日本ハム・落合博満はなぜ失敗したのか
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落合が日ハムに移籍した時、
「大社オーナーと上田監督から数字だけでなくチームにいい影響を与えて欲しい
そのために君が必要だ」と言われていた
チームの精神的な支柱になることを見込まれての獲得だったと思う
その割に引退試合では誰ひとりとして彼を拍手などで迎え入れなかったようだし
チームに溶け込んでいたとは思えないんだが
日本ハム・落合博満はなぜ失敗したのか
当時をしる人教えて >>108
当時は川崎だからあんなに打てたとかセリーグは変化球主体だから、って言われてた気がする 浮きまくってたのは事実みたいだね
グラブ届ける係だった若手時代の小笠原は「皆遠ざけてるけどあれ程の記録を残した人だから何かあるはず」って思ってずっと観察してたみたい ブルックスとウィルソンと仲が良かったってのは何となく分かるな
向こうからしたら日本のレジェンドだし
風貌からしても「この人からなにか吸収しておいた方が良いかも」と思っただろうし 98年のハムの試合見ると1人だけベンチの端っこにいる 落合監督GMがコーチなどで呼び寄せたのは
巨人ハム中日時代の同僚ばっかでロッテからは一人も呼んでなかったよな
佐藤道はロッテからだが落合がいた頃の中日にもいたし 門田は30過ぎからDH専門だったから打撃だけを気にして生きていれば良かっただけ。 >>114
ブルックスは神主もどきをやっていたな
落合よりグリップの位置が低いが、全盛期並みにバットのヘッドを倒していた ブリトーの飛距離やばかったな
東京ドーム180m弾には度肝を抜けれた
当時はラビットボールじゃなかっけどカブレラ・ローズ時代のラビットだったら220mくらい飛ばしたかも
日ハムはロマン砲をさがすのうまかった ゲーリー(中日)は神主打法を真似て前年よりホームランが激減した >>122
そうか?
落合が来てすぐ真似たんだっけ?
1年後だっけ? >>63
落合がそんなに大きな波も無く95年の2割8分15本近くを打つペースなら揉めはしないんじゃないか? >>94
門田の打撃スタイルでこの年でこんな打てるってのが肉体的化け物過ぎるやろ 単純に年齢的限界でしょ
野口の死球が〜と言うけど
1996年も前半の打撃と夏以降の打撃では内容がかなり違ってたよ
逆にハム時代も全くのゴミというわけではなく
長打力は激減したものの、率は.260〜.270ぐらいを打つ力は残っていたように思う
最後の方はほとんど出番がなくモチベーションも下がって打てる感じではなかったけどね
ハム時代の落合が本当にヤバかったのは打撃より守備の劣化
でも上田さんではなく大沢親分が監督なら、
代打の切り札として上手くおだてて使っていたかもしれない
衰えた大選手の扱い方は大沢の方が長けているから 2007年で引退した43歳のボンズ
.276 28本 66打点 .480 .565 1.045 (477打席)
ナ・リーグ平均OPS.757
実力的には2008年もプレーできたと思う >>126
代走や守備固めで途中交代することに納得しなかった時点で鼻つまみ者だわな
パ・リーグは観客数が少ないからってモチベーション下げるし 落合は自著で「使われ方が不満でモチベーションが落ちた」と
言ってるけどこれは納得できないよね
大社オーナーが「生きてるうちにもう一度優勝が見たい」という
男気で日ハムに来たんだからどんな使われ方しようと
チームの優勝に貢献できるんだったらなんでもやるべきだった
晩年のヤクルト池山みたいにベンチにいても
守備交代のときに野手を迎えに行くとかもやろうとおもえばできたのに 97年の4月のダイエー戦で2点ビハインドの9回に四球で出塁したら代走に荒井を出された
直後にウィルソンの2ランで同点になったが、10回サヨナラのチャンスで荒井に回って凡退
結局11回にサヨナラ勝ちしたが、何かすっきりしなかった
1ヶ月後のオリックス戦で6回終わって7-7の同点、その後日ハムが8回と9回に1点ずつ取ったが、9回裏に安田と交代させられた
そうしたら島崎が同点に追いつかれた挙げ句田口に満塁サヨナラ本塁打打たれた
この2試合が不満だったうえ、その後も守備固めに安田が出されたことで今まてのリズムが狂ったと書いてある プロとしてお粗末過ぎる言い訳だね
単なる衰えじゃんね 中日に移籍したときの成績低迷も1986年の日米野球で感覚が狂ったせいとか言い訳してるよな 敬遠を省いた四球と三振の比率
左から
落合、リーグ平均、落合/リーグ
95年 0.82(71/87)0.49(2575/5206)1.65倍
96年 1.21(64/53)0.48(2513/5190)2.49倍
97年 1.00(60/60)0.55(2696/4911)1.82倍
98年 1.18(26/22)0.60(2806/4659)1.96倍
あくまでも目安だけど目はそこまで落ちてなかったのかもしれない
97年と98年はパリーグで投手抜きなので突出度はセリーグより不利になる 若い選手の見本に〜とか言われたオッサンが
起用にヘソ曲げてぶつくさ言ってんだから見本にも手本にもなるわけないわな >>134
選球眼に関しては最後まであまり落ちてないね
もともと四球の多いタイプの打者でも
例えば金本なんかは晩年に選球眼まで狂ったけれど
落合の場合は目は維持できていたと言える
劣化が大きかったのは筋力やパワー、スピードといった身体能力の方なんだろう あと、落合の上田監督に対する起用法云々への不満は
衰えた大選手にありがちなことだなという感想しかない
立浪が監督落合に対して抱いた感情と非常に似ているな、と
岡田(どんでん)と中村監督なんかも同じ
客観的に見ればそら外されて当然だわと思えるような状況でも
プライドや過去の実績が邪魔して素直に受け入れられないんだよね
そしてその辺を何とかフォローして手なずけるのが上手い監督とそうでない監督がいる
上田や監督としての落合は後者で、大沢は前者
もう一つのパターンとして、
大選手が衰えてきたら、ベンチに置いても害悪になるだけなので速攻でクビか二軍幽閉で切ってしまうという方針の監督もいて
代表的例は広岡 落合が若手だった頃はちょうど張本がハム時代の落合的な存在としてロッテに在籍していた
監督の山内に対しても偉そうな態度で接し、コーチを差しおいて若手に指導したりするが
劣化のせいで自分の成績はさっぱり
それでも首脳陣は張本に気を使っていて
1981年前期優勝のかかった試合の一打サヨナラのチャンスで
打率.320 14本塁打の落合に、打率.217 2本塁打の張本が代打に送られたこともある(結果は案の定)
どう考えてもその采配はおかしいし、落合も内心「それ見たことか」と思ったそうだ
でも、10数年後には自分が同じような「老害」になるとはね 1997オフにハムに切られたベテラン勢はふんぞり返る落合とそれに対して何も言えない上田への不満を口にしていたな
1997年はあの成績で規定に到達するぐらい起用したんだから上田なりに配慮したんじゃないかな
>大選手が衰えてきたら、ベンチに置いても害悪になるだけなので速攻でクビか二軍幽閉で切ってしまうという
後これは後知恵くさいけど、1996年の日本シリーズの明暗はオリックスは佐藤義則を外し、
巨人は落合をメンバーに入れたことが一因とナンバーに書いていたな。 立浪に関しては代打で起用してたからいいと思うけどなあ
盛り上がってたし
だってどこ守らせるんだ? >>139
その意見はあまりに落合アンチ寄りになりすぎ
まず、クビになった金石や西崎が言ったことはそれ自体負け惜しみか腹いせみたいなもので
信用するに値しない
自分が怪我や衰えで満足な成績を残せなかったから切られたのであって、そこでチーム批判をするのはお門違いでもある
落合の上田批判が負け惜しみなのと同じ
あと、上田監督が1997年にあそこまで落合を4番に起き続けたのは確かに謎
気を使ったのか何か知らないが、他にいないわけでもないのにね
と同時に、1998年の夏以降全くと言っていいほど試合に出さず、かと言って二軍にも落とさずだったのもおかしい
(使う気がないなら枠の無駄だから二軍に落とすべきだし、一軍に置く以上は何らかの使い道を考えるべき)
1996年の日本シリーズに関しては、
怪我が完治してなかったとはいえ
落合はレギュラーシーズンでは好成績だったのだから長嶋が使ったのは妥当
シーズン中もまともに働いてない佐藤とはワケが違う というか96年日シリの巨人は内容的に惨敗だった
落合は大して打てなくても四球乞食が出来た分マシな方だし少なくとも戦犯ではない
松井は打ててない上に出塁も出来てない 落合があの時ヤクルトに入っていたら
ハムに行くよりはある程度の活躍は出来たかもしれないが
野村との引退後の蜜月関係はなかっただろうなw 98年に落合がミーティングでブチ切れた相手のコーチは誰なんだろうな…ヘッドの住友か?
タダでさえ雰囲気が悪くなっているなか、チームメイトからしたら「このオッサン、なにキレてんの」としか捉えられないだろ
普段から腫れ物扱いされているんだから >>140
落合だって6番だったり代打だったりで起用してもらってたのにブツクサ文句言ってたぞ
4番ファーストで守備固めも代走も出してほしくないって
そんな都合のいいことあるかよ >>145
選手落合も立浪も、上田監督も落合監督も全員悪くはないぞ
選手は基本エゴの固まりだし監督はチームが勝つために最善と思う手を尽くす
ただそれだけのこと ちなみに本当に選手として枯れると
監督の起用法への不満や、自分のかわりに出た選手への嫉妬が全て消えて
そうなるといよいよ引退が近いそうだ 実績のある選手を
チームの和を乱すことなく
かつ本人も納得させて干すのは難しいのよ
星野 以上からして巨人の3年間は落合にとって幸せだったということが言えるな。
ロッテだと目立たない。
中日ではセに慣れるのに時間がかかり、慣れたと思ったら今度は体力の衰えで急下降。
槙原は落合がいなくなることに対して巨人にとって大打撃、投手陣にとっても大打撃、とにコメント出してたぐらいだしな。 落合が97年もコーチ兼任、長嶋の次の監督候補として巨人に残留していれば
清原の移籍1年目の成績はもっと良くなっていたのではないか?
落合がいるだけで、清原はより必死にやっただろうし。 清原と落合を競争させなかったのは第二次長嶋政権最大のミスだろう
情に流されて本質を見誤った 落合には選手兼コーチとして巨額を投じて複数年契約を結ぶべきだった
そうすれば恩義を感じて巨人に最後まで尽くしただろう >立浪が監督落合に対して抱いた感情
不満はあったと思うが
代打専になった立浪は、それに対応するために
誰よりも早く球場に来てフリーバッティングをしていた。
その姿勢を落合も高く評価してたし若手の手本にもなった
晩年の日本ハム落合と中日立浪は違うと思うんだよね 落合が日ハムにいた年のオフ、広瀬がテレビで「落合」とか「あいつ」とか呼び捨てにして打てないくせに態度デカイと批判してた。 本当にハム時代の落合を見ていたとは思えない
ただの田舎味噌球団ファンの派閥争いみたいになってきたな、このスレww
そう言えばやっとオーナー変わったぞ〜 態度とかチームの雰囲気() とかそんな曖昧なものはどうでもいいんだわ
プロは結果が全て
そりゃ代打としてそれなりに打ってチームに貢献した立浪の最晩年と
スタメンでも代打でもさっぱりで老害化した落合の最晩年の比較だったら立浪の方が上だろ
ただそれだけ でも落合はハム1年目はともかく2年目は分相応な扱いになったからマシだったと言える
本当に最悪なのは明らかな老害なのに外せなくて足を引っ張りまくるパターン
金本とかヤニキとか左本キとかあのお肩とか 当時の巨人からパリーグなんてのは都落ちもいいとこだし
モチベーションが上がるわけがない
落合は日ハムに金を受け取りにいっただけだ
清原が仰木に誘われたとき「高倉健はVシネマに出ない」
といって断ったというがこれがすべてを言い表してる >>152
長嶋が5年前のサンスポの連載で「次の監督は原君以外考えていなかった」
と書いてから落合なんて監督どころか巨人ではコーチも無理 生え抜き主義の巨人が落合を監督にするわけはないが
長嶋の連載なんて
「アウアウアー」をゴーストが好きなようにまとめてるだけだぞw >>152
生え抜き監督主義の巨人に革命をおこさせるとしたら落合だけだったろうな
あのまま巨人で選手生活を終えていれば確実にチャンスはあった
なにしろ星野が候補に挙がるほど人材不足だったわけだし
星野を呼ぶくらいなら巨人への貢献度の高い落合になるのは確実だった >>日本ハム・落合博満はなぜ失敗したのか
自分のことしか考えないタイプに思われがちだが、
94年巨人での優勝決定時は泣いていたし
フォアザチームの精神がまったくなくもないのだろうが、
ああいう一匹狼気質の選手はプレーで結果を残せなくなったら終わりなんだろう。 一匹狼だろうとチームプレーだろうと
ベテランが結果を残せなくなったら終わりだわ
大減俸がイヤなら引退しかない 巨人時代の落合ほどチームプレーを感じさせる選手は観たことがない
落合は個人主義みたいなのはまったく誤った世間のイメージだ 元木にボロクソ言われてたよ
「俺は落合さんのパシリじゃないと」 >>169
ナベツネは落合好きだからやらせたそうに見えたけどね
OB会が許さんだろうね、広岡ぐらいか賛成するの >>168
そのように思った巨人ファン、プロ野球ファンが山ほどいたのな。
へぇー、落合がつなぐんだぁ、とびっくりした。
マウンドに駆け寄る回数もとんでもなく多かったし。 >>169
落合が巨人に骨を埋めたとしての仮定だから >>152
アンタ他のスレでも同じこと書いてただろw ヤクルトに行ってたら小早川の開幕3連発はなかった。
ヤクルトの優勝もなかったかも。 落合がヤクルトを選んでいたら小早川のヤクルト入りはなかったかな? >>166
個人記録では大した成績を残せなくなっていたからフォアザチームをアピールしないと生きていけなかったんだろ。 >>179
巨人に移籍した頃から公言してる
「もちろん三冠王は毎年目指してるけど
今のオレに大きな数字を残せっていうのも無理なのが現実。
長嶋監督も上田監督もオレの経験や存在感を買ってくれたんだ」 単純に年齢だと思う
高卒で言うと26年目
遅生まれが44歳、45歳になる学年
そもそもその年齢で現役なのがほとんどいない
()内はリーグ平均
落合
.262 _3本 47打点 .680 (.735)
.235 _2本 18打点 .652 (.745)
門田
.264 18本 66打点 .810 (.738)
.258 _7本 23打点 .773 (.730)
ノム
.222 _5本 22打点 .601 (.766)
.217 _4本 14打点 .728 (.797)
山ア武司
.209 _1本 13打点 .582 (.648)
.210 _0本 _7打点 .568 (.699)
イチロー(MLB)
.255 _3本 20打点 .649 (.748)
.205 _0本 _0打点 .460 (.734)
金本
.258 _6本 30打点 .707 (.648)
なし
福浦
.000 _0本 _0打点 .000 (.718)
なし >>182
ノムさん、引退の年に50打席くらいでホームラン4本は本塁打率12くらいやぞ
つまり4打席で1本放り込んどる 立浪まだレギュラーやれたろ。
3000本安打も行けたかも知れんのに >>178
木っ端の元木がいまや巨人ヘッドコーチ
落合は巨人で現役を終えなかったことを悔やんでるに違いない パリーグならブランコ、ウッズDHで立浪ファーストとかでできたかもしれないけどあの時の中日でレギュラー続けさせるのはエゴでしかないと思う コーチは技術指導なんかより対人関係で選んでるから村田とか元木が選ばれるのはよく分かる 対人関係ガン無視で選んだら吉田阪神みたいになるがいいのか? >>188
吉田阪神はよく分からないけどちゃんと技術指導できるコーチが殆どいないなあと思う >>180
そういうのは大いにあるにせよ、落合個人としてはそれまで言ってたことと違ってすごい開き直りだよな 落合の巨人監督が見たかったな
川上クラスの成績残したんじゃないか
巨大戦力を扱うなら落合以上の適任者はいまい 巨人の監督は読売本部の傀儡になれる人じゃないといけないから無理かな
同じ理由で松井も多分ない 落合は高卒換算だと最初の7年キャリア無しだからね
プロ入り後も規定到達は3年目からだし
それ考えると通算成績凄いしめちゃくちゃ長持ちしたほう 初代ファミスタの おちあい
成績は50本だが内部データは70本くらいらしい
逆に たつのり きよはら は成績30本で内部20本 >>195
おちあいの内部数値はどこかで聞いたことあったんだけど
まさかたつのりとかが20本止まりにされているとは知らなかった
扱いが酷いな… 儂が持ってたファミスタは初代かは知らないけど
落合が居たのは南海とロッテの混合チームでよくホームランを打つから
何時もこのチームを選んだ 門田も、あと一年やって
福岡ドームでホームラン打って
欲しかった。。 >>176
97年ヤクルトの優勝はなかったね。小早川は代打専門。
落合は3億円も使うんだから、ファーストスタメンで使わざるを得ない。
1本はホームラン打ったかもしれんが、チームの勝敗には関係ないでしょう。
結局、日ハムの時も3億使ってるんでスタメン起用、結果は…。典型的な老害パターン。
日ハムには6億円というお金もらいに行ってるだけだから、何の思い入れもない。
税金対策と落合記念館のため。でも図太いのは2年目声かかると思ってたこと。信じられん。
3千万でもいっただろうか?最近の村田修をほうふつさせる。 ヤクルトなら、神宮だし
市民球場やハマスタもあるから
打率.268 ホームラン12本 59打点
くらいは
行けたやろ 個人成績はそこそこ残す。チームプレイは?
ヤクルト優勝まではいかんやろ。足ひっぱてたかも。 球場の狭さもあるけど投手のデータもバッチリだろうからもう少し打てたかもね 当時のセ・リーグとパ・リーグじゃ
球場の広さが全然違う
甲子園とナゴヤドームくらいか
それ以外の球場は、全て外角の球を
ちょこんと流し打ちしてポール際に
入れることが出来ちゃうからなぁ(笑) 総本塁打数
97 セ775 パ668
98 セ662 パ733
東京ドーム本塁打PF(日ハム)
97 0.93
98 1.34
ちょこんと流し打ち() 97年98年はそれぞれ落合が44歳45歳になる年
この年齢で結果残した打者なんて殆どいない
単純に年齢でしょ 衰え早いっていうか
投手は攻め手だから年をとって反応スピード衰えてもどうにかなるが打者は受け身だから命取りになる 俺も今年45だが、去年から思うように打てる確率が極端に下がった。
これはセカンドフライかな?と思ったのがピッチャーフライだったり。 走りこめ!老いは下半身からだ!
オチも野口の手首ばっか言われるけどすぐアキレス腱痛めるようになったよね
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