〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.25〓
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カープはやくざが多い土地柄の割に、黒い霧の影響が少なかったな。 広島の場合は根本が監督に就任した際に「タダ酒は飲むな」とまず選手たちに通達し、
怪しい筋との付き合いに目を光らせてたのが大きかったと思う 共政会や侠道会などの地元やくざも不思議に手を出さなかった様な… 藤縄はロッテファンだったからロッテには関わらなかったと何処かで見たな。 だってロッテには藤縄が
「私の言うようにすれば優勝できますよ」
って持ちかけたっていうじゃない >>411
だが成田も坂井も現役引退後はプロ野球に関わることは無かった
球団職員による証言で発覚した近鉄の八百長選手たちも、大した処分は受けなかったが、引退後はプロ野球とは無縁の人生を送った 警察の調査で八百長行為があった(とされる)試合が割り出されたが、当時の新聞には載っていないのか? >>418
近鉄と言えば野村がこんな回想をしているね
阪急だけは疑惑の選手が一人もいなかったのも凄い
ttp://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=051-20160411-01
処分を受けた選手たちの供述によると、実は南海戦でも敗退行為が行われたらしい。
私はその試合に出場していたはずなのだが、鈍いせいかまったく何も感じなかった。
ただ、当時関与が取りざたされた近鉄のショートが、ファーストに大悪送球をしたのは覚えている。
「なんだ、あれ」「アイツはスローイング音痴か」などとベンチで話していた。
それほど、とんでもないところに送球していたのだ。のちにその疑惑について知って、
「なるほど、そういうことか」と思ったものだ。 >>420
近鉄の八百長選手は小玉、高木、吉沢、木原と実名で取り上げられたが、67年当時の話なのでショートを守っていたのは安井俊憲
安井は長い間コーチをやっていたから、野村の話はそれより遡ってギャンブル狂の矢ノ浦じゃないか >>421
多分矢ノ浦だと思う
この人もやんわりと球界から追放されて消息不明だしね >>420
>阪急だけは
上で書かれてるが
佐藤公博が居る
この御仁の最初のトレード相手が
柿本実だったが実績からして余りに不釣り合いだった(中日のデフォw懲罰&トレード下手)
阪急も南海も他球団にヤオの種を送ってババ引かせて優等生ぶってんじゃねーよ!って球界で思われてもおかしくない感があるんだがw
南海も黒い霧事件以前に
長谷川繁雄なるトレード放出後に
謎の事故死を遂げた御仁が居たな >>422
矢ノ浦はサンケイへ移籍してその後は巨人を経てグローバルリーグ(森徹率いる東京ドラゴンズ)だったな。
サンケイへは豊田が肘を故障してショートを守れなくなったために後釜としての移籍だとか
(その後豊田は一塁にコンバートも怪我の影響からか一気に衰えて代打要員に) >>422
ギャンブルによる借金、その後は横領と詐欺で捕まったから100パーセント無理 ttps://www.jiji.com/news/handmade/topic/d4_stc/nbs630-jpp08490034.jpg
ttps://www.jiji.com/news/handmade/topic/d4_stc/nbs630-jpp08741812.jpg
デービスはMLBでも中日でも背番号3を希望して付けてたがクラウンでは却下されたんかなw
ハワードには及ばずとも実績からして
ビュフォードよりは格上だったし
土井なぞ彼等の足下に及ばない >>426
中日ではデービスが来るまで藤波が背番号3だったが、
基とのトレードを拒否してごねたので、
懲罰で3番を剥奪された。 ・不可解な放出
・引退後に球界から追放
ってのは問題があった選手を見抜くポイントなんだろうな
八木沢荘六はコーチとして引っ張りだこで監督にまでなっている
坂井や成田や小野正一とは対称的 >>428
本人の素行や人間性が要因なのは
第三者からみてもまぁ納得だが
球界の大物や影響力のある人物や団体との確執や不興をかった御仁は悲運悲劇だな
当人同士は既に確執わだかまりは無くとも周囲の忖度や思惑で球界復帰が出来ないケースも有るし
ライオンズ繋がりで
江藤慎一氏は何となくそう感じた >>427
この時、基とセットで予定されていた竹田は、結局クラウンにトレードされたが、その前にもう一つ破談になったトレードがあり、心情的な理由で中日から損害賠償を貰ったという >>429
江藤も一時福岡県内で偽造手形とか出回ったり
全く裏社会と接点が無いとはいえない感じもした >>428
指導者として不向きだったり
失敗してから立ち直れないせいで放出とか
あるからそのくくりも怖いけどね >>429
土井いわく江藤監督の頃は
「江藤さんは門限なんか言わんし、やりやすいチームでした。」だそうだ >>432
お山の大将だが人が善くて
脇が甘い感があったな
確か福岡時代の手形事件って球団内外の反江藤勢力の謀略説も有ったな
>>434
やりやすいってのは
多分江藤監督を舐め切ってた感
東尾は稲尾が更迭されて
嫌ってたっぽいし
逆に白と基は続投して欲しかったと後年のインタビューで感謝してた >>427
基は逆に泥船から脱出できるので移籍にノリノリだったんだよなw >>434
何だかんだ言って江藤ライオンズの話題性は大きかった
開幕前の週ベにカラーグラビアで取り上げられていたのは、当時のパ・リーグでは稀少 >>435
国貞も最初は慕う感じだったのが
秋には球団事務所に飛び込んできて
「江藤監督の下じゃやれない」と途中で辞めてしまったな しかしまあ黒い霧ってセ・パ問わずに蔓延してたのに世間的には見事に(そして未だに)
西鉄球団と池永ってイメージで落着してるよなぁ 現役を続けたら300勝できたかもしれない池永がグレーな状態で
永久追放されたインパクトとこれを切っ掛けに
西鉄がどん底まで凋落した事があるからかな
中日は小川、田中勉、小野を失ったが1974年に優勝している >>440
戦力の厚みが違うからかな
西鉄は三連覇の後スカウトは一体何してたんだて感じの声もあったりしたみたいだな
後の名選手もとれてはいるけど、他所ほど厚くなかった ヤオの疑いがあった近鉄の吉沢岳男も元中日
で中日時代に吉沢岳男を追い出したのが濃人 >>441
西鉄末期だからレギュラーになれた選手が何様?
>>442
中日は水原が若手育成に力を注いだことが大きいし、どうせクセのあるベテランはバッサリ斬られていただろう
西鉄も高卒有力選手を獲得していたが、どれもこれもモノにならなかった >>444
ハァ??
伊原ってレギュラーだったの?
普通に控えだろ >>419
当時の最大の関心事だから当然載ってる
ttp://i.imgur.com/iqbIf8Z.jpg
ttp://i.imgur.com/qXmStaW.jpg
ttp://i.imgur.com/8AuXaw5.jpg
ttp://i.imgur.com/QjDgnmm.jpg
ttp://i.imgur.com/o38bq55.jpg
ttp://i.imgur.com/4ptA30A.jpg
ttp://i.imgur.com/dlLcBCt.jpg >>440
中日は水原翁が江藤葛城らを
構想外にして投手星野松本稲葉ら
野手は谷沢島谷大島ら若手を抜擢したのが後を継いだ与那嶺時代の優勝に繋がったと星野が監督時代に語っている >>444
木本オーナーが記者に
「選手とっても育たないのはスカウトがおかしいのか」と言ったので
記者は言い方にムカッときて
「西鉄本社の採用面接に通った人間は皆優秀な人間ですか?色々悪い評判も街中で言われてますよ」
と言い返したそうだ >>445
72年だけレギュラーだった
前年に三塁が固定できず、最も多く守備に就いたのが竹之内の50試合という有り様
その竹之内が外野コンバートで伊原が入ったが、73年に菊川の三塁コンバートによりレギュラー剥奪
まあ西武初年度の内野陣でレギュラーになれなかった辺り選手としてのレベルはたかが知れてる >>446
当時の記事はやっぱ生々しいねぇ
しかし件がひと段落した後の報道のされ方はずっと黒い霧=西鉄球団&池永だよね
中日も酷かったし何より球界全体に蔓延してたのに捜査自体も尻切れトンボみたいになった(した?)んだっけ
まあ西鉄はオーナーが当該選手に逃走資金を与えてたってのも相当デカいよなぁ
もっと古くからの八百長の実態や係わった選手名が全て明るみになってたら日本のプロ野球は終わってたのかもね 今、改めて久し振りにwikiの黒い霧を見てみたけど楠根、西鉄オーナーの対応が色々酷過ぎるわw
あれじゃ世間に西鉄イコール黒い球団ってイメージ持たれてもしょうがない
池永はそれ以前からマスコミ受け悪かったそうだから
まあ他球団や選手にしてみたら西鉄球団や池永がスケープゴートになってくれて
幕引きになってホッとしたってところが正直なところなんだろうな 田中勉が「八百長をやった選手は80人くらいいる。その後監督になったやつもいる」と漏らしたそうだが
それをバカ正直に暴いたらプロ野球が崩壊しかねない
プロ野球が崩壊したら野球で儲けている財界が困るからな 池永は投手としても、ふだんの言動においても、その人間性にかなり問題があり、
周囲から疑問視されていたことが、事件発覚後、かばう人がいなくて追放に
つながったと思う
野球選手としてのずば抜けた才能と、人間性がアンバランスな人だ
非常に心の闇を感じる人物だと思う >>453
池永が父親を下の名前で呼んで靴を磨かせていたのを見て
武末コーチが吃驚したとか
車で民家に激突したが放置して帰ったとかのエピソードは本当なのかね >>454
飲酒運転で民家に突っ込んでおいて、そこの住人に「警察に通報したそうですね」と因縁をつけた 池永は当時の映像を見てもカタギには見えないからな
反対におとなしく控え目な性格の与田が自ら八百長を告白したから一層疑惑の眼が向けられたとも
>>454
武末コーチだっけ?
八百長に気がつきオーナーに相談したら左遷されて握りつぶされたコーチは 元近鉄の徳久がすし屋で指詰めろと恐喝で逮捕されたことあった、原因は何か忘れた 池永さえ入団させなかったら西鉄は身売りしなくて済んだのに・・ ヤオを広めたのは田中勉と永易だから池永の入団はあまり関係ないっしょ
むしろ池永が南海に入団して森安の当たりクジを引いたのが東映じゃなくてサンケイだったら
2人の運命は変わったかもしれん むしろ入団時の契約金だな。尾崎と両獲りで当時の金額で8000万(池永5000万、尾崎3000万)と
財政状況を無視した無茶な金額提示がそれまでの高給取り主力を相次いで放出し
チームの弱体化に繋がっていったのは事実だし >>459
そういうタラレバが一番くだらない。
南海は鶴岡監督が直接口説きに行ったのに、
池永はボールをもてあそびながら「金の高いところに行きますわ」
と答えて「こんな奴いらんわ」と鶴岡は撤退したんだが >>454
父親を下の名前で言ってたのは本で見た
ただ、稲尾に家に呼んでもらって優しさに触れて泣いたり純なとこもあったみたい 下関商時代から記者に対して横柄な態度をとっていて、センバツ大会では「生意気すぎる」とのことで記者クラブから主催の毎日新聞へ抗議があった 飲酒運転で人んちに車ぶつけて逃げ帰って、ぶつけられた家の人が警察呼んだのを恨んだとか、ゴミ以下の人間だよな ここに2002年、ドーベルでの会話が記してあるけど
「西鉄に決めたのは親の意向、他に南海と巨人が熱心に誘ってくれた
自分としては鶴岡さんのいる南海でプレーしたかった」そう
http://www.geocities.jp/hm1964hm/ikenaga-int.htm
しかしそういう性格でよく飲食業、接客業とか長く続けられたね
開店当初は文句言う客もいただろうにね
まあ期せずして事件が池永を大人に成長させたのかな >>465
仮に南海へ入ったとしても
当時の池永の性分だと鶴岡ともノムとも対立してたように思う 最近の野村の本で池永のエピソードは
死球すれすれの球を投げてきて怒って詰め寄ろうとした後に
平気でまた同じ球投げてくる話と
オールスターでゲッツーを取らせる配球を池永に目の当たりに見せられて
勉強になった話が出てたな >>465
親が靴を磨かせて出来が悪いと怒鳴りつけるような奴が親の言うことを聞くかよw >>468
素晴らしい投手だが故意死球の常習だったってのは今も書いてるね
故意死球の常習って他チームから嫌われるからな
デービスが東尾をぶん殴った後に他チームの首脳陣が東尾批判をしていた位だから
(外人への風当たりが強い時代だったのに)
あと渦中真っただ中の1970年4月28日に大杉がボレスをぶん殴って
退場にならなかったのは偶然なんだろうか
球界のケーフェイをマスコミに漏らした事の怒りにも見える >>470
速すぎて審判はわからなかったと言う話もあるし
仲間も素行悪くてかばう気にならなかったんだろう
ttps://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0806/kiji/K20090601Z00002890.html >>465
壮年期になると草野球にも参加していたぐらいだったし
(しかも西鉄のユニフォームだった時もあった)
結構人付き合いも円滑にできるようになっていた感じだね。
家族には身内という安心感からか、
我儘だった若い頃の名残も幾分見せていたらしいけど。 どっかのライターが「幻の300勝投手」だとか「悲運の大投手」と書きたてたから、池永の神格化が進んだ 追放にならずに無事現役を続けられていたら、池永はどんな人間になっていたのだろうか?
現役5年の実績から推測すると、250〜300勝くらいはしたかも知れない。
鈴木啓示、山田久志クラスの投手になったということだ。
一方、その酷い人間性はさらに進化していき、手のつけられない人物になっていたのでは?
監督やコーチは務まったのだろうか? 本人の問題というか悪いお友達が多いだろうから
今でいう立浪みたいになってた可能性が高い 投手の才能ばかり注目されてるが
中西監督が「池永は20勝するから投手やらせてるが
15勝くらいなら打者に転向させているよ」
と言うくらい打者としても素質が凄かったみたいね 西鉄ライオンズは1968年〜1969年と続けて5位だから
黒い霧を抜きにしても弱体化してたんだよね 68年は主砲だったロイと
投はノーノー清俊彦が抜けたのもあるだろうが69年は既にヤオ汚染が拡がってたでしょ 西鉄としては清のトレードは本意では無かったが、野手陣が深刻な駒不足だったため決断したという
外国人選手がいなければ、基、伊藤光四郎、広野、船田が中軸を打つような状態では致し方ない 高倉のトレードも、表向きは船田・宮寺との交換だが、実際は金銭トレードだったという話だ 尾崎将司は「自分のライバルはいつも池永だった。青木や中島じゃなかった。」と言っていたね どっちも人間的にクズだよなw
こんな奴らを獲るから西鉄は消滅した 西鉄は豊田をトレードに出して以来、主軸を打てる日本人打者がいなくなった。
ロイ、バーマ、ウイルソン、ボレスなどの外人が主軸を打っていたが、費用削減の
ため外人を辞めさせると、貧弱な打線になってしまった。
事件がなかったとしても、西鉄の弱体化は避けられなかったと思う。 事件の有る無しに財政難で身売りは避けられなかったろうな
年間観客動員数はジリジリ減っていたし
そして池永も費用削減でトレードに出されていただろう >>480>>483>>484
単発自演知ったか乙w
高倉は宮寺プラス金銭な
船田は田中久寿男との1対1 >>484
上にもある通りアサヒビールに身売り寸前まで行ってたからね
どの電鉄球団もオーナー交代が身売りの切っ掛けだな
西鉄の楠根、南海の川勝、阪急の柴谷 福岡に球団を運営できる会社がない限り移転は仕方ない アサヒビールは球団持たなくても自力で知名度上げたけど
ペプシコーラは最後のチャンスだったかもしれないな 日拓ホームはフライヤーズを買ってから1年も経たずに手放したけど
知名度が上がったんでプラスになったみたいね
日拓グループは今も存続してるし >>493
日拓でググれば出てくるよ
今の社長の奥さんが神田うの
ライオンズ関連だと太平洋クラブも今も残ってるね 伊藤光四郎は二軍監督時代に二軍に沈んでいた加藤博一にスイッチ転向を勧めた。
スイッチになっていなければ阪神移籍前に戦力外になっていた可能性はあるので恩人と言えるだろな 明るいキャラだから苦労人だって伝わらなかったけど加藤博一は凄く下積みが長い
ファーム時代の加藤を見て気に入って獲得したのが吉田義男
吉田義男は野手転向していた遠山を左投手として復帰させたように
使える選手を見抜くのが意外と上手い ペプシやアサヒがライオンズを買う予定だって言われても、実際買ったのは中村なんだけどね >>498
吉田と一枝は阪神で3度コンビを組んでいたな。 木本は「タダでも良いから売りたい」と言ってて実際にタダ同然で
福岡野球に譲渡した
日拓ホームフライヤーズがロッテオリオンズと合併しようとしたが頓挫
東京スタジアム閉鎖
この頃のパ・リーグは国際プロレスの末期並に悲惨なエピソードだらけ
よくここから復活できたもんだ 吉田と一枝は現役時代は同リーグの
レギュラー内野手って以外の接点は無かったがヒゲ辻と一枝が明大の同期&近鉄で同僚だったのが縁で阪神に前後して移籍して共に吉田の下でコーチになってからだな
辻は吉田と対立して球界からも去ってしまい萩本の欽ドン野球に
尾崎 荒川尭 森徹らと出演していたが >>501
>タダでもよい
「タダより高いものは無い」を
真に証明する結果になったな
西鉄は福岡政財界の中村への嫌がらせに追従していた腐れ企業だったし タダでもよい、って言う所に敬意を表して1億払って嫌がらせされたのかw >>504
え?
マジで福岡野球もとい中村商店は
西鉄に当時1億も払ったのか
好い人過ぎる 恩を仇でかえすとは
この事だわw だけど後に西武に売って福岡を離れる事で
福岡財界にしっぺ返しをしたからね
流石は岸信介の秘書だった人だよ それ「しっぺ返し」って言わなくね?w
(福岡人は思ってるかしれんけど) >>493
高田馬場ででかでかと広告だしてるな
関東に住むまでは過去の企業かと思ってた >>505
ライオンズの過去に敬意を表してらしいな
当時はタダ同然といった報道もあったらしいが Sは佐藤公博 Mは三浦清弘だな
もし、あの時…我が身に迫った黒い霧(後編)
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/dailyfield/entertainment/dailyfield-20181123006
投手Sが大阪球場の選手入り口横の小さな事務所で、午後4時から5時頃に、
後ろを向いて電話をしている姿を頻繁に見た。それは組織がハンデをつけ、張り手に知らせる時間帯だった。
同時期、投手Sはチーム内で目を付けた投手に八百長を持ちかけていたらしい。投手Мはその疑いで事情聴取を受けている。
ある日、投手Sは大阪球場のロッカー横の小部屋に私を呼び入れた。
「これ、着ないか?」。ペンギンマークのポロシャツを差し出した。そんなことをする選手に出会ったことはない。
当時は高価なシャツだ。どうすべきか。戸惑いの中でシャツのサイズが目に入った。
「あっ、Sさん、これ、アメリカサイズのL。おれには大きすぎるわ」
そう断って、なぜかほっとしたことを覚えている。あのシャツを受け取っていれば?。
知らぬ間に黒い霧の中に入っていたのではないか。
もし投手Sが警察の調べで先発投手情報の入手先を問い詰められた時に
「シャツを渡してデイリーの記者にも協力してもらった」とでも答えていたら、私はどうなっていただろう。
半世紀も前の出来事。今も思い出すと戦慄(りつ)を覚える。
投手Sは69年のシーズン限りで引退。事実上の永久追放になった。
一時、暴力団に追われたらしいという噂を聞いたが、それ以後の消息は知らない。(終わり) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています