南海ホークス29
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南海末期の所謂暗黒期を支えた連中は監督にさせてもらえずにかわいそうだな
ても門田とか佐々木とか他所に行った連中も多いが 南海ホークスが続いていれば、門田・藤原・山内あたりは監督になってもおかしくなかった
広瀬・杉浦で終わってしまった 阪急も身売りしてなけりゃ山田福本加藤のゴールデントリオで監督を盥回しにしてたろうにな。 >>13
マスゴミによるノムパージが相変わらず続いたら
ノム門下生の離反者も続発してたわな 引退後、森脇が一番の出世頭だね
監督までなったし
ソフトバンクの森も去年までヘッドコーチか
甲子園に導いた佐々木も何気に凄いね >>11
門田は多分打撃コーチも無理だろうなぁ・・・ 生卵の背後に末野興産や許永中絡みの野球賭博に関与した輩の存在は後に大阪ドームの桜庭和志対秋山成勲戦で
八百長半グレ賭博絡みの疑惑が濃厚なのからすれば当然な筈だ
大阪と野球の悪口に為るが野球ヲタの卑劣な本性が見えて来るぜ
純粋な好球党に悪いが >>19
我が道を行く求道者タイプだし、何よりも引退してから体調面でも不安あるしな ダイエーって大阪(関西)が本社やろ?
南海ホークスも大阪(関西)やのに地方の九州福岡に移転するとは。
大阪ダイエーホークスなってたらなぁ・・・・ >>14
しないだろ
そもそもそれまでにOBにやらせて死んでるし 藤原監督、高畠ヘッドコーチ、佐藤道郎投手コーチ、門田打撃コーチ、島野守備走塁コーチ
柴田バッテリーコーチみたいなスタッフかな?
GMは江本か? >>25
全員南海&ヤクルトで沙知代ともめたメンバーしかいない
ってまぁそりゃそうか >>19
インタビュー記事を読むだけで指導者に向いていないのがわかる 鶴岡は神格化されてるけど、複数年契約後は、カリスマ親分からただのフィールドマネージャーになったのだろうな。退団の背景には、南海幹部とあまり折り合いがよくなかったことがあるらしいからな。 >>24-25
島野はコーチとしては中日・阪神での星野の参謀というイメージが強いな。
指導者としては不思議にホークスとの縁がなかった。 >>31
山内一弘は、純粋な野球好きなおっさんで
世渡り上手ができなかった人なだけで
門田みたいなコミュ障とは違うと思うがなあ。
別に門田を馬鹿にしてるんじゃないぞ。 編成部 穴吹
藤原満監督 森下ヘッドコーチ 片平晋作打撃コーチ
佐藤道郎投手コーチ 桜井守備コーチ
佐々木誠走塁コーチ 黒田バッテリーコーチ
トレーナー 西岡三四郎 >>24
阪急は伝統的にOBにやらせないよな
梶本は上田が急に辞めたから繰り上がってなったぢけ
上田再登板させるあたり基本的にずっと上田で行きたかったんだろ >>34
上田もそれを見越して放り出して
球団が梶本に圧し付けた様なものだしな
ほとぼりが覚めたのを見越して呼び戻されたがw >>32
西本が阪急の監督だったとき、山内をコーチに招聘しようとしたことがあるので、
コーチとしての指導力は評価されていたと思う >>37
中日を解任されてすぐに巨人からコーチとして招聘されているからね
60半ば過ぎて台湾でコーチをやったぐらいだし、ロシアやフランスにも行った
とにかく意欲的な人だから煙たがられる一面もあったが… 山内さんは自分が打撃理論を追い求めるだけでなく、それを誰かに伝えたいという
ベクトルの人なんだろうな。ただひたすら自らが極みを求めるのが門田で。 門田が、「鏡の中の野村」を参考にして身に付けた左の大砲としての打撃技術は、
そのまま、吉永→松中と受け継がれていっているように思うがどうだろう? 門田は何でもかんでも自分の型に嵌めようとする気がするわ
インタビューでも岡本や村上にバッティングについて言ってたが
それが滲み出てる
教えるのはちよっと厳しい
それがみんなわかってるからどの球団も敬遠したんだろ
本人はなりたかったと言ってるが 門田が現役最晩年にダイエーじゃなくてヤクルトに行ってたらまた違う歴史があったかも >>41
https://sportiva.shueisha.co.jp/smart/clm/baseball/npb/2020/09/05/___split_164/
「教える前は、オレの目に留まったヤツをマンツーマンで鍛えたら、誰でもプロに行かせられる自信はあったんや。『オレがやれたんやからできる』『オレの哲学は通じるはずや』と。でも、そうやなかった。そのうち徐々に自分の野球哲学を疑い始めて、指導するのが怖くなった時期もあったな」
門田の実績にケチつける訳じゃないが、本当にプロで監督やコーチをやらなくてよかった 落合は、後年になってから理論を理解したと週ベの連載などで述べていたな。 門田→吉永→松中→柳田、ホークスの左の大砲の系譜だな >>43
別所、大下弘、濃人、土橋、豊田、王、高木守、クサ、大下剛、堀内恒、兆治、北別府、遠藤一辺りがそれな 2年位前の吉田正尚なんか雰囲気もバッティングスタイルも門田とよく似てたよな あわや優勝かってとこで離脱するとこまで似てどうすんねん 当たり前の話だけどバッティングコーチって4番に付きっきりじゃないぞ
小技のバッターが不振の時にホームランバッターの頑固者はどう教えるんだ
結局松原と呂とかみたいになりがち >>54
門田のインタビュー見てると
惚れ込んだら1人を徹底的に指導したい!
ってのばかりなんよな
そこがコーチになれない理由なんやと思う 門田は荒川が王に教えたようなマンツーマンの指導がしたかったんだろうな 早大卒でホークスは近年では和田毅がいますが、慶大卒は
渡辺泰輔以降出てませんか。藤原真には入団拒否されたし。
渡辺は力が落ちかけたら呆気なく引退して帰郷し実家の会
社を継いだけど、そこが直方というのも感慨深い。 樋口さんも会社継いだな
大阪の福島 いい選手だった 大阪ドームが早く出来てホークスが本拠地で使用したら身売りは無かった? >>64
大阪ドームの大近鉄グループですら苦労した数十億の高額使用料を
あのケチ南海が出せるわけがない わが明治も縁が薄いわ
あの名取和彦が最後だったかな 西川・若井が最後かな
ダイエーになってからは福山龍太郎か 昔に比べたら法政からプロ入りする選手そのものが少なくなったし 法政は偏差値が上がって一流大学になったからな
プロ野球に進むより有名企業を目指す人が増えた 今BSフジの脳ベルSHOWで88年の呉キャンプで当時の長池打撃コーチが藁束に水をかけて
日本刀でスイングして斬るトレーニングの映像が出た 長池コーチの指導は厳しかったんだろうなあ
佐々木が、血豆が潰れてバットが手に貼り付いたって言ってたし 現役時代はライバルだった長池、土井はどちらも名コーチになったな
西武では長池は秋山、土井は清原を育てた むかしは地方のなんたら大学とかからプロに行く選手とかおらんかったからな
六大学、東都、旧関六
ほとんどこの辺からのプロ入りだったんじゃない >>76
九州の大学から時々指名される程度って感じだったよね
今はOBのプロがたくさんいる東北福祉大なんかも
当時は殆ど選手を輩出してなかった 南海ホークス末期は九州の大学からかなりの人数指名していた。
無駄射ちだったような気もする。 >>78
九産大の坂田や坂口って選手を獲ってたね
他チームとの競合になると苦しくなる当時の南海が
地方大学に注目したこと自体は理に適ってるけど
まだ地方リーグと関東関西の間のレベルが大きい時期だった ホークスは意外と大阪地元のPL学園や大阪桐蔭出身者が少ない? 片平が東京農大出身で、自分の中では印象心象が格落ちしてた。
いい歳になってから東都だと知った。 PL学園は新井かな
大阪桐蔭は南海時代は産大付属でまだ強くなかった
興国の富田 浪商の香川 南海にいたPL出身者と言うと新井、西川、若井、森か
高校から直接入団した選手はいないんだな。
後は移籍してきた加藤英か >>86
大阪産業大学高校の生徒急増期の臨時分校(大東校舎)だったのが、
南海最後の年の1988年から大阪桐蔭として分離・存続した。 大阪の私学も様変わりしたな
履正社(福島商業)や大阪偕成(此花商業)とか昭和にはない
私立八校(浪商大鉄PL北陽興国明星近大付あと一つ忘れた)が
地区大会の常連だった 大阪の強豪高あたりだと以下
浪華商、天王寺、大鉄、八尾、泉陽、寝屋川
明星、PL学園、近大附属、北陽、興国
上宮、桜宮、大阪学院、履正社、阪南大
この中から南海ホークスに入団し活躍した選手が稀少。。。 浪商はドカベンくらい 大鉄は山村兄 明星は和田かな
興国は富田
天王寺はオリオンズ井石 >>85
立浪が引き当てられてればきれいなカラダでいられたかもなのにな
俺は明治で親が名古屋だが
仙ちゃんも名古屋もだーいきらい ニセの山本こうじにも南海は避けられたよね
中百舌鳥のパン屋の息子のくせに >>96
選手がよく出入りしてた家の子だから
よろしくない情報も入ったきてたのでは?
1軍が普通車だとかその手の 週刊ベースボールの連載にあったけど、佐藤ミチのお父さんって東大卒でイースト菌の研究で紫綬褒章貰ってるんだな。親戚も東大卒多いらしい。
すげー失礼だけどめちゃ意外だった。 ほんまかいな
よく 打たれたら 嫁さん浮気してるぞ って
一塁側にミチはヤジられていたけどな
一族の異端児か、でも野球の才能があったんだからいいじゃん 高田繁だって元木だって南海ファン
あ、山本といいみんな巨人だなw 昭和40年代まではパ・リーグ最多の優勝回数を誇る名門
少なくともノム時代まではそれなりの強豪という位置付けだから
ホークスに憧れる球児も少なくなかったわけだな 伊原春樹も南海ファンの野村ファンだったんだよな
のちに犬猿の仲となるが >>101
元木は南海のままだったら…と言っていたという話も聞くな。
根本と王がいた時の指名だったらまた違ったのかもしれないが。 選手としてはアマナンバーワン捕手のふれこみの割にサッパリだった現コーチも
地元なんで という話は聞いたな
あと 長池の徳さん 違和感感じたから
11年選手は自ら奮起して優勝を勝ち取った。
この年だけで落合は報われたのでは?
あとは今の状態が証明済。
原因も明らかに。
落合は選手たちにオレの事は言うなと退任時に挨拶したし
それが落合の当時の選手たちへの花向けであり最大の財産だったろう。 清原は清原の両親が南海に対してお願いだから指名しないでほしいと釘を差したとか 当時スカウトだった堀井Jr.が清原宅に訪問したら
清原の母ちゃんから頼むから息子の夢を邪魔せんとったってと手を合わせて頼まれたらしい
こんなん言われたらスカウトほんと辛いわなあスカウトにしたら 清原入団の時は既に南海はもう瀕死の末期症状を呈していたからな
清原の親も地元が岸和田だけに偽ピーコと同じパターンで南海の良くない噂を相当耳にしていただろうよ
清原の親は責められんわな
基本的に俺はルーキーのドラフトの入団拒否は何も思わんな
ただ許せんのはトレードのケースだが南海に行きたくないとゴネまくった江夏
コイツは阪神から南海に行かされて恥をかかされたとほざいた
戦後12回の優勝を誇りパ・リーグの盟主的存在だった南海に対し
戦前の混乱期にちょっと勝っただけで戦後わずか2回しか優勝してない
しかも日本一になったことがない巨人の犬の弱小阪神が
どっちが恥なのか今でも俺は声を大にして言いたい 「子供の夢を奪う球団」とまで言われたら、もう球団経営を辞めるしかないよね
清原は西武に指名されたときかなりショックだったが、お母さんが「西武ならお金を
沢山もらえる。お金をもらえるほうに気持ちを切り替えよう」となだめて、入団する
ことにしたらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています