球界最高の一発屋といえば
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日本ハムの工藤幹夫かなあ。
木田勇は80年は神がかっていたが、翌81年も一応2ケタは勝ったから。 矢野清
後輩のラオウが同じ道を辿らなければいいのだが 92年阪神
仲田、中込、湯舟、弓長、田村、亀山
これでもかと確変 >>12
呂もそうだけど、デーブ大久保とかは1ヶ月限定の一発屋って感じだな
投手で同じようなのが、中日の佐藤充
巨人にいたチョソンミンは、開幕から2ヶ月間は無双してたっけ >>23
佐藤真一は一発屋ではない
93年にダイエー入団も大した活躍なく田畑と共に96年ヤクルト移籍
そこから2005年まで細く長くバイプレーヤーとして活躍した >>24
里志は、最多勝を取った年と防御率一位が別の年。
藤沢は、けっこう長く脇役として投げてた。 >>4
木田を潰したと他の投手からも言われてるが、
あの頃は前後期制だから優勝の目があれば、
どうしても高い契約金で取った即戦力は使いたくなるのはある
後期の近鉄との優勝争いで使い倒してたよな
工藤の82年のプレーオフの使い方も確かに酷かった 渡辺浩司
プロ入り10数年1軍でも碌に使われなかったのに
現役末期に急に1軍でスタメン起用され、規定打席にも到達
翌年、金子誠にあっさりレギュラー奪われたら、すぐに引退してしまった 栄村忠広(巨人)
あの事故、事件さえ起きなければ。
井上真二(巨人)
キーオからの頭部死球がなければ。
呂明賜(巨人)
外国人枠から試合に出られなくなり。 吉川光夫は厳密には一発屋ではないんだろうけど、2012年以外は平凡
超豊作世代の1988年生まれ組で、一番先にMVP獲ってるんだけどね >>25
銀行勤めから27でプロ入りとは矢口高雄みたいだなどうなんだろうと思ったが
いちおう成功の部類なんだろうか 拓銀もダメになったしな これは大谷翔平
今後はずっと2割5分台・20本台・3点台後半・規定乗るか乗らないかの半端ゴミ確定だわ
まぐれで1年飛び抜けただけで常時100打点の喜を越えられるかよ 藤本和宏とかいう謎の投手
1967年 2試合 0勝0敗 0.00
1968年 5試合 0勝1敗 5.14
1969年 3試合 0勝1敗 5.40
1970年 10試合 0勝0敗 3.46
☆1971年 43試合 10勝6敗 1.71 最優秀防御率 ノーヒットノーラン達成☆
1972年 17試合 0勝0敗 6.75
1973年 25試合 0勝1敗 3.09
1974年 4試合 0勝1敗 11.25 次点
オリックス 戎
1994年 0勝0敗6.43
1995年 0勝0敗9.00
1996年 登板なし
1997年 0勝0敗4.50
1998年 0勝0敗6.86
1999年 0勝0敗3.86
2000年 8勝2敗3.27(最優秀防御率)
2001年 5勝9敗3.68
2002年 1勝1敗3.78 >>34
凄い謎だな。
タイトル獲った翌年が0敗なのも気になる。
先発でなくても、規定を投げるのが珍しくなかった時代の賜物!? >>36
翌年度はほとんど投げてない
https://npb.jp/bis/players/61063824.html
某週刊誌で書かれていた藤本の記事によると
カープでは今でも彼の名前を出すことはタブーらしい
本当に訳ありの選手だったようで 現役だけど、藤本と同じ広島カープの投手で
ほぼ確実に一発屋になりそうなのが薮田
訳アリの家庭だから、その後大した活躍して無いのに温情で残してもらえてる感が >>37
練習嫌いでちゃらんぽらんな選手だったらしいな
近鉄の11月31日契約更改の奴とか、,
球だけは速かった西武の前田みたいなタイプだったんだろう
それが間違って1年だけ好調だったと 1年だけ確変したとは言え、同年にノーヒットノーランまで達成してるのはすごいな
往年の大投手でも、達成できなかった選手はたくさんいるのに 一時期嶋とか金城がやたら槍玉に挙げられてたけどこいつら別に一発屋じゃないしなぁ >>34
ググると黒い霧事件の当事者だったとか。西鉄時代だろうか。
活躍した翌年は身体を絞りきれず打ち込まれたとある。
西鉄時代に遊び過ぎていて元に戻ったのだろうか。 吉岡悟
1976年は首位打者だが他の年は2割前半以下 >>44
ガセに決まってるだろアホ
ソースが素人の妄想ブログとかを真に受けるアホ
西鉄の時はほとんど二軍のザコだろうが 何をそんなにムキになってんだか
お前の老後が不安定なのはお前の努力が足りんからやで 首位打者や防御率、勝率のタイトルは、ちょっと調子が良ければ出場が少なくてもまぐれで取れる >>29
ブレイクした年のオフに案の定同郷の水島御大にYASの餌食にされててかわいそうだったw カープの小山田は30セーブを記録したのに年俸も微増で、その後はパッとしなかった。 タイガースの高山
未だに今季のキーマンに挙げている珍カス御用評論家は、大バカだと思う ランス
モスビー
ホージー
一時期のセリーグは一発屋、すぐダメになる外人が多かった >>55
新人王獲得したオフにヤクルト関係者があの守備だったら獲らない方がよかったと言ってて負け惜しみなんて言われてたが現状はその通りになってるな >>44
西鉄時代ヒザを痛め不遇をかこった西鉄の最後のころはぜんぜんやる気をなくしていましからね
1971年
選手食堂に用意されたノーヒット・ノーランを祝うシャンパンの乾杯。青白い顔面にけいれんがはしっていた藤本に赤みがさしたのは、乾杯を終わって報道陣にかこまれたときだった。「いやあ・・勝った。やった」藤本はどなるようにいった。これまで四年間のプロ生活で初勝利をあげたのが
六月十八日の対大洋戦。これまででも普通のプロ選手と違って藤本には何度もこの世界から足を洗わなければならないピンチがあった。「六回ごろからみんなにいわれたので、七回を終わって記録を意識した」中日にはプロ入り初完封(九回戦)を含めて三勝目。
相性がいいことも藤本の気分を柔らげたようだ。「ストレートも速かった。カーブも切れた」藤本は一気にしゃべりまくる。「西鉄時代はさっぱりだったのに、ことしは見違えるようだね」にテレならがこういう。「西鉄時代は遊んでいたからね。もし、あのまま西鉄にいたら、いまの自分はなかっただろう」もしいたらだが
藤本にはもしはなかったはずだ。西鉄にいたいと思っても、一昨年西鉄を自由契約になっている。簡単にいえば、首になった選手。「こんな投手をどうして・・・」この日の藤本の快挙をみれば、だれもがそう思うに違いない。西鉄が藤本をあきらめた理由は、右ヒザに水がたまるという持病があったからだが、それは決定的理由でなく、なんといっても私生活の乱れだ。四十一年山口県光市にある聖光高からノンプロ八幡製鉄工場に入社
一年後西鉄に入団した。第二回目のドラフトからもれた選手だが、西鉄は高校時代からその素質に目をつけ、他球団の目をぬすんで、いやがる藤本を強引にひっぱった。覆面投手西鉄はさかんに藤本を売り込み、地元の新聞は秘密兵器を響きたてた
西鉄も期待した。だからその年、左の井上善投手(広島)を巨人にトレードしている。この覆面投手は、マウンドでは覆面をかぶろうとしない。生来ののんびり屋。練習ぎらい。コーチがやかましくいえば持病という特権をふりまわしてさぼる。覆面をかぶったのはどうも夜の中州だったようだ。
球団に首をいい渡されたときの捨てゼリフは「バーテンでもやりますよ」一言いって去った。西鉄時代には「オレの使い方を上はわかっていない。オレは投げれば投げるほどよくなるタイプだ」と監督(現ヤクルト、中西ヘッド・コーチ)を批判する。おてんとうさんと米のメシがついてまわらないことを知ったのは、西鉄を首になって実家に帰って父親安平さんに勘当同様たたき出されてからだ。大きな口をたたいたが
バーテンをやる勇気もなかった。結局、生きる道は野球しかない。重松コーチに頭を下げて広島に紹介されテストを受けたのが一昨年暮れ。根本監督がカーブの切れにほれこんで入団させたわけだが、広島にはいってからも、すぐなまけぐせが頭をもちあげた。だからエピソードはあとをたたない。広島にきてからこれまで三度もドロボウにはいられている。
あす着る洋服もないひどい目にあっても「肥満体のオレの背広を着れるわけがない」とあわてない。藤本が野球に身を入れるようになったのは、ことしのキャンプで首脳陣にどやされてからだ。昨年、ウエスタン・リーグで12勝4敗と最多勝投手になっているが、おやじには勘当される。警察には戸締りをよくしろとそのたびにこごとをいわれる。これで5勝目。根本監督は「やっと心技とも本物になった」とその成長を喜ぶ。
自由契約選手から、一変してプロ野球史上三十一人目のノーヒット・ノーラン男になった。「これでおやじにも胸を張って会える」 >>55
レフトで2割7分5厘8本塁打OPS.700
ショボすぎて一発屋ですらないわ
今永はほぼ規定で防御率2点台でリーグ有数のローテーション投手
阪神人気のおかげの新人王
横浜筒香44本塁打
広島エルドレッドヤクルトバレンティン30本塁打以上
巨人ギャレット26本塁打
中日は福田とナニータ併用で約20本塁打
打率、本塁打、OPS.全てダントツでセ・リーグ最低
球団新人最多安打&新人王
中日京田なみの打力のレフト高山(笑)
一発屋ですらないわ ロッテの石川賢かなぁ
1年目はチームもどん底、本人もイマイチ
2年目にチーム最多15勝と最高勝率
3年目以降は故障でからっきしダメだった 1987年のカープの「リック・ランセロッティ(通称ランス)外野手」です。
打率.218、三振は114個、39本塁打で本塁打王。打順はもちろん下位限定。変にいいところで打っていたと思う。
「ランスにゴン!」などといわれていたそうで。翌年は不振で、ベンチで読書してシーズン中に首になりました 麦わらーでランスランス♪
最終的にはリーグ最多の114三振も、3年連続の三冠王を狙う阪神のバース、旋風を巻き起こしたヤクルトのホーナーらを抑えて、39本塁打で本塁打王に輝いている。
わずか88安打で本塁打王に
だが、特筆すべき記録は39本塁打でも、114三振でもないだろう。シーズン470打席に立って、わずか88安打。単打と本塁打は、ともに39本と同数だ。
三振か本塁打か、という打者は少なくないが、確率は良くないが当たれば本塁打というのが、ここまで極端な打者は珍しい。
なお打率は最下位 本塁打ゼロで首位打者に輝いた正田とセットで扱われていたな、それはそうと生稲晃子当選おめ 本塁打ゼロで首位打者に輝いた正田とセットで扱われていたな、それはそうと生稲晃子当選おめ >>59
1年だけの大活躍。勿体無い。
でも1年だけでも活躍できたのは良かった。 >>61
一発屋なのに、現役はずいぶん長く続けられたんだよな
最後は日本ハムだったっけ >>43
現役だと杉本がこの2人のように「タイトルホルダー年だけの一発屋」と思われそう
交流戦以降は去年なみに打っているのに春先打てない習性があって成績の見栄えが悪い その手の伝説的選手といえばチョロ広瀬が思い浮かぶ
1964年の.366やノムさんの天才発言の影響でものすごいアベレージヒッターと思われているが
実はそれ以外の年で3割を打ったのは1回しかない 移籍した98、99年だけの関川(中日)
日本シリーズで工藤に完璧に抑えられてスランプに陥り
引退するまで復調しなかった >>72
どういう理屈であれ 広瀬さんと「一発屋」というワードは結びつかない 絶対に 昭和ラストイヤーにセ・リーグ最多勝の小野(中日)なんか一発屋?
85年に完封勝利もしているんで、微妙ではあるが。 巨人桜井は2試合だけ神ピッチングした2発屋だろうな
山賊西武と浅村ブラッシュのいた楽天に2試合連続HQSもそれ以外の試合はパットせず
現在は内容や勝敗云々以前に敗戦処理で失点するのがお決まりの投手に >>79
ど真ん中投げるのうまいから違う意味で一発屋だな >>79
日本ハムにいた須永も、1度消化試合で9回無失点の神ピッチしたけど
味方が無援護で勝ち投手にならず
結局現役13年で1勝もできないまま引退 阪急の小林敦美もプロ1年目の先発初勝利が完封だったけど
結局その1勝でプロ生活を終えたんだよなぁ
まぁ右オーバーなのに直球が130kmくらいしか出なかったから慣れられると苦しかったな 1試合限定の1発屋を知ってるとか君ら何者なんだw
もっとも印象を残した1試合限定の1発屋は奇跡のバックホームの時の外野手やろうな >>85
ガッツマン平野を一発屋とは また釣りか?
それとも高校野球のやつを言っているのか まさか、阪神の横田慎太郎の引退試合(ファーム)の時の事だったりして
「奇跡のバックホーム」の文言ならば、大半の野球ファンはまず真っ先に
松山商業のライトの矢野を思い浮かべる筈だが・・・
平野光泰の方のはあまりにもマイナー過ぎて、ほとんどの人は知らんだろw いきなり西本って、たしかに一度落ちのが出来すぎ感はあるけど何勝してると思ってるんだ😅
当時は子供だったからなんとも思わなかったけど、あれは今となってはいかに人間がメンタルの影響大なのかってのを見せてくれたなと >>87
うーん そうかw でも一応プロ野球板だからな
まっ 何を思い浮かべるかは人それぞれ
日本野球の豊かな歴史の証拠ということで 松山商のライトは今ならどっかの球団が客寄せパンダで取ったかもしれん >>91
阪神2年目でも3割、ハム移籍初年度は.330も打っている
一発屋ではない >>95
1試合3HRの事だったら、中日の神野もそうだな カド「1試合で3本打てるのはそれだけ警戒されてへん証拠なんや」(自身は達成なし) 広瀬習一
2年目21勝した年に病状が悪化して退団
翌年フィリピンで戦死 90年代のカープは、ルーキーの年に酷使されてその年がキャリアハイ
あとはもうそれっきりって投手ばっかりだったな
他にも山内や沢崎とか 一発屋としては森田だけかもしれないが、中日の与田、森田、上原もだな。 >>107
「ワシがブタマンならオノレはタコヤキやろが 楊枝でベースに刺したろか!」
「なんやと 奈良行き終電乗れんようにしてまうどワレ!」
チュッ
こんな展開見たかった >>111
90年の夏場からと91年の夏場までだから2年間とは言いがたい
しかし初勝利の翌日「あさかぜ」で二度目の福岡遠征に乗り込んだんだが
下関の売店のスポ新に「本原」という見慣れない名前が踊っているのにとまどった記憶 >>95
石橋といえば島野コーチと柴田コーチの暴行事件だな
球界追放なってたら仙一とのコンビもなかったな 木田は1年目の成績が凄すぎたから1発屋のイメージがあるけど、翌年も10勝してるし、
その後も園川的ポジションでローテの一角を守っていたからスレの定義からは外れるんじゃね? >>111
巨人の3軍という売り出し文句は正確な情報だったのかな バークレオは38HR打った1988年に限っても後半戦打率は急落してたな。 >>122
内田へのフライング・クロスアタックは当時でもひどかった
良かったよすぐ消えてくれて >>4
容認できるものではないが大沢は「名監督はだいたい投手を潰している」と著書で語っていたし(自分自身が名監督と言っているわけではない)、
投手を潰すことにさほどの罪悪感はなかったのかも。プロ野球なんてそんなもんだ、みたいな 与田は一発当ててないだろ 速球がすごいだけで成績は大したことない セーブ王になって新人最多セーブ記録を持ってたじゃん 防御率悪いし、セーブ王ってタイトルとして微妙 特に当時は固定したクローザーがいるチームが珍しかった 流石にセーブ王と新人王で一発屋ですらないは言いがかり もう新井監督って自体が新たな成績更新は求められてない
栗山だとそれが求められてた
それだけの違いさ >>131
そもそも当時はピンチにも登板する「ストッパー」だし 星野はタイトルにこだわる監督で、
1人の投手にセーブを集中させるとか、小松の5回からのリリーフとか、
記録を作った。
投手タイトルって采配次第なところある。
特にセーブ王は本当に取らせようと思えば取らせられる。 >>131
嘘つくな。
当時ほとんどのチームが固定したストッパーを持っていたぞ。 >>140
そもそもチームセーブ数が20代ぐらいの時代だからなー
「最後はこの投手」というパターンがそもそも確立されてない
チームセーブ数でも、特定投手への集中率でも星野中日は異質なんだよ
巨人は1989-90年の連覇で合計172勝して42セーブ。4勝に1勝未満の割合でしかセーブをつけてない。
セーブ数
1988
中日 39(郭37)
巨人 23
広島 23
大洋 29
ヤクルト 17
阪神 16
1989
巨人 19
広島 35(最高は津田28)
中日 27 (郭25)
1990
巨人 23(最高は水野11)
中日 32(与田31)
広島 25(最高は佐々岡17) 石本:
85年 登板 70 投球回 131.1
86年 登板 64 投球回 117
中山:
88年 登板 70 投球回 132.1
鹿取
86年 登板 59 投球回 101
87年 登板 63 投球回 94.2
与田
90年 登板 50 投球回 88.1 1990年与田と1991年森田幸一の成績は似たようなもの。 昔だとイニングが長いのでセーブ数は少なくても存在感はあった >>144
イニング長いって言っても先発に比べたら全然だからなー
1990年の新人王、妥当な選手は佐々岡だった
スケール違いすぎて与田は比較にさえならない
セーブ数はそもそも意味のない指標
だから与田がセーブ王取ったことは、「一発当てた」根拠にならない
WHIP 1.04なんかの方がずっと価値がある 面白い!確かにジャイアンツの角三男、鹿取はリリーフとして登板数は長かったけど、セーブを取らせるような起用じゃなかったよな セーブ王というタイトルが投手起用を硬直化させてる。
巨人は勝率5割を切った1993年にセーブ王輩出。石毛博史。長嶋茂雄の硬直的投手起用のおかげ。 完投勝利ってホールドもセーブも上げてるに等しいのに、記録は「1勝」
同じ結果でも、投手リレーでばらけさせたほうがチーム成績が良く見えるという罠
投手記録は早急な改革が必要 >>139
「1試合3本打てるのはそれだけ警戒されてへん証拠なんや…」
「それわざわざ言うために来たんですか 門田さん」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています