南海ホークス29
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最近はソフトバンクは応援していなかったが
来年は藤本が監督だし久々に応援する >>711
その山倉が南海の後身のソフトバンクでコーチを務めたのは、
やはり王会長繋がりかな?結局長続きしなかったが。 法政以外の東京6大学にはコネが無かったため進学を理由に逃げられたとも思える 山倉を指名した1973年のドラフト会議の結果を見ると面白いな
セもパも入団拒否だらけ
近鉄の栗橋が「指名前に事前挨拶もなかった」と言っていたが
当時は選手への根回しもなく強引に指名していたのがよく分かる >>712
うーん 三年前の九州旅行のついでにドームで連夜観戦したが
野球見ている気がしないのは相変わらず
しかし まあまあセンスがよくて実用性があり作りもしっかりしている南海グッズ出してくれるだけありがたい
自分にはタオル類買い集めたし 息子にはディッキーズのリュックを >>712
ヒロシも若井の応援歌がチャンテ
になってるけど、
元を辿ればデビッド・藤本
後は湯上谷・若井ね。
ここまで飛ばせホームラン(デビッド)
ここまで飛ばせホームラン(デビッド)
ここまで飛ばせホームラン(ヒロシ)
ここまで飛ばせホームラン(ヒロシ)
快足飛ばして今日も行く若鷹湯上谷
チャンスに強いガッツマン我らの若井 来年もし復刻ユニやるんだったら、第一期黄金時代の
1951年〜1958年のユニやってほしいわ。帽子は紺色の緑鷹マークかNH並列マーク。 南海最後の年のドラフト
1位 吉田豊彦
2位 若井基安
3位 柳田聖人
4位 大道典良
5位 吉永幸一郎
6位 村田勝喜
実質、村田が一位と考えれば
神ドラフトじゃねーか 吉田豊彦で思い出したが
内川の親かが豊彦の学校か野球部関連で
内川は南海のユニフォームを着ていたらしいね
ホークスに行ったのもそういう部分もあるかも >>719
吉田は「1位で指名したが、君の評価は3位。だからウチは3位としての契約金や年俸しか払えない。
それでもよかったらウチに来てくれ」と言われたそうな
南海はその位に行き詰まっていた
ダイエーのフロント入りした穴吹が「給料を上げないと良い選手が来ない」と
各球団の年俸を表にして貼りだして年俸の賃上げをアピールした >>721
ブキさんも南海時代にそれやりたかったろうね
できるわけないけどw 逆に野田ねらってたけど阪神にとられて豊彦にいったと聞いた 山倉って特に良さを感じないけど大学、プロと第一線だったね。
武藤は今風にいうポテンシャルのわりにイマイチだった。ロッテ。
捕手ってタイプでもなさげだが、野村なら育て上げたかも。
池田の畠山なんかも能力を生かしきれなかった側だね。 野村の後釜って誰がなってもバッティングで見劣りするんだろうな
「監督が受けてくれている」というのも、投手には安心感だっただろう
あれだけの大捕手が20年以上続けた後の後継者は難しかった 巨人の森(後釜は吉田を経て山倉)
西武の伊東(後釜は細川や炭谷らを経て森)
ヤクルトの古田(後釜は相川らを経て中村)
中日の谷繁
前任者が長期レギュラー捕手だとどこも苦労するわな。 いい捕手って狙って育成出来ないだろうし、それも野村の後釜はきついよね。
根本的に、正捕手四番で投手陣を一挙にやり繰りさせてる人間に兼任監督までさせちゃアカンよなー。
攻守両面で抜けた時のリスクでかすぎるもん。実権を集中させてもいいことないし。 昭和50年代を代表する捕手ってパッと思い浮かばない
大矢? >>729
昭和50年代を通してなら梨田じゃ無いの? なんのかんの言ってセで長く出ていた捕手が有名なんじゃね
となると山倉や若菜や中尾や達川 1975年オフに野村が巨人に移籍してたら翌年は張本・王・野村のクリーンナップが誕生してたのかもしれんのよな
日本プロ野球史上最強のクリーンナップ
まあその場合もしかしたら張本の移籍は無くなってたかもしれないしそもそも野村が衰えてるから大したことないかもしれんが >>735
すごいな その3人に大北が加わりOHNO砲結成 >>727
ヤクルトはカツノリの為に古田の6歳下の野口を流出させてなかったら
スムーズに移行できてたんだけどな >>735
ゲームはヘッドコーチ兼任捕手の野村が実質上仕切りそう
ブレイザーと高畠コーチも連れてくるのかな? 衰えた野村の肩と外野守備はお察しな張本という弱点を突かれて
セリーグでは優勝できてもどっちみち阪急には勝てなさそう。
それに野村は19番に拘りがあったから、当時巨人で19を付けてた小林繁がどうなるか 22、27は捕手の番号として認知されたのに、19はサッパリだった
やはり野村克也の様々なトラブルが、良くない印象を与えたのかな 野村は張本について
打撃は凄いが守備があまりにも酷すぎるのでベストナインには入れられないと言っていた
一番嫌いだったのは福本だったそうだ
一塁に出れば90%以上盗塁されて「野村は肩が弱い」と叩かれる 弱肩を克服するために、巨人の投手にクイックで投げさせただろうな
キャンプでは徹底的の牽制球の練習もさせるだろう
ミーティングでは黒板を使って配球の講義もしたと思う 野村の南海での最後の3年間の盗塁阻止率を見てみると
1975 40歳.343 1976 41歳.405 1977 42歳.331
無論投手の協力もあってのものだろうけど思ってたよりずっと高かった
ホークスを追われてからは無残な数字になっていくが・・・
当時のセはパより盗塁が少ないのでそこまで脚を使われないと思うが
野村を知る古葉監督の広島だけは一杯走って来そうだな 野村の盗塁阻止率って全盛期は普通に良いよな(クイック前)
4割超えが当たり前だしキャリアハイは5割超えてる 昨日のJSPORTSの都市対抗野球中継で
「いくらキャッチャーが肩強くても
ランナーにタッチしやすいところに投げられなければ駄目だ」って言ってたけど
ノムさんはけして肩が強くなくてもセカンドのグラブに収まるようなコントロールが良かったんかねえ? >>745
一年目だからドカベンもまだこの体型だが、これを維持して欲しかったな
この時点でもう長打力は十分あったから体をこれ以上大きくする必要も無かったし >>747
高卒ルーキーで夏場に上がってきて8本だからバケモン級だが
体型もみるみるバケモン級になってしもて…
さておき
ホークスの4番に入ってるのはメイの守備固めの岡かなあ 藤原 河埜 山本 岡 久保寺 新井 小田 黒田 定岡
金城(P) かな?
西武のほうは
対論 山崎 スティーブ 田淵 土井
まで読めた >>749
10人中6人はホークス以外で現役を終えてるんだな
金城なんか最後は海を渡ってるし >>743
西武時代のノムは福本や島田誠あたりに走られるとテンパったように送球が乱れていたな
スローイングするのが精一杯で、ボールもおじぎしていた >>751
当時のライオンズは若い投手が多かったし、ベテランも東尾以外は
牽制上手くなさそうな感じだな、古沢とか山下とか >>753
当時のノムはよく松沼兄と組まされていたからね
下手投げだしクイックが下手だし >>756
1988年で40歳ってことは 1948年生まれだからまだ73歳ってとこだな
ただ ご病気もなさったとはいえ
不惑のツヤツヤパンパンが最も印象的だった自分にはだいぶツラいわ… コーラのがぶ飲みが後になって体をボロボロにさせてしまったって事か コーラの飲み過ぎは体によくないんだな
巨人の新浦もサイダーの飲み過ぎで体を悪くしていた >>760
飲み過ぎと会うか試合中に毎日コーラ7本ガブ飲みとか
そりゃダメだろ
コーラだけじゃなく他の飲料でも 【香川伸行】
…練習中でも喉が渇くとコーラをがぶ飲みし、即座に炭酸飲料「禁止令」が出た[9]。最初は香川も我慢したが、しばらくするとまたコーラに手が伸び始めた。
ブレイザー監督は「ダイエットコーラなら飲んでもいい。」と伝えたが、残念ながら普及から30年以上前で、まだ日本では簡単に手に入らなかった。
通訳の市原稔は後に苦笑しながら「甘いものも大好物だった。イチゴのショートケーキとか、ね」と振り返っている[9]。
大阪球場でコカコーラを飲みながら応援していた人もいただろう。 孤高の天才は砂糖で身を亡ぼすのか… 佐山サトルとか
あいつがコーラさえ飲まんかったらレギュラーでタイトルさえとれるのになあ…
ドカベンというよりあぶさんに近いなw 香川ってほんと自堕落な人間だよな
センスはあったかもしれんが、仮にもプロのアスリートなのにその辺の一般人よりだらしない
糖尿病患っても現実と戦わず逃げてばかりだったらしいし、金銭感覚もルーズだったらしいし そうだったとしても、やはり今でも香川の才能は惜しむ
暗黒期のホークスに光をもたらすだけの力はあった >>768
門田さんも試合中でも練習中でもサイダーとかコーラとか何本も飲んでるんだから僕もいいじゃないですか いや、コーラだけならそこまで言われねえよ
香川はいつもマクドナルドで袋にハンバーガー一杯入れて球場入りしてきてたんよ
袋って普通のじゃないぞ
手提げの袋だからな >>770
「おまえ、おすそ分けちゃうんかい!」が定番と推測 スポーツドリンクを飲めばよかったのに
ジャンクフードではなく、金田さんみたいにすき焼きとかちゃんこ鍋を腹いっぱい食べればよかった
でも、コーラやハンバーガーの味でないとダメだったのかな? 香川はベストナイン取ってるからなんだかんだ言って球史に名前を残してる
全く活躍できなかったわけではない
内之倉や山之内健一なんか考えると特に 香川は入団時の体型を維持してくれていればな
後期は相撲取りレベルだった >>777
だよなあ 別にやせろというのではなくそれ以上太るな それに尽きた
「やせて打てんようになったら誰が責任とってくれるねん」とうそぶいたと聞くが
責任は自分でとるしかなかった 二重の短命で 筋トレするという発想も無かったんだろうか?
どう見ても贅肉ばっかりだったし、広岡時代の西武へでもトレードで出されてたら
甘ったれた性根も叩き直されてたろうに >>775
牛島曰く浪商時代でも試合前日の夜にコッペパンやソフトクリームを10個以上食べて牛乳をガブ飲みしていたという
食生活そのものが狂っていたんだろうな
>>778
亡くなる数年前の番組でもマジメな顔して言っていたわ >>777
相撲取りに失礼やろ
仰天ニュースのダイエット企画に出れるレベルの太り方だよ 痩せて打てるようになった選手って誰かいるかな?痩せて打てなくなったのは島倉千代子の元夫とかいるけど 一塁へコンバートしようにもそんな話が出なかったのは
身長の低さ(確か公称170cmくらい)がネックになり高い送球を捕りにくかったからかな?
外国人以外だと明らかに打力の落ちる池之上とかが一塁に回ってたし 現代でもドラゴンズ平田とかが
「痩せて打てなくなったら」云々言うてたけど
こんな事を言われる時点で野球選手がアスリートじゃあない事の証左だわな。 >>782
広岡が監督になってからの田淵あたり当てはまるのでは >>783
一塁手の的(身体)が小さいと送球しにくいんだよ
それにドカのことだから少し逸れただけで諦めるわ もしも股わりができたとしても アドバンテージにならない… いや、香川のそれは例えば今で言えば清宮の減量とは根本的に違うからな…
痩せてパワーが落ちるとかそういう次元の話しじゃない 門田があそこまでの成績を残さなければ香川DHでもいけたのにな 遠井吾郎も一塁務まっていたから
可能性はあったかも >>791
それはセカンドに鎌田実級が居ればって話 南海は野村追放後弱くなったという声をよく聞くが
その野村も監督時代はプレーオフの利を生かしたイカサマ優勝が一度あるだけなんだから、低迷の前兆は鶴岡退陣後と見るべきだろう だいたいプロフィールで公称170cmにしている人は実際のところ…
甲子園で解説の仕事で球場入りする門田さん見て、こんなに小さい方だったのか?ってビックリしたもん ドカベンは「太ってる」とかそういうレベルじゃなく
「それ死ぬだろ」っていう病的な太り方だった。
よく「デブは病気ではなく頭の障害」って言われるけどまさにそれ。
食べるのを止められない病気 香川はあの体型で一軍でそこそこ打てていたのが凄い
普通なら野球をする以前の問題
やっぱり天才だったんだと思う あの巨体でありながらインコースを捌くのが上手いんだよ
プロに入った時にはもう出来てたからやはり打撃センスは天才的 >>795
ヤクルトの若松や近鉄の大石よりかは大きいぞという自己主張もあったのでは
前者2人は小柄で有名だったし >>795
俺は183センチあるが間近で見るだけで圧倒されてしまい
小さいなどと思ったこともない
まあ 現役時の話だけど そもそもドカベンとか言われてる時点で間違ってるよ。
ドカベンの劇中の山田太郎はあんな病的な太り方じゃない。全盛期の門田くらいよ。
彼のお陰で南海ファン増えたんかね。野球に興味ない層からしたら、野球のイメージ下がりそうだけど、、、 >>801
本当かな?
普通そのくらいの長身なら圧倒されるなんてことないわ
冷静に「あれ?小さい人なんだ」と思うだけ >>803
逆に身長170程度というデータは頭に入ってたからね
それに10代の頃の話だから「わっ門田さんだ門田さんだ」と舞い上がるばっかりで
まあありきたりだが威厳で大きく見えたってことだな 門田は160センチ台だろう
ホームランを打った後に人形や花束を渡すマスコットガールと身長差が殆どなかった こんなスレでもゴミは出るもんだな
まあ 明朝持って行ってくれればサッパリするでしょう 野村を偲ぶ会に南海関係者は江本と江夏しか参加してなかつたというのは和解したとはいえやはり形だけだったということか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています