1990年代の巨人
・第二次長嶋政権
・長嶋親子鷹誕生
・松井が入団しチームの顔となる
・高橋由や上原も入団
・原や篠塚が引退
・FAで落合や清原が入団
・10.8決戦&メークドラマ
・桑田・斎藤・槙原の3本柱
・槙原完全試合 どうもパッとしない10年だったよな
唯一の日本一も貯金わずか10だし
今のところ巨人史上一番弱かった年代かと 巨人ファンだけど
97年はいろいろと酷すぎて笑えたな 90年西武との日シリで4連敗するとは思わなかった
西武が黄金期真っ只中で強いのは分かってたけど
巨人だってあの年はぶっちぎりのリーグ優勝だったし
日本一になれなくても2勝ぐらいはすると思っていたから
あんなワンサイドになるとは 野村がやたらと挑発していた時期でもある
明けても暮れても90年は開幕戦の疑惑ホームランのことばかり言ってたな 最近の抽選ドラフトで惨敗しまくってるのを見ると、やっぱ逆指名ドラフトって神だわ 長嶋は監督としては対したことない
FAやドラフト逆指名でいいとこ取りしてアレ 言うほど逆指名で好きな選手取れてないでしょ
最初とか三野とかしょーもないのだし
小久保とか山部欲しかったそうだけど他に取られてたし やはり1億放映権料無くなった途端、他球団は容赦しなくなったな。 >>3
開幕戦強い斎藤が一度死んだ身の小早川に3本打たれたのは衝撃だった
ただ斎藤の衰え(長年の積み重なった金属疲労)も見え始めた 90年の木田って今見ると球速はもちろんだけど球も伸びてる。
しかし91年からの木田は球速はあるんだけど伸びがなくなった
これは酷使?それとも球速に拘って見失った?? 香田は長嶋1年目の93年も先発で8勝、94年も4月に完封したし、悪くはなかったんだよな。
94年の日本シリーズで西武相手に敗戦処理でピシャッと抑えたところを見られて、近鉄に呼ばれてしまった感じ。
近鉄でも9勝した年があるし巨人に残ってたらまだ活躍できたかも。
近鉄で石毛、香田、廣田が再合流するんだよな。
それにしても星野、今中、香田は見ていておもしろかったなあ。 先発4番手5番手なら重宝したピッチャー
ビッグネームの阿波野と交換したけど 復活しきれなかったな 1999年の巨人は、清原・石井・広澤・マルティネスが同時に在籍してたけど
球史で最もコスパが悪かったこと間違いなしなのでは?
4番候補ではあるもののファーストしか守れず、しかもこの頃の
石井と広澤はほとんど怪我ばかりでまともに活躍できなくなっていた。 阿波野、川口が晩年巨人にいたのがあんまり記憶にない コトーとグラッデンは成績は大した事なかったけど
日本一になったシーズンに在籍してたから
やたら印象に残ってる コトーって10.8で今中からホームラン打ったり 日本シリーズでも打ったな 特に91〜93は覇気が全くなかったな グラッデンはキャッチャーを素手でくらしたのは覚えてる。 グラッデンはあの乱闘直前まではけっこう打率良かった。
グラッデンの骨折、離脱がなければまた状況変わって10.8はなかったかもしれない。
98試合で15本だからまあ長打力は発揮できた。 「聞きしに勝る」
春季キャンプも終わりオープン戦もたけなわといった時期に球界では衝撃が走っていた。元スポーツメーカーの営業社員が2月27日に発売した
著書の中で、巨人・桑田真澄の「裏の顔」を暴露した内容である。真偽はともかく当時の桑田のイメージを、さらにダーティなものにする生々しい
ものだった。ここで問題となったのは、出版された本の中身で「会員制クラブの社長に登板日を教え、その社長から会員報酬を受け取っていた」事や
「その社長が前科者で、しかも賭博と関わりがある人物」との記載があったため、桑田も野球賭博に関与している可能性があるという疑惑が上がった
事だった。
3月中旬の巨人側の調べに対して桑田は登板日漏洩と金品受領を否定したが、開幕を1週間前に控えた3月30日になって桑田が虚偽の申し開きを
していた事が分かり約100万円相当の金品受領を認め、球団は桑田に開幕1ヶ月の謹慎と罰金1000万円を科した。球団代表の湯浅武にもけん責と
3ヶ月の減俸処分を下したが、翌日になると今度は暴露本の著者が巨人と桑田の訴訟が不当であるとして反訴、泥沼の様相を呈した。
復帰したのは5月8日、いきなり大洋打線を完封すると15日のヤクルト戦でも1−0の完封劇、謹慎のブランクを感じさせず90年はオール完投での
14勝(7敗)を挙げてチームの独走Vに貢献した。桑田と元営業社員が和解したのは、騒動勃発から半年が経った9月の下旬だった。
謹慎期間は当初1年間の予定だったが、藤田元司監督が「それでは選手生命を絶つ事になる」と体を張って球団に待ったをかけていた。藤田が
二回目の監督に就任した際での個別面談で桑田は5冊のノートを持って来たが、日記形式で食事、睡眠、トレーニング、練習方法、試合内容が
事細かに書き込まれているのを見て藤田は驚いた。別のノートにはPL学園時代からの日米の書物を書き写したトレーニング法が記してあった。
探求心については他所で聞いてはいたが、実際に話した時もトレーナー顔負けの知識を自慢する事なく「これは自身に合いますか」と言って藤田に
助言を求めるという“聞きしに勝る”姿であった。
こうしてチームのトレーニングと自身の練習法を照らし合わせて調整する桑田を、藤田は「体力、制球力、球種など目標を設定して一歩ずつ前進
している。こんな選手が増えたら指導者も楽だ」と改めて評価していた。桑田を知ったからこそ藤田は一連の報道に怒りを覚え、一時報道陣と
冷戦状態になったほどだった。桑田は7月17日の広島戦から6連勝して本領発揮、球宴明けは7勝1敗の成績とあって指導者・藤田も桑田登板日は
幾分楽だったろうか。 (了) グラッデンって37歳だったんだよな
バーフィールド残してもよかったかもな 90年代前半は三本柱中心の投のチーム
90年代後半は松井中心の打のチーム
って感じで一気にイメージが変わった グラッデンは恵比寿で歩いているのを見たな
店出たら目の前にいてビックリしたのを覚えている 球団としてヒゲ、ロン毛NGなのに何故か許されていたコトーとグラッデン >>39
前年の夏あたりから反社との交際が明るみに出て、文春や新潮、夕刊フジなどで報じられていた。 >>41
この時期って村田真一もヒゲだったよ
例のヤクルト巨人の乱闘でぶつけられた映像でヒゲだった >>41
外人は例外的に許されてた
90年代じゃないがサンチェとか、スミスやクルーズも 外国人は例外でいいけど
屋敷と高橋直樹もいなかった? >>20
阿波野は巨人在籍時はまだ晩年じゃなくね?
復活はできんかったけど。
ところで因縁の伊原も阿波野も、時は違えど巨人でコーチをやるんだよなぁ 日本一になった94年にいたのに
グラッデンコトーに比べてほとんど話題にならないジョーンズ 広澤ってヤクルト時代から通算して1180試合連続出場を記録したけど、
1996年以降はかなり怪我多かったよね? >>50
香田的な活躍だったな
悪くはなかった。緩急で投げる。
そのぶん香田の出番が減った。
>>51
もう巨人に来た時点で衰え始めてたんだろうな。
怪我がなければまあまあの活躍はできたはず。
打てなくなったというイメージはない。 >>19
選手としては優秀だったけどな
すぐエキサイトする性格でトラブルも目立った 開幕投手
90年斎藤雅
91年槙原
92年槙原
93年斎藤雅
94年斎藤雅
95年斎藤雅
96年斎藤雅
97年斎藤雅
98年桑田
99年ガルベス 80年代巨人と90年代巨人って視聴率は80年代の方が良いけど認知度は90年代の方が良いよね? 10.8もメークドラマも決着はナゴヤ球場
同時に中日が相手の引き立て役ばかりだなと思った(06年の新庄引退も) 巨人のやり方は良い意味で時代を先走りすぎてた
FA補強やマネーゲームでの補強なんて海外スポーツの情報が入ってきたら
巨人の補強金額なんて消費税みたいなものだし >>54
92年は桑田だったが大雨の中1球だけ投げた所でノーゲーム >>59
解説者時代にこの件を問われて「全く覚えてないです」どころか
「それにジャイアンツが広島で開幕したことってありました?」 平成初の勝利投手になり原とお立ち台に上がった89年開幕戦に関しても
桑田「そうそあれは神宮だったね」
上重「いえ東京ドームです」
桑田「東京ドームで開幕投手をやった覚えないんだけど」
桑田「それ斎藤さんか槇さんのどっちかと勘違いしてない?」
上重「わかりました 話題を変えましょう」 93年のペナント
92年の継続でヘッド高田繁・打撃コーチ中西太は継続してほしかった
中西太なら多少まともな打撃陣になった
山倉と堀内にしたおかげで守り崩壊した >>2
1990年代の巨人は…
「80年代主力が続々引退していく中で、新戦力を自前で育てずにFA任せにして戦力バランスが
少しずつ歪になっていった10年だった」というのが俺の印象 今までもいろんなスレで語られてたけど
第二次藤田時代のドラフトって本当しょぼいよね 89年は超豊作なのに 大森1位川辺2位のところが始まりだな >>68
更に翌年も元木1位という縛りがあったからな。
ただ1990年ドラフトは元木縛りがなくても、小池にいってクジを外したら、ウェーバー順的にいい選手は取れなかっただろう。 >>5 岡崎が野球感が変わったとか言って愕然としてたな
西武が強いのは言うまでもなかったにしても 吉村・井上・緒方が故障なく来てたら変わってたな。 あと92年の
コンバートの時に岡崎のサブとして大森サードを試す予定があったが
それをやっていたらもっと起用されてたと思う 吉村・井上・緒方が故障なく来てたら変わってたな。 あと92年の
コンバートの時に岡崎のサブとして大森サードを試す予定があったが
それをやっていたらもっと起用されてたと思う 93年は貧打すぎたね
ここ数十年の巨人打線でワーストだと思う 特に吉村だな
あれ以降松井が出てくるまで本物の強打者が巨人にはいなかった 93年はモスビーとバーフィールドがダメだったのが全て。
期待されてたのは
1番モスビー .310 35本
4番原 .285 30本
5番バーフィールド .280 40本
原もダメだったし全部大ハズレ。
3人が機能してたらかなり手強い打線だった。
一番打撃で頼りにできたのが川相。
次が.270 8本の吉村。
そして、.337でプチ復活の篠塚。 駒田の大不振もでかかったな
前年27本塁打打ってたから30本期待してたわ >>78
そうだった。駒田を忘れていた。
.249 7本はないな。
連続出場記録も途切れた。
過去5年で4度も3割打ってたのにここまで落ちるとは。 >>5
89、90年は鹿取が得した
89年は巨人で日本一
90年は西武に移籍して古巣相手にスイープ >>69
外れ1位で矢野だったかも
もっとも巨人では村田と阿部の控えに終わった可能性大(そしてトレード) 巨人クビになった時点で野球界から足を洗い、
国政地方問わず公明党の議員になってたと思う 巨人の捕手って教科書リードしかできないけど90年代から変わってないよね
今年も同じような光景が目に浮かぶ。 ここにメス入れる人いないと
いくら投手獲得しても意味がない 中尾のリードは良かったが一時的なもので継続できなかった。
山倉が戻ってきて逃げのリードに戻った
巨人の捕手のインサイドワークは12球団で最低だと思う 97年はあんなことになるとは
開幕戦が全てだったか
勝って勢いがついたヤクルト
負けて早々狂いが生じた巨人 90年の木田は球が伸びてたけど91年から伸びがなくなくなった。
どうしてだろう 斎藤雅樹は1997年のヤクルトとの開幕戦で小早川に3発を浴びるなど
野村ヤクルトにやられた印象が強いが、実際には前年ヤクルト戦6戦6勝だったんだな。
1990年代の巨人三本柱は、斎藤はヤクルト・阪神、桑田は中日・大洋横浜、槙原は広島と
上手いこと主戦登板カードが分担されていたよね? >>90
斎藤雅はヤクルトに強くてどうしても広島に弱いという印象あるけど 94年は開幕戦完封
95年は自己最多の1試合15三振
とかやってんだけどね斎藤 藤田時代は広島に弱くて長嶋時代は広島は克服したという感じかな >>92
94年開幕戦の相手は広島。
以前この件を疑い相手はヤクルトだ、いや阪神だとそれどころか斎藤は広島を完封どころか広島戦に登板なしだと言い張った輩もおったな >>86
清原も散々罵声浴びたけど
ヒルマン、ルイスと助っ人が外れたのが大きすぎた
近鉄から来た石井も一時的にしか活躍しなかったし
松井のタイトル争いしか希望がなかったし
暗黒阪神とドーム1年目の中日の低迷がなければ
2度目の最下位もあったほど 落合残留して
一塁落合、三塁清原は見たかったけどな
自分と清原の起用で悩む監督は見たくないから退団したけど 97年開幕前に堀内コーチがテレビで
「斎藤投手は通算200勝できるでしょうか?」との質問に「できます!」と即答してたの覚えてる
(当時斎藤は2月に満32歳になったばかりで通算154勝) >>101
97年開幕前なら「できない」と答える人は1%もいないと思う。
まだ若いし3年あれば200到達のイメージ。 96年マント
97年ルイス
吉岡育てる気概があればなあ… こんな糞外人のために 落合は長嶋采配を「130試合全部勝とうとする」と評していた
連日超満員でテレビ試聴率も20%あった時代なので、なかなか捨てゲームを作れなかったとも言ってたけど
自分が監督になったときは、反面教師にしてたけど >>106
北別府をあっという間にKO
ほぼ試合が決まった頃に落合も移籍第1号を打った >>107
北別府晩年のころか
ていうか松井は北別府と対戦したことあったんだな 清原は移籍しないほうがよかったわ
巨人に憧れはあったけど憧れのままでいたら余計なことで苦しまなかっただろう
>>5
前年の近鉄戦も最初3連敗したからな
加藤の失言からひっくり返ったんだが 藤田ってレベル高い星野だ
短期に弱くピッチャー使いすぎ 長嶋はコーチ人事を間違った
山倉・堀内・中畑って喜劇か?
山倉と堀内が6年やればディフェンスは崩壊するわ 落合は94年の日シリでも活躍してほしかった
10.8で燃え尽きたのか >>115
左アキレス腱故障して開幕2軍
>>114
落合は10・8で左太もも故障して3戦目しか出てないそれもDH。 あの年の原ってキャンプOP戦実は調子よかった。 4番はずされて
鬼のように気迫あった打撃してて西武との試合で高目のボール叩いて
長打した試合なんてフォーム云々よりも怒りでボールを叩いてた。
寒い宇都宮の試合で故障。 3月に宇都宮なんかで試合するなよ
>>117
9月の落ちてきた時 原は故障もあってか衰えるの早かった印象がある
最後の規定打席到達シーズン調べてみたら大卒12年目34歳だったわ(1992年)
このシーズン終了時点で通算安打数は1511
翌年からプロ入りずっとクリアしてきたシーズン規定打席到達・100安打・20本塁打が途切れてる >>119
あの時代の選手のだいたいは原みたいな曲線で衰えて引退してる
だから原に近い世代は2000本打ってるのが少ない 当時は試合数が今より少ないのもあって2000本打ったのは確かに少ないな
プロ入りが遅い大卒だとなおさらきつい
1990年代の10年間での2000本達成は3人しかいなかった(大島・新井・落合)
一方で2010年代の10年間だと15人もいたわ 長嶋と讀賣のせいで長く野球をやらせてもらえなかったという被害者論が出るが、それならFAとかトレードを志願するとかは考えなかったの?
ファンもあのままなら金本みたいになっていたが、それがみたいわけでもないだろうに 原や篠塚が達成出来なかった2000本を駒田が達成したが、横浜行ってから追い込んで打ったんだな 原のバット投げは小学生の時だったけど
学校の友達と真似して遊んでた
あれからもう30年近くたつんだな あの年は勝負強かったな
もう3割も30本も届かない頃だったけど、ここぞという所でよく打ってたイメージ あの3連勝、阪神ファンも調子こいて喜んでたな
在阪ラジオ局(ABCラジオと毎日放送)も阪神がデーゲームだった為
揃ってヤクルト対巨人を中継してたが、スタジオ担当女性パーソナリティ(ABCだったはず)が
「タイガースの為にも今日も巨人勝ってくださいお願いします!」だの
「巨人3連勝お見事!我らがタイガースの援護射撃ありがとうごさいました!」
「巨人は宿敵なんですが親友でもあるんですよね
つまり良きライバルとはこういうことを言うんです」
など言いたい放題だったな オールスター明けのヤクルト3連戦では3タテ喰らい
逆にヤクルトのアシスト役にw 巨人が優勝しそうになると中日が止め
阪神が優勝しそうになるとヤクルトが止め
この構図は90年代から確立されたか >>130
中日の八百長工作なら70年代からやってる
なのに73年の阪神は自滅した 92年は桑田がしっかりすれば優勝できたな
今見てもひどい成績だ >>132
藤田監督があえて使い続けた。
普通の監督ならむしろ中継ぎにするか2軍調整だったところを投げる中できっかけをつかんでもらおうとしていた。
8失点完投ってのもあった記憶がある。
でも、翌年長嶋になっても同じく投げさせ続けたんだったなあ。 2軍調整させてたら95年のひじ故障してなかったかもしれない。 92年の桑田は連勝ストッパーと言われてたようにチームのいい流れを止めてたから余計に印象が悪い 92年の桑田は29先発して10勝14敗で負け数はリーグ最多タイ
防御率は19人中18位とドベから2番目
それでも200投球回と10完投をクリアしてるんだからある意味すごい
藤田監督よく辛抱したな 後半はそれなりにそこそこ良かったからね
前半が特に酷かった
7月くらいまで5点台だった様な記憶 桑田のプッツン病
好投してても一度打たれ出すとピッチングが単調になって一気に大量失点
1990年ぐらいからこの傾向があった 木田は90年の活躍から一転してダメになったけど何が原因?
伸びがなくなった気がする 北別府が引退したときのニュースで
次の200勝投手は誰かって話題で桑田の名前があがってたような記憶がある
斎藤じゃなくて 木田は93年の後半に堀内の指導でコントロール重視にしてよくなったんだよ
それがまた次の年には元に戻ったがw >>141
北別府が最後の200勝投手とも言われた
斎藤?工藤?だったな >>141
北別府が最後の200勝投手とも言われた
斎藤?工藤?だったな 92年とか石毛出てくる前に木田を抑えを固定するという発想はなかったのかな
中途半端な起用してたな。 巨人に来る外国人見てるとメジャーってレベルが低いじゃないんかと
思ってしまう。 >>147
木田はメンタルが弱かったからねぇ
と思ったけど石毛も弱かったわw 89槙原、90木田は、先発の間に抑えで使ったりして今考えたら凄い起用法だ
当時の抑えだった広田と水野も数字だけ見ればそこまで悪いわけでもないが、広田は三振が取れるボールがなく、水野は連投がきかないのがイマイチ信頼されなかった理由か 水野とか広田がやってたような
藤田政権の時はとにかく先発完投で抑えは後回しって感じだったね >>151
92の後半に石毛が出てくるまでは流動的というか完投させるのが基本だったから抑えは不要だった、というのが正しいかな。
槙原は安定感があったな。 FA制度が無かったらどんなチームになっていたんだろうか
落合、清原とかがいない巨人 >>152
野村に時代遅れだと散々挑発の対象にされた 90シリーズ、91、中後期以外の92、93と巨人が大変だったのは酷使のツケがまわりすぎた
だけど野村も酷使型なのにおまゆうでは? >>155
今のドラフト制度で 由伸 阿部 二岡なども入らなかったら
松井中心で吉岡とか大森使いづつけるしかなかったかも >>155
それなら長嶋茂雄自体監督やってなかったりして。 FAと逆指名を導入条件に
監督をしたと思われる 89年90年と2シーズン連続でチーム完投数が試合数を上回ってるんだから
そりゃ先発投手陣も疲れがたまるだろうな 斎藤は勤続疲労
槙原は故障で
あのころの起用法じゃこうなるわね 斎藤なんかよく大きな故障しなかったと思うわ 藤田が先発完投主義だったからな
江川引退、西本移籍しても桑田、槙原、斎藤が出てきたとはいえ
鹿取とかそれに不満があって移籍した >>163
ヤクルト監督就任間もないノムが鹿取にラブコールを送ったりもしてたな
最終的に西岡とのトレードで西武へ行ったが、もし自由契約だったらヤクルトを選んだだろう 水野がリリーフに回ったのは完投能力が低かったから? 当時もう投げすぎの批判が始まっていて、星野仰木はぶっ叩かれたのに藤田の酷使は叩かれないどころか礼賛されていた感がある
やはり優勝回数の差? >>166
先発は中6日5日空けて完投させるのと中継ぎを捨て石のように使うのとでは
意味が違う・
むしろ今はもっと先発に投げさせろと言いたい 1989年オフの鹿取は優良物件だった
藤田の完投主義にマッチしなかっただけで、投球内容もそこまで悪いわけではなかったし、大きな故障をしてたわけでもない >>167
だが潰れる寸前まで来たのは同じ事実だったわけで >>165
肩を故障していたから
完投もだし、リリーフも連投が難しかった。 過多な完投をさせずに、斎藤、槙原、桑田、宮本、香田、木田を先発固定、
広田、鹿取、角、水野、適当な外人を中継ぎ抑えにしておけば、
西武広島に匹敵する投手王国を築けたかも知れんなぁ 90年の全試合を10人の投手で乗り切ったというのもある意味凄い
歴史的なスピードで優勝を決めて消化試合も多かったけど二軍の若手を試す気はなかったのかな
この年にダイエーに移籍して一軍で活躍した本原みたいに二軍の投手に力がないというわけでもないのに。 88年1位の吉田は一切興味なかったのかな
ダイエー行って開花したけど 吉田は10人の中に入ってますが?
唯一入れ替えがあったのが 広田が故障したときの原田(偵察メンバー1試合のみで登板はなかった) >>173
斎藤は2年連続20勝がかかってたんで早々にリーグ優勝決まっても消化試合もめいっぱい登板してた気がする
日本シリーズに向けて休養・調整を優先する選択肢もあったが
あと最終戦まで頑張って20勝達成して最多勝・最優秀防御率の2冠もとったのに沢村賞逃がしたのは運悪い >>175
入ってる。
斎藤、桑田、槙原、宮本、香田、木田、水野、広田、吉田、加藤 捕手に関しては吉原に故障が多かったのが痛い。
91年も吉原が被った数試合良かったのレイノルズに体当たりされて離脱
92年も桑田は吉原と組んだ初戦は勝ったが4戦目くらいでひざ故障 >>179
「和田走る走る ボールは返って来なーい」
あの時も捕手は吉原だったのだが 捕手固定してなかったな長嶋は
一番出ていたのは村田真だが村田喜やデーブ、杉山、吉原、柳沢とか
色んな捕手が出ていた 捕手に関しては山倉を呼んだのが大きな間違い。
山倉を見て思うのは巨人の捕手は12球団で一番リードが悪いとにかく
逃げる。 教科書リード相手が驚くリードってほとんどないだから
投手が育たない。
投手が悪いんではなく巨人は捕手が悪い。 もし巨人の捕手が古田とか
伊東なら優勝回数増えただろう。 山倉、有田、村田真一、中尾、デーブしか記憶にない
次は阿部慎之助 >>185
吉原、柳沢、村田善、小田、杉山、、、、
移籍組なら藤田、西山、吉永もいる。
あ、藤田以外は2000年代か。 村田吉原中尾藤田の世にも珍しい捕手4人体制を見たときは
藤田野球もいよいよ終わりだなと思った なぜか巨人と中日の両方に在籍した捕手が多いな。他に光山も。 1990年の斎藤雅樹が沢村賞争いで2勝リードしながらも
野茂に敗れたのって、これらの理由もあるのかな?
・前年、パリーグの投手も受賞対象になりそろそろパリーグからも出そうかという風潮
・奪三振がほぼ2倍の差(斎藤146、野茂287)
・斎藤は昨年受賞しているし、まぁ今年はいいか
・野茂自身のプロ入り前の話題性 野茂は最多勝と防御率のタイトルが獲れたのが大きい
途中まで渡辺久信が20勝と防御率のタイトルを獲る勢いだったけど終盤に絶不調になって野茂に勝利で並ばれ防御率も抜かれた
そんな久信にあっけなく捻られた日本シリーズの巨人打線w >>187
熊野と藤田なんか終ってる選手を獲得するっとおかしかったよな
高田はまだしも勝呂を放出したのは痛かった 獲得するって だった
追記すると熊野は満塁で同点のチャンスで凡退するし、
長嶋体制に変わったら干され続け、シーズン終了後にすぐさまクビに
藤田は二軍コーチで残るも選手途中から背番号も60番台に降格
現役ラストイヤーはコーチ就任を打診されてか?一軍登録はなかった 熊野の巨人最終打席は長嶋政権1年目、満塁で代打。ピッチャーゴロ。
藤田元司都市伝説。ベストプレープロ野球のデータを参考に采配をしていた説。
対左+2の西岡を多用。
オールCで有名な熊野を獲得。 1990年の斎藤って、優勝決定直後の時点では18勝4敗、防御率1.74だったんだな。
それが残り3試合を2勝1敗で2年連続20勝こそ達成したものの、
5・6・5失点と明らかに内容が酷くなっており、防御率も2点を超えてしまった。
この不調が日本シリーズにももろに現れたというべきか。 巨人の捕手は相手を見るとかそういう以前にコーナー要求が多すぎてイライラ
する。 誰がこんな指導をしたんだろうと思う。
有田と中尾が来てなかったら槙原と斉藤は育ってなかったわけでそれを
考えたら恐ろしい・ ダルビッシュなんかが巨人の捕手とバッテリー組んだらキレそうだし
大谷が巨人来ても開花しなかっただろう >>155
なかったら、93年オフにトレードで落合獲ってるよ
交換相手は桑田かなんて当時のスポーツ新聞ではあった 張本の時のようにか
まあ4番候補強引に取りそうだよね 当時の貧打線考えると >>199
桑田を放出したら(2年間不調だったのだからあり得るが)
流石に94年の優勝は無かったろうなぁ >>191
選考基準ができた1982年以降
20勝したのに20勝してない投手に沢村賞もってかれた例は90年の斎藤くらいか
89年90年と2年連続で沢村賞MVP両獲りしてもおかしくない成績だったがどちらのシーズンもそうはならなかったな 落合は巨人来た頃既に40だったとはスゴいな。原の方が若いが先に引退したし。 1990年の日本シリーズで惨敗した際に藤田監督は「監督がヘボだから負けました」と言ったが
これは潔いようで、実はかなり見苦しいのではないか?
「悔しいが完全に力負け」「西武の強さは私の想像以上だった」といった方がよかったと思う。 でも監督によっては本来負うはずの責任も負わず何事もなかったかのように済んでしまう日本じゃそう言うぐらいでやっとバランスが取れるという部分もある気が 長嶋とか原見てるとフロントや選手・コーチ(仲の良い子分以外)に責任を
押し付ける監督が多い。 野村や星野もそう。
メジャーでそういう監督はいないよね。
原とか長嶋って選手への要求はものすごい高いのに子分のコーチには
甘いよね。 山倉とか堀内への対応なんて・・あんなの2年で解雇
そもそもあんな指導でよいならここにいる野球識者でもできそう 94年のオフだったか、当時ダイエーにいた秋山の巨人FA移籍が取り沙汰されたのを覚えてる
どこかのスポーツ新聞は忘れたが、すでに秋山の巨人移籍は決定的なんて記事もあった
結果的には実現しなかったが、もし秋山を獲っていたらトレード相手は誰になっていたんだろう? >>208
3本柱か松井以外には成立しないだろう。
94年オフじゃMVP男の桑田は出せないし、完全試合の槇原もあり得ない。
むろん松井放出など地球がひっくり返ってもありえない。
となるとこの2年ほど全開とは言い難かった斎藤あたり? 長嶋とか原って選手に対して自身の高い理想を押し付けてそれができないと
やる気なさそうにして他球団の選手を羨ましがったりいったい何のために
監督というか指導者してるんだろう >>55
スレ的には違うが、桑田は88と89
あと92は桑田だったが、1回終了後雨天中止につき事実上2戦目の槙原が開幕投手 >>205
あの発言、OB達が怒ってたな
特に別所、青田の大御所クラスから広岡、堀内、柴田あたりが
当時若手OBだった江川と中畑も「藤田さんらしからぬ発言で失望した」ともコメントしてた
他には関根、有本、衣笠、江本、東尾、アナウンサーの深澤、戸谷、石川らも批判発言 個人的には自軍の選手は悪くない、
悪かったのは監督だけだ
って感じに捉えたけど、
いま見返してみると、西武へのリスペクトがないわねw 藤田は現役の頃からライオンズには苦手意識がある
特に第二次監督時代はオープン戦も含めて15連敗ぐらいしてた 近年の原巨人がソフトバンクに負けまくってるのと同じような感じか 監督がへぼでした
ということは相手が強かったということで
リスペクトも入ってる気はするが… >>217
あのヘボ発言、翌年まで尾を引いていたな。
張本と堀内は監督がヘボなら、その下でプレーさはする選手はもっとヘボになってしまう。
選手に謝罪したほうがいいとも言っていた。
また、敵将の野村に至ってはあの発言を逆手に取って、
「監督のヘボ采配でチームは弱体する。どこのチームとは言わんが」
などと得意の嫌味口撃までしていた。 >>218
なかなかの見所はあってドラマはあって楽しめた感はあるよ。
93年はバーフィールドと一茂を獲っただけで大して戦力補強してなかった。
それでもそこそこ勝てるのではないか、と。
そしたら思いの外、チームが弱小化してたことに焦り、長嶋の顔に泥を塗るわけにはいかないとなり、他チーム4番の横取りに走り始めた。
長嶋が欲しがっていたから、と言ってはいるけど、実際はほとんど周りが動いてたわけで長嶋がとりにいったわけでもないよ。
長嶋は来たものは「いいですね〜」としか言えないからな。
もともと興味を持ってたのは落合ぐらいじゃないかな。 長嶋政権は選手の衰えもだがコーチ人事悪すぎ。 山倉堀内中畑で
どうやって勝てというの??
だいたい巨人はONを生んでしまったことが悲劇の始まり、ONがいなければ
監督にしなくて済んだと思う現代のファン このあたりの時期ってナベツネが良くも悪くも目立ちまくって
ネタ的な面白さはあった そのナベツネが30年後にまだ生きてるとは誰も想像してなかっただろうな。 >>221
だが、90年代唯一の日本一がその面子で成し遂げられた 中畑、原、篠塚、岡崎、駒田(FA)、吉村(大怪我)
から
松井、川相、元木、清原、由伸、落合、仁志、村田真に変化していった時代やな
逆指名やFAもあった時代だし 長嶋が使いこなして戦力にしていたのは強奪選手でなく生え抜き獲得や三本柱中心にした藤田以前の遺産だった
逆指名もいたけど高橋みたいなカネ釣りだけでなく巨人だからと勝手に来たやつもそこそこいたし >>226
それな。
川相もそうよ。
90年代、松井の次に安打数多いのは川相じゃなかったっけね。
バントが目立ったけど一時期は打率もチームNo.1だったからな。 清原、石井がまとめてやってきたけど長嶋は本当に必要としてたのかね?
そもそも清原には全く興味なかったって何かで読んだ事あるが 長嶋が監督になった途端にオープン戦ですら負け続けだった西武にあっさり勝ってコンプレックスが一層されたのを感じた >>231
長嶋は踊らされてただけで、FAで補強なんてしたくなかったのが本心だったようだよな。
とくに打者のほうはね。
松井がいれば充分で、補強せずに勝ちたかったのが本音。
ただ、外国人バッターには魅力を感じていて本物を心から欲しがった。
ことごとく裏切られたけどね。 マックは打撃成績があれなら肩も足ももっとしっかりしてくれないとって思ってた むしろ長嶋は前回のトラウマから補強できないなら監督したくないと言い
逆指名とかFAが即導入された。
渡辺オーナーだけはFA導入理由でストをするなら巨人に関しては年俸
カットしないと当時言ってたね コンプレックスって言い方だとおかしくならないか?苦手意識って言ったほうが適当ではないか 94年は10.8に勝てて優勝できたので日本シリーズはおまけという雰囲気で気楽だったらしい >>21
虎だがコトーは嫌だったぞ
なんでこれ打つの?って位左に強かった グラッデンはキャッチャーをマスク越しに殴って自分がケガしたのしか覚えてない あのときだけキャッチャーが古田じゃなかったのは八百長 10.8は巨人がもたついた故に起きた
三本柱の躍動、松井ブレイク、落合効果もあって独走だったというのに
あの試合負けていたらあれで長嶋はクビだったよ とにかく長嶋時代の特に2次のコーチは長嶋の子分みたいな感じで
能力なかったな。 コーチは選手より長嶋に寄り添ってた 長島二次は地上波に野球コンテンツを残す事だけに特化したイメージだったな
逆に他球団が地方フランチャイズ化に成功して地上波に拘らなくてもいい感じになってったけど、
当時の状況ならマジでプロ野球の規模縮小が起きてもおかしくなかった 弱いとは思わないが戦力の割に勝ちきれなかった印象
特に1997年以降 >>248
瞬間最大視聴率30.4%
原は現役より監督になってからのほうがイキイキしている。
珍しいケース。
新庄と中畑は現役と変わらず、って感じ。
その他はみんな現役のほうがイキイキ。
巨人の4番の重圧ってやつだろうな。 王は福岡の王で長嶋はヨイヨイになり藤田川上は隠居状態(のちに死去)、森もハワイから監督始まったようなもんだから政治力が全部集まりいきいきなるのあたりまえでは
特に近年は星野野村が亡くなり落合がGMで株を下げ周りの監督はみんな年下ばかりでなおさら覇権がついた 長嶋1次と2次を比較したら圧倒的に1次のほうが上かな?
特に1次の投手コーチは杉下茂な分、長嶋の暴走を抑えられたかもしれない
堀内・山倉では長嶋の子分だった >>255
1次政権の長嶋は中々の武闘派だった
伊東キャンプの時とか鬼状態 >>258
そういう暴走ではなくてコーチの言うこと無視するとか・・・。 75年の初年度は
かなり暴走したらしいけど76年の杉下が入ってからは大人しくしてた印象
だから一応世代交代を2回できたのかなと思ってます >>248
あれ格好よかった
チャンスに凡退してた自分に腹が立ってたんだろうね >>253
30.4%は中継試合の平均視聴率だよ
原バット投げのその時の瞬間視聴率が最大45%超え
当時は日本中の野球ファンが釘付けだった
自身も学校の期末テスト期間中で、親からテレビ視聴を禁じられてたけど
この時ばかりは気になって、イヤホンでこっそり見てたw 広澤、川口あたりは要らなかったな。
広澤はあのままヤクルト残ってたら、2000本安打は達成してただろ。 >>264
長嶋は
川口には週一回先発してくれればいい、サンデー川口なんてどうでしょう
川口がウチから毎年3勝うるのがなくなるのが大きいんですよ
みたいに言っててそんなに期待してなかったみたい
川口が巨人戦に強く毎年3勝はしてたけど、代わりに山内という新巨人キラーが出てきたが 川口取る前の巨人って
宮本くらいしか左投手の印象ないな 1位で吉田修司とったが
覚醒する前にトレードに出してしまった >>265
流石セゲヲ、何の考えも無い、その場しのぎ。 >>245
やな。大体試合出場数みたり、ネットで調べればすぐに解りそうなものなのに。 >>262
そんなに視聴率あったんた、今なんか5%台の超ゴミコンテンツなのに。 80年代なんて 江川 原 中畑とかコマーシャルに出まくってたし
国民的スター扱いだったでしょ
今じゃプロ野球自体大谷とその他大勢って扱いだけど 俺はやっぱり原よりミスターのが好きだ
選手としては勿論監督してもね 鹿取が西武行った後の抑えて誰だっけ?
96年辺りは石毛だったけど、その前くらい 藤田時代は水野廣田
藤田最終年に石毛
長嶋初年度に橋本-石毛の「勝利の方程式」確立するも
橋本の故障、石毛の劇場化でわずか2年で瓦解
95以後はそこそこ調子のいいものを暫定的にストッパーに起用する
超場当たり器用。そこそこセーブをあげたのは96マリオ、98,99槙原くらいか
96年はシーズン当初は上記の通りマリオが務めていたが、後半戦は通用しなくなり
また場当たり器用。
この年リリーフ転向した川口が胴上げ投手になったのは、この年の投手起用を
いかにも象徴していた。 この頃の抑えの切り札は印象に残ってないな。80年代後半は角、サンチェ、鹿取とかすぐ出てくるけど。 90年代巨人最多セーブ
1990 水野11セーブ 抑え不在、先発70完投
1901 水野3セーブ 抑え不在、ただし先発陣は不振
1992 石毛16セーブ
1993 石毛30セーブ
1994 石毛19セーブ
1995 石毛11セーブ 安定感を欠き西山が台頭
1996 マリオ19セーブ 前年0.55の西山も不振に
1997 趙成珉11セーブ 前半は木田7セーブ
1998 槙原18セーブ 先発不振で抑えに転向
1999 槙原 23セーブ 石毛を抑えにしたの藤田さんだったのか、ミスターのイメージだった。槙原が嫌々ながら抑えやったのは覚えてるが、他は記憶にないな。 >>287
長嶋さんは勝利の方程式という名前を付けたから長嶋さんのイメージが強いのかも 貧打だった反動で各球団の4番を買い漁ってたけど松井の育成が完了した96年以降はいらないよな
清原は言われるほど悪くないけど石井やマルティネスは絶対いらない この頃に野球を見始めて、FAでの乱獲っぷりとそれを良しとするマスコミが嫌いになった記憶 高校野球の地区大会のニュースで「元巨人の佐藤氏が指揮を取る東北高校・・」って
記事あったんだけど全然記憶にないなー 91、92年に30試合位出てたらしいんだが そんなもんか
92年の佐藤洋はもっと出てた印象だわ デーブにバッテリー部門も見させて巨人の捕手に無い奇想天外リード
を大城に伝授させてほしい それなりに重宝されてたよね 佐藤洋
背番号40で河野ゲンちゃんみたいな感じで
いまでも使えそうな貴重な左腕投手だった
・・・って思って調べたら野手だった俺の記憶力超適当(´・ω・`) >>292
阪神の湯舟がノーヒットのまま失点した試合で、そのあとヒット打った選手だと記憶してる
あとは、珍プレー好プレーで、宇野が落合に足踏まれた時の打球打ち上げた選手 90年代は巨人かヤクルトがリーグ優勝してたイメージ ヤクルトのリーグ優勝4度 日本一3度
巨人のリーグ優勝3度 日本一1度
優勝、日本一回数ともにヤクルトの後塵を拝した 90年代の勝率なら巨人.544 ヤクルト.528
ヤクルトは優勝はするけどそれ以外の年はほぼBクラスとムラがあった ジャイアンツ栄光のエースたちて本買った?斉藤と村田のやつ 1年日本一
2年リーグVで90年代の巨人は始まった
これで黄金時代到来と思われたが、日本シリーズでやらかしてオワコン
監督としての藤田も事実上オワコン ミスターの提唱した打順別役割なんか関係なく4番並べたほうが
点取れんじゃねってのは正しかったことは証明されたからな
やっぱりミスターは天才 なんか今年の日本シリーズは94年のグレードアップ版みたいな感じがした…
あの年のジャイアンツとライオンズの勢いは今年はバファローズが前者、スワローズが後者だな… 99年の清原、石井、広澤、マルティネスの一塁四人編成は酷いな
今の中田、中島、坂本と比べても大分酷い 今のメジャー野球って長嶋がやりたかった野球だよね?
長嶋は集めた方法は間違っていたが理想の野球像は最先端行ってた >>306
そうはいうけど石井と広沢はもうスタメンとして数えられていなかったし
だからマルティネスを引っ張ってきたとも言える >>306
広澤ってヤクルト時代から連続試合出場記録が継続してたけど、
97年頃からはかなり怪我が多くなってなかったっけ? 坂本、中田、オコエの悪童トライアングルが完成
黄金ルーキー浅野を子分に加えてこれからのジャイアンツから目が離せない じみに、1998年に高橋由伸がゴールデングラブ賞を受賞したのは
巨人の外野手としては14年ぶりの事だった。
その間の巨人の外野守備力って、難があったのかな? >>312
80年代後半はクロマティ吉村だし
吉村の怪我以降はAHRAをレフトに回したり外人だったり元々内野手の松井とかだし・・・ >>308
廣岡が「どうしてポジションの被る選手ばかり獲るんだ」と苦言を呈していた 東京ドームと多摩川である限り、巨人だめでしょ。
育成もできねーし、ただ選手取る時代は終わったよ >>310
96年のオープン戦の死球で骨折。
開幕一軍登録されず記録はストップ。 >>316
あのデッドボール、西武球場での事だった
倒れて暫く起き上がれなかったからな ひそかに、1998年に高橋由伸がゴールデングラブ賞を受賞したのは
巨人外野手としては14年ぶりだったのだが、その間の巨人外野陣の守備力って弱かったの? 松本引退後
吉村、クロマティ、呂、駒田、原
緒方、モスビー
グラッデン、コト―
マック、松井、清水
確かにあんまり名手という印象の選手はいないな
あえて挙げるならベイスターズのリストラ策で移籍してきた屋敷とか?
でもスタメン野手じゃなかったな >>295
それは堀内時代に使われてた佐藤宏志だな 駒田は野球センスの塊とも言うべき存在だったのに、何故一塁手だったんだ? バーフィールドは名手として語り継がれる方が多いねw アキレス腱が悪いからとかじゃなかったっけ
レフトなら大丈夫なのかという感じもするけど >>328
吉村がリタイヤして左翼が空いてしまったから その原も92年にはファーストになり、長嶋復帰で3塁に戻るも、
アキレス腱痛から試合出場が減って、再度ファーストか代打起用になった。 原は引退の年ヤクルトからオファーあったらしいけど ノムと野球1年でもやってれば野球観変わったかもしれんな 変わったかもしれんけど
代わりに巨人の監督になれないからなあ
引退試合の「聖域」発言の通りすべて巨人で完結した人 お坊ちゃんの原には野村のスパイ野球は無理
衝突して1年でサヨナラ 90年日シリのスイープ負けは凹んだわ
西武が強いのなんて分かっていたとはいえ
それでもスイープされるとは >>336
江川は4勝1敗で西武と予想。
巨人は斎藤で1勝はすると踏んでいたそうだが、
2戦目を斎藤で落とした時点で無勝で負けると思ったら、案の定そうなった。 吉村が健在だったら四番AHRAの時代は長くなかっただろう、という話はよく聞くけど
フリースインガーなところがある吉村は四番タイプじゃなかったと思うんだよな
AHRAの前後にクロマティと吉村がいてこそ恐い打線だったのではないか 93年以降出番は激減したよね
怪我や衰えが激しかったとはいえ94年には40になって移籍してきたオッチに四番を奪われるとは 90年は槙原 斎藤 桑田が揃って撃たれたのはショックだったな 94年はやり返したけど 99年のシーズンになべつねさんが長嶋さんに今年ダメだったら辞めてもらうと最後通告
をした。それでも2000年も続投になったのはやはり長嶋さんを解雇した時の経済損失を
考えて踏み切れなかったのだろう。 >>341
伊東勤曰く、西武は斎藤を難敵とみなしていたようで、第2戦で斎藤を撃破した時点で
「今年は4勝0敗で勝てるかもしれない」という空気が漂ったという 91から93年ごろって割と暗黒だったような気がする 西武に勝てないイメージが着きまくったからな。94年に解放された 楽観的な長嶋がよかったのかな
藤田政権の時は常に悲壮感漂っていた気がする 巨人が変わった・強くなったのではなく、単純に西武が巨人と同じレベルまで弱くなっただけ 西武は佐々木・村田がダイエーから暗黒オーラを貰ってきてしまったのが不味かったのかな トラウマのデストラーデもいないし
デストラーデいなくなってからヤクルトにも負けた パワプロ94の巨人は当時の子供心でもグロ打線だと思ったし
落合加入後なのがまだ救いだけど選手データは93年終了時のものだから酷いのなんのって >>79
駒田ってこれで恐怖してあんなちっちゃくなったのかね? 落合は97からだったらどうなってたんだろう?残す成績は同じとして
94~96は一年目三年目には投手力が大とはいえチームが優勝したし成績は年齢なりの数字維持どころか年を経て上がったからさすがって感じだったけど、残した成績の絶対値は外から取った高年俸四番固定としては低いわけだし叩かれてたんだろうかね 落合も歳だしいい見切り時だったと思うが
マックはもったいなかったな そのあと来た外国人がくそみたいなのばかりだったし 4年に一度優勝するのがやっとになった80年代と90年代の巨人
それはそれで自然の流れだとは思ってはいたが
2000年代になって巨人を毎年優勝出来るチームに戻した原巨人恐るべし >>351
93〜94年ごろの落合ってパワプロやベスプレ的には全く魅力がないわなw 1990年代の巨人はリーグ優勝が3回、日本一が1回だけなのが
ファンとしては悲しい・・・・・・。90年代唯一の日本一は
悲願だった打倒西武を果たした1994年の日シリだな。
それだけが救い・・・・・・か? >>356
その「恐るべし」原巨人は見る影無し(泣)・・・・・・。 90年代前半で原の時代が終わり、松井秀喜が成長していくのを見るのが楽しみだったもんよな 原は現役時代はonとの比較で?余計な悩みやあまり評価されずみたいのはあっただろうけど、ずっと巨人にいて最終的には今のようになってんだから十分取り返したというかかなり報われてるよな 他人事ながら50勝とか100本塁打とか一定以上実績のある野球を辞めた人らにもそういうのあってほしいわ、もちろん本人がそういうのを壊したって場合は自業自得で終わりだけども 吉村がケガすることで一番出番が増えた人って誰?
緒方あたり? 本来なら原の後は吉村と駒田でクリーンアップの予定だったからな 原が衰えてクロマティ引退で吉村復活ならずのころは厳しかったな 伝説のトラウマドラフト
1位 谷口功一 投手 天理高
2位 小原沢重頼 投手 城西大
3位 松岡正樹 捕手 平安高
4位 伊藤博康 外野手 東北福祉大
5位 三好正晴 投手 川口工業高
6位 羽根川竜 投手 東北高
ドラフト制度黎明期ならともかくとして
90年代になってこれより酷いドラフトは12球団見渡してもそうそうないレベル 第二次藤田体制の4年間のドラフト指名選手で、戦力になった野手は元木くらいしかいないもんな
吉岡も開花したのは近鉄行ってからだし >>367
谷口駄目だったのは結構大罪じゃないか?羽根川も切れのある左腕って感じで育てられれば‥ 谷口はスケールもあって素材はよかったよな
藤田監督がすぐ辞めちゃったのが大きいかな
そのあとがコーチ堀内だし… 3本柱の後上原まで空白があったし
谷口 河原 趙ソンミンあたり柱にできなかったのが痛いね
河原も趙もリリーフで活躍したけど理想は先発の柱だったはず 大罪と言ってもまあ何らかの事情があったりするだろうが‥それにしても大型のモノになる率が
現代ならともかくそれこそ昔だったら良い素材!高卒ドラフト一位!なんてせずに大型ほど大社で徐々に上がらせたほうがよかったね 1998年の前半のチョ・ソンミンは江川が全盛期の斎藤雅樹並の安定感というぐらい評価が高かった 若手育てたで言うなら明らかに藤田より長嶋に分があると思うのになぜか低く見られやすいよな
藤田は斎藤の再生とか中尾や大久保定着とかそっち系に才があった、しかし長嶋、じつは強奪より自前が活躍してくれて補強からの再生定着は苦手 >>374
一次なら指揮官としてはともかく教育としては評価されてんじゃないの? でも育成できないと言ってもほぼ差が無いような天才ばっか入ってくる世界なんだから一位た六位だって言ってもほんとはしょうがないけどな 天才の中にも差がある。
吉村と栄村、がほぼ同じであるわけがない。 比較するにはその二人だと才能の持ち味というか方向性が違う気が、野球は動作によって結構いる能力も違うし
まあ金になるのは吉村の方向の天才性だし(目に見えやすく)差があるというのはそうだろうけど
でも例えば打撃なら打撃守備なら守備で、現実に結果を残した人と残せなかった人がほんの些細なことで逆転してたケースはかなりあると思うけどなあ 栄村もあの事件がなければ緒方程度に働いたかも知れん
ドーム野球の申し子として必要以上に重宝されていたのが、あのような悲劇に結果として
結びついた あ、最後のは同じ方向に才能があってプロ入りした人の比較の話でね
もちろんどうやっても成功したであろう感じでトップクラスまで行ったのや、大成功で最高でもホームラン30本位だっただろうなみたいなのは存在するだろうが 平成以降、走力を使った野球があまり見られなくなりパワーヒッター偏重になったのはあの事故も一つの原因というのは考えすぎかな
長嶋政権ではスピード&チャージというスローガンはあったけど盗塁王争いをするような選手は現れなかったし その前も松本ぐらいじゃね 走れるの
V9時代は多そうだけど 強奪した大物を煽てて気持ちよくプレーさせることにおいては原が天才だな
反面堪え性がないから育成はできんけどね >>381
栄村もそうだし、前田、出口、高村、堀田とか走力を売りに「巨人を変える」的な
人ってたいてい働かず、消えていくね
もっとも前田とかファームでも打率低かったし、ファーム日本選手権でのクルックル
空振りするざまをみて「広島の同姓の選手とはえらい違いだわ」なんて思ってたけど あの時代はそれこそできる奴はできる、できない奴はできないみたいな感じでちゃんと「プロ野球」を教えてんのか?って感じしかしなかったから、それらのタイプをまともに一軍戦力として使えるような指導力が当時の監督コーチらに無かったとしか思えない あの時代の巨人ね
福本とか赤星みたいなのでも入った球団と時期があの時代の巨人だったらどうなってたか 盗塁数
65年 柴田26 土井15 国松15 廣岡10
66年 柴田46 黒江21 長嶋14 土井14 国松12
67年 柴田70 土井19 黒江10
68年 柴田37 高田23 土井21 黒江16
69年 柴田35 高田12 土井10
70年 高田24 柴田22 土井10
71年 高田38 柴田35 黒江22 土井14
72年 柴田45 高田19 黒江16
73年 柴田24 高田18 黒江10 90年代でシーズン20盗塁以上したのってもしかしてマイクを持った盗塁王さんだけ?
仁志、清水もそこまで走ってないよね 仁志が20盗塁走ったのは、2001年と2002年だから、1990年代には走ってないね ナベツネ、人前に出られるレベルで生きてたんだな・・・ずいぶん痩せてて一瞬ナベツネとわからなかったが
セゲヲのほうが先に逝ってしまわないか心配だわ この当時だったらFAで巨人入りしてた選手は
今はFAやポスティングでメジャー行くようになった 落合、広沢、川口、河野、清原
いまだったら、このうち誰がメジャー挑戦するかな?(当時の年齢、実力で) 94年オフだって、本当に欲しかったのは秋山と工藤だがどちらも相手にされず
結局同リーグ球団の戦力を落とすために広沢川口で妥協しているし 広沢って妥協の末だったのかな?かなり早い段階から巨人入りが報道されていたが 【日銀デフォルト】 世堺教師マ仆レーヤ、UFO出現!
://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/2chse/1670024543/l50
>>384
後藤とか福王とか走力微妙な選手の方が長生きする印象だな 迷惑メールフィルター、嫌なメール来なくて便利だよね! 代表コーチを昔からやってたのね、知らんかった
プロでコーチをやってた様な話も聞いたことなかったから 代表コーチやってたのねは村田のことじゃないの?吉村がいたのは驚いたけど 吉村は完全に空気だったな
何で選ばれてんのかもよく分からんし
村田はもう10年くらいジャパンに携わってるようだが まあ選抜のトップチームで指導することなんか何もないだろうしな 村田善則はもう7年ぐらい巨人のコーチだぞ?
日本代表も2016からずっとバッテリーコーチ 村田善ってぼっち松井秀喜の唯一の友人しかトピックの無い人って認識だったが
結構前から陰の大物やったんやね 中尾は斎藤雅樹を復活させたりしたのに何故すぐトレードに出されたの? 吉原の成長とデーブの加入じゃないかな
年齢的な衰えもあって出場機会なかったしね >>416
おっしゃるとおり、中尾↔︎大久保のトレードですね 福澤諭吉って1万円出す時めっちゃ恥ずかしかっただろうな >>285
水野って1901年の時点で既に野球選手だったのか
長生きだなー