長嶋は昭和47年ごろから衰えが見え始め、48年には衰えが顕著になった。
だから、48年のシーズン終了時に川上は長嶋に引退を勧め、自分の後任の監督になるように求めた。
長嶋は打線のブレーキになっていたが、観客の期待を考えると、長嶋をスタメンから外せないことに
川上は相当に苦慮していた。