このシリーズは面白い
1967年の時点でパはジリ貧だったのが分かる
山本浩二も「第一希望は広島だがセならどこでも入団する気だった」と回想していたし

鶴岡一家の結束にほころび?/週ベ回顧
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190705-00000003-baseballo-base

「プロなら巨人」と明言していた明大・高田繁は希望どおり、巨人から指名された。
当時の六大学安打記録も作った俊足選手で、鹿児島生まれで2歳のとき大阪へ。
少年時代は南海ファン。「ホークス子供の会」にも入っていた。
浪商高を卒業するとき、自宅に鶴岡一人監督が訪れ、
「君を育ててみたい」と声をかけられたというが、大学時代であこがれが巨人へと変わった。

大学組では、早大の三輪田勝利が近鉄を拒否し、大昭和製紙へ。
慶大の藤原真は南海を拒否し、鐘紡に入った。
藤原は「巨人かサンケイに行きたかった。パ・リーグには魅力を感じない」と話している。