中継ぎ投手より実力が下なのに抑えやってた投手
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JFKのK久保田とか、今のソフトバンク森(モイネロのが打ちにくい) 8回はまだ反撃ムードがあるので8回に凄い投手をぶつけて反撃の根を潰すのが今のやり方
絶望感の漂う9回はベテラン投手にじっくり料理して貰う感じ。 だから山井の日本シリーズの時も8回でも降板させても良かったくらい山井の状態は
良くなかっただったけど8回は続投させた
8回で山井を降ろしてたら若しかしたら不味い状況になったと思う。 >>46
今の1イニング起用だともったいない気がするが斉藤の時代の抑えが100イニング前後投げる時代だとどうだろうな >>47
他人の尻拭い
たった1球の失投、ミス、たった1本のヒットで試合が壊れて責められる一番厳しくて損な役回り
ブルペンでの徒労に終わった投球練習は成績にカウントされない
いくら良い成績でも、沢村賞はもらえない、エースと呼ばれない、完全試合もノーヒットノーランも一生涯縁がない
短期集中酷使で短命が極めて多い 中日にいたソンドンヨルって、先発で使おうとは思わなかったのかな?
あれ本当は先発3〜4番手ぐらいの実力あるけど抑えやってた感ある >>54
本国でクローザーに転向して結構経ってた
流石にあの歳から先発再転向はリスクあったのでは
宣入団時時のドラ自体(95年オフ)確固たる抑え不在やったし >>54
1年目の阪神戦で先発して2回途中5失点?のフルボッコだったな 当時の阪神に通用しないというのはプロとしての死刑宣告のようなもん >>54
宣銅烈は当時の韓国野球のストライクゾーンが外に異常に広かったのを味方につけた投手
右打者の外にスライダー投げてれば先ずバットが届かないからな
だがNPBは韓国よりゾーンが狭い(ちなMLBに至ってはNPB以上にゾーンが狭い)ので韓国時代のやり方では通用しなかった >>63
来日一年目の低迷はその辺が原因だったのかな
二年目以降しっかり適応したようだが >>67
本拠地がナゴドに代わったから強気のピッチングができたのかも マリナーズの投手で抑えの佐々木が一番球が遅かったのにはゾッとした。 >>67
2年目以降、対応したのは流石ですが、他に韓国野球、球場の照明が暗い気がする、
後やはり当時のNPB特有のラビットが原因かな。 >>65
西武時代に抑えやってた西崎は球速表示さえ140キロ前後と遅かったけど、
確か松阪の後出てきて投げたんだけど解説者も言ってたけど松阪が先発で150キロ連発してたんだけど
それよりはるかに速く見え打者も松阪以上に捉えられない感じの140キロの球放ってたイメージあるんだけど。 ソンドンヨルは1996年は防御率は5.50だったけどDIPSやFIPの指標はそこまで悪くなかった 西崎のプロ一年目はそう速くなくスライダー投手の印象だった
2年目以降どんどん速くてキレが良くなった印象
阿波野は逆にどんどんキレが悪くなっていった
阿波野のデビュー戦は藤井寺で見たが無茶苦茶速かった
それまで小野が速いと思ってたが、比べもんにならんかった
しかし、野茂が出てきて、これまた阿波野と異次元の速さだった >>74
当時の近鉄は、特に左腕や高卒1,2年目の投手にたいして酷使する方針があったよね。
右腕で言えば高卒2年目で潰した山口哲治、左腕で言えば石本とか。
吉井もそんな感じで抑えで酷使されてたけど、いい具合に先発転向、ヤクルトトレードで事なきえたよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています