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清原のヘルメット 35年の歴史


清原ヘルメット秘話、とてつもない歴史があった…


 5月11日のオリックス戦で山口から頭部死球を受けた際、ヘルメットの塗装がはがれ落ち、いまだに西武時代のものを使用していたことが判明した。
これは西武入団時に自分に合ったものがなく、用具係が倉庫から探し出してきたものがジャストフィット。それが元西武選手の野村克也氏のものだったことはよく知られている。

清原は頭部死球後も補修して使用しているが、このヘルメットには、まださかのぼれる、とてつもない歴史があった。

 60センチを超える頭の持ち主だった野村氏は、当時の日本製では合うものはなかった。
「昔のは鍋にひさしをつけたみたいで格好悪かった」と振り返る。そんな時、「日米野球でSFジャイアンツが来日して、ちょうどいいのがあった。用具係に“全日程が終わったらワシにくれ”と頼んだんや」と野村氏は明かした。

 この証言に基づいて本紙が調べると、確かに1970年3月25日に、南海は大阪球場でSFジャイアンツと対戦し9−0と快勝している。
「黒に緑を塗って、またロッテの黒。そして西武の水色と塗り替えて使っとったんや」。少なくとも35年の歴史がある一品だという。

 しかも、話はこれだけでは終わらない。 70年の日米野球では、清原が尊敬してやまないバリー・ボンズの実父ボビー・ボンズがSFジャイアンツの選手としてプレーしていた。さらに父ボンズは右打ちで、頭が大きかった。
となると、野村氏が譲り受けたヘルメットは、父ボンズのものだった可能性が極めて高い。

 耳のピアス、バットはボンズのまね。その上、ヘルメットまでボンズ譲りとなれば、パワーが宿らないわけがない。