ギリギリで達成したorし損ねた成績(3割、2桁勝利とか)
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高橋智(92年)の.297 29本塁打が見事。打率.299だったらなお良かったが。 >>84
投手としては珍しい背番号0というのもあるそをw 1959 豊田
1965 長嶋
1978 王
1985 掛布
1987 クロマティ >>86
双子の姉妹な
姉妹は西崎嫁と津野嫁
宮西尚生嫁と大野奨太嫁
杉内嫁と新垣嫁も >>92
中村紀洋の嫁の兄が村上隆行で、その嫁の姉の夫が野林大気で、その息子が中田廉 引退のSFジャイアンツ バスター・ポージー、通算安打が1500本ちょうど 今年引退した亀井の通算100HRも、今思えばかなりギリギリだったな
3〜4年前からまたHR結構打つようになってたし、もっと早い時期に到達すると思ってたが 角はまだ力があった82年にクローザーとしてフル回転させていれば
楽に100Sは達成しただろうし、当年の巨人も息切れせずに優勝できた筈だよな 角は100Sとれそうな場面あった記憶がある。
巨人戦かな。最後、もつれてセーブがつかなかった。 当時の野村監督は、角を来年以降も当然、戦力と考えていた
ところが、シーズン終了後に引退する意向を球団、監督に伝える
野村も「分かっていたら、あと1セーブさせていた」
と、角自身がYouTubeで語っている 江夏の通算200勝200セーブ(あと7セーブ)
江夏の通算3000奪三振(あと13個)
なんかとてもモヤモヤする…日ハムのままだったら余裕で達成だったのに >>33
金田は巨人ではなく中日に移籍していたほうが400勝は楽に達成できていた
中日なら登板数も多くて、あと2回くらいは20勝できていたのでは? でも完全試合も400勝達成も中日戦なので中日戦投げられないとその2つが消えることになる
400勝は他相手で達成できたかもしれんけど >>94
野林は離婚したのか?
中田廉は母の旧姓? >>40
中西太、幻の三冠王おしいね。
当時は今ほど騒がれてなかったとはいえ。 >>92
姉妹2人と同時結婚してみたい。
叶姉妹は嫌だけど。 福良淳一
通算打数3999で通算打率ランキングに名が出る条件の通算打数4000に1打数足りないまま引退 >>112
故・木村拓也
レギュラーシーズンでの現役最終打席で通算4000打数に到達 松岡って83年のAS明けから人が変わったみたいに打ち込まれる様になったよな >>58
金村は「個人の成績とチームの勝利、どっちが大事なんだ!」とブチキレてたが
チームのCSが懸かった状況で個人成績優先できる訳ないだろと思った
4回2/3、1失点とは言え10人ぐらい走者出してたし NPB時代のバレンティン
シーズン60本塁打
通算301本塁打
通算1001安打 平野光泰
4000打数1055安打 .264
木村拓也
4000打数1049安打 .262
福良淳一
3999打数1116安打 .279
大引啓次
3999打数1004安打 .251
小早川毅彦
3997打数1093安打 .273 >>120
おー! これはすごい
辞めたのも絶妙なタイミングだったな
>>121
これせめて通算打率がそこそこの福良は何とかならなかったんかね?
ただ、1999安打や199勝で引退とかとは違うから
4000打数とかに拘ってない選手は別にどうでもいいのかな レロン・リー
4934打数1579安打 .32002432
青木宣親
5687打数1819安打 .31985229
若松勉
6808打数2173安打 .31918331
張本勲
9666打数3085安打 .31915994
青木はあと2打数2安打で引退なら.3200914になりリーを上回るが、多分それはやらないだろう
張本はあと1打数1安打していたら.31923で若松を上回った(張本の方が先に引退だけど) >>123
若松勉は最晩年は、凡退しても張本勲の通算打率を下回らない
よう計算して試合に出るようにしてたとか。自分で言ってました。 ロバート・ローズ 3929打数1275安打 .325
イチロー 3619打数1278安打 .353
この2人があと1年やってればな
とにかくリーの記録のギリギリ具合ったらないな ローズはロッテに戻ってきたのに
キャンプ中に自信無くなって、すぐに帰っちゃったもんな
あの時、せめて開幕1ヶ月だけでもプレーしてれば・・・ NPBに戻ってきたと書いた方が的確だったな
上の文だと、古巣に復帰と間違えて捉えられてしまう。失礼 怪我もあるけど掛布の349本も惜しかったなぁ
晩年は昔なら入ってたはずの打球が、もうひと伸び足りない大飛球になってしまっていた。 まあイチローもローズもNPBの通算打率ランキングなんてどうでも良かったが故だろうしな >>128
巨人の吉村もHRの数が違えどそんな感じ
現役最終年に見たシーンで、東京ドームで打った瞬間HRだと思った打球が
まさかの失速でフェンス手前でのライトフライ
パワー落ちたんだなあと改めて感じた
結局通算149本で引退 ロバート・ローズの打数は4000未満だけど不足分の71打数を打数に加えても打率は.31875であり
ブーマーの打率より高いが通算打率には例外規定が適用されないので通算打率(右打者)1位はブーマー >>132
イチローも同様に考えれば打率.3195になるが、リーの打率より低いので通算打率1位はリーに変わりない 長嶋茂雄は、2500安打と450本塁打のために兼任監督で
もう一年現役を続けるべきだったのでは?
残り29安打と6本塁打は兼任監督でも楽々できたはずだし、
100打数前後あれば難なくクリア、V奪回して通算打率3割キープし有終の美。 100打数で6本塁打って400打数で24本塁打ペースだぞ
引退年は442打数で15本塁打なのに
簡単とは言えない 50とか500単位のキリ番ってあまりこだわる人いないよな
立浪も2480安打だし、ジーターも3465安打だし >>137
上でも書いたけど、吉村は通算150本打ってから引退したかったと思う
あの年は巨人はリーグ優勝も逃したし
シーズン終盤は、吉村のこの記録くらいしか明るい話題がなかった
だから打席に入る時は、日テレアナも気合い入って実況してた 通算200盗塁
高田繁、真弓明信、安井智規
通算199盗塁
イチロー、三宅伸和 王はかろうじて通算打率.301で引退したが、3000本安打と900本塁打にはこだわりはなかったのかな?
特に900本塁打はあと1年で確実、1000本塁打も4年で行けたのに。
3085本(あと299本)は2年では厳しいか? アルバート・プホルスが今シーズンで引退
昨シーズン時点で679本塁打、700本まであと21本は微妙
打点は2150打点、アーロンは無理だがルースまであと64打点も微妙 >>140
最終年は105安打30本塁打だから、その皮算用は厳しい >>140
もう1年無理してレギュラーで出てまた最終年と同じような低打率なら通算打率3割台を切っていた 1980年の成績を「おかわり」した王の仮想通算成績
2960試合2891安打898本塁打 打率.298
けっこう、このスレにふさわしいものになる 通算3000安打
ロベルト・クレメンテ
通算399本塁打
アル・ケーライン アンドレス・ガララーガ クレメンテはそれで不慮の死を遂げちゃったってのが、悲劇よね >>144
数字的にはそうだけど、王なんて異次元過ぎてこのスレみたいなのに当てはまる当てはまらない以前やろ >>147
数字的にそうならこのスレに当てはまるだろ。勝手にルール決めんな 野口寿浩の2000年、.298、9本で3割と2桁本塁打の両方を逃し、結局両方とも最後まで達成できず。
打率の方は残り2試合欠場していたら(ぶっちぎりで最下位だったので、休んでも良かった)3割達成だったのに。
なぜ最後まで出場したのかは分からない。youtubeで話すと思いきや、なぜか話を遮られる。
https://www.youtube.com/watch?v=QtplXc5GhJw 間違えた。ぶっちぎりで最下位は2001年。
まあ2000年の方も、残り2試合で3位が確定してたから、なぜ最後まで野口が出たのかは分からん。 初めてレギュラーをつかんだ年だから、最後まで出たかったんじゃないの
古田クラスに試合出まくってるならともかく
実際に古田は2002年に.300になってからはシーズン残り5試合出なかった だから古田がいなくて松井が50号打てたのか 知らなかった 2002年の松井の50号はシーズン最終打席だったかな。
その打席、たしか捕邪飛失で命拾いしての本塁打だった。 >>154
シーズン最終じゃなくて本拠地最終戦
シーズン最終戦は広島市民球場で5打数無安打3三振だった
三冠王のために安打狙いしたのが災いしたか
結果的にヤクルト戦で打っておいてよかった 嘘を書いてしまい、大変失礼しました。
>>155さん
指摘ありがとうございます。 1999~2000年の仁志、2年連続でヒット1本差で3割を逃す
1999年(510-152) 2000年(560-167) 村上は「.330-50クラブ」への入会は出来ずじまいだな
所詮勢いだけの技術も体力もないクソガキが 和田豊
89年 .296
91年 .298
96年 .298
99年 .302 規定未達 新庄は
00年 28本
04年 .298
ここでやっておけば
「でも数字はw」っていちいち言われなくて済んだかも 1988年の石嶺
オールスター前の72試合目まで.246と絶不調だったシーズン前半が嘘のように後半戦打ちまくって128試合目で.299と3割目前まで漕ぎ着けたが、10月23日の西宮の阪急ラストのダブルヘッダー第一試合で4打数1安打で.299のまま、第二試合は4打数無安打で.296に終わり3年連続3割はならなかった >>144
おもしろい
もう1年やれって言われそう 83年の巨人中畑は最終戦でギリギリ3割に乗せたんじゃなかったっけ?
その年の巨人は4人の3割打者が誕生したが、首脳陣(末次だっけ?)がベンチに電卓持ち込んで
3割前後の打率だった松本匡史含めた5人について3割でシーズンを終えられるよう調整していたらしいね >>169
松井の50号はホーム最終戦の最終打席だったようで。
ヤクルトの米野捕手のファウルフライ落球で命拾いした直後に50号本塁打だったような。
野村克也氏の52号(1963年)はシーズン最終打席とのことで。 >>141
プホルス通算打点ルース超えて2位になった 今年のトラウト
最終打席で40号
OPS.999
499打席 1995年のMVPに選ばれたイチローとオマリーはいずれもOPS.999だった 1967年、新人の武上四郎(サンケイ)はシーズン後半、
打率が3割に届きそうで届かない状況で推移した後、
終盤に打率を.299まで上げた所で故障離脱。
打率に関してはこの年がキャリアハイになってしまった。 >>9
ジャッジは盗塁四つ不足で60本塁打20盗塁を逃した 86年の清原は新人選手・単独最多本塁打記録目前だったが優勝決定翌日のリーグ最終戦・最終打席は
(10月10日)逆転サヨナラ単打となり桑田武とタイ記録でシーズン閉幕。 飯田徳治
2000試合出場まであと35試合、2000安打まであと22本で引退
なんとか、もう1年やれなかったものか カネやんが徳さんの事が嫌いだから2000安打で線引きした説 MLBの場合は3000本安打、500HR、300勝、3000奪三振が区切りの数字だから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています