浪人した野球選手
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この場合の浪人は大学浪人も野球浪人も含むものとします。 名前を晒せないが友人のメンヘラ姉が名前が気に入らないと
同じ読みで二回改名してる
そんなのが通るのもおかしいけど とにかく浪人時代に改名という意味不明のことを解決しないと。
浪人スレなんだし。 今だったら江川も中尾もすんなり慶応に入学してただろうな。
この黄金バッテリーで慶応の黄金時代だっただろうに 江川、慶応の試験に白紙答案だもんなー
それで協議になって落とされたらしい
分からなくてもいいから、それなりに答えろよw >>48
日本史の試験内容が、全く勉強してなかった近現代ばかりだったかららしい >>50
ちなみに慶應落ちて渋々受けた法政の法学部二部の試験は、勉強した範囲からの出題で完璧だったとのこと たかされに書いてあったね いや、慶応の白紙答案は
慶応OBの間では普通に広まっている話らしいから
信憑性あるし、間違いないよ >>52
OBが受験生の答案内容を知ることが出来る? >>7
マイクは子どもの頃アメリカにいたからその関係じゃないかな。
4年かかって高校卒業した阪神の矢野(投手) 松岡は20年の刑務所生活を思えば
高校時代の1年ぐらい大したロスじゃなかったよな
あと6年で出てくるのか… 石井浩郎も一般枠で早稲田やったな。
日曜朝の番組でも真面目キャラにされちゃってて
信じてたんだがとんでもなかったな。
桑田は早稲田のテストでかなり下駄履かせて
もらったがそれでも全然だったって説もあるな。
多分ガセだろうw >>7
仲田はプロ野球(昭和)40年会にいて
当時不思議に思った(39年生まれ)。
実父が米兵でその後母親が再婚したりしてて
届が遅れたとか、苦労したんだろうな。
松田優作も私生児で、同級生の中でイニシアチブを
とれるようわざと届を1年遅らせたらしいな。 大学時代は入部年度が全てで年齢関係ないのに
プロ入ると年齢が全てで入団年度関係なくなるからややこしい
二岡は由伸には敬語だけど上原にはタメ語だったりするみたいだし 広瀬哲郎と白井和幸はプロ入り以降の人間関係はどうだったんだろうな。 >>63
デニー友利は日米の学制の違いでKKと
同い年なのに翌年卒業だっけ? 金本と矢野は同い年なんだが、大学では矢野の方が一年上。
こういう場合でもプロ時代はタメ口の仲になるんだろうか。 金本と矢野は対等っぽく話してた。
若干金本が矢野を立ててる感じではあった。 >>62
その頃、早稲田は全国大会ベスト4以上を対象としたスポーツ推薦やってたけど
甲西の奥村(ヤクルト奥村の父)も落ちたしな >>69
そうなんか!新しい発見だ。
それ聞くと桑田は早稲田の線が無くなり
巨人との密約に乗ったってのも現実味あるな。
あれだけ学歴に執着あったんやもんな。 早慶って裏口スポーツ推薦ないアピールで
時々有力高校球児落とさなかったっけ? >>69
奥村の1つ上で桑田と同学年の石躍は早稲田行ったから
桑田が受験したら入れただろ
早慶戦で志村と投げ合って欲しいとのラブコールもあったし >>67
中日の川上と巨人の上原は上原が1浪してるので川上が1学年上だけど
大学日本代表以来ずっとタメ口らしい >>75
寝屋川十中から明治大学の自分にとってはこたえられない組み合わせ
さておき
プロでは高卒大卒入り混じってるわけだから
学年といえば義務教育のそれだろう >>75
ということは、上原は巨人内で由伸に対してはタメ口、一方大学では同学年だった二岡は「上原さん」と呼んでたのか。 >>74
高校時代に虫けらのように扱っていた後輩が
大学では逆にその後輩から虫けら扱いされるのか 綾部が再来年のNPB復帰
に向けて
浪人を選択したが果たして… >>64
こんな明確な欠陥なのにずっと異常なまま変わらんという >>73
メッツからロッテに復帰した時も浪人してるという 慶応とか早稲田野球で入ってプロまで行ったけど
引退して一般仕事する場合、周りはどの程度の
仕事与えんのかな?まさか早慶のスペックあるとか思わんよな。
野球部ってつるむし、一般学生の中では話も合わず浮いてんだろな。 高橋里志は
南海をクビになって、広島に入団するまでの1年間
ニートだった、浪人と言っていいかは知らんが 阪神にいた矢野正之が高校2年留年してるし、読売にいた松岡正樹も高校1年留年してる 江川は、野球推薦の無い慶応への進学を目指した。では、何故江川は、それほどまでに慶応へ入りたがったのであろうか?
江川曰く、その理由は、大きく分けて二つ有るそうである。
@中学校の頃に、父親に連れられて早慶戦を見に行った。その熱気に圧倒されたのと同時に、この舞台で投げてみたいという、強烈な憧れが、その時に芽生えた。
A当時の慶応の大戸洋儀監督から、是非とも慶応に入って欲しいという誘いが有った。野球推薦のような制度は無いが、江川が慶応に入れるように、慶応側も全力でバックアップする、という話が有った。
そして、問題なのはAについてである。慶応側から、「是非、慶応に来て欲しい」という話が、江川サイドに有ったという話。慶応野球部としても、有力選手は是非とも欲しい。
しかし、他大学のような野球推薦の制度は無いので、有力選手であったとしても、自力で慶応の入学試験を突破して、合格してもらわなければならない。?
そこで、慶応としても、貴方に入試に受かって欲しいから、受験勉強をサポートしますよ、というような話だったようだ。
江川は、早慶戦で投げる事さえ出来れば、正直言って早稲田でも慶応でもどちらでも良かったようであるが、慶応側がそこまで言ってくれるのであればと、この話に乗った。そして、慶応に入るために、猛勉強を開始した、という事であった。
ちなみに、慶応は江川以外にも、静岡高の植松精一、水野彰夫、丸子実業の堀場秀孝、滝川高の中尾孝義などの有力選手にも声をかけていた。そして、彼らは慶応合格を目指し、受験勉強のための合宿に入った。
ある時、その受験合宿の雰囲気が急に緩んでいるのに、江川は気付いた。
「お前ら、勉強しなくていいのかよ?」と江川は彼らに言ったが、
「大丈夫、大丈夫。何か俺達、まとめて慶応に入れてくれるって話になったらしいぜ」
と、誰かが答えたという。そんな話は全く聞いていない江川は、その話には耳を貸さず、それまで通り、受験勉強を続けた。そして、運命の慶応の入学試験当日。
江川は、精一杯、試験に臨んだが、試験の出来にはそれほど自信が持てなかったという。そして、慶応の合格発表の前夜、江川家に慶応の関係者から電話が有った。
「江川君は、我々の考えている、合格基準の得点を取れていた。江川君は合格です」
という内容だったとの事である。しかも、江川君は何点取っている、という具体的な数字まで出たそうだ。その電話を受けて、江川家は、江川の慶応合格を祝って、お祭り騒ぎになった。
ちなみに、一般的な合格最低点には少し足りないが、野球部としては、充分に合格、というような点数だったらしい。江川も、難関の入試で、健闘したのは間違いない。慶応に受かるための努力が報われたか、という事だろう。
だがしかし、翌日、江川が慶応の合格発表を見に行ってみると、いくら探しても、自分の受験番号が見つからなかった。江川は慶応に不合格となってしまったのであった。
それでは、前夜のあの電話は何だったのだろうか? 江川は、釈然としない思いを抱いた。以上、これは江川本人が語っている、慶応受験騒動の顛末である。 桑田は本当は4月2日生まれだけど一年分の養育費が勿体ないって
父親の考えで4月1日生まれにしたって話を誰かが書いてた
この父親のお陰で清原と同学年になった 養育費・・・ってのは解らないが、年度最終日だと小さいうちは発達速度が追いつかないので
最大で丸1年ぐらい違うから、1日生まれが2日で届けるというのは聞いたことある。
桑田の場合は逆だったから清原と同学年になったのか。 桑田父は桑田を早く社会に出して稼がせたかったから1日早くしたのかも? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています