南海ホークス23
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鶴岡親分率いる栄光の時代からどん底の低迷期、そして杉浦監督時代の涙の身売りまで
南海ホークスのことなら何でも語ろう!
福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークスの話題はご法度。
あくまでも南海ホークスを語るスレです。
南海ホークス22
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1591419571/ 西川佳明とかいう華麗なる経歴の持ち主
もっと活躍できると思ったけどな 西川は高校、大学でもう消耗していた感じが まだ六大学リーグ戦でエースの3連投が普通だった時代だし >>748
上宮は
81年春 ベスト4
88年春 ベスト8
89年春 準優勝
89年夏 ベスト8
93年春 優勝
97年春 ベスト4
典型的な春型のチームだったな
夏型は今では作新学院、聖光学院と言ったとこだな >>752の訂正
上宮は86年春もベスト8に進出していた 小学校の同級生の親父がホークスの二軍だったことからよく大阪球場に連れて行ってもらってたのここみて思い出したわ
まさかデータは残っていまいとググってみたら60年頃入団で一軍経験なしのまま5年ほどで引退してた
今となっては親父さんにもっと裏話聞いておけばよかったと後悔 野村が岩隈を毛嫌いしているのは鶴岡の息子さん案件だからか? そっちより近鉄嫌いから
金村が野村さんは金村が近鉄出身と知ったら
口も聞いてくれませんでしたわと言ってた 戦前の南海にいた劉瀬章って人、今でも唯一の中国大陸出身の一軍出場選手なんだけど、全く情報がないな。
中国生まれで現在の横浜高校である本牧中出身だから、恐らく移民一世なんだけど、
南海退団後の情報が没年以外一切ない。 >>667
わかってない
広島で讀賣ファンは転勤族
地の人間で阪神ファンはちょいちょいいる 阪神ファンなんて、藤村の出身地の呉の80歳以上の爺しかおらんが。 >>759
福山あたりだと、割と阪神ファンもいるという話があるな。
以前RCCの備後向け番組のパーソナリティをしていた小川久志(国際ビジネスコンサルタント)も
番組中で阪神ファンを公言していたし、
煙石博もRCCのアナ時代に「なんでもジョッキー」で備後地域に阪神ファンが多い事に何度か触れていた。
もっとも福山氏は岡山県に属していた時代もあったし、笠岡市・井原市とも生活圏が繋がっていて、
地理的にも広島より岡山に近いなど、広島・安芸とはまた様相が違う面もあるが。 >>667
谷繁は備北の東城町の出身だから、カープがあまり身近な存在ではなかったかも。 谷繁は原のファン&巨人とYoutubeで公言してる。
二岡は三次の出身で、栄養費を広島からずっともらっていたが裏切って巨人。
広島苑田部長に、引退するときに巨人ファンを告白。おかしくないか?これ。
阪神の基礎を作ったのは確かに広島県人だが、それはカープがなかったから。
呉を中心に岩国あたりまでは南海にシンパシーはある。鶴岡さんが呉出身だし、常勝軍団だったから。柚木、広瀬、国貞あたりも広島出身だし。
ただTV中継が昭和50年以前は巨人戦メインだったので、巨人ファンの絶対数が多いのは仕方ない。広島がすごく弱かったので。
https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/mouko/kiji/K20120327002918770.html そりゃー近鉄は球団職員が八百長斡旋してたからね
草が断って記事になったこともある
黒い霧直後に兼任監督に就任してチームの掌握に苦労した野村からしたら
そんなチーム嫌うだろうな >>763
https://www.sanspo.com/baseball/news/20200215/npb20021508000001-n1.html
金村義明氏、ノムさんは近鉄を嫌っていた?「面と向かって怒られた」
金村氏は個人的な意見として、野村さんが「近鉄をものすごく嫌われていた」と証言。「近鉄のやつはアホばっかりや」と話していたという。野村さんには「『何も考えんとバッティングしている』とよく面と向かって怒られた」と懐かしみ、「それも当たっていた」と苦笑いを浮かべた。 近鉄って本社が野球に力入れてなかったイメージ。
企業規模としては南海の数倍、グループ連結で1兆超えるんだから、その気になれば強化できそうだったのに。 野村の現役全盛期のころの近鉄は石毛やシュルツ時代の
オリックスのような弱さだったし監督の小玉自体が灰色だったり
どうしようもない雰囲気のチームだったな
土井正博や鈴木や永淵も自分のことだけ考えている砂漠のような雰囲気
清や佐々木宏一郎や坂東里親や若手の鈴木がそろってたまたま強くなった時代もあったけど
西本さんになってからようやく球団の体をなした気がする >>766
小玉って灰色なん?
オールスターも出てるし、ベストナインも取ってるけど 八百長疑惑があるのよ >小玉
選手に八百長斡旋していた球団職員が後々暴露したが、時間が経ちすぎていて
証拠が出なかったのと、その時にはもう引退していて処分されることもなかった
ただ、鈴木入団前の近鉄で長いこと看板選手だったのに解説を少しやっただけで
現場には戻らずその後は球界と没交渉だからな
きな臭さは残る晩年ではあった 週べ回顧にも書かれていたが黒い霧で処分されたのは西鉄の選手が多かったが
実はヤオ汚染度は近鉄の方が高かったと当時から言われていたんだそうだ
黒い霧発覚時には三原が怪しい選手を放出済だったので処分者が少なくて済んだらしい
野村はこんな事を回想している
ttp://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=051-20160411-01
処分を受けた選手たちの供述によると、実は南海戦でも敗退行為が行われたらしい。
私はその試合に出場していたはずなのだが、鈍いせいかまったく何も感じなかった。
ただ、当時関与が取りざたされた近鉄のショートが、ファーストに大悪送球をしたのは覚えている。
「なんだ、あれ」「アイツはスローイング音痴か」などとベンチで話していた。
それほど、とんでもないところに送球していたのだ。のちにその疑惑について知って、「なるほど、そういうことか」と思ったものだ。 >>765
東海道新幹線開業により名阪特急の利用者減少。
三重県や岐阜県のローカル線問題。
伊勢志摩のリゾート開発など、時代により幾つかの問題が発生していたから、
球団経営に力を入れるのは難しいでしょ。 >>769
なるほどそういや三原から追い出されてるな
小玉選手 小玉のことは知らんかった、、、あれだけミスターバファローズ的な活躍してるのに、
引退後は指導者含め殆ど表舞台に出てこなかったのは不思議だったが。 昭和40年ごろに子供会で日生球場に行ったが
殺伐とした雰囲気があったなあ
土井正博はあのままなら小玉になっていただろう
そういえば賭け麻雀してたんだか
安井・服部・ボレス・永淵・・・
それに比べると大阪球場は活気があったし雰囲気よかったよ どんでんは日生球場の近くで生まれ育ったのに、近鉄とは最後まで縁がなかったんだよな
(南海とは子供の頃にジュニアチームに在籍してた縁がある)
父親が阪神の有力なタニマチで、優勝パレードの車に乗せてもらえるくらいのファンというのもあるけど
子供心に近鉄の雰囲気の悪さとか感じ取ってたんかねえ 近鉄の負けっぷりはすさまじかったからね
20数勝90数負とか
打線の平均打率が二割行くか行かないかとか
小玉はそういう時代に孤軍奮闘してある意味犠牲になったのかも 80年代にボーイズリーグにいたけど周りに近鉄ファンなんて1人しかいなかった
そいつは筋金入りで近鉄に入社までして公私共に応援できるって喜んでたけどすぐに身売りになってガッカリしてたわ 藤田まことが近鉄ファンと聞いたときに
奇特な人がいると思ったことがある
さすがに西本さんになってからはファンが増えたけどな 優勝したし 近鉄のトリコロールのキャップ欲しいけどどこにも置いてないのな
京セラドームにもなかったしneweraショップにも南海のはあるけどトリコロールのは期間限定で一時期発売されたのみ
あれ太郎デザインで格好いいんだよなあ >>766
八百長の部分をのぞいたら、つい最近までのベイスターズに近いものがあるね。 南海がコンプラ的にまともだったのって、鶴岡御大の存在が大きかったんかな。
戦前、鶴岡が応召されると八百長蔓延ったっていうし、戦後復帰してやばい選手は一掃したときく。
池永もここの書き込みが本当なら人格面でNG出してとらなかったっていうしな。 鶴岡も野村も八百長に関しては許さなかった
三浦清弘も佐藤の件で野村が追い出した
野村がヤクルト監督として優勝した時に
鶴岡が野村の良さを質問されて
自分の食い扶持を与えてくれる野球に対して感謝を忘れないところ と
答えたことがある 確執はあったとしても 近鉄に関しては実力も無かったけど・・・
それなりに実力があったのにやらかした
西鉄や東映の選手への処分の緩和を読売が提案した時に
南海と阪急は一切認めなかったのは被害者だからこそだな かつてのプロ野球選手は、素行の悪い人が多く、監督の悩みの種だった。
昭和29年に高橋ユニオンズが結成されたとき、他チームは素行の悪い選手ばかり厄介払いの
ため譲渡してきたらしい。
ユニオンズの浜崎監督は「札付きの呑み助ばかり集まってきた」と嘆いていた。 >>780
https://toyokeizai.net/articles/-/330099?page=2
鶴岡は球団の期待以上の指導者になった。終戦直後は球界に野球賭博が横行し、
八百長の噂が絶えなかったが、鶴岡はチーム内の疑惑の選手を一掃した。
そして俊足の選手をそろえて「100万ドルの内野陣」を作り、南海を巨人と覇権を争う強豪チームに育て上げた。 そんな鶴岡にとっては監督の愛人ってだけで采配にまで口を差し挟む沙知代は
存在そのものが絶対悪にしか映らなかったんだろうな
実際外部の人間が介入してきて駄目になる組織なんてのはいくらでもあるが ちなみに浜崎さんはいつも最高齢入団や投手勝利で出てた人。
慶應出身でその縁で阪急の初期の監督をしてた。
阪急は南海よりケチでほとんど他のチームに取られていた。
鶴岡さんとは広商での先輩後輩、あの黒田の父親を譲られたとwikiにはネガティブに書かれている。
広商の恩師石本も一時西鉄投手コーチでいたから、指導者レベルで同じリーグに先輩が2名もいたら
やりにくかったろうね。 沙知代は南海ヤクルト時代によく口出ししてたのは有名だけど阪神時代もやってたのかな? 香川伸行ってなんであんなに病的に太ったんだろう
高校時代から恰幅は良かったけど、プロでどんどん肥えたよな
スポーツ選手としてあり得ないし、もっと球団をあげて減量させるべきだっただろ
最もあの身体でもそこそこ打てたから本人も痩せる気なかったのかもしれんが 痩せさせようとしたけど、失敗したんじゃなかったっけ 近鉄は西本以前に千葉・別当・三原によるチーム改革があって
千葉は弱々しい「パールズ」の名称を変えたり読売からある程度管理野球を導入した(選手がついてこれずドベのまま)
別当は若手の土井や佐々木らを抜擢したりデータ野球を駆使してAクラスに躍進した(翌年には息切れして辞任)
三原は三原マジックやチーム浄化を推し進めて優勝争いに食い込んだ(近鉄と何か揉めたらしく翌年辞任) 土井正博や永淵の移籍が
近鉄の古い負の体質からの脱却やったんやろな
野村解任の後、それができなかった南海は沈んでいった そりゃ古い南海に戻そうとしたのが
野村解任以降なんだから。 香川のサードコンバート大失敗から始まって
86年はずっとサードを固定できなかったという
週刊ベースボールの記録の手帳の記述は今でも覚えてるな
覚えてるだけでも香川、湯上谷、岸川、中尾、藤本博、
小川史、池之上など守ったが固定できなかった
翌年はハモンド採ったけどあまり打てなかったし
藤本博史がハマるまで時間かかったよね
久保寺の逝去は本当に痛かっただろうな >>782
阪急は寧ろ加害者だろw
佐藤公博を中日にそ知らぬ顔でトレードして中日のヤオ蔓延を作り出した張本人だぞw アホかお前
なら黒い選手を放出しまくった鶴岡や三原は加害者かよ ブレイザー招聘は川勝オーナーの意向じゃないかな?
鶴岡流原点回帰のために広瀬を据えたけどさっぱりで、
本当は野村を呼び戻したかったけどそれは無理な話だから
ヘッドコーチだったブレイザーって形で
あくまで推測でしかないが 野村の兼任監督の就任自体が近代化へのトライだったんじゃないの。南海にとって。
でも、南海は今まで鶴岡に丸投げの属人的な運営しか知らないし、同じように野村に丸投げしてしまった。
野村の場合は現役の四番正捕手に加えて、監督までさせてしまうものだから、全権委任状態。そりゃ私物化もさもありなん。
程なくしてサッチー介入が目に余るようになるけど、放出できなかったのは、川勝の寵愛以上に、クビにするとチームが崩壊するのがわかってたからでしょう。
そりゃ一個人に委任させすぎだもの。で、追放したら、案の定万事休す。
やはり、蔭山急逝が予想外とはいえ、野村のプレイングマネージャーは性急すぎたとしか言いようがない。
球団のミスだと思う。飯田はともかく、杉浦でも岡本でも、ブレイザーとかでも候補はいたと思うし。 カルロスゴーンの日産と似ているな
ゴーンに頼らざるを得なくなり、実績を上げれば
会社への要求は高まっていく。
バブル当時の住銀の磯田も最後は娘に画商やらせていたんだか・・・
ある一線を超えるとオーナー企業でなくても私物化が始まるな 1950年の日本野球連盟分裂で阪神は判を押した。押してない。でうまく立ち回った。
いっぽう南海はこっち(パ)は大手私鉄がそろっているし、読売より売れている毎日
がいる、と。判断は揺るがなかった。が、後年、テレビ時代になって読売が系列
テレビ局をつかって巨人戦を放映しまくる。南海には致命的ダメージの判断だった 毎日新聞が野球に関して頼りないからなぁ。
初代チャンピオンでも大映に乗っ取られたし。
毎日新聞ってTBS MBS系やね?
間違ってたらごめん。
ミサイル打線えげつないほど強いけど、
阪神ダイナマイト打線から引き抜いたから優勝できたのであって。
10年後の西本オリオンズも何故か阪神から田宮引き抜いて優勝。生え抜きの山内も後々阪神に。 田宮は10年選手制度のボーナス支払いを阪神が渋っての放出でしょ
半分クビみたいなもので何故もクソもない >>802
TBSがスポーツに絡むとろくなことがないってのは
ベイスや大阪世界陸上やバスケW杯といった今世紀に入ってからの黒歴史の数々のせいだけど
大毎オリオンズとパリーグの顛末を見るに、その種ははるか以前に蒔かれてたんだな >>796
鶴岡や三原はほぼ戦力外で斬ってるが
阪急佐藤公博はそ知らぬ顔で交換トレードしてヤオ押し付けてるからな
読売の提案に反対したのが阪急と南海だけってのも他球団からしたら良い子ぶりやがって!日シリで読売に勝てない腹いせかwww と思われてたかも知れんぞw >>802
ところが毎日系は肝心のTBS自身が毎日系列色が強まるのを嫌って毎日放送をテレビネット系列から外し(1975年まで)、読売資本も入っている事を盾に
後楽園のテレビ中継権獲得に執心し、断られた後もセ・リーグに属する大洋戦の中継権を取得し、巨人戦中継の補完の役割を担う恰好となってしまったという。
まして中日資本のCBCも系列化したしなあ。
TBSがそんな調子だったお陰で読売・日テレ自身はテレビ系列形成ではTBSに後れを取ったものの、ことプロ野球についてはマイナスにならなかった(寧ろ巨人戦
がホーム、ビジター問わず全試合全国中継される恰好に)という。 >>804
国際プロレスを忘れてはいけない(´・ω・`)
初回中継で自他共に認めるプロレス世界王者ルー・テーズに対して、TBSがエースに据えようとしたプロレス入り間も無い若手レスラーへの負けヤオを要求し、
テーズが大激怒でガチモードとなり、慌てたセコンドが「マジで殺されるぞ!気絶した振りしろ!」と開始早々に気絶ノックアウトと赤っ恥な船出となったという・・・・。 >>804
TBSは知らんけど
大阪毎日は伝統あるアマスポーツの殆どで主催だったわけだし
日テレと比べてラグビーもアメフトも毎日の実況の方がまともなのもそのおかげだからな TBSはF1も放り投げてるし。
ラジオでは野球中継自体を放棄したし、大相撲も人気が低下したら捨ててるな TBSといえば、サッチー逮捕直前の頃
野村がドラフト会議を終え会場を後にしようとしたら
エンタメ班がサッチーのことばかりを突撃取材したことがあった
当然阪神はこの行動に激怒してしばらく取材禁止のお達し
実際に被害を被ることになったスポーツ班は激怒し
局内に亀裂が走ることになった >>807
ホークス福岡移転後の大阪球場で行われたUWFの試合の主催者は
毎日放送でしたな。 >>807
キックボクシングの沢村忠をスターに祭り上げてブームが去ったらキックから撤退したのもTBS
沢村の対戦相手は素人に毛が生えたレベルの選手だったことが暴露されている
亀田兄弟をバックアップしたのもTBSだし伝統的にそういう体質の様だ >>799
鶴岡監督も当初は選手兼任監督で、四番で三塁手だった。打点王、MVPを獲得する一流打者だった。
だから、鶴岡を見習えば野村もできると南海は考えたのではないか?
公私混同と言っても、チームの経費で飲みに行ったりくらいはあるかも知れないが、愛人が采配に
介入してくるなど予想もしなかったのだろう。
ブレイザーや高畠のような腹心がいるのだから、迷ったときは腹心のコーチに聞けばいいのであり、
愛人に采配を口出しさせるなど、ふつうは考えられない。
私物化というより、選手兼任監督の重圧で、野村は精神的に病んでいたのではと思う。
野村に対して、「大丈夫か? 最近疲れてないか?」など声をかける人が必要だった。 >>806
ABCもTBSの朝日資本を盾に、朝日新聞からのNET系へのネットチェンジ要求を長い間断り続けていたな。
野村はMBSよりABCとの方が親密だった様だ。
過去に既出のLPレコード「たたかうノムさん」もABCの協力だったし。 だいぶ話が逸れるが、TBSラジオが野球中継をぶっ潰して始めたアフター6とかいう番組は糞過ぎて聴いてられない >>815
鶴岡さんはほぼ隠居だから罪はない。むしろ、蔭山の任期をつないだ感じで、ご苦労さんな感じ。
格的にいうと、穴吹、岡本、杉山に一旦禅譲で、大筋は仕方ない。
残念ながら、その後は野村であることは致し方ない。年齢的にも、格としても。
パリーグ随一のスターであったのは事実なんだから。 >>697
阪神がパ・リーグにいて毎日本社がもう少し頑張ってくれてれば。
更に長嶋が南海、王が阪神に入っていれば歴史は変わっただろうな。
そうなると近鉄は大映、高橋の運命を辿ったかな。 >>819
長島が南海に入った世界線ではノムが逆に巨人でボヤいていそうだw >>820
野村と森のどちらが生き残るか見物だなw >>815
野村が孤立化してたのは事実やろね。
それに加えて有形無形のプレッシャー。 選手兼任監督は、監督業に重点を置いてあまり出場しなくなるケースも多い
西鉄の中西監督は、故障もあったが、ほとんどスタメン出場しなくなった
野村監督は監督になってからも出場を続けて、四番を打ち続けた
選手兼任監督としてはかなりめずらしいケースだと思う
だから、心身の消耗も激しかったかも知れない 王が阪神入団でも軽く400号打てるスラッガーになってるんちゃう?ミスタータイガースやな。
長嶋も南海やったらミスターホークスや。
ノムが先入団してるし、ノムとセゲオでNN砲やな。
王が阪神やったら田淵は巨人かな?
ホークスの監督も田淵、王やなくて
ノム、長嶋監督やな。 >>823 兼任で選手としても成績残したのは鶴岡さん、別当さん、ノムくらいやな。
中西は優勝もしとるし、任期は長いけど、試合にはあまり出とらん。びっくりしたのは通算1262安打しかしてない。3連覇までがピーク。ケガと腱鞘炎に悩まされた。 >>819
王が阪神だったらタニマチに連れられて遊びまくって終わってるわ。
巨人でも荒川が来るまでは夜遊びしまくって、
再会した荒川に「遊びだけは負けません」とぬかして荒川が呆れたぐらいだからな。 村山は監督時代も投手としての登板がそれなりにあったけど、
1972年シーズン途中から、監督の肩書のまま投手に専念して、
金田正泰が代行を務めた。 >>825
中西監督はケガもあったけど、「監督の自分が出て打てなかったらどうしよう」という
プレッシャーで出場できなくなったらしい
豊田が「監督、ここは出て下さい」とうながすこともあったが、なかなか出てくれなかった
こういうのが兼任監督の難しさだと思う >>826
そのくらいの少し気を抜ける部分があったからその後の血の滲む様な特訓にも耐えられたんだろうな。
それが無いと投げ出すか、逆に榎本みたいになっちゃう。 野村は沙知代以外はあまり遊んだ話を聞かないな。
公営ギャンブルやパチンコや麻雀や遊郭などとは縁が薄かったんだろか >>814
非常に興味深い内容だったけど、TBS側の余計な介入が国際側のシナリオや目論見を大きく狂わせたとの認識は変わらないなあ。
本来なら3本勝負の2本目に持ってくる内容(1本目で大善戦するものの、体力を使い果たしたのか2本目の開始早々力尽き果てた、みたいな。)で、
国際側もそれで「さすがに適わなかったけど、草津も意外と頑張ったよな。」という形にしたかったろうし。
>>816
そりゃあ毎日系については鶴岡さんが長年懸けて築き上げた強固な繋がりがあったからねえ。
鶴岡さんが毎日新聞から引っ張ってきた尾張スコアラーは野村にも付いていったけど。
野村からすれば一方で鶴岡さん、他方で阪神の人気に対抗すべく、ONに優るとも劣らない自分の実績や知名度を武器に毎日系以外のマスコミとの
関係を深めようとするでしょうし、ABC、YTVやサンスポ辺りからしてもシリーズ出場の際の放映権や取材を有利にすべく野村に接近したろうし。
その際には藤山寛美そっくりと言われた風貌(後に両方を足して2で割った風貌の岡田が出て来るが)も武器となったかな?w >>830
夜な夜な遊びに行く同僚を尻目に入団時から寮で黙々と素振りしてたくらいだし、
南海の三悪人と呼ばれるようになってもそもそも下戸だからそこまで遊べなかったちゃうん。
母親を楽にさせたい一心で頑張ってたというし。 >>828
中西は義父の三原からも見限られたからね。
阪神監督でも同じようなことをしてた気が…。逃げる、隠れる。
江本に馬鹿にされとった。
結局、稲尾にしても、コーチにはむいとったが、監督としての教育を受けてないんだよね。三原が独特すぎるのかも。まねでけんし。
専門のコーチとしては良いのだろうけど。 >>830
逆に言うとあんまり遊ばなかったからこそ沙知代にハマったんじゃない? それはワシも思ったw
遊び慣れてないから沙知代に引っかかったんじゃないかと >>826
親会社の関係を考えると、毎日にいた荒川コーチは読売に行くより、
元々縁があった王がいれば阪神に行った可能性も否定できない。
王と荒川はやはり出会う運命w 野村と長嶋が同じチームで仲良く野球をやる姿が想像できんなw 野村も暗黒化するまでは気の良い奴だったみたいだから、上手くいくんじゃね V9時代に巨人が野村のトレードを申し入れたってのもあったみたいね
当時の巨人はそんなに森が不満なのかって位に捕手を次から次へと獲得していた >>839
森は自らを脅かす選手が入ると必死になるから。
悪く言えば常に噛ませ犬を与えていたのだろう。 >>837
後の高卒苦労人の衣笠-大卒お坊ちゃんの山本浩二や、西本-江川みたいな関係になっていたんじゃなかろうかと。
実際、現役時代は鷹揚・能天気な長嶋と猜疑心が服を来ている様な野村と性格が好対照なのが逆に良かったのか互いが互いを認め合う関係だったし。
険悪になったのは、ヤクルト監督になった野村が球団営業対策として巨人や長嶋の事をボロカスに言ったりと遺恨を演出したのを長嶋サイドが真に受けた
と野村は認識していたけど、その根底にお嬢さん育ちの長嶋の奥さんが夜の街上がりで何かと出しゃばるサッチーを生理的に受け付けなかったという
面も少なからずあった様だ。
何でも監督復帰に消極的だった長嶋に対して、長嶋の奥さんが「あんな男がデカイ顔してアンタ悔しくないの!」と長嶋の尻をひっぱたいたとか何とか。 もっとも>>841で書いた話は、野村がお嬢さん育ちの本妻を捨ててサッチーに行った事を知っているマスコミの捏造めいた話ではあるけど。
それとも長嶋が監督復帰して欲しい長嶋シンパのマスコミ人が長嶋の奥さんにその話を吹き込んだか? >>840 ただ、ドン川上が性格が悪いだけでは?
そして、森のライバルをどんどん入れることで、森の性格がどんどん陰険になっていった。
長島は1次政権の時、森を入れなかった。ドンは激怒。のちの解任につながる。 阪神はええよな。
1回優勝しただけで大阪人は騒ぐのくせに
南海、阪急何度も優勝しても大阪人は騒がれへんもんな。近鉄も頑張っても、
パリーグの悲劇。
もう、阪神って宗教団体。
戦前戦後は名選手いたのは確か。
でも85年以降の暗黒期、選手も育てられへんし
大した選手いてないわ、外様と外人やし。
星野阪神は外様で優勝したようなもんやろ。
何に魅力感じるんや、奴らは。 >>844
南海はs34年の日本一で御堂筋パレードをやったり大阪中が歓喜した経験があるだけまだマシだろ
阪急なんていくら優勝しても恨み節を言われるだけだった >>845
南海西鉄戦は人気なのは知ってるけど、
1959年の御堂筋パレードの大阪市民は殆ど阪神に寝返ったんちゃう?当然、野球知らなん人いてると思うけど。
当時見てた少年ファンでご存命でも75歳以上やな。
南海西鉄当時の選手がご存命の人でも85歳以上
90歳以上やもんな。
団塊の70歳以下の世代はどうしても巨人阪神になるわな。
それにしても阪急は不遇すぎやな。 >>839
川上監督は森の打力に満足していなかったからかも知れない。
セリーグでは阪神の田淵、中日の木俣のほうがはるかに打力があった。
だから、つねに「もっと打てる捕手が獲得できれば」と考えても不思議ではない。
巨人の捕手は、森が出てくるまでは、数年置きに代わっている。
だから、もっといい捕手が出てくれば、森と代えるつもりだったのだろう。 85年頃の暗黒時代に田淵が南海監督をやったとしたらどれだけ負けるかな? >>847
森は水原時代の59年にインサイドワークを買われたのと前任者藤尾の肩と打撃を活かす為にレギュラー抜擢されたがセでは木俣が出てくる迄は寧ろ打てる部類の捕手だったけどね 森は貴重な左だったし、当時は捕手で打撃は期待されない時代。
田淵、木俣にくらべるとだが、巨人でクリーンアップを打った経験もあるから
>>847 の言うようにバッティングは悪くはない。性格は悪いけど。
ノム、古田、城島は守備と打撃、両方よかったのは珍しい。城島のリードは微妙だが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています