〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.25〓
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所沢移転してしばらくは西鉄臭を消そうとしてたが
時間が経ったらそういうのは消えた感じ
2011年にもこんなイベントをしているし
ライオンズ・クラシック2011〜最終章〜「試合前セレモニー」
https://www.youtube.com/watch?v=6t4TY2WtqIQ 「西武は福岡時代を抹殺している!」
豊田泰光が週刊ベースボール誌上で、こう吠えているのをよく見かけた
具体的にどう抹殺しているかの説明はなかった 伊原や土井みたいに西武時代まで選手だった人がコーチになる事はあっても
福岡時代迄に引退した人には冷たかった >>522
「ライオンズ球団創設70周年」なかわかるが、
「埼玉西武〜」だと所沢移転後だからおかしいってことでしょ
30周年じゃなくて40周年だね 中西の四国の後輩・近藤昭仁も逝ってしまったか・・・ 中西は大阪で阪神戦の解説をしている
西武の選手の名はおそらくほとんど知らないと思う 00年あたりだと
稲尾、中西、豊田の三人だと中西さんが
一番やせててやばそうだったのにわからないものだ 中西は戦時中でも食べ物に困らなかった、とどこかで見た。
成長期に栄養不足だった人は早死にするよやっぱり・・・ 中西は西鉄OB会会長だけど、年齢下の稲尾、豊田より後になったのは不思議だな 野球で「自分は監督よりコーチが向いている」と自覚したように
OB会でもトップになるのに消極的だったんじゃね
以前は高倉が会長をしていた位だし >>535
わしの頃に守備の上手いショートがいれば…
とか思ってたりしてw こういう性格も追放された要因だったんだろうね
ttp://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190127-01
入団以来、池永はマウンドで発揮する強心臓に加え、
ビッグマウスもあって一部の記者からは「ナマイキ」と嫌われた。
中西太監督は言う。
「若いくせに横着だ、ナマイキだと、池永は入団前から事あるごとに叩かれてきた。
あれだけマスコミからなんやかんやと袋叩きされるようなことを言われたら、
普通の人間だったら精神的にがっくりくるもんだが、池永は違っていた。
一言も弁解せず、マウンドでしっかり結果を出す。大したもんや」
一方、池永自身は「ナマイキだとか、思い上がっているとか、
人の口はなんとでも言うものです。そんなこといちいち気にしていたら、
ピッチャーなんていう、ヤジの真ん中に立つ仕事はやれません」
大した19歳である。 >>534
食糧不足から壊血病になり死にかけた
すぎやまこういちさんは健在ですけど >>540
頭のおかしな人
「極稀な例を取り上げて反論する」 でも戦時中の世代ってそれ以前の日本人に比べて劇的に長生きだぜ
まあ戦争に行ってないからってのもあるが よく知られたことだが、1949年の球団拡張時、福岡市では西鉄と西日本新聞が共同出資で球団を設立し、
パに加盟するはずだった。しかし新聞派の西日本が読売との義理でセに単独球団作って加盟、1年で経営破たん。合併。
もし最初から西鉄と西日本新聞が仲良く県民球団「福岡ライオンズ」を作り「セ」に加盟してたら?
西鉄も西日本新聞も健全経営。今でも在福財界にも支えられ、福岡市民球団がセにいたのでは? >>543
無理じゃない?
後の福岡財界のクズっぷりをみると 表社会も裏社会も博多系、福岡系の対立に、北九州系、久留米系が絡んだり、時に大牟田系、筑豊系まで絡んで、
何事に於いても修羅の国化する福岡じゃあねえ(´・ω・`) 西鉄オーナーの西亦次郎がドラフト会議を提案して導入させたのは
池永と尾崎の入団にとんでもない費用がかかった事が切っ掛けだったとか ダイエーホークスを福岡に誘致できた理由は
・福岡市が球場予定地を破格の安さで用意していたから
したがって福岡にライオンズを留まらせるためには
・福岡市が福岡で球団経営したいと思わせるメリットを用意すること
・これを用意していないのに、中村に親会社の誘致を頼むことは不可能 >>546
これ恐ろしく身勝手な理由だよな・・・
そんなのお前らの都合だろと >>549
池永や山崎裕之の契約金は当時で5000万オーバーだったって話だからな
そりゃ他球団も賛成するよ
ドラフトが始まってとりあえず契約金の上限は1000万になった ドラフト制1期生の長池は
南海入団のつもりが阪急に指名され
契約金も抑えられて損したと当時の回想でぼやいていたなw
あと長池は実績の割に土井や大杉に比較して年俸が安く抑えられて1500万前後までしか行かなかった 散々既出だけど、阪急は主力の年俸を抑え気味にしていた一方で、
総合的な待遇の面では南海や近鉄みたいな酷い話は聞かなかったな。 昭和30年代では、金田と稲尾の年俸が2000万円前後で、球界最高額だった
実績から言って当然とは言え、西鉄はかなりの高額を稲尾に支払っていた
昭和40年代のパリーグは、年俸がかなり抑えられていた印象がある 選手からしてみたらたまったもんではないわな
「高過ぎるからみんなで安くしましょう」
とかそんなん払えない所だけやってろよ!と >>551
長池は南海末期にコーチをしていたけど、
その縁が売却後の福岡放送での解説に繋がったみたいだ。 >>548
馬鹿ですか?
「壊血病になり死にかけた」状態から回復しただけでも「ごく稀な例」とわからない? >>555
西武のコーチを引き受けたので3を永久欠番にするのが取りやめになったんだな>長池 暗い話題しか出てこんなぁw
末期の福岡・ライオンズの場合はしょうがないけど WIKIによるとドラフト提案は
パの全球団が賛成 セでは大洋が賛成
巨人と阪神が反対
西の説得で中日とスワローズが賛成にまわって
3/4が賛成にまわったので成立に向けて加速したとか >>534
今思えば旧制中学や戦前の大学出身の野球選手て
家そのものが裕福な人が多かったろうしな
義務教育終えたらとっとと就職させられた人のほうが多い時代だったし 年棒を安くしたことが、プロ野球の発展に大きく貢献したのは間違いないな 逆では?
パリーグが丁度そこらへんから一気に凋落していった時期だし まだそこそこ強くて優勝も狙えて、黄金期メンバーも多数残っていて、中西監督誕生の話題性もあった62年の地元開幕戦で
既に観客数が1万人を割ってるんだからな。
黒い霧から不人気になった訳ではなくて早いうちから構造的な問題で不入りになっていって
西鉄にはそれを打破する能力も資金も人財も無かった 台湾野球で八百長事件が発生して野球人気が落ちたんだが
「黒い霧」と同じ構図なんだよね
893が裏で野球賭博をやってて儲ける為に選手を買収する
台湾野球って給料が安いので選手は受けてしまう
当時はONの年俸がジャイアント馬場より低かった位だから
パの選手の給料がどうだったか分かる そりゃオーナーが東京に来ても日本シリーズ見ないで別の所で遊んでた会社だもの ドラフトのおかげで安く選手を獲得できるようになり、広島、ヤクルト、阪急、近鉄が大きく花開いた
ドラフトがなければ巨人一極集中が続き、巨人以外は人気がないプロ野球が続いていただろう 上尾高→東京(ロッテ)オリオンズの山崎が5000万
下関商→西鉄の池永も5000万
慶應大→南海の渡辺泰輔も5000万
これが65年最後の自由競争時代の契約金。現在の物価に直すと3億くらい。
大卒の渡辺はともかく、高卒の2人にこの金額は常軌を逸してると非難され
翌66年からドラフトによって契約金の上限が1000万に。
西鉄だと池永と同期入団の尾崎も3000〜5000万との説があった。 >>565
森時代末期もそうだけどファンがこのチームはもう終わりって勘づいてしまったことが客離れに繋がったのかな。あの当時のチームだってこれ以上強くなり様が無かったんでしょ。 永易の年俸は今に換算すると1千万も行ってないね
ttps://number.bunshun.jp/articles/-/833281
一昨年亡くなった永射保は、現役時代「左打者殺し」の異名を取った一流の中継ぎ左腕だったが、
現役時代、オフには身分を隠して自衛隊でアルバイトをしていたという。屈強で仕事もできたので
「正式に入隊しないか?」と誘われて断るのに苦労したという。
当時の野球選手は、一部のスター選手を除いて、サラリーマンとさして変わらない収入で野球をしていたのだ。
1969年に球界を揺るがした「黒い霧事件」は、そういう「プロ野球選手のステイタスの低さ」を背景として起こった。
主犯格の投手は二けた勝利も記録した一線級だったが、年俸は150万円程度だった。
だから高級クラブで接待され、10万円、20万円という金を提示されて目がくらんで八百長を行ったのだ。 >>569
ほう
で、西武はドラフトで安く選手を獲得しましたか? >>573
逆指名・自由枠の時代はマネーゲームには参戦せずに安く手に入る選手を中心に獲得した印象。 >>565
数年前まで巨人を倒して日本一になっていたチームなのにそこまで不人気になる
理由がわからないですね。
他のスポーツに客を取られた、ファンとの間でいざこざがあった、
球場が老朽化して安心して応援できる環境ではなくなったなどの理由でしょうか? >>565
>>575
同日の他の球場も見てみるといいよ
東映−大毎@神宮 55,000
南海−阪急@大阪 6,400
西鉄−近鉄@平和台 9,000
国鉄−大洋@後楽園 39,000 DH第一試合
巨人−阪神@後楽園 40,000 DH第二試合
中日−広島@中日 5,000
地方ではむしろ多い方
ついでに日大三高−作新学院@甲子園 30,000 センバツ決勝 >>575
何だかんだで全国区の人気・知名度があった三原・大下が抜けたのと長嶋巨人入団とマスメディアの発達が同時進行した事が大きかったのかな。 クリッパーズのユニフォーム観てみたいよな。
パイレーツとか。
みんな産まれてないのは当然だけど、歴史勉強と思って復刻やってくれへんかな。 なんで中西はホークス臨時コーチやってるんだよ?
中西とホークスにゆかりないだろ、まぁ九州福岡繋がりだけか。
どちらかと言うとホークスはライバルチームやないの? まぁ稲尾、河村、若菜とかは埼玉とかのライオンズより、地元九州のホークスの方が好きなのは分からなくもないけど....。色々複雑。
まぁ郷土愛かな。 昔から野球ができれば球団にはこだわらない人
ヤクルト、日本ハム、阪神、近鉄、オリックス・・・ >>579
そうなると中西がパリーグのチームで関わってないのは楽天か。 >>580
連投スマソ。
その面々は南海(大阪本拠)時代と移転後を分けて考えているところがあるな。 今時スマソとか、ほんと痛々しいまでにじじいばっかだな ヤクルト・日ハムは岳父の三原ライン
近鉄・オリックスは仰木ライン
謎なのは阪神。どういう経緯でなのか?他にも巨人やロッテでも指導してたな 元親会社の西鉄がホークスを応援しているぐらいだからな
西鉄OB並びに西鉄ファンはホークスファンでライオンズ嫌いと思っておいた方がいい >>584
スマソとか香具師とか絶滅したと思ってたわw
「と言ってみるテスト」とかwww >>585
阪神コーチ就任に関しては確かによくわからないな。
ブレイザーの意向なのか、コーチとしての評判を聞いたフロントの意向なのか…
ただブレイザーの退任で途中から監督になるが。 >>578
悪いけど全く興味無いわ
別に強かったわけでもなし凄い選手がいたわけでなし >>585>>588
阪神の前任者ってえびせん山内かな?
現役時代のライバルだったが
接点は無くとも中西をフロント等に推薦してたりしてなw
打撃理論指導方法は違えど
情熱的な指導では定評のある両人だし
阪神巨人ロッテで指導経験が有るのも偶然か 伊東勤はライバル球団の西武の選手だったのに
中西からコーチしてもらった事があるそうだ 確か西鉄の後の太平洋クラブとかクラウンライターは、
ネーミングライツを買い取った会社で運営自体をしていたわけではない
ということですよね?
にも拘わらず数年で名前が変わったということは、これらの企業も弱体だった
またはネーミングライツの保有が割に合わなかったということでしょうか? 企業としては決してイメージアップになったとは思えんなあ
不人気パ・リーグの弱小球団ではあまりにも暗すぎた
少しは知名度が上がったからいいかもしれんが 日拓、太平洋クラブ、クラウンガスライターのうち
日拓と太平洋クラブは現存しているから
むしろ短期間名前を宣伝した効果があったんじゃね
後に近鉄がネーミングライツをしようとしたらNGを食らったのも分からん
かっての福岡野球と同じなのに >>595
ネーミングライツの候補に消費者金融(アコム)が入っていたからという話を聞いた事があるな。 近鉄が消滅前にネーミングライツで継続しようとしていたのは知りませんでした。
ただ消費者金融がNGなら、パチンコはOKだったのかという話もありますよね。 >>595-596
近鉄のネーミングライツ案はナベツネの一言で却下された
その時点で既に、近鉄を合併して1リーグにするためにオリックスの宮内とナベツネが手を組んでいたとも
ネーミングライツの候補がアコムだったのもナベツネにとっては都合が良かった >>597
テレビニュースでも報道されてたよ
すぐに瞬殺されて、それが当然という雰囲気だった。
そしてその年か翌年かに合併が出てあれが前兆だったのかと驚いた感じだった
近鉄がそこまで切羽詰まってた感じしなかったからな
少し前に優勝して、関西じゃCMよくしてたし >>600
レッドでハッスル〜バファローズ!ってやつか。 タフィ・ローズの高額年俸を払えず放出したのも前兆だった
ホームを近鉄沿線じゃなく自前の球場でもない大阪ドームに替えたのもマズかったとか
高額の加盟料がネックで買ってくれる企業も見つからず >>572
かつてのプロ野球選手の社会的地位の低さ、待遇の悪さというのは重要なポイントだね
>>576の集客数を見ても、集客できているのは首都圏の球場ばかりだ
「パリーグの地方球団の無名選手」なら、今では考えられないくらい地位は低い
これではモラルも下がるし、お金の誘惑に弱くなる
かつての将棋界にあった暴力団がらみの「賭け将棋」と同じだ。
黒い霧事件は起こるべくして起こったと言える ペプシがライオンズを買う話の信ぴょう性は確かなのか
外資規制をどう免れるかをクリアできなくてご破算になったのではないか? じゃなかったらユニフォームがあんなペプシ色にならんだろw >>605
ペプシの関連企業のペプシコ・ジャパン(日本法人)に球団運営を任せるプランだった。
これなら国内企業扱いになって協約もクリアできてた 坂井のその話が一番信憑性が乏しいんだ
外資規制はクリアできてた、でも東映のせいで?嘘くさい! 永射保については上官が「すげえ体力がある奴だな」と思ってたとか
そりゃプロ野球選手だからな
竹之内が焼き鳥屋、若菜が年賀状の仕分け、加藤初がスナックでバイト
長嶋巨人の主力投手だった加藤初がスナックでバイトなんだから
信じられん話だ >>603
この左側のイラストは、1977年は○はの代わりにユニフォームの左袖につけられていたな。 >>609
年俸だけでまともに食えたのは東尾と土井と基くらいかな。
大ベテランの石井や山下でさえ給料が安かったように思う >>611
土井は本業博徒副業野球だったから
余裕で食えてたろうなw
同世代の阪急長池は球団がシブチンで全盛期でも2000万行かなくて気の毒 埼玉に移転するまでのライオンズは1軍選手でもバイトするくらいということは、
当時の選手たちが中州を遊び歩いていたというのもただ豪傑イメージを作りたいだけか、
大下や中西の頃はまだ待遇がよかったというだけなのかもしれませんね。 カネなくても遊び歩いて飲み歩いている奴はいる
貧乏時代のライオンズに大勢いそう 自由競争最後の年は
池永、尾崎=西鉄
山崎=オリオンズ
渡辺=南海
と不思議な事にパの方が金を積んでるんだよな
特に西鉄は無理しすぎ
他は中日が獲った菱川か >カネなくても遊び歩いて飲み歩いている奴はいる
黄金時代はタニマチにごっつあんしていたらしい
だから野球賭博犯にごっつあんしても平気だったのだろう >>616
田淵がこんな事を言ってたそうだ
https://www.sankei.com/west/news/170520/wst1705200010-n2.html
「どうしてもっと自分の『野球』を大切にしないのか、悲しかった。
あの事件があったから僕は現役時代“タニマチ”といわれるような人との交際は一切しなかった。
はい、車代だといって10万円も出すような人は普通じゃないだろう。
タダ酒は飲むな−っていうことだよ」。田淵が球界から得た多くの「教訓」のひとつである。 阪神は今でもちょっと目立つ活躍したらタニマチがすぐチヤホヤしてタダ酒を飲ませたりする環境だからな。
どれだけの選手が誘惑に潰されたか。根本(田淵とは法政の大先輩でもあった)の教えもあったろうけど。 >>616
当時の西鉄に限った話ではないのでしょうが、簡単にタダ酒に預かる隙丸出しの私生活が
賭博師をはじめとした怪しい人たちを近づけた原因の1つでしょうね。
>>617
田淵はいいことを言っているけど、この人は元々裕福な家の出なので
そのような誘いには乗らなかったとも言える。
学生のころからステーキや寿司を食べに行けた身分だと言われてるし。 >>613
豊田の時代はまだ野球選手が一般労働者よりも高い給料だったんだよ
高度経済成長期を迎えてどんどんその差が縮まっていった
ここからバブル期までが最も野球選手が(相対的に)安かった時代 西武がライオンズ球団を買ったころ、当時の長者番付に松沼兄、松沼弟、森繁が出て
いたのを覚えている
当時としては破格の契約金をもらって入団したためだ
「西武の新人選手」が他の財界人や有名作家(司馬遼太郎など)と並んで長者番付に
出るのを見て、西武とはすごい球団だと感じた
貧窮したプロ野球選手のイメージを変えて、「プロ野球は稼げる」ことを示した
西武のプロ野球界参入の意義は非常に大きかった 田淵は金持ちのボンボンで母親から「ボクちゃん」と呼ばれていた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています