珍しい記録 Part47
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メジャーだとマイク・マーシャルが先発ゼロで106登板2081/3投球回という凄まじい記録がある >>680
まだ先発投手の300イニング超えがいた時代の記録というのが、これまた貴重ですね。
NPBでは未達成の10勝30セーブを2度記録している点も凄いですね。 初年度楽天だと、斉藤秀光はオリックス、楽天、横浜で最下位を経験
阪神移籍があと一年早くて、ソフトバンク在籍があと一年長ければ
所属5球団で最下位経験だったのに、惜しいな 単打マンで有名な鎌田実ですら1962年の二塁打10三塁打5本塁打1か 広島東出が
2002年二塁打7、三塁打1、本塁打1
2006年二塁打10、三塁打1、本塁打0
2007年二塁打12、三塁打0、本塁打0
2007年二塁打12、三塁打1、本塁打0
中日荒木が
2002年二塁打7、三塁打1、本塁打2 97年ダイエーにいたウエストが19先発 投球回数91.2で防御率6.38
既定にこそ到達してないが園川・斉藤和巳・マック鈴木に並び称される記録かも 津田はあと2セーブだった
当時の連続セーブ更新もあと1つだった ヤクルトの村上宗隆
規定到達者の中で三振率(三振数/打席数)が日本人で初の0.300越え
(外国人では7人11回)
三振数も日本人初の180越え(外国人ではブライアントが3回) 背番号の受け継ぎ
#19 南海ノム→福岡甲斐
ブランク長くね? >>689
19自体は山内孝徳入団時にあっさり渡されたがどういう意味? 名捕手の背番号を43年ぶりに引き継ぐってのは言われなくてもわかるが
なんら公式記録にも客観性もない話題が「記録」になるのかな 松井裕樹と山崎康晃がそれぞれ
個人のセーブ数=チームのセーブ数
だったけどこれってよくあることなの? >>677
奇しくも先ほど訃報スレでジプシーの逝去を知ったが、「そのレスをご覧になって調べられたのかなぁ」なんて漠然と考えていたらご本人だったかw >>577
とりあえず手っ取り早く探したら
山崎浩司が5球団で経験しているみたい
近鉄オリを同一とみなしても4球団で経験。
――
NPBで4球団以上に在籍した日本人プロ野球選手で打線組んだ | baseballlog
http://baseballlog.blog.jp/archives/4260200.html >>692
松井のチームのセーブ独占は2回目。
ほかには2007岩瀬が思い浮かんだが、意外と絶対的守護神以外の誰かが一つくらいセーブ挙げてるもんだ。
両リーグのセーブ王がともに独占、ってのは珍しい。 この15年くらいで
【パ】
2015増井、2013平野佳、2011武田久、2009武田久
【セ】
2014呉昇桓、2010藤川、2009藤川、2007藤川、2007永川
意外といるね、セーブ独占者。
藤川が3回。 >>699
俺もちょっと腑に落ちなかったわな
きっぱり断言されちまったけど …いや、平成元年(1989)は既に大洋からダイエーに移ってるわ >>686
1990年の藤本修二の成績調べてみな
度肝を抜かれるから 5球団以上に所属して優勝経験なしは山崎浩司以外にいるかな
(一応近鉄時代にチームは優勝してるけど一軍出場はなし) いやシーズン中に毎日→西鉄か
じゃあ、該当する、でいいのかな 令和は投手完全分業の時代だな
再三話題に出ている通り平成はパーフェクトが一人だけだったが、令和はノーノーすら一人だけかもしれない
ついでに200イニング200奪三振30先発20勝10完投5完封5無四球なんかも一人だけかも? >>704
藤本といえば、プロ前半の5年間は全て規定クリアで合計50勝58敗なのに、後半5年間(実働)が全シーズンチーム試合数の半分にも満たない投球回で合計3勝13敗
1,2年で成績が落ち込んだ投手は山ほどいるが、5年単位で急落した投手は藤本だけ
藤本だけだと思う
・・・藤本だけなんじゃないかな? >>709
令和でノーノーは既に二人達成しているのだけど。 そうか、、、俺の時代も終わったな、、、
たった今、このスレからの引退を決心しました
産休オッレ!フォーレバーオッレ! 今のプロ野球とは明らかにレベルが違う昭和の草野球記録マニアには消えてもらって結構 >>704
1990年の藤本修二って62回投げて自責点65で防御率が9.44なんだけど、
自責点>投球回の、シーズン最多投球回なのかね? 藤本修二は上川誠二や大洋高橋みたいに常にヘラヘラしているので
にゃんこと名付けられたと思っていたがWikipedia見たら違うかった 口を常時ポカーっと開けているヤツはニヤニヤして見える
藤本なんて今治西で賢いはずなのに、いつもいつも口開けていて馬鹿に見えた >>719
今治西と言えば藤井秀吾もAHOと呼ばれてたな >>717
そのようですね。
2位が太田幸司(1980、近鉄)の38.0回と大きく引き離して。 お前の時代なんぞ始まってすらいねえしなんなら永久に始まらねえよ // sawamuraeiji.yomibitoshirazu.com/kyusoku2.htm
?
さて、スポーツの多くの記録。 たとえば、棒高跳び。70年前の倍くらいになっている。これでいくと、ものすごい進歩のようだが、実はこの競技、70年前と今では名前だけ同じで中身はまったく違う競技である。
70年前の棒は竹製だったのが、グラスファイバーとなり、現在はカーボン、それも日々素材が進歩している。野球で言えば、ソフトボールと硬式球の遠投記録を比べるようなものだ。
現在の選手が竹の棒で飛んだら、昔の選手がカーボンの棒で飛んだら、という人はいない。用具を持たずに競技した瞬間にもう「棒高跳び」ではなくなるから、純粋に肉体のみの選手の力量を比較しようがないからだ。
このように、スポーツには、限りなく進歩し続ける科学技術の要素と、間違いなく限界がある生身の人間の要素があり、一見単純に見えるスポーツも間違いなくこの2要素から構成されている。
たとえば100m走でさえ、昔と今ではグラウンドもスパイクもまったく違う。
では、野球ではどうか。筆者は40年近く前には片手取りのできない、利き腕で蓋をしないとボールが飛び出してしまうグラブを使っていた(単に筆者が下手だったのかもしれないが)。30年前に軟式のグラブとしては最高級のもの(オールラウンドタイプ)
を(下手にもかかわらず)買ったとき、簡単に片手取りできるのに感動した。それでも、まだボールが入った瞬間に意識してグラブを閉めないとボールが飛び出すことがあった。
だが、15年ほど前に中級品のオールラウンドタイプを買って使用したところ、ボールが自分からグラブに飛び込んでくるような感覚で収まるのにびっくりした。
今のグラブはもっとボールが取りやすくなっているだろう。逆に、戦前のグラブは指の間の紐すらないものがある。さぞ使いにくいものだったに違いない。
バットも、最近の金属バット(ただし軟式)は軽くてグーンと打球が伸びる。木のバットは素振り用にしか使っていないからわからないが。
フォーメーションプレーも、サインプレーも、昔とは比較にならないほど進歩した。
// sawamuraeiji.yomibitoshirazu.com/kyusoku2.htm
?
さて、スポーツの多くの記録。 たとえば、棒高跳び。70年前の倍くらいになっている。これでいくと、ものすごい進歩のようだが、実はこの競技、70年前と今では名前だけ同じで中身はまったく違う競技である。
70年前の棒は竹製だったのが、グラスファイバーとなり、現在はカーボン、それも日々素材が進歩している。野球で言えば、ソフトボールと硬式球の遠投記録を比べるようなものだ。
現在の選手が竹の棒で飛んだら、昔の選手がカーボンの棒で飛んだら、という人はいない。用具を持たずに競技した瞬間にもう「棒高跳び」ではなくなるから、純粋に肉体のみの選手の力量を比較しようがないからだ。
このように、スポーツには、限りなく進歩し続ける科学技術の要素と、間違いなく限界がある生身の人間の要素があり、一見単純に見えるスポーツも間違いなくこの2要素から構成されている。
たとえば100m走でさえ、昔と今ではグラウンドもスパイクもまったく違う。
では、野球ではどうか。筆者は40年近く前には片手取りのできない、利き腕で蓋をしないとボールが飛び出してしまうグラブを使っていた(単に筆者が下手だったのかもしれないが)。30年前に軟式のグラブとしては最高級のもの(オールラウンドタイプ)
を(下手にもかかわらず)買ったとき、簡単に片手取りできるのに感動した。それでも、まだボールが入った瞬間に意識してグラブを閉めないとボールが飛び出すことがあった。
だが、15年ほど前に中級品のオールラウンドタイプを買って使用したところ、ボールが自分からグラブに飛び込んでくるような感覚で収まるのにびっくりした。
今のグラブはもっとボールが取りやすくなっているだろう。逆に、戦前のグラブは指の間の紐すらないものがある。さぞ使いにくいものだったに違いない。
バットも、最近の金属バット(ただし軟式)は軽くてグーンと打球が伸びる。木のバットは素振り用にしか使っていないからわからないが。
フォーメーションプレーも、サインプレーも、昔とは比較にならないほど進歩した。
アンダーシャツも、空気抵抗の少ない素材だから、動いたり(特に腕を振ったり)するのも、昔のネル素材はもちろん何も着ない時と比べてもやりやすいはずだ。
こうなると、野球も同じ名前がついているだけで、70年前、あるいは40年前とは違う競技だと言ってよい。記録を比べることが無意味なくらいだ。 それでも、比べてみたくなる天才たちがいる。
たとえば、1932年に100mで10.3秒を出した吉岡隆嘉。2011年現在でも日本記録は10.00。手動計測より自動計測の方が0.2秒くらい遅く計測されるというが、
最初に自動計測でオリンピック覇者となったロシアのワレリー・ボルゾフは手動でも自動でも記録がほとんど変わらないから、むしろ誤差が小さくなる、と考えたほうがよい。吉岡に現在のスパイクとグラウンドで走らせたい。
1989年にやり投げで87.60mを出した溝口和洋。2011年現在の記録保持者村上幸史が83.27mである。1989年といえば、江川卓が引退してまだ2年だから、同時代と考えてもそう無理ではない。
村上は野球のボールを投げさせると150m/h出すというが、全盛期の溝口の球速を測りたかった。
1984年にハンマー投げで75m96を出した室伏重信。1984年は江川がオールスターで8連続三振を奪った年。息子の幸治の2003年に出した日本記録84m86はもちろん燦然と輝くが、重信は純黄色人種。
3位は2007年に土井宏昭が出した74m08だから、重信がルーマニア人と結婚しなかったら、あるいは息子が後を継がなかったら、現在でも日本記録として君臨している可能性が高い。
あるいは重信に西洋人やアフリカ人の血が入っていたら、もっと早くオリンピックのメダルが見られたのではないか、と夢想してしまう。
>>721
回答ありがとうございます。やはりそうでしたか。
1990年のダイエーは村田勝喜が175.2イニング投げて防御率5.79だったり投壊がひどいですね。 >>704
前後の年の防御率がともに6.94というのもすごい。 >>726
そもそもは、前年最優秀救援投手に輝いた井上祐二を先発に回すという田淵の迷構想から始まった(´・ω・`)
案の定(w)というか予想を超える投壊にベテラン投手の山内孝徳を(球威もキレもすっかり衰えていたにも関わらず)リリーフに回したり、同じくベテランの山内和宏を放出して、
同じくロートルの杉本正を、一軍実績が殆どない高島覚付きで獲得したりと、もうしっちゃかめっちゃか(w)
結局強力なリリーフが必要と急遽海外に目を向けたが、クローザーとしての実績こそメジャー屈指ながら(これ又)すっかり球威が衰えたゴセージを獲得するのが関の山で・・・・。
つうかここまで来ても井上のリリーフ復帰という方向についぞならなかったのが如何にも田淵というか(´・ω・`) ホークスの戦後初のノーノーが居たでそ(´・ω・`)
何せ別所以来という。 >729,730
1週間前(´・ω・`)
ttp://npb.jp/history/alltime/nohitnorun.html >>728
そももそだけど山内孝徳をなぜ抑えにしたのだろうか >>735
恐らく顔が厳ついから(´・ω・`)
そんな程度で抑えに回したとも言われる斎藤明雄の成功例もあるし、又、西武でも日本シリーズでベテラン東尾を抑えに回してリリーフ投手としては珍しいシリーズMVP
に輝く成功だったのも田淵の記憶にあったのだろうと思われ。 意気に感じるタイプの山内孝に向いているというコメントを解説者の誰かがしていたな 今年自己最高打率を記録した中村(西武)だが、惜しくも打率11位で自己初のベストテン入り成らず
ベストテン経験無し選手の打撃部門通算最多記録をたくさん持っている模様 >>738
谷繁とか、いろいろ持ってそうな気がする おかわりの今年の打率は.286(142/496)
去年までのキャリアハイが2009年の.285(143/501)
これだけギリギリの差で自己最高を更新というのもちょっと面白い 1956年3月に史上初の代打サヨナラ満塁ホームランを打たれた投手が健在という事実 投手交代後のベース踏み忘れアピールアウトで0球勝利は狙える? >>741
1950年代に監督を務めた人で唯一の存命者ね(´・ω・`)
1960年代まで範囲を広げても1人追加されるのみ。
又、昭和20年代の日本シリーズを経験している存命者は今やそのご両人のみとなった。 ttps://archive.is/I6XC/c7529c47262fac49f230d767c57b0eb8c9fb03fe.jpg
フォークボールの神様・杉下茂 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1322b9cf791dd10729e510ca36a73322) 3球団でシーズン100試合出場かつ規定打席到達なし
大西宏明
調べていないけどほかにいない気がする 2000本安打未達者の通算最多本塁打は田淵の474本
中村剛也は現在1467安打・415本塁打なので
533安打以上ヒットを打たずに60本塁打打てば記録更新になる >>745
日本選手だと見つからなかったけど
メジャーだと中日にも在籍したマット・ステアーズが
アスレチックス・カブス・ブリュワーズ・パイレーツ・ロイヤルズ・ブルージェイズと6球団で記録してるね 年間試合数が違うから
130ゲーム時代の日本に限定したら1人もいないってことない? >>696
全球団系の記録の場合近鉄とオリックスは別扱いが一般的かと。
で、西武では最下位になっていないので結局4球団ですな。
いずれにせよサンクスです。リンク先は改めて確認してみます。
>>693
何気にググったら検索結果のwikiのリンクの所に没年月日が出てて驚いたという・・・ >>750
そうでしたね、2013年の西武は交流戦だけ最下位の誤認でした >>749
その時代は3球団以上で活躍した選手も今より限られるからな
2球団でいいなら種茂・淡口辺りがすぐ思い浮かんだけど あ、他のシーズンでも規定到達無しか
2球団でもちょっと見つからないなぁ 一人見つけた
広瀬宰
http://2689web.com/ind/1969046.html
該当年と在籍球団
1969,1971ロッテ
1974,1975中日
1977クラウン ちなみに広瀬は現役時代にロッテと中日でリーグ優勝、引退翌年に西武でコーチとして日本一を経験
これら全てが(前身を含む)球団として10年以上ぶりの優勝だった 重ね重ねすみません
1982年は二軍コーチとしてだから微妙か
その後も1992年まで二軍一筋だったようで 元ロッテ、日本ハムの武藤潤一郎
プロ入りから3年連続で防御率二桁ってすごいね 当時のロッテは入団してくれるかどうかが優先事項だったから… 岡林 洋一(高知商-専修大-1990ヤクルト1位)
杉山 賢人(沼津学園-専修大-東芝-1992西武1位)
武藤潤一郎(吉原商-専修大-プリンスホテル-1992ロッテ1位)
専修大の同期生3人がドラフト1位とはすごい 普通プリンスホテルが西武で東芝がロッテだろうに…(偏見 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1554028335/
611 :神様仏様名無し様 [sage] :2019/12/10(火) 06:56:59.30 ID:v8mJT/r1
>> 610
金村いわく
「近鉄よりプリンスホテルの方が待遇が良かった」と
言ってた選手がいたそうだ
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190504-14
というのも僕は、中日、西武も経験していますけど、待遇の悪さという点では、
近鉄が際立っていました(苦笑)。社会人の延長みたいな感じで、
プリンスホテルから入団してきたヤツが、プリンスのほうがよかったというぐらいの球団でした。
MLB【ワンポイントリリーフ禁止】正式決定
打者3名との対戦が必須条件に
ttps://news.livedoor.com/lite/article_detail/17515219/
賛否ありそう(´・ω・`) >>764
もし投球中に故障したらどうするんだろうな。最悪の場合敬遠申告して乗り切るしか無いのか? そういう事情なら交代OKじゃないの?
予告先発とか、打者一人に投げてない投手とかみたいに >>765
リンク先に「怪我をしない限り」と書いてあるよ
野手は6点差以上もしくは9回以降しか登板できない
ってのもなかなか
大谷は必然的に投手登録になるんだろうな >>764-766
故障理由の場合は次に登板可能な試合が数日以後になるんだろう。
予告先発と似たような制限 亡くなった醍醐猛夫さんはロッテ一筋(球団名は変わっているが)で1957〜2002年(実働33シーズン)まで務めたそうだが、これはコーチや監督を含めた場合の一球団だけの在籍年数記録 またコイツか
スレの流れも考えずに大昔の記録かなんかをほじくり返して(しかもくだらない内容を)唐突に書き込む奴
まあ賢明な住人はわかっていると思うが決して相手にするなよ
いいか?これは命令だ
令は今年の漢字だからな >>770
最長で33年なのか。なんかもっといそうな気がするけど、まぁ十分長いか。 元阪神の和田が1985年から2001年まで現役、その後はコーチ・監督として2015年まで在籍(現在もフロント職で球団に残っているが)
現役から監督退任までだと連続して31シーズン勤めたことになる
和田より長く一つの球団で、という例はあまり思い浮かばないのでブランク込みでも33年が最長というのはそんなもんかもしれないな >>770
1リーグ時代含むと川上が34シーズンな筈 選手・指導者なら八重樫の40年が記録なんじゃないの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています