西武黄金時代ってどれだけすごかったの?5
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
http://hissi.org/read.php/liveradio/20210104/UWJOcTBXa2Q.html
【1134kHz】文化放送 3827【JOQR FM91.6MHz】
605 :名無しさん@ON AIR[sage]:2021/01/04(月) 02:03:48.56 ID:QbNq0Wkd
あれ?文化放送とニッポン放送は同じ番組?
関西ローカルラジオ実況スレ★937
308 :名無しさん@ON AIR[sage]:2021/01/04(月) 02:04:56.17 ID:QbNq0Wkd
FM802聴いて寝るわ
【1134kHz】文化放送 3827【JOQR FM91.6MHz】
815 :名無しさん@ON AIR[sage]:2021/01/04(月) 23:20:15.74 ID:QbNq0Wkd
エ レギュラー
(二)辻
(右)平野
(中)秋山
(一)清原
(指)デストラーデ
(三)石毛
(捕)伊東
(左)吉竹
(遊)田辺
控え
(二)苫篠
(右)大塚
(中)垣内
(一)森
(指)バークレオ
(三)鈴木健
(捕)中尾
(左)羽生田
(遊)奈良原
普通に2チームできた >>3
その顔ぶれが全部揃う年はなさそうだが、
安部はいないのかね 桑田が復帰か
西武も鹿取を復帰させれば?
引退後はずっと巨人だもんな >>3
レギュラー先発 東尾、工藤、渡辺久、郭、渡辺智、石井丈
控え先発 松沼兄、新谷、高山、横田、鈴木哲 清原の激太りが話題だけど伊東勤も何気にやばい太り方してるな
現役時代は捕手のわりに痩せてたのに ・5年連続二桁勝利
・通算100勝以上
・タイトルホルダー
こんな投手が先発ローテーションの5番手で雑魚扱いされてた
NPBの歴史に名を刻むレジェンド投手が同時期に4人も居たのだから仕方ないが…
それが西武黄金期 荒木大輔の控えやKKコンビを抑えた剛腕がローテの当落線上で争っているチーム 西武の関西遠征の宿舎だった、大阪新阪急ホテルが営業停止するらしい・・・ 荒木の控えが92年のパ・リーグと日本シリーズMVPだもんな
荒木が復帰した年に
笘篠は他球団に行けば1〜2番打てた 巨人ーソフトバンクの関係が往年の巨人ー西武に見えて仕方がない
でも巨人は鹿取を西武に出したりしたのに今の巨人ソフトバンクには意外にもFAや
トレードがないな 右打者まみれだったので足利豊 伊藤敦 柴田保 山崎慎
らの右アンダー右サイド右シュート投手には弱かった 西本や川崎相手にも苦戦していたしもし東尾がライオンズ打線と対決したら余裕で完封していただろうな、
その代わりに竹之内、田淵、清原などと対決する羽目になるから無死球試合は難しくなるが。 石毛、清原だけではなく、平野もYou Tubeしてたんだな 黄金期の中継ぎ 潮崎にあとは山根黒原西本小田岡田くらいしか思いつかん。あとは谷間の先発もできる高山横田か。 そもそも先発が完投しちゃうからな
確かに明確な抑えこそ鹿取が来るまでいなかったが
逆に他球団と比べたらリリーフの数だけは揃ってた
現代風な勝ちパターンが確立するのはサンフレッチェ以降だけど
その前は西武だろうとどこだろうとそんなもん無いし
中身で比べたらまだマシな方だった 同じ「ピッチャー鹿取!」でも森がコールするのと王がコールするのとではこうも印象が違うのかって感じだったあの頃 鹿取は前年の89年にあんまり投げなかったのも良かった気もする
あとは西武の守備力 王さんの継投は先進的すぎた
今はワンパターンの継投ほど賞賛される 潮崎と鹿取のダブルストッパー
まあ今はダブルストッパーなんていないからな
ダブルストッパーってロッテの河本と成本が最後かな 森監督は小林幹英や條辺みたいな酷使はしなかったからな 所詮は絶対優位のチームを率いていただけ
今のチームを指揮しても優勝はできない >>28
こういう奴って、今のバカチョン・バンクに対しては絶対に何も言わないんだよなw
秋山とか工藤の西武OBを強奪して、もう秋山工藤はホー糞OB!ヅラしてよ。
西武に対しては「共産主義者」田尾とかバカチョン達川とか世渡り上手の軽薄バカ池田とかが
バカチョン・バンクとサダハル・オーという大樹にべったりくっついて、昔も今も腐れアンチ西武電波を
吐き散らしてて威張り腐ってるが、特に田尾なんか昔から凶悪だった。
昨日、バカチョン・バンクが「今シーズン最初の首位に立ちました」とか、同じくバカチョン・バンクびいきの
反日赤軍結社NHKが、プロ野球情報のいちばん最後に遠慮がち(笑)にアナウンスしてたが、腐れ田尾の野郎は
森時代の西武が序盤につまづいて6月くらいに首位に立った時に「今の時期に西武が首位に立つのは
非常によくない!」と、醜いヒステリー顔で怒鳴り散らしてたからな、ウジのプロ野球ニュースでw
あの時のフェミナチ田嶋陽子の男版みたいな醜悪なヒス声と、赤軍運動家みたいなツラは今でも
ウジの倉庫に眠ってんだろw >>27
横浜監督になって
中野渡と竹下は酷使したけどな >>21
近鉄 石本、吉井
南海 井上
阪急オリ アニマル、佐藤義(やってた時期があった)
ロッテ 牛島
ハム 誰だったっけ
他球団はストッパーは確立されていた。 1989年(鹿取獲得前年) 各球団ストッパー
近鉄 吉井
ダイエー 井上
阪急 山内→酒井
ロッテ 伊良部
日ハム 佐藤誠
西武 山根 コーチがサイン出さなくても、選手が何をすべきかわかってるから強いんだよ。コーチのサインは指示というより確認程度だったかと思う。 一匹狼は平野謙だけかな
ヤンチャでも、世渡り上手で群れるの大好き奴等まみれの印象がある
清原渡辺久工藤大久保石毛 西武ビハインド時、6回か7回の攻撃前、よく円陣組んでいたな。
相手投手からしたら不気味に感じたり余計なことを考えか四球を出して崩れていったな。
あの円陣はどんな話をしてたんだろう。攻撃の糸口が見つからないときはハッタリの円陣もしてたのだろうか。 西武の猿人は石毛が若手に発破をかけていたな
石毛が相手投手の配球を猿人で教えていたんだと思う 石毛がチームリーダーになったのは85年から?
84年までは田淵いたし 85年からだろうね
84年まではセカンドの山崎がいた
山崎こそが初期西武の内野の要だった 中村の守備見て
石毛にはまだまだ及ばんことはわかる
>>32 もし増田って89年にいたらブライアント4連発はなかった? くだらんifだ
東尾か郭か松坂がいたら2018年のCSは取っていたか?というのと変わらん 92年の日本シリーズが西武黄金期の頂点で終焉だったな
歴代最高の日本シリーズだった
巨人ファンの私がヤクルトx西武の日本シリーズに感動するとは
思いもしなかった
次点は76年の阪急x巨人かな
あの頃の日本シリーズは皆必死だったな
いつからオープン戦みたいな日本シリーズになったんだ? 76年なんてかなりお年の召した方かと思いますけど
昔はパリーグの試合なんて巨人戦しか全国放送がなかったでしょ?
パリーグの選手からするとセリーグの連中倒して名を馳せたいわけよ
いまじゃインターネットとかダゾーンとかパリーグの試合が太陽の光に
当たる時代となっている。ファンの数も昔と比べ比べ物にならない。
通常の試合で名を馳せれる時代になったのだから、日本Sがオープン戦になっても
おかしくないかな 西武の黄金時代は今より完投も多い時代だったけど誰も壊れなかったのが凄かったな
郭泰源くらいかスぺだったのは ナベは25歳ぐらいにはすでに体がボロボロだったそうだ
思ったようなボール投げれなくなったと ナベは25歳ぐらいにはすでに頭髪がボロボロだったそうだ
思ったような髪型が出来なくなったと バブル時代に華々しく活躍し、
バブル崩壊と共に劣化した渡辺久信投手 巨人が西武に何年越しかでマジで勝てなかった時期があった。
87年シリーズから94年のシリーズまで。20連敗くらいしていた
オープン戦すら勝てない。西武アレルギーと言われるくらい。
それは半端なかった。
マジで巨人は西武にブルっていたというエピソード。 88年のドーム開場記念トーナメント決勝で巨人が西武を下してから
93年のオープン戦2つめか3つめの対戦で巨人が勝つまでだったと思う
89-92で14連敗
93に止めるまで1つか2つ負けてるから15、16連敗かな >>45
ナベトミは3年くらいだったしな
まあ故障持ちで入団したけど 87年か88年、抑え候補のアメリカ人のテスト生がキャンプに来てたな。西武のホームユニで背番号はなかった。
西武は採るつもりだったがただ麻薬の前科があって最終的に獲得を見送った。
週べでもカラーで取り上げられてた。
もしその外人が額面通り働いたらならもう10勝は上乗せできて盤石だったんだろうと思う。 88年トーナメントは出来レースで巨人に花を持たせていたとしたら
87年シリーズ5戦から88年オープン戦も全敗してるからやっぱ20連敗くらい巨人は
してる。
83年シリーズから負けたのを換算すると丸ッと干支一周り巨人は西武にマウント
されていた。と。中々にエグイ。堤の初期の野望の一つは達成されたと。
歴史は繰り返すで今度はソフトバンクにマウント。 >>50
黄金期西武は打線も凄かったから見落としがちだったが、やっぱり野球は守備だよな
落合ドラゴンズがそれを証明した >>55
屁理屈だなあ
別にあんたの記憶の曖昧なところを咎めてるわけじゃないんだが 西武黄金期の控えは当時のダイエー、日ハム、ロッテ、阪神、大洋ならレギュラーになれたよな そう
巨人の2軍でくすぶっていたピッチャーがダイエーでいきなり活躍したり。。
球団の選手層の差がヤバかった。
西武なんか90−92年のダイエー戦に主力投手の先発はまれ。谷間の投手で通したくらい
それ位差があった。
それでも負けたダイエー。情けないを通り越していた。 当時のダイエーの投手なんて130qそこそこの投手ばかり >>62
そうか?当時先発は中5日で回すのが普通で追い込み時は中4日とかざらにあったぞ。
一戦級の投手もそこで勝ち星を稼いでいた。ただ盆明けの勝負所は近鉄、阪急オリに重点的に一戦級を充てていた。
それにしてもブライアントの4連発の2戦目の先発は高山だったのが謎。1戦めでブライアント抑えにスクランブルでナベQを出したからそうなったのだろうか。 デーブのYouTubeで鈴木健がファームで4割打っても上がれなかったと言ってるしね。
ダイエーは本当に戦力なくて田淵が星野やコージに頼んでトレードして、かつての同僚杉本を採ったり、
本原なんかも使わざるを得なかった。 >>65
https://sta-men.jp/1989lions.html
高山か後半戦打たれまくりの兄やんしか残っていなかった
10/9先発の渡辺智は元から10/15の近鉄最終戦先発予定
渡辺久も2日前に完投負けだからあそこで抑えに出すくらいしかできない 2日前は完投負けじゃなくて8回で降板だったわ
大してかわらんか >>66
鈴木健は当時から「西武以外のチームなら間違いなくレギュラー」と言われていた
こういう選手はレンタル移籍があっても良かった気がする >>67
わかりやすいデータありがとう。
この年の高山の先発の対戦相手見たがダイエー6試合ロッテハム各3試合試合近鉄1試合、オリックスなしだな。
近鉄オリ相手には信頼なかったんだろうな。
その近鉄1試合が10.12。森監督は1試合目はおそらく近鉄は高柳だろうと踏み郭と心中してナベQまで出して優勝を決めにいったんだろうな。
対戦相手もそれぞれチーム1番手2番手の先発を積極的にぶつけてるな。 >>69
広島が小林誠ニを西武にレンタル移籍みたいなのをしたよな
デーブや白幡も短期間とは言え巨人で活躍するんだから西武黄金期は選手層の厚かった >>71
あれ実質はレンタル移籍だったって話だね
確かに戦力になったあたりで広島に復帰している>小林誠ニ 翌年小林はカープでリーグ優勝の胴上げ投手になってるからな
西武、広島で3年連続で日本一になると
日本一の時は山根だったけど
山根はその後故障で勝てなくて西武に来たけど 星野知子のニュースシャトルの後の西武戦生中継。延長なし。 あの頃はリリーフ苦労してたな
89年も結局ダイエーに9回大逆転されて負けた敗戦が響いた気がする 80年代後半はシーズン佳境に入ると先発を1人後ろに回してたからな
89年にそのやり方に限界が来て翌年に鹿取潮崎体制で一気に弱点を克服した 森繁の衰えが早かったのが原因かね
先進的な野球をしてる西武が抑え不在という奇妙な世界だった
南海ですら井上とかいたのに 当時の抑えは森繁や近鉄の石本とか短命やったな
石本に続いて吉井→赤堀→大塚と近鉄は抑えは強かった 石本は当時基準でもヤバい使われ方してた
そりゃ壊れるわ
赤堀も今基準なら相当だが石本はその頃でも逸脱してた いしいひさいちの漫画のネタになっていたな
岡本監督「ピッチャー、石本!」 石本が不幸だったのは19勝に終わったところだよな
あの時代でも20勝って伝説の世界だったし
あそこで20勝してれば例えその後ブッ壊れても
「久しぶりに現れた20勝の石本」で食っていけたかもしれないのに 85年は佐藤義則も21勝してるし
前年も今井雄太郎が21勝
そんな伝説でも久しぶりでもないよ オールリリーフ登板で20勝してたら確かに伝説にはなってたろうな
19勝でももちろん凄いけど あと2勝して最多勝まで届いてたら、だろうな
数年後(88年)に全救援登板で最多勝になった伊東に完全にインパクトで上書き
されてんだよね
85年石本も地味に最高勝率だったり
翌86年も当時日本タイ記録の40SPだったり
当時のインパクトはあったが、いずれも後年のリリーフ記録が更新されて行くにつれ
存在感が薄くなった 加藤哲郎は通算17勝の投手なのにあの発言があったので
いまだに記憶に残る選手になって取材もされる 加藤は容姿が良い ってのもある
姿勢もよさも井上祐二と双璧だった 鹿取は凄いよな
壊れなかったし
89年にあんまり投げなかったのも西武にとっては良かった
西武は守備が良かったから打ち取りやすかったと 伊東のすごいところは、西武に入ってきたピッチャーと西武から出て行ったピッチャー。
入ってきたピッチャーは成績がよくなったし、出て行ったピッチャーは悪くなった。 当時は文化放送ライオンズナイターとNACK5サタデーライオンズ、サンデーライオンズずっと聴いてたな
かっとばせキヨハラくんも黄金時代と平行して連載してたから最強の時代だった 昨日のソフトバンクとの試合
ソフトバンクがピッチャーゴロの処理から
ホームがガラ空きになり、2塁にいたランナーが
ガラ空きのホームに一気に生還したシーンが
あったが森監督があんなこと許すわけがないな
工藤チームはまだまだ今の黄金期の手の中にある
と思わせる象徴的なシーンだわ >>92
高山は西武に残ってたらもっと活躍できたと思う。
なんで広島にトレードされたんだろう。 >>97
そもそも根本がいなければ黄金時代自体が始まってすらいないだろ 西武グループが金なくなったんだから根本いても無理よ 93年に秋山をトレードで放出した時から黄金時代の崩壊が始まったなあ。 左打者なら鈴木健なんかは2〜3年くらいクリーンアップが弱いチームにレンタルみたいに出して94年に西武に復帰させてれば良かったよな 今日の巨人ーソフトバンク戦観てると
いつぞやの87−94年の巨人西武アレルギーを彷彿とさせる。
初回に2点取っておっ!と思うやいきなりその裏連続ホームラン。
一気にサンチェスキョドり出してボコボコに。
塩漬けだったバレンティンにまで打たれて。。。。。
当時の西武もこんなんだったな。と昨日の9回阪神に逆転のショックの慰めに
してみる。 その時の合宿所をついこないだまで使っていたという事実 ここ2年の試合を見ていると投手力の貧弱さが際立ってる。
そりゃ涌井や岸や野上とか次々抜けたらダメージもあるけど野手はその辺
すぐカバーできる選手が出てきて育成の良き歴史が生きていると感じる。
投手力は違う。多分素材の良い選手がいるがそれを生かす捕手の育成が不十分かと。
伊東だ。彼を手放してしまった代償がずっとボディブローのように続いてる。
過去は過去としてドラゴンズから戻ってきてもらうべきだ。
雪解けの時期だ。渡辺GMとか他の人の協力を経て戻ってきてもらい森とかを本当の
キャッチャーに育ててほしい。
多分センターラインの一番の要のキャッチャーがソフトバンクと差が一番ついている
ロッテの選手がオープン戦や交流戦で未だに挨拶に自ら来るくらいだから人望も
あるし監督時代でのあのメンバーで3度もCS進出してる。
人材としてライオンズに戻すべきだ。
また勝てる時代が戻ってくる。と思う 清原が怖いと言ってた伊東
新谷も伊東が怖かったらしいね
新谷は野々垣のYouTubeで言ってた >>112
秋山はもう衰えが見え始めていた
ダイエーに行ってからは長打力がなくなったし、守備範囲も狭くなった
トレードで佐々木を獲得したのはよかったと思う >>112
工藤はフロントと揉めた。
秋山は翌年FAする可能性があったのと、ダイエーに移った根本さんが九州出身のスターを欲しかったので、トレードを仕掛けた。
根本がいなくなってから、西武フロントが劣化し、黄金時代も終わる。 西武が弱く?というか普通のチームになったのは森解任でしょ? 根本をダイエーに放出したり積極的な逆指名・FA補強しなくなったから意図的に黄金時代を終わらせたって見方が正しい 石毛 辻衰えてって感じだし でも3年後にすぐ松井稼頭央中心のチームで優勝したのは見事 鈴木健、松井が入ってきたあたりでもう「勝つ」チームではなくなったのを痛感した。
2人ともいい選手だけど、勝つチームの選手とちゃうんよな。 >>117
前スレでイチローの仰木オリックスが全盛期の裏でAクラスに留めさせながらチームを再構築した東尾は評価されていたな。
後年の白にゃんこ打線は副作用だったがw 大友、松井、高木大成のトリオに、新エース西口。僅か3年で新しいチームを作り上げ、2年連続優勝って凄いよ。
当時は黄金時代のすぐ後だったから、過小評価気味だったけど。 オリックスが日本一以降勝手にチームを解体(シギーの渡米・中嶋のFA・本西・馬場の謎の放出等)していたから繰り上げ優勝って印象しか無かったわ ライバルの近鉄も次々と出て行ったからな
監督を嫌って ロッテも就任後いきなり2位にしたボビーを1年で切って広岡院政にして翌年から低迷したしな。
小宮山や定詰などボビー派も粛清されたからな。
もしボビーが球団と揉めずに続けていたら96年か97年はロッテ優勝があったかも。
ハムはウエさんだっけ。ガンちゃんグロス中継ぎのNHKトリオの時代か。 小宮山は早大なので広岡〜江尻〜近藤の流れにのってたけどね。
鈴木健は高卒とはいえドラ1で入って、ファームで4割打っても上がれないとか凄いチームだった。
松井も野手転向して高卒2年目でレギュラーは、本人だけでなくスカウト、育成もなかなかだと思う。
森監督は途中からドラフトは即戦力投手ばかり求めるという話だったので、そのあたりのツケもあっただろうが。 オリックスは特段金欠でも無いのに自爆
日ハムは上田監督家族の宗教問題
ロッテもボビー斬って自爆
かなり運も味方したわな 97年 98年はヤクルト横浜に ぼろ負けしたな
あの頃のパリーグはそんなレベル >>126
あの頃はそれまでのパ・リーグよりレベルは下がっていたが、96年、99年はともに4勝1敗でパが勝利してるので、それほどセと差があった訳ではない。
それまでの黄金時代西武のシリーズ構成での強さが印象的すぎた。 97年の東尾のシリーズ前の対策なしという姿勢はひどかった。
本当かどうかわからないが伊東はヤバいと思って独自に対策を打っていた。
ボロ負けの印象だが紙一重の感も否めない。
1戦3戦は勝てる可能性あった。
だが上記の副作用で完封されたりサインミスで一発食らったりチャンスであっさり
併殺打打ったり。
東尾の勝負勘の前に采配ミエミエだった。
データ生かせるなら全く分析できてなかったペンバートンを最大限ハッタリで
使えばもっと面白くなった。野村の動揺を誘えた。 97年のシリーズ自体がホージーがいたくらいしか印象がない。
98年のシリーズは横浜38年ぶりの優勝、マシンガン打線大魔神佐々木等の横浜の話題だらけで単なる対戦相手の印象しかない。 >>130
97年
初戦好投してた西口がテータムにホームラン打たれて負ける。
98年
伊東が盗塁されまくる。
西口体調不良で6戦に登板、好投するも8回に打たれて負ける。
後から思えば、西口はこの2年がシリーズ初勝利を上げるチャンスだった。 東尾西武が日本シリーズで勝てなかったのは選手のなかに明確に秋山や石毛や辻のようなリーダーシップとる選手がいなかったからでは?
松井は高校出てから3、4年であまりにも若すぎるし伊東と田辺はリーダーを取るには歳がいきすぎだし。
大成もちょっと経験不足だし。
考えたらこんなんでよくパリーグ連覇できたよな。
今みたいにキャプテン制度があれば誰がなってたんだろうな。 単純に弱かったから。97、98とも自壊したライバルのお蔭で出られただけ。 >>132
当時の序列で言えば鈴木健や垣内辺りだな 今のソフトバンクは西武黄金期以上に世代交代をやりつつ上手く優勝して黄金期を謳歌してると思う。
しかし黄金期も永遠に続かない。どういう風に黄金期が終わっていくのだろうか。
西武の場合はフイールド内では石毛曰くチームに蔓延ってきたマンネリ感、親会社のバブル崩壊、FA、根本による引き抜きが主に考えられるが。 >>135
まずは柳田の衰えがターニングポイントとなるだろうね。
意外と守備指標が低いらしいセンター守備の方は穴埋めが容易だろうけど、攻撃面では明らかに彼に大きく依存しているからね。
下手すると丸が抜けた後のカープの様な急転落もあり得るな。
その辺は球団側も承知で、既にポスト柳田に向けて色々手筈は講じているんだろうけど。 ソフトバンクの栗原中村周東って他チームでもレギュラーになれるか微妙
打は柳田だけが突出していて完全に投のチーム >>136
うまくいかなければFAなり外国人補強するだろうしね 控えは黄金期の西武と今のソフトバンクどっちが層厚い? 一軍で使える戦力って意味ではソフトバンクの方が厚いだろうな。
というのもソフトバンクってチームは黄金期の西武のように一軍レギュラー、一軍控え、二軍と固定化される事無く、二軍の若手にも積極的に一軍に
引き上げてチャンスを与え、次々と一軍戦力にしていっているのね。
そんな中から甲斐や千賀を発掘したり、(元々注目されていたとは言え)柳田が前年フル出場首位打者に輝いた長谷川からセンターのポジションを
奪うなんて従来の常勝チームでは中々出来ない・起きえない芸当が、極日常的に出来ているし又起きている訳で。
この辺は鶴岡監督時代から(10年選手(FA選手)ボーナスを渋った親会社対策という側面も強かったが)積極的に世代交代を進めて常勝を維持した
頃からのチーム体質に依る面も大きいように思えるけど。
言わば育てながら勝つを地で行く好循環な訳だが、絶対的なポテンシャルを持つ(=代えがきかない)選手となった柳田の後継をどうするのか?
又、その際にすっかり柳田に大きく依存してしまっている攻撃面をどう再構築していくのか?といった辺りで大きな壁にぶつかる様な予感も。 今の敏腕スカウトが辞めた6年後くらいかな。次のスカウトも優秀なら問題ないが。
あとは孫のやる気の問題。
工藤の次の監督は誰かな。井口はいずれ戻ってきてやると思う。 西武の黄金期は堤が根本に完全に任せていたのがよかった そこはソフトバンクと同じだな。
どこかのチームみたくオーナーが野球好きだとダメ ソフトバンクにやられっ放しで反撃機会もないまま相手の時代が過ぎそうだからって僻むなよ >>145
せっかく今年はSBがダメなのにそれを活かせないのがなぁ… >>122
仰木近鉄崩壊の道 93年鈴木監督就任
92年オフ 新井引退
93年オフ 小野和義退団
94年オフ 真喜志、阿波野、野茂、吉井、金村退団
95年オフ ブライアント、高柳退団
96年佐々木監督就任
96年オフ 石井退団
97年オフ 大石引退、山崎退団
00年オフ 鈴木貴久引退 93年以降近鉄の新芽
91年 水口入団
92年 ノリさん入団
93年 小池入団
94年 大村、的山入団
96年 ローズ、武藤入団
こうみると2001年パリーグ優勝までの世代交代が分かるな。鈴木監督来てよかったとは一概に言えないが。 近鉄は89年に1度は西武を破ったのに西武は1度もソフトバンクを破れずじまい 1986年
3番秋山 24歳
4番清原 19歳
こんなチーム造るの無理でしょ >>151
稲尾入団時の西鉄に比べたら特に若くは無いわな >>153
その翌年あと一歩まで追い込んだヤクルトも評価されるべきだな。
もしデストラーデが翌年も残っていたならヤクルトはリベンジできたんだろうか。
西武は石毛曰くマンネリ化した空気が流れていたしヤクルトはキャンプからリーグ優勝より打倒西武に一丸となっていたが。 中日ってたまにしかシリーズ出ないのに
移転後初めてのシリーズで気合い入ってる時や
黄金期の中でもそのピークの時とかにあたって惨殺される
間の悪さがあったな >>154
1990年の翌年は1991年。
その年の日本シリーズは西武対広島だ。どこからヤクルトが出てくるの?オープン戦の話??? スターを可愛がってマンネリを招いた堤より無慈悲な競争をさせた孫のほうが遥かに賢かったわけだ >>156
辛辣なツッコミありがとう。すみません、92年の話でしたorz >>157
そりゃあソフトバンクには清原級のアマチュア界のスターが入団した訳じゃ無いし そこなんだよな
みんな叩き上げだから地味で世間ではウケない 強いていれば松坂世代で大学時代三新記録を作った和田毅位だよな
ギータなんか地方大学リーグからのたたき上げだし これまでホークスに入団したアマチュア界のスターというと杉浦・島本・香川位か、若田部は当時の有力株ではあったけど大スターではない 無名選手を鍛え上げてレジェンドクラスの超一流選手にまで仕立て上げるのがホークスの伝統だ罠。
古くは野村、広瀬、門田・・・・。 ホークスに入団したアマチュア界のスターつうと何と言っても鶴岡親分だろう。
高校では広島商絶頂期(夏春連覇)の中心選手&主将、東京六大学ではこれ又法政大学の戦前黄金期の花形三塁手&主将。
これ程の選手が当時社会的地位が低かった職業野球、それも弱小チームの南海に入団した事自体が驚きだったという。
南海を選んだのは大学時代の親友だった納家米吉が南海入りした(法大でも控えで、プロでも9試合に出場したのみで出征し戦死したという)
のが理由だったという。 ダイエー初期〜中期の頃は小久保とか井口とか大学野球のスターを取っていたのは
なかった事になってるのか。城島も逸材だったし 83年など303 16HRの石毛が主に9番だったしな
ちなみにこの年の石毛の成績はハム・近鉄・南海・ロッテならクリーンナップ打てる数字だった 広岡・森時代はサウスポーにめっぽう強かった
cf.
ロッテの園川の対西武戦は9−20 2完封
現役最後の2年(vs東尾西武)で4−2 1完封 ダイエー/ソフバンも、モノにならなかっただけで結構スター選手というかその年のドラフトの目玉選手はどんどん取ってるよね
山田山村ダブル自由枠とか、新垣とか、田中ジャスティスとか、古くは入団拒否されたけど元木とか。杉内も松坂世代の大物でオリンピックにも出たから話題性あったし
逆に西武も栗山みたいに高卒下位指名から叩き上げる選手もいるし TBS日曜劇場「ライオンズ桜」
「デブと豚はライオンに行け」 広岡時代じゃ考えられなかったなw
広岡なんか打てない守れないデブを嫌悪してたんだし 田淵に お前は打つだけで守りは全然だめだなってキャンプで猛練習させてたな デブ起用しない方針は森になっても続いたな。
ただデーブ大久保がオーナーお気に入りの選手な事は知らなかった。
トレードもオーナーの承認を得ないとダメだったみたいやし。 つまり広岡や森は同時代に中村や山川がいたら使いこなせなかった凡将の可能性 広岡は最初は田淵のことは批判したが、その人柄のよさを認めて仲良くなった
長打力と独特の華やかさを評価し、守備の下手さには目をつぶって四番で起用していた
広岡は案外、長打力とスター性のある打者を好むらしい 後はプライド重視するね
田淵とか4番の席は与えるから 4番として仕事できなくなったら引退しろって感じだけど ヤクルト監督時代から広岡はビッグボール派でしょ
ライバルの上田監督の方がよほど走攻守のバランスを重視したスモールボールやっていたと思うよ 広岡は、選手の前で
バントの重要性を理論的に説いた上で
自分で実演してみせたんだぜ
だから、選手もちゃんとやらざるを得ない ヤクルトがアメリカでキャンプをした時にメジャーの監督が見に来て
「あの選手はメジャーで使える」と評した選手がいた
その選手とはショートで守備の手本を見せていた広岡監督だった 秋山 清原 デストラーデ
松井 カブレラ 和田
のクリーンアップを比較するとなぜか後者のほうが怖い気がする。
ただし前者は6番に石毛、後者は6番に大成を含めて考えると前者のほうが怖い気がする。 >>181
その時期だと大成は怪我がちで後続は宮地や貝塚辺りだった気が AKDは出塁率(=四球)が高くて勿論OPSも高かったからな
そらチーム打率の割に西武の得点力が高かったのも解る
ビッグボール派の広岡はもちろん、森も打率や盗塁数よりHR数の方が重要だと発言してる
当時セイバー理論はまだ無かったが、セイバー理論(OPS重視)に通じる戦略を採っていたのが広岡と森という訳だ 四球率が高いわりに三振ランキングでも上位に来てたのはどういう事なんだろう >>185
そらホームランバッターは三振も多くなるさ
大谷だってそうじゃん
その代わり大谷の出塁率は打率309のフレッチャーより3分近く高いチーム1位だ 森だって、秋山と外国人にはチームバッティングとか
求めていなかったぞ
清原には、できちゃったからやらせていたが 89年 秋山 31本 清原 35本 デストラーデ 32本
90年 秋山 35本 清原 37本 デストラーデ 42本
91年 秋山 35本 清原 23本 デストラーデ 39本
92年 秋山 31本 清原 36本 デストラーデ 41本 得点圏でのデストラーデより和田のほうが怖い。
好調時なんかあのオープンな構えにどこを投げても長打食らいそうな感じがした。 高級アイスでチャンスを潰す位なら三振で終わった方がいいかな 遊松井 中大友 一高木大成 指マルチネス 左垣内 三鈴木健 右佐々木 捕伊東 二高木浩
東尾西武の目指した理想像?機能してたらバランスのいい打線になりそう。 >>192
理想と現実はねえ……。
怪我や不調なく安定して働いたのはリトル松井だけという……。 機能してようやく97年程度なんだろ
00年代になって打線が大型化したダイエー近鉄と殴り合いしたら
ボコボコにされてるだろうな
だから西武自身も大型化したのは時代的に必至だった カブレラが来ない
和田もちょっと打てる捕手のまま
二軍も一軍方針に従って走れて打てる選手を重点強化して中村も出てこない
なんてこともあったりして
04,08の日本一もなく
逆に暗黒が早く到来してたとかな >>195
高校生のおかわり、中島獲って方針転換したんだろうな。
カブレラの加入、和田の覚醒によってダイエー、近鉄、ハムのような打線の大型化の流れについていけたよな。7番以降はその3チームより迫力が欠けていたが。
なおロッテはボーリック、頑張って初芝神、Dメイ、スペ石井、くらいで期待された立川、澤井はダメでした。
青波は打線云々より投手陣がけた違いに終わっていたw 西武の歴代ショートの系譜は凄い
石毛→田辺→松井→中島、少し空白期間を置いて源田
この間約40年 福岡時代を含めると豊田・ロイ・真弓もだもんね、これだけで打線を組める。 >>198-199
逆にライバルの近鉄のショートは何でこんなにショボいんだって選手ばかり
数年でレギュラー交代の連続だし ていうかパのライオンズ以外の歴代ショートをかき集めて打線を組んでもライオンズの方が勝ちそう 垣内、大友、小関、木大成、鈴木健が予想より伸びなかった。
大成は「自分はプロでやる体力がなかった」と言っていたね。 ショートは守備だけできればよかった時代に、豊田が「打てるショート」の先駆者になった
のが大きかったのかな?
ライオンズ以外で「打てるショート」が充実しているのは阪神だと思う ライオンズ以外のパ球団
「先発ショート」出場数トップ3
阪急/オリックス @弓岡A小川B安達
近鉄 @石渡A安井B矢ノ浦
南海〜SB @小池A今宮B川崎
毎日〜ロッテ @水上A小坂B西岡
東急〜日ハム @田中A金子B高代
楽天 @茂木A渡辺B松井 なお、ライオンズは
@豊田A中島B松井C田辺D石毛E源田 >>204
阪急の大橋が3位に入っていないのが意外だが東映→阪急だからかな >>206
そうね、大橋は東急〜日ハムの7位タイにも入っている
今年になってオリックスB(大橋→安達)・SBA(川崎→今宮)・
楽天@(渡辺→茂木)に入れ替わりが生じた ついでにセのほうも
讀賣 @坂本A河埜B広岡
阪神 @鳥谷A吉田B藤田
中日 @井端A宇野B京田
大洋/DeNA @石井A山下B高橋
国鉄/ヤクルト @宮本A池山B水谷
広島 @高橋A野村B三村 石毛は和製ジーターと思ってる
右打ちのショート
新人王
走攻守あるチームリーダー
入団してから黄金時代が始まる
数々の浮名 そういや石毛と西武の縁って切れてるの?伊東は西武と喧嘩して縁が切れたらしいが。 >>211
堤さんから一体何を言われたのか話したがらないんですよね。
何を言われたかは墓場まで持っていくなんて自身のユーチューブチャンネルで
話していましたが。 石毛、西武最終年も数字上はまだやれると思うだろうし、兼任監督でも、東尾か田淵を監督にして、その次に監督やらせればよかったのにと思う。
前年の秋山放出に続き、この頃の黃金時代メンバーの解体で、ファン離れが一気に進んだ気がする。 森の後に監督やってりゃ良かったんだよ
口には出さないだろうが後悔してるはず この時期って、根本氏がいなくなってから、今後誰を監督にして
どういうチームを作っていくのかって方針がぶれてたんじゃないのかな 石毛はチームリーダーには向いてるが監督には向かないって誰かが言ってた気がする
広岡あたりかな? youtube見ててもほんと変わってねえなと思うもん>石毛
兵隊の中のリーダーには向いてるけど上官には無理 人間には向き不向きがある
根本はGMでは最高だったけど監督としては
「とにかく思い切って行けという"のびのび野球"で、ミーティングもない。
これじゃあ勝てないだろうな、と思ってました。」(山崎裕之談)
だそうだ 石毛については選手時代から広岡が酷評している
ポジションが同じだから欠点が見えやすいのかなと思っていたが、何か重要なことが
欠落しているのを広岡は見抜いていたのかも知れない >>222
広岡は一流選手はとりあえず煽るというか腐らす癖がある。
石毛は貶されて奮起、広岡との関係も良好だが、東尾とは不仲だし。 秋山くらいのレベルになると逆に大事にする。
秋山なんてそれこそ世間や球界関係者らからボロクソに言われてたんだけど広岡さんは
秋山の事をべた褒めだった。
メジャー級の選手はいじらず自由にやらせる所はどこか仰木さんに似た所もありましたね広岡
さんは。 >>223
「この球団には最高給取りでありながら、走れない、守れない者がいる」→田淵
「いいピッチングをしても最後には打たれて負ける」→東尾 優勝した年に解任されて選手が集団で大喜びした監督って広岡くらいだろうな
たまたまその知らせがオフに温泉行く選手が乗ったバスに届いたって偶然があったとはいえ 広岡さんは口は悪いけど、その批評はたいてい当たっていたな
石毛の守備は基本から外れた自己流なので、若いうちしか通用しない、ベテランになれば
必ずケガをしてダメになる、基本ができていないので指導者になったとき選手に教えられない、
といった批評はそのとおりになった
田淵については人柄がいいので、守れない、走れないは許容して、打撃に専念させるようになり、
田淵とも仲良くなった >>226
85年の日本シリーズを今見ると広岡は阪神側に塩を送ってたよな
第五戦先発小野なんてあり得ない
解任は既成事実だったから、83年日シリみたいな執念もまるでなかった
どうぞ阪神さん買ってくださいって感じ 広岡時代は黄金世代前夜といった感じ。良くも悪くも清原の存在感が大きすぎるから、清原入団が黃金時代の始まりだなあ。 石毛 秋山 伊東 辻 工藤 渡邊久 郭ときて清原が最後のワンピースって感じだもんな
しかも6球団競合で当てるかって デストラーデ加入もとてつもなく大きいよな
このピースで最強のクリーンアップを組めた
スイッチヒッターだし スティーブは左打席が非力で結果HR少なくてクビになったけどデストラーデは左右でHR打てたからな スティーブの左右別成績ってわかる人いるの?
スティーブは右だとパワーヒッターって主張する人が関連スレで
しょっちゅう出てくるけどなんとなくその人の主観のような気がしてならない >>233
スティーブの本塁打率は大雑把に右が15、左が35くらいだった筈 >>234
だからそのおおざっぱな公式なデータが欲しいなって話
それが出せない限りはいつまでも>>232の主観のままで
あまり説得力ないだろうね ま、クレクレじゃアレなんで
スティーブの全本塁打くらいはたいした本数じゃないので検証してくるか >>237
頼むわ
ちなみに松永浩美は右が20、左が34だった とりあえずスティーブの全本塁打を確認してきた
まずスティーブの通算成績は2458打数で82本塁打だから本塁打率29.9
で年度別の左右別本塁打が
80 13/3 (左打席/右打席)
81 7/0
82 9/2
83 10/7
84 15/5
85 7/4
通算 61/21
これに>>234の本塁打率をかけて打席数を求めると
61*35+15*21=2,135+315=2,450なので>>234の提示した数字はほぼ正解
正直疑ってすまんかった
ただこの左右本塁打率がぴたっと当てはまるのは83年くらいで
80,84あたりはそこそこ左でもパワーあり
逆に81,82,85はどっちでもノーパワー
主にカモにしてたのがロッテ水谷と近鉄村田
もうちょっと左投手の多い時代だったら評価が変わってたかもしれんね 片方が下手なのにスイッチヒッターやる選手は昭和〜平成前期までは少なくなかったけど
今は逆に極端に少なくなってしまったよなぁ
生まれつき左利きであそこまでやれる坂本なんか
なんで左打ちやろうと思わなかったんだろう 確実に3割打てるスティーブを切って入れたのがブコビッチだったが、長打も単打も
打てない外れだった。解説者に「このフォームだと外角球にバットが届きませんよ」
と言われていたが、外角に穴があるのが致命的だった。
デストラーデが入るまでは紆余曲折があった 右打席のスティーブはミニ落合
左打席のスティーブは篠塚 >>243
どの後すぐにバークレオが来たからね
外国自枠2枠の内、郭泰源だし恵まれてたろ ブコビッチはシーズン成績は微妙だが、86年の日本シリーズでは日本一を決める決勝打、87年シリーズでは第3戦でやはり江川から決勝HRと、その特徴的な名前と打撃フォームも合わせて、俺たち子供には人気?な選手でした。 デストラーデ以降は迷走したな 退団して93年 94年は日本一逃したし あれ日本シリーズですげー打ったし
マルティネス カブレラとってからまた優勝したし あれ?ブコビッチって左打者で
右脚を前に出して構えるから内角の方が
打ちにくそうに見えたけどなぁ ブコビッチは極端なクローズドスタンスだったから外角に強そうな見た目ではあったな
下馬評では40HR期待できるという話だったがあのザマに終わった ブコはシーズン通してはそんなによくないがいいとこで打ってくれたから
優良選手という感じがある。40本打っても肝心なとこで打たなきゃ意味無いし そしたら巨人クルーズも広島アレンも優良選手になってしまう
普通に前任後任もシーズン中もいいところでも打ってたからな
だから優良とまでは言えんけど印象に残る外国人って位置づけだな俺は
クラウチングスタイルのフォーム
獅子のたてがみのような長髪
デーゲーム時のアイブラック
ヴィジュアル的にかっこよかったのは>>246と同意見 ブコビッチは長めの金髪でライオンみたいだったので、西武にふさわしいキャラクターだった
デーゲームでは目の下に黒いシールを貼った顔がライオンみたいに見えた 日本シリーズだけやる気を出す人といった印象ブコビッチは。 日本シリーズで投げた投手があんまり思い付かないと思ったら完投が多いからか >>258
あとトンビ・ヤクザ・小田・鹿取・潮崎・杉山といった御馴染みの面子しかリリーフ登板していないのもあるかと そんなことないぞ
森時代だけでこれだけの「おなじみでない」メンツがリリーフ登板している
石井毅
市村
川本
山根
黒原
鈴木哲
内山
藤本修
村田 山根と藤本は広島、南海のイメージが強いからなあ
特に藤本は、え?西武にいたっけ?となる 藤本は阪神で全く奮わずに拾われて少しだけ復活した。でも引退したら阪神の裏方になった。 末期南海は藤田学にしろ藤本修二にしろ内転筋痛めて終わったけど
やっぱ貧乏すぎて選手の健康管理がおざなりだったんだろうな 大阪球場に紛れ込んだ野良猫を触ろうとしたら引っ掛かれたんだっけか藤本は。
それでにゃんこかw >>265
違う
呉キャンプの時宿舎の近くの公園で猫に餌付けしようとして噛まれた どっちにしろ手が命の投手にしては意識低すぎるなw
せめて左手てやらんと >>260
そのメンバーが多く出てたのが88年シリーズの最終戦かな
その他にも朽ちかけてた兄やんが奇跡の確変リリーフしたり
トレードされてた事を忘れられてた北村照がいい守備したりと 山根は登板数は少なかったが、リリーフとしてそこそこよく投げていた 各投手の登板年度-回戦
石井毅 86-3、4
市村 86-2、3
川本 86-3
山根 88-2、5
黒原 88-5
鈴木哲 91-4
内山 93-1
藤本修 93-1
村田 94-5
いずれもシリーズが煮詰まってない始めの方の登板かつ負け試合がほとんどで、
>>268が指摘した88年5戦だけが異質
勝ち試合やシリーズがいよいよ大詰めになってからは知った顔しか投げないので
>>258、>>259の印象論もあながち間違ってはないと思う 鹿取が来るまでの抑え空白期間に誰もいないから山根がセーブしてたな
あの選手、去り際を全く覚えてないんだが西武で引退してるよな? 89年は抑え不在がもろ響いて優勝逃した
ダイエー戦なんかに 9回に大逆転食らって負けた試合が1番いたかっただろうな
89年鹿取 潮崎
91年新谷
92年杉山
と徐々に増えていった 秋山とデストラーデがいなくなって怖さがなかったろ。 あとはデーブのホームランね。
要所要所で流れが巨人に傾いた。 強打者を上位に固めたオーダーの重要性は大谷のエンジェルスで思い知らされたからなぁ
大谷・トラウト・(好調)ウォルシュの並びだった頃と大谷しかいない今のエンジェルス打線では大谷へのマークに雲泥の差があるしな
西武も同様にAKDという並びにより得点効率が劇的に上がったけど
その並びが崩れた94年の打線では清原にマークが集中して大量点が望めなくなったよな 佐々木はいい選手だったがやはり秋山はライオンズの宝だった
ダイエーいかれたのが後々痛い目に 佐々木はあの時点では等価交換だったが衰えが異様に早く来た。
やはりそこが基礎トレーニングとかをしっかりしてない南海と西武の差かと 秋山もダイエーに行ってからは長打力が衰えた
守備範囲が狭くなり、センターからライトに移った
衰えを見抜いたので放出に踏み切ったんだろうな 秋山も佐々木もトレード 後は下降線だったし、6人の中で上昇したと言えるのは橋本くらい 石嶺と藤井同様箱庭ヒッターの化けの皮が剥がれただけ 村田勝喜が西武の水が全く合わなかったのか全く勝てなくなった
村田本人、西武にとっても痛すぎたよな >>280,281
佐々木は故障が相次いだ事もあって、急激に足肩や守備が衰えた。
それでも1997年は3割復帰しリーグ優勝に貢献したけど、契約更改で足や肩の衰えが著しいと指摘される有り様。 >>284
メジャーの球場と比較しても馬鹿デカい球場なのでそれも酷。
移籍一年目は20本打ってるけどそれでも上出来。 >>284
メジャーの球場と比較しても馬鹿デカい球場なのでそれも酷。
移籍一年目は20本打ってるけどそれでも上出来。 秋山が長距離砲じゃなかったら、誰が長距離砲なんだよ 福岡ドーム本拠地でしかもラビット不使用の90年代にホームラン王取った小久保の凄さが際立つな ってか広い球場のライトってセンターよりもむしろ難しいが
あの年齢でそれをこなした秋山ってやべえわ
>>284
石嶺みたいな打つだけのカタワと一緒にするなアホが >>290
小久保ってキャンプのフリー打撃見てもひたすらホームラン打つ練習してるからな
打球が上がる上がる 訓練のたまものだろうな そういえば
松井と小坂の仁義なき盗塁王争いが黄金期終焉を象徴する出来事の1つだったな >>296
その前に黃金時代は終わってると思うわ。秋山トレードで終焉の気配、翌年の石毛、工藤の流出で終焉したイメージだな。平野謙もこの時たっけ、クビになったの? https://news.yahoo.co.jp/articles/26669eb35c4f73494b2dcca312d017cdd4d77aac?page=2
西武は森山良二を入団前に「レイモンド・タモリ」として
西武の派遣選手と一緒にマイナーリーグで投げさせてたのは
大久保が前に話しててこのスレでも書き込まれてたけど
それは最後まで他球団にバレなかったわけじゃなかったんだ >>296
・根本陸夫の退団
・1992年日本シリーズの不甲斐ない戦いっぷり
・オーレの退団
そりゃあ翌年から観客動員数が激減する訳だわ いやその仁義なき盗塁王争いは
球団の社風やチームの体質が、管理野球から放任主義へがらりと変わった象徴的な出来事として代表的なものだと思う
森や広岡がそんなこと絶対に許さんだろうからな >>260
黒原は西本と森黄金期にビハインドでよく使われていたけどな。
その西本が日本シリーズで投げてないのが意外。 稼頭央は固辞したのか
打線が糞過ぎて不安になったか >>302
西本は一番よかった89年がよりによってV逸の年
次に出番の多かった90年は巨人4タテの年で
先発4人(うち2完封)と鹿取潮崎しか登板がなかった >>299
昔はちびっこファンが多くて彼らの成長と関係してるんですね。
絶頂期には彼らは学生で黄金期が過ぎた頃は彼らも色々と忙しい時期で球場に足を運ばなくなった。
暫くして松坂人気の頃には彼らも子供を連れて親子で再び球場に足を運ぶようになりましたw 団塊ジュニアが松坂の頃に子どもを連れてくる年代じゃないな
黄金時代のガキが子ども連れて球場に戻ってくるのは
それこそ今西武がCM打ってる 当時10代後半の南海ダイエーファンで
田舎のクソガキどもが あーまた負けんのかよ とムカムカしながら
千葉から2時間半かけて通っていた 広岡・森の西武黄金時代の強さは川上野球の完成形としての強さだろうな
秋山・清原・デストラーデという巨砲を三つも搭載しながら
それに頼ることなく、相手に点をやらない負けない野球で勝っている
徹底した細かい管理野球 打線は水物で計算できないという理屈だろうね
V9巨人も実はON頼みのチームじゃなかった チーム打率も低かった
効率的に勝つには負けない野球をすることこそが一番だと川上は思い当った
徹底的に守備や走塁を鍛え連係プレーを鍛え
土井黒江柴田=辻平野石毛のような小兵を使いこなして勝ちのアベレージを上げた 森さんの時代はもうドジャース戦法なんてどこもやってたからね。
それで日本シリーズ三連覇を二回にリーグ優勝五連覇やったのだから凄い。 ダイエー・ロッテはBクラス確定な上に日ハムはAクラス争いが精いっぱいだから実際にはそれ程きつくはないかな >>293
ついに西武黄金時代の監督がいなくなるのか
世代交代なんだろうけど、寂しくなるな 1992年ゴールデングラブ賞
投手 郭
捕手 伊東
一塁 清原
二塁 辻
三塁 石毛
遊撃 田辺
外野 秋山
平野
佐々木(ダイエー) 1992年ベストナイン
投手 石井
捕手 伊東
一塁 清原
二塁 辻
三塁 石毛
遊撃 田辺
外野 秋山
高橋(オリックス)
佐々木(ダイエー)
DH デストラーデ >>311
辻は続投だろ
先日1年契約受けたって出てたぞ 1985年西武ライオンズに在籍した、後年の監督経験者たち(順不同)
石毛、秋山、田尾、伊東、辻、大久保、田辺、東尾、渡辺、工藤、森
この年あたりが最多かね 強力投手陣を揃え複数の大砲を続けて並べるラインナップは
今のMLB強豪チームの戦法の先駆けだったな
カネと育成力がなければできないチーム編成ではあるけどね 西武黄金期の控えは高校、大学で監督になってる
安部、吉竹、森博幸、大塚 今の西武でも3年前の西武でも黄金時代の西武とやったら勝てない 伊良部の球に手も足も出なかったから慣れるまで時間かかるだろうな。
AKも最初は伊良部の球を打てなかったが慣れるにつれ逆にカモにしだした。 西武黄金期の控えと2018年2019年西武主力
日本シリーズどっち勝つ? 堤がオーナーだったら辻にやりたきゃやればどころじゃない罵声を浴びせてたに違いな >>327
堤さんはそういう人ではないので。
83年のオーナー報告会で広岡さんに三連覇ではなく思い切ったチームの若返りを
示唆した時はこの人はそこ等のハゲたオーナーとは違うと思った。
伊達にJOC会長をやっていない。 だから当時物議を醸したやりたければどうぞ発言は本当に不思議だった。
人との繋がりを非常に大切にする堤さんが最大の功労者の森さんに何故あそこまで冷たいのか
理解できなかった。
後になって森さんに異常な性癖があると知って愕然とした。そういう人物は堤さんが
最も嫌うから残念に思った。 >>328
あの頃の堤は確かに切れ者だったよ・・・・・、世界一の資産家という自負もあったろうし、早急の世代交代を目論んでいた
根本・広岡両氏の意向を即座に察知し、全面的にバックアップする言質まで取らせる余裕すらあった。
やはりバブル崩壊で全てが狂ってきたんだな(溜息)。
親子二代掛けて積み上げてきた資産があっという間に崩れ落ちていく恐怖に苛まれたろう彼の心境を推し量るに
一個人としては同情するが。 今の西武は投手力が酷すぎだもんね
広岡・森西武や東尾西武の方が先発陣強そうに感じる 頭部死球を封じられたトンビなんて体のいい打撃投手で終わりだろ 松沼弟も平均140、MAX147くらいだったし今のNPBだと打ち頃だろうなぁ 東尾はストライクゾーンが低くなってから投球術の深みが増した。
87年の工藤との最多勝争いは圧巻。 >>333
当時のパリーグの野球はど真ん中に投げないとストライクにならない恐ろしい時代だったので
寧ろ今のほうが楽に投球を組み立てられるかも。 >>329
異常な性癖ってなんだ? 超絶ドケチ とか?
しかし世界の巨人と言い
読売OBのドケチはハワイに移住したがる性癖というか傾向があるな
ネンキン淡口は資金が貯まらなかったのだろうか ジャイアント馬場は「38歳で引退してその後はハワイ中心に暮らす」ってプランを持っていたそうだ >>338
問題行動なのはたしかだが「異常な性癖」というのとは…
やっぱり異常かな 試合中だもんな >>336,337
その大元は日本テレビ草創期の大プロデューサー井原高忠氏と思われ。
最晩年は養子として迎えた娘が嫁いだアトランタに移ったらしいが。 >>339
離婚歴何度もあって理由が不倫なのでやはり森監督の不貞ぶりは西武グループに
とっては厄介な存在だったのかもしれない。
3連覇を逃した時点でとっとと辞めてほしかったんだろうけどやりたければどうぞ
発言への世間の風当たりが厳しかったので仕方なく起用し続けるしかなかったの
かも知れない。 「森には監督を続ける権利がある」と発言を修正したけど堤さんも。
本位で言ったかどうかは疑問。当時は本位で発言撤回して堤さんが反省したものだとは
思っていたが、 >>329
君、色んなスレで同じような発言してるよね。文体同じだからすぐわかるよ。 >>338
森監督は問題のある人かもしれんが、このライターの話も鵜呑みにするのはちょっと… 森さんはイケメンだからもてたんだろうな
試合の采配はオーソドックスで王道を行くものだったけどね >>344
他球団のファンだったから めっちゃくちゃに嫌いだったなw
とやまことと共に 仰木さんがバックステージで小宮悦子を口説こうとしたってエピソードは清々しく感じる >>343
堤さんの話をするとどうしてもやりたければどうぞ発言で矛盾が生じるので補足として
よく話す。異論があればどうぞあくまで私の推測なので。 >>337
引退期に猪木との騒動で新団体を立ち上げる羽目になってしまい現役を続行せざるを得なくなった
馬場さん。でも衰えた姿を馬鹿にされながらも必死に試合する馬場さんが好きでしたね。 田舎のトシヨリ「あっ ジャイアント馬場だ!」
アントン「アッポー」 1990年の日本シリーズ初戦は斎藤でなかったら桑田からだと思ってたが… >>88
森監督は、犠牲フライや進塁打狙いに切り替えず常にフルスイングという秋山に不信感を持ってたからね おっさんにバント練習させてたんだな広岡さんは。
ちょっと驚き。
辻の走塁以上に片平のバントは歴史的プレーだったと思う。 で、松井が監督になるのも将来的に時間の問題なんでしょ?
小坂と仁義なき盗塁王争いみたいなチーム体質になるんか?
個人タイトル>>>チームの勝利の体質 >>352
その槙原を打ったのが大きかったね
広岡、森西武の日本シリーズは対西武は槙原の3勝が最高だったな
他は西本が2勝、川口が2勝、川崎が2勝だったかな? 【速報】元カープ監督の古葉竹識さん死去、85歳 リーグ初優勝、3度の日本一導く
https://www.chugoku-np.co.jp/carp/article/article.php?comment_id=809356&comment_sub_id=0&category_id=124
西武と対戦して欲しかったな… >>357
それと1990巨人は10月の消化試合3つしか無かったけどここでも先発完投にこだわって桑田と香田に一度も投げさしてないから実戦感覚上不利だったみたいな
(西武は10月消化ゲームも先発全員に鹿取潮崎まで1度以上マウンドへ上げてた)
http://2689web.com/1990/giants.html
http://2689web.com/1990/lions.html 古葉カープは機動力って言うけど山本、衣笠、水谷、ライトルの一発攻勢もあったんだせ
最後の日本一は慶彦、浩二、衣笠、長嶋マメがいたし
西武もそうだけど >>360
だぜ もなにも200発打線だったろ あと エイドリアーン 1978年の200発打線にはもう一人A・ギャレットが居た
古葉より半年先に亡くなってたか 古葉時代とVやねん時代の狭間にピークを迎えてしまった正田の不憫さよ 槇原ってあれだけ長期に渡って西武に強かった事が
能力の高さを物語ってる気がする
日米野球でもMVPになったらしいし安定感は無いけど
最大瞬間風速は日本トップだった 立花義家みたいな人が長くコーチが出来るほど西武黄金期メンバー
指導者として重宝される
一部どうしようもない無能が数人いるが AKDって穴が多く意外に怖がられてないんだよな
西武の凄かったところはやっぱり走塁、次の塁を狙う意識が全然ちがう。
あの清原でさえちゃんと走ってたからな。 西武で一番怖かったのは石毛だよ。
なかなか穴がない。6番の時はとくに面倒だった。 オレは巨人ファンだけど石毛が1番の時の方が手強さを感じた。 >>367
塁には残ったものの なんとかAKDやりすごしたかと安堵しかけたときに
こいつがレフト前にすこーん 1983年のレギュラーシーズンは石毛が9番を打っている事が多かった
当時の俺(阪急ファンだった)は西武のラインナップを見て反則だと思った 1986年
3冠王の落合をおいて無冠でMVPはすごいな
1985年の日本シリーズで金森とぶつかったことから二度とショートできなくなったのは痛かったな >>372
1986年129試合ショート
1987年に三塁転向後もちょこちょこショートを守ってるんじゃないかね 人工芝時代初期のショートはキャリア半ばで膝痛めて
コンバートされるのが多かったからね
石毛は激突でだけどそれが無くとも遅かれ早かれ転向させられてただろう >>371
石毛とか辻とか田辺とか、9番に面倒な打者を置くことがけっこうあったな 石毛が三塁へのコンバートのきっかけを作った激突 1時間57分47秒〜
https://www.youtube.com/watch?v=lnS7yuvQrxU
これみたけど衝撃的だったわ、そりゃコンバート余儀なくされるわ
西武版の吉村と栄村の激突と言っても過言じゃない オリックスの高山投手コーチってあの谷間の高山?
今回の日本シリーズで見てオリックスのコーチ?になってるのを知った >>378
投手コーチとしては有能とされてて、ソフトバンクや中日のコーチを歴任しているよ。 人の不幸を願うタイプではないが
高山と川村がそろってパッとしなかったのには 正直ザマあと思った >>375
83年の9番石毛は303 16HR
同年のハム、近鉄、南海、ロッテならクリーンナップが務まる数字 >>380
ていうか最初から二人とも過大評価だったような気もする 高山は名指導者になったし森山もえらく長くコーチやってる
野手部門でも青山や笘篠兄も現役時からは想像出来ないくらいコーチ歴が長い 高山は本人の弁では高3時は既に故障していて、まともに投げられないのでリハビリに専念させてくれるプリンスに行ったと。
川村とともに社会人でも大きな大会では殆ど投げていない。まあ西武は約束通りに引き取ったという感じか。
その後、高山は根本が縁のある広島を経てダイエーでも面倒みた。
因みにこの時の巨人指名拒否で一緒にプリンス入りした瀬戸山は捕手として長くレギュラーを務めた。
青山もプリンス出だけど意外にコーチとしては西武に戻らず。 プリンスで活躍したのて石毛と中尾位か
金森はレギュラーで出てた機関短かったし
特に中尾は三球団で選手として優勝してるのは凄い 石毛はあの激突なければ88年くらいまではショートできてたかな? 秋山のサードの守備が酷い上に外野の守備陣が酷かったからどの道サードに回っていたと思う >>385
2000安打打った宮本慎也がいるが西武に在籍歴ないからなあ プリンスで活躍 石井丈。
巨人ファンから言わせてもらうと渡辺智は実質密約・石井もプリンス利用して
獲得した。 この2人が堂々とプロ宣言してたらヤクルトは即戦力投手
求めてどっちかに行った・
巨人は川崎を単独行けてた。 根本陸夫お見事 トミヲは社会人で一度壊れてたし密約も何も
率先してとりたがるとこそうそうあるかね?
あの清原を打ちのめした頃のままなら12球団争奪戦必至だろうけど
よく手術費まで西武が負担してまでやるなぁと思ったわ 88年は前田幸長も囲おうとしたけど 下位じゃ納得できんと断られた >>387
秋山を内野で使うのは宝の持ち腐れという感じだった
でも、本人はサードを守りたかったみたいなんだよね
サードのほうがスター選手という感じだから 今はどうか分からんが長嶋、掛布、原がいたのでサードはスターってイメージが強かった デーブによれば、当時のフロントがやはりONのようにしたかったらしい。
それで清原3で秋山を1にした。実際には1にした年から外野に転向したが。 今のオリックスもエラーの凡ミス多いな、3塁ごろ、2塁ごろ
西武黄金期レベルは程遠いわ 一塁清原
二塁辻
三塁石毛
遊撃田辺 奈良原
で外野も鉄壁 投手力もよくてクリーンアップは3人とも常に30本塁打以上
ってプロの野球関係者なら誰しもこういうチーム造りたくなる理想形だから こういうチームは出てこんね >>370
さらにその後、安部やら伊東やら田辺やら勝負強いのが続くしな >>401
気が抜けたのはとまぴょん兄の打席だけだったかもしれんな >>366そうか?パリーグ内では十分怖さあったけどな。近鉄はともかくオリックスのブルーサンダーよりかは破壊力あったと思うが
ブラアント リベラ(オグリビー) 貴久
ブーマー 門田 石嶺
あと3球団の典型的クリーンアップが浮かばない。
ロッテの3番愛甲、4番古川orディアズ、ハムの4番ウインタース、ダイエーの3番佐々木はパッと浮かんだが。 AKDはOPS高かったからなー
つまり率は多少低くても長打力が頭抜けていて四球も多かったという事
それが3人も並ぶ訳だからそら得点力は凄まじいよ キヨハラくんのネタで森が嘆いてたじゃん「清原は打率がめっちゃ低いし
秋山は三振多いし、落合が羨ましいよ。」て西武が勝てたのはAK砲のおかげじゃなくて、投手陣のおかげやな。二人ともMVPになった事ないし >>404
ロッテは他に高沢とかデビュー間も無い初芝とか堀辺りでクリーンアップ埋めとった。
日ハムはブリューワとかパットナムとかイースラーとかシューとかと外国人頼り且つメンツが一定しておらず、残り1枠(当時外国人枠は最大2名の為)を、
古屋、中日から移籍した大島、若き日の田中幸雄(田中の長期離脱時は中島テルシーとか)辺りで埋めとった。
ダイエーは山本和範と岸川の両方若しくは1枠を埋めていた以外は外国人はコロコロ変わっていた。 >>403
笘篠は他球団に行けば2番打者でやれそうだったけどね? 西武打線は大きな欠点がある打者がいなかった
って点がデカいのよ
全員が最低限の走力、長打力、守備力を必ず備えてたから
個人個人ならライバルにそれを上回れる選手いたけどね 西武の七不思議としては秋山清原がMVPになった事がない事か 秋山・清原は打率がそれほど高くなくて、不安定だった印象がある
秋山は日本シリーズではホームランを打った後、バク転してホームインして
MVPになっていたけどね 清原は何でルーキー時代のフォームを変えたら駄目だったと新井宏昌が土井正博の前で苦言してた 清原のフォームは高校時代が一番良かったとずっと落合が言ってたが、たしかに今見直してみると高校時代はやわらかくてボールをギリギリまで見ていて落合に近い撃ち方だわ。 2,3年目までもパーフェクトだったと思うけどね
インコースを「はたく」ように打つのはもはや止める手段がぶつけるしか無かった 1年目の9月に近鉄の小野のカーブを引き付けて右中間にホームラン打った技術は高卒新人とは思えなかった 広岡と森でよかったことは野村や長嶋や原と違い投手を酷使でつぶさなかったこと。
酷使でなく広岡は肉制限による栄養失調・森はネチネチと精神的に潰されたのは
いたかもしれないけど 監督が目先の勝利のために投手を連投させて潰すことを、広岡は著書で批判していたからな
投手の寿命を縮めることは、投手から稼ぐ機会を奪う不当な行為だと広岡は考えていた
食事制限を命じたのも、選手寿命を延ばして長く稼がせてあげるため
その点では、広岡は誠実で良心的な指導者だったと思う 確かに広岡西武が中3日で先発させたケースは記憶に無いな
ライバルの阪急や巨人は中3日なんて珍しくもなかったが 黄金期の西武はトレードも上手かったよな
前年干されてた平野や鹿取を獲得して強くした 渡辺久信が1番イニング投げてるよな
工藤は隔年だったし
郭泰源は間隔開けたりしてたし エースは
東尾→渡辺久信→西口→松坂→涌井
毎年続けてイニング投げるイメージの投手だな 晩年の姿からは想像もできないが捕手の盗塁数記録は
いまだに伊東勤の数字が1位で破られていない
全員が最低限の走攻守揃っていたのを表してる >>425
通算305犠打もパ・リーグ2位だしね
地味ながら球史に残る記録を2つも持っている
古田や城島ばかりクローズアップされるけど伊東はもっと評価されていい 91年のシリーズの川口見たけど。 よく見ると球速は140キロ代前半。
西武は打てなかった、変化球が良いから?それとも球の伸びがあるから???
全盛期は140キロ代中盤は出てたイメージだったけど 黄金期西武はサウスポーに強いチームだったけど川口には苦戦してたね
まぁサウスポーの場合スピードが遅くても右投手より活躍できる可能性が高いというのはあるよね >>430
どの解説者かか忘れたけど西武は荒れ球に弱いから川口に苦戦したとか
言ってた。 93年の川崎・94年の槙原はその部類なのかなと思った。
93年シリーズ川崎で特に神宮の4戦は生涯NO1の投球だったと思う。
あれ以上の川崎見たことない 91年川口
92年岡林
93年川崎
94年槙原
に苦戦してたな 87年も槙原は完封してるしな
94年も第2戦に槙原に完封されてる
黄金期の西武相手に2完封したのは槙原だけでは 西武に滅法強かったね槇原
90年はデストラーデにやられたけど
あと88年は最終戦こそ打たれたが郭源治もよく抑えてた その川口はFAの時、奥さんの実家が日野ということで西武に決まりかけてたという。 >>376>>374
石毛が三塁いったあと田辺と清家でショートのレギュラー競わせて田辺が出てきたのが大きかったな。
田辺は森監督が育てた唯一のレギュラーと前スレで言われてたな。 川口は奥さんの父親が巨人ファンだったらしいからね
東尾の下で見てみたかったな >>433
森監督の西武を1人で完封したのは槙原しかいない。 完封リレーはあるけど >>421
平野って掛布と同級生じゃなかったっけ?
掛布が引退した時期に西武へ移籍して黄金期のメンバーとして活躍するんだからな
中日時代はいい選手だけどどちらかといえばマイナーな選手だったと思うが(田尾やら谷沢やら大島やらいたし)
西武に来てからは最強軍団に名を連ねメジャーな選手になっていった印象 平野は打てるって言っても
移籍1年目に3割打ったけど、その後は大したことないけどな 守備や肩で評価されてた人だしな
犠打が多ったので打率が伸びなかった 鹿取とか山根をトレードで獲得してリリーフで上手に使っていた
鹿取は有名だが、山根も地味によかった >>444
西武に移籍してから5年連続犠打王
でありながら通算1500安打以上打っている選手
充分打てるしセンスも非凡だと思うけど
たまに打つホームランも結構飛距離のある打球飛ばせたんだぞ >>448
平野は右の時はパワーあるからね。
本来右打ちだったし。 >>408
笘篠贔屓してた自分。
野茂に強かったね。
タイミングがあうと言ってた。
野茂も投げづらくしてた。 >>449
右は意外にパワーある は当時のスイッチのお約束だね白井とか
ふだんコツコツ系の左見せられてると 昔はスイッチは利き手と逆の打席が下手ってのが定番だったが
最近は必ずしもそうではなくなったのが面白い スティーブもスイッチヒッターだったが、右打席のほうがパワーがあった
ほとんど左打席で打っていたので、右打ちを見る機会は少なかったけどね デストラーデは左打ちからのスイッチヒッターになったんだっけ? 90年の日シリで槇原から打った一発デカかったしな
左のほうがパワーありそう Wikiによると元々左利きだったらしいね>デストラーデ
その後右投げに矯正したみたいだから掛布みたいな感じだな
確かにデストラーデの場合は右打席の構えが何となくぎこちなかった気がする
それでもオリのホフマンから1シーズンで7HRしたりと本塁打率は左と遜色無かった
まぁ大谷や松井秀、筒香、ギータも右投げ左打ちだし、最近は利き腕とは逆の打席でも飛ばせる選手が増えたよな デストラーデはやっぱりホームラン打った後のガッツポーズがかっこいい
利き腕とは逆の打席でも飛ばせる大谷、松井秀、筒香、ギータのうち、ギータ以外はメジャーリーガーな件
ギータはもうメジャーに行く気はないのかな? ♪伊東がいなけりゃダメや、西武は4040(ヨレヨレ)
Byやくみつる
怪我で離脱していた時のネタ 最近の研究だと利き腕とは別に利き眼ってのがあって
それが影響しやすいらしい
松井稼とかも右利きだけど右打席は感覚でやってると言ってた >>459
柳田はケガさえなければねえ
ほぼ終身契約結んだし年齢的にも無理やろ
脂の乗り切った時期に彼のメジャー姿見てみたかった 右投げ左打ちは掛布、篠塚の影響だろう
篠塚は藤田平に憧れてたらしいけど
森監督も右投げ左打ちだったな 右投げ左打ちは有利だって事が知れ渡ったのでやたらと多くなった
イチローや松井もそうだしね
野村いわく「左打ちは右打ちより2分は得していると思う」なんだそうだ
それを考えるとやっぱり落合は凄いね
足が速くもないのにあの打率 ミッキー・マントルはスイッチヒッターの例に漏れず利き腕の打席(右打席)の本塁打率の方がだいぶ高かった訳だけど
大谷が利き腕の打席(右)で打っていたら50HRクリアできたような気もしないではない 岡田は外野かDHにコンバートしたほうがいいな
大阪桐蔭卒の野球エリートでムードメーカーが控え捕手何てもったいない >>465
Baseball-referenceのsplit stats は全打席を網羅してはいないようだが、
集計されている分だと、
右打席で2763打数162本塁打 1本塁打あたり17.06打数
左打席で5287打数372本塁打 1本塁打あたり14.21打数 スイッチヒッターは両打席の練習が必要なので、普通の選手の倍素振りしなければいけないの?
右で打つ機会が少ない分、右打ちの練習をしておかないといざというとき打てなくなるよね >>467
当時サウスポーが今より少ない中で右打席の打数多いな
ミッキー・マントルって右に専念した時期があるのか? 大洋にいたレイノルズとか右利きだけど
右打席はやらない方がいいレベルだった。
あれも目の問題なんだろな 西武はyトレード上手だったが唯一失敗だったのは大久保を出して活躍されて
すでに峠を越えていた中尾を掴まされたこと位か 田尾↔杉本・大石や江夏↔柴田の方がダメージが大きかった様な気が あの頃の西武はとにかくビッグネームに拘っていたからね
プロスペクトの杉本・柴田を出してでも全国区の江夏・田尾が欲しかったんだよ 江夏も田尾もどう見ても廣岡とは合わなさそうなのにね 江夏なんか森繁がいるから必要なかったのに、
しかも買い叩けるのに、投手2人も出すなんて根本はセンスがない。 森繁を先発に戻せば丸く収まったのにな
高橋直樹なんてもういい歳だった訳だし、案の定下降線だったろ パでは人気がある方ではセに比べると・・・だったから
知名度がある江夏をとろうとしたんだと思う
江夏が入れば江夏田淵の黄金コンビ復活でも売れるしね
江本は「人気を上げたいなら選手のCM出演を解禁すべきだ」と言っていた もし数年ズレてて黄金期の完璧な人気球団になってた時期だったらとってなかったんだろうな 田尾については西武側は田淵の後釜として大島を狙っていたが
中日フロントは言いたいことをズケズケ言う上で契約更改でハンコを押さない
田尾を疎んでいて中日側が田尾放出OKだったとか 田尾と廣岡はむしろ波長合ってるぞ。
大久保はトレード志願だし、損得感情以外にも、人間関係や球団同士の貸し借り関係の事情もあるから、トレードってなかなか評価するのが難しい。 >>479
当時の田尾は中日トップクラスの人気選手だったし、彼を放出するとは西武も思わなかったんじゃね? そういや楽天創設2年目に田尾続投で広岡GMとかいう話もあったらしいな 当時の西武は大砲がとにかくほしくて大島に絞ったとか書かれてた
記憶がある。
本当に大島トレードが実現してたらどうなってただろうか >>481
田尾をトレードに出すなとファンによる署名運動も起きたほどだったか?
平野みたいに活躍してくれればまだファンの想いも報われたんだけどね 田尾は2シーズンしかいなかったからね
これと言った効果もなかった
平野はチームプレー出来るし、西武に合ってたし、外野の守備力も上がって効果があった エースであり日本ハムの顔でもあった高橋直樹を放出
その交換相手の江夏も高年俸を理由に放出
日本ハムらしいな >>487
日本ハムはそういう方針でしょ
だから日本ハム一筋で終わる選手は少ない
田村とか島田誠とか最後の数年は他球団で終わる選手が多い 西崎は松坂のデビュー戦でリリーフ登板した時に大勢の観客が帰ってしまったのが悲しかった、嘗ての東京ドームの主役だったのに。 西崎は松坂のデビュー戦でリリーフ登板した時に大勢の観客が帰ってしまったのが悲しかった、嘗ての東京ドームの主役だったのに。 >>489
古谷もだね
大田他の計3選手をまとめて自由契約にしたけど日本ハムらしいと思った
大田は誘いはあるからどこかに移籍だろう 大沢監督は西武のことを「ヤギさんチーム」と揶揄していたが
自分のところはみんな似たようなタイプの地味な選手ばかりじゃん(笑) >>493
そういう意味だっけ??
広岡が肉食を制限=禁止だとか伝えられて野菜=草ばっか食ってるヤギさん
という趣旨だと思った。 日本ハムはこの当時キャンプで親会社の関係で
高級肉ばっか食ってた・ あれは広岡がパ・リーグチャンピオンになった日本「ハム」に対して早速喧嘩売ってきた!と勝手且つ意図的に見立てて、
広岡西武の「挑戦」に対して大沢日ハムが「受けて立つ」って対立構図でパ・リーグを盛り上げようという意図もあったんだよね。
就任当初、前年日本一の金田ロッテに対抗して、喧嘩野球を打ち出した大沢さんらしい仕掛けですわ。
金田も、ロッテのチーム全体の掌握に失敗して監督辞任した前監督が、日ハムで開き直ったかのように喧嘩野球を打ち出してきた
事を「これはコワイ。ロッテでチームの和を築くのに失敗した監督が、今度は喧嘩野球と居直ったんだから。」と妙に警戒していた。
只、大沢さんの見立てでは如何に広岡監督と言えど、西武がパ・リーグチャンピオンにまで上り詰めるのは数年掛かるだろうと観ていた
様だが、初年度に日本一にまで上り詰めてしまい、その対立構図は1年で崩れてしまった訳だがw 前後期制はちょっと勢いに乗ってしまえば半期Vは取れちゃうからな
82年は通年成績、対戦成績ともハムが上回ってて
正直プレーオフも負けるかなと思ってたんだが、例の江夏崩しで制し
この年ハムが優勝してたら、その後もうちょっとハムと西武が拮抗してた
時代があったかもしれない リアルタイムで知らんから全く理解できないんだけど、なんで1983の日本シリーズが球界の盟主対決なんて呼ばれてたの?
圧倒的実績を誇る巨人に対してちょっとリーグ連覇しただけの球団じゃまだまだ早すぎる気しかしないんだが 確かに立場的には横綱同士の対決と言うよりは
横綱と急成長中の若手力士の初対決って感じやね。
ただこの若手はほぼ横綱になるだろうとみなされてる逸材。
江川だ松沼兄弟だ広岡だのグラウンド外での因縁がありすぎて
マスコミがそこら辺をたきつけて盛り上げすぎてしまった。
あといまでは信じられないかもしれんがパリーグの球団は
セの他球団を破って日本一になっても、それは日本一とは認められなくて
「巨人に勝って初めて真の日本一」みたいな風潮があったんだよね
75年に広島に勝った阪急とか、前年に中日を破った西武も あとは戦歴的には大差があるけど
球団経営とか強引な戦力強化に関しては巨人と互角というか
西武の方が上を行っていた
巨人は江川
西武はプリンスと球団職員で囲い込み
巨人は借り物の後楽園
西武は自前の新球場、さらに前年にも自分たちの提案でハマスタを建てている
巨人は多摩川グラウンドとオンボロ寮
西武は最新鋭の練習場と寮(恐ろしいことに2010年代までそのままなんだが)
とにかく今のカネがなくて貧乏な西武とはまったく別物の会社が
経営していたと思えばいい 後、重要なのが当時、堤義明オーナーが世界一の大富豪へまっしぐらの昇り調子だった(そしてバブル絶頂期の1987年に総資産世界一に)事と、
>>499とも関連するけど、江川事件の絡みで西武グループが読売新聞への広告出稿を引き上げたり、西武電車内の読売関連の中吊り広告を
排除したりと、読売グループとの対決姿勢を公然と打ち出した事だね。
これで読売新聞の巨人を看板にしての部数急増に悩まされてきた朝日、毎日等のマスコミが色めきたったんよね。
資金力が豊富な西武からの広告出稿を当て込んで、西武ライオンズをせっせと取り上げる様になり、10年来の
経営難に悩まされてきた毎日新聞系マスコミ(スポニチとかTBSとか)なんて、数年来に西武傘下に下るのでは?
とマスコミ業界内で公然と言われる(又、それが強く期待する向きもあったり)ほどの蜜月振りだった。 当時の西武(コクド)グループは「西武財閥」と形容されるほど飛ぶ鳥を落とす勢いだったからね
しかもライオンズは前年の日本一で当年も超がつく独走優勝、
さらに日シリでは西鉄時代に巨人をカモにしていた事もありメディアの盛り上がりが凄かったよね >>499
ベタだけど 千代の富士対貴乃花 みたいなもんでしょうか 世界的資産家の堤からしたら吹けば飛ぶような新聞屋がやってる
野球とかいう世界的にはマイナーな競技で勝つなんて造作も無い事だったんだろうよ
(堤はウィンタースポーツに造詣が深かった)
日本の経済のボスは誰か、を見せつける意図があったんだろ >>485
田尾はかなり鳴り物入りで入団したよ
評論家だった西本幸雄さんが「中日がよう出しましたね」と語るなど、西武が大儲けした
トレードだといわれていて、3割打つのは確実、3番打者として迎えた
だが、パリーグの野球に合わず、不振に陥って、以後、全盛期の力はなくなった
西武へのトレードが田尾の選手寿命を縮めたと思う 田尾と逆で平野は寿命が伸びたよな
小野は1年だけだった
しかし最後はロッテで平野と小野が同じ日入団発表 小野は特段球も速くない技巧派だったしタイプ的に慣れられると苦しいよね 田尾パイパイは天才肌に見えて実は
過去何年も含めた相手投手のデータを頭に叩き込んでから
勝負する打者だったから全部リセットされたパ移籍は相当にキツかったらしい >>508
そういや田尾の年度別成績見たら入団して数年は特筆するものは無かったんだよな
だから天才肌というより研究を重ねて成績を伸ばした努力の人という感じだ 田尾に関しては失敗と評されてるが、
>>505の通り顔で3番を打って、チームが独走態勢を築く5月末まで
3割を打ってくれた。これだけで十分な働きだったと自分は思っている。
田淵山崎の引退で、85年の陣容で計算が立つ打者が石毛とスティーブだけに
なってしまい、さすがにこれで阪急ロッテと勝負するのは厳しい。
(片平と大田はもう終わった人扱い)
そこに田尾が来てとりあえず3番が埋まった。
おかげで開幕からホームランを量産する秋山も安易にクリ−ンアップに
上げることなく、のびのび下位打線のまま40本打てた >>503
あーそんな感じだね
これに先代の貴乃花対千代の富士が西鉄対巨人って感じだな
なんだかんだこの時点で巨人を倒したパのチームは
南海×1
阪急×2
西武(西鉄)×3
しかないわけで、一旦は急落したパの盟主が復活して球界の盟主に挑戦
という構図もあったかもしれない 清原は西武に指名されたときに西武という会社自体知らなくて西部警察の
西部と書くものと思ってたみたい。
東京にいると西武百貨店とか高級に見えるが関西にいると西武は知名度
なかったのかな?? それとも清原が世間を知らなさすぎるのかな?? よそのスレでもその話題でたな
(あるいはこのスレでまた出した?)
関西の西武百貨店は高槻八尾大津など周辺部ばかりで
中心部進出はならなかったから知名度なかったんだろ
あと東京でも西武百貨店は高級には全然思えんわ 2年目は1年目をさらに下回る不成績
87年は秋山が三塁から中堅に廻って金森、秋山、ブコビッチでポジションが埋まる予定
森も一塁を守ることを提案したが(これすら清原がいて場当たり的だが)
田尾が拒否、森構想から外れている
構想外の選手で、守れる左打ち外野手と左投手が取れるから
喜んで出しただろうね
ブコビッチを1年で切ってたらとか、田尾にもうちょっと長打力があってDHに専念させる
とか、もうちょっとifはありそうだけど 当初は大島狙ってたそうだが大島の方が85年の西武にはマッチした
だろうな。 平野や鹿取は干されてた状態から西武にトレードされて復活した
鹿取や平野は西武のコーチになれなかったよね
鹿取は引退して直ぐ古巣に戻ったけど 石毛はあの激突なければ88年くらいまではショートできた気がする。 >>513
話はそれるが
上原浩治が一年目にデパートの手提げ袋で移動するのを見かねた先輩が
ブランド物ぐらい持てと注意したところ
えっ 島屋ってブランドでしょ?と返したという話を思い出した
もともと寝屋川団地のニイチャンだからな >>508
田尾は「メモ魔」と呼ばれるほど相手投手の特徴をメモ帳に記録して研究していたらしい
「田尾は相手投手のクセに頼り過ぎる」と首脳陣から批判されていた
西武での不振はそんな田尾の弱点が出た結果だと当時も指摘されていたな 落合も中日に移籍した時はそんな感じだったのかな??? 落合はあの身体を開いて打つのは
好きな外角を呼び込む為の撒き餌なのに
巨人の西本が1試合全球シュート投げてきて
面食らった事があった
西本に限らずセの投手は苦手なコースを
徹底して突いてくるのは共通してて
それがパ時代程の圧倒的な数字を残せなかった理由らしい 職場環境の変化というのは野球選手に限らずパフォーマンスに影響すると思う 田尾のお陰でバントが上手くなったと平野は感謝してた
田尾が一塁→二塁へのスタートを上手く切ってくれたからバントしやすかったと 大杉はパでもセでも打ったが加藤秀司はパでは良いけどセに行くとダメになる
なんか理由があるんだろうな 大杉もセ1年目はだめだった記憶がある。
意外とパリーグから広島行くと失敗してる人多いイメージ。 世間は広島は
トレードが上手いように思われてるけど。 広島からすぐパに戻った選手では加藤英司と高橋直樹、高沢、水上を思い出す。 そしてすぐセに戻ったヨシヒコ
ほんとあのトレードなんだったのか バークレオもカープに行ったよな
古葉さんの頃はトレード上手かった印象がある
山本浩二以降トレードが上手く行かず暗黒期に入ったな
特に投手陣が91年を最後に落ち始めてた 高橋直樹はセリーグの広島に行くと不調になったが、パリーグに戻ってくると復活した
投手でもリーグが変わるとダメという人はいるのかな? >>512
あの昭和の当時だと関西というのは今よりも
東京との対比性とか対抗性が強くて、ましてや
東京横浜ならいざ知らず埼玉てどこ?みたいな
雰囲気があった。西武て私鉄かあ、じゃあ清原の
実家の南海とか近鉄、阪急、阪神みたいなもん
やな、ぐらいの感覚しかなかったと思う。
まあ関西にも東急西武系列の百貨店やスーパー等の
店舗はあるにはあるけど馴染みがあるわけでは
ない。ましてやそういう関東及び東京的な
おしゃれで洗練されている雰囲気は当時の関西人
には反感があったと思う。 コージ時代は星野、田淵との友情トレードが目立ったね。
そのなかでも懇願したという音、山田は活躍した。戻った頃には衰えてたし、山田はコーチでも広島に帰ってきた。
清川も石貫に目途が立ったとかで出したが近鉄で渋い働きを続けて、戻ってきた。野林はいまいちで近鉄へ帰っていった。 >>537
東急は色んな部門でも東急ブランドで勝負するんだけど
西武はプリンスホテルとかペぺとか西武って入れないのが大きい(今も)と思う
自分でも西武って名前は経営でプラスにならないブランドだとは思っているんだろう
近鉄も都ホテルとかね >>539
山田は息子の方が有名になったな
工藤阿須加と朝ドラで共演してたけど 12月31日OA
BSフジ
THE GAME 西武ー広島 1986年日本シリーズ
ついに。。。 西武ってトレードが上手い。 明らかに失敗したのは江夏くらいかな??
秋山と佐々木の大型トレードも橋本が地味に活躍。
95年の村田放出して中日行って活躍すると思ったけど勝利上げたの見たことない
し清水を地味に獲得。 西武黄金期の最後の94年はダイエーからトレードで来た村田より近鉄クビになった小野和義の方が戦力になったからね 95年オフに中日は星野監督復帰で投手補強して村田と前田獲得したけど
青田昇や大島康徳は村田は確実に2桁行くと評価高かった。
逆に森まさあき氏は村田スルーで前田幸長を良いのとったねと星野に
話してた。
見る目が違うんだなと思った 86年 吉竹 山根
88年 平野
90年 鹿取
93年 佐々木 橋本
94年 小野 >>540
阪急もブランド力としては東宝の方が強いしな 西武とは関係ないが上記で音の話出てたけど、長嶋とトレードだけど
91年は長嶋・96年音が強竜打線の潤滑油になってつながりも+されていたが
この2人が故障してつながりが消えた気がしてならないそれでチーム下降した
気がする >>546
田尾のトレードは微妙な感じ
まあ大石がいなくなっても伊東がいたから困らなかったが >>548
そりゃ森は劣化した村田を直に見てたんだからよく分かるでしょうよ てか村田って西武でキャリア終わりじゃなかったんか…
今初めて知った
そもそも西武で動いてるシーン殆ど見てない >>555
中日移籍が決まったのは95年の10月くらいだよ。 その前に大本営報知に
巨人緒方とトレード話あったくらいセリーグからは評価高かったくらい。
星野も西武で檻の中に入って小さくなっていてうちに来てその中から出れば
2桁はいけるとかなり期待値も高かった。 村田は石川出身で準地元、盟友・田淵時代のエース格ってことで引き取ったのかも。 >>560
無理矢理すぎるw
友達の親戚の知り合いとかそんなレベル 31日のBSフシ
THE GAME 1986年日本シリーズ
何とライオンズゲストは
東尾と大田 これは凄い
カープは山本浩二と達川
同期が3人も。
8戦の攻防の裏側今から楽しみ。 あの86年の広島はこじんまりして来てた時期だったな
外国人いなかったのもあるけど
一発攻勢もないと短期は勝てんよな 広島には苦戦はしたんだけどねw
やっぱり古葉時代の方が強いよな
長打力も機動力もある 86広島
先発
北別府、山根(故障)、大野、川口、金石、長冨、高木
中継ぎ
川端、小林誠、白武、新美、清川、山本和、紀藤(二軍)
抑え
津田 このころの広島投手陣はバラエティに富んでてすごかったな
全盛期落合もオープン戦で当たると確かに広島の投手陣はいいと評価してたな 確か86年の日本シリーズは川口も日本シリーズ投げてないよな? >>569
投げていないことは確かです。 ただいつの間にか故障してたのかという感じ
でどこを怪我したのが情報もなかった。 広岡と森西武の黄金時代に日本シリーズで西武相手に完封または完投勝利したのは思いつくところでは西本、池田、槙原、岡林くらいかな?
あと誰がいたかな
槙原が完封2に完投1で3勝が最高だと思うけど >>520
ドラマ「SPEC」で似たような刑事がいたな。
初登場シーンがカッコ良かった。 >>572
いちばん完璧なピッチングをしたのは昭和58年第2戦の西本だったな
まったく打てる感じがなかった
ただ、シュートを多投していて、次の試合に懸念が残った 完封勝利は槙原だけって言うのも西武の凄さだな
90年のオーレの一発に沈んだイメージもあるが >>562 昨日見たわ
なんで大田が出演しているのかがわかったわ
アナウンサー「落合さん(解説者)、今まで大田が盗塁したところ見たことありますか?」
落合「ないですね」キッパリ
あの8回の盗塁がシリーズの明暗を分けるとはな
ゲッツーミスもそうだけど、大田は盗塁をせんと100%思い込んだ広島
翌年のクロマティの「辻が3塁を回ることはないだろう」の思い込みに似てるな 08年の第7戦の片岡の盗塁もそうだな
片岡は盗塁出来る選手だったけど
91年の第7戦も石毛の盗塁で逆転したしね 1991年の日本シリーズ
川口ってそんなに登板過多だったか?
翌年の岡林にくらべたら全然やん >>584
立ち上がりの悪さからリリーフを苦手としていた(カープ時代)川口を寄りに依ってワンポイントリリーフに持ってきたという愚策。
そもそも登板過多気味だったのは、レギュラーシーズンでもリリーフ登板したりで最多勝を獲得し、日本シリーズでも第1,4,7戦先発だった佐々岡の方だろ。 You Tubeで第6戦に川口が出て来た時に森監督薄ら笑いしてる
これはいけると思ってたな 83年も西武相手に第2戦に西本も完封してるな
ただ森西武の時に完封したのは槙原だけ
工藤は月曜の有吉ゼミで親子共演するんだな 日月とかいう投手がいたな。ドラフト外で。
なぜか高校時代やり投げの選手だったのを覚えてる。
たまたま入団テスト受けて身体能力が基準以上だから合格し入団したと思っていた。 日月はシニアリーグ時代からマークしてたとか、あと左右投げの小久保とかあの辺はモノにならなかった。 堤が失脚してなかったら清原監督もあり得たかもしれん
巨人は意地でも生え抜きしか監督にしないし 末期の大阪球場での土日の西武戦は西武戦特別料金として一律100円アップだった。
88年か89年のゴールデンウイークの大阪球場の西武戦は大入り袋が出た。
藤井寺の近鉄の西武戦でも西武戦特別料金があったような気がする。 あったね。
選手名鑑の球場別入場料の欄に
(西武戦)ってのがあってまるでG戦みたいだなと思った >>596
89年はもうダイエー
ナンバでは近鉄の主催ゲームやっただけだろ 名残があったのと秋山、伊東が熊本、辻が佐賀と福岡の隣県だったからか >>599
そりゃ「福岡のライオンズ」ってのがまだ残っていた時期だからね ホークスがライオンズよりファン増えたのいつくらい? 甲子園のオープン戦で「ピッチャー工藤」とコールされた後キャーと黄色い声に包まれたが工藤一彦だったことがあった。 そのアホどもの反応…はだいたい想像ついてしまうな
やせても工藤はビッグ4やったんや…情けかけたれ 加藤初ではなく東尾が巨人にトレードされてたら西武の黄金期はあっただろうか さすがに「紳士の球団」wでぶっつけ投法はマズかったんじゃないの 東尾は色々とツイているんだよな
野手転向しようとしていた時に黒い霧が発覚して投手不足に陥って
投手継続で投球術を覚えることができて
1975年にDH制が導入されたので報復される心配なくぶつけられる様になった 東尾はバッティング良いんだよな
シリーズで桑田からあと数メートルで満塁ホームランになる当たり打ってた >>612
言うてコントロール悪くてぶつけてたんじゃないんだから
それが駄目って言われたら普通に投げるやろ
当たっても痛くない所を狙って投げられる制球力があるんやから
TVで近鉄の選手のヘルメットのへりに狙って当ててた時はビビったわ 東尾はちょっと右のクラウチングスタイルみたいな構えだった
スティーブっぽかった。
打撃で一番びっくりしたのは森繫
中日の日本シリーズの打撃は工藤以上のインパクトあった。
故障で抑えダメでも野手で使えたのではないかと引退時思った 最後の中日とのシリーズで犠牲フライ打ったよな東尾
あわやホームランかよって当たりだった
構えも上で書いてあるようにブーマーみたいな
左肩を前に押し出すスタイルでビックリしたわ >>616
2回以上離婚してる時点で
人間性がアレなのは確定なのに
そんな奴と結婚する時点でなあ >>525
オープンスタンスは外角を打つためのフォームだぞ。 応援団界では西武VS他の5球団だった。
関西応援団は2004年の合併騒動の時もパの他球団の応援団と行動を共にしなかった。 鹿取潮崎が来るまで地味に安定していた中継ぎ陣
小田、西本、黒原、谷間の先発もいける高山、横田 中継ぎなら88年の山根も良かった
広島で大舞台に強かったけど 小田とか市村は渋い働きだったけど、それ以外は東尾、工藤、兄やん、両渡辺らの完投型の盤石な投手陣と強力打線に支えられた感じだね。
だから一時的なだけで、他球団へ移籍してもいまいちだった。左だと前田耕司なんかもいたね。 右だと木村・柴田、左はサイドスローの永射をはさんで、森繁で締めるのをよく見たな
永射は左打者には強くて、日本ハムのソレイタには特に強かった 98年の日本シリーズ
クローザー西崎対マシンガンズ打線は見ごたえあったわ
1986年のドラフトで西崎とれなかったんか?
取ってたらセカンドバック投げつける事件もなかったろうに バンデンハーク引退したけど、郭を超える14連勝の持主だったんだな
ちなみに郭は16試合で13連勝(16試合中13試合は完投)、
バンデンは22試合で14連勝 >>632
いろいろ仕込んだ森山を取った年
隠し球でも下位でいかずにふさわしい順位で取るべきという根本管理部長の持論
あるいは広島も森山に気付いたので、取られる前にさっさと取った
どっちかの理由で1位にしたとのこと ダイエーの時も仕込んであった大越を
松井の外れ1位で指名したよな >>638
「強い」のはわからんが、
チームとしての完成度では西武だろう まあ体格差もあるからな、でもV9巨人は完成度でいったら黄金期西武より更に上だと思う。 伊東ってほんま性格悪いな
広岡根本時代の入団でもまさに森の直系 >>644
性格よかったらあんないやらしい野球やれんわな けっ V9は5番打者が弱かったからな
末次が主だったけど、森、黒江が5番に入ったりしてたらしいけど 「末次が主」になったのはV9末期じゃないかね
書記は森・吉田・国松、その後は柴田、高田や黒江も V9は5番打者、森西武の黄金期はレフトを併用してたしね
相手投手によっては吉竹、笘篠、安部を使い分けてた >>653
初期は、だな
>>654
森西武の「7番レフト」に起用されたことがある選手で1チームできそうね 「ONの後の5番」に起用されたことがある選手でも1チーム作れそう もしも首都機能が東京と静岡に分散したら
東京⇔新大阪のぞみが毎時1本ひかりに置き換わる(そして東京⇔新大阪こだまは東京⇔名古屋に短縮か)
停車パターンは
一、
品川 新横浜 小田原 名古屋 岐阜羽島 米原 京都
二、
品川 新横浜 静岡 豊橋 名古屋 米原 京都
米原停車ひかりが増えたら首都圏への就職、進学も増えるかな?帰省がしやすくなるから
地理・人類学板スレッド
おしとやかな滋賀女子は首都圏に移住してほしい
1: 東男に近江女? [] 2022/05/28(土) 22:19:30 ID:k9wVdUrj
親や先祖が京都からの移住者とか滋賀県にはたくさんいるハズだし就職や進学で首都圏に出てきてくれたら嬉しいのだが
滋賀県内を網羅する近江鉄道は西武グループの一員で、びわ湖放送では昔からよくライオンズの試合を中継していたという
滋賀女子たちは埼玉県に親近感持つことはないのだろうか
10: このスレの主題歌【元歌 ジャングル大帝】 [] 2022/05/30(月) 23:21:24 ID:TUYQQcAP
アーアー アーアー ひかりこだま
アーアー アーアー 東へ行く
しとやかな滋賀の女 瞳輝かせたちて
働き学ぼう 東男が待っている
アーアー アーアー ひかりこだま
アーアー アーアー 乗って来て >>643
変人と言われたGGとは舎弟関係になったな。 応援歌が総入れ替えなったとき西日本の応援団だけは昔の曲使い続けてたのは何故? >>643
でも森のこと嫌ってるよな
広岡さんの時代にチームは完成されて何もすることなかったでしょ、とか辛辣なこと言ってるし 森監督は完成された戦力で安定的に勝つのに優れた指導者だったんだと思う。
どんなに優勢でも油断を見せず、確実に優勢を維持する采配をする
インタビューでも慎重に言葉を選び、相手チームを挑発しないように気をつけていた
広岡時代より選手も伸び伸びやれて過ごしやすかったと思う >>671
のびのびやり過ぎちゃったキヨちゃんw
ただ言われなくても試合ではチームバッティングだったのはさすがだった 森のインタビューでのへりくだり方はかえって嫌味に聞こえた
10ゲーム以上独走しててもうちが首位にいるのはたまたまですからとか
今の高津がこんな事言ったらどう思われるんだろう >>672
キヨハラ以上にとんでもないのがオーナーからも厳重警戒された石毛なんだろうけれど。 >>671
むしろ伸び伸びやってたのは監督の森のほうなのでは
選手は広岡時代に鍛えられた面子ばかりで、ミスがあれば自分たちで注意しあうようなチームだったし
新人や助っ人は球団がバッチリ良いのを獲得してくれてたからな
横浜では苦労が多くて伸び伸びできずにボヤいてばかりいて谷繁に逃げられた
西武黄金時代でもなかった球宴前のマジック点灯をやるチームが出てくるとは・・・ 83年はオールスター前の最終カード7/19阪急戦の勝利でマジック点灯したが
5ゲームの変則プレーオフ込みのマジックだったので、
それがなければもっと早く点灯していた 獅子と牛の優勝争いはパリーグの名物だったんだが
野茂事件が牛を弱体化させたわけだな
鈴木と野茂の相性がとりわけ悪かったわけで・・
吉井もいなくなったしね 森監督のコメントはあの場面で誰々を交代して下げてくれて助かった、あのままだったら勝てなかったとか
相手監督には嫌な印象 >>677
83年は圧倒的すぎた
ってか他が弱かっただけかも
ってことで今年に近いな 83年は新球団創立以来の集大成の年だった
西鉄以来のベテラン、外人、大型補強で取った一流選手、高い契約金で取った若手がすべて活躍した
翌年から中軸選手が衰え、外人も抜けて急激に弱くなった 84年は世代交代しながらだったな
83年の日本一は田淵の集大成だったね 83年と言えば9番によく石毛(303 15HR)が入ってた
阪急(蓑田・水谷・ブーマー)以外のチームならクリーンナップ打てる成績の打者が9番・・子供心に反則だと思った 西武も秩父から軽井沢まで延伸してリニアを導入するとか色々話があったな。 >>683
のちに6番に定着した時はもっとイヤだった >>682
田淵はちょうど今くらいに離脱だな
29本打ってたから村上と同等か 83年の西武は6番に38本塁打のテリー、下位打線に片平と石毛がいたから
どこからでもつながる強力打線だった その頃はまだラビット使ってたから中距離打者でもHR出てたんで
藤井寺でのホームラン連続記録とかが出たんやな
>>683
自分は87年頃の9番辻をよく見た 石毛、金森、田尾、スティーブ、大田、秋山、西岡または岡村、伊東、辻
これが黄金期前夜のオーダー >>690
1985年は7番伊東が多かったんじゃないかね 黄金期とは森西武を言ってるぽいな
広岡西武が黄金期前期だと思っていたが >>670
田辺。石毛コンバートのあと清家と争わせて出てきた。 >>694
自分も広岡西武が黄金期の前期だと思っていた
まだ未完成だし他チームのベテランの寄せ集めだったけど、試合運びがうまかった
それまでの下位チームのイメージが強かったので、57年前期に急に強くなった
巨人戦の中継などで、西武リードの途中経過が入ると、アナウンサーがよく
「西武が強いですね〜」と言っていた 清原が入って完全体になった。
そこまではまだつけ入るスキがあったけど
あれで相手に休む暇を与えない打線が完成した 毎年穴があるポジションを埋めて行ったからね
外野の守備が弱いから次は平野と北村をトレードで獲得
中継ぎ抑えが弱いからと次は潮崎をドラフトで鹿取をトレードで獲得 >>700
なまじ完投能力が高いのが落とし穴になった平成元年の13対12
レフトスタンドで狂喜したクチだが
こっちはこっちで虎の尾を踏んでしまった感はある >>701
あの試合、私も西武球場で見てたわ
ライトスタンドだったが 9番打者にクリーンナップ級のパワーヒッターを入れるチームって西武くらいしか無いよな
9番石毛以来の伝統、田辺も当時のロッテやハムならクリーンナップ級だったし、メヒアやボカチカの9番など言わずもがな 伊東のバントが多かったのも9番に勝負強い田辺がいたのも強みだった
森西武初期は9番は辻だったけど 12-13の試合は最後清原がファーストライナー打って試合終了だった 秋山も伊東も渡辺久信も公立高校出身なんだよな
清原や工藤みたいな甲子園のスターももちろんいたが黄金期の西武は雑草も多かった 80年代の公立校の立ち位置が理解できてないな
渡辺久信は前橋工業で
伊東も実質熊工で両者とも名門野球校出身だろ
秋山くらいじゃない無名公立出身は?
田辺も無名公立組(山梨・吉田高)だけど甲子園は出てる
石毛、辻当たりも高校は無名だが大学社会人で
球歴ロンダリングはできている 逆にPL-早稲田-プリンスと進んだ金森の方が
プレースタイルは雑草というか鈍くさいというか >>708
言いたいことはわかるけど ロンダリングはねえだろ
相応のアップグレードってことでいいじゃない ロンダリングは言葉が悪かったなすまん
アップグレード組は他にも渡辺智、松沼兄弟(取手二高は当時はそれほどでない)あたり
でも同時期は巨人の方が公立高卒は多かったな 巨人は西本、篠塚、岡崎、駒田、槙原、斎藤、水野、香田、宮本、川相、村田真、緒方井上は公立
公立でも野球の名門校あるが
西武巨人OBの鹿取、デーブも公立だよな
西武なら秋山の高校は進学校だったらしいけど
カープの古葉元監督も熊本の進学校
西武なら平野も高校は公立だね
潮崎も 石毛は高校の時にもロッテから指名受けてるし大学時代も声がかかっていた。
渡辺智は伊野商時代には清原抑えるなど十分、全国区だった。
金森は球歴はエリートだけど小柄だし、プリンス系列で広岡体制の西武以外はプロ入りのチャンスは微妙だったかも。 公立校の全国制覇が極普通にあった時代だしな。
潮崎も入団当時は無名高卒扱いとマスコミ辺りは取り上げられていたけど、当時、蔦監督率いる池田やまびこ打線の台頭で
徳島県内でもすっかり影が薄くなっていた渦潮打線の鳴門だしな。 東尾は公立で当時無名だった箕島高校を初めて甲子園に導いた
平安から誘われたからそれだけ好投手だったみたいだしね 潮崎は高専に行くつもりだったけど野球の素質を見込まれて鳴門へ入ることになったとか。
社会人では同じ地区だった野茂8球団競合の年に単独1位指名。
東尾は平安に決まりかけていたところで就任間もない尾藤監督が必死に説得したとか。
親も家から出ることを不安がっていたらしく、名門校より当時は実績がない公立校の方が性に合ってたかもね。 徳島県には私立高校が一つしかないと聞いて驚いたが
正確には「高野連に属する私立高校」だった
しかし野球のくくり抜きにしてもたったの3校だからなあ なんなんだろう 金森はPLから普通クラスに移って下さい
って言われたレベルなのにあそこまでプロでやれたのは偉い >>721
広岡が金森を「才能で言えば社会人野球が精一杯の選手だろう」と言っていたからね そういや西武て金森以後早大出たやつがいないな
慶應は何人かいたけど >>728
大石の大競合・大コケがあまりにも強烈で
松下の存在が記憶からキレイサッパリ消えていたw 西武黄金時代で早稲田大学卒と言えば、鈴木葉留彦
昭和58年の日本シリーズ第6戦の9回の裏、同点につながる貴重な左前打を放った
選手時代よりフロント幹部として有名 大石は野口を基準で考えるとコケた内に入らないし同期入団の牧田・秋山・熊代が成功したからそれ程悪い印象はないんだよな 慶應→西武と言えば長田秀一郎て25勝しかしてないのに13年も現役続けたのか 389登板で4先発しかしてない救援専門投手を勝ち星で評価してもなあ
一応85Hは挙げてるわけだし
西武、DeNAと弱投な球団だったとは言え
調子がいい年は勝ちパターン継投に入ってたくらいの投手ではある 慶應のエースで大学時代和田毅と同学年で早慶戦でも投げ合ったのに先発でもないクローザーでもない
半端な中継ぎをやらされたのはさぞ屈辱的だっただろう まあもっと屈辱的なプロ生活送った人はごまんとおるだろうけどね ひとつ下の明治のエース・岡本篤志もリリーフで地道にやってたな すげえな
大正生まれみたいな脳みそのやつが書き込んでる
しかも2回 You Tubeの石毛とジャイアンツOBの岡崎の対談いいね 石毛は原と同期入団で共に新人王取ったせいで選手時代最後まで比較されてたが
原と比較するのには過大評価だったな >>741
原がチームから抜けても大した影響は無いが石毛はそうじゃなかったな 石毛の加入は大きかった
真弓をトレードに出してからずっとショートが穴だったが、これで穴が埋まった
山崎・スティーブ・石毛で「打てる内野陣」が完成した 清原の高校時代からプロ入り初期は大谷のルックスに村上の実力があって
更に人気が百倍あるような存在だった 中田翔はルーキーの時点で現役晩年の清原と大して変わらないビジュアルだった >>746
♪顔もでかいが 態度もでーかーいー
そこは大谷と違う 任侠映画から飛び出してきたかのような野球選手のルックスが主流だった中ヤンキー映画から飛び出してきた様なナベQの台頭は衝撃的だった 鈴木啓示や江夏はスーツ着るとヤクザにしか見えなかった
あと仰木のチンピラファッションでの球場入りも怖かった 自分で実演してみせたんだぜ
だから、選手もちゃんとやらざるを得ない >>753
普段のこのシリーズに比べて、カラーページが多い気がした。
この時代のライオンズ黄金期を経験してる読者や編集が多いんだろうな。 80年代を回顧する記事で意図的に写真をモノクロ加工したのをよく目にして
当時を体験した自分とか違和感を感じる。
古さを表現したいのだろうがもうカラーなんか空気みたいに当たり前の時代なのに。
(スポーツ新聞の一面でカラーになり始めた時期と重なる) モノクロ写真は昭和40年代前半までかな
V9後半になるとふつうにカラー映像が残っているし、太平洋のカラフルなユニフォームの写真もあるしね 辻が辞めて黄金期の監督もいなくなったな
吉竹や安部や森博幸は学生の監督だけど
デーブは巨人に復帰か もしも清原じゃなくてデストラーデが四番だったら
今ごろ槍玉にされてたな ビールかけでは、プリンスホテルの社員が大きな紙コップにビールを注ぎ、そのビールをかけ合ってた。 んー つまり広岡や森がどさくさでビンでどつかれるのを防ぐため? 確か森時代だった。
もちろんビンでもかけあっていたけど、紙コップにホテルマンが手際よく注ぐシーンが『プロ野球ニュース』で流れてた。 たらればになるが清原はあの事件がなかったらどっかで監督してただろうなあ
客寄せパンダとしてはこれ以上ない逸材なんだし 美人局伊東や×2石毛でも監督できたのにその程度は問題ないやろ そもそもオーナー家の堤一族からして・・・・・・、そのせいか全体に規律が厳しい印象の西武グループ全体でも、
こと女性(異性)問題については意外な程寛容だった感じも。 ライオンズ永遠の議論
「変化球につよく直球に弱い鈴木健は、変化球主体のセリーグ言っていたら3冠王いけたか?」 ライオンズ永遠の議論
「変化球につよく直球に弱い鈴木健は、変化球主体のセリーグ言っていたら3冠王いけたか?」 >>764
育ててくれた西武を捨てて
歓迎されてない巨人に入れてもらって喜んでた清原
この女々しさがその後の人生墜落を招いた >>773
ドラフトで事前指名約束をされたのに巨人に裏切られて
「あんなふざけた巨人を倒してやる!」と決意した星野仙一とは対称的なんだよね >>774
星野もFA制度あれば巨人に行ったろ。昔の人のジャイアンツコンプレックスは凄まじいものがあるからな。 秋山や工藤や辻は他球団にも残す良いもの作れたけど石毛と清原は聞かないよな。 石毛の青波監督時代は他球団から見ても笑えない暗黒だった。
谷と亮子の結婚式に石毛は招待されなかった。レオンはアメリカだったから仕方なかったが。
石毛のYoutubeで青波監督時代は語られたことあるのかな。 >>777
黄金時代のチームリーダーだったのに監督では全くダメだったのも面白い
監督では「中西さんはピンチになるとベンチから消える(江本談)」だったが打撃コーチでは優秀の中西
監督では「ミーティングもしないのびのび野球でこの人じゃ勝てない(山崎裕之談)」だったがGMでは優秀の根本と似たものがある >>773 同じ西武OBでも阪神時代を含めて打倒巨人に燃えた
田淵幸一のほうがプロ野球選手としてカッコいい生き方だったと思う >>779
1983年に巨人を倒し燃え尽きて翌年引退か
あと1年やっとけば阪神と戦えたのにな~ >>780
引退した84年も春先は好調だったのになー だけど1985年に阪神の日本一を見て引退と言うのも悲しいから1984年に引退で良かったんだと思う >>783
しかしそっちの世界では西武優勢で日本一目前
というところでファーストの田淵が泣き出してしまうという…
あ DHか >>778
石毛は若手のころから幹部候補で、広岡監督も将来指導者になる前提で石毛に教えていたらしい
「そんなプレーでは、将来指導者になったとき、どうやって選手に教えるのだ?」みたいな注意をしていた
でも、東尾によると、石毛は選手のころから到底指導者向きの人間でないことは明らかだったらしい 東尾はどこを見てそう思ったんだろうな
監督でも成功したあたり東尾ってやっぱり勘がいいな 会社で言うと入社当時から目立って見込まれて同期一番乗りで管理職に。
実はほぼスタンドプレーというのがバレ
会社からも部下からも信用を失い 同期にいつの間にか抜かれる。
存在が薄くなって上に上がるチャンスを失うという一時期の世代のあるあるに
ぴったり当てはまる。
全体の業績を自分の手柄・貢献ありきに見せる能力に長けていた。
でも中身がないからすぐ見破られた。と言うオチ。
本人は過去の栄光を忘れられないからプライドだけ高く。めんどくさい扱いにくい
存在なり下がる。と言ったところかな。
>石毛 鹿取は今の巨人に俺は必要ないと言ってトレード志願したらしいが
巨人で選手生活を終えようとは思わなかったんだろうか >>789
上原スレの誤爆かw
と寝屋川十中の先輩がフォロー >>788
松井上原みたいなメジャー挑戦を除いて
巨人の主力級で自ら望んで出て行ったと言うと
鹿取、駒田
他球団に行く道もあったが巨人で引退した
定岡、元木
他にいるかな? >>786
自分はむしろ東尾が監督として成功したことに驚いた
一流投手だけど一匹狼的で組織をまとめるタイプには見えなかった
でも、老獪でいろんな引き出しのある投手だったので、そういう経験が生きたのかな? 石毛の代役みたいに当時感じたけど勝負勘が凄かったらしいし
自ら率先して投手陣引っ張っていたのを周り見ているから瓢箪から駒みたいみたいな
配属だったのでは?
東尾でないと松坂は来なかっただろうし。西口とか豊田とか松井とか後継者も作ってるし
堤のお気に入りに入っていたとはいえ石毛より遥かに有能だったんだろう。 >>788
トレードの前年に同学年の西本、角がトレードで出されたから次は自分がされるだろうと思ってたらしいけど
89年は先発完投が増えて中抑えで廣田が台頭して登板が少なくなって志願したと 東尾は投手は自分で見て走攻は土井、伊原や須藤ヘッドに任せてたらしいからね
森繁は東尾はやりにくかったと言ってたな? >>795
投手コーチとしての実績は森繁の方が上だが、現役時代の実績は東尾が上で、選手時代も先輩だからね。
良い悪いではなく、やりにくいよ。 >>786
95、96のイチロー率いる仰木オリックス全盛期の裏でAクラスを保ちながら松井大友高木大成西口等を育成して97、98と連覇したのはもっと評価されていい。
なお日本シリーズは(ry
世代交代といいながらも結局は伊東を超える捕手が出てこなかったが。 97、98は潮崎の先発転向もあったしな
マシンガン打線にシンカーは通用してた 弘田の全然常勝じゃないチーム(ロッテ、阪神)で二度日本一も凄い >>802
ロッテは阪神と喧嘩別れしてパ・リーグに移った分家みたいなもんだけどな。
どちらも通算勝率の割には優勝に恵まれない点とか。
実は今年気付いたけど、ロッテの日本一って4回中3回が寅年(1950、1974、2010)なのな。
ちなみに巨人は何故か寅年の日本一は一度も無く、リーグ優勝ですら中島が職業野球
史上初の3冠に輝いたとされる1938年秋季のみで、それも現在のポストシーズンに当たる
日本選手権では、春季王者のタイガースに4タテと為す統べなく惨敗し、藤本監督が
審判団控室に「タイガースから幾ら貰ったんだ!」と激怒し、そこに三原兼任助監督が
ノックバットを持ったまま駆けつけてくるなんて事態に。 西武は田淵といい石毛といい監督就任がぽしゃって成功したケースが多いな 郭泰源の恒例の梅雨時の離脱。一足早い夏休みと揶揄されていた。それでもシーズン通しておつりが出るほどの活躍だった。
高山、横田等の谷間がしっかりしていた。 オリエントエクスプレスは伊藤智仁の成功例だと今でも思っている >>807
時系列的に伊藤智仁が郭泰源の失敗例やろw 無冠の帝王キヨマーの最大のチャンスは何年だったか? 清原が主に3番を打ってたら1回くらいはHR王取れたかもな 清原は肉体改造を始めたころから人相も変わっていった
関わったらヤバいと感じる怖い人相になって今に至る
秋山や工藤は今でも若いころの面影があるのに >>813
1992年と2001年は打点王
1996年は本塁打王
チャンスだったかも? 清原も87年、90年は二桁盗塁
肉体改造も二桁走れるのような身体を目指してやれば良かったのに 東尾が成功した監督とかいっているけど
小坂と松井の盗塁争いを見てそうではないと思ったのは俺だけか? >>818
タイトル争いの敬遠合戦はかなりの監督がやってるぞ 西武黄金時代の下の世代(東尾〜第一次伊原)が指導者になってる時代か
松井稼、西口、豊田、小関はこの世代の選手だな。 姑息なタイトル争いとかは些末な話で
前半4年は森西武の老齢化した選手を、一気に若手に切り替えて
パ連覇まで持っていったから名将
後半3年は自ら抜擢した若手が思ったよりも伸びず(特に野手)
打線の小粒かを招き、3年とも優勝争いしながらV逸
この後半3年の評価が難しいというか、ほぼ辻と同じくらいの成功じゃない? 東尾〜一次伊原時代は投手はリーグ屈指で野手イマイチ(ただし守備は堅い)だったから松井監督時代もそうなりそう。 一次伊原は打の方も凄いよ
2年目を迎えたカブレラのさらなる覚醒
和田を左翼レギュラーに抜擢
松井稼頭央のキャリアハイ
これでリーグ最強のクリーンアップが一気に形成されて、
後は宮地犬伏らくすぶってた戦力で打線を活性化させた
むしろ投手陣の方が2年目に崩壊して、以後ここ1~2年で投手陣が整備されるまで
西武は打高投低状態が20年近く続く 勘違いしてた
伊原時代の松井は一番固定で恐怖の核弾頭
3番にくすぶり組の抜擢だった
むしろ3番松井は東尾時代の貧打線において苦肉の策でした 3番松井はカープが山本浩二、衣笠引退後に高橋慶彦を3番にした様なもんだったからな
似たような感じだったからね
東尾は投手を育てたのはやっぱり投手出身って感じだったな
野手は打撃は土井コーチ、走塁は伊原コーチに任せきりだったらしいからね
当時はホークスが投手力さえ良くなれば強くなって行く感じがしてた
打線は揃ってきてたから
東尾監督の時に99年からホークスは尾花を招聘してから投手強くなったし 誰が言ったか覚えていないが、「東尾が監督になって西武は普通のチームになった」
黄金期の緻密というか上手さがなくなった気がする ライオンズは伝統的にホームランで取った点を強力投手陣で守り抜く典型的なビッグボール野球だったのに
東尾時代だけ第2次藤田巨人みたいなスモールボール野球してたよな 別にホームランなら他球団だって打てる選手はいた。
黄金期西武の強みは1番〜9番までお休みポイントな選手がいなかったとこ。
極端に打てない、走れない選手がいなかった。
特に伊東なんかNPB捕手歴代最多盗塁選手でいまだに記録が破られてない 東尾の時は垣内がもうちょっと伸び続けてればね
ハムファンが西浦に抱く感情と一緒 レギュラー獲った翌年に膝壊しちゃったんだからしょうがないじゃん マルティネスの守備をまったく信用しなかったのと
当時のパリーグの継投はイニングの頭で代えるよりも、
打順の左右のめぐりで代えることが多かったので、継投も下手くそだった。
2年間で西武ホーム試合は3勝2敗で勝ち越しているが
ビジター試合では0勝6敗 西口が日本シリーズに弱かったからね
潮崎が良かった
伊原の時は松坂の初戦先発は90年の巨人が槙原を先発させて西武が4タテしたのと似てる https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/base/1668954940/l50
119代打名無し@実況は野球ch板で2022/12/31(土) 16:55:43.41ID:PD2wgo2K
>>120
鈴木健といえば
「浦和学院高校時代に通算本塁打歴代記録のトップクラス(ただし、元中日ドラフト3位の山口や元西武の平尾が60本くらい打てる埼玉県だが・・・)で甲子園では伊良部と名勝負を繰り広げ、プロ入り後は二軍で打率4割超えとか異次元の成績を残しながら清原という厚い壁で長らく森(監督じゃないよ)とともに陽の目を見なかった強打者」
という印象だが、一軍でも結構良い記録残してるんだよな。晩年のヤクルトでも良かったし
120代打名無し@実況は野球ch板で2022/12/31(土) 18:25:29.20ID:sgnf5Gru
>>119
森って森博幸だっけ
なんかたま~に4番打ってた記憶があるようなないような >>1
個人成績は「弱小チームは+補正 強豪チームは-補正」すべき
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1672230914/l50
1神様仏様名無し様2022/12/28(水) 21:35:14.82ID:HalP3+hs
>>36
V9読売、黄金期西武、強豪化してからのホークス、野村ヤクルト、上田阪急、稲尾・中西時代の西鉄、3連覇広島など
他、複数年単位でなく、単年でも優勝チームとBクラスチームでも
弱小チームの選手は、強豪チームに居たら確実に成績は大きく上がる
強豪チームの選手は、弱小チームに居たら確実に成績は大きく下がる
チームが強い方が個人成績は残しやすい
チームが強いと有利な理由(弱いと不利な理由は、以下の真逆を考えればよい)
投打共通
・チームが優勝争いしているとモチベーションが上がる
・チームが雰囲気よくなる
打者
・マークが分散する
・打点が稼ぎやすい
・打順が多く回るので累積記録は有利
・守ってる時間が短くなるので負担が軽い
投手
・援護が増えるので勝ち星などに恵まれる
・守備が良い方が記録は有利
・リリーフに失点防いでもらえる
・他の投手も強いと無理使いされにくい >>828
塁には残したもののAKDなんとかやり過ごしたと思ったら
石毛が ちょーんレフト前
新年そうそうイヤなもん思い出させるんじゃねえw 鈴木健が入ってきて弱くなるぞこれはと思った
明らかにそれまでの選手とは違う脆さがあったし >>837
94年の日本シリーズの第6戦の守備見たらね 一つ先の塁を狙う意識の高さ、進塁打や犠打もしっかり評価してたからな
そういう差がデカいんだろうな 鈴危険はあんな下手なのに超エリートだからプライド高そうなのも見ててやだった。
どうせなら巨人でも入って徹底的に教育されてた方がまだよかったんじゃ >>840
巨人は当時左バッターが良かったからな
篠塚、クロマティ、吉村、駒田、岡崎といたし >>835
伊東はチームが強くて評価が釣り上がってるが、実際は田村藤夫とそこまで差が無いくらいの選手 中西太さんがプロ野球ニュースでベストナインで伊東を選んでキャッチングが上手かったと褒めてたね >>843
殿堂入りにチームが強かったことは大きく関係あったと思う 伊東下げの田村上げの逆張りバカが殿堂板に住み着いてるんだけど
強豪チームの捕手レギュラーを張り続けるってのが全然理解できてないんだろうな 能力が同じだと>>842 >>845が主観で主張しても
試合数、打席数でキャリア6~7年分の大差が付いている
それだけ長い間(強豪チームで)レギュラー張れたってのが
重要な能力だろ 田村もいい捕手だったのに、こういう逆張りガイジのせいで評価落としてかわいそう。 V9巨人では「森じゃ物足りない」と次々にアマの有望捕手を獲得して
片っ端から森が潰していたんだが
黄金時代の西武ではそういう話は聞かないね
チームも伊東に不満は無かったって事じゃね >>839
小関は守備と小技がとにかく上手かったな
全盛期は外野版川相だった 和田みたいに捕手としては物足りず野手になっちゃうか
大久保みたいに出されちゃうかで競争相手がいなかった
伊東が衰えた時にじゃあ誰がやるかで問題が顕在化してしまったのはある。
今の巨人の大城レベルがいればまだよかったんだが >>848
ベストナイン捕手=優勝チーム捕手と機械的に票を入れた当時の記者連中にも責任があるけどな。
田村なんて古田が出て来るまで、日本一の捕手との評までありながら、長らくベストナインもゴールデングラブも無縁だったからねえ。
それを田村に聞いた際に
「(伊東が長期欠場した)今年はチャンスかも・・・・・、と思ったらオリックスの中嶋って年もあったりね」
と苦笑いしていたな。
田村が両方受賞したのは、日ハムが優勝争いする一方、伊東がお局騒動?つう醜聞で週刊誌を賑わした1993年のみという。
>>849
リーグ優勝を逃した年のオフに中日から大宮(元日ハム正捕手)を獲得した際には、
「俺、正捕手外されるわ」と絶望的になったらしい。
それが翌年日本シリーズでの涙になったんよね。 >>849
いわゆる皆殺しの森も今から思えばだいぶ悪意がこもってたように思えるなあ
せめてカープ時代のキムタクみたく終わってみれば・・・という表現にはできなかったものか >>852
お局じゃ職場の意地悪ババアだろw
美人局だよ つつもたせ!
あっ 言っちゃった >>854
カープ時代より巨人時代の方がキムタクは粗さがなくなってたよね
西武にいたら笘篠みたいになってたかな
笘篠も他球団に行けば2番打者でレギュラーになってた気がするけど 伊東勤さんは捕手としては俊足なのと(シーズン2ケタ盗塁5回)と犠打の多さも光る 伊東が犠打多かったのも森西武の時に後に前半は辻、後半は田辺がいたのが大きかった 伊東の安定度は抜群だった
西武は若菜放出以来、捕手が不安定で打力以前に捕球も怪しいのがいた
南海からベテランの黒田を補強して、ようやく安定し、チームも日本一になった >>835のような理由で、西武の選手は成績を割引いて評価すべき 日ハムに柏原
西武に黒田、片平
近鉄に新井
南海の気前の良さは凄い 秋山が覚醒してそのオフに清原入団だろ?当時のファンは楽しかったろうな >>861
阪急上田監督 「南海のトレードは補強やない、補弱や!」 >>860
勝利試合の方が個人成績は挙げやすい
例えばイチロー
イチローは勝利試合だとこれだけ成績がアップする
2002年以降もチームが優勝できるくらい強かったら、イチローの個人成績はどこまでアップしていたかな
2001年
勝利試合 532打席
打率.393(494-194) 7HR 58打点 48盗塁
出塁率.428 長打率.528 OPS.956
敗戦試合 206打席
打率.242(198-48) 1HR 11打点 8盗塁
出塁率.262 長打率.278 OPS.540
2004年
勝利試合 309打席
打率.447(284-127) 6HR 32打点 18盗塁
出塁率.482 長打率.570 OPS1.053
敗戦試合 453打席
打率.321(420-135) 2HR 28打点 18盗塁
出塁率.369 長打率.376 OPS.745
2011以降
勝利試合 1640打席
敗戦試合 1755打席 >>861,864
鶴岡常勝期での力の落ちたベテランに対する見切りの早さが、単に高額年俸選手の相次ぐ放出という形に劣化したって感じだね。 >>847
「細く長く」「太く短く」って言葉があるように、絶対量系は伸ばそうと思えば伸ばせるからな
逆に、全盛期は好成績でもすっぱり引退したり若くけがした選手は伸びない(それでも評価が高い選手って多いよね) >>867
これいまだに伊東田村の比較において言ってる? ただの一般論?
伊東の場合は明らかに伸ばそうと思ってなくての太く長くだろ
田村はチームの低迷期に新戦力切り替え大好きの新監督によって
格下若手にあっさりレギュラー剥奪された
別にすっぱりでも若くケガでも何でも無いんだがなあ
あとは現役のピーク時の単純比較なのか、現役全体を通じての比較なのか
結局田村ageの人ってピーク時に所属チームの差も無視して
ただの捕手としての基礎的能力が同じくらいだったと主張してるだけで
そら西武スレじゃ認められんわ
ハムのスレでもいってやってきて 田村にしても捕手で10年レギュラー張ったんだから十分太く長くの部類で
伊東がそれを上回る太く長くだったという認識なんだが
いきなり867みたいな主張を持ってくるのはバカなんか? >>868
>ピーク時に所属チームの差も無視して
無視していないので、「伊東はチームが強いぶん有利だから割引け」って言ってるんやない? >>867はそんなこといってないけどな
(単純に「細い長い」「太い短い」の比較)
そもそもここに最近「所属チームが強いから割引け」ってスレが立ってるのは知ってるけど
その発想自体おかしいと思うけどな
伊東自身が所属チームの好成績に貢献したから
チーム並びに個人の成績があるわけであって >伊東自身が所属チームの好成績に貢献したから
>チーム並びに個人の成績があるわけであって
意味が違うんだよなあ
↑は、選手の評価に関してやね。確かに、チームを優勝に導いた事実があるんやから、評価は上がってしかるべきやわ
ただ、それとは別に、↓のような物理的な恩恵で、成績は残しやすくなるのは間違いないんやわ
チームが強いと有利な理由(弱いと不利な理由は、以下の真逆を考えればよい)
投打共通
・チームが優勝争いしているとモチベーションが上がる
・チームが雰囲気よくなる
打者
・マークが分散する
・打点が稼ぎやすい
・打順が多く回るので累積記録は有利
・守ってる時間が短くなるので負担が軽い
投手
・援護が増えるので勝ち星などに恵まれる
・守備が良い方が記録は有利
・リリーフに失点防いでもらえる
・他の投手も強いと無理使いされにくい 最下位やBクラスのチームからよくタイトル獲得者が出ているけど >>872
それはわかるよ
その選手の成績自体もチームの強弱で補足する事も意味あるのかね
上原藤川の名球会騒動からの流れから来てるんだろうけど
どんなチームでどんな環境でやろうとNPBに記録されるヒット一本は一本で不偏
まともに統計学もできないから新指標も編み出せずに
ただチームの強弱だけで補正しようとする数字弄り以前のオナニーだわ >>873
なので、そういう選手は余計に凄いんよ
>>874
意味はあります
有利不利は明確にあるので(公式記録では現れないが)
投高だの打高だの傑出度だのよく言うやろ。あれと同じや。公式記録で現れなくても大事 >>875
そこまで言ってるけど
当該スレもさほどまともなこと言ってねえな
せいぜい当該スレで議論してろ まあ875の言ってる常識が
プロ野球ファン全体の常識になってるといいですね(棒) 1983年、西武の9番打者石毛の成績が303 16HR
同年のパ・リーグ球団クリーンナップがこれ
阪急の5番ブーマー 304 17HR
ハムの3番クルーズ 320 11HR
近鉄の5番羽田 266 14HR
南海の3番新井 290 5HR
ロッテの5番有藤 265 14HR
西武の9番打者より率もHRも上だったのはブーマーだけ、しかも僅差
これは酷いと思ったものだよ(当時阪急ファンだった) >>872
こうしてみると、所属チームが強いと、完全レギュラーの選手にとっては良いことだらけだな
個人成績を残すのに有利な上、「強豪チームの主力」として名声も何割増しにもなる(V9読売の主力だった高田とかも実力以上に評価や知名度も高いし)
レギュラーを掴めていないか衰えてスタメン当落線上の選手にとっては出番を得るのが大変なデメリットはあるが、完全にレギュラー名選手にはその心配はあまりないし >>872
「金田は弱小チームであれだけ勝てたからなおさら凄い」とかよく言われてるよな Whip 0.91 ってどんだけすごいの?
そもそもこれは何を指すの? 西武は伊東がいたから強かったという意見もある
実際怪我で離脱した時は負け続け、その年は優勝を逃した、
と言っても3位になるところが ケガがチームの成績に直結するといえば古田にも似たような傾向があって
右手を骨折した1994年は最下位転落寸前まで低迷し
2001年も優勝はしたが膝を痛めて離脱している間にかなり巨人に迫られた 伊東は政治力があったせいかあれだけ体脂肪率に厳しかった西武の中で
ブクブク太っていって選手としても劣化が著しかったのが晩節を汚したな。
特に新旧捕手対決で古田に惨敗して以降はプライドだけ高い割に劣化が激しい老害になってった ↑
衰えるとか以前に、古田と伊東では格が違う
ディフェンスもオフェンスも 古田と比肩する捕手は城島、ノムさんだけだな
俺は城島がトップだと思うけど
少し落ちて田淵、阿部、木俣、谷繁
伊東は森祇晶、梨田、矢野、森友哉らと並ぶ3番手グループ >>887
捕手で打撃タイトル取った森友がその位置はおかしいやろ。FAで出ていかれた恨みかよ。 西武に来てからの田淵は捕手をすることが少なくなったな
捕手どころか一塁を守ることすら日本シリーズのときくらいだった
土井は守備につくことも多かったのに、田淵はよっぽど守備がダメなのか 「捕手を育てるのは四番より難しい」と言っていた関係者がいた
キャッチング、パスボールの少なさ、強肩、インサイドワーク、ある程度の打撃
全てを兼ね備えないといけないんだもの
そりゃ難しい
野村も森も肩が弱かったしそう考えるとやっぱり全てで高いレベルなのは古田か 書いてて思い出したが鈴木孝政が「中尾の守備は素晴らしかった」と回想していた
中尾は斉藤を覚醒させたのになぜかベスト捕手で名前が挙がらんね
スぺ体質すぎたのか >>891
城島は第二回WBCでの見事なリード、AL盗塁阻止率シーズン1位、MLB日本人3位タイのシーズン18HRと完璧だったぞ >>886
トータルでの結果で見たらそう思うやろ?
でもあのシリーズの頃は
歴代最強捕手対決!って言われてたんよ。
最初の対決ではなんとか勝ったけど次回では
更に進化した古田に完敗。
しかもナンバーの取材で言ってた様に
「あんな投手のプライドを考えないリードなんてあり得ない」
とか負け惜しみを言う始末。 師匠のノムさんが「野球力は人間力」みたいな説話をよくしてたけど、
相手のプライドを考えないリードはそのまま古田の人間性だった訳だ
監督時代は自論の主張に終始しフロントから嫌われ、選手からの人望も失い、退任後も古巣はもちろんどこからも指導者オファーがかからないのも合点がいく >>887
阿部はもっと上やろ
打撃だけなら城島より上でノムさんの次(城島はケガで若くしてダメになって無ければ阿部より上だった可能性が多分にあるけど)
2012年は歴代野手屈指の傑出度の打撃やし、2000本400本は凄すぎ >>895
野村はとにかく自分のリードで勝たせないと不満なタイプ。
江川はもし自分が受けてもつまらない、
と言ったけどそれも豪速球でコントロールが良いとリード関係無くなっちゃうから。
古田はそういう自分の手柄よりもまず勝つ事を第一に置く思考だから合わないのも当然。 >>898
本ではっきりと「江川とバッテリーを組みたくない」と書いていた
理由は「江川の球だとどんなデタラメな配球でも打者を打ち取れてしまうので
捕手はただのキャッチングマシーンになってしまう
捕手の喜びを感じさせてくれない投手なのだ」だから 2000年ごろの話だけど、江川によると球界の名捕手の代表は古田(ヤクルト)と伊東(西武)だという
なぜなら、ふたりとも「キャッチングがうまいから」
リードはどうなのか、リードのうまさで名捕手が決まるのではと思いながら聞いていたけど、
リードの話は全く出なかったので、江川は捕手のリードをあまり重視していないのかも >>896
山口哲也に1票だけ1位票が入った以外は満票(1位票独占)MVPだった記憶
山口も中継ぎとしては歴代トップクラスの成績だったはず >>900
江川の成績を見ると死球の少なさにも驚く
江川の球だとエゲツない配球をしなくても打ち取れるのがよくわかる 伊東も成長期には黒田とかリードの教育係みたいな他球団の選手いたが
レギュラーになってから大宮とか中尾とか中嶋とか安泰できないようなトレードをしきりに
していたな。古田は球団内に僅かに競合がいただけでトレードでの外様で揺さぶり受けた
経験がない。そういう意味では伊東の方が引き出しは多いような気もする。
ロッテや中日でもキャッチャー育成しているし。 >>895
逆に伊東はピッチャーをリスペクトするタイプの捕手だけどその分投手陣が弱いと詰む >>900
投手にとって最悪の捕手はミットがブレてストライクをボールにする捕手だからね。 広岡の老害まき散らしぶりに比べたら監督退任後若い選手にあれこれ言わない森や東尾は立派だ 遠征先で門限ギリギリで走ってホテルに帰ろうとした伊東が
後ろから走ってきたオッサンに声を掛けられてヤバい奴かと思ったら
俺もいるから慌てるなと森監督の姿が
森も東尾も遊び人だから選手にアレコレ言いづらいわな >>907
その手の話だと「朝帰り禁止になったら俺が一番困る」と言った仰木だな >>827
ただ、当時似た者同士の同じスモールベースボール野球だった仰木オリックスには毎年苦戦し、ビッグボール野球の王ダイエーには優位な戦いぶりだった(ダイエーが強くなった99年以降も) 伊東は色んなとこで言ってるけどプロ入りしてすぐのキャンプで当時大ベテランの古沢に1球投げてもらって
「あ、代わって」
って言われたのが相当キテるんだろうな バーディー古沢というニックネームの由来が素晴らしい 古沢は西武では余り活躍できなくて、損なトレードだった
しかし、後に高橋直樹とトレードできたので、結果としてはよかったのか 古沢はがんばれタブチくんの印象の方がリアルより強い 大宮、中尾が来た頃は彼らはすっかりベテランで完全なリザーブていう感じだったよ。
まだ大久保1位の頃は競争させる気があったかもしれないが、すぐに大石も放出してからは
他に実績ある選手いなくて代打要員の白幡とかを控えで登録してたほど。
尤も森が巨人時代に正捕手ながら毎年のように捕手を補強される(大橋勲、槌田など)のが嫌だったらしい
から、それは避けたのかも。 「なんで中尾なんか取ってきたんだ!」と森は激怒したくらいだから相当衰えてたんだろうな
しかも大久保は巨人で活躍するし >>915
だったら大久保大事にしてやれよ
試合前に選手一人一人に声をかける時も大久保ガン無視だし 古沢はトレードされた途端にライオンズ優勝
高橋大活躍。
複雑だったろう。
でも84年最晩年に遂に初優勝。報われた気持ちでいっぱいだったのでは?
レンタルの小林は逆に西武で二回。戻された広島で二回優勝経験
一番おいしい思いをした。山根もか。逆で。 大久保、もうちっと遅く生まれてきて
白にゃんこ打線の時にいたらめっちゃ役立っただろうなw >>914
未遂に終わったが巨人は田淵もとろうとしたしな
阪神に三角トレードを持ち掛けたほど未練があった
それだけ「森じゃものたりない」と思われていた 田淵はすぐに外野へコンバートされる
捕手として森に勝てる訳がない 中尾はプリンス出身だったので最後は西武にという流れだったと本人が言ってた。
小林誠二は地元だったし、引退して地元局の解説にも収まってよかったかも。Cのコーチはなかったが。
山根は西武で優勝したけど最後は地味で、本人の意向かは知らないがマイクは回ってこなかった。 門田やブライアントがいたのに三振王取った秋山て凄いな 秋山って93年も130三振、.240、30本、得点圏1割代みたいな成績じゃなかったっけ 秋山は走攻守三拍子揃ってたていうけどブンブン振り回しまくってたのに
どうしてそんなイメージを持たれたんだろう >>924
いや、走攻守三拍子揃ってるだろ?
攻が巧打なら微妙だか、ホームラン王と盗塁王だぞ。 秋山見て「振り回してた」って思うヤツいるのかよ・・・ ホームラン王を取った年も38盗塁しているからね
ただし、三振も100以上していて、出塁率が余り高くないのはもったいない感じがする 秋山は振り回していたよ。
それでいい。と言う教え方だったから。ホームランバッター育成だったから。
93年はデストラーデがいなくなって役割にしわ寄せがきて無理した悪影響かと。
それでも日ハムの首位決戦で満塁弾打ったりしてるけど。。。
森監督との折り合い悪かったんだろうな。
堤オーナーお伺い選手の中にも入ってなかったようだし。 秋山ってブーンと振り回すというかコンパクトに合わせる感じのスイングだけど
三振も多くて飛距離も飛ばないボールなのにとんでもないっていう極端な選手だったな。
めちゃくちゃにリストが強かったんだろう AKDはホームランは多いが低打率で三振も多い、全員似たようなタイプ
案外脆くて与しやすいとも言われてたな AKDはOPS高かった(四球を選べた)のに与やすいは無いわ
あの園川だってAKDのいた頃の西武にはまるで歯が立たなかったのに 打線は近鉄やオリックスのほうが怖かったと言ってた投手がいたな
西武は訳のわからんうちに点を取られてるとも 近鉄で言えば山下とか安達みたいな休憩ポイントが無いからな。
AKD凌いでも辻や伊東や田辺がいるから集中力がやられる。 >>935
おい まず石毛石毛!
AKD塁上に残してレフト前スコーンが一番ムカついたw 園川がドラフトでロッテと巨人の競合だったという事実。
もしかしたら宮本あたりの立ち位置でローテの谷間で投げてかもしれん。 当時の巨人の先発陣は左腕不足が長く続いていたから園川は欲しかったはず
宮本に続く先発左腕は助っ人や移籍選手に頼っていたけど、右投手に比べて育たなさすぎという本質的な問題はその後90年代に入っても解消されなかった 高橋内海まで長かったな。
園さまはその2人の2割引クラスの球だったけど頑丈さでは上 >>937
あのー 南海…
あそこも左皆無だったから一位が西川でさらに園川
で園川外したらまた左の中村 こっちはサッパリだったけど どこも左が少なかったからね
今のベイスターズの左腕投手陣を見たらビックリするかもしれん 未だにサウスポーてだけで過大評価される風潮が残ってるし 河村英文
「あいつは左腕であることだけが取り柄の投手」
これは評価してることになるんだろうか 園川は無名高校生投手(川越工でも完全なエースではない石田)に次ぐ2位だったので、
プリンスに行くとか言ってかなりゴネた。
まあ巨人で桑田の次なら納得だったろうね。
宮本がローテ入りした頃に松原、小島というテスト生が少し期待されたが。 園さまは大学日米野球で大活躍したので
(逆に言うとそれまで注目されてなかったのがそこで一発逆転した)
「ドラフト1位じゃないの?しかもロッテ?」
とちょっと不満だったらしいw ロッテは園川に対して契約条件の上乗せをしたって話
引退後も長くロッテのコーチや職員をやっているからね 黄金時代の投手陣も工藤、ナベQ、郭の三本柱以外は微妙だよなあ。
前評判の高い社会人系を獲得するも長くは投げられずというパターン多いし。
黄金時代で高卒新人で育成されたの、投手は思い浮かばす、打者も鈴木健ぐらい。 ナベ 郭が下り坂になっても出てくるの居なかったな
トミオはすぐだめになったし
小池 若田部外してとった長見 竹下もあかんし
黄金時代終わってすぐに西口が出てきたけど 石井、新谷、智男と大活躍する伏兵が出てくるところも西武の強さ 西武の打者は他の打者も強力でマークが分散するし打点稼ぎやすい
投手陣はバックが守備含めて強いので成績残しやすい。伊東がいるのも大きい
伊東は投手が強いのでリードの評価とかも上がる(相互にメリット)
なので、西武の選手の個人成績は他チームの選手と比べて割引くべき 鹿取なんて「あの守備力のお陰で投手寿命が随分延びた」としみじみ語っている位だしな。 ナベQが南海やロッテの選手だったら80勝120敗位だったのかな んなことはない、そこまでの差はない
なんだろう最近よく見るけど割引って考え 辻が言ってたけど内野手はヒットの時余程な当たり以外はダイビングしろ
外野手はフェンスに登れ、って。
投手は「ああ、あれだけやってダメなら仕方ない」って思うから、って。
そういう信頼関係があった。門田のバカみたいに飛んでくホームランの映像でも
西武の外野手はいちおう登ってるシーンが多い 成績を残した名選手を貶めてやろうみたいなひがみ根性だな
上記のように定性的な事しか言えず
当該スレはじゃあ具体的にどう補正するのって議論に一向に行かないから
数字遊びにもなってないんだわ ↑
>んなことはない、そこまでの差はない
実例見せよう(チームが強いと個人成績が上がる)
841神様仏様名無し様2022/10/25(火) 21:38:17.02ID:gljtX6AQ
>>840
君も2004年しか見てないでしょ
ワースト成績はほとんどチームが最下位なんだけど
PS争いしてる時に成績が上がってるのは明白
年齢どうこういうなら2005、2006がこんなに低いのはおかしいよね
ヤンキース移籍で成績跳ね上がったのもチーム成績で納得いく
2013年はWC争いすらしてないからまた下がったし
2004年にキャリアハイを出せたのは新記録のモチベーションがあったからだろうし最下位も初めての経験だったからね
それでも勝利試合はOPS.1053 敗戦試合はOPS.745だったからだいぶ成績損してるが
01年 優勝 勝率.716 wRC+ 124 SS賞
02年 三位 勝率.574 wRC+ 118
03年 二位 勝率.574 wRC+ 112
04年 最下位 勝率.389 wRC+ 131
05年 最下位 勝率.426 wRC+ 106
06年 最下位 勝率.481 wRC+ 106
07年 二位 勝率.543 wRC+ 122 SS賞
08年 最下位 勝率.377 wRC+ 102
09年 三位 勝率.525 wRC+ 125 SS賞
10年 最下位 勝率.377 wRC+ 110
11年 最下位 勝率.414 wRC+ 79
12年前 最下位 勝率.433 wRC+ 77
12年後 優勝 勝率.567 wRC+ 114 イチローはもし強豪球団に在籍していたら成績がはるかにアップしていた可能性が濃厚というデータ
861神様仏様名無し様2022/10/26(水) 13:31:24.64ID:CUFHDrzK
>>856
なおマがネタにされたのに負け試合はほとんど打ててないのが事実
それが年間100試合あった暗黒マリナーズ
なおマやなおエのせいで弱小なら成績稼げるとネットで勘違いされる始末
2001年
勝利試合 532打席
打率.393(494-194) 7HR 58打点 48盗塁
出塁率.428 長打率.528 OPS.956
敗戦試合 206打席
打率.242(198-48) 1HR 11打点 8盗塁
出塁率.262 長打率.278 OPS.540
2004年
勝利試合 309打席
打率.447(284-127) 6HR 32打点 18盗塁
出塁率.482 長打率.570 OPS1.053
敗戦試合 453打席
打率.321(420-135) 2HR 28打点 18盗塁
出塁率.369 長打率.376 OPS.745
2011以降
勝利試合 1640打席
敗戦試合 1755打席 通算勝利試合成績 5395打席
打率.344(4905-1688) 81HR 524打点 287盗塁
出塁率.393 長打率.462 OPS.855
通算敗戦試合成績 5339打席
打率.279(5029-1401) 36HR 256打点 222盗塁
出塁率.316 長打率.344 OPS.660 以下のような背景による必然的な結果なので、「たまたまそういう数字になった」という訳では決してない
チームが強いと有利な理由(弱いと不利な理由は、以下の真逆を考えればよい)
投打共通
・チームが優勝争いしているとモチベーションが上がる
・チームが雰囲気よくなる
打者
・マークが分散する
・打点が稼ぎやすい
・打順が多く回るので累積記録は有利
・守ってる時間が短くなるので負担が軽い
投手
・援護が増えるので勝ち星などに恵まれる
・守備が良い方が記録は有利
・リリーフに失点防いでもらえる
・他の投手も強いと無理使いされにくい こいつはこのコピペ以外何も語れないと思うな
まあ西武スレに出てくる時点でお察し ヤンキースタジアムは左有利、右不利。右打者でヤンキースを出て成績が下がった選手も多いが、これは強豪チームのメリットがなくなったから(逆に、ヤンキース時代は強豪の恩恵で成績が上がった)
■松井秀喜
2009年 ヤンキース
142試合 打率.2741 28本塁打 90打点 OPS.876
2010年 エンゼルス
145試合 打率.2738 21本塁打 84打点 OPS.820
■ソリアーノ
2003年 ヤンキース
156試合 打率.290 38本塁打 91打点 OPS.863
2004年 レンジャーズ
145試合 打率.280 28本塁打 91打点 OPS.807
■カノー
2013年 ヤンキース
160試合 打率.314 27本塁打 107打点 OPS.899
2014年 マリナーズ
157試合 打率.314 14本塁打 82打点 OPS.836
■スウィッシャー
2012年 ヤンキース
148試合 打率.272 24本塁打 93打点 OPS.837
2013年 インディアンス
145試合 打率.246 22本塁打 63打点 OPS.763
■カブレラ
2009年 ヤンキース
154試合 打率.274 13本塁打 68打点 OPS.752
2010年 ブレーブス
147試合 打率.255 4本塁打 42打点 OPS.671 >>956
2004以外はチーム成績と個人成績が綺麗にシンクロしている
年齢が要因ってことはないよな(2007、2009とか高齢なのに好成績。2005,2006はもっと若いのに不調) ソリアーノ
NYY2002年 OPS.880 wRC+131 キャリアハイ
NYY2003年 OPS.863 wRC+124
TEX2004年 OPS.807 wRC+98
TEX2005年 OPS.821 wRC+108
WSH2006年 OPS.911 wRC+129
CHC2013年 OPS.754 wRC+104
NYY2013年 OPS.850 wRC+131 すごいな
全部当該スレからのコピペだ
例えばここに合わせて西武ネタとかは当然できないんだよな
コピペ野郎だから まああと35レスしかないから
好きなだけコピペで埋めてくれや 自分の主張に合うわずかな例を挙げただけじゃ
仮説の検証にもならないんだ
そういうの学校で習わなかったかなあw 黄金期の強さはここぞという場面でのチームプレイでしょ。
個人個人が戦っている下位チームとは、総合力が違うし、フロントも監督もチームプレイをちゃんと評価してたしな。
それが坂井根本が去り、野球知らないフロントになってからは……。 坂井はもともと福岡野球の代表だったし、根本も福岡野球(クラウン)最終年の監督
西武になったとき、そのまま留任した
もし福岡野球にいなかったら、野球経験のない西武が自力で招聘できたとは思えない
その後の西武の運命は変わっていたと思う スマートで爽やかなイメージの選手が多くて、ライオンズというチーム名とはギャップがあったね 和名というか中華名で獅子というのは語呂もいいし
ヤクルトというか手塚治虫が事業失敗したせいで、レオのキャラクターも
入手できた。
西鉄と西日本の合併でたまたま一般公募で選んだありふれた名前にも
関わらず、西武球団においては継承できてよかったんじゃないの 普通は同業他社に出さないし、要請しないだろうな
オリックスとガンバに似たようなキャラクターを提供したデザイナーは
他スポーツだからと考えていたのかねえ
そもそもあのオーナーはレオマークが取れなかったらライオンズ改名する予定だった。 841神様仏様名無し様2022/10/25(火) 21:38:17.02ID:gljtX6AQ
>>840
君も2004年しか見てないでしょ
ワースト成績はほとんどチームが最下位なんだけど
PS争いしてる時に成績が上がってるのは明白
年齢どうこういうなら2005、2006がこんなに低いのはおかしいよね
ヤンキース移籍で成績跳ね上がったのもチーム成績で納得いく
2013年はWC争いすらしてないからまた下がったし
2004年にキャリアハイを出せたのは新記録のモチベーションがあったからだろうし最下位も初めての経験だったからね
それでも勝利試合はOPS.1053 敗戦試合はOPS.745だったからだいぶ成績損してるが
01年 優勝 勝率.716 wRC+ 124 SS賞
02年 三位 勝率.574 wRC+ 118
03年 二位 勝率.574 wRC+ 112
04年 最下位 勝率.389 wRC+ 131
05年 最下位 勝率.426 wRC+ 106
06年 最下位 勝率.481 wRC+ 106
07年 二位 勝率.543 wRC+ 122 SS賞
08年 最下位 勝率.377 wRC+ 102
09年 三位 勝率.525 wRC+ 125 SS賞
10年 最下位 勝率.377 wRC+ 110
11年 最下位 勝率.414 wRC+ 79
12年前 最下位 勝率.433 wRC+ 77
12年後 優勝 勝率.567 wRC+ 114 西武特急にちなんでレッドアローズとかも考えたそうだけど、ライオンズのままにしてよかった
キャラクターとしてもライオンは親しみやすいし、強そうなイメージもある
ブコビッチのようなライオンっぽい選手もいた スマートでさわやかなイメージの選手 そんなにいたか?
体重は厳重管理でデーブですらあのレベルで留まっていたが
秋山 田尾 これはガチ
ハゲる前のナベQ 太る前の伊東 バット投げる前の清原 潮崎 吉竹春樹 こんくらい?
石毛田辺辻の内野陣は爽やかではないな 1983年、勝率683をマークし大独走した当時のベストオーダー
1 山崎(ダンディ)
2 立花(見た目ダンディ)
3 スティーブ(ズラのダンディ)
4 田淵(ダンディ)
5 大田(ダンディ)
6 テリー(ダンディ)
7 片平(ダンディ)
8 黒田(ダンディ)
9 石毛(見た目ダンディ)
P 東尾(ダンディ) 好調の田淵が戦線離脱して失速するかと思ったけど影響が全くなかった。 >>978
当時の他のパ・リーグの他のチームに比べたら、そら爽やかに見えるよ。 広島VS近鉄の日本シリーズは893が野球大会をやってるように見える 大田の引退でいよいよ典型的オッサン体型選手が消滅。
大久保は後で言ってたが仮にトレードする場合は
堤オーナーの承認が要る選手だったけどそんな寵愛選手でも試合では使われなかった AK砲が西武で監督できないとは当時は夢にも思わなかった >>987
ちょっとムリあるなあ
間に小野ヤスシぐらい入れないと このスレッドは1000を超えました。
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