1985年日本シリーズ 阪神vs西武 Part1
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1985年の日本シリーズ 阪神vs西武について語ろう
阪神側の回顧だけでなく、西武が勝つためにはどうすればよかったか?
特に第5戦の先発は小野で良かったのか? マルティネスのベンチは全然物議をかもしてないぞ
97年は4月に一塁守備を見切られたが、消化試合で一塁に入れて
まだセリーグ本拠での守備起用を考えていたが
98年はDH解除による一試合だけの一塁出場でもう守備起用は想定されてなかった
98年の東尾のやらかしは
・第1戦の四番ペンバートン
シーズン終盤に左投手予告先発の決め打ちで起用したペンバートンが当たったので
日本シリーズでも採用した予告先発に悪のりして起用したが大外れ
97年の第1戦山田潤に続く2年連続のバクチ失敗
・第5戦の新谷晒し投げ >>532
98年は世の中が横浜を優勝させろって雰囲気だったな
セリーグのペナントレースからそんな雰囲気
しかも山一証券とか倒産した翌年で、横浜が優勝した経済効果は大きいとか言い出すから、
西武が優勝するのが日本経済の悪者にすらされた感がある 2005年のロッテとのプレーオフはここで西武が勝ったら一気に世間を敵に回すような
罪悪感めいたものがあって選手たちの体が動かなかった。若貴兄弟対決の一番みたいな
ものがあった。 ドジャースタジアムでポップコーンをどんな遠い位置からでも客にナイスコントロールで
投げ渡す名物おポップコーン売りおじさんが西武に応援に駆け付けて盛り上がった。
阪神の応援よりも質で勝った感じになって西武の応援側スタンドの雰囲気自体は熱気に
包まれていて阪神ファンに圧倒されている感じでもなかった。 西武グループ総動員で一先ずは阪神の魔物対策は出来たので甲子園で負け越しても
地元4試合で勝ち越せるかと思ったけど皮肉にも結果は逆になってしまった。 >>537
甲子園で負け越してたらシリーズそこで終了ですよ 中西太が阪神との日本シリーズは平和台でやれと言っていた
確かにあの頃の平和台ならライオンズを後押し出来たろうな しかし、小林繁も引退を早まったよな
もうあと2年待てば、再び優勝チームの
エースという栄冠に浴せたのに
少なくとも、58年の時点では
まさか近いうちに優勝できるなんて
思いもよらなかったんだろうな
そういう意味では、やっぱりバース様々だわな スポーツ選手の2年は大きいよ。
仮に引退した翌年にチームが優勝したらもう1年続けていればという気持ちが出るかもしれないが
引退したい気持ちが出てからの2年は長いよ。
だから小林本人は早まったもったいなかったなんて言う気持ちは少しも無かったんじゃないかな。 翌年、掛布が怪我で潰れてしまい、
阪神暗黒時代の到来となったわけだが、
今にして思えば、怪我云々ではなくて、
念願の優勝を果たして目標喪失したんだろな
原や宇野も骨折したりしてたけど、
その後も粘り強く現役をやっていたし、
掛布はあっさりしていたな この頃は一流選手ならむしろ引退後の方が稼げたからね
だから小林、江川、掛布と現役に固執しなかった
西本は江川が目標だったんで引退表明した時は「そりゃないぜ」だったとか
通算勝利だけは絶対に江川を抜くことを目標にしたそうだ >>542
小林は83年シーズン前に15勝だかできなければ引退するって宣言しなかったっけ?
ある程度辞めるつもりでいたんだろうけど、あの時代の阪神が2年後に優勝するなんて
誰も思っていなかっただろう。 しかし戦力的にはバースの差だけだよな、
小林の頃と85年の違いって
掛布、真弓、佐野、岡田あたりはいたんだし
バースだよな その小林の最終年は小林がいたにもかかわらず投壊状態で
てこ入れとして外国人投手オルセンの獲得に動く。
まず獲得時点で外国人枠の関係からバース、アレン、ストローターの
どれかをクビにしなくてはならずストローターが自由契約
次に一軍登録時点でバース、アレンどちらかを登録抹消しなくてはならず
アレンが登録抹消
83年のバースは前半戦調子が上がらずにどっちかのタイミングでクビもしくは
二軍落ちの可能性もあっただけに、もし間違った選択をされていたらと思うと… 85年シリーズは西武球場の外野席前3列を係員で埋めたんだよね 今と違って芝生席とフェンスの間に係員専用通路があってそもそも最前まで入れなかった セリーグ優勝決定のときの神宮でも、外野の前列には警備員がびっしり並んでいたよ
しかもライト側も阪神ファンで埋め尽くされていたw 昔の優勝シーンを見ると決定の時に観客がなだれ込んでたからね
そういうのって70年代までの光景なのかな
ロッテ優勝の時は観客が永田オーナーを胴上げしたんだっけか 昔の阪神時代の田淵のホームランの映像とか見ると、
普通のホームランでもおっさんがグランドに入って来て
3塁から一緒に走っていたりするからなw ダイエー初優勝のときは福岡ドームの外野スタンドから数千人のファンが墜落して大惨事になったな 僕からしたら小林はもうアップアップだった印象
開幕サヨナラ暴投でももうその兆候は出ていた ヒジ痛が酷く試合以外で全力で投げるのはきついので
ブルペンでは軽くしか投げられなかったというんだから・・・
それを隠すために1人で練習してたけどそれをある記者に見られて
「見ての通りもう限界だ。もう今年で引退する。だがこれはおれが引退するまで絶対に書くなよ」
と迫ったそうな その小林が日本シリーズの解説にいたけど
全然嬉しそうにしてなかったのが印象的
こいつ阪神に居たことが黒歴史なんだなって心底ムカついた
こんな奴が85に居なくてよかったよ
いても小林のおかげとしか言われないんだからな 小林は川藤に
「このチームは自分のことしか考えない選手ばかりだ」
「優勝するために一丸となる思考が全くない」
「だから阪神は巨人に勝てないんだ」
といつも苦言を呈していた
実際その通りなので川藤も「この先もそんなんで構わんのか、どうなんだよオッサン」と詰め寄られて何も言い返せなかった 秋山幸二がホークスに移ってチームのぶったるんだ空気に驚いたって話だが
それと近いものがあったんだろうな >>559
そういう精神だからダメだんだよ。
外から来た人の指摘に素直に耳を傾けて改善しようとせず、オレたちのやり方に文句つける
よそ者!という態度や振る舞いをする。定型的なダメな組織。 阪神はよい組織だよ。
成績に関係なく客が入り、球団に金が入る。当事者みんな満足している。
それを良しとしたく無ければ当事者の一人になって反対するか、背を向けて去ればいい。 むしろ徹底的に自分の事だけ考えてやって欲しいわ
ここで打てなかったらどうしよう、打たれたらどうしよう
みたいに必要以上にプレッシャー抱える奴が多すぎ
新庄みたいにここで打てばヒーローだ、的思想を持って欲しい だから勝てないんだよ阪神は
相手にプレッシャーをかけるところを自分から逃げてちゃ話にならんよ 逆に今の阪神って移籍組が権力持ちすぎ、
というか球団が与えすぎなような・・・ 金本、矢野と二代続けて選手としては外様だった人が監督だから、自然な流れでしょ。
自分が外様だったから外様選手の気持ちは分かるだろうし。 >>567
金本、矢野が外様というなら、真弓も外様 確かに、真弓だけ生え抜き扱いされているよな
若いファンなんて、真弓が生え抜きと思っている奴もいるくらいだからな >>571
あなただって真弓が外様という事実は知識でしかないだろ?
オレもそうなんだけどね。
実際にライオンズの真弓のバッティングやプレーについて記憶がある人なんて現在何人いるかという少なさじゃね? 真弓は現役の時から阪神のスター選手だったよ
掛布と一緒にCMに出ていたり
イケメンだからな 前にいた球団が人気知名度ともに社会人野球チーム以下だったクラウンだったのが大きいんじゃね
社会人野球→阪神入団と同じような感覚で見られている>真弓 真弓は今で言えば内川みたいなものだな。
前所属がプロじゃなかったから内外からも実質生え抜き扱いされる >>576
カネやんロッテはパでは人気チームで、あの超人アストロ球団とも対戦
してるんだぞw。弘田も日本シリーズではMVP獲ってるし。 弘田は山森にホームランキャッチされた選手。これマメな。 >>577
内川とは違うでしょ。
内川は横浜で首位打者にもなってるし、十分実績を残しての移籍だった。
一方、真弓はライオンズでの最後の2年間でレギュラーを掴んだ伸び盛りの選手だった。
規定打数を超えたのは最後のシーズン73年だけ。 田淵出して
真弓、若菜だけでもおつりがくるぐらい元が取れたよな
最高のトレードだったよ ブレイザー有能だな
https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0801/kiji/K20100101Z00002420.html
新生西武ライオンズの「チームの柱、旗艦がほしい」と根本陸夫監督が
田淵に目を付けて始まった2対4の大型トレード。阪神新監督に就任した
ドン・ブレイザーは、主砲田淵を手放すにあたって交換条件として1人
の選手だけはどうしても譲らず、それがダメならトレードはご破算、
と決めていた。それが真弓だった。ブレイザーは言った。
「彼は今のタイガースに欠けているものを持っている。第一に走れること、
第二に思い切りの良さ、そして体にバネがある。近い将来、チームを
背負って立つことになる」。 当時の根本監督がこのトレードで真弓だけは絶対出せないと最後まで抵抗したというびは有名なエピソード。
当時のブレイザー監督も真弓獲得ありきだった。
それだけ注目もされている選手だったしその後も活躍も納得。
新生球団での目玉ということで全国区田淵獲得という事もあり根本監督も相当の葛藤があったのは想像に難くない。
身売り発表後トレードはないというメンバーに真弓・若菜は入っていた。
その後真弓を取り戻そうと画策するくらいだったから。
でもパリーグの注目選手だった二人に竹之内選手がトレードした阪神でバリバリのスタメンレギュラーで活躍
あの巨人阪神戦で堂々とTVに映り活躍したのには嬉しかったし決してレベルが低くもなかったとも実感した。
ローカルのTVとは違って何倍も輝いて見えたなぁ 真弓がパリーグの注目選手だった?
クラウン最後の年に初めて規定打席に達した前年にレギュラーになったばかりの選手が?
78年の成績は2割8分、8本、34盗塁と、確かにこれからが楽しみな選手だが、まだまだ
自慢できる好成績でもないし。 広島移籍後の試合で球場がいきなり停電になってた。古沢も驚いたろうな。 当時、守れない走れないになっていた田淵を放出する気満々だった
上田監督は田淵⇔加藤秀司というオファーがあった事をバラしていた
近鉄には田淵⇔梨田、有田を持ち掛けたが西本に「非常識!論外だ!」と拒否された
出血覚悟のライオンズとのトレードが一番おいしいトレードだった クラウン青木専務は「真弓を阪神に推薦したのは俺」と書いてる、真偽のほどは不明 2割8分、8本、34盗塁って今の阪神なら救世主扱いされるレベル その後の真弓の活躍を見ると田淵のトレードが無くても西武の優勝はあったように思える。
阪神の日本一は無くなっていたが。 真弓は西鉄ライオンズOB会に今も来てくれる義理固い男
西武ファンだが真弓、若菜、竹之内対田渕、古沢のトレードは痛恨の極みだ >>590
青木は西武には呼ばれてないから嘘やろな。
ただ真弓は太平洋フロント陣から疎まれてた事は事実。
江藤が阻止しなければ後年の球界も変わっていた。 田淵に清原に松坂と西武は節目節目にトンでもない選手が入ってくる。
彼らの活躍無しには西武の優勝は無かったと僕は思う。 真弓は78年にオールスター、ベストナインにも選ばれている。
それだけ同リーグや他の球界関係者も【伸びしろ】に大いに注目していた証だと思う。
阪急全盛期のリーグで選ばれているから。
根本監督も新生西武の目玉にしたかった筈。
事実石毛入団前の79−80年二遊間はひどかった。それだけ真弓の存在は大きかった。 「トレードの目玉真弓!」
この一面を飾ったサンスポ関西版に青木がなぜか評論家として招かれた
真弓阪神入りをサンスポに売ったバーターじゃないかと思う 今なら
中田翔+吉川光夫←→小林誠司+吉川尚輝+陽岱鋼みたいなトレードか さすがの根本も真弓が首位打者に30本を打つ選手になるとは思わんかっだだろうな でもそれくらいになりそうな希望的観測はあったんだろうね 本当に1の主旨の内容からのものが無いな。
私のこのシリーズで両チームから感じたのは
西武は広岡→各コーチ→選手
と命令系統が確固として存在していた。
阪神は吉田監督は俯瞰
投手は土井コーチ→木戸→各野手→吉田監督判断
野手は一枝・竹之内→各野手 盛り上げ川藤
という風に。
あくまで俯瞰だが
シリーズ後に広岡監督が言っていた「年季の差が出ましたね」というのが
任せられてジャッジできる選手がそろっていて「上手く作用」したということに当たるのではないかと思う。円熟したチームが一つにまとまった強さには流石に敵わない
でも両刃の剣の面もありその負の面が翌年以降の阪神に如実に表れたのではないか?
良いときには隠れていたものが一気に噴き出して吉田監督の考えていた構想も押しつぶされたのではないか?
85年の西武はそうではなかったしリ・スタートではきっちりとした組織野球をまず皆に植え付ける段階ということで厳格にしたのでは?
それが翌年以降の黄金時代の基礎にもあったとも感じる。
石毛を中心として各人プロの集団になっていった。 >>591
2番バッターとすれば十分な成績だけど、
まさかクリンナップで首位打者まで取るような選手になるとはねぇー >>602
( ゚Д゚)ハァ?
真弓は1番打者だろ? シリーズ後に多くの評論家が首を傾げたように広岡監督が全く
阪神を揺さぶってこなかった。
仕掛けようと思ったらいくらでもできたはず。
何故しなかったか?
多分例を挙げれば
2戦のゲイルを攻める時でも満塁で広岡監督が片平に囁く仕草をするだけで
阪神も警戒心を強め、逆に片平も自分の得意なコースの見極めに集中でき絶えず繰り返された初球打ちや打たされた感のある凡打を断ち来れたのではないか?
ただそれけ
広岡監督が自分の思う展開の答えを選手にすぐ教えることにもなる。
果たしてうまくいって選手たちの将来の身につく結果になるのであろうか?
その答えを選手自ら出す過程を身をもって考えろということでのあの不動の姿勢だったのか?
その辺を野村氏は采配の不可思議の真意を測ろうとしていた部分ではないかと思う 逆に阪神は西武のそういう面にも助けられ
一気に日本一になった。
流れが変わったと言われた掛布の一発も主戦級でない小野から
次の一発は自爆ボーク後の万全でない渡辺から強引に打った一発
掛布の5戦第一打席も通常とは違う入り方で打ち気に早っている様にも見えた。が真ん中の球が来たから逃さず会心の一発を打てた。
解説の村山氏がその球を変化球で来るはずと読んでたが阪神側には良い形で
はずれた。広岡氏もその配球で伊東を批判していた。
だから紙一重。
伊東は一球の重みを思い知らされた。
たらればは良くないがもし変化球だったら。。西武の攻撃と同じように無得点
村山氏が危惧していたようにその後小野も立ち直ってあり程度まで投げれた可能性だってあったと思う。
短期決戦では余計
しかも次の試合でも岡田への配球、長崎の配球で試合を決定づけることに。
次の回も真弓のキャッチャーフライを捕り損ねてまた被弾
ダメ押しの結果に。
意外とその3本の本塁打が無かったら接戦に持ち込まれていた展開にもなった。
あくまでたられば
だから西武の選手の若さ・未熟さが出てそれを呑んでかかり勢いをつけて
5戦の5回以降一気に2勝し日本一になった。
管理野球に息苦しさを感じていた多くの野球ファンにもう一つの豪快な野球の魅力を見せてくれたという点にこの日本シリーズの魅力が集約されていると思う。
(大方のた、大部分の評価)、
その裏にもう一つの深いものがある
それを探っている >>807
ほんの数試合だけで「クリーンナップで首位打者」という表現はおかしいだろ。
82年も殆どの打順が1番なんだから。 >>604
本来ならクリンナップ打てるだけの力を持った選手だよ
ただあの時の阪神が
真弓同等、それ以上の選手が3人もいたから1番に回っただけだし
他球団なら確実に3、5番は打てる選手だ この年を最後に【生え抜き】の本塁打30本以上の日本人打者が出ていないという阪神も凄い。
。西武は何人も輩出しているのに。
何故こういう違いが出た????? ラッキーゾーン取ったことが大きいだろうねー
八木も28まで行ったからな
西武ドームはドーム付けただけで球場の広さは
変わってないからな 試合数の半分はビジター球場だし、主催試合もすべて甲子園という訳ではない
要は打てない奴はどこでだって打てないし、甲子園に特化してホームラン数が伸び悩んだ選手など実際のところひとりもいない 全試合の半分が本拠地なんだから
影響ないなんてありえないから 西武球場はドーム化したときに確か両翼5mセンターが2m伸びた。
球場というのはある面のひとつ
本質は【猛虎打線】とかつて言いながら全くその後自前の選手で作ることができない
育成面の問題かと。
いつも85年を懐かしがる気質もどうかと思う。
新しく歴史を作ればもっと良い流れになると思う。 このシリーズが両チームの分岐点になった。
日本一になった阪神が暗黒期に。
敗れた西武が黄金期に。
全く対照的なカーブを。
阪神が次の優勝をする2003年までの18年間でAクラス3回
西武はすべてAクラス 優勝は何と11回
それでも200万以上の観客を集め常に熱い応援をする阪神ファン
強くてもある一定までで観客動員が伸び悩む西武。
役者も華のある選手もいるのに。
そういう点でこのシリーズは興味深いし。
ファン気質の奥深さも感じる。 金本とか甲子園でも40本打ったから、阪神の選手がショボいだけ 有望な若手でもすぐやじって潰すファンも悪いよな
お前らファンなのか敵なのかわからんよ
中田良弘も言ってたけど7回表の時
ボール続くとざわざわするの投手にはすごくプレッシャーになるってさ
日ハムファンみたいに頑張れって応援しろよ糞ファンどもよ ブラゼルも阪神で47本も打ったしな
まともな外国人なら甲子園だって40本以上打てる もっと本質的な事を言えば
広島は30-40本打てる打者を何人も育成。
しかも他球団でFAなどで移籍しても活躍。
逆に阪神は他球団に行って劇的に活躍した選手っているのか?
自分が思い浮かぶのは北川選手位。
大きく打てるという天性を伸ばす
他の球団でも求められる人材
そういう育成の仕組みが阪神には中々根付かないと感じる。
阪神という球団の中でずっと行き来する生え抜きの選手たち。
多分気付いているOBは多くいると思うし色々取り組み実行もしていると思う。
でも何故か成果として表せない。
そこに過去から脈々続く問題の深さを感じる >>617
体育会系でその程度のメンタルしかない選手ってのもどうなんかね 85年シリーズの東尾投手は
敵地甲子園の猛烈な声援・ヤジを逆に【自分の応援】と変換して
初体験となる甲子園独特の腹に来る応援の中
アウエーながら心地よく自分のペースで投球していたという。
逆にサインプレーや連携声掛けで西武は裏目に出たものもあった。
(石毛の負傷が大きな後の影響に) 東尾はこのシリーズは合計8回2/3を投げて箕島高校の後輩である島田へのサービスソロホームラン
の1失点だけだったから、まずまずの好投だったと言えよう。 >吉竹
確かにあれは怪しい判定。
でも阪神寄りの判定の回数が著しかった様にもこのシリーズでは見えた。
直前の有名なあのクロスプレーも
肝心のタッチの写真が存在しない。
審判や次打者石毛の陰に隠れて。
追いタッチだったという人も少なくなかった。
今になっては後付け。たられば論。 昔からしばしば起こる1試合の中での審判団の帳尻合わせ判定だね。
さっきは不利な判定をしてしまったから今回はお詫びに逆に有利な判定をしておきましたってヤツねw 水口栄二
近鉄14年ー分配ドラフト→オリックス3年 第2戦はそういう判定多かったな。
石毛本塁打の後満塁で
ゲイルアップアップの状態
片平の痛恨の初球打ちダブルプレーあったが
平田がセカンドベース踏まずに一塁送球で完了。
いくらみなしとは言えあまりにもベースから離れすぎているし
ちょっとおかしいのでは?とも見えた。
あれが流れを変えた。
その後バースがまた打っちゃったから。 >>583
結果論だが田淵と真弓の1対1でもお釣り出るレベルだろ 西武も田淵で客呼んで、日本シリーズでも活躍してでペイできただろ
江川、西本から一発を放ったのは流石田淵 田淵が阪神にいても
85の優勝は立ち会えなかっただろうからな
このトレードは双方においてメリットの大きなトレードだったと思うんだがな この年レギュラーを獲得した西武の選手 辻 伊東 秋山 金森
もしくはレギュラーを確固たるものにした選手 石毛
シリーズ敗戦の屈辱と教訓を翌年以降学習して生かしていった。
それが黄金時代の礎に。
翌年更にチーム新陳代謝が激しく。最強チームへ 広岡監督は当時フロントと対立していた点もあるが
今後の西武常勝チームを支えるメンバーの事を思い
阪神との日本シリーズにどう臨むか?を深謀遠慮していたとも見える。
故障者が多いという事情
仮に勝った場合 仮に負けた場合 の両ケースも頭に入れていたのではないか?
ペナントレースは獲れた。
でも後半は失速した。若さの露呈。チームの完成度の低さ。発展途上
84年の5月から一気にチームを切り替えての一つの結果
更に強くなるために何が必要か?どの戦力が?
机上でない実戦で示してそこをアピールしようとしたきらいもある。
実際シリーズ後のフロントの対談直前までやる気はあったのだから。
多分大いに空想も入るが広岡監督が本気でやろうとしたらシリーズが勝てたと思う。
果たしてそうした場合目指すゴールであったか?
理想のチーム像とはまだかけ離れていたと思う。
その辺の塩梅が評論家や多くのファンの采配の違和感と繋がるのではないか? >でも後半は失速した。
10月は7勝6敗1分で最後の9試合は消化試合。
これで失速言うのかね?
最後の方の広岡のこのシリーズの本気度については、同意できる部分もある。
若い発展途上のこのチームは今年はまだ日本一になる必要はないという考えもあったのかもね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています