コーチを兼任していたことがある野球選手
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藤田平がコーチ兼任で首位打者取ったのってかなりレアだよね 星野仙一
投手コーチ兼任なゆえに、登板して打たれたら
自分でさっさとマウンドから降りた >>4
王がコーチ兼任だったころ、土井正三もコーチ兼任だったね
若手内野手への指導に定評があって、コーチとしても優秀だった
将来は優秀な指導者になると思っていたのに、オリックスの監督になってあんなに評判が
悪いことに驚いた 兼任監督なら分かるけど、兼任コーチって実際に選手専任とどう違うの?
教えるだけだったら、選手だって出来るでしょ。 >>8
当時の阪急ファンにアンチ巨人が多かったのも影響したな。
地元出身なのに東京に帰れと言われる有様で。 1989年の選手名鑑より
巨人…加藤初投手コーチ兼投手
大洋…片平晋作打撃コーチ兼内野手、斉藤明夫投手コーチ兼投手
ヤクルト…若松勉打撃コーチ補佐兼外野手 長嶋茂雄・王貞治・野村克也・張本勲・稲葉篤紀・高橋由伸は
実はすでに1軍コーチ経験がある >>9
アトムズ時代の豊田は選手兼任コーチだったが、別所監督の代わりに選手たちに練習内容を
説明して、練習させていたらしい
コーチの肩書ができると、選手を統率する権限ができるんだろう
一方、別所監督は他のコーチたちと麻雀を打って遊んでいた >>9
高い年俸のベテランを置いてき損にさせないためにコーチもやらせるケースと
コーチ会議に参加させて引退後の研修やらせる場合がある 森昌彦(祇晶)、大矢明彦
引退後古巣への復帰はなかった マイナーなところでは
岩本好広(中日)・・90年に背番号4で一塁コーチ、やはり乱闘要員。翌年から専任。
榊原聡一郎(広島)・・91年ダイエー移籍半年後に戻って、背番号36をそのまま付け二軍コーチ兼任だがファームでも出場なしで翌年から専任
谷真一、真喜志康永(近鉄)・・背番号80番台だがコーチ初年度はプレーイングコーチという肩書。ファーム出場もなし。 井上弘昭
現役最終年(1985年)は西武ライオンズでコーチ兼任
というか、コーチだったのが代打不足でコーチ兼任のまま現役復帰 瀬戸葛西も2軍兼任で一年やって試合出ずにそのまま辞めたな 長嶋は監督時代に打撃コーチも兼任していた時期がある 70年代以前はノムとか村山とか兼任監督すら珍しくなかったが、
とりあえず稲尾和久 >>18
弘田澄男も事実上の引退の翌年だけ形式的に選手兼任だったけど、背番号は73番だった。
昔は試合中のブルペン捕手を務める選手の頭数を確保するためや、
選手の年金取得基準年数を確保するために、
形だけのの選手登録継続や現役復帰がなされる例もあったらしい。 今でも二軍や三軍の選手不足の為に
コーチや打撃投手を選手登録する事はあるだろ >>27
そういえば育成選手扱いでの復帰が時々あるな。 半分引退したような選手ならわからないけど、藤田元司みたいに引退年もレギュラークラスの働きがある選手には負担多過ぎる気がするが 西鉄は中西兼任監督のもと、
豊田兼任助監督
稲尾兼任投手コーチ >>24
岡田は監督時代に、投手コーチを兼任してた時期があったな 優勝した時の金田ロッテにロッテに投手コーチはいなかった
一応総合コーチの高木が投手担当になってるが高木は投手出身じゃないので
事実上金田が投手コーチ兼任みたいなもんだ >>22
1軍昇格できないもんな
選手としての年俸を1年分与えるご褒美なのかね >>5
張本は兄貴分の土橋監督に頼まれ後期だけヘッドコーチ兼打撃コーチだったんだな >>9
コーチの肩書のない選手がコーチの頭越しに指導すると、コーチの立場がなくなってしまう。
兼任コーチなら気兼ねなく指導できる。
コーチ会議に出席することで、首脳陣としての機密事項を共有できる。 >>34
板違い気味の書き込みで申し訳ないが金田さんは
投手の最多本塁打記録保持者のせいか打撃陣にも口出し。
野村克也さんが入って来たら選手が全員野村さんの方を
向き始めたので1年で放出。ただし金田さんの跡を狙っていたという説に
関しては野村さんは否定している。
34番が金田さんの話題なのには少し笑えた。 >>40
ただ、ロッテも監督が山内一弘に代わったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています