたらもう将来がない監督と敏感な選手は見てしまう。
広岡の最後の時のようにバラバラになるはず。
そうではないから切り取っても面白いようになるからずっとあの場面を中心にして
切り取りを編集していると思う。
仮に翌年だけ優勝はできたとしてそういう状態なら5連覇も出来ないと。。。
森の人間性は別として。。。
というのが私の見解 あの発言はさすがに酷いって当時堤自身が叩かれたこともあって、
わざわざ弁解して、いやあれは来季へ叱咤みたいなっていう言い訳の方真に受けちゃってるのかね、切り取り言ってる人は
後に腹の中はともかく形式上森への謝罪みたいなことまでやってたのに >>291
中内「それやったらウチ表彰しとくんなはれ」 >295
正に言いたい事はそういう事です。
堤は森を嫌っているのはあの当時でも分かっていた。
でも仕事とは別。という事もあった。
でも生理的に嫌いだとそういうのが言葉に滲んじゃうんだよね。
別に自分も森自体好きでもないし。
でも普通トップに否定されたら一般の会社では道は閉ざされているはず
最後通牒以上のものですよ。ましてや当時の西武グループなら。 >>297
何が言いたいのか全く分からない
酷く見えるのは切り取りのせいって主張をソース付きで否定されたんだから潔く認めたら? 先月発売ベースボールマガジンの森と森の対談ではそういうニュアンスでは
語ってなかったなぁ。
仮にあの報告って11月くらいですよね例年。
その時点で監督辞めたら?と言ったとして次の後釜が居たのかな?という疑問も同時に
湧いた。
実はそこも用意してあって二択に追い詰められ選手らに激励され残留決めたという話
になるのでは?でも切り取った話を尾ひれつけてモノがり風にしているのではという思いも
一部ある。
あくまで主観ですから。
というか森の代わりに誰を監督だったのか?というのが今まで語られてない。
そこをご存知ですか? 何より文章が下手くそだなこいつ
(でも自分ではうまいと思ってそう) 90年の日シリ前に監督契約の更新をアマウンスしたのは、89年のオーナー発言の反省もあったらしい。
で、94年は非情にもシリーズ中に…。 94年当時は東尾修氏が次期監督というのは「まさか」のサプライズに思えた。 か広岡氏。
ショボい監督はぱっと見、思い浮かばない。 好かれている歴代監督ベスト
だと
伊原と最下位デッドヒート争いしそう。。。。 この人があたったからあちこちでV9さんブームになった
長嶋みたいに呼ぶのすら失敗したり、土井や高田みたいに経歴汚したりとあんまりだったけど 私を誰だと思っているんですか?という声が聞こえてきそう。 今でも吠えてる人、巨人の監督やりたがっていたのは分かりました。
最後は多分フロントと喧嘩して辞任でしょうけど。 >>304
黄金時代の監督だからね
歴史的な意義で言えば、昭和58年の広岡かな?
西武が巨人に代わって「球界の盟主」になった瞬間だったから
三原の西鉄の再来を思わせるような盛り上がりだった 「森は人間性に問題があるが、私がまた監督をやるなら、ヘッドコーチは森にする」ってヒロオカが言ってた >>314
昭和59~60年は狭間の年で誰も悪く無くね?
優勝した昭和60年を狭間と言うのは変だが、それだけ昭和61年以降の西武は圧倒的ということで…。
昭和57~58年の日本一はまだ序奏。
工藤のサヨナラで西武黄金期が始まり、ヤクルトに日シリで破れた時点で終わって、
イチローwithオリックスの優勝で西武は特別なチームで無くなったと思っている。 >>314
ジェリーがテリーほどじゃなかったのが悪い
これを責任のジェリー寄せという
…なんかいろいろムリあるな >>314
誰のせいというより、要は開幕ダッシュに失敗したのをこれ幸いとばかりに半強制的に世代交代させたって事でしょ。
似たような例は黄金期真っただ中の1970年の阪急にもあって、チームは4位まで転落しながらも、山田久志、福本豊、加藤秀司と
いった1980年代半ばまで王者阪急を支える三羽ガラスを一本立ちさせた。
特に山田なんて開幕6連敗に始まり、17敗もしながらも辛抱強く2ケタ勝つまで主力投手扱いで起用し続けたんよね。 >>258
>> V9戦士の生存率は高い
新浦も現役時から糖尿だけど元気なんじゃね?
V9末期はまだ高校中退のポッと出ピッチャーだったが >三つ巴
誰が阪神を日本一にさせたと思ってるんですか?
の人ですね? GM最凶の人。森さんはGMにならなかったのは正解。 >>320
この年限りで田淵・山崎が引退したんだよね
使わないのならトレードに出してあげればよかった
一方、投手の高橋直樹はさらに年上なのに、まだ主力として投げていた >>324
山崎裕之は1983年にキャリアハイの82打点だからまだ余力があったと思う 田淵幸一は引退時期としてはちょうど良かった。
最後の年も監督推薦でオールスターに出られたし。 >>326
それはいいけど ちゃんと監督にまでしてやれよなあ
おかげでえらいババつかまされた球団のファンだった者だが 例の堤オーナー報告
あれから色々本など読んであくまで森解釈視点だけど
嫌味のニュアンスが大きかった。
あの場の返答次第では進退もあり得た。
その場に居た根本の神妙な顔も最悪の方にに行かないでくれ
(後任何も考えてないし)のように見えてきた。
その後選手に報告、見返してやりましょうとお決まりパターン
90年の独走日本一の成績で〆
ストーリーとしてはその方が後付けでも面白いと。
分かったのは堤は森の事をあまり好きではなかった。
球団は任せているから良い時はそのまま。
そうじゃない時はいつでも。という状態だったのだろう。
激励とかの意味はなかった。と
94年のオーナー報告の映像ってないのかな? そういや90年以降のオーナー報告って見たことが無いな。
っていうか88年89年以外を見たことが無い。 >>303
>
>94年当時は東尾修氏が次期監督というのは「まさか」のサプライズに思えた。
>
↑常勝を維持できるのかという不安要素はあった。
松阪を獲れたのは幸運かな(彼が在籍中の日本一は伊東時代の2004だけだが)
>>326
田淵も江夏も翌年に西武×阪神が実現すると分かってたらもう1年出来たかも… (江夏は200セーブ目前だったのに)
うっかりしがちだが、江夏さんも田淵さんも現役最終年で再びチームメイトに
なっていたのだった。
84年はV逸の年だったから、消化試合は罪滅ぼしの意味で一度は江夏・田淵の
黄金バッテリーを復活させてくれても良かったと思う。 森氏がいったん西武を離れたのが84年オフ。広岡氏との訣別。
85年はせいぜい3位くらいかと予想していたが秋山の本格的台頭など
切り替えが上手くいってリーグ優勝。日本シリーズ敗退は意外だったが
見事な成果を見せた。 >>332
それで西武ファンへの罪滅ぼしになるとでも?
特にチビっ子などには
しかし昨日20年ぶりぐらいに所沢行ったけど何もかも変わってて驚いた
サイドまで変わってやがってwありえない光景だったわ そもそも江夏を獲得したのは根本で広岡は江夏なんて全然欲しくなかった
「なんで柴田を放出した?」と怒っていた位だったから 森と江夏の豪華リレーはシーズン前半まで機能してたんだけどね。 西武にしては珍しいトレードの失敗例。
既に森繁和というしっかりとした抑えがいるから江夏は獲得しなくて良かった。
根本さんは「巨人には渡さない」という思想だったのかも。 柴田なんてどうせ日ハムに行ってもノーコンは直らないだろうと思ってたけど覚醒した
ので驚いた。 西武でのシーズン前半の江夏は僕には輝いて見えた。
森との豪華リレーで何時になく意気込みが凄かった。
やっと真の理想のチームに来れたと喜んでいた感じだった。
だから野球ではなく人間関係で西武も追われたのは残念にも思った。
引退後も西武の環境は何から何まで違っていて素晴らしかったと懐かしがっていた。 >>338
巨人は王新監督が「獲得しない」と明言してた。もう少しオブラートに包んだ言い方ではあったが、絶対勝たなければならないシーズンにトラブルの種は不要という考えだったようだな。
根本氏は江夏が晒し者になってるのを救ってあげるのも新・盟主の役割という考えもあったんだろう。 巨人の方は抑えは角がいたけど、84年あたりは機能していたのかどうか思い出せない。
一時期凄かった記憶はあるのだけど81年くらいだったか。。。
鹿取台頭時期は、もう少し後だったか。
当時はまだ他球団のビッグネームを乱獲することはなく、健全な野球を巨人はやっていた
ように思うが記憶違いで間違いかも知れない。
江夏投手は抑えが決定的に不足している球団に行って欲しかった。 広岡監督は江夏獲得に不満だったらしい
むしろ柴田・木村という計算していた投手を出されたことがマイナスだと考えた
ロッテか南海あたりに出せばよかったのでは?
稲尾監督と江夏なら合うかも知れない 江夏は広岡の人間性について色々言っていたが
遠征時の森が部屋チェックのルーチンの際に
「俺も本当こういうことやりたくないんだよ」と漏らしていたから
もっと酷い裏の面も聞いていたかも。
江夏だけの主観でなくそういう周りからの声も耳に入ったから例の朝食時の
発言につながっているのかも。。。
か、森の二重トラップか?
現に江夏二軍行き云々の空港トラブルも意思疎通できていたなら当時ヘッドの
森が伝えていたはず。
という疑問も。
というかそれすら森達コーチに知らされず。。。と言う事なら広岡自体に問題が。という疑念すら湧いてくる。
クセの強い江夏、広岡、森
闇が深いなぁ。考えて行くと。まるで芥川龍之介の藪の中の様だ。 >>339
柴田てなかなかの技巧派投手のイメージなんだよなあ。
顔はライオンみたいな顔しているクセにw。
だから振り回す近鉄みたいなチームに緩急でノーヒットノーラン >>345-346
ちやほやされた西崎や松浦そして津野のトレンディ路線とは世代の異なる、人の良いおっさんってイメージだった。>ノーノー柴田 >>343
南海はねえわ
ノムの件もあるけど なにより年俸払えん >>345
ハムでのイメージ強かったから、
スピードガンのランキングで小松や山根なんかの間に挟まれて
柴田の名前が150超えで上位に入ってたの見たときはちょっと驚いた 柴田は80年(たしか)に日ハム相手にあわやノーノ―の投球をしていた
(8回位に絶たれる)
時々狂い咲きをするイメージだった西武時代の柴田。
上記で強烈な印象を持ったから交換要員に指名したと思う。
植村監督との相性も良かったのでは?大沢だと潰されていたのかも。
ボロボロのハムの中数少ない明るい話題だったはず。そういえば坂巻っていたなぁ 植村監督は年中無休の野球で選手が疲弊してしまったのではないだろうか。
投手コーチとしては広岡氏が評価していた記憶はある。 >>352
映画「プロ野球を10倍〜2」のアニメパートでは
ダグアウトの屋根に陣取る大沢に
「親分 高代めがエラーを〜」といちいち片ひざついてご注進に及ぶという役
監督なのにかわいそうにな〜 と子どもながらに映画館で気の毒に思ったもんだ ヤクルトの武上監督も上に対して従順な人だったようです。
前任者と真逆。 >>209
手っ取り早いのハワイアンは!Slipを1え強制wする どこの球団でもいいからいっぺん見たかった「森GM」
どんな野球を目指したか。。。 掌返しで
やりたければどうぞ。おやりになって下さい。
を連発するGMになったかと。 すすめ!!パイレーツ 電子で読み返してたらちょっとだけ森が出てるのに気づいた
パイレーツにイジり倒され狂いそうになるヤクルト時代の広岡を必死にサポートする役だが
広岡のキャラ立ち具合にくらべても 子どもにはモブにしか見えんよなw 山田の妻が源田の妻を誹謗中傷したという記事を読んで森と大橋を連想してしまった
やっぱり同じポジションのライバルって綺麗ごとじゃすまないのね パイレーツで思い出したけど昔「サラかん」(作・高井研一郎)の主役チーム・日暮里パイレーツで戦力外通告受けた江夏モデルのベテラン左腕を、主人公の監督が他球団のトライアウト受けさせに行く回あって、そっちの監督は野村か近藤貞雄がモデルだった記憶あるで 西村京太郎氏の作品に消えたエースというのがあって京神ハンターズの江島という江夏豊モデルと思われる
人物が登場していた。 >>362
レギュラーが非レギュラーを中傷で陥れるという点で
森のあくどさがより際立つな というかこの人、正捕手になったときも
なにか裏工作していそう
肩とか打撃とか藤尾の方が全然、上だったそうだし 福島知春は驚異の盗塁阻止率:.633だったのに山倉に正捕手を奪われたし
捕手の評価は難しい それなら例の江夏の二軍落ち飼い殺しも
森の思惑の疑念を考えざるを得ない。
広岡への攻撃の一つとして
痛風とかの極秘情報とか森とか一部の情報とか知りえないのをわざと、で皆の前で
言わせて恥をかかせるとか。。。
あり得ないわけではないというのも解釈にさらに拍車を 捕手は、ひとりしかいない、他のポジションに動かすのが難しい
(正捕手から外れたら、控えになってしまう)
だから、ライバルを強く排除しようとしてしまうのかな?
野村ぐらい打てる捕手ならレギュラーは盤石だろうけど、
通算打率2割3分くらいだと、何かの拍子にレギュラーを失ってもおかしくはない 「捕手の育成は四番以上に難しい」と言っていた人がいた
打者の場合は打てさえすればパならDHという手があるが
捕手は、肩、インサイドワーク、キャッチング、パスボールの少なさ、ある程度の打力
と色々な点が求められるからね
上に挙げた福島も肩以外では山倉に負けていたからレギュラー奪われたんだろうし >>369
今のように複数制だったとしても
全捕手キッチリ査定して上の方はつぶしにかかるんだろうなあ 広岡の痛風なんて極秘でもなんでもないけどな
足が痛むからスパイク履けませんとかバレバレやんか
選手間で揶揄してバカにしてたの見てオレは直接言ったるわって江夏がイキっただけ 痛風で靴が履けなかったのは85年
84年はシーズン中はそんなに知られてなかったはず。
ナンバーの田淵江夏の引退特集号の江夏の対談で(多分相手は編集長???)
実はあのオッサン痛風なんや
という出だしから始まる。
会話もキャンプの時に蘭の花の話で10分くらいとか、怨恨丸出しの出だしだった。
だからあまり世には出ていなかったのでは?
逆に西武の球団としてのやり組みや施設、最後にバッティングピッチャーを第二球場
か何かでやった時の若手などに触れた時は凄く好意的に話していた。
その相反するものが当時読んだ時強烈だった。 山倉を使ったおかげで後の巨人は崩壊したけどね。
インサイドワークは悪いし >>368
ここまで自分の思い込みで森のせいにして
この人よっぽど森のことが嫌いか
そもそも根性がひん曲がってるんだね せめて何らかの文献に証言なりが出ているネタでやって欲しいね ソースもない決めつけに勝手な思い込みを繋げていってるのがアホらしすぎるよな
痛風発言から羽田空港での二軍降格までは期間が空いてるのも認識してないんだろうな
当時の広岡が江夏を使う理由はもはや何にもなかった
キャンプ初日から遅刻、さらに広岡の管理野球には反発
輪を乱し続けるおっさんなのに成績は平凡なリリーフピッチャー
それを使い続ける意味がどこにあるのか、そんなピッチャーは森がわざわざ陥れる必要性がどこにあるのか >それなら例の江夏の二軍落ち飼い殺しも
>森の思惑の疑念を考えざるを得ない。
この主語述語もはっきりしない下手くそな文章と
>。。。
三点リーダーの多用および誤用
これが各西武スレに出没するネガティブ妄想野郎の特徴だな ぜんぜんいくさにゃ むいてないけど
もろ宇喜多直家タイプ 宇喜多直家は物凄く腹黒い男なんだけど、その息子の宇喜多秀家は優しい顔立ちの
かなりのイケメン風に描かれていた。きっと母親の方に似たのだろう。
関ケ原古戦場で宇喜多秀家の陣取ったあたりを行ったことがある。
たいていの観光客は石田三成の陣取ったあたりで「イエーイ!」と写真を撮って
クルマで立ち去ってしまうがそれではもったいない。
宇喜多秀家は晩年は八丈島だったか失念したが、かなり長生きしたようだ。
「島流し」というけれど、温暖な気候で穏やかな晩年を過ごしたのでは、と想像する。
参謀と言うと「この人、凄い!」と思ったのは、竹中半兵衛。僅か16人で稲葉山城
(のちの岐阜城)を奪取。織田信長ですら「美濃を平定したらアンタに半分やる」と
まで言ったらしいが、辞退して斎藤龍興に城を返して隠居。のちに秀吉の参謀に。
森さんはどう見ても竹中半兵衛タイプに思えない。 岐阜県出身者でベストナイン組むとしたら監督部門と捕手部門はやっぱり、この人が最有力。
確定的なのは二塁手・高木守道。 名球会組の梶本(多治見)と和田も確定だろ
捕手は石原、嶋あたりもいい捕手だが、まあ森のV9捕手という肩書きは強すぎる 美濃の国と飛騨の国とでは同じ岐阜県でも気候風土が随分違う。
森さんは美濃の国の出身の筈ですな。 桑名出身の親父とお盆の墓参りに行くたび タクシーのラジオで甲子園が流れていて
いつも岐阜に負けてねえと運ちゃんとボヤキあうわけさ
ワケわからんかったが高校生くらいになって三岐代表なんてもんを知った 海のない県に生まれたから海に対する憧れの気持ちがあるのだろう。 >>384
森の出身は大阪豊中なんだよな
戦争疎開で戦後岐阜に移って中学高校卒業後巨人入りしてからずっと在京球団ばかりで今ハワイだから岐阜出身って意識は無い感 >>387
何回も離婚して巨額年俸をもらったこともないのに
海外で悠々自適というのがさらに凄みを感じさせる
あーでも監督として長年かなりもらってたか 巨人だと財界人の資産運用指南役がいて
長期保有でジワッと値を上げていく株とか
いい不動産とかも紹介してもらえるらしいからな
それでいて江川と桑田はなんでああなったんか?
自分でやろうとしたから? >>390
当時は日本中がバブルに狂乱してただろう。江川と桑田だけが馬鹿げたことをしたわけじゃない。プロ中のプロの金融機関だって破綻したりしてるのに。 将棋のプロ棋士(元)で京セラの株を130万で買って売る時は2400万くらいに
なっていた、という人もいた。そう考えると株は魅力的。 何回も離婚して、ということは裏を返せば何回も縁があった男、ということで裏山氏。 仕事中に女子アナナンパするぐらいだからな
俺のようにカネにも女にも淡白な者にはうらやましというより同じ生き物とは思えん 見た目は女に執着する人に見えないけど。
仮にスキャンダルを起こしても「何かの間違いだろ?」とこの人ならば思うが。 日本には「むっつりナントカ」というすばらしい言葉がありますやん 一回離婚→再婚したけど、最期まで嫁と添い遂げたノムさんは立派ということかw 現役時代、昭和47年の年俸が1200万円
ONのような高給取りではないけど、当時としては数少ない1000万プレーヤー
阪急の長池、近鉄の土井が1300万円くらいだから
森の実績くらいからするとかなり高いと思う
他球団なら400万円くらいが相場
でも、そのお金を無駄遣いせず、きちんと蓄えたのは立派だと思う >>231
谷繁はかなりクセのある捕手でかつ自尊心強いタイプだったから森と対立したんだろうけど、もっとやっかいな落合とは現役時代は上手く行ってた訳だから、監督として根本的に間違ったんだろうなぁと。 >>398
添い遂げた?あの妖怪が金ヅル逃がすわけないだろ >>399
本人は無駄使いしないで堀内さんに無駄使いさせていたワルな男。 >>403
別に姉が勝手に連れてきたわけではなく、桑田が紹介したんだろ。元々は西本にアプローチしてたブローカーらしいが。 >>400
祇晶は前任者を小馬鹿にしていたから
その配下の主戦捕手なぞ理解してて認める気は無かったんじゃねw >>399
高橋直樹の東映~日ハム時代は幾らだったんだろう
セリーグでは分の悪い人だったから70年代のパでどれだけ貰えたかのか…
(なお広島~西武~巨人時代の年俸は2200~3000万円ぐらい) 79年あたりで2000万は行っていたと思う。王選手で8000万台か。 巨人軍のV9時代上位レギュラー選手の公表推定年俸は実は手取り額だった説もあったなw
尤も後援会等財界筋の御祝儀やTV出演サイン会etc副収入が多くて年俸には手を付けずに生活出来たって過去に土井か高田辺りだったかが当時のウラ話としてコメントしていた記憶 昭和56年くらいだと、だいたい3000万円が一流プレイヤーの一つの目安だったと思う。
山本浩二選手が6500万円で1位。江夏豊投手が6200万円で2位だった。
3位以下は覚えていないが掛布雅之選手が3600万円(800万円アップ)だったのは
記憶にある。現在からすると相当に安いと言える。 森は県立岐阜高校卒業で、よく調べてみたらそこは県下一の進学校じゃないか
森も当時の高校生の中では学業は優秀だったんだろうな
高校在学中の成績は知らんけど
>>388
何の媒体か失念したが、森のインタビュー記事で森本人が関西訛りで答えてた
のを読んだ記憶があり当時は違和感を覚えたが大阪育ちなのか この秋、ベスト4まで行っている岐阜は21世紀枠有力候補。 >>413
岐阜も長良川越えると関西アクセントとは聞くが >>413
県立岐阜高は昔も今も県下では
トップクラスの進学高
元々大学進学したかったが家計を助ける為にプロ入りしたと昔の野球誌で読んだ記憶
森と同学年プロ同期の中利夫も
県立前橋高で東大に行ける位だったが
スカウトされて何か受験勉強が面倒になりプロ入りしてしまったとか中日関連誌のインタビューにあったなw 森も東大進学を目指していたが、当時の県岐阜高は野球でも戦前からの古豪・県岐阜商と互角に渡りあう強さ(甲子園でも準優勝の実績を残す)で、
森も甲子園出場を果した事から進路を変更し、立教大に野球部推薦での入学を希望するようになった(上位推薦だと学費が無料となるのが魅力だったと思われる。)
が、父親が営む貿易商の経営が完全に傾き、運転資金にも事欠くようになった為、家業の助けにとプロ入りを目指す事になったそうで。 湯口・森の岐阜県バッテリーが定着したら湯口も浮上出来たのかも。 そうしたらそうしたで森にネチネチやられ神経を…
向こうもけっこう難しい人だったのかしら 湯口とは書いていないが湯口としか思えない(湯口と仮定すれば矛盾点が全くない)
選手が非常に素行が悪かった、と書かれていた。
その選手の素行の悪さは、在学していた県のみならず、プロ野球の球団を抱えていた
隣り県まで知れ渡っており、意図的にその球団は指名を避けた、というもの。
具体的に言えば、その選手は高校時代にシンナーをやっていた、というもの。
若くして不慮の死を遂げた、と書かれていて、反射的に「湯口」という名前が
どうしても浮かんでくる。 >>417
そういう経緯があるから、森は大橋・槌田などの東京六大学出身の捕手に絶対負けない
どんな手を使ってでも正捕手の地位は渡さないという強い意志につながったのかな?
本音ではやっぱり大学に行きたかったはずだ >>421
わからんでもないが そりゃほぼヤツアタリだ 野村は小さい頃から貧しかった
逆に森は裕福な家庭で育ったが、親の事業失敗で急に貧しくなった 大学に行っていたらもう少し穏やかな人になっていた🏫 >>423
横浜の地で落ちぶれトラウマが蘇ったかもね 野村克也兄は社会人になってから大学の夜間部で学んだ。 >>424
表面上は穏やかだろ
もう少しまっすぐな人間になっていたのでは 西武の監督を辞任した後で社会人推薦枠で大学に入り直す手もあった。
森さんならば行けるだろう。 桑田とか仁志みたいな学歴コンプじゃないんだから
功成り名遂げて身退いたあとにそこまでして大学ごときに進む必要なかろう 仁志のどこが学歴コンプというか問題あるんだよ
王道中の王道じゃない >>431
わざわざ仁志を例に出した理由すら知らんのか
彼は「早大卒」じゃないんだよ
岡田と同じ「早稲田出身」
卒と出身の違いでも調べてから書け 慶應出身の選手ってまずいないよな
ほとんど卒業してる
推薦入試でも学力ないと入れないから 慶應義塾高校所属の清原和博次男は1年生だが、いわゆるダブリで1年生2年目。
来年夏の大会で高校野球生活が終わってしまう。
なんとか卒業して欲しい。 >>434
慶応は留年制度があって、同一学年を2回までしか出来んからな。 エモやんも法政大学卒業ではなくて、法政大学野球部卒部と最近になって知った。
ひょっとして田淵幸一氏もそうかも。
ОB会費はちゃんと払っているのかな・・・・・ 高木豊が中央大学の入学式と卒業式以外ずっと合宿所にいたとかで大卒扱いではないんかな
同志社の田尾はちゃんと単位試験受けに行ってたみたいだが 名簿見る限り早稲田で中退してんのは今の60代以上だとどんでんだけ 野球学士だな
早慶など以外の野球大学では
法学士や経済学士より値打ちがありそう 島岡学部卒とか美談に仕立て上げちゃうズルっ子センちゃん 上京したばかりの明治大学新1年生の星野仙一が街で喧嘩して、そいつをボコボコに。
意気揚々と合宿所に戻ったら、さっき見たばかりの男と鉢合わせ。
明治の先輩と分かり意気消沈。今度は抵抗出来ずにボコボコにされたらしい。
殴ることは案外気持ちいいことだ。暴力反対の傾向が強い今日だが、時に殴り合うことをオススメしたい。 島岡のウィキペディア読んだけどエピソードが凄すぎて受ける >>444
クラシキショーをなめんなよ! が コンチキショー先輩かよ… 上京したばかりの星野仙一が街でジジイと喧嘩してボコボコに。
意気揚々と明治大学の合宿所に帰ったら、さっきボコボコにしたばかりのジジイがそこにいた。
ジジイの身分は……とならなかったところに星野仙一の悪運の強さがあった。 仁志は単位8くらいかな。
阿部慎之助は単位10くらいと予想。 >>399
現在ならば恐らく2億円プレイヤーになれる 71年の日本シリーズは阪急有利と見る向きが結構いた共に思う。若き日の福本豊が凛々しい。 加藤英司が晩年は球団を転々としたのは悲しい。
最終所属球団が南海ホークス。 >>444
星野仙一って人に殴られた事があるのか! こりゃ新発見だな
コイツ人を殴ってばかりのイメージが強烈だからなw 星野仙一は高校時代に喉の乾きに耐えかねて、ボウフラの湧いている水溜まりの水を飲んだ。
なんともなかったらしい。
少年時代と晩年は暴力男のイメージはないが、さすがに中日監督時代は、ちょっと酷いと感じた。 >>451
在阪3球団すべてに在籍したので
「ミスター・レールウエイズ」と勝手に呼んでた
彼が最初かと思ってたが阪本敏三が先だったな 元巨人でもある加藤英司。
巨人で2000本安打を達成していたら、そのまま引退だったろう。 岩隈久志に高橋直樹に松原誠にエリック・ヒルマンに加藤英司。
このあたりは『ザ・巨人軍』といった感じ。
巨人OB会で積極的に発言して欲しい(・_・;) >>455
西本に「引退します」と報告に行ったら
「2000本安打はどうするんだ?ちょっと待っていろ」と杉浦に電話して
その場で南海入団が決まったそうだ
王も「2000本安打をあきらめるな!ロッテへのトレード話もある!」と言ってくれたとか。 >>457
「プロ野球トレード史U」では、
西本は阪神監督の吉田(西本とともにフジテレビ・カンテレで解説者だった)にも声をかけたが、
当時阪神が他球団のベテランを獲得し過ぎたのを気にして穏便に断った。
そのため近鉄コーチだった事がある杉浦に連絡した、とあった。 弘田、長崎、永尾、柏原に加えて一塁にバース…ヘタすりゃまた達成ならずだったかもな
しかし デビッド退団バナザード獲得で一塁が空いたんだから
もう一年ぐらい御礼奉公やってけばいいのによ と散々やられた南海ファンとしては >>458
阪神にはバースがいたし一塁しか守れない加藤じゃそりゃ断わるわな
代打でしか使えん 加藤英司↔水谷実雄の大物同士のトレードは阪急に吉と出た。
78年セ・リーグ首位打者の水谷は阪急でも打点王の活躍。 でも水谷はアクシデントで実働1年だったからな
まあそれでもそのまま加藤を残していいたらDHで聖域化して
石嶺が出てこなかっただろうな
加藤もまず森脇とになってして最終的には西山になった
わらしべ長者的には悪くはない? 森監督はFAする石嶺にDHを用意していたが石嶺はDHのないセの阪神に
SKI砲が誕生していたらD砲を呼び戻す事もなかったか え〜とSは佐々木誠でDはデストラーデと。
秋山幸二はいない……… >>462
畠山がマイカー禁止を破って事故を起こした際にニッシーが同乗していたという
きわめて微妙なエッセンスも 広島はベテランがトレードで移籍すると活躍出来ない印象。
秋山翔吾も気になるところ。 「一塁しか守れない」選手は扱いが難しいということだな
晩年に衰えると余剰要員になりやすいし、トレードも難しい >>468
どこぞの誰かも 買うたろうとはならないだろうな >>468
逆にレギュラー捕手だった人はベテランになってもけっこう行先が見つかる
若手コーチ兼控え捕手みたいな立場が期待されるんだろう >>473
笠間は阪急→阪神と渡り歩いて1983年に若菜を自由契約にした後に1年だけレギュラー
.271 12本塁打 41打点だから打撃は良いけどレギュラーになるには他の点が足りなかったんだろうな >>474
野球4コマで解説者が
「ガッツと短気を混同しているという阪神らしい選手」
などと評していたが的確かね すると笠間さんは巨人と阪神の両方からOB会の通知がくるわけですな。 球団によっては指導者のみでの在籍者もOB会に入れている所もあるな。
阪神のOB会がそんな感じだったりする。 藤田元司さんが落合博満氏に「お前なんで(巨人の)OB会に出ないんだよ」と言ったら「俺のところに通知が来ないんですよ」という話を最近聞いた。
翌年から通知が来るようになったらしいがたぶん落合氏は出席していないと思う。
落合氏に通知を出さなかったのは、何かマズい事情でもあったのかどうかは知らない。
掛布雅之氏が江川卓氏に「1日だけでも在籍したんだから阪神のOB会に出て来いよ」と声を掛けたと聞く。 巨人OBは落合の獲得には大反対で清原の獲得には大賛成
見る目が無さすぎるよ 巨人しか体験していないOBよりも巨人以外の球団を知っているOBの存在が貴重。
大観衆の前でプレイ出来るなど恵まれた環境下で野球の出来る巨人と閑古鳥の鳴く昭和期のパ・リーグの
両方を体験した人こそがOB会の前面に出て来て欲しいが。 >>479
2人がFA宣言した年齢を考えたらごく普通の意見なのだが 巨人はどうしても「巨人の生え抜き」を偉いと考える伝統があるね
他チームからの移籍組や他チームにトレードされた選手は格が下がるとされる
トレードされそうになると、「巨人の○○で終わりたい」と言って、そのまま引退しようとする >>483
川口は巨人OB扱いになっているな
本人が現役時代にFA移籍して「巨人に入れて嬉しい」と大喜びだった >>484
川口はFA入団者で初めて巨人で引退出来た人だっけ?
CMか広告の写真で名前の後に「元巨人」と書かれていた。
経歴的には「巨人キラー」の方がしっくりくるがw さすがに中国新聞や在広局は川口を「元広島」扱いしているな。
余談だが池谷公二郎の父親が亡くなった時の訃報では、
読売新聞は「元巨人投手コーチの父」
中国新聞は「元広島東洋カープ投手の父」としていた。 >>482
トラブルメーカーは何処も避けるでしょ。巨人的にはセゲヲは聖域やから。 巨人の定岡で終わってしまった人がいるが近鉄・定岡も見たかった。 あれについては定岡と淡口を犠牲にしてでも有田を欲しかったのが凄い
山倉にとっては「お前じゃ物足りない」だからいい気分じゃないわな
王がやたらと駒田を可愛がるのを見ていた中畑も同様
「お前が一塁じゃ物足りない」と言われているようなものだから 数年後、中日から中尾を獲得するが巨人も中日もどちらも生きた成功トレードだったと絶賛したい。 96年に名古屋で乱闘。
中日に移籍していた金村義明がバットを持ったまま乱闘の輪に加わると
「お前、それはさすがにマズイだろう」とバットを取り上げたのが
巨人の淡口コーチ。
近鉄の先輩・後輩の間柄だった。さすがに金村義明も先輩に逆らえなかった。
二人とも兵庫県出身ではないだろうか。 淡口は金村のネタの中で「巨人との待遇の違いにビックリする」役 「プリンスホテルから近鉄に来た選手が「プリンスホテルの方が待遇が良かった」と言った」も
金村の定番 三田学園で淡口は近鉄で同僚となった羽田の1年先輩だったかな 東京六大学の試合では女子マネが場内アナウンスをつとめ出身高も読み上げるが
「みたがくえんこーこー」は何回か聞いた まあ関東じゃしょうがないかもな
きょうび大学野球なんて見にくる連中はたいがいマニアで気づいているが
紳士的でもあるのでみな聞かなかったフリをする >>493
山倉と中畑の引退は藤田感得の功績?
>>499
そうだったんか!!
>>500
塾高の一つ?とまでは思わんが、慶應を連想した。 東都の大学出身だが、優勝した時に講義が休講になったことがあった。
それだけ目出度いということ。
今では2部だけど😭 三田駅(さんだえき)は神戸電鉄の終点だし、関西人は「さんだ」で読み慣れている
だから、東京にきたとき、三田線の三田駅を見て、「東京にもさんだえきがあるのか」と思った 三田駅は駅名は違うけれどもJR田町駅と乗換可能。首都圏に結構ある駅名は違うが実質同じ駅。 長嶋茂雄って、日テレの解説だった時期はあったのかな?
1981〜92年のフリーな間は、メジャーリーグの試合を観に行ったりもしたらしいね。 錦川鉄道の御庄(みしょう)と言っていた駅名が清流新岩国と最近駅名変更。新幹線の新岩国駅と乗換可能。
徒歩7分。この駅は利用したことないが。🚅 >>507
報知新聞客員の立場で、ゲスト解説つう形で出ていたよ。
その際、解説席内に設置されたテレビカメラに移動して、彼自身が持ってきたというバットで、
「今の彼のスイングはこうなっている。これでは変化球には対応出来ないですよねハイ」等と
身振り手振りで解説するのがお約束となっていた。 >>507
87年以前に村山と一緒に解説していなかったっけ? 長嶋は開幕戦なんかは結構呼ばれてたね、G+の過去の試合のアーカイブでも割と出てくる
ゲストっていうと80年代半ばだったか、日テレ日曜の試合はビートたけしがちょくちょく呼ばれてたの思い出した メモリーにフラワーを咲かせたらあなたのハートのドアをノックしていた。ヘイ、カール、カール!
原のホームランは焼け石にウォーターでしたね。 80年代の長嶋さんは文化人というイメージで見ていた。 結果でなくて首にされるはしかたがないけど古巣から干しあげるまではやりすぎだったんだよ務台
あれで同情与えて二期が好き放題になり森も復権逃すんだしな >>492
実現したら対南海戦で智秋と兄弟対決がみれた >>520
「あぶさん」では恒例のオープン戦で実現
三振に切ってとられた兄が関西弁で毒づき
弟が東京弁でいなすというシュールな光景が見られる >>517
実際名義使いたいだけなんだろうけど、
肩書き日本一とか言われるくらい、えらい色んな団体の役職やらされてたよなあ 兄がホークスにいたからパの待遇の酷さを知っていたんじゃないかな>定岡
パへのトレード拒否というと中日の藤波が有名だが
ヤクルトの安田もロッテの山崎裕之とのトレードを拒否している >>523
違うわw
定岡は肘を壊してたのにトレードの玉に使われることに抗議して引退したんだよ
これを当時ぶちまけてたら引退後巨人との縁も切れ解説の仕事も来なかっただろう
告白したのは近年になってから
昔はこういうキズ物を隠して良品と取り換えるトレードが普通にあったらしいな 巨人定岡と広島定岡の兄弟対決は実現した。兄に軍配。 >>525
近鉄は定岡の肘の状態を知らされてなかったのか?
っていうか、傷物を隠してトレードに使うってありなん?
いくら駆け引きとはいえそこまで作為的だと、その時は儲かっても今後はトレードをできなくなりそう。 >>527
昔、日ハムに高橋一三、太平洋に関本四十四つう使い物にならなくなった投手を放出して、張本や加藤初を獲得した過去もあってな・・・・。
関本は太平洋で1年→大洋で2年を経て、いたたまれなくなり自ら任意引退を申し出て了承されたけど、高橋一三は引退を申し出た際に
大沢親分から「お前の為に高い金が掛かっているんだよ(涙)。このままじゃあんまりだから、もう数年頑張ってよ。」と泣き付かれ、
丸1年がかりでじっくり体を治した上で、変化球投手として再起したという。 >>528
末期じゃないけど、そんな投手の一人がリリーフ投手として獲得した筈の山内新一やね。
獲得してみると完全に右肘が曲がっていて連投がきかない投手に成り下がっていて、ならばいっその事と半ば苦肉の策で急造の先発投手に仕立てた所、
右肘の曲がりの影響で大きく変化する様になったスライダーの出し入れを武器に20勝2度のエースとなり、例の再生工場の優等生みたくなったけどな。 >>528
新井⇔山口だな
あれなら金銭トレードの方がマシだった
首位打者を無償で譲渡したようなもん 13勝くらいで最多勝になることもある現代からすると山内新一の成績ももっと光が当たって欲しい >>532
本人が地味だと成績まで見過ごされるんだよな 当時の南海はもう杉浦・皆川クラスの大投手が出てこなくなったからね
再生してそろえていくしかなかったんだろうか 金城基泰は野村監督時代に南海に移籍したのかな。
いつ移籍したのか記憶が曖昧になってしまった。
広島時代最多勝のタイトルを獲得したが交通事故で失明寸前。目の中にガラス片が残ったままという話を聞いて恐ろしくなった。よく復活した。 >>535
子どもの頃は江夏と交換と思ってた
弱小チームにあって2年連続のタイトルはそれだけの価値があるよ
実際は福士とだったが 金城も福士も在日コリアンで日本国籍帰化。
張明夫(松原明夫)が福士姓の奥さんと結婚して松原姓を捨て、その時に日本国籍を取得して下の名前も改めたと40年前の週刊ベースボールに書いてあった。 南海と広島のトレード、野村と古葉の関係が大きかったんだっけ
南海追われた高橋里志も拾ったり ちょっと違うだろうけどホプキンス、ライトルの助っ人払い下げもあった
逆は… いちおうブレイザーもカープにいたんだよなリトル巨人くんで見た覚えが
「ふふふ きたぞ、ブレイザー」
「イエスサー、ボス」 なんて 野村以前も鶴岡が広島県人という地縁で、カープとの関係がそれなりにあった様だ。 ずっと後、ダイエーになってからは「ゆうじょうとれーど」とやらでカープから何人もやってきたが
払い下げ通り越してジャンク品ばっかり… もはやスレタイと関係のない話題ばかりだが
実に自然な流れでスレチだというヤボなやつもいない
まさかこの人のスレがこんなことになるとはw 広島はベテランになってからは移籍しないほうがいいのかも。
若手を鍛えて一人前にする球団のイメージ。
昭和40年代から不変。 ベテランになって広島移籍で成功と言うとまずは江夏
後が浮かばないw 広島から日本ハムに行った時は2対2のトレードだったと記憶している。
一緒に行ったのがよりによって仲の悪い高橋里志。 里志と佐伯がまず成立して
その後に別途江夏と高橋直
親分もバカじゃないからそこまではまとめて取らない
後から江夏放出を聞いて、それでもなんとしても江夏が欲しかったから
強引に獲得 江夏の話を進めている最中での以前から進めていた別トレードだったから、親分が「高橋(直)出せってんだから、こっちの方はお宅の高橋をくれ。」と言ったら、
古葉監督が「いや、江夏が欲しいというなら、彼だけは止めた方が・・・・・」と返したらしいけど、それを聞いて就任時にケンカ野球を標榜した程の親分的にはニヤッと
笑った事だろうなw
互いにアイツに負けるか!と必死こいて競り合うだろうから、逆にちょうど良いや、とね。
実際、2人ともよく頑張ったよ。只、確かに仲は悪かったけどな(笑)とは親分の弁。 ついで日本高橋慶彦も獲得したらどうだろう
見返りに誰を放出するか悩ましいが。 高代も広島へ行ったんだな
すっかり忘れていた
ファイターズは早めに戦力外通告するから生え抜きでも
最後の1~2年位だけ他球団に移ってから引退する選手がやたらと多い >>552
後づけで言ってるだけ
大沢はそんな親分肌ではない
親分キャラを演じてただけ 森は肩書きなしでは生きていけない男だった。
と、おじいちゃんがコメントしている。 倹約家だからカネは十分にあるんです。
この方を見ると堀内さんが立派な人に見えてくる。 当時の野球選手の中では年俸が高いほうだった
現役晩年には1000万プレーヤーにもなった
でも、正捕手の座はいつ奪われるかわからないし、お金を使う気になれなかったのでは?
だから、貯金をする習慣がついたし、現役時代にかなり貯められたんだと思う >>555
生え抜きは田中幸雄だけかな
200勝投手は不出。 生え抜きエースの西崎も切ったし大田泰示もあっさりと自由契約にしたし
ファイターズの方針は一貫してる 古くは.383・26本の2冠王(前後の打者に恵まれていれば、悠々3冠王も獲れたろう)且つ規定打席到達でのシーズン最少三振の18三振と、もはや
川上(.377)以上の打撃の神様に上り詰めた青バットこと大下弘を契約の拗れから、西鉄に放出して以来のチーム方針つうかチーム体質つうか。 森さん、だいぶ前にハワイで雑誌の取材に応じてたな
かなりの愛犬家らしくて小型犬を複数頭飼育して溺愛してた
幸せそうでなによりだった 海のない県で多感な青春期を過ごした反動で毎日海を見ているのだろうな。 金は十分にあっても円安やインフレにブツクサ言ってそうだな >>574
だとしたら ケチ森健在でうれしい限りだ >>564
実家の事業の失敗で貧しくなり国立大学進学をあきらめてプロ入り
若くして買ったのは貯金箱 けどなんで大阪から岐阜高校に進学したのかね?
親の都合なんかね? 女性の方もお盛んだったようだけど、逢瀬の際も割り勘とか相手払いなんだろうか >>581
デビューしたばかりで人気が出る前の広末とCMで共演したのも何か持っている 国民栄誉賞を受賞した時点でかなり認知症が進んでた感じだっけね?
紅白の審査員で出たときのコメントがかなり危なかったよね。 過去に日本シリーズ3連覇を2回も成し遂げた森に最下位と言う
不名誉を与えてしまった2002年の横浜・・・・・・。
もっとも横浜の親会社がTBSに成ったり正捕手だった谷繫が
FAで中日に移籍してしまったのも大きかったけど。 なんかベイが過去の監督集合させるイベントやるらしいけど、土井淳さんと森さんの名が無い。
2人とも途中休養だったが。
尾花さんはヤクルトの現場にいるから仕方ないけど。 https://www.baystars.co.jp/news/2023/03/0320_05.php
>4月6日(木)読売ジャイアンツ戦『OPENING SERIES 2023』のゲストとして、
>ベイスターズで監督を務めた権藤博氏、山下大輔氏、牛島和彦氏、大矢明彦氏、
>そして中畑清氏の来場が決定!
ホエールズ時代の監督は対象じゃないんだけど
文章をきっちり読まない方? ベイスターズ時代にしてもあの人も来てないよな
だから別に森が来ないでギャースカわめき立てるほどのことでもないんじゃないの? ハワイ永住すると思いきや帰国し博多に住んでいるらしい。 選手時代の通算成績からすれば、そこそこ稼げた野球人生だったのでは?
選手時代晩年には1000万プレーヤーになったし、西武監督時代は高年俸だった
かなり貯金はできたと思う 横浜でも高年俸だった筈だな、少なくとも自分が見かけた報道では。
何よりV9時代の巨人のレギュラーが稼げたの稼げなかったのって、頭悪そう。
最近こうした次元の書き込みが増えた。ついに日本人も劣化したな。 >>600
当時は1000万プレーヤーは少なく、高年俸の部類だったよ
そういう決めつけはよくないと思う V9の終わりごろは森の年俸はONの次なんだよな
他チームだと1000万台取れたのは打者だと長池・土井正博・江藤クラス
チームの主砲レベルだな ハワイから帰ってきて今日本に住んでいる
みたいだよ。 あのミスター長嶋が俺の後継は森だけは嫌だというほど性悪だったのに
インタビューでは謙遜して謙虚な好々爺を気取っていた。中々の策士か? >>605
西武監督時代のエピソードとインタビュー見る限り紳士だよなぁ きみ、ホテルに行かないか
内容のわりには言葉づかいも紳士的だ 帰国して福岡に住んでるが
もう完全隠居じゃなく普通に外に出て高校生に指導してるんだな >>606
当時、西武時代にお世話になった選手たちが、Youtubeで森の事を語っているが、特に悪くは言ってないなあ。(良い話エピソードもとくにないが。) まあ、勝たせてくれる監督という認識はあるようだが。逆に、星野の場合は、度々、YouTubeで黒いネタを挙げられている。 充四郎の暴露は
「あの子は俺が狙ってたのに あの野郎!」なのか
「あたしという者がありながら ゆるせない!」だったのか コイツの若い頃は目鼻口が顔に付いてる位置、各部位の形も大きさも丁度よい
意外とV9戦士では最も男前 平成後期以降なら薄い顔で、ある程度整った顔立ちの森のほうが、ひたすら濃い高田よりもギャルウケ良いだろうな
柴田は論外で完全にブ男じゃないのか体毛まみれの一般人以下
土井正三はシュッとして格好いい ブイキューさんは歌唱力でハートをわしづかみ(俺たちの) 昔と今じゃイケメンの基準が全然違うし
今全盛期の石原裕次郎や三船敏郎や高倉健が出てきてもそんなにモテないやろうし >>611
良くも悪くも何の印象もないんかなぁ
石毛もミーティングに呼ばれたことしか言わないし
9年やってて他にあるだろ 堤にマスコミの前で「監督がやりたいならどうぞ、ねえ?根本」って
言われた時に怒りの辞表を叩きつけると思ったのに
監督を続けたからプライドの無いジジイだなって思った そりゃあんたゼニのためならねえ 感情もツツミ隠して やりたいならどうぞ
って加藤の巨人はロッテより弱い発言並みに誇張され続けてるな 誇張も何もそのままだぞ。
数年前youtubeで久々に見たが。
報道陣公開の中であんなこと言われ、森は脂汗かいただろうな。 堤擁護かしらんけど以前も誇張だの切り取りだの言ってたのいたけど、
後に見直してもそのまんまだもんな、最初から終始嫌味の連発で いつの時代だろうと森柴田高田が男前だった時代は無い 森は森でなければ中年以降?は結構男前だと思うけどなぁ
現役時の写真見ても全くそうは思わないけど 中畑「ち、ちがいます ワン公って柴田さんのことなんです…」 >>607
いや、あれは西武ナインとリポーターとの親睦のためだよ(-_-;) >>629
森は特徴の無い顔立ちだからな
男前では無いがブサイクでは無い 特徴の無い顔立ちがまんべんなく最もモテる
漫画家の針すなおは美男美女は特徴が無くて似顔絵が描きにくいと言っていた
最も難しいかったのはつまみ枝豆の嫁の江口ともみだったんだとか 白髪髭がめちゃくちゃ似合うよな
>>634
ありゃあ美人だぜぇ✊スケベさも感じるしいいよな >>634
あの女は良い女だ。とても屁とかしそうに見えないし、実際しないだろう おまえら 枝豆にカサで目突かれる覚悟はあるんだろうな この人、高卒だけど
解説聞いてるとすごい理路整然と
分かりやすく話すよな
すごいインテリなのでは? >>640
岐阜県内トップの進学校岐阜高校卒なんでな。
家業(貿易商だったという)が没落していなければ
東大進学を目指していたのでは?とも言われる位で。
高校在学中に家業が苦しくなった事より浪人のリスクを避ける為、
野球の才能を活かして東大以外の東京六大学進学を考える様になったけど、
いよいよ家業が立ち行かなくなった事よりプロ入りして実家の家計を助ける道を選んだ
とプロ入りの動機からして理路整然としているんよね。
ま、寄りに依って大型捕手藤尾が入団して間も無い
巨人だったのが誤算って感じもするけど
入団後も打力や肩では藤尾に敵わないと
持ち前の頭脳を活かせるインサイドワークをせっせと磨いたりと
何処までもロジカル思考だわな。 スレタイの人だよね?
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/4618c878a2d2444aed78f2d142909c89f536257e
>俺が巨人の2軍にいた時に俺はゴマをすらない、●●(発言は実名)はゴマをすった。
>これが1軍に上がれるか2軍のままの差なんだ」と馬場さんは言った。 けど巨人はどうして森さんをスカウトしたのかな
全く無名だったはずだし、まさかそのころから森さんの野球頭脳を見抜いていたわけないし けど巨人はどうして森さんをスカウトしたのかな
全く無名だったはずだし、まさかそのころから森さんの野球頭脳を見抜いていたわけないし プロ野球選手には一億ぐらいやっておけばよいという話も理路整然としていたな。
大卒の広岡達朗も似たようなこと言ってたけど、皮相な意味では森のほうが説得力があったw 森は長嶋を」よく思ってないのかな
最初に本を書き始めた頃は長嶋さんと書いていたのに、途中から長嶋と呼び捨てで書くようになったが 長嶋が現役引退し監督する時、現役後半コーチ兼任で引退後も巨人に残ると思われていた森と
コーチの山内を外して好き勝手に長嶋がコーチ人事を決めた。
1998年長嶋の後任に森になりそうになった時も妨害、長嶋のことをよく思っている訳がない。
OB戦などで会えば会話はするし表向きは普通の関係で、
森広岡みたいにお互いにマスコミの前で罵りあう関係ではないが。 王ですら「森さんのことを言い出したら一日じゃ終わりませんよ」と言っていたほど
森は嫌われ者だったって話 98年長嶋が、アイツが監督になるくらいなら続投するってニュアンスのこと言ってたらしいから
内々で色々あったのは想像に難くない ソースはかなり怪しいながら意外とその辺かなと思えるのが
「二枚舌なら良いんだよ。俺だっておべんちゃら位言うし嘘も方便。
だけど森の場合は三枚舌四枚舌だからね。あんなの信じられないよ!」
と長嶋が言い放ったって話。 森さんは功績の割には不遇な人生だったよな。
野村克也が「森はV9の功労者として球団に残ってもおかしくなかったが、石もて追われた」と書いていたし、西部の監督で何回優勝してもフロントからは「森の野球はおもしろくない」と言われて、監督辞任のときも堤オーナーとは喧嘩別れのような退団の仕方だった。 巨人の剛腕ピッチャーだったプロレスラー・ジャイアント馬場が語った「2軍時代に後悔したこと」【プロ野球・裏面史探偵(34)】
https://news.yahoo.co.jp/articles/373a19e6735155347c79f55df3bdd32325a2b520
先の自著で、馬場は、実名まで上げている。約束を反故にされたことが余程悔しかったのだろう。
<まあオレも、足が遅かったという欠陥のほかにまだ大人じゃないところもあったんですね。
同期の木戸(美摸)とか森(昌彦)あたりは、コーチ陣や監督に、ちゃんと贈り物をしていたんです>
<シーズンにはいって合宿にいちばん乗りしたら、木戸とか中村稔あたりに、
コーチ陣から贈り物に対する礼状が着いていたんですよ。
いま思えば、“ああいうことも、たいせつなんだな”とわかりますけどね。あのころは、腹が立ちましたね。
オレ、当時合宿の最年少でしょう。そういう頭は働かなかったんですね> >>465
94年だから、佐々木・清原・石嶺になる。まあ、石嶺も常時守備つける健康状態じゃないし、オーレいても片方が守備つかないといけなくなるから、石嶺とってたら確実に呼び戻しては無いとは思うけどね。 >>491
当時の清原は扱い辛いくらいで、トラブルメーカーってほどでもない。 田尾も何回も言ってる話だが森と合わずトレード志願して阪神へ
伊東は森について「何もすることはなかったと思います」と発言 森の性格の悪さを指摘する声はかなりあるみたいだな
森の打撃力でV9時代の巨人でレギュラーを守り続けるのはつらかったと思う
だから、次第に狡知に長けるようになっていったのではないか
最後には1000万プレーヤーになったし、監督時代は年俸も数千万円あったので
そこそこ稼げた野球人生になったと思う マー君の威を借る安楽智大似事件?
女性が性暴力・いじめが原因でPTSDを発症し、
泣き寝入りして、苦しんでいます。
https://archive.is/rKT1h
https://xドットgd/j8AL6
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/vcamera/1695083351/
逃げ得が無いよう永久保存、拡散をお願いします。 野村克也も最高の捕手は森昌彦だと認めているが、そのケチっぷりには苦言を呈していたな
V9時代日本シリーズの相手は阪急になる事が多く データを集めようとノムさんの家に何回も来たそうだが
菓子折り一つ持って来なかったそうで、反対にノムさんが食事に連れて行ったり出前を取ったりしても
支払いは一切しなかったとか、頭にきたノムさんはある年の巨人とのオープン戦の時に牧野ヘッドコーチに
「一体巨人ってチームはどんな教育をしてるんですか?人の家を訪問するのに毎回毎回手ぶらで来て
常識が無いですよ」って言ったら牧野ヘッドコーチが「おかしいな?球団から野村にあげてくれと森に5万円
位渡してるはずなんだが」と言われたとか さすがのノムさんも呆れてたな、流石岐阜の貯金箱!!
しかし今ならこれ会社の金を横領した事になるんじゃないか、時代が良かったって事か 家といっても豊中の方だったら金品を差し出すまで監禁されるかそもそも入れてもらえないか 木戸(美摸)って実績のしょぼさのわりに長くコーチをやっていたのは
そういう事をしていたからなんだろうな。
ゴマすりは重要なのか。 >>668
ゴマすり自体はやった方が良いのは長嶋さんも認めている位で(w)。
ゴマすられて気分悪くなる人は居ないからな。 72. 名無し@MLB NEWS
2024年02月09日 22:14
>>71
広岡が森に関しても似たようなこと言ってた
「森は、一流選手揃いで完成したチームを率いて優勝する能力には長けているし、選手の才能を見抜く能力にも長けているが、選手を育てる能力は低い。選手には『お前はここがダメ』と悪口を言うだけでアドバイスをしない。現役時代から後輩を育てるという考えも無かったから、コーチや監督になってもそれが出ている。清原も生まれ持った才能にかまけて甘やかしていた。横浜監督では、若く実力もさほどでもない選手が中心だったし森は選手育成は苦手なので、森横浜は上手くいかなかった」
80. 名無し@MLB NEWS
2024年02月09日 23:55
>>72
廣岡は「森は現役時代、ミットを上から被せるように投球をキャッチするので、ワンバウンドの捕球が苦手だった。しかも、それを投手のせいにして言い訳していた。試合で打たれた時も投手のせいにして首脳陣に報告したりしていた。今の巨人は小林誠司などワンバウンドの捕球が上手いし、現代野球ではワンバウンドが上手くキャッチできないと捕手は務まらないから、森のようなキャッチャーは現代では通用しないだろう」とも言ってたな
0676代打名無し@実況は野球ch板で
2024/02/10(土) 01:59:57.25ID:jRyQcx7w
>>660
>現役時代から後輩を育てるという考えも無かったから、コーチや監督になってもそれが出ている。清原も生まれ持った才能にかまけて甘やかしていた
野村も著書で書いてたな
「清原は若手の頃から首脳陣に甘やかされていた。私は、清原の現役時代の晩年に森を『清原がこうなったのはお前のせいだぞ』と怒ったことがある」 >>668
木戸といえば、伴宙太の背番号119を実際に着用した最初の人か。 堤オーナーの「やりたければどうぞ」発言は、森が書いた本によると「つなぎ的に監督をやらせた人間が3連覇したのは球団にとっては
計算外だった。今年で任期が切れるが3連覇した監督を切りにくい。そこで自分から身を引くようにしたくてあんなことを言ったのだろう」ということだった。 采配はスカタンや!って言われるのとどっちがマシかな 他にも仰木や阿南という「つなぎ」と目された監督が好結果を出した80年代
まあ 地味でも実務に長けてるからこそ起用されるのであって妥当な結果とも言えるな オリックス中嶋なんて典型的なつなぎに見えたが まさかの長期政権 合併以降のオリに長期政権前提のスター監督はいただろうか?
どんでんくらいでは >>675
藤田元司もつなぎだし、古葉は緊急昇格→長期政権だし、意外とつなぎの方が上手く行く。
期待されていない分かえってやりやすいのかもしれない。 >>673
あの堤の発言は森よりも選手達を怒らせた気がする。
選手にしてみれば「結果はこうなってしまったが、自分達はベストを尽くした。
それがあの言葉はないだろう!」と。
実際、辻が森に電話をかけて「来年もやりましょう」と言ったそうで。
球団に対する不信感が募ったんじゃないかと思う。
後に主力がどんどん他球団へ行ってしまったのも、あの発言が遠因じゃないかと思う おれも「やりたければどうぞ」と彼女に言われて萎えた というのはウソですすいません まだ「やめたければどうぞ」のほうが良かったかもり。 いしいひさいちがずっとこのネタ関連で森の4コマ書いていたな。 ただ、あのV逸したあの直後
やたら森は、キャンプは厳しくするとか来年はどうしたいとか
いかにも自分の続投が決まってるかのような発言が目立っていたから
気にはなっていたんだよね
それからの堤のあの発言だからな 「すすめ!パイレーツ」で控え捕手のカベ捕手が
「いや私は実力はあった!大学時代は名捕手と呼ばれたものだ!これは誰かの陰謀なのだ!
私が力をつけると自分の立場が危うくなる誰かの!」と言っていたが
あれって森のエピソードがモデルなのでは。 森さんが卒業した小学校ってどこなんでしょうか?
長森北小学校でしょうか? >>686
なにようるさいわねーっ (かぱーん!)
ジャイアンツの正捕手はわたしよ!これからもずーっとねっ! 清原を「ちゃんとチームバッティングに徹してくれた」と評価していた森氏だけど清原新人の年は厳しく接した事もあったとか
清原がプロ入り初本塁打を打った後に打てなくなって不貞腐れた態度を取るようになり、ある試合で内野安打になる
かもしれないゴロを打っても全力疾走を怠って
アウトでベンチに戻った際にベンチ内で叱責した事があった
そのシーンは写真にも残っている
森氏が清原を甘やかしてばかりいたとほ必ずしも云えないと思う アナウンサー「星野監督を戦国武将に例えると誰になりますか?」
広岡達朗「織田信長でしょうね」
アナウンサー「では森監督は?」
広岡達朗「うーん…斎藤道三。岐阜だし」