中継ぎ投手より実力が下なのに抑えやってた投手
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JFKのK久保田とか、今のソフトバンク森(モイネロのが打ちにくい) 久保田はウィリアムス藤川らと比べたら絶望感が数段劣っていた 実際抑え投手ってそこまで重要でもないみたいな研究結果あるよね 先発でもそこそこやれた盛田幸妃>先発で通用しなかった佐々木主浩なのはわかる 今の森唯斗や中継ぎロケットボーイズ時代の高津
攻略できそうにみえて追いつくまではなかなかいかない感じのクローザー
隙だらけに見えて一線は越えさせてくれない女みたい 日ハムは金石マイケル中村武田久と球速の無い、
素人目には何が凄いのか分からんのが代々ストッパーだった 広島三連覇時代のジャクソン→中崎
中崎もランナー出しつつなんとか抑えるタフな投手だったが、特に最初の年のジャクソンは圧倒的だった 96年〜01年までの巨人はみんあどんぐりの背比べみたいな感じ?
木田、西山、岡島、槙原 中継ぎのが抑えより重要だから中継ぎやらせてるとか言い出す監督いるけど
実際は抑えが名誉職で実績あるやつを外しにくいだけ
05で久保田が抑えだったのもその年まで久保田のが藤川より多少実績あったからで翌年中盤でひっくり返ってるし >>5
それ言ったら中継ぎも抑えもそこまで大事じゃないし
試合に対する影響力だと野手60、投手40(先発25、中継ぎ抑え15)くらい
そしてここから1人頭で割ると >>17
87年はサンチェ角鹿取を順番取っ替え引っ替えでやってたな ギャラードよりは落合英二や中継ぎ時代の岩瀬の方が上だった? 巨人西村がクローザーやってた時も
山口マシソンの方が信頼されてたかな 抑えやってた時の西村は「あの西村が?」感があった
抑えであそこまで花開くと思わなかった >>22
対戦はもちろんないけど、TVで見るとソフバンはモイネロはおろか、他に森より球が速い
投手はたくさんいる感じだし抜群にコントロールが良いわけでもなく、とんでもない変化球が
あるわけでもないのになぜサファテの後釜が森なのか個人的にわからん。 森とかかつての中崎は盛大にやらかさないから抑えに留まってる感じだよな
一回沈んだらもう特別扱いされんだろう 大塚は中日では逆に岩瀬に劣ってたな
岩瀬でさらりと8回切り抜けて9回大塚がピンチという場面が何度か見られた ファルケンボーグと馬原
モイネロも絶望だけど、ファルケンは四球も少なかったからワンチャンも作れなかった 最終回よりも7回8回を抑えることのほうが重要視されてる。
「メジャーもそうだ!」と某メジャー経験の投手が・・ 永川沢村大竹山口俊も酷かつた
西武鹿取とか
リベラとマリオ好きだつた 大塚のVスライダーはまさにvictoryのV
WBC優勝をVスライダーで締めくくった大塚はその後あまり見かけないな >>5
西武はここで打たれたら逆転、流れが変わる時は、5回くらいでも鹿取潮崎投入してたね。さすがでしたよ メジャー時代の佐々木
メジャーではあの頃から中継ぎのほうが重要視されてた 晩年の槇原かな。
抑えの槇原が9回に試合を壊すから、
当時、20勝ペースだった上原に勝ちが付かなくなって、
槇原のせいで上原は20勝を逃すんじゃないかとヒヤヒヤしたっけな。 99年は槙原しかいなかったんじゃない23セーブしてる
桑田もダメだったよな アンチホークスからみて
摂津、ファルケンボーグだとこりゃ打てんわだけど
1点差で馬原ならなんとかなるかもという感じ。 クローザーなんてブルペンで一番好調な投手にやらせておけばいいとアメリカの野球ライターが書いてたな
昔の大洋みたく先発エース級(斉藤明夫)を態々抑えに配置転換するのは勿体無い選手起用という事だね
槇原や江夏は先発での限界が見えた時期での配置転換だったから適切だったと思う 8回はまだ反撃ムードがあるので8回に凄い投手をぶつけて反撃の根を潰すのが今のやり方
絶望感の漂う9回はベテラン投手にじっくり料理して貰う感じ。 だから山井の日本シリーズの時も8回でも降板させても良かったくらい山井の状態は
良くなかっただったけど8回は続投させた
8回で山井を降ろしてたら若しかしたら不味い状況になったと思う。 >>46
今の1イニング起用だともったいない気がするが斉藤の時代の抑えが100イニング前後投げる時代だとどうだろうな >>47
他人の尻拭い
たった1球の失投、ミス、たった1本のヒットで試合が壊れて責められる一番厳しくて損な役回り
ブルペンでの徒労に終わった投球練習は成績にカウントされない
いくら良い成績でも、沢村賞はもらえない、エースと呼ばれない、完全試合もノーヒットノーランも一生涯縁がない
短期集中酷使で短命が極めて多い 中日にいたソンドンヨルって、先発で使おうとは思わなかったのかな?
あれ本当は先発3〜4番手ぐらいの実力あるけど抑えやってた感ある >>54
本国でクローザーに転向して結構経ってた
流石にあの歳から先発再転向はリスクあったのでは
宣入団時時のドラ自体(95年オフ)確固たる抑え不在やったし >>54
1年目の阪神戦で先発して2回途中5失点?のフルボッコだったな 当時の阪神に通用しないというのはプロとしての死刑宣告のようなもん >>54
宣銅烈は当時の韓国野球のストライクゾーンが外に異常に広かったのを味方につけた投手
右打者の外にスライダー投げてれば先ずバットが届かないからな
だがNPBは韓国よりゾーンが狭い(ちなMLBに至ってはNPB以上にゾーンが狭い)ので韓国時代のやり方では通用しなかった >>63
来日一年目の低迷はその辺が原因だったのかな
二年目以降しっかり適応したようだが >>67
本拠地がナゴドに代わったから強気のピッチングができたのかも マリナーズの投手で抑えの佐々木が一番球が遅かったのにはゾッとした。 >>67
2年目以降、対応したのは流石ですが、他に韓国野球、球場の照明が暗い気がする、
後やはり当時のNPB特有のラビットが原因かな。 >>65
西武時代に抑えやってた西崎は球速表示さえ140キロ前後と遅かったけど、
確か松阪の後出てきて投げたんだけど解説者も言ってたけど松阪が先発で150キロ連発してたんだけど
それよりはるかに速く見え打者も松阪以上に捉えられない感じの140キロの球放ってたイメージあるんだけど。 ソンドンヨルは1996年は防御率は5.50だったけどDIPSやFIPの指標はそこまで悪くなかった 西崎のプロ一年目はそう速くなくスライダー投手の印象だった
2年目以降どんどん速くてキレが良くなった印象
阿波野は逆にどんどんキレが悪くなっていった
阿波野のデビュー戦は藤井寺で見たが無茶苦茶速かった
それまで小野が速いと思ってたが、比べもんにならんかった
しかし、野茂が出てきて、これまた阿波野と異次元の速さだった >>74
当時の近鉄は、特に左腕や高卒1,2年目の投手にたいして酷使する方針があったよね。
右腕で言えば高卒2年目で潰した山口哲治、左腕で言えば石本とか。
吉井もそんな感じで抑えで酷使されてたけど、いい具合に先発転向、ヤクルトトレードで事なきえたよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています