ギリギリで達成したorし損ねた成績(3割、2桁勝利とか)
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高橋智(92年)の.297 29本塁打が見事。打率.299だったらなお良かったが。 クレメンテはそれで不慮の死を遂げちゃったってのが、悲劇よね >>144
数字的にはそうだけど、王なんて異次元過ぎてこのスレみたいなのに当てはまる当てはまらない以前やろ >>147
数字的にそうならこのスレに当てはまるだろ。勝手にルール決めんな 野口寿浩の2000年、.298、9本で3割と2桁本塁打の両方を逃し、結局両方とも最後まで達成できず。
打率の方は残り2試合欠場していたら(ぶっちぎりで最下位だったので、休んでも良かった)3割達成だったのに。
なぜ最後まで出場したのかは分からない。youtubeで話すと思いきや、なぜか話を遮られる。
https://www.youtube.com/watch?v=QtplXc5GhJw 間違えた。ぶっちぎりで最下位は2001年。
まあ2000年の方も、残り2試合で3位が確定してたから、なぜ最後まで野口が出たのかは分からん。 初めてレギュラーをつかんだ年だから、最後まで出たかったんじゃないの
古田クラスに試合出まくってるならともかく
実際に古田は2002年に.300になってからはシーズン残り5試合出なかった だから古田がいなくて松井が50号打てたのか 知らなかった 2002年の松井の50号はシーズン最終打席だったかな。
その打席、たしか捕邪飛失で命拾いしての本塁打だった。 >>154
シーズン最終じゃなくて本拠地最終戦
シーズン最終戦は広島市民球場で5打数無安打3三振だった
三冠王のために安打狙いしたのが災いしたか
結果的にヤクルト戦で打っておいてよかった 嘘を書いてしまい、大変失礼しました。
>>155さん
指摘ありがとうございます。 1999~2000年の仁志、2年連続でヒット1本差で3割を逃す
1999年(510-152) 2000年(560-167) 村上は「.330-50クラブ」への入会は出来ずじまいだな
所詮勢いだけの技術も体力もないクソガキが 和田豊
89年 .296
91年 .298
96年 .298
99年 .302 規定未達 新庄は
00年 28本
04年 .298
ここでやっておけば
「でも数字はw」っていちいち言われなくて済んだかも 1988年の石嶺
オールスター前の72試合目まで.246と絶不調だったシーズン前半が嘘のように後半戦打ちまくって128試合目で.299と3割目前まで漕ぎ着けたが、10月23日の西宮の阪急ラストのダブルヘッダー第一試合で4打数1安打で.299のまま、第二試合は4打数無安打で.296に終わり3年連続3割はならなかった >>144
おもしろい
もう1年やれって言われそう 83年の巨人中畑は最終戦でギリギリ3割に乗せたんじゃなかったっけ?
その年の巨人は4人の3割打者が誕生したが、首脳陣(末次だっけ?)がベンチに電卓持ち込んで
3割前後の打率だった松本匡史含めた5人について3割でシーズンを終えられるよう調整していたらしいね >>169
松井の50号はホーム最終戦の最終打席だったようで。
ヤクルトの米野捕手のファウルフライ落球で命拾いした直後に50号本塁打だったような。
野村克也氏の52号(1963年)はシーズン最終打席とのことで。 >>141
プホルス通算打点ルース超えて2位になった 今年のトラウト
最終打席で40号
OPS.999
499打席 1995年のMVPに選ばれたイチローとオマリーはいずれもOPS.999だった 1967年、新人の武上四郎(サンケイ)はシーズン後半、
打率が3割に届きそうで届かない状況で推移した後、
終盤に打率を.299まで上げた所で故障離脱。
打率に関してはこの年がキャリアハイになってしまった。 >>9
ジャッジは盗塁四つ不足で60本塁打20盗塁を逃した 86年の清原は新人選手・単独最多本塁打記録目前だったが優勝決定翌日のリーグ最終戦・最終打席は
(10月10日)逆転サヨナラ単打となり桑田武とタイ記録でシーズン閉幕。 飯田徳治
2000試合出場まであと35試合、2000安打まであと22本で引退
なんとか、もう1年やれなかったものか カネやんが徳さんの事が嫌いだから2000安打で線引きした説 MLBの場合は3000本安打、500HR、300勝、3000奪三振が区切りの数字だから そうでもない。
2000本安打達成すら出来ないよな打者の殿堂入りは、まずない。
200勝てない先発型の投手の殿堂入りも、同様に無い。 平松政次の200勝はギリギリなのか?
その年に8勝してるから、この時点ではまだ来年以降もそれなりに出来ると思われてたのか? 当時の大洋は斉藤明夫が抑えで
先発は遠藤・平松・金沢くらいしか計算立たなかったから普通に先発ローテとして期待されてたよ
それがあそこまで急激に劣化するとは思わなかったわ >>11
不仲の「兄弟」山内和宏は97勝止まりだったな ミッキー・マントルは通算打率3割を逃したことをとても後悔していたらしい
上段が引退を一年早めた場合、下段が実際の成績
引退年は打率.237しか打てず
2257試合 7667打数2312安打 518本塁打 1455打点 .302 .423 .566 .988
2401試合 8102打数2415安打 536本塁打 1509打点 .298 .421 .557 .977 マントルは右の方が圧倒的に打率が高かった(左より約5分も上)のだから
晩年は右打ちに専念すればよかったのに サム・ライス 打数9269 安打2987 本塁打34 率.322
通算安打数は3000本にわずかに足らないが、本人はそのことを知らないままだった。 1950年広島カープ
138試合 41勝96敗1分 勝率.299 マントルと似たような例でホワイティ・フォードはラスト2年で負けが先行し通算勝率.700を逃した(ただし防御率は良化している)
1965年 232勝97敗 勝率.705 防御率2.77
1967年 236勝106敗 勝率.690 防御率2.75(引退) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています