それまで活躍してたのに急激に成績が落ちていった選手
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衰えだせば成績が落ちるのはみんなそうなんだけど成績の落ち方がとくに悲惨だった選手 と思ってスレ見返したら松岡の名前がそれまで無かった
堀内も自分は晩年しか知らず、昔凄かった投手という知識はあったが
ヨレヨレの200到達というイメージ >>411
プロ野球の記憶がはっきりしているのは昭和49年から。王の2年連続三冠王に興奮させられたし、堀内は19勝11敗で安定感抜群だった。ただ、翌年は10勝18敗と落ち込んだが…。 >>410
北別府は高卒でプロ入りしてそこそこ早いうちから先発ローテに定着して
毎年コンスタントに二桁勝利をあげていたし年間300イニング級のやばい酷使もなかった
大きな年齢的衰えが来るまでに200勝達成が間に合ったって感じ 89年の北別府は二軍落ちしてシーズン中にミニキャンプまではったからな
それでも9勝したとはいえ、長年続いた連続二桁勝利が止まっちゃったのは残念 長い目で見ると、北別府とか東尾とか
そこまで球が速くなくて打たせて取るタイプの投手の方が
速球投手より選手生命も長く劣化するのも遅いのかもな
とは言ってもyoutubeにあった動画では、80年代前半の北別府は
当時のスピードガンで最速140kmくらいまでは出てる
91年の日本シリーズでは変化球主体で
ストレートも130kmを少し超えるのが精一杯にまで遅くなってたが 北別府は、あの江夏をして「普通の投手は球1個出し入れできればコントロールが良いと言われるが、ペー(北別府)は球半分の出し入れができる」と言わしめた投手だから、球速はなくとも活躍できたのだろう。でもまあ、20勝した年は結構三振も奪っている。 阪急山田は30代後半になっても200イャjング以上で余覧Tの二桁が当たb闡Oだったのに
規定投球回数ギリギリ、二桁ギリギリシーズンを経ることなく2年で引退 何だ、この文字化け。意味は通じたと思うけど
このレスも大丈夫か? 松岡って83年のオールスター明けから目に見えて成績が下降して翌年ハッキリとダメになったな
単純に球威や体力が落ちたのが原因だと思うわ、技巧派というより本格派だったしな >>416
シュートピッチャーだった分東尾のほうが衰え方が緩やかだった印象 >>421は>>415へのレスのつもりが間違えました 松中はケツ痛めた年以降めちゃくちゃ本塁打減っちゃったよね
流石に首位打者取ったりはしたけどあそこまでかわっちゃもんなのか
ドン・マッティングリーに近い感じ? 宇野って89年は生涯初の3割打って、90年は7月末くらいまで首位打者争いに加わってたよな
夏場から落合と一緒に仲良くスランプに陥って、そこから一気に翌年以降も転げ落ちちゃった感がある
せっかく打率開眼したと思ったのに何があったんだろう >>426
だから絶好調と絶不調は紙一重、ということよ。
絶好調の時はいつもと違う打ち方をしてるわけ。
いつもと違う打ち方が一歩間違えばいつも以上に打てなくなり、やがて迷宮入りするというわけだ。
これを衰えだと判断され、やがて本人も引退を決意するわけ。
絶好調になった時に絶好調時を思い出してはダメ。
普通に戻すべきなんだけど、それがまた難しい。 >>430
×絶好調になった時に
○絶不調になった時に そういえば金本も09年の開幕直後は1試合3HRを2回記録したり物凄かったんだが
その後は一転してホームランも打てなくなり、最終的には打率2割6分で21HRだった
これを境年年打撃成績は下降して行った
あの活躍が最後の狂い咲きだったな
まあ年齢を考えたら当然なのかもしれないが、前年まではすごかったからなあ 宇野はMr.オーガストって云われるほど8月に強かったから90年後半に衰えなければ凄かったんだろうけどな >>267
岡崎って通算906安打.266なんだ
もっと打ってるのかと思った >>424
マッティングリーも89までは神成績だもんなあ
95の引退まで20HR90RBI越えなし.300ガストの94年1回 >>437
それよく言われる話だけど
ダイエー時代は自由奔放にノビノビとやらせてもらってたが
移籍先の西武の管理野球に自身全く合わなかったから 横浜 波留敏夫
一年不調なだけでトレード、二年前はキャリアハイでなんでと思ったけど中日、ロッテでも活躍出来ず、
マシンガン時代に江川が解説で内野ゴロで一塁前Uターンを珍しく厳しい口調して波留を非難してたが案の定放出されたな、
まぁ横浜、中日でコーチ要請あるのだから幸せか、結果は残してないが 波瑠は脱税もあるからな さっさと放出したかったんじゃないか
トレード相手の種田も脱税だけど >>438
その頃に腰と足首を痛めたという話も聞いたことがある 村田勝喜は
西武に移籍してから、テイクバックが小さいフォームに修正されて
それまでの豪快なフォームが鳴りをひそめた
中日にトレードされてから、元のフォームに戻したが
ダメだった 村田勝嘉は
若い頃に滅茶苦茶投げてるな
完投も年間15くらいだったし
しかもフォアボールも多くて防御率も
悪いから投げた球数はヤバいくらいだ 高卒6位甲子園出場なしなのに2年目からローテ入ってた村田は当時珍しい存在だった 当時の南海晩年〜ダイエー初期は
村田、吉永、広永、若井とか積極的に使ったよな
佐々木誠が若くしてスーパースターで
活気あるいいチームだったが弱すぎた 記録で見ると平松も200勝までの数年間、下降線ではあったけどそれなりにやってたんだな
印象では堀内並のヨレヨレ達成なんだが
ただ200勝目がそのシーズン最後の勝利で翌年1勝10敗で引退 藤田(阪急)は1984年「伊東(西武)と藤田(阪急)のライバル・ストーリー」とか間違いなく
パを代表する捕手になると見てたが1988年の春先に高校出て2年目の中嶋を上田監督が
起用しはじめ「ほほう。ウエさん一流の藤田に刺激を与えるための起用だな。すぐに目が覚めた藤田が
レギュラーに戻るだろう・・」と思ってみてたら藤田はそのまま消えてしまった。 >>447
200勝目は対戦相手だった巨人の忖度くせーんだよなぁ
江川に並ぶ16勝目がかかっていた西本も序盤にフルボッコだったな
>>449
阪急ファンだったから藤田の凋落が信じられなかったわ
巨人時代には新人王を取った当時の豪快な一本足打法も消えててまるで別人の様だった >>449
藤田は優勝翌年の85年のキャンプで行動に浮ついた態度があったので上田監督がどやしつけたら萎縮してしまい、以後伸び悩んだ
上田にしてみればその前にレギュラーだった中沢は少々怒鳴ったくらいでは動じないタイプだったので、藤田にもそうなってほしいという親心だったが、完全に裏目となった 巨人時代の藤田は熊野同様もうオワコンだったな。
ベンチで声だけは元気に出してたけど。 藤田は86年はアニマルが抑えた後の「雄叫び」の被害を受けて強めのスキンシップでやり返していたがホームランは結構多かった
翌年以降は並以下の捕手の成績になり内田や若い中嶋にポジションを取られるように 東尾からのデッドボールで右手首骨折も要因としてありそう。 >>447
堀内も200勝する2年前まで13年連続2ケタ勝利だから
さほどヨレヨレではない
200勝してからヨレヨレになっても辞めなかった 藤田ってオリックス後はホフマン専用捕手やってたけど、仲良かったの? ホークス村田、ファイターズ柴田
西武の選手達が脱帽した投手 堀内がよれよれになった理由が見当たらないわ
晩年でも良いカーブ投げてるしな >>449
伊東と中嶋が後にチームメートになろうとは 堀内は疲労の蓄積と1976年からの飛ぶボールでしょ。
この年からダメになった投手は多いし。 パッジは薬物規制厳しくなった途端に打撃能力激減したよな
体も突然しぼんじゃって全然パッジじゃなくなって、100%確定だと思った終身打率3割も割ってしまった 2005年の新庄。
死球もあるが打率が6分下がった。
2006年も.258ながらOPSが.716と印象以上に悪い。
7割切るとスターの面目は保てない。
引退は妥当だったといえる。
表向きの理由、眼のせいにしてたのに・・・ 2004年が出来過ぎだった部分は大きい
その後の成績低下はとにかく、ラビット時代だったのも大きいか ガルベスも初年度が出来過ぎだった感じ
シーズンでも後半戦になったら結構打ちこまれる試合も多くなり
最多勝のタイトルは獲ったけど、防御率は3点台まで落ちた
それよりガルベスの場合、どうしても成績より素行の方に目が行ってしまう >>472
外人投手はそういう初年度がキャリアハイっていうケースが多いね
チェコは再入団なので他の投手との比較が難しいが、95年が実質NPB1年目のようなものだし
最近でもジョンソンやマイコラスとかが該当するし
初年度に活躍すると、翌年以降他球団から徹底的に研究されるからな 津野(日本ハム)おしゃれ度も群を抜いてたが勝てなくなると、おしゃれまで気を
使わなくなった感じだった。 マリオが甲子園で
平塚に逆転満塁ホームランを打たれたときは笑ったな
それまで順調にセーブを伸ばしていて、周りも過大評価ぎみだったが
この日打たれて、翌日のスポーツ紙の見出しが
記者どおしが申し合わせたのかと思うくらい
1紙(報知)を除いて、全部のスポーツ紙が「マリオ、ゲームオーバー」だもんな マリオはストライクからボールになるフォーク以外
本当に何も強みになる球がなかったからなあ
他球団がそれを見切った時点で完全に命運が尽きた まず小笠原が浮かぶ
スポーツってレギュレーションが変わるとそれまで一流だったのが凡百の選手になるということを知った
ちなみに統一球になって評価を下げたのが金森。彼の打撃理論では統一球には対応できないというのは当時よく言われてた 順調に衰えていったのがラミレス。
読売はよくそこを見抜いて見切ったな。 ホージーかな
ホームラン王獲った外国人が翌年首ってあんまない気がする >>486
ホージーはこういったスレではよく出てくるけどさ、そもそも1年目が不思議すぎるからな。
野村も不思議がってたからな。
あれだけ長打はない、と言われていたのに松井より打つわけだから。
翌年の13本ですら上出来。 近鉄の鈴木啓示は?引退前年の84年は16勝なのに翌年は前半戦5勝
しかも防御率が7点台で球宴前に引退表明だったか。 >>489
あの引退の年にラビットが導入されて、空前の打高投低だったんだよね。それがなければ鈴木啓は小山の320勝(あと3勝)は超えていたと思う。 打高投低だろうが、リーグ全体の勝ち数は変わらないのに 先発投手の勝ち星は変わるよ
5回までもたないことが増えるので 天下の草様になれば防御率7の自分なんか許せんでしょう 同じ頃、ヤクルトの伊東もリリーフで18勝して最多勝のタイトル獲得 これ、ピッチャーを入れたら
きりなくね?
肩を消耗して故障すれば
そりゃ成績はすぐにでも落ちるでしょ >>498
うんだからそういう選手について語るわけで。 そう考えると肩痛から復活してリリーフながら200イニング近く放った稲尾は凄いな >>498
定岡正二は肩肘をやった訳でもなく、球速もむしろアップしたのに急激に劣化したからネタになるんだよな
しかも劣化した83年はラビットが導入された訳でもなく途中まで最多勝取りそうな勢いだったし >>503
限定で2012年の交流戦途中までということで
この年開幕投手、6月の頭までに5勝して、ここまではシーズン2桁勝利ペースだった >>493
もう限界っぽかった山久はともかく、他のパリーグ四天王はまだやれそうなのに引退してるよね。 >>505
東尾は麻雀でやらかしたしそれを堤が許してくれるとは思えない
村田は重光に阪神移籍をダメにされたしロッテで続けようというモチベが保てなかったんだろう >>487
ホージーはよくバカにされるがヤクルト入り前年は3Aで「3割 30本」打ってる。
しかも27歳で。 ホージーは
ダイエーの根本も目をつけてくらいだから
もともと、悪い獲得ではない ベーマガ社が出した1996年度版のMLB選手名鑑で
ホージーは期待の若手扱いだったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています