昭和35年頃、週ベに掲載されていた「火の玉投手」荒巻淳投手のご自宅訪問によると
自宅は中野区内にある広い敷地の一戸建てで、奥さんと子ども二人、小学生の娘は学習院初等部、
奥さんの妹も同居し東京女子大に通わせ、住み込みのお手伝いさんもいるという超セレブぶり
それが10年後、ヤクルトのコーチになる頃には現存する「マンション・キク」というボロいアパート住まいに…
更にその直後に亡くなり、ご遺族は大変苦労されただろうな