物足りなさはあるが消去法でエース扱いされていた投手
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実力や実績は足りないけど他に人がいなくてエースっぽい位置づけにされた投手 >>462
あとアキレス腱を切ったのがもったいなかったね 江川、遠藤、山根とこの3人は
球もめっぽう速いがコントロールもやたらと良いという事だ 全盛期は凄かったエースが力が衰えてからも格みたいなもので抑えてる姿も好き 山根の勝運の無さは異常だったな
どう見ても北別府よりもエースらしい投球してるのに勝てない
あの強打の広島打線が山根の時は何故か援護してくれない
まるで一時期のG菅野や日本復帰初年度の田中マーを見ている様だった
やっと84年に最多勝に近づいたと思ったら翌年肩壊しちゃうしな 池谷なんかも紀藤感あるんだけど20勝したり18勝したシーズンは普通にエースとして見られていたのかな 79年に古葉監督が一番信頼していたのは池谷と北別府
江夏の21球の時にもブルペンへ走らせたのはこの2人
初優勝翌年から79年までは古葉監督としては池谷をここ1番で使っていた
勝ち頭は別にいたが、高橋里志や福士は後に15勝で勝ち頭になった川口や、阪急の今井雄太郎的存在だった
池谷は76、77(78も)と紀藤なんかとは比べものにならないくらいフル回転で酷使された
最近の投手で言えば阿波野よりも酷使された
紀藤より阿波野みたいな感じ 池谷は75、76の2年間でぶっ壊れててもなんら不思議で無い使われかたをした投手だ 75年のエースは外木場(わかってるだろうけど念のため) 池谷は20勝の翌年以降は故障がちで
79年も一応エース格だったが球威はだいぶん衰えていた 78年以降の広島は絶対的な先発エースというより江夏頼みのチームではあった そうか、池谷の全盛期を知らん人が球威の衰えた池谷が勝ち頭でもないのにエース扱いされてるのを見たら紀藤と被ったのかも知れないな
たが池谷は古葉監督の元で本当に大車輪で活躍した素晴らしいエースなんだよ
江夏登場前は先発に抑えに無茶苦茶使われた 昔の投手の動画見たら外木場が一番速いと感じた。
今も70過ぎだが若い。 完全試合1回、ノーヒットノーラン2回やってるもんな
いいときは本当に打たれる気がしなかった 技巧派は怖さがない。東尾だけが桜井章一先生(麻雀)的な「何でもお見通しだぞ?」オーラが
出てて怖かった・・くらい。 外木場も衰えてダメになったというより潰れたタイプだなぁ 最多勝5回、サイ・ヤング賞2回のグラビンが格落ちって、同時期のマダックスやクレメンスで感覚麻痺してないか? >>448
91年の北別府は若い時程ではないが前2年の不振は脱して安定してたよ
この年に前年割れの内容なら松岡コースも有り得たが、持ち直して堀内・平松よりは余力を残しての200勝達成だった
欲を言えば93年まで二桁勝って欲しかったが >>482
北別府の若い時もそんなもん
勝ち運があっただけ
60年61年が特別良かった 北別府200勝かかった92年はモチベが大きかったんかね
久々に復活みたいな成績で
前年日シリも結局勝てなかったけど秋山の一発のみの好投してたね 34歳で91年のピッチング、翌年35歳で更に好内容、若い頃は91年並みのピッチング+200イニング以上、特別に良かった85年86年・・・
このキャリアでもあれこれ言われる所が北別府の真骨頂 北別府が特別よかったのって85、86ではなく82,86では? 82年は
山根の故障と援護なし
池谷、福士から大野、川口、津田への世代交代
北別府は何故か大量援護に守られて紀藤の如く勝ちまくった
エースらしいピッチングは85年の方 >>468
> 山根の勝運の無さは異常だったな
>
> どう見ても北別府よりもエースらしい投球してるのに勝てない
>
> やっと84年に最多勝に近づいたと思ったら翌年肩壊しちゃうしな
>
↑だが北別府は日本シリーズでの勝ち運が無さ過ぎた
広島自体も過去、山根の入団前・故障後に日本シリーズをモノに出来たことが1度も無いし・・・
北別府は89年に突然おかしくなったよね
年初は名鑑には名球会に3年計画とか書かれてて、11年連続二桁勝利も続いてた
それがこの年は例年の倍近いペースで被弾して無四球も無く、シーズン中に二軍落ちしてミニキャンプまではる始末だった
このまま終わるかと思ったけど、よく持ち直したと思う 87年も不振だったが、これは前年の疲れだろう
88年はまぁまぁだったがシーズン終盤北別府にしては珍しく?勝ち運に恵まれず敗けが先行した記憶がある
200イニング超えたし、前年の不振は脱したと感じたか、当時父親がピッチャーは30過ぎたら急速にダメになる、ともよく言っていた 87以降で北別府が不振だった年はない
あるとすれば勝ち運のなかった年だ
北別府の調子自体はいつも通り
繰り返すが
85と86の出来があまりにも素晴らしかっただけ まあ、2年間もあんな素晴らしい投球をする事が偉大なのだが 2回最多勝獲得しても今井にエース感なかったのは山田がいたことが大きいかね
でも84年沢村賞がセ、パ12球団から選出だったら今井だったんだろうな 12/27(火) 3:00配信 日刊スポーツ
巨人井納翔一投手(36)が26日、今季限りでの現役引退を決めた。「1年でも長くという思いで続けてた。やれるところまでやりたい」と今オフ、自由契約となり他球団への移籍を模索。11月の12球団合同トライアウトでは最速147キロをマークし、現役続行への意欲を示していた。
年の瀬が迫り、将来への道筋を家族とも話し合い、決断に至った。12年ドラフト3位でDeNAに入団し、「ハマの宇宙人」として横浜のファンに愛され、20年オフに巨人にFA移籍。新天地では「進撃の宇宙人」の愛称を担うも、2年間で12試合で1勝。通算180試合で51勝61敗1セーブ、防御率3・98だった。
奇想天外の言動で異彩を放ってきた。DeNA時代は愛車ではなく代車で3週間、4000キロを走破。天然キャラかと思えば、惨敗した試合後は取材中に号泣することもあった。巨人移籍1年目の21年は開幕直前にジャイアンツ球場のフェンスで頭部に裂傷を負った。この時ばかりは「自分の不注意です」と猛省した。
今後はジャイアンツアカデミーで指導者の道に進む。「ジャイアンツに誘ってもらいながら何もできず申し訳ない気持ちしかない。これから自分ができることで少しでも恩返しができればと思います」と話した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7d5d09f21d223b26834552c75a95e26959d798d >>497
それに加えて佐藤山沖もいたからねぇ
なかなか豪華な投手陣や >>499
タマが山田今井佐藤山沖しかいなくて結局スタミナ切れしてたのが第二次上田阪急
星野が出てきた頃には山田と今井は衰えていたし
あの当時のパが前後期制だったら、
どちらかのシーズンに注力(前期1位、後期5位とか)して何回か優勝できたかもしれないけど 阪急の当時のローテ「山田 佐藤 今井 宮本 小林敦美(2軍で防御率7点台)」 小林敦美と言えば1987年に西武との首位攻防戦で先発したのを見たけど
右オーバーなのに速球がMAX132kmくらいしか出なくて序盤からアップアップだったわ
それでも3回2失点に抑えた?けどな、もちろん試合は負けた 阪急の5番手が谷(富士重工)とか小島(東芝)だったこともあったな。
谷はカーブ良かったが小島は平凡な右投手だった。山本誠(明徳義塾)白井(豊川高)は案の定故障で消えた。 10勝10敗ペースでイニングだけは食える投手のイメージ >>509
ほか(上)に齋藤桑田がいたのだから、
消去法というのとは違うような やっぱり、入団1年目からずっとエースだった藪さんだろうな
隔年の川尻や頼りない湯舟とは違って毎年フル回転、でも打線の援護なく、本人も6回7回で限界を迎えて崩壊…
思えば、その頃にJFKシステムが確立してたら毎年20勝とまではいかないが勝と負の数が逆転してたのではないか 6回7回までもってたかな?
パワプロだと5回に能力の落ちる寸前☓がついてた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています