>>214
皆川が阪神コーチだった時は阪急から移籍してきた大ベテランの米田哲也との確執があった。
米田は75年前期限りでエエデ上田の構想外になりトレードを志願し、
阪急入団時に二重契約で揉めた阪神へ移籍。中途加入ながら8勝を挙げ(75年阪急では2勝)
二桁勝利を何とか達成したが、この時の阪神投手コーチが小山正明で
米田のやり方を尊重してた。しかし75年限りで退任し後釜として皆川が就任すると
米田の調整法などを無視して対立が悪化。監督の吉田も構想外と見切って
最後は西本翁の近鉄へ移籍した。