南海ホークス29
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>>651
そもそも巨人の星は元々ファンタジーだからいいけど、リアル路線からファンタジーに変わるのは痛いよね。
あぶさんもそうだし、ドカベンのプロ野球編も最後の方は水島オールスターズがプロ野球参入してたしな。 >>646
今会員限定で全文読めなくなってるけど、生前中国新聞の連載で南海時代のこと語ってるよ
<9> 野村の教え 考える野球南海で学ぶ
https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=318&comment_sub_id=0&category_id=407 >>646
解説者一年目の時に雑誌のコラムで触れてたな。
江夏の21球の時マウンドに行かなかった古葉をすごいと思ったとか。
南海に来た時は若手が古葉に懐くのを見てコーチに抜擢したとか。
古葉の野球は選手各々の役目がきっちり固まっている将棋型だが
今年(執筆時81年)の古葉は江夏って大駒がいなくなって
去年までの冷静さも無くなってるんじゃないか、と分析していた。 >>651
>「巨人の星」も「あれは野球を知らない人が書いたマンガ」とディスるようになった。
そこは同意 >>657
川崎のぼるもそれまで野球を全く知らなかったというし
そのコンビで大ヒットになってしまったのは素直にすごい
まあ野球マンガじゃない何かだったんだろう >>657
とは言うものの魔球とかの野球のプレーについてのアイディアはほとんど野球好きの編集者が出してたんだけどね 人並外れた力や必殺技を持つ人物が登場する野球漫画は「巨人の星」以前からあったけど、それが漫画界で拍車をかけたのは否めないね
少年漫画の全盛時代なら尚更
ジャンプには「あぶさん」と似た主人公設定の「どぐされ球団」という作品があって、こっちも近藤唯之のような世界観だったけど途中でガス欠してしまったな
今のグラゼニもそうだが、やはり連載物でリアル路線には限界があるという話なのか >>660
「どぐされ球団」って設定はモロに「あぶさん」+「野球狂の詩」だった。
パクリの一言で終わらせられても仕方ないところだけど
竜崎遼児の様な実力のある漫画家が描いたおかげで佳作になったと思う。
オープン戦で阪急と対戦したりはあったけど、さすがにネタ元の南海とは
対戦させられなかったか >>660
グラゼニはちゃんと引退させたあたりしっかりしてるわな
かなり多くの選手を取材してネタを構成したと編集者が言ってたし 西鉄スレより
元南海ファンはこんなの寄り添ってもらって嬉しいか?
0047 福岡ライオンズよ永遠なれ 2021/11/18 18:13:30
>>46 殿:
>逆に弱小の太平洋クラウンファン
御指名に与り恐縮です、以下お答え致します。
>地元ダイエーか後継の西武どっち応援してるんだろうか?
先ず(深い事情をよく御理解頂いておられない方々には都度御説明を
させて頂いて居りますが…)「所謂西武(正式には「黄金電車(笑)*」)」
は、太平洋クラウンの後継球団ではありません。
結果的に「黄金電車(笑)」オーナーとなったクソ堤義明は、1978年
10月12日、太平洋クラウン(法人名:福岡野球株式会社)を抹殺した
殺人犯です。斯かる状況下、我々太平洋クラウンファンは所謂Say
Boo球団なるものを応援しよう筈がありません。
他方ダイエー(現:SB、元:南海)は、仰せの通り「地元」ということ
で、応援が出来ればいいなと何度も思いました。然し、その思いを裏
返した見た時、即ち「その本拠地から剝がされ、福岡に愛する球団を
持って行かれてしまった南海ファンの思いに寄り添えば」、単に地元
であるからと云って、軽々にダイエー/SBのファンになることは決して
許されることではないと考えます。
この辺りの小生主張は、過去スレ(No.28/29)にカキコんであります。
HNは固定しておりますので、お時間ある際に御一覧下さい。
(*)「黄金電車(笑)」
https://ja.wikipedia...88%E6%97%A7%EF%BC%89
の1944年の記載を御覧下さい。 古葉の追悼動画で
古葉は南海に移籍直後、トレーニングでバック転に失敗して故障した
って初めて知った 野村騒動のとき、トレード相手として大杉も噂あったね。
欲しかったなー。
日本シリーズ見てて大杉の勇姿
が映って思いだした? 文末 。と?を間違えた。
今更ながらトレードで来る選手にはガッカリが多かった。 和田徹、星野秀、小田、杉田、山下、山口
この辺ががっかり選手だったな
山本和は当然のことながら、外山、伊藤勲、阪本あたりもそこそこ活躍してくれたイメージが ついでに言えば
古葉が広島を放出されたのは、根本との確執だったらしい
古葉がダイエーの監督にというゴシップが流れたが
それを考えれば、ありえなかった 古葉 山本忠男 桜井のセカンド争いは地味にレベル高そう >>665
江夏・柏原⇔大杉・安田
沙知代と懇意だったヤクルト球団社長佐藤邦雄との間で交渉はまとまってたが
安田が「出されるなら引退する」と言って破談
これが成立してれば78年の南海最下位は無かっただろうし、逆にヤクルトV1は確実に消えてた >>670
ヤクルト日本一のシーズン後も安田⇔山崎裕之というトレード話があったが
これも安田が拒否して破談になった
浮いていた山崎を西武がトレードで獲得した >>667
黒田があまりにも打てないから、経験も打力もはるか上の伊藤に期待した。
期待通りよく打ってはくれたのだが、肩が想像以上に衰えていた。
なぜ大洋がトレードに応じたのかもよく分かった。 >>670
「がんばれ!!タブチくん!!」で南海があつかわれ
翌年からは同リーグでの丁々発止が描かれたのだろうか
いしいひさいちは自分の贔屓のヤクルトかセの有名どころしかほとんどあつかわず
あのドカでさえ1回かぎり そしてネタの都合のおかげで吉田博之まで登場し
驚愕したおぼえがある >>672
伊藤はもう大洋では構想外だったからね
実質ミチと田村のトレードに伊藤がオマケについた形
口ひげを生やしていたよね >>673
吉田が香川の家に頼んでもない出前を注文するマンガかな?
吉田「もしもしうどん3人前お願いします」
うどん?が香川の家に到着
香川「え?頼んでないけど?」
「まあええわ、めんどくさいから食べてまお」 いしいひさいちに当時のキレがあればなあ
朝日新聞おもろないわ >>670
安田が取れないなら、大杉+金銭でも成立させたかった
柏原の代償が小田だったけど、小田が一塁手としては非力過ぎた >>675
そのころ
「ムッシュ吉田と村山実がいやがらせのウソ出前の応酬」
という無論フィクションのネタを多用しててね
吉田ちがいでそのとばっちりくった吉田博がドカのいたずらとひとり合点して
ドカの家に寿司50人前だか届けさせるも これ幸いとたいらげるという
しかし前にも書いた通り
いしいさんがドカ扱ったのってこれぐらいしか覚えがない
12球団まんべんなくネタにしてある程度の水準だった元はた山ハッチが
マニアから支持を得たというのは必然だったかもしれん タブチ引退まで連載続いてたら
香川やタイロンももっと登場機会が… 巨人ファンとしては78年大杉の代わりが柏原ならヤクルトに逆転されて
なかったかもしれないから成立させて欲しかった >>674
大洋でレギュラーだった時代のオレンジと緑のユニフォームのせいか
伊藤は何だか南海の緑のユニフォームにもすんなり馴染んで見えた。
ヒゲも相俟って昔から南海にいる選手の様にも見えたな。 >>685
伊藤が来る直前までノムがヒゲ長髪禁止にしてなかったか
解禁後も外人除けばせいぜい両山内に博史…
湯上谷の「ちょ やめてw」のヒゲはダイエーになってからだな 西本監督は逆にそいう事には無関心って感じだったな
サングラスにヒゲの森本を初めて見た時は子供心にショックだった >>684
伊藤の「横浜大洋」ユニは1年だけだったな。
あぶさんの16巻に新聞紙面のイメージで出ていた。
伊藤が南海でも大洋時代の5をそのまま着用したから、登録だけ現役で実質引退の和田徹が79に変えて、
一方の大洋ではクラウン(トレード成立時点では西武)から移籍の基満男が5を着用した。 >>689
超大物レジー・スミス来日! のニュース見て「なんだ 森本じゃん」と思った ヒゲ禁止と言えば巨人だね
高橋直樹みたいに前球団で生やしていた人は例外扱いされるが
「特別扱いしなくていい」と自分から剃る選手もいる シピンは巨人入りに際して自慢のヒゲを落とし 古巣大洋相手に大乱闘
これをシピンターンと申します 高橋直樹は眼鏡をかけて髭をはやした姿がインテリっぽかったが、
森本潔は泳げたい焼きくんを歌っていた人みたいだった >>672
元々伊藤勲は大洋時代から
守備はノム並みだった
セのレギュラー捕手では下手な部類
打力を買われてレギュラーになったが
70年代湘南ユニに変わる辺りから
福嶋と併用され始めたし 毎度の「あぶさん」話で恐縮だが
伊藤がトレードで入ってきた時にはチームが捕手難であったにもかかわらず
捕手というより強打者であぶの代打のライバルというあつかいだったな
で 中モズでのマシン打撃で伊藤、ヤクルトからの山下慶徳、山本マシン夫が
かわるがわる強打を披露しルーキー(!)高柳の度肝をぬくという
結局みんなあまりパッとしなかったのは残念 高柳は好きだったけど 高柳ってブレイザー監督の二年間ほとんど試合に出てないけど
これって故障?それとも単に干されていた? 大洋はダンプ辻や福嶋とか良い捕手がいたな
南海の捕手は黒田も松井も柴田もノムに比べると厳しすぎる
打撃でいえば高橋博くらいかな
高柳は左殺しでは山本雅の系譜かな
右殺しは岡本圭佑
岡本の構えは好きやったな 南海の捕手は、晩年の衰えた野村監督と比べても格段に劣る
だから、野村監督が抜けたダメージが大きかった
あれだけの大選手が長年君臨すると、次世代がなかなか育たないのかな?
野村監督は柴田を後継者にしようとしていたみたいだけどね >>699
85年オープン戦で活躍してナイマンさしおいて開幕スタメンにすわったものの失速
その後巨人に移るもマサのように名をあげることもできずひっそり引退…
そんな存在でも「岡田圭右」の名に反応してしまうんだよな今でさえ
どこまで南海に心を捧げていたのかw >>701
よりによって、阪急時代からのオリックスファンの岡田圭右と名前間違えてやるなよ… 野村監督が自分の後釜にと秋田商武藤外野手に熱心だったなー。
早稲田希望で拒否られたけど、実現してたらどうなってたかね。 野村って衰えても打撃成績は並の捕手よりも全然いいよな
南海最終年の.213 16本 58打点 OPS.614だって、打率はあれだが捕手としては悪くない
守備面を含めるとマイナスだったかもしれんが >>702
そうじゃなくて
今その岡田の名前を見ると関係ないのに反応してしまうってこと 山倉を口説いてくれてたら巨人で大きい態度取られなくてすんだ >>674
田村は大学時代の酷使で投手生命が終わっていた。
ま、佐藤の方も終わっていたけど。 >>705
誰かと比較してみようと思ったが、42歳でレギュラー捕手となると谷繁しか比較対象がいない。
谷繁は同じく高卒なので、この年の野村と同じ24年目を迎えた2012年の成績を見てみると
打率228. 本塁打5 打点32 ops627. やはり全盛期の半分位と言え野村の長打力は光る。
盗塁阻止率は谷繁の圧勝かと思ったら谷繁365.に対し野村331.で先入観とかなり違った。
監督野村だけでなく選手野村の抜けた穴もやはりデカかったわけだな。 野村も自分の後継者を育てようとしてなかったわけでもなかったんだよな
打撃面では門田や柏原といった選手が育ったが、捕手はことごとく上手くいかなかった 山倉を入団させようとしたが「早大に行きます」と拒否された 最近はソフトバンクは応援していなかったが
来年は藤本が監督だし久々に応援する >>711
その山倉が南海の後身のソフトバンクでコーチを務めたのは、
やはり王会長繋がりかな?結局長続きしなかったが。 法政以外の東京6大学にはコネが無かったため進学を理由に逃げられたとも思える 山倉を指名した1973年のドラフト会議の結果を見ると面白いな
セもパも入団拒否だらけ
近鉄の栗橋が「指名前に事前挨拶もなかった」と言っていたが
当時は選手への根回しもなく強引に指名していたのがよく分かる >>712
うーん 三年前の九州旅行のついでにドームで連夜観戦したが
野球見ている気がしないのは相変わらず
しかし まあまあセンスがよくて実用性があり作りもしっかりしている南海グッズ出してくれるだけありがたい
自分にはタオル類買い集めたし 息子にはディッキーズのリュックを >>712
ヒロシも若井の応援歌がチャンテ
になってるけど、
元を辿ればデビッド・藤本
後は湯上谷・若井ね。
ここまで飛ばせホームラン(デビッド)
ここまで飛ばせホームラン(デビッド)
ここまで飛ばせホームラン(ヒロシ)
ここまで飛ばせホームラン(ヒロシ)
快足飛ばして今日も行く若鷹湯上谷
チャンスに強いガッツマン我らの若井 来年もし復刻ユニやるんだったら、第一期黄金時代の
1951年〜1958年のユニやってほしいわ。帽子は紺色の緑鷹マークかNH並列マーク。 南海最後の年のドラフト
1位 吉田豊彦
2位 若井基安
3位 柳田聖人
4位 大道典良
5位 吉永幸一郎
6位 村田勝喜
実質、村田が一位と考えれば
神ドラフトじゃねーか 吉田豊彦で思い出したが
内川の親かが豊彦の学校か野球部関連で
内川は南海のユニフォームを着ていたらしいね
ホークスに行ったのもそういう部分もあるかも >>719
吉田は「1位で指名したが、君の評価は3位。だからウチは3位としての契約金や年俸しか払えない。
それでもよかったらウチに来てくれ」と言われたそうな
南海はその位に行き詰まっていた
ダイエーのフロント入りした穴吹が「給料を上げないと良い選手が来ない」と
各球団の年俸を表にして貼りだして年俸の賃上げをアピールした >>721
ブキさんも南海時代にそれやりたかったろうね
できるわけないけどw 逆に野田ねらってたけど阪神にとられて豊彦にいったと聞いた 山倉って特に良さを感じないけど大学、プロと第一線だったね。
武藤は今風にいうポテンシャルのわりにイマイチだった。ロッテ。
捕手ってタイプでもなさげだが、野村なら育て上げたかも。
池田の畠山なんかも能力を生かしきれなかった側だね。 野村の後釜って誰がなってもバッティングで見劣りするんだろうな
「監督が受けてくれている」というのも、投手には安心感だっただろう
あれだけの大捕手が20年以上続けた後の後継者は難しかった 巨人の森(後釜は吉田を経て山倉)
西武の伊東(後釜は細川や炭谷らを経て森)
ヤクルトの古田(後釜は相川らを経て中村)
中日の谷繁
前任者が長期レギュラー捕手だとどこも苦労するわな。 いい捕手って狙って育成出来ないだろうし、それも野村の後釜はきついよね。
根本的に、正捕手四番で投手陣を一挙にやり繰りさせてる人間に兼任監督までさせちゃアカンよなー。
攻守両面で抜けた時のリスクでかすぎるもん。実権を集中させてもいいことないし。 昭和50年代を代表する捕手ってパッと思い浮かばない
大矢? >>729
昭和50年代を通してなら梨田じゃ無いの? なんのかんの言ってセで長く出ていた捕手が有名なんじゃね
となると山倉や若菜や中尾や達川 1975年オフに野村が巨人に移籍してたら翌年は張本・王・野村のクリーンナップが誕生してたのかもしれんのよな
日本プロ野球史上最強のクリーンナップ
まあその場合もしかしたら張本の移籍は無くなってたかもしれないしそもそも野村が衰えてるから大したことないかもしれんが >>735
すごいな その3人に大北が加わりOHNO砲結成 >>727
ヤクルトはカツノリの為に古田の6歳下の野口を流出させてなかったら
スムーズに移行できてたんだけどな >>735
ゲームはヘッドコーチ兼任捕手の野村が実質上仕切りそう
ブレイザーと高畠コーチも連れてくるのかな? 衰えた野村の肩と外野守備はお察しな張本という弱点を突かれて
セリーグでは優勝できてもどっちみち阪急には勝てなさそう。
それに野村は19番に拘りがあったから、当時巨人で19を付けてた小林繁がどうなるか 22、27は捕手の番号として認知されたのに、19はサッパリだった
やはり野村克也の様々なトラブルが、良くない印象を与えたのかな 野村は張本について
打撃は凄いが守備があまりにも酷すぎるのでベストナインには入れられないと言っていた
一番嫌いだったのは福本だったそうだ
一塁に出れば90%以上盗塁されて「野村は肩が弱い」と叩かれる 弱肩を克服するために、巨人の投手にクイックで投げさせただろうな
キャンプでは徹底的の牽制球の練習もさせるだろう
ミーティングでは黒板を使って配球の講義もしたと思う 野村の南海での最後の3年間の盗塁阻止率を見てみると
1975 40歳.343 1976 41歳.405 1977 42歳.331
無論投手の協力もあってのものだろうけど思ってたよりずっと高かった
ホークスを追われてからは無残な数字になっていくが・・・
当時のセはパより盗塁が少ないのでそこまで脚を使われないと思うが
野村を知る古葉監督の広島だけは一杯走って来そうだな 野村の盗塁阻止率って全盛期は普通に良いよな(クイック前)
4割超えが当たり前だしキャリアハイは5割超えてる 昨日のJSPORTSの都市対抗野球中継で
「いくらキャッチャーが肩強くても
ランナーにタッチしやすいところに投げられなければ駄目だ」って言ってたけど
ノムさんはけして肩が強くなくてもセカンドのグラブに収まるようなコントロールが良かったんかねえ? >>745
一年目だからドカベンもまだこの体型だが、これを維持して欲しかったな
この時点でもう長打力は十分あったから体をこれ以上大きくする必要も無かったし >>747
高卒ルーキーで夏場に上がってきて8本だからバケモン級だが
体型もみるみるバケモン級になってしもて…
さておき
ホークスの4番に入ってるのはメイの守備固めの岡かなあ 藤原 河埜 山本 岡 久保寺 新井 小田 黒田 定岡
金城(P) かな?
西武のほうは
対論 山崎 スティーブ 田淵 土井
まで読めた >>749
10人中6人はホークス以外で現役を終えてるんだな
金城なんか最後は海を渡ってるし >>743
西武時代のノムは福本や島田誠あたりに走られるとテンパったように送球が乱れていたな
スローイングするのが精一杯で、ボールもおじぎしていた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています