【永易将之】黒い霧事件part2【田中勉】
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>>451
このガイジの反応の早さなんなんだろ
まあ無職で孤独な爺さんなんだろうけど >>453
お前がガイジだろw
裁判所から連絡来たらもう終わりだぞ?
マジで真剣に考えとけカス >>452
サブローは少年時代に森安敏明に指導されていた
森安も教え子からプロで長く活躍した選手が出て少し救われたかな >>457
そうなんだ、郷里の岡山に戻って運送会社に勤めながら子供達に野球を教えて穏やかにって訳じゃなかったんだな
50歳で心不全で亡くなってるんだ
心不全…。 森安は北海道で漁師をしていたと何かで読んだが・・
中洲でスナックをしていた池永に比べるとさびしい末路だったな 池永はスナックやりながら自身のヤンキー的性格を徐々に是正できたが追放後の森安はどうだったんだろうか。
現役時代は張本が手を焼くレベルとか聞いた事あるが 池永も本当に丸くなったかは分からんがなあ
苦労すれば人間的に成長するなんてのは幻想でしかないし人格ひん曲がったままのジジイなんて世の中にゴロゴロしてる 稲尾みたいな聖人だったら30年以上追放が解かれないということも無かっただろう 池永は「後援者」のおかげでスナックを持てたと語っている
野球賭博と関係あるかはわからない 投手にしてはちょっと小柄だったから仮に黒い霧事件がなくても何百勝というのは考えにくかった。 wikiには東尾と同じような体格ってことになってるけど、実際には東尾よりはかなり小さかった まあもっと言えば、この大きすぎる身長のサバ読みが間接的な原因だと思う。
こんなあからさまに虚偽の登録をするような奴が、
受け取ってるんじゃないのかって推定を受けたのがこの事件だと思う。 池永は東尾投法の元祖で実働5年ちょっとで死球54は異様に多い
当たり前だが故意死球をする投手は嫌われるからね
江川の実働9年で死球23という少なさと比較するとね
(江川の球だとキツい攻めをしなくても打ち取れたんだろうけど) 最近の日経のコラムで、作新で江川とバッテリーを組んでいた人が書いてたけど、
江川が内角を攻めなかったのは中学生のとき耳にデッドボールを受けたからだそうだ。
自分と同じ辛い目に合わせたくないということで。
これはこれでプロとしては問題があるとは思うが。 >>461
ドーベルに行ったことがある
よそ者の初対面の客にも愛想よくしてくれたが、一瞬放った目つきの鋭さは堅気者とは思えなかったw
トイレの落書きも見たよ >>468
「江川は内角を投げない」と思わせて実際に内角を攻めるという作戦では? >>470
江川が一切内角を投げないなんて「原はチャンスに弱い」レベルの都市伝説だろ 内角に投げるのとブラッシュボールで攻めるのは別の話だからな
内角攻めって多くの場合はブラッシュボールを混ぜた攻めだろ >>471
やさしくて打者がホームベースに覆いかぶさると内角攻められないという投手が
MLBの通算与死球1位(20世紀以降)たいなもんか。
まあ6000イニング近く投げてるのもあるかも知れんが。 >>471
内角は普通に投げてたよ。
内角のボール球をあまり投げないってことでしょ。
レオンが大洋に移籍してきたとき、
インハイののけぞるようなボール球投げてたな。
首脳陣からの指令だったかもしれんが。 >>472
これな
いかに試合見てない奴が書き込んでるかが分かる 江川の試合なんて30年以上前だろ
リアルタイムで見ている人なんて少ないだろ そんなんでマウント取るなよ 池永正明「賭けゴルフなどもってのほか!原君、辞めたまえ!」 >>477
いうて江川なら40歳以下でも辛うじて覚えてるやろ
小林は無理だが 黒い霧を最初にスクープしたのは全国紙の読売新聞
想像だが福岡のマスコミはネタを掴んでいたが大スポンサー西鉄に睨まれ忖度してしまったのではないか
しかし西鉄の圧力が利かない読売だけが情報公開に成功した、こう考えた方が筋が通ると思う 江川と池永って大人と子供ほどの体格差あるでしょ
wikiではあんまり差がないようになってるけど、そんな偽装工作が黒い霧事件を巻き起こす遠因になってるんだよ。 デービスが東尾をぶん殴った後に外人への風当たりが強い時代だったのに
他球団から「気持ちは理解できる。選手を狙って投げている東尾が処分されないのはおかしい。」と言う
意見が続出した
ビーンボールを投げる選手はそれだけ嫌われる
野村が「池永はビーンボールを投げてきた」と言っていたしね ノムが生前コラムで
「池永は仕返しされない様に打席でベースから離れてた」
と書いてた。
それでいてあの高打率なんだから数字以上の打力があったんだろう >>483
江川は別格の肉体だろう。
堀内も、「俺にあの体があれば300勝してる」というくらい。
打者だと田淵が見事な恵体だな。 稲尾はなぜ池永の復権運動に参加してたんだろう
身売りの原因になったやつを助けるなんてありえないと思うけどな 池永の復権運動に参加:稲尾、豊田、尾崎将司
不参加:中西、仰木、鬼頭
後者は池永を信用しきれなかったんだろうな 池永は八百長を依頼されてカネを受け取ったからクロ
むしろ復権運動がなぜ起こったかの方が疑問だよ 本人の罪状や資質とか関係なしに後ろ盾のありなしや
黒い霧を西鉄に報復したい読売、読売のプロ野球を
叩きたい朝日の陰謀論とする人には殉教者、
悲劇のヒーローにうってつけだったんじゃないの >>487
黒い霧が無くても西鉄球団の身売りは時間の問題だった >>487
稲尾はそういう性格なんだろう
この人の人間性を悪く言う証言は見たことがないし良くいえば人徳者、悪く言えばお人好しだったんだな 西鉄監督になったら三年で身売り
福岡移転を信じてロッテ監督に就任したらキャンセル
福岡移転運動を始めたら協力者が元暴力団関係者
これは、お人よしというより・・・・・・ 谷町絡みで色々とあるだろうしな
稲尾は法定検査のある検定資格付で確実に儲かる法人の代表だった 稲尾が三原や川崎の酷使に少しでも抵抗していれば
「エースなら痛くても投げる」という悪しき前例が減って60〜70年代に酷使で潰される投手が少なくなったかもしれないな。
「痛いから投げない」と初めてはっきり言ったのは大洋平松だが
翻って今の先発投手は過保護にも程があるけどな。
一週間に一度しか投げないのに球数制限で6、7回で降板なんて、見てるこちらはウンザリする 昔は皆勤が美徳とされた時代だったからね
父親が亡くなっても試合に出ていた田淵が称賛されたりとかね
鈴木啓示は監督からリリーフ登板を要請されても
「無理をして怪我したら誰が面倒を見てくれるんだ」と拒否していたようだが >>496
メジャーは完投は少ない代わりに4、5日に一回投げる 稲尾が福岡から離れなかったのはタニマチの関係かもしれないなあ
政治、経済、暴力団関係…豊田、中西はタニマチから逃げられてよかったかも 西鉄身売り後の福岡財界のライオンズいじめに抗議した気配がないところを見ると
稲尾の後援会筋に加担していた企業や人物がいたんだろうか 岸信介の権力を使えば福岡の田舎政治屋や役人の嫌がらせなんて簡単に吹っ飛んだと思うんだが
なぜかそういうのが行使された痕跡が無いんだよな。
中村が岸に頼らず我慢したのか、或いは岸が中村を突き放したのか。
ライオンズを売却した時の中村はまだ50くらいの若さで、山口県内なら何らかの議員になれそうなのにやらなかったんだよな。
福岡野球の運営で疲れ果てて表に出るのを止めたのもしれないが、隠居したのか何らかの事業を始めたのかはよく分からない >>501
岸も確かに大物だが九州閥の政治家(麻生家)辿っていくと吉田茂あたりが出てくるからなあ 稲尾か
なにも語らず逝ってしまった
確かにロッテ監督になっても福岡帰還の活動してたもんな 稲尾には西鉄以来の「後援者」が一杯いただろう
もしホークスの監督になっていたら選手たちはタニマチで大変だったと思う メインスポンサーが太平洋クラブからクラウンライター(廣斉堂)に
クラウンの監督に根本氏になった経緯
この辺が結構ボカされている。
何かキナ臭い存在が関わっていたようにも思う。(ルート・伝手として)
経営などには勿論関わってないと思うが。 大阪の合宿所から三原脩の西鉄は強くなった
https://news.yahoo.co.jp/articles/b156a9f48ea7e85d798ac285ca47958b5db00ed8
謎が多い西鉄の大阪の2軍合宿所兼1軍関西遠征用宿舎の話が出てる
しかしなんで大阪の中心から離れた堺に西鉄社員の寮があったんだろ >>505
メインスポンサーが太平洋クラブからクラウンに移動したのは太平洋の経営不振もあるがメインバンクの平和相銀の意向もある。
この平和相銀も戦後日本の暗黒面を濃縮したような銀行で、住銀に買収されるまで絶えずきな臭い噂がつきまとっていた。
想像だけど平和相銀は闇社会(根本や安藤、中村、福岡市では立ち討ちできないレベル)とも繋がりがあったと思うのでこの時期の裏事情は半永久的に明かされないと思う。
そういった暗部まで含めて収めるには堤西武レベルの大物が必要だったんだろな クラウン最終年も二軍は何故か小田急沿線沿いで練習してたとか。
遠征の宿舎も突然プリンスホテルになったり。
選手からしたら何が裏で起こっているんだろうとザワついていたのかも
しれない。
あまりにもこの辺の事情が明らかにされてないがもう身売りの準備は進んでいた。と。 江川の交渉権も堤への手土産だった説があるからね
坂井は否定していたけど 西武も当時はイケイケだったからなあ。
それが堤が捕まり、外資にむしられ・・
ソフバンもいつそうなるのか 江川の交渉権は確かに売りの一つだった。
球界に乗り込む最大の話題の一つとして西武の力の見せどころだった。
九州でない関東が本拠地
豊富な資金力。今後の処遇まで。色々もって。
実際に西武の代表と江川氏は米国で交渉を持っている。
最近それを明かしその場で断りの件も伝え終わったと。
出鼻をくじかれ堤氏にとっては球界の盟主巨人に対抗していずれ交代する
という野望を強く持ったきっかけにもなったと思う。
西武での交渉を断ったという事実から
江川氏の関東の球団だったらという一つのドラフト時の主張が言い訳の
後付けに聞こえる。巨人しかなかった。と 西武球場を大洋の準フランチャイズに考えていたが頓挫
焦る堤に「ライオンズの所沢移転」を迫る中村
事実はこんなところか?
所沢移転は堤ではなく中村の考えだと思う 段々少しずつ掘ってくると
何故西武ライオンズ誕生の時
九州の色を一掃して球団自体歴史がそこからスタートにしたのか
分かってきた。
旧ライオンズを中村オーナーから引き継いだ
そのルートや人脈・背景・経緯
そして福岡野球以前の西鉄ライオンズの歴史と身売りの経緯。
まともにそのまま引き継ぐと負のイメージも大いに残り
それがその後の戦略にも大きく影を落とすと考えてのモノだったとも
ライオンズの為にはそういう【禊ぎ】の時が一旦必要だったのだろう。
また栄光も手にしたのだから。
それは福岡や九州の財界にはまずできなかったことでもある。 >>515
根拠は?
経営権手放す中村が所沢移転を強く推す意味が分からない 中村球団は経営破たん寸前で売却先を探していた
その中村の目に留まったのが西武球場の主探しを焦る堤西武
かくして西武球場にはライオンズ、中村には負債の建て替えという願ってもないハッピーエンドを迎えた やっぱりこのスレを見ていくと
新幹線が小倉・博多に通るようになるまで球団経営って九州では
中々大変だったと感じる。
それでは新幹線が75年に開通という方がいらっしゃると思うが
その時はすでに福岡野球3年目。すでに経営ヤバくなっていた時期。
(江藤監督のあてがわれた住宅が6畳一間のアパートだったとか)
それでもビュフォードやアル―やハワードを連れてくるというルート
を持っている点も凄いと思う。
アメリカにローダイライオンズがあったり。
金持っているのか貧乏なのか全く分からない球団
でも施設はお粗末
2軍の寮なんかガムテープで壁を補強しないと隙間風が入ってくる
位(糸数選手談)酷かったらしい。 運もなかったな福岡野球は。
ハワードが活躍すれば。という話もあるが
痛かったのは活躍しないのに【年俸は丸ごと払う事になった】。
リスク管理が出来てなかったと言えばそれまでだがかなりのダメージ
が出たのでは?
少しでも活躍してればまた相乗効果でおカネも巡って来ただろうが
大きなアドバルーンが無くなった時のネタ切れ
目先のカネが欲しい⇒ロッテとの遺恨試合演出
負のスパイラルの始まり。
実際あの時平和台球場に子供は行ってはいけないくらいの事は言われてた
記憶がある。
今の表現ならヤバい球団経営と地元企業から引いた目で見られていたのかも。
その当時のライオンズの山賊打線と今の山賊打線とイメージが違い過ぎる
(荒い・気性の激しい・ガラの悪い・豪快な男くさい打線が当時のイメージ)
それでも幾周りもしてその名前が復活すること自体感慨深い面もある >>517
明らかにされてねーのに、根拠なんてあるわけないだろ
想像力ないバカかお前はw 西鉄は黒い霧で対応で球団としての決定的な間違いを連発
あげく傷を広げ
ファンの失望を買い経営に嫌気がさして球団を放り投げた。
それを作った環境や要因を検証することもなく。
で、売却先を自らでなく他の有力者やオーナーに託していた。
その顛末が売却がほぼ決まっていたペプシの直前の破棄
流浪の中リーグの存亡が危ぶまれ本当の消滅が現実化した中
よし!!と引き受けたのがロッテのオーナー中村氏だった。
規約だから一旦オーナー職を辞してライオンズのオーナーに。
リーグ存続、球団存続第一に考えての行動だった。
後にペプシも太平洋クラブのスポンサーもメジャー選手の契約も口約束
(男気・昔気質の男と男の約束)の個人の信用で押し通そうとして痛手を
被ってるが誰かがやらないと、という危機的状況で行動していったのはもっと
称賛されるべき。のちの事は後付け。
リーグの歴史を尊重して2リーグある意義と大切さを感じ取っていたから
それが根っこにあったから行動して引き受けた。
ボロボロの西鉄に
タダでも良いと当の西鉄本社に対して栄光ある球団だからと
【敬意】を示して一億円支払った。
また選手の食事代などを支出するために自身の家財も売ったとも聞く
廣斎堂(クラウン・スポンサー)の社長も。
嫌になって投げだした西鉄(当時の球団社長の見方)をそこを見ないで
3連覇の時だけ引き合いに出して持ち上げる福岡の対応。
片や引き受けた中村氏をその背景や状況をあまり見ず
塩対応を続けよそ者扱いした福岡の対応。
もっとこの辺をしっかり検証していかないと。
しているとは思うけど次の世代の為に伝えていくべき。 堤義明はなぜ「いわく付き」のライオンズを買ったのか?
どうしても球団がほしかったのか、それとも康次郎の悪事を掴まれていたからか 球団なんて簡単に一新できるんだから
どこ買っても一緒だろ
むしろ南海やクラウンのようにオンボロで弱いほうがしがらみない 堤からしたら所詮プロ野球のいわく付きなんて屁でもないだろう
もっとえげつないことを山ほどやってんだから ほんとそれ
むしろ変に古くて揉める人間がいるとこ(阪神とか)
よりはドラスティックに進めるには良かったはず そうですね。
買収するなら一番経営基盤の弱いチーム
一気にイメージチェンジというか新生球団としてスタートも切れるとの計算もあった。
当時のライオンズって
特に東京(関東)から見たイメージは惨めなもので
当時公開された【遥かなる山の叫び】だったかな?
シーンの中でライオンズファンの居酒屋で主人公の子供に
これ稲尾のサインボールあげる。と言うやいらない!!
全力で拒否られるものがあったり。女性スタッフのクラウンユニのコスチューム
も何か貧相だったし。
そういうよく言えば地味。悪く言えば存在感の薄い存在だった。
イメージや色すら浮かばない地方の地味なかろうじて体をなしているプロ野球球団。
そんな感じだった。
その後の西武の描くビジネスの規模なら福岡ライオンズの負債12億など
堤氏にとっては安いものだったはず
西武球場の運営も迫られていたし。
組織をしっかりつくってチームを長期わたって運営していくビジョンもあった。
現にその後の畳みにかけるような報道
手塚氏のレオマーク
キャラクター商品の売り上げだけで買収時の負債をペイできたという。
色々あったがライオンズにとっては最良の選択だった。 >>528
それは『遥かなる山の叫び』ではなく渡瀬恒彦と桃井かおり主演の『神様のくれた赤ん坊(このタイトルだったかな)』でっせ
あのガキが巨人ファン設定だったので見た時ムッとしたのを覚えてる >529
そうでした
その通りです。
補正有難うございます。
渡瀬恒彦氏主演。
公開当時でなく後年観た。その時期の高倉健の映画と混同してました。
あれはキツイシーンでした。
稲尾氏まで貶めるものだったから。
中日のコーチしてた時にも重なるかな。
親がコーチで。。。。あんな遠くに
かわいそうに
とTVの巨人戦で言っていたのが印象的。 仮に観客が100万人入っていたら赤字や嫌がらせ続きでも無理を重ねて平和台本拠を続けていただろな。
やはり観客の少なさが身売りの一因には代わりがない 赤字垂れ流してポケットマネーも限界だったのにどうやってるどうやって無理して続けるの? 自分が学生時代
日刊スポーツから西鉄ライオンズのムック本が出て
西鉄の帽子が売っていることを知り
ライオンズベースボールショップへ(確か大濠公園近く)
店主であろう藤本氏が
ラインズの帽子の購入を言うと穏やかな顔ですぐサイズを出してくれた。
初めて見る帽子にNLマークはとにかく新鮮
ヤンキースみたいと口に思わず出てしまい
良い顔をしてくれた
昔を良く知らなかったので何故西鉄ライオンズ無くなったんですか?
と聞いてしまい
藤本氏が いろいろあってね。。。。とまぁ運命かな
と言葉少なに
その後会計して店の外に。
質問したときの藤本氏の眼光が一瞬変わったのが強烈な思い出。
ライオンズの元マネジャー。
自分も後年歳を重ねて思い返したことがありアレはよっぽどな事からきているのだなと重ねて思った。
何というか悲しいというか思い出したくないというかでも大好きというか
無い交ぜになった目立ったように思う。
強烈だった
多分黒い霧とか絶対に言えなかったはず。
自分も当時はそんなに知らないし寝た子を起こすなみたいな感じだったかも
(当時は西武が黄金期に入っていたし)
実家に50サイズのライオンズの帽子が今でもある。
当時2−3回だけ被って外に
周りの人からの印象は良かった。一回りして飲泉に映ったようだ。
とにかく唯一当事者のその時の【気】に触れたような体験だった。 >>532
廣済堂の櫻井氏がいろいろ支援しようとしていたと聞いた。
江川入団のための資金12億円(確か)を櫻井氏がなんとか調達した矢先に西武に身売り 書き込みは残るから個人名出してるのは完全にアウト
御愁傷様 中村も策士だね
球団を買ってくれるところを見つける為に
江川の交渉権をGETしたような気もするけどね
江川の取り巻きの船田中はあの時に
「クラウンは地元出身の門田に行くから江川は巨人に行ける」と確信したって話
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/05050615/?all=1
なぜなら、クラウンの中村長芳オーナーは、船田の電話工作に対してこう応じていたからである。
「私は常々、プロ野球はフランチャイズをやるべきだと思っています。
関東出身の選手は関東の球団に入る。江川君は栃木県だから巨人に入るべきでしょう」
しかるに、である。クラウンが指名したのは、他ならぬ江川だった。
船田、蓮実氏、何より江川の落胆は察するにあまりあるが、
当時、クラウンの球団代表だった坂井保之氏の言い分は異なる。
「江川を指名しないと確約していた? そんなことはあり得ませんよ。
中村オーナーは岸信介の秘書だ。派閥の長でもないフナチュー(船田中)の話を中村が聞くわけない。
球団経営を任されていた俺としては、一番いい選手を指名しただけ。
当時、経営状態は確かに悪かったからね。沈みゆく船をこのままにしておくわけにはいかない。
代表としての意地だよ」 藤本氏のライオンズショップだけど球団の権利が西武に移ってからは西武の許可を得ていたのかな?それとも無許可でやっていたのか じゃあ、売り上げはすべて藤本氏に懐に入るというわけか かつてはどうだったかは知らんけど今は認可してるだろう
公式の復刻イベントにガッツリ絡んでるし 西武ライオンズ
西鉄ライオンズ
西武30周年で結び付けたライオンズクラシックは球界屈指の名イベントだったと思う
あの西鉄のユニフォームやキャップが現代に蘇るなんて!!
当時は物凄く驚いて感動した。
あの企画を通した高木大成氏は本当に素晴らしい。
選手から球団の企画へその後も良い企画を出して当事者を繋いで実施の道を作る
その能力は凄いと思う。
西鉄やあの陽の当たることが永遠にない可能性すらあった福岡野球の6年間にも
ライオンズの歴史を紡いだ敬意を持って復活して新しいファンを獲得もした。
豊田氏があれだけ感動していたし。
堤氏の退陣後とは言えすごく球界にとっては意義のあることだった。
そういう人材がいる西武は凄いと思う。 むしろ昭和30年代以前のユニフォームのほうがフォーマルで落ち着くんだよな
大人の趣きがあって飽きない 黒い霧事件を自分が初めて知ったのは
確か中学から高校に入るときくらい。
新聞のライオンズ回顧みたいな連載で
へぇ八百長そんな事があったんだ。。とパリーグに続々と。。。え?
ライオンズは????
と読むと何と事件の主役が西鉄ライオンズではないか!!
地元の新聞とは言え永久追放とかそこからチーム崩壊・人気凋落・身売り
とか初めてて知ることが続々と。
だから親たちがあまり西鉄の当時の10年前くらいの一時期を口を曇らせて
話さないと分かった時の衝撃と何とも言えない苦々しさは強烈な思い出。
読み始めの他のチームから西鉄の一部の選手が。。。という自分の勝手な
先入観がすぐさま崩壊した衝撃はその土地の人にしかわからない。
何か身内の知らない黒歴史を知ったような。
そこまで一時期福岡でも「無いもの」みたいに黒い霧は隠されていた。
恥ずかしい歴史でもありますが。
知らない人はずっと知らないという感じになっていた。 >>514
西武じゃなく東武だったら、もしくは江川が埼玉県民だったら入団していただろうね。 >>539
衆議院議長もやっていたし、小さいけど派閥の長でもあったよ
中村は岸の秘書
船田は大野伴睦の派閥を引き継いだ
岸は大野を騙して総理大臣になった
中村は船田を騙して江川を指名した
汚い奴の秘書は汚いことをするってことだ。 >>514
江川の意向なんてもはや意味をなしてなかったんだから別に言い訳ではなかろう
全ては周りの大人の意向 田中角栄全盛期は秘書の早坂が現役の大臣を怒鳴りつけていたって話
大物政治家の秘書はそこらの政治家より格上らしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています