〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.25〓
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>>99
関本四十四はライオンズに移籍してきて練習中に余ってるタオルをチームメイトに何気にあげたら
めちゃくちゃ喜ばれてコイツらどんだけ貧乏なんだって驚いたって話してたな 近鉄に行った淡口が「巨人に戻りたいですか?」と聞かれてあっさりと
「戻りたいです」と答えていたのを覚えている
引退したらコーチとして巨人に復帰したけど
あくまで想像だが有田とのトレードを受ける時の条件に入ってたのかもね 鉄道会社でも、国鉄は待遇もよくて居心地がよかったらしいね。
国鉄は日本中にあるので、どこの球場に遠征しても、国鉄職員が家族連れで
応援に来てくれて、アットホームで温かみのある球団だったらしい。 日本一の座を謳歌していた元人気球団が
日本一みじめな球団に成り下がってしまい・・・ やっぱり黒い霧だろうな
池永が永久追放された西鉄
森安が永久追放された東映
両方身売りしたからね
森安は今でも史上最速だったんじゃないかって言われるね
元審判の露崎も「間違いなく自分が見た投手で最速
スピードガンは当時無かったが150kmを超えてたんじゃないかと思う」と
書いていた 池永を獲得しなかったら、西鉄ライオンズの寿命はもう少し延びたのではないか V3戦士が軒並み退団・劣化していたし他に勝てる投手もいないからどの道一緒だろ。 豊田が国鉄へ移籍する際に西鉄首脳陣やフロントを批判して危惧したのが
後年になって当たった形かな >>116
当初はちゃんとしたもの並べていたが、選手があまりに手を付けないから、菓子パンだけにしたらしい。
金がなくてそうしたのではなく、選手の意識の低さが原因。
>>119
ビジターのチームにもただで食事出すのか?太っ腹だなあ。
南海時代は、試合後ロッカールームにポテトチップス一袋だけ、と聞いたことがある。
ダイエーになるや否や、普段の練習後に豪華な軽食が並びだしたそうだが。 ttps://ykt.sega-online.jp/special/interview/history/vol12/
その阪神に、真弓さんは78年オフに移籍したわけですが、超大型トレードで話題となりました。
心情的にはいかがでした?
真弓
嬉しかったね(笑)。通告されたとき、思わず「ありがとうございます」って言っちゃった。
チームから一人だけ出て行くのならまた気分も違ったろうけど、
あのときはクラウンの西武への身売りが決まってて、
どちらにせよ博多を出なければいけなかったからね。
それに当時は、セとパの人気がいまの比ではなかった。
オープン戦をパ同士で戦うのと、セのチームと戦うのでは、お客さんの入りも全然違ったから。
なので阪神だからではなく、セのチームに行けるのならという感じだった。 真弓からしたら阪神にトレードに出されて不貞腐れる小林がさぞかしキチガイに見えたんだろうな。 もし西武が球団買わんかったら、ライオンズ消滅したんじゃないか。 と言うか中村長芳が救済に動いてくれなかったらヤバかった
立派な中継ぎだったと思う >>126
黒い霧がなんで起きたかっていえば黒い霧のもっと前に客が激減して
球団が活躍した選手に金払えなくなったからでしょ。要はファンが悪い。
しかもそいつらが中村長芳を批判。アホかと >>128
三連覇のあとの凋落で「スカウトは何やってたのか」とか
「スカウトの色々よくない噂が聞こえてきた」とか
そんなのを少し前の回想本では書かれてたなぁ >>132
小林て小林繁のことか?小林繁なら然全然貞腐れてなどなかったが、お前はどこの異世界から召喚されたんだw 落合のトレードの時は星野が牛島を説得して
ロッテへのトレードをOKさせた
当時は
セの人気球団→パの不人気球団
パの不人気球団→セの人気球団
では通告された選手の表情も対称的だったからな
藤波や定岡みたいに引退を賭けて拒否する選手もいた位だし でもそのおかげで、選手へのいきなりの通告はなくなったのよね。 >>141
何がそのおかげなのか分からない
そもそもいきなりの通告も未だに普通に行われてる >>136
不人気貧乏球団のまま福岡に居させたかったんかいとw
福岡市と九州財界とファンには、中村を批判する資格はないわな。
中村を全く支援しなかったくせにな。 支援どころか平和台球場の借用料を大幅値上げしたからね
移転されたってしょうがないわな
真弓は親友の若菜と一緒に阪神に移れたのも嬉しかったとか 田淵が悔し涙を流し、古沢が移籍には納得しつつも阪神のやり方に疑問を持った一方、
クラウン(トレード成立時はすでに西武)から阪神に移籍した4人は総じて喜んでいたらしいな。
田淵haダイエー監督時代は交換相手だった竹之内とはやりにくかったのか二軍に回してしまったな。 そりゃ夏場に夏用ユニフォームくれないような環境にいたら脱出出来て喜ばない人はいないでしょ
まあ、残ったら残ったでめちゃくちゃ豪華な環境にはなるのだが… >>140
阪急と中日で複数大型トレードがあった時、
阪急が連覇中の全盛期だったにも関わらず
出される中日の選手はこの世の終わりみたいな表情、
対照的に阪急の選手は満面の笑みだったらしい。 二リーグ分裂の際には、阪神の若林監督、別当、土井垣、本堂が毎日に移籍して
いるし、昭和34年には阪神の四番打者の田宮が大毎に10年選手の権利を
行使して移籍した。昭和39年に阪神の小山は東京に移籍したが、この移籍に
落胆したという話はなく、むしろ永田オーナーに厚遇されていた。
かつては、パリーグに移籍することにそれほど抵抗はなかったと思われる。
ある時期から、セ・パの格差が顕著になり、パリーグへ移籍することが忌避され
るようになったと考えられる。 中日はセの中でも羽振りが良かったからね。
しかも地元ではローカルヒーローでチヤホヤされる。
そりゃ出たくないわな。 落合のトレードの時は「巨人が獲る」と言われてて実際に巨人が動ていたんだが
中日が選手4人出す大盤振る舞いで横取りした
あの時は巨人のトレード候補と言われた選手は「中日に行ってくれてよかった」と
ホッとしただろうな >>147
阪神とダイエーの複数大型トレードの時もそうだったね。
池田は涙を流し、大野は終始渋い表情なのに、
ダイエー勢はみんな笑顔だった。 そりゃあニャンコ達からしたら阪神に移籍できた時点で野球人生のゴールみたいなものだし。 中日⇔阪急の大型トレードも活躍したのは阪急に移った選手だった
ここら辺は上田監督の手腕かもしれんけどね >>149
中日に限らずセの球団ならどこでも同じだろ。
巨人戦でTVに映る華やかなセ界からマイナーリーグに落とされるようなもんだから。
逆にセに行く選手が大歓迎なのも同じこと。 江藤慎一は「中日の江藤で終わりたい」とトレード拒否して引退したけどロッテで復帰したんだよね
チームの顔クラスの選手のトレードと言うと
中日の江藤、阪神の江夏、田淵、中日の田尾、ロッテの落合、西武の秋山、ダイエーの小久保あたりか
小久保の無償トレードが凄い。このクラスの選手がタダって。 >>151
その池田は今ではすっかりホークスOBとしての活動が目立つな。阪神との縁も切れてはいないが。 パリーグへ行くのが忌避されるようになったのは、テレビが普及して、テレビで
「巨人戦」が高い視聴率になり、いつも全国でテレビに映るセリーグとの差が
大きくなったころからだと思う。
阪神の地位が向上して、南海の地位が凋落したころと重なるように思う。 幸か不幸か、今は野球人気そのものが低下したからそういうのがほぼなくなったなぁ…
高い位置で同じになってくれたら良かったんだけど、逆に低い位置で同じになってしまった
末期の南海だが
交換相手のほうもさすがに森脇レベルじゃ広島のままだとクビ確実で
指導者の道が拓け結果オーライとなった
―――
西山秀二 - Wikipedia
経歴
八尾市立大正中学校時代は桑田真澄とバッテリーを組み[2][3]、上宮高では3年次の1985年、夏の甲子園大阪予選では5回戦で敗退。
卒業後の1986年にドラフト4位で南海ホークスへ入団[1]。1年目のキャンプでは捕手でありながらブルペンで球を受けさせてもらえず、フリー打撃でも打球が飛ばないなど自信を失いかけ、1年目の一軍出場機会はゼロに終わった。
1987年シーズン途中に森脇浩司、永田利則との2対1(西山プラス金銭)のトレードで広島東洋カープへ移籍(高卒ドラフト入団で僅か1年5ヶ月でのトレード移籍は前代未聞で球団は西山の実家に訪れ、
チームが久々のAクラスキープしていたが1軍内野手が軒並み故障離脱、また球団の経営難で資金がどうしても欲しかった等を素直に西山本人及び両親に述べ謝罪したが、西山とその両親は人気のセ・リーグに行けると喜んだと後に語っている)[4]。
当時は達川光男の後釜候補の一人で
>>163
若手ローテ投手の柳田投手等との交換でしょ(´・ω・`)
薹の立った選手を放出して若手有望株(プロスペクト)選手を獲得と、再建を図るチームではありがちなトレードだわな。
西本監督は「優勝するには守りを固めないと」との思惑で、守備に不安がある土井を放出して柳田投手を獲得したんだけど、直後に指名打者制採用が決定して
「土井を守備につかせなくても良くなった、大失敗したわ(´・ω・`)」と後悔したトレードと晩年まで語っていたっけ。 近鉄→太平洋と言う球団歴のせいで実績のわりに全然有名じゃないね>土井正博
巨人の土井の方が遥かに有名 >>165
それは40年前の話じゃないのかね。
土井正博は、太平洋の次の新生西武ライオンズの主砲として活躍し有名。
一方の土井正三は大昔の巨人V9戦士として地味な名前だけ知られた選手。
少し若い世代の人なら監督をやった実績ぐらいしか知らないのでは。 >>166
新生西武ライオンズの主砲といえば田淵だろ。 博多発祥企業で、土井正博がライオンズに移籍してきた1975年に東京進出を果たし、西新宿カメラ屋戦争の火付け役と称された
カメラのドイも、地元球団の4番の土井そっちのけで巨人の土井をCMキャラクターに起用したり(´・ω・`)
今で言えばギータを無視して、巨人の長野(現広島)や亀井をCMで起用する様なものだろ・・・・・、今の博多だとまず考えられない罠。 広岡が監督になる事が決まって
「どう考えても管理野球の広岡とは合わない」と根本から
引退を勧められて受け入れたとか>土井正博 自分の子供のころの実感としては、巨人の土井のほうがはるかに有名で、友達に
「太平洋にも土井がいるらしい」と教えられて知ったくらいだった。
西武になってから、田淵とクリーンナップを組んで、知名度が上がった印象はある。
引退後は、清原の師匠になったし、つい最近までコーチをしていて、白髪が格好いい
ので、若い人には土井正博のほうが有名だと思う。 >>166
今も昔も巨人の土井の方が有名だっての。「土井」と言えば巨人の土井。
ただ死んでからはもういない人だから若干忘れかけられてる程度。
永六輔が土井正博のファンで憤慨してたはず。 最強V9の正二塁手で、あわや世紀の大誤審→実は合ってました、の
クロスプレーの主役となり、指導者になってからはイチローの件で
良くも悪くも有名になった正三と、
暗黒近鉄で若くして主砲になったがタイトルには届かず、
自分が移籍したら近鉄が優勝して
移籍先のライオンズが優勝する前年に引退の正博じゃね・・・
コーチになってからは正三より騒ぎ起こしたけど 土井正三も最初は近鉄バファローズ入団が内定していたのを巨人が後から拐うように取っていったんだよな >>168
それどころか巨人の土井以上に地味な大洋の土井もCMに起用してたな
土井正博はガン無視 >>174
鈴木啓示によれば土井正博本人が目立ちたくない性格だったらしい。
近鉄時代もチームの顔みたいな扱いされるのも嫌がって、前に出なかった。
鈴木みたいに草魂とかマスコミ受けする発言もしないから、
パでそんなことしてたら必然的に地味になる。 >>138
>>139
成績どうこうじゃなくて「なんで自分が巨人を出されるんだ」
という不満があったのは事実。
阪神に移籍した選手の歓迎会で、
「巨人には伝統があるが伝統がない」
と言って掛布を凍りつかせた。 ×巨人には伝統があるが伝統がない
◯巨人には伝統があるが阪神には伝統がない 土井さん、もう改心して後進の指導で功績を上げたんだから殿堂入りさせてあげましょうよ!江夏さんと共に。
亡くなってからじゃ遅いよ。 >>176
地味な人なのにバクチは大好きなんだよなw カメハメハ土井はセにいたらあの顔だし本人の意思とは裏腹に相当人気出たんじゃないの?
引退後ドラマにも出てたよね、金妻シリーズだったっけ?
博多に来てよかったよね、無冠の帝王も返上できたし19歳の嫁さんも貰えたし
脅威のプルヒッター、無名だけど色々逸話も残してるしパ・リーグらしくていいじゃないw >>176
顔が売れると賭場に出入りしにくいからじゃね 現役時代に賭博で書類送検されてコーチ時代に賭博で逮捕されたという
長嶋よりHR売ってるのに殿堂入りできないのはそのせいだろうか 土井正博はパ・リーグひと筋だった野球人生に
「誇りを持っている」とコメントしてたな 球団の顔クラスの選手のトレードは別リーグに移る事が多い
同一リーグのチームに移るのは少ないね
土井と秋山位か >>179
トランプマン柴田が殿堂入りしない限り
無理だろうな いやいや東尾ができたんだから土井が殿堂入りしてもおかしくねえだろ 「くれない族の反乱」
何気なくテレビを観ていたら土井正博がドラマに出ていてびっくりしたな
大原麗子との共演だったかな 金曜22時は必殺仕事人(大田じゃない方)の裏だしな >>185
一瞬、大洋(現・横浜DeNA)の黄金バッテリーかと思ったw >>190
ここで言われてることがそのまま書かれてるなw
>反響ゼロ、パ一筋の悲哀
おまけに西武時代の土井さんってクラウン時代の写真で紹介される始末w >>117
国貞が広島移籍した時は
親会社の東洋工業トップがオーナーで
マツダロータリーエンジンが実用化に
成功して海外で売れ行き上昇して 福岡野球の貧乏話は一杯あるが竹之内が給料が安いので
オフの間は焼き鳥屋をやってたってのが凄い
「すすめ!パイレーツ」でパイレーツの選手は給料が安いので
オフの間はアルバイトをしているって話があったがそれをリアルでやってたわけで >>194誤送信した 続き
球団にカネを使えていた時期だったからな
オイルショックで東洋工業が一気に落ち込んで
メインバンクから役員派遣 3代目社長はカープ球団とディーラーを与えられ東洋工業から追い出されたw
同時に福岡に移籍して来た土井 白仁天は同学年だったな >>195
ヤクルトの安田猛が十分な年俸もらっててもオフにアルバイトしていたのとは、事情が違うな。 >>190
土井はカタギ役が似合わない風貌だからな
しかも由紀さおりの亭主役というのもミスマッチ
関係ないけど画像の新聞記事には「にゃんにゃん事件」の記事……今だったら引退しなくても済んだかも 由紀さおりはよく志村のバカ殿様で年齢詐称(15でございます)をよくやってたが、
相手役の土井もクラウン時代にかなり年下の女性(当時まだ女子大生だったか?)と
結婚してた報道があったと思う >>185
ピーク時に同じリーグの球団に移籍したのはその二人かな。
晩年なら結構いる。山内・榎本・野村・松原・江夏・落合。野村はクビ、落合はFAと少し事情が異なるかも知れないけど。 ピーク時なら小林繁もだね
あれも特殊な事情での移籍だけど >>196
実はその松田耕平が失脚した年に現カープオーナーの松田元が東洋工業に入社していたりする
工藤は?
>>195
一瞬サラかんの日暮里パイレーツかと思った
東京スタジアム末期のロッテが平成にタイムスリップしたみたいな雰囲気だったが
>>204
耕平は慶大OBのよしみで別当をカープ監督招聘してたな
元の入社は創業家に一応配慮したか
慶大閥絡みもあったかもな
>>196のメインバンクは当時の住友だが
マツダロータリー存続を支持しRX7やファミリア成功で危機を脱するもバブル期に販売チャンネル展開で倒産待ったなしフォード傘下に吸収迄追い込んだなw 大物選手のトレード理由は
@衰えが見えてきて「高く売れるうちに交換しよう」とトレードに出される
A身売りでチームを刷新して前チームのカラーが強い選手は放出対象になる
B首脳陣もしくはフロントと確執があった
C高騰した年俸が球団の重荷になる
あたりか 土井正博は現役時代は一匹狼的でマイペースな性格だったけど、選手たちからの
人望はあったみたいだね
その点からすると、東尾などとも近い性格だろうか 土井も東尾も
名球会セレモニーみたくなってた
江藤愼一の告別式に不参加とコメントも出していなかったからなw
二人が初タイトルを獲れたのは江藤のお蔭でもあったが白仁天は後年の野球小僧インタビューで江藤に感謝していた 福岡野球時代で唯一Aクラス入りしたが、成績は稲尾と大差ないんだよな
ただ江藤のプレーイングマネージャー就任はハワードの入団並みに大きな注目を集めたし、後楽園の一塁側が最も盛り上がったのはこの年じゃないか >>211
後期失速するも前期2位と大健闘
本塁打王 首位打者 最多勝を輩出
山賊野球と称されてパを盛り上げたからね
福岡野球もとい中村商店最期の輝きだったな まだ燃え尽きていなかった土井と白を獲得できて
2人とも活躍したのが大きかったね 土井のバッティングフォームを、昨年末の名球会のイベントで、初めてバックスクリーン側カメラからの映像で見たが、メチャクチャ雰囲気と威圧感のある個性的な構えだった。 そういえば76・77年の日本シリーズ、後楽園で当時の太平洋クラブ(クラウンライター)ライオンズ応援団が「パリーグのために」と阪急ブレーブス応援団と一緒にブレーブスの応援をしていたな。
後楽園3塁側ダッグアウト上でブレーブスとライオンズの旗が並んで振られている写真を昔何かで見たわ。 >>217
西鉄と巨人の日本シリーズで後がないときに鶴岡監督が激励に来たり
日本シリーズは今よりもリーグの名誉かけた戦いて感じあったろうね 1975〜1977年は阪急が日本シリーズ三連覇したが
悲しいかなパの人気は全然上がらなかった >>220
あれでも70年代初頭の超絶暗黒時代を思うと良くなってきたほうなのかも 普通、普段戦ってる敵の相手を応援したいと思わないのかね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています