ライオンズのマイナーな選手を懐かしむスレ その3
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未完の大器山田潤、朝日大学野球部ホームレス殺害事件で思い出した。
シーズンほとんど2軍ながら、ヤクルトとの日シリでスタメン起用されるも不発だった。 >>4
アホ、スティーブのどこがマイナーなんだよ
知らないのはニワカのお前だけ ひょっとしたら、スティーブ・○○という外人が
有名なスティーブ以外にもいたのかと思って調べたが
そんなのはいなかったな >>6
スティーブ・ハウ
87年の春季キャンプにテスト参加
80年の新人王で来日までに通算48S 西武に欠けていたストッパー候補
過去のコカイン使用歴が問題となって契約に至らず やり投げ日月 顔は忘れたが姉の顔と体はよく覚えている >>7
キャンプ情報とかで、ハウの投球を見た西武のコーチや捕手がこれはすごい
って言ってたのを思い出した。80年代のアメリカ球界はアルコールやドラッグ
が蔓延していたからなあ。しかも若死にしてるし、この人。 誤植で「日」と「月」がくっついて「明」になっちゃってたこともあった 外国人の事前調査は80年代は西武が卓越していたという評価だったな
技術面だけで無く、生活歴も含めて >>14
広岡時代の一時期だけ代打メインで起用されてたっけ・・・
で、急に使われなくなった
何故だったんだろう
投手でも柴田とか木村がそういう使われ方されてた
二人とも日ハムに移籍できて良かったと思う。 >>9
1986年だけマイナーのサンノゼ・ビーズでプレーしていて、西武から野球留学のデーブや田辺らと同僚だった
この時期のサンノゼはMLBの傘下ではなかったから、ハウのようなドラッグやアルコールで問題を抱えて追放されたアウトローが多くいた >>16
柴田は主力級とは言わないまでもコンスタントに活躍できてた
それよりも田鎖とか名取の起用にムラを感じた 顔が四角い芝崎、大型内野手古屋、登録名だけのカズ(青木) 急に使われなくなったとしたら干されたとしか考えられん
そんなの広岡に限らず古今東西枚挙に暇が無い 葉留彦と同時期にもう一人鈴木姓が居たので葉留彦の登録名は「鈴木葉」だった 鈴木葉留彦は一塁手としては非力な感じだった
ただ、左打だったので、貴重な左の代打であった
引退後は長くコーチやフロントを務めたので、幹部候補だったのではないか? 選手時代の実績がそれほどでもないのにフロント入りして結構な役職まで昇進してる人がたまにいるね >>25
そりゃ元から幹部候補として獲得したからだろ 選手として獲得しなくても最初からフロント(背広組)で採用したらいいのにね >>27
それじゃ選手が言う事聞かないよ
プロレス団体の社長が絶対に元レスラーなのと同じ >>27
最初は現場を経験したほうがいいからじゃない?
一般企業でも大卒のキャリア採用でも、最初は工場や店舗を経験させることがある
自分が選手を経験することで、選手の気持ちや実際にプレーする難しさがわかるようになり、
フロントになったとき適切な管理や指導ができるようになる 広岡に可愛がられた広橋
故障のせいもあったが森になってから冷や飯
本当にこういうのは多い >>24
葉留彦は早稲田閥
プロ入り時の球団代表坂井と
西武オーナー堤や腹心の戸田球団社長も早稲田OB しかしそんな野球エリートをよく獲得できたもんだな当時の太平洋が。
まだその時、西武になる計画なんて全く影も形もない頃なのに 葉っぱだけじゃなくて楠城も早大
福岡野球が東京六大学出身者を指名したのは1973年のドラフトだけ(江川除く) 鈴木も楠城も高校時、他球団に指名されてる共通点も。楠城については福岡が地元だけど。
楠城Jrは所沢→父の母校・小倉→浪人・青学→パナでプロ入りしたけど、
鈴木Jrも所沢→九産大九州で選抜出場→立正大中退→ウェルネス九州専門→TDK千曲川→BCリーグという
経歴でライオンズスカウトになった。 親父と同じ道に進んだのがエライ
俺が彼らと同じ立場ならあえて違うスポーツを選んだと思う 鈴木葉留彦は、広島の上田利治とか阪神の中村勝広のような存在だったのかも知れない。
大卒で最初から幹部候補。選手としてより指導者としての経歴のほうが豊富。
だが、指導者として必ずしも評判がいいわけではない点も、中村勝広に似ている。 >>31
蓬莱も一時期「小技の天才」みたいに持ち上げられていた気がする 中大ーノンプロー中日で自由契約後
西鉄最末期に加入した日野茂
コーチや編成部門で永く在籍してたな
権藤博に請われて横浜コーチの後
幻のライブドアフェニックスに係わりw
近年のライオンズクラシックにも
土井正博らと出席したり
ある意味名物男じゃね? >>29
鈴木孝行も広岡に急に重用され、そして急に使われなくなった 阪急の上田監督あたりだと、使わなくなった理由を記者に喋ったりするんだけど
(というか記者をスポークスマンみたいに使っていた)
広岡は何の前触れも無くそうなるから選手も怖かっただろうな 森監督が在任3年目まで先発完投主義だったんで
横田久則とか西本和人らリリーフ陣は空気扱いが目立った 西本和は小野との同期コンビでスポーツ紙の記事になってた
根本政権末期には先発小野〜リリーフ西本のリレーで勝ったこともある ヒロオカさんに目を掛けられて良いことあった選手いたのか 西本、小野はドラフト外だけど囲い込みしたような感じで本来は上位候補だった。 >>51
金森が通算安打500本程度しか打ってなくてビックリ
通算1000本打つのも大変なんだなぁと思った >>53
小野はのちにタイトル取ったから曲がりなりにも芽が出たといえるが
西本は結局便利屋で終わってしまったのでは 小野和幸と世代が近い人で創価高校から近鉄に行った小野和義が晩年西武に来たので非常にややこしい 田鎖は素材ピカイチでプリンス入りを装って入団。背番号18を付けるも故障、ファームで終わる。 マイナーすぎる、小久保浩樹(こくぼ・ひろき)。
小久保裕紀と同じ1971年生まれ。 かつてはプリンスホテルって他球団からの指名回避の手段によく使われてた印象
江川騒動の余波という側面もあるかも >>58
下の名前が博美とこれまた当時にしては珍しい 根本時代の二人の森投手
繁和と宝生
宝生は支配下選手になってたっけ? 黄金期西武はマイナーな選手多すぎ問題
先発投手は完投しちゃうのがデフォだから中継ぎも抑えもほぼ必要無い
野手はレフト以外レギュラーが不動
DH制のパ・リーグなので代打で使われる事もほぼ無い 森宝生と捕手・隆峰の兄弟でいた。その後も監督やら森博幸など「森繁」定着することに。
レギュラー固定なので、優勝決定後に清原サード、外国人ファースト試したりで消化試合しかチャンスなし。
しかもそんな日本シリーズ調整とか結構タイトル絡んでたので、主力が最後まで出てたし。
投手でも横田や岡田が少し投げたけど原口、亀井とか期待されるも結局ファームで終わった。 >>66
レギュラーの固定化が良くないと考えた伊原さんが森監督にベンチウォーマーの起用で新陳代謝を図るべしと進言したが成績下降を恐れる本社の意向を気にして取り合ってくれなかったという レギュラーがケガしたり極度のスランプに陥ったりしない限り控え選手をスタメンに使わないでしょ
西武やオリで自分が監督やった時はどうだったんだろ 森西武はV9時代の巨人みたいになったのでは?
レギュラーが固定されているから、レギュラーが衰えると一気に弱くなる 野球を分かってない本社の爺どもが選手起用に口を挟むのは古今東西枚挙に暇がないが、
その中で西武は珍しく現場の意向を尊重する社風だったはずだが。 チームを常勝軍団に仕上げた功労者に対して「やりたかったらやれば?」とオーナーが言い放つぐらいだから他球団と大差ないよ
当時の西武フロントがそんなに野球に理解あるとは思えなかった
今のソフバン、楽天、DeNAの方が、
チームを強くするためにはどうしたらいいかを真剣に考えてる フロントは野球の猛者だったでしょ西武は。
オーナーがウインタースポーツ以外興味ゼロだっただけで 堤オーナーは福岡野球(株)の債務をすべて返済してくれたし、根本監督を信頼して
球団に惜しみなくお金をつかってくれたのは、素晴らしい経営者だった
お陰でライオンズは救われた
だが、元々ワンマンな経営者で、言動も横柄・高慢なことで知られていた
女子社員を膝まづかせて報告させることで有名だった
森監督への無礼な態度もその延長にあったのではないか? 垣内哲也
大友進
宮地克彦
竹下潤
青木勇人
ここらへんは該当するかね? >>76
んだ
所商エースとして甲子園に出てPL桑田からホームランも打った 田鎖
加倉
79−81年の週刊ベースボールにちょこちょこ二軍の注目記事に出ていた。
加倉はジュニアオールスターMVP取った記憶が。二人とも消えた。
根本
基とのトレードで来た投手。活躍した記憶が全くない。
白幡
大久保
こちらもジュニアオールスターMVP取ったはず。
記憶に残る選手になった。
79−81年 >>77
その辺はそんなにマイナーじゃない方だよ、青木に至っては俺達(熱烈歓迎勇者)の由来となった人物だし。 大久保は西武時代はマイナーだったね
巨人に移籍してなければ今の姿はなかったかもしれない
やはり巨人効果はあるのか >>85
阪神に行った仲田幸司と高校時代にバッテリー組んでたな
仲田幸司・秀司って漫才コンビみたい 駒崎は期待されながら遂に実を結ばなかった。
隠し玉に引っかかるし。現役のインパクトがそれ位 大久保と白幡は大打者になる兆しはあった
中村とか山川クラスの長距離砲になってもおかしくはなかった プリンスから来た青山道雄
西武では殆ど出番がなかったが2軍の捕手の秋元と共に須藤体制の時の大洋にトレードされた
秋元は谷繁の控えで活躍した 西岡&広橋の左コロ助コンビかな
広岡・森西武がやたらとサウスポーに強かった一因 81年ドラフトで入団拒否した選手いなかったっけ?
西武指名で入団拒否って凄いレアだと思う。
江川と彼くらい???? 藤高俊彦だね。
故障がち、実力的にプロでは通用しないと判断したとか。それにすでに
会社員生活もしていたから、その安定とプロ入りのリスクを天秤にかけた。
本人曰く「投手が足りないというが東尾さん、松沼兄弟、高橋直さん、森さん、
新人の工藤など十分いるじゃないですか」スカウト「いや、あれが精いっぱいだ」本人「(調子いいなあ)」 >>102
慶応の志村、同志社の杉浦もプロ入りせずに正解だった 広島との日本シリーズで伊東が顔面にデッドボール受けて途中退場した時は誰が代わりに出場したんだろう
仲田?相馬? >>109
デニーと交換でベイスに行った
釣り合ってるかというとなんとも微妙なトレードだった デーブ大久保もライオンズ時代はマイナーといえるのでは? デーブは引退後にタレント方面で活躍するとは予想できなかった
西武時代はヤンチャを通り越して厳つささえ漂わせていた時期があった
なかなか一軍に定着できずに腐ることもあったんだろう >>98
高校野球の監督に転身してたとは知らなかった 加倉という選手が強烈。
ジュニアオールスターMVPなのに全く陽の目を見なかった。 >>125
南海ファンが恐縮だけど、吉村元富って全然覚えてないだろ? 球団と揉めて韓国プロ野球に突然行った事くらいしか。。。 それだけ知ってりゃ十分だが、ジュニアのMVPなんてまあそんなもんだよねと >>125
加倉は素質は凄かったが、他人が一度でも使った食器は使えないってくらい神経質な性格が災いした
もっと大胆で大雑把なな性格だったらプロの世界でも成功したかもしれなかったて話を高校時代の恩師が著書で語ってたな ロッテの左腕エースだった水谷は西岡&広橋の左頃しコンビの所為で西武戦では毎度フルボッコにされていた ゚゚゚゚゚-y(^。^)。o0○ プハァー 一服!! 藤野っていう吉竹と同じ高校出身の奴いたけど。
とうとうモノにならなかったな。
ちょっと鈴木健に似ていた。 加世田美智久
名前が6文字の選手はなかなか珍しい
広島の大久保美智男以来じゃないか >>139
仲田秀司、って、同じ興南高校出身で1文字しか違わないから、阪神のマイクこと仲田幸司の兄弟だとずっと思ってた イマクルス。
俺が初めて西武球場行ったらキャッチャー伊東じゃなくて誰こいつ?ってなった レギュラーだったけど蓬莱とか鈴木葉とか
山村弟 遊撃梅田 息子が広島でデビューしたことでスポットライトがあたった黒原 成田というアンダーハンドの投手いたよね?
黄金期西武では異色だったな、ロッテや南海にいそうな投手だった 二浪して慶應に行ってさらに社会人からプロ入りした鈴木哲は今何してるの? 西武のスカウト・編成にずっと在籍して今年からBCリーグ群馬の監督
取った経緯からしてずっと球団に残る約束があったんでしょ >>144
ほほう、貴殿も?
学年が同じなので俺は双子と思ってた
顔は似ても似つかぬ、体形も似てないし
なんとなくヘンだなと思いながらも
でも幸司と秀司で「司」が通字になってるし… ふたりはふたご にてないふたご
ってアニメもあったことだし 藤野って期待されていて消えていった内野手いたな。
丁度鈴木健が入団。先輩の吉竹が移籍してきて。。。一気に消えた様な。
そういう印象 >>154
巨人軍コーチの肩書きも風前の灯火
西武で真面目にやってりゃ今頃はGMくらい行けてたかも
なにしろ人脈構築力は球界随一だから 藤野は清家がファーム落ちした後の守備要員だったが、田辺が安定して奈良原入団で放出。吉竹は外野だから競合してないが。 藤野は清家がファーム落ちした後の守備要員だったが、田辺が安定して奈良原入団で放出。吉竹は外野だから競合してないが。 >>156
YouTube見てると分かるわ
どんだけ顔が広いねん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています