イチローと山内一弘の関係
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イチロー(高卒新人で二軍で首位打者の天才)を否定した山内
両者に確執やわだかまりはあったのか?
イチローは土井については語るが、山内の事には触れない 山内さんは指導熱心な方だが、落合が山内さんの指導を断ったように、落合とかイチロー
のような突出した天才への指導は向かないのでは?
話もわかりにくいらしいね >>2
結局それ。
話が長い=要点をまとめられない。
だから名選手だったがコーチとしては失格。
要点を短くアドバイスして反復練習させる中西太みたいなのが名コーチ。 山内が最強打者だった って証言する元プロは一人もおらんな..
山内活躍期の投手達は、だいたい中西、張本、榎本の三人を挙げている >>3
でも落合は後輩の西村を評論家時代の山内の所に連れていって指導を受けさせたらしいから、コーチング技術には一目おいてたんだよな。 山内は熱心で優秀なコーチだと思う
現役時代は同僚の榎本の相談相手だった 顔を両手で洗う感覚
ホースで水をまく感覚
新人時代の落合はこんな感じで山内に教わったがその時は全く理解できなかった
後に成長して技術も上がっていって山内の言いたかったことを理解できるようになったという 後で理解できた とか全く意味ねぇな
教わっているその時点その時点で分からないと 93年は打撃コーチが3人(大熊、米村、小川亨)もいた
全員振り子打法否定論者だった? このひとはロッテの監督で終わった人だと思う
中日も暗黒にして時代についていけなかった 80年代までは優秀な打撃コーチって扱いじゃなかったか
イチローの件とか阪神でのかっぱえびせん呼ばわりで評価が一気に イチローは小5の時の84年に優勝しかけた山内ドラゴンズを応援してたと思う
翌年はファンだった田尾を放出したので分からんが 高橋慶彦が山内氏の指導で本塁打を多く打てるようになったんだっけ >>10
衣笠は若かりし頃は、山内理論は全く理解出来なかったが、現役晩年に1度だけ3割打てたのは山内の指導だったようだが。その理由は、もうすぐ2000本安打達成するのに、1度も3割打てないの恥ずかしいぞと臨時コーチに来てた山内にハッパをかけられて、3割を打つコツを掴んだと言ってた。 >>13
しかし1988年の優勝は山内の遺産もかなり作用していたかと
星野仙一は2013年の楽天を優勝させたのは野村遺産だとか言われるが、それよりも遺産運用で優勝させたのは1988年中日だったかと思う >>6
ノムはえびせん山内のように打撃技術を教え込むタイプではない様な。まあ、配給うんぬんで打撃を活かすタイプか。江本いわく「野村さんは打撃に関してはバーンとかピュッとか大雑把で、技術うんぬんを教えない。」と著書で書いてた。 ノムのコラムで若手の頃の話
>私のころ、パ・リーグのスラッガーといえば中西太さん(西鉄)、山内一弘さん(毎日ほか)の2人だった。
>最初は中西さんの「遠くへ飛ばす力」にあこがれ、中西さんを模倣した。
>しかし、どうもしっくりいかない。そこで、すぐ山内流に変えた。 >>19
88年の標準的な打線
彦野立浪ゲーリー落合宇野仁村弟川又(中尾、音)中村(大石)
投手陣
小松鈴木孝杉本小野山本昌米村川畑鹿島郭
正直近藤時代からの選手と星野が抜擢したのとトレード組ばっかりで
山内が抜擢したのって川又と鹿島くらいじゃね?
仁村弟にしても山内時代の86年は55打席で
星野一年目の87年に規定到達 前政権からの遺産があったのは認めるが
それはほぼ近藤時代からの遺産で
山内時代に衰えた選手は切るか入れ替えるかで戦力アップしたのが88年の優勝だと思う 仁村川又の中途半端コンビが6、7番って強力打線かどうかよく分からん 同僚だった榎本の打撃理論も、山内と同様に難解なのが特徴だった。
しかし、技術が進歩すると、「臍下丹田に気を貯めて打つ」意味がわかるようになったという ある程度出来上がってる選手にとっては有効なんだろうけど
プロに入って日が経ってない右も左もわからないような選手には不向きってこと? 山内一弘の高校の後輩が鳥山明
鳥山明の息子の高校の先輩がイチロー 落合が言うには教えるときの口からのツバが凄いらしい
今なら要マスク案件 >>27
現役時代の山内さんは、榎本さんの話し相手だったんだよな
互いに大打者だったから、高度な打撃理論も理解できた
でも、他の若い選手たちにはなかなか理解されなかった 山内さんは、中日監督を辞めた翌年には巨人のコーチになって優勝させたんだね。この時の巨人は、打撃が良かったんだね。 浮いている変人同志で気が合ったのかも
こういった周りのことなどお構い無し、自分磨き第一の変人達がベテランにいたら若手は気楽だったろう
同時期の西鉄などは野口河村豊田とか、若手の私生活が気になり根掘り葉掘り聞き、
動向をチェックし、構って構ってうっとうしがられていたイメージ >>28
若かりし頃の掛布は、山内理論がわかってたかどうかはともかく、打撃に関する伸びしろは凄かった。最も、当時の掛布はリアル巨人の星のような練習の虫。80年代中期以降の掛布は半分タレントみたいなところもあったが。 山内とかさ、よくよく見てみたら終身打率3割切ってる雑魚じゃん
通算オップスも9割切ってるし、ホームランも400すら行ってない
500本塁打、通算オップス9割超えの清原の方がが断然上じゃん
超期待されてパリーグから来て、一年目だけ低打率ながら30ホーマーしたけど残りはクソザコ化ってあたりが清原にクリソツ
さしずめ劣化版清原だろこいつ 飛ばないボールの時代つう認識が欠けているのが。
そんな時代で通算.295を残した打者とボールの恩恵を受けながら.272に終わった打者で、後者を上に見るってのが。
しかも片や打撃3タイトルの獲得者に片や無冠の帝王やんw
ボールの違いを考慮の上で同型の打者で比較するなら、山内とも少なからぬ縁がある山本浩二や落合博満辺りだろう。
(以下チラシの裏)
清原なんて落合・浩二・山内なんてレベルじゃなく、王と比肩し得るレベルの大打者にすらなり得る素材だったと思うんだけどなあ_| ̄|○
(以上チラシの裏) 昭和30年代のプロ野球で山内・榎本の傑出度は高い
打撃のお手本のような存在だった セイバーの指標で見ると当時の山内は相当高いレベルだっていう話じゃなかったっけ 榎本打撃コーチだったら
イチローを否定しただろうか 野球用語でネコとタチって言うんでしょう
親密な間柄の事らしいよ 山内コーチや土井監督はイチローをバットを短く持ってコツコツ当てる打者に
育てたかったようだけど。
それはそれで末恐ろしい打者になっていただろうな。 イチローはバットを長く持って振り回してもバットコントロールが優れていたので
直したくなかったんでしょうね。
それで土井さんや山内さんらから結果も出せてないのに何を生意気なみたいになって
いたんだと思います。
仰木さんは容認してイチローの好きにはさせましたが内心は良くは思っていなかった
と思います。いずれ気付くだろくらいにしか思ってなかったのではないでしょうか。
そうしたら大化けしてしまったので驚きだったといった所かも知れません、 イチローのバッティングって悪い見本の典型ですから。
それで結果も伴ってなければ誰だって言いますよ。
山内さんも土井さんも間違った事は言ってないですよ。
イチローが天才だったということだと思います。 >>30
当時はガムをくちゃくちゃ噛むの流行ってたから猶更凄かっただろうな。 山内さんって選手を褒めて育てる人なのでイチローとそりが合わなかったのは残念。 褒めて育てる人なのでそこまで嫌うかなとも。
むしろ土井さんのほうが厳しい人で土井さんより山内さんのほうにイチローは冷たかった
のは少々理解出来なかった。 一軍ヘッドの指導をガン無視とか
二軍の首脳陣は何も言われなかったのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています